プラトニックな付き合いをしている恋人の寝取られビデオレターをもらったぜ!

奥玲 囚司

  




『やだ、ホントに撮るの?』

『いいだろ、誰にも見せねえからさ』

『絶対だよ? もう、エッチなんだから』


 茜色に染まる安アパートの一室に響く、男女の睦言。

 ただしそれは、この部屋で行われているものではない。


 部屋の主である安田やすだ翔大しょうだいは、音源であるノートパソコンの画面をボンヤリ眺めていた。


 映像の中の少女──桐山きりやま三咲みさきは、翔大が付き合っている恋人だ。

 恋人のはずだ。

 少なくとも翔大はそう思っている。


 一年前に現在の学校に転入した翔大は放送部に入り、そこで隣のクラスの三咲と知り合った。

 家庭の事情により一人で暮らす翔大の生活は、バイトをしていても楽なものではない。そんな生活を三咲が気にかけてくれたのが、仲良くなるきっかけだった。

 三咲の親は町工場を経営している。以前は貧しい時期があり、翔大を放っておけなかったのだそうだ。

 最終的に翔大から告白し、付き合うことになったのが半年前。


 だが、見たこともなかった三咲の柔肌にパソコンの中で舌をはわせているのは、翔大ではない。


『なぁ翔大とは別れろよ』

『あっ、でも……んんっ!』

『まだ手を出してこないとか、あいつぜってーインポだって』


 翔大をあざけりながら三咲を攻め立てるのは、同じクラスの藤岡ふじおか勇治ゆうじだった。

 勇治は県内でも有数の会社を経営する父親を持っている。次男ではあるが、将来それなりのポストに就くことは想像に難くない。


 その勇治になぜか嫌われているのは翔大も気づいていた。

 そして今日、学校から帰ろうとした翔大は勇治に呼び止められた。


「おい、いいモンくれてやる」


 投げてよこしたのはSDカード。


「あーわりぃわりぃ。どうせお前はパソコンも持ってねえか。ま、いつか手に入れたら見ろや。じゃあな」


 そう言って大笑いしながら仲間と去っていった。


 渡されたSDカードを見たときから、翔大には予感があった。

 二ヶ月ほど前から、三咲の様子がどこかよそよそしく感じられていた。翔大にはその理由がわからず悩んでいたのだ。

 その頃から、勇治が自分と目が合うと口許を歪ませるようになっている。

 さらには会社の縁で勇治と三咲が知り合いだというのは、三咲本人から聞いたことがある。

 翔大の頭の中でその二人が結びつくのは、不自然なことではない。


 その予感に突き動かされ、翔大は帰りがけに中古屋で安いノートパソコンを買った。

 そして、自分の予感が外れていなかったことを知ることになった。


 映像が揺れる度に、輝くように白い背中がよじれ、甲高い声が翔大の部屋にも響く。


『おら! あんなフニャチンとは別れろや!』

『あっ、そんなのっ!』

『フニャチンじゃなけりゃ、よっぽどの短小に決まってるぜ!』


 翔大を馬鹿にしながら荒々しくむさぼる勇治に、ついに三咲は決定的な言葉を口にしてしまう。


『わっ、別れるっ……別れますぅ!』


 待ってましたとばかりにカメラの向きが変わる。

 勇治の顔がアップで映り、カメラの向こうにいる翔大に向かって舌を出した。


 ──そのあとの三咲は吹っ切れたかのように、勇治の望むがままの言葉をオウム返しに口にする。

 卑猥な言葉が半分。

 もう半分は翔大への罵倒。


 限界をとうに越えていた翔大は、震える手で顔を押さえた。


「くっ、くククくク……アはッ、あははハはははハハハハはははハハははは!」


 狂ったような笑い声は、隣人が怒鳴りこんでくるまで続いた。







 三日後──路上に肩を寄せて歩く男女の姿があった。三咲と勇治だ。

 堂々と歩く勇治に対し、三咲は周りを気にするように歩いている。その態度に勇治が舌打ちした。


「あんだよ、別に見られたっていいじゃねえか」


 勇治は三咲のことを数年前から知っているが、これまで特に気にしたことはなかった。

 だが恋が女を磨いたとでもいうのか、この半年で急激に可愛らしくなったように勇治の目には映っている。

 それもその恋の相手は、あの生意気な貧乏転入生。


 翔大は端正な顔立ちをしており、運動神経も良い。密かに女子から人気が高い。

 それまでは女子の憧れを、将来を約束されている自分が一身に集めていたのだ。それを翔大に奪われたと勇治は感じていた。


 ちょうど付き合っていた恋人に飽きがきていた勇治は、三咲に迫ることになんの躊躇いもなかった。

 三咲との行為を録画して翔大に渡したのは、諦めさせるためと、遊び半分に苦痛を与えるためだ。


「でも……バレちゃったら困るし……」


 一方で三咲は自分と勇治の映像が、翔大の手に渡ったことなど知るよしもない。


 父親のパーティーについていった先で勇治に迫られ、つい唇を許してしまった。それからしつこくつきまとわれ、ズルズルと体まで。

 強引な勇治に惹かれる部分はあるが、それでも好きなのは翔大なのだ。行為の最中は酷い言葉を口にしてしまうこともあるが、それはそう言えば勇治が満足するからでしかない。


 だが翔大がこの三日間学校を休んでいることもあり、今日も押しの強さと与えられる快楽に負け、勇治についてきてしまった。


 やがて二人は勇治の家に到着した。

 玄関の鍵穴に差し込んだ鍵を回した勇治が、首を傾げる。


「あん? なんで開いてんだ。今日は誰も……」


 その時、玄関の扉が勢いよく押し開けられた。

 ぶつけた手を押さえる勇治を出迎えたのは──顔面に振り抜かれた拳。


 仰向けに倒れた勇治から苦悶の声が、それを見た三咲から悲鳴が上がる。


「あっ、がっ、いでぇ……あにすんだ! オヤ、ジ……」


 勇治を殴り飛ばしたのは、勇治の父親。

 その目は血走り、真っ赤な顔で体を震わせている。どう見ても尋常ではない。


 言葉尻をすぼませた勇治にのしかかり、馬乗りで胸ぐらを掴んだ父親は激しく揺さぶった。


「きさ、貴様はっ、貴様はなんてことをしてくれたんだ!」


 あまりの剣幕に、両の穴から鼻血を流す勇治はなされるがままだ。三咲はその有り様を、体を縮こまらせて見ていることしかできない。

 荒ぶる父親を止めたのは、家から出てきた年の離れた勇治の兄だった。


 会社の社長である父と、役員である兄がこんな時間に家にいる。そのことと殴られた痛みで、勇治は混乱の極みにあった。

 父親に髪の毛を掴み起こされ、勇治は家の中に引きずられていく。


「君が桐山さんかな。君も来なさい」


 眼鏡の奥で冷たい光を放つ瞳に気圧され、三咲は何度も頷くほかなかった。本当は逃げたかったとしても。


 客間に連れていかれた三咲が見たのは、自分の恋人──翔大だった。

 ソファーには他にもスーツ姿の二人が座っている。タイトスカートの美しい女性と、中年男性だ。


 翔大を見た三咲は口元を押さえ、声も出せなかった。

 反対に勇治は、声を荒げて突っかかる。


「なんでテメェがここにっ!」


 その頭を父親の大きな手が押さえつけ、強引に下げさせた。


「誠に、誠に申し訳ありません! このバカ息子が本当にとんでもないことを」


 訳もわからずに父親とともに勇治が頭を下げる中、来客を告げるチャイムが鳴る。


 涙を流す勇治の母親を押し留め、迎えにいった兄が客間に通したのは──顔を真っ青にした、三咲の両親だ。


「な、なんで、お父さんたちが……」


 ただただ混乱する三咲の両肩を、母親が掴んで揺する。


「ほっ、本当なの三咲! あなたが、あんな……」

「落ち着きなさい母さん。まずは真偽を確かめてからだ」


 突然登場した両親のただならぬ様子に、三咲はうろたえるばかり。

 知らないところで自分の足元が根本から崩されてしまっているような感覚に、真っ直ぐ立てているかもわからなくなっていた。


 異様な雰囲気に包まれながらも、それぞれに挨拶を交わす。

 しかし翔大は誰とも目を合わすことなくうつむき、スーツの女性はそれを気遣うのに精一杯の様子で挨拶をすることはなかった。


 その翔大たちの向かいには父親二人が座り、他の者は追加された椅子に座りローテーブルを囲んだ。ただし勇治の席だけは床だった。


 少しだけ部屋の空気が落ち着いたところで口を開いたのは、弁護士と名乗ったスーツ姿の男性だ。


「この度は桐山様まで呼び出すような形になってしまい、誠に申し訳ありませんでした。藤岡様の後で桐山様のお宅には伺う予定でしたが」

「いえ、構いません。こちらに来させて頂くようお願いしたのは私たちですから。それで……聞かせていただいた話は、本当なのでしょうか」


 三咲の父親の震える声には、聞きたくないが聞かなければならないという覚悟があふれていた。

 それに応え、弁護士が説明を始めた。


 まず翔大と三咲が半年間にわたり清い交際をしていたこと。

 これについては三咲の両親は知っている。何度か三咲が家に連れてきたことがあり、今どき珍しい誠実な青年だと、両親はともに好感を抱いていた。

 問題はその先だ。


 弁護士が三日前に翔大が渡されたSDカードについて言及すると、勇治は他人にそのことを明かした翔大を罵り父親に殴られた。

 SDカードの中身について言及すると、三咲は泣き崩れた。


「なんで……なんで!? 誰にも見せないって言ったじゃない!」


 その姿を見て、三咲の両親はそれが事実であることを疑うことができなくなった。


 それでも翔大サイド以外では比較的冷静にしている勇治の兄が、映像の確認を要求する。


「おつらいと思いますが……よろしいのですか?」


 悲壮な覚悟をもって、それぞれの家族が頷いた。


 勇治と三咲が止めようとするも叶わず──弁護士のノートパソコンに映し出される二人の痴態。


 吐き気を催したのか、すぐに勇治の母親が口を押さえて退室した。

 それぞれがそれぞれに絶望を表現する中、弁護士が映像を止める。


「ご覧いただいた通り、全編にわたりお二方はおおとり翔大さんに対しての罵詈雑言を繰り返しています。このことに翔大さんは強い精神的苦痛を感じておられます」

「本当に申し訳ない。うちのバカ息子がこんな……なんとお詫びしていいのか」

「娘がこんなことをするなんて……すまない、翔大君、本当にすまなかった」


 平謝りする親たちを、最後まで話を聞いてくださいと弁護士が制止した。


「翔大さんはこの件を大きな問題にはしたくないとおっしゃっています。つきましては、和解金として八十万円ほどで……」


 金額を提示した弁護士を遮り、嘲笑の声を張り上げたのは勇治だ。


「はっ! 貧乏人が金をせびりに来ただけかよ! 笑えるぜ!」


 翔大の名字が違うことに気づかず、録音されていることも忘れた勇治の言葉に、それまで冷静だった勇治の兄が手を振り上げる。


「この大馬鹿が! 相手が誰かわかっているのか!? 彼は鳳グループCEOのご子息だぞ!」


 鳳グループ──ヘタな殴り方で拳を痛めた兄が告げた名前に、床に転がった勇治はぎょっと目を見開いた。


 鳳グループといえば、子会社だけでも千近くにもなる世界的企業グループである。

 それが本当だとすれば、勇治の家とは所有する資産の桁が幾つか違う。


「う、ウソだ……だってそいつは」

「先程弁護士の方に話を伺った。鳳家では成人する前の三年間は母方の姓を名乗り、最低限の援助だけで生活するのが習わしだそうだ」


 翔大が世界的企業のトップの息子であるということに、知らなかった勇治の家族以外が言葉を失う。

 そんな中、翔大の隣で黙って座っていた女性が口を開いた。


「今回の件について、翔大さんのお父様は大変心を痛めていらっしゃいます」

「あ、あの、貴女は?」


 三咲の父親の問いかけに、失念していたとばかりに女性は頭を下げた。


「大変申し訳ありません。翔大さんの心痛をおもんぱかるあまり、自己紹介も忘れていました。私は翔大さんのお父様の秘書をしております千葉ちば揚羽あげはと申します」


 名刺を差し出した揚羽は再び頭を下げた。

 秘書という名乗りに、現実感がなかった大企業の息子という言葉に色が宿る。

 部屋に戻ってきた勇治の母親も含め、全員が息を飲んだ。


 だが、揚羽がそのあと告げた内容が二組の親に与えた衝撃は、その比ではなかった。


 鳳グループは、御社との関係を見直すつもりである──そう揚羽は告げたのだ。


「まっ、待ってくれ! そんなことをされたら我が社は立ち行かなくなる!」


 泡を食って声を裏返らせたのは、勇治の父親。

 県内で有数の会社といっても、大企業の下請けにすぎない。もちろん発注相手には鳳グループの会社も多く含まれている。


 三咲の父親も、顔色をさらに青くさせている。

 営んでいる町工場など下請けの下請けと言ってもいい。直接的な関係はなくとも、影響は計り知れない。


 勇治と三咲は、自分たちが引き起こした事態の重大さにようやく気づいた。


「ふ、ふざけんな! そんなの脅しじゃねえか!」


 この期に及んでまだ噛みつこうとした勇治は、起き上がる前に兄に押さえつけられた。

 そこに浴びせられる揚羽の視線は、虫けらでも見るようだ。


「そうでしょうか? このような仕打ちをするご家族を持った相手を信用しろというのは、心情的にも実利的にも不可能かと思いますが。もちろん契約を打ち切る際には、そうなった経緯を関係各社に説明させていただきます。十二分に理解は得られるでしょう」


 それはつまり、勇治と三咲がしでかしたことを伝えるということだ。

 信用によって成り立つこの社会でそんな醜聞が広まれば、大打撃になりかねない。

 鳳グループとの契約解消に加えて信用をも失うようなことになれば、破滅の未来しか待っていない。


 父親二人はすぐさま椅子から飛び降り、床に頭を擦りつけた。


「会社が潰れれば、社員はみな路頭に迷ってしまいます……どうか、どうかそれだけは」

「そんなことになれば娘の将来が……この通りです。できることはなんでもします。どうかお願いします」


 いつも偉そうにしていた父の土下座に、勇治は口をパクパクさせるしかできない。

 三咲は尊敬する父に土下座までさせてしまっていることに、涙を流しながらごめんなさいと繰り返していた。


「そのようなことをされても困ります。これはあなた方のお子さんのなされた不始末が原因ではありませんか」

「揚羽さん」


 冷徹に切り捨てようとする揚羽に向け、今日初めて翔大が口を開く。


「そこまですることはないよ。三咲……桐山さんはどちらかといえば被害者じゃないか」


 他人行儀な呼ばれ方に痛感する己の罪。三咲は大粒の涙をこぼした。


「私にはそうは思えませんが……翔大さんはお優しいですね」

「そんなことないさ……それで、どうかな? 揚羽さんは俺に関することを全部父さんに任されているんだろう? なんとかならないかな」

「確かに今回も私に一任されてはいますが……さすがになあなあで済ませるようなことは、お父様がお許しになるとは思えません。せめてなんらかの誠意は見せていただかなければ、お父様を説得することもままなりません」


 揚羽の言葉に光明を見たのか、全員がすがりつくような顔を向けた。口々に、なんでもしますと訴える。

 それを見渡した揚羽は、顔を三咲の父に向けた。


「そうですね……ではこういたしましょう。桐山様の会社について少し調べさせていただきましたが、金属加工についての特許をいくつか保有しているそうですね。それらの譲渡をお願いできますでしょうか。無論、対価は適正に支払わさせていただきます」


 三咲の父親が体を硬直させる。

 以前に傾きかけていた工場を持ち直させたのは、それらの特許を取得したことに他ならない。その技術があるからこそ受注が増えたのだ。

 それに、それらの特許は社員一丸となって発明したものであり、誇りでもあった。

 これまで幾度か大手企業に大金を積まれて譲渡を迫られたことはあったが、全てはねのけてきた。


 それでも……それでもここで工場と娘の未来を失うよりはましなのだろう。

 社員に頭の中で詫びながら、三咲の父親は苦渋の決断を下した。


「……わかりました」


 その返答に満足そうな笑みを見せた揚羽は、勇治の父親に顔を向けた。


「次に藤岡様ですが……全株式の五十一パーセントを鳳グループに売却した上で、現経営陣の退陣を要求させていただきます」

「そっ、そんな無茶な!」


 あまりにも苛烈な要求に、勇治の父親はテーブルを叩いて身を乗り出す。

 だが揚羽は全く意に介さない。


「それを飲めないというのであれば、先程の通りになるだけです」


 会社を丸ごと譲り渡すか、座して潰れるのを待つか。突きつけられる二択に、勇治の父と兄が顔を見合せる。

 選ばなければならない選択肢は決まっているが、それは不可能に近い。


 勇治の家の会社は三代続く家族経営であり、勇治の父と兄が持つ株だけでも五十パーセントは越える。それを売って子会社となるのは可能ではある。

 だが残りの株を持つ取締役の親族が、退陣を受け入れるとは到底思えない。会社の業績が悪化しているというならまだしも、経営は順調なのだから。


「せめて退陣というのは……」


 兄の懇願に揚羽は首を振る。


「むしろそちらをしていただかなければ困ります」

「な、なぜですか」

「当然ではありませんか。お気づきでしょうが、勇治さんは反省の色など全く見えず、謝罪の言葉一つ口にしていません」

「あ、謝れ! 謝らんか!」


 父と兄が勇治に謝罪を強要させようとするのを、揚羽の冷たい口調が制した。


「今さらそのようなことはなされなくて結構です。その勇治さんは、皆様が手にしたお給金で養われていると思いますが……鳳グループの子会社となった場合、彼を養うための給料をこちらが皆様に支払い続けるということになります。それは断じて受け入れることはできません」

「で、では私と息子だけが身を引くというのは」

「親族の方に支払うのであれば、同じようなことではありませんか。こちらとしては、たとえその距離が遠かったとしても、勇治さんと繋がっているというだけで許容できるものではありません」

「それは余りにも……」

「では仕方がありません。この話はなかったことに」


 そう締めようとする揚羽に、勇治の父が手を突き出して待ったをかける。

 目を強く閉じ唇を震わせ、しばらくしてからそれらを開いた。


「……勇治は、勘当します」

「あっ、あなたっ」


 うろたえる勇治の母に、勇治の父は黙って首を振った。


「勇治には二度とうちの敷居を跨がせません。援助も一切いたしません。その上で私は社長を退任いたします。どうかそれで手を打っていただけませんか」

「なるほど。本当にそれが成されるのであれば、一考に値しますね」


 勇治はすぐには理解できず、ポカンと口を開いていた。しかし時とともにその意味が染み込んでいく。


「えっ、それって……えっ、冗談だろオヤジ」


 起き上がろうとする勇治を、兄が床に叩きつけるように押さえた。


「お前のせいだ……お前のせいだぞ! 全部!」

「ちっ、違うんだアニキ。こんなことになるなんて、オレ……あんなのただの遊びで」

「お前のその遊びでうちは滅茶苦茶になるんだ! お前など弟でもなんでもない! 二度と俺を兄と呼ぶな!」


 涙ながらに激昂する兄に、乾ききった勇治の舌は麻痺した。

 あとはあうあうと意味のない言葉を垂れ流し、泣きじゃくり続けた。







 その後の話し合いはスムーズに終わった。

 翔大に対しては、八十万の和解金を支払う合意書に双方の父親がサイン。

 揚羽には誓約書を書き、細かいことは今後詰めていくこととなった。


「ではこれで失礼します」


 弁護士と揚羽とともに、翔大も軽く頭を下げた。

 部屋の壁にもたれてブツブツ言っている勇治以外の者たちが、深々と頭を下げ返す。

 そして二人に続き翔大が退室する──そこに三咲が駆け寄った。


「ご、ごめんなさい翔大君……でも、私っ」


 顔をうつむかせながらも懸命になにかを伝えようという三咲に、翔大は優しくその名を呼んだ。


「三咲」


 ばっと顔を上げた三咲に、翔大は一言


「さようなら」


 とだけ告げて部屋を出た。


 崩れ落ちた三咲の泣き声が響く勇治の家をあとにし、弁護士と別れた翔大は揚羽と車に乗り込む。


 運転手つきの黒塗り高級車のシートに座った翔大は、大きく伸びをする。

 そのまま両肘を背もたれに乗せ、膝を組んだ。


「あー、黙って座ってるのも結構疲れんね」


 暗い顔を一転させ、快活に歯を見せる。

 そのあまりの変わりようを二組の家族が見ていたら、自分の目を疑っただろう。

 あっけらかんとした様子の翔大に動じることなく、揚羽もまた微笑んだ。


「ふふっ、お疲れ様でした」

「ホントだよ。でも父さんからの宿題も早く済んだし、ラッキーだったな」


 自立した三年間を送るという鳳家のしきたりはウソではない。

 だが翔大は他にも鳳グループCEOである父親から指令を受けていた。


『後を継ぎたければ、三年間の内になにか見つけてこい。そして鳳を動かしてみせろ』


 大きな利益を産むようなものを見つけ、それを得るために鳳グループに金を出させろということだ。


 そして、そのために翔大が目をつけたのは──


「お父様もお喜びでしたよ。あの特許は、町工場で腐らせておくにはもったいないですから。鳳であればいくらでも使い道があります」


 始めから翔大の狙いは、桐山が持つ特許だった。そのために三咲に近づいたのだ。


 桐山家に受け入れられ、さあ弱味の一つでも握るか、それとも正体を明かして未来の鳳グループCEO夫人という餌をちらつかせるか……などと考えていた矢先の今回の出来事である。


「ちょっと複雑な気分だ。どうやって売らせるか色々考えてたのに、まさかあんなバカな終わり方になるなんてな。相当笑えたけど」

「愚かな者というのは、いるところにはいるものですね」

「自分がセックスしてる映像を他人に渡すとか、破滅願望持ちとしか思えないよなあ」


 今回は翔大を罵っていたことに焦点が当たったが、それがなかったとしてもどうとでも料理できただろう。

 お陰で楽にことを運べた上に藤岡の会社もついてきたので、翔大としては感謝の念しかないのだが。


「にしても、予定と違わない?」


 当初の予定では、退陣を求めることなど入っていない。藤岡の会社などしょせんはオマケであり、どうでもよかったのだ。

 この一件は揚羽ではなく、実際には翔大が父親から裁量を任されている。

 翔大は別に揚羽の独断を問題にする気はないのだが……。


「いきなり退陣とか言い出すからびっくりしたんだけど」

「申し訳ありません。彼を見ていたらムカムカしまして。あなたをいたずらに傷つけようとした相手ですから」

「えっ、それって」

「翔大さんは鳳の次期トップになる方ですから」

「あ、そう……」


 ガックリと肩を落とす翔大を見て、揚羽は笑いを堪えている。翔大が気づくことはなかったが。


「まあ桐山には買い取るとき色つけといてあげてね」


 一応、騙していた引け目を、翔大も感じていないわけではない。だからこそ三咲に手は出さなかったのだ。

 だが三咲はあんなことをしていたし、これでお相子ということにしてもらう。


 ただ、三咲に手を出さなかったのはそれだけが理由ではない。翔大には惚れている相手がいるのだ。


「あら、本当にお優しいですね。あんなことを言われていたのに」

「映像の中の話?」

「ええ。インポだのフニャチンだの短小だの童貞だの早漏包茎だの」


 艶のある唇から、ポンポンと飛び出る下品な言葉。そのギャップに、はわわわと翔大は面食らう。


「っていうか最後のは言ってないよね!?」

「そうでしたか?」

「そうだよ! 全部事実じゃないし!」

「別に強がる必要はありませんよ」


 からかわれっぱなしで終われるかと、翔大は揚羽の肩に手を回す。

 ぐっと引き寄せ、その顔を見つめた。


「だったら試してみるか?」


 ニヤリと笑って見せたものの、心臓はバクバクである。

 それもそのはず翔大が惚れている相手とは、六歳年上のこの美貌の秘書なのだから。


 見つめ合うことしばし、翔大の手がペチンとはね除けられる。


「まだまだですね、手が震えています。色々ともう少し成長してくれないと、お父様から私は奪えませんよ」

「くそぅ……いや、ちょっと待って。奪うってどういう意味」

「知りませんでしたか? 私はお父様の愛人ですよ」

「え゛、ウソでしょ……俺ホントに寝取られた!?」


 衝撃のカミングアウトに、翔大は頭を抱えた──もう我慢できずクスクスと笑う揚羽に、まだ気づかずに。


「ウソでしょぉ!?」








 その後──


 勇治は学校を辞め働き出すも長続きせず、職を転々とする生活を送る。五年後には軽犯罪を繰り返すようになり、塀の向こうとを行ったり来たりするようになる。

 そして四十八歳のとき、路地裏で冷たくなっているのを発見された。


 三咲は一時期男性不信に陥り性格も暗くなったが、三十歳で親に勧められお見合い結婚。二人の子供をもうけ、それなりに幸せに暮らしている。


 翔大は父親の後を継ぎ、鳳グループをさらに成長させた。

 その隣にはいつでも、陰になり日向になり翔大を支え続ける姉さん女房の姿があった。







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お読みいただき感謝です。



多分似たようなノリの


「禁忌破りの錬金術師 〜召喚されて、人間やめて、好きに生きて、〜」

https://kakuyomu.jp/works/16818023212232763482


という物語も投稿しています。


よければ読んでやってみてください。

だめでも読んでやってみてください。

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