第14話 僕のお嬢様は大嘘つきだ

「おはようございます」

 ナギリアの上機嫌の声で、僕とザイラスの手は一瞬で離された。


 泥だらけジャージを脱ぎ捨て、朝食用のこざっぱりとした服に着替えている。

 朝食の席には完璧に相応しい格好とは言わなかったが、黙っていた方がいいだろう。


「おはようございます。ナギリア」


「おはよう、皆さん」


 ナギリアは自分が屋敷の主人かのように笑みを浮かべた。ここでもお父様の帝王学が完璧に証明されている。


「わたしの席はありますか?」


「もちろん。なんでも好きなものを取ってくれたまえ」


 ザイラスが主人らしく手を振った。若干心もとなかったけれど。

 ナギリアはうきうきした様子でテーブルについたが、そもそも卓上には山盛りになったバケットとコーヒーしか乗っていなかった。

 身に染み付いた礼儀作法により、ナギリアは質素な朝食を見ても眉一つ動かさない。正直言って、僕ならもっといいものを食べさせたい。

 ナギリアがバケットを手に取ると、ザイラスがわざとらしく咳払いをした。


「あー……その、犬の散歩はどうだったかな?」


「なかなかいい調子でしたよ。わたしは犬の世話の才能があるようですね」


 ナギリアはニヤリと笑って、僕を見つめる。ここは礼儀正しく頷くのがいいか。


「実は……その」


 ザイラスはちらりと僕を見つめた。

 おいおい、ここでアンドロイドに助けを求めてどうする? 胸を張ってクズ野郎だと証明しろよ。


 僕は性善説主義者ではないが、健全な人間性なるものが存在するとは信じているのだ。少なくともそう設定されている。

 前言撤回して、解雇を言い渡すのはクズの所業だが、遠まわしに窮地に陥れるのも外道の所業だ。腹をくくれ。僕はくくったぞ。


「一晩考えたのだが……あーそのー……――実は犬の世話係はもう足りているんだ。つまり、ループスはいつでも敷地内で走り回っていればいいからね」


「そうなんですか?」


 ナギリアはなんてことない表情を貼り付けているようだった。だが、僕は彼が動揺した時に見せるクセを見逃さなかった。彼女はどうしようもない立場に追いやられると、人差し指の爪をは弾くクセがあるのだ。


 僕の良心機能がちょっとだけ痛む。いやだいぶ。


 彼女が家出中ではなかったら、ナギリアを解雇しようとする人間は理知的判断能力なしのタグを付けて、評価リストに記録する。

 ザイラスはしばらくモジモジとした後、意を決したかのように口を開いた。


「その……代わりと言ってはなんだけど……庭仕事をする人間がいなくてね。君は園芸が得意かな」


「もちろん」


 うそつけ。

 彼女は瞬き一つせずに続けた。


「わたしの庭仕事は完璧なはずです。ねぇゾラック」


 正直に白状しよう。


 僕はナギリアの鋼鉄の心臓と、分厚い面の皮と、圧倒的な自立精神に一種尊敬の念を抱いた。『これでこそ僕のお嬢様だ!』と叫び出しそうだった。

 後から思い出してみても、アカデミー賞モノの演技だと思う。彼女が土に触ったことは数えるほどしかないというのは、僕が保証する。


 視界の隅で、ザイラスが僕を睨んだ気がする。


 『違うんだ! 僕のお嬢様は大嘘つきだ!』と叫びだす気にはなれなかった。実際そうだとしても。

 クロタエはげらげらと笑っている。

 ちくしょう。どいつもこいつも。



********



 朝食後、配置換えを宣言されたナギリと僕は、広大なバラ園の入り口で突っ立っていた。


「わたしに『えんげい』の何がわかるっていうの?」


 青空のもと、ナギリアは伸びをしながら悪態をついた。

 普段なら眉をしかめて、そんな言葉使いは感心しませんね。といった発現をするだが、今はそんな気分ではない。

 この女の子に対して、僕の影響力はこれっぽっちもないのではないだろうか? という、残酷な真実に気付きつつあったからだ。

 ループスと走り回った朝が、もう遠い昔のようだ。


「残念ながら何も」


 僕はきわめて残念そうに頭を振った。実際は声を出して笑い出したかったけれど。泣きながらね。


「少なくとも、昨日のわたしは薔薇を摘んだから、植物を切る能力はあるってことよね?」


「ナギリア、言いたくはないのですが」


「だったらあなたのお節介機能を黙らせておいて」


「火星の大陸内は自然保護区域だとお忘れなく。ありとあらゆる国際法と条例によって保護されています。地球動植物の生態系保存、遺伝資源の源、生物多様性の最後の砦。植物が枯れたらまた植えればいいとか思っていたら大間違いですからね」


「残念、この屋敷の主は、素人のわたしを庭師に指名したわ。つまり、これっぽっちも地球動植物の保存などなどに対する敬意がないのよ。そして、今から屋敷敷地内の建物の外はわたしの管理下に置かれたってわけ」


「庭師ではなく、一階の園芸使用人ですよ」


「そう? わたしには庭園責任者って聞こえたけど」

 ナギリアはさっさと歩き出した。


「まさか、本当に庭師ごっこをやるつもりですか?」


「そのまさかよ。と言いたいところだけど、まずは偵察。見回す限り薔薇が咲いているから、どっからどこまで敷地かわからないし。主権領土を理解するのは重要なことだしね」


 武将みたいなことを言い始めている。嫌な兆候だ。やる気になっている。


「あなたは庭園の管理システムについて情報をまとめといて。これだけ大きな庭なら統括システムがあるはずだし、何人の使用人がいるとか知りたい」


「了解です」


「いい天気だから散歩ついでブラブラしてくるわ。ついでにアイザー家の血に眠る園芸の才能が開花するかもしれないし」


「お気をつけて。薔薇を勝手に切らないように」


「お人好し」


「なんとでも言ってください。昨日みたいに、残念な薔薇の固まりを作らせないためにですよ」


 こうして、僕のお嬢様の庭師人生が始まった。

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僕のお嬢様の愚行日記 相良徹生 @jmnitetuo

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