第13話 立派なクズ
「十時方向にゾンビ発見。向い撃て」
なんだって?
視界の隅でフラフラとザイラスが食堂の扉を抜けたのが見えた。
なるほど、ザイラス=ゾンビと考えている人間がまた一人。
あと一息で見苦しくなりそうな乱れた髪と、礼儀程度にアイロンがかかったシャツを着ているが、どこか動きはぎこちなく虚空を見つめる瞳は心ここにあらずといったところだ。
一歩間違えばだらしのない浮浪者風だが、そもそも顔の造形がよいので人間界になんとか踏みとどまっている。
出会って二日だが、まぁ、いつもの感じ。
彼は昼過ぎまで起きてこない人種だと考えていたが、どうやら違うようだ。
「おはようございます」
これは僕の挨拶。クロタエはコーヒースプーンを振り回している。きっと彼女の星では朝の挨拶なのだろう。
ザイラスはたっぷり十秒サンルームを見つめ、僕たちを見て瞬きして、微かに頷いた。
今のが彼流の『おはよう。いい朝だね』といった挨拶だろうか。だとしたら、僕がした挨拶は最敬礼だ。
彼はノロノロと椅子までたどり着くと、ため息をついてから片手を上げた。
すかさずトロワがコーヒーを置いた。
彼はコーヒーに向って、ブツブツと呟いている。きっと空想の友達に向けた朝の挨拶だろう。
僕とクロタエは当然ながら、何も見てないし、聞こえていないふりをした。
さわやかな朝食の席は一瞬で辛気臭い霊安室に成り下がった。僕が人間だったら、気まずすぎて適当な理由をつけて席を立っているところだ。
クロタエは『いつもの朝の風景』とでもいうように、ザイラスを無視してもう一人のメイドさん、ドゥが差し出したプレートからバケットと掴むと、何もつけずに頬張りだす。
しばらくするとザイラスが重々しく顔を上げ、うめき声を上げた。いや、口を開いた。
「おはよう。諸君」
これって僕らに向けて言っているんだよな? イマジナリーフレンドに向けてではなく。慣例として諸君の対象には無生物のアンドロイドも含まれるのだ。
「おはようザイラス。調子はどうかな?」
クロタエが顔もあげずに答える。
「上々だ」
どう見ても、世界の終わりのような顔でザイラスが答えた。
もしかして人はこの星に移住すると、情緒不安定になるのでは?
憂鬱な当主、厳格な執事、奔放な絵描き。そして、無鉄砲なお嬢様。それで説明が付く。
「ナギリア・アイザー嬢の様子は?」
ザイラスが陰気な様子で、山盛りに盛ったバケットをつつきながら言った。
僕と目を合わすつもりはないようだ。普段なら、むっとするところだが今は少しホッとしている。
「朝一番のループスの散歩を終えました」
正確には、庭で元気一杯犬と一緒に転げまわっただけだが、犬にとっては変わりはないだろう。少なくともループスは楽しげだったし。
「それはよかった」
ザイラスは葬式のような返事をした。
終了。
少なくとも、僕はこれ以上会話を膨らませられるテクニックも気概もなかった。
どんなクセのある人間とでも、それなりに会話が続くように社交術システムが搭載されているが、ここまで重症の人間に対して僕ができることはもうない。
これ以上は特定の対話アプリケーションをダウンロードするしかないだろう。
「そうだ、聞きたかった。驚きだよ。ザイラス。なんだって、犬の世話係なんて雇ったんだ」
ザイラスは不機嫌そうな目でクロタエを睨み、眉を上げた。
そこら辺の女では、『あたし、なにか変なこと言ったかしら』と黙ってしまう目つきだ。
だが、クロタエはそこら辺の女の子ではなかった。残念ながら、これっぽっちもひるんだ様子はない。
「ループスはいつだって、好きな場所を走り回っていたじゃないか。餌もメイドちゃんがやっているし」
クロタエは続ける。
「しかも、あんな女の子。まだ未成年じゃないのか?」
「ナギリアは就労可能年齢に達しています」
「どう見ても十四歳以下」
「十六歳ですよ」
うわぁ、つい反論してしまう自分がいやだ。
ここで、嘘の年齢をいえば彼女を合法的に首にできるが、僕には真っ当な倫理屋が備わっているのだ。悲しいことに。
「そんなふうには見えないな? コロニー育ちか?」
僕は黙って頷いた。
一般的に、月で育った人間は高身長だ。だが、筋組織と骨がやや弱く、超距離の飛行に向かない場合が多い。ナギリアの家も、月面に会社を幾つも持っているが、年の半分は最高級のコロニーの加重力区域で暮らしている。
「おいおい、ザイラス。マズい事になっているぞ。あのお嬢ちゃんは個人でアンドロイドを持ってるほどの金持ちの娘だぞ。なにかあったらどうするつもりだ?」
「そんなことくらい知っている。でも……その。雇ってしまったんだからしょうがないじゃないか。男に――――」
「二言はないだの言っている場合じゃないんじゃないのか? あの娘の両親が殴り込んできたらどうするつもりだ? 彼女をひと晩泊めただけで、もう十分まずいことになってるぞ」
「君は楽しそうだな」
ザイラスが不満げに言うと、クロタエはニヤリとした。
ザイラスはくしゃくしゃと髪掻き揚げて、ため息をついた。癪に障るが、ちょっとかっこいい。
「彼女がいる前から、十分まずい自体だったさ。これ以上、悩みの種を抱え込んだって痛くも痒くも……」
どう見ても、今にも悩みの種に食ってしまわれそうな、声で返した。
男をここまで憂鬱にさせるとは、どんな目にあったのだろう。
「俺だって、彼女を雇うのは反対だった。元々採用する気はなかったんだ」
「それにいまさら、首にする勇気もないクソ男」
クロタエの痛恨の一撃は奇麗にザイラスに決まった。ザイラスはうめき声を上げて頭を抱えている。
当然の事を言われているが、少なくとも約束を反故にしないという最低限の自尊心はあるわけだ。
「わかっているさ。彼女をこのまま雇うのは……」
ザイラスが後ろめたそうに視線をさまよわせた。
「考えたんだが、やっぱり彼女は俺の屋敷で働くのは向いていない」
「そのようですね」
「なんてったって、ここは辺境の地だし彼女は若いし、住み込みの仕事をする必要はないんじゃないのか?」
「ええ」
「だけど、俺だって、あんな小さい子供をクビにできるほど、薄情なやつじゃないんだ」
「クビにしてもかまいませんよ」
ザイラスは初めて真正面から僕をじっと見た。うそ臭いほどの鮮やかな緑色の瞳が今は妙な輝きを取り戻している。
「かまわない?」
「全く」
厳粛に頷く。
「俺は自分で女の子に解雇も言い渡せない、クズだと思うか?」
もちろん。女の子を首にもできないクズ野郎だ。とは口には出せなかった。子犬を蹴っ飛ばしている気になったのだ。
「そもそも雇用契約書に、三ヶ月は試用期間と記載があったのでは? 適当な理由をつければ、いつでも解雇できるでしょう」
「適当な理由なんて言えない」
おい、しっかりしてくれよ。
「彼女が音を上げるような仕事を押し付けて、逃げ出すように仕向けるんだ。給与も払わなくてすむぞ」
クロタエが声を上げた。
「俺はクズだが、賃金を払わないほどしみったれではない」
正直に白状すると、ナギリアが金銭的に困窮したほうが都合がいいのだが、僕はこれ以上彼の自尊心を傷つけるのはやめておいた。そもそも彼女は金持ちだ。100人のペットシッターを1000年は雇える信託遺産をたっぷり持っているはずだ。
「ごく平均的な給与をいただければ十分です。ただ、クロタエ先生のご意見は最もです」
「だとしたら……」
ふぅっと息を吐くと、ザイラスを顔を上げる。
「彼女の自尊心が傷まない程度に困難な仕事を与えて、就労の難しさと未成年の時期における教育の大切さを理解させるのはどうかな」
「いい案です」
この男はクソッタレだが、話のわかる男だ。
「彼女、庭いじりは得意かな?」
僕は満面の笑みを浮かべた。
「はい。非常に。月育ちですから」
ザイラスの晴々とした表情に気付いた僕は、自分の罪悪感を押しつぶした。
悪いことばかりではない。はずだ。
少なくともお嬢様の仕事は無くなり、彼の人生の悩みを一つなくした訳だ。
そして、彼女は家に帰る。僕の問題も解決する。
僕とゾンビ男はがっちりと握手をした。
契約成立。
パラドックスもようやく解ける。うーん、僕も立派なクズになった気がする。
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