便利屋の一難

@suriu

1話

 ただじっと、天井を見上げたテオドールは、間抜け面を隠す事もせず机の上で両足を組んだ。そして消えかけのタバコを燻らした彼は、しんみりと一言呟く。

あちぃ~、と。


 ドイツの北西にある大都市ハノーファーから、さらに北に進む事二〇キロの田園地帯。そこのど真ん中にある小さな田舎町の外れの方に、彼の事務所はあった。

 古い民家を改造した事務所は、悲しいことに昼間は死ぬほど熱く、夜は寒い。ソレは欠陥を探せば切がない程に、古民家(おんぼろ)と言う言葉が相応しい代物だった。

 そして、照りつける太陽が気温を高め、畑の豊富な水分により室内は高い湿度に保たれる。故に、ここは地獄か、と嘆きつつテオドールは顔に当たる陽光を帽子で遮った。

「なんで、ここはエアコンないんですかぁ?」

 声の先に視線を向けたテオドールは、乱雑に長い金髪を払いのける薄着の助手の姿に思わず目を細める。

 一呼吸、咥えたタバコを燻らしたテオドールは、そっと部屋を見渡した。

「んなたけぇーもん付けれっかよ」

 気まずそうに目を逸らし、タバコを灰皿に捨てた彼は机に置かれたタバコの箱に手を伸ばすが、中は空っぽだった。

「エアコンが高いんなら、アレは何よ! なんで貧乏人がポルシェに乗ってるわけ!?」

 そう言いながら助手のノーラが指さしたのは、田舎には不似合いな高級車だった。

 チッ、と舌打ちをしたテオドールはそっと財布を取り出し、銭を数え始める。仕舞いには、机の下に手を突っ込み、あったあった、と銭を拾い上げる始末。

「うそでしょ?」

 その醜態ともいえる行為に、ノーラは両手を広げ呆れていると動作をもって表現した。

「売るか」

 一切の迷いのないノーラの声音に、テオドールは焦りを露わに、声を上げる。

「おいおい、まてって! 仕事さえ入れば十分稼げるんだから、おれぁ一応天才だぜ」

「その天才様は、いつになったら仕事にありつけるので?」

「そらぁ……、俺に聞かれても困る」

「ッ! この無職! 働けニートッ!」

 顔を赤くしたノーラに物を投げられ、思わず机に身を隠した無職三十代男性の二つ名を持つテオドールは、空虚な溜息を零す。

「昔は俺だってよぉ」

「あー、ハイハイ。その話聞き飽きたから。はぁ……、就職先間違えたなぁ」

 ノーラが空しく呟いた正にその瞬間に、埃をかぶって久しい固定電話の音が部屋に響いた。

「給料は払ってんだ。文句言うな」

ここぞとばかりに本音を吐き捨てたテオドールは、急いで受話器を取り煙幕の様な埃にせき込みつつ、応答する。

「ケホ、もしもし」

 ゴミでも見る様な視線を向けてくるノーラを無視し、テオドールは電話に集中する。

『何でも屋さんで間違いないですか?』

「ああ、何でも屋ですが、本日はどのようなご用件で? あー、トイレ掃除とベビーシッタ―以外なら、何でも引き受けますぜ」

 嬉々として応対するテオドールは、灰皿に山盛りのタバコから吸えそうな残りカスを咥えて火をつける。

『除霊をお願いしたいんです』

「除霊だ?」

 タバコを燻らすテオドールは、顔を顰める。

「そいつぁ、また。……ウチは何でも屋ですぜ?」

『何でも、するんですよね?』

 大きな舌打ちをしたテオドールは依頼人から住所を聞き出し、受話器を乱暴に叩きつけた。

「行くぞノーラ。仕事だ」

 深々とハットを被ったテオドールは顔を顰めつつ、クルクルと車のカギを指先で回しながら事務所を後にした。




「ここが?」

 車を走らせること一時間弱。途中でタバコも買い足してご機嫌だったテオだが、今回の現場を目前に顔が曇る。

「なに? 何か不満なの?」

 助手席に座ったノーラが、不思議そうな顔で問いかける。

「いいじゃん。事務所より綺麗そうだし!」

「おまえなぁ……」

 呑気な助手に、少しは緊張感を持てとテオが口を開くと同時に、ノーラが声を被せる。

「そんな決めつけは良くないでしょって、前職の悪いとこ出てるんじゃない?」

 そんなノーラの呑気さに、テオは表情を歪める。

「まぁ、行ってみりゃぁ分かる。道具持っとけ」

車を止めて降車したテオは憂鬱な目で天を仰いだ。幸か不幸か、空は晴天も晴天、雲一つない青空が彼の暗いブルーの瞳を出迎える。

 昔を思い出す、と。テオは感傷に入り浸る。が、

「こういうのは男の仕事でしょ?」

 そんな時に、なんとも無粋な事か、助手席のノーラが如何にも重たいですといった外見のリュックを指さし、生意気にニッコリと笑った。

「なら、掃除は女の仕事だな」

 表情筋を動かす事もしないテオは冷めた声で言い返し、ノーラはムッと表情を歪めた。

「仕事ぐらいちゃんとしやがれ」

 さらに追い打ちをかけると、顔を赤くしたノーラは即座にリュックを背負う。

「あんたにだけは言われたくないんですけど」 

 そして、大きな声を張り上げるノーラだが、テオにフッと鼻で笑われた事で拗ねたように、速足で現場へ向かった。

 そして、二人は新築の小奇麗な家のベルを鳴らそうとする。が、同時にガチャリと音を立て、中から男が出てくる。

 ノーラがビクっと、身体を震わせたのがテオの視界に映った。

「ようこそ」

 ニコニコとした大らかな雰囲気を纏う男が、二人を迎え入れる。

「どうも、何でも屋……」

「挨拶は結構です。依頼の話をしたいのですが、よろしいですか?」

 形式的な挨拶をしようとするテオに、男は柔らかな声音で在りながら、しかし、異議を許さないとばかりに強か(したたか)に言葉を遮った。

「分かりました」

 獲物を見据える獣の様に、テオは眼光を光らせて男を見やる。

 身長一七五センチ程度、細身。髪は金色の短髪で整った顔立ち、そして、穏やかさの中に隠れた不気味さが、テオの癇に触る。

「それで、霊は何処に?」

 短く問い詰める様に、質問を始めるテオに男は笑顔で応える。

「ここです」

 男は中が見えるように扉を開き、家の中を指さす。

「ちなみになんですが、ここは築何年で?」

 テオは単純な疑問を、男にぶつける。

「それは、仕事に関係ありますか?」

 すると、男は笑顔のままで、しかし断固とした声音で聞き返す。

「ええ、勿論」

 だが、テオは毅然として、これは除霊に必要な情報なのだと嘯く(うそぶく)。

「一年ですよ」

 一考した後、男は優しい声音で応えた。

「新築じゃあありませんか」

 わざとらしく、テオは大げさに声を上げる。

「それが、何か?」

 新築の、しかも築一年未満の家に、通常霊なんて出るはずがないというテオの思考。しかし、仕事は、仕事だ、と。

 テオは金目当てに幽霊をでっち上げる気満々で話を進めた。

「いや、失礼。悪い癖で」

 不思議そうに聞き返す男に、テオは適当な言い訳で誤魔化す。

「そうですか、ではさっそ……」

「一つ、了承して頂きたいのですが、除霊後にハウスクリーニングが必要な場合があります。よろしいですね?」

 男の話を遮ったテオは、ゆっくりと自身の腰にあるホルスターから古びたリボルバーを取り出した。

「これは、銀製の特殊弾でして、強力な霊に使用するのですが埃程度の錆銀をばらまくものでして」

「構いませんよ」

 よろしいですね、と確認する前に、男はテオに了承の旨を伝えた。

「了解しました。それでは、しばらく外でお待ちください。すぐに終わらせます」

 そう言うと、テオはノーラに視線で合図を送り土足で室内に入った。

 ガチャリと音を立ててドアが閉まると、テオはすかさずタバコを咥えて火を付ける。

「ちょっと! 人の家でどうかと思うけど?」

 ノーラがテオを叱責すると、彼はリボルバーを取り出して言い返す。

「こいつが、霊には効くんだよ」

 適当に流しつつ、彼はシリンダー内の六発の特殊弾の内。三発を取り出し、実弾に詰め替えた。

「スマッジスティックじゃないんだから……」

「ハーブは良くて、タバコはダメなんで道理あっかよ。同じ草だろ、草」

 明白に頭を抱える助手に、テオは毅然として言い返す。

 香草もタバコも、マリファナもコカインも大麻も同じハーブだろ? と。

「あんた、悪霊かなんかに呪われないさいよ」

「はっ、生まれてこの方、悪霊なんて見た事ねぇな」

 テオは生意気な助手に言い返していると、微かな違和感に気が付く。

 外は死ぬほど暑かったにもかかわらず、だ。室内はやけにひんやりとした空気が流れていた。

「俺が相手してんのは、いつだって生霊だ」

 リボルバーを強く握りしめ、テオは長い廊下の奥を見やる。

 ゆらゆらと舞い上がるタバコの煙が、風もないのに廊下の奥に吸い込まれ、さらには消える事もなく、少しずつ球体を形成している。

「ろくな人生送ってないと、こうなるのか……」

 得心が行ったと一人で納得するノーラに、テオは茶化すように確認を行う。

「ましな方さ。それより、十字架は持ったか? ニンニクにキスは済ませたか?」

「吸血鬼じゃないんだから」

 そして、そのふざけた内容に再び頭を抱えるノーラを、テオはハハッと笑い飛ばす。

「似たようなもんだ」

 そう言うと、テオはかつての様にゆっくりと確実に、安全を確保しつつ前進を開始した。

 そして、タバコの臭い煙をくぐると同時に、煙の球体は霧散し、奥に人影が現れる。

 ソレは、警告だったのかと、テオはその時初めて理解した。

 人影に銃を向け、テオは吠える。

「まずは話し合いとしゃれこまねぇか? こっちも聞きたい事があるんだ」

「なに? いきなりどうしたの」

 誰かいるの? と。鋭い剣幕で廊下の奥を睨むテオに、ノーラはきょとんとした表情で聞く。

「さぁな」

 適当に返事を返しつつ、ゆっくりと前進するとソレは明確に視界に映り、同時にテオは理解する。

 これは、生霊であると。

 大柄の男の、怒りに満ちた表情。そして、何よりも明らかな事は、彼の両目がくりぬかれていた事だった。

 霊の目から滴る鮮血が彼の壮絶な死を、テオに感覚で感じ取らせた。

「お話は……、無理そうだな」

 生霊は死ぬ直前に強い恨み、または思い残しがあったが故に成った個体が大半だった。

 そして、眼前の彼は思い残しどころの話ではない事は、火を見るより明らかである以上、テオは文字通り除霊を行おうと生霊へ迅速に接近する。

 そして、銃の引き金に指を掛けたテオが思うのは、すまないと霊に謝罪する感情だった。

 彼の行う除霊とは、幽霊の成仏を目的とした神聖な行為ではない。

 彼の言う除霊とは、霊を物理的に消滅させる行為。言うなれば、死者に二度目の死を与えるに等しい蛮行なのだ。

 故に、心中で果てしない謝意を込めつつ、しかし、何ら迷いなくテオは引き金を引いた。

 機械的に動作した拳銃は、使用者の命令のまま無機質に、撃鉄を落とし弾丸を発射した。その直後、周囲に黒い煙が舞いあがり、生霊とテオが包み込まれた。

「なになに、どういうこと?」

 ただ一人。状況についていけないノーラは混乱する。

 五秒ほどたった頃。錆びた銀の煙が晴れ、せき込んだテオが現れた、が。直後にノーラの足元に吹き飛ばされた。

「いってぇ……」

「なにやってんの?」

 だが、ノーラから見れば、テオが一人で勝手に転んだ様にしか見えない。

 故に、冷ややかな声音で叱咤しつつ、冷たい視線をテオに向けた。

 しかし、テオが睨む方向に視線を向けたノーラは、化け物でも見たように表情をこわばらせた。

「煙?」

 マイクロサイズの錆銀が、人の形をして浮いていたのだ。

「耐えやがった」

 困惑するノーラと同時に、テオは除霊用の特殊弾に生霊が耐えたことに、驚きを隠せない。通常であれば、今の一撃で蹴りが付くのだ。

 人間で例えるならば、全身の毛穴から猛毒を注入されるに等しい状態だというのに。

 何のために、一発四十ユーロもするクソ高い弾を使っていると思っているのだと、テオは内心で憤る。

 しかし、現に奴は耐えた以上、追撃を加えなければ為らないのだ、と彼は銃のハンマーを起こし次弾の発射準備を行う。

 眼前の踠き苦しむ生霊に介錯せんと、彼は銃口を向けるが霊も黙ってはいない。

 瞬歩をもって距離を縮めてくる生霊に、テオは舌打ちしつつ照準を定める。

 銃と言いつつもテオが握っているのは、リボルバーに無理やり散弾を詰めた代物だった。

 だから、と言うべきだろう。ソレは本来銃が持ちうる性能を発揮することが出来ない。散弾を使う為に、代償として極端に縮まった有効射程は一メートル弱程度だった。

 つまり、生霊が攻撃を行う寸でのタイミングで発射しなければ、仕留められない。

 刹那の読み合い。

だが、少しだけテオが速かった。

 テオは吹き飛ぶ間際に銃弾を発射し、生霊を仕留めた。

 今度は、苦しむ間もなく。一瞬で。生霊は霧散して消えて逝く。

 吹き飛ばされたテオは、みっともなく地に伏した。

「何やってんのよ」

 再度、助手の足元に転がったテオに、今度は困惑した声が浴びせられる。

「何って、仕事だろうがよ」

 飛んで行った帽子を拾い上げ、深々と被ったテオは錆銀で砂場の様になった廊下を、ゆっくりと奥へ進んで行く。

 そして、キッチンにたどり着いた所で、今度は小さな少女の生霊が、ただ一方向をずっと見つめているのがテオの視界に入る。

 ゆっくりと、少女の隣に立ったテオは、少女の無機質な表情をただじっと、悲しげな瞳で見つめる。

 テオに気が付いた少女は、視線の先を指さし直立不動を維持した。

 少女の指さす方向を凝視した彼は、周囲の壁と微かに色が違う事に気が付く。

「ノーラ、荷物にハンマーあったよな?」

 悲し気な声のテオに、少し戸惑った表情をするノーラだが、すぐさまリュックを下ろして中を探し始めた。

「何に使うのよ」

 見つけたハンマーを手渡したノーラは、テオの怒りの滲んだ表情に後ずさりし、彼の後ろで待機する。

 それと同時に、テオは少女が指さす壁をハンマーで思い切り叩き割った。

「な、なにやってんの!?」

 悲鳴のような悲痛な叫び声を上げる助手に、テオはやっぱりな、と確信した表情を向けた。

「階段だ、行くぞ」

 そう言うと、テオはノーラの返事を待たずに階段を降り始め、途中で少女の方を振り向くと、彼女はどこか微笑んでいるように見えた。

「ちょっと。何なのよ、もう!」

 急いでテオの背中を追うノーラだが、彼女は地下室に入った瞬間に嘔吐した。

「……、なによ、これ……」

 苦しそうに呼吸を荒くするノーラだが、その結果として異臭をさらに吸い込み再び嘔吐する。

 その光景を目にしても、表情一つ動かさず。テオは眼前の骨を眺めていた。

 果てしない死臭に包まれながらも、どこか懐かしく感じる彼は、咥えていたタバコを吐き捨て、踏みつけて火を消した。

 彼の眼前に在る小さな人骨と大きな人骨。それは、ついさっきまで相手にしていた彼等の体型にそっくりだった。

「大丈夫か?」

 嘔吐を終えたノーラに、テオは優しく語り掛ける。

「なんっ、とか……」

「スマッジスティック、あるか?」

 そうして、ノーラの取り出した香草の束に火を付けたテオは、ソレをもって部屋を一周する。

 腐臭漂う地下室を、香草の爽やかな香りが包み込んだ。

「見ましたね」

 そして、テオが一周まわり終えると同時に男が地下室に入り、ノーラに拳銃を向けていた。

 穏やかな表情は何処かへ消え、彼の表情は獲物を見据えた犯罪者の表情。それは、紛れもなく醜悪そのものだった。

「ネクロフィリアのペド野郎が」

 テオは小さく吐き捨てると手に持ったスマッジスティックを捨て、ホルスターから銃を引き抜くと同時に、男は発砲した。

 直後に、テオの左手から鮮血が舞った。だが、テオは動きを止めずに発砲。そして、展開された煙幕に身を隠した彼は、瞬歩をもって男に突進した。

「逃げろ!」 

直後に手に握った銃で男の腹を突いたテオが吠えると同時に、ノーラが急いで階段を駆け上がり、地下室から脱出する。

「何するんだよ、このッ」

 男がテオの顔面を殴り飛ばす。が、テオは正面からソレを受けて尚も、怯むことなく直立していた。

 そして、テオの鍛えた体から繰り出された鋭い蹴りが、男の股間を直撃した。声にならない男の悲鳴をよそに、テオは男の拘束を試みるが、撃たれた左手に力が入らずに断念し階段を駆け上がった。

 すると、それまでそこに居たはずの少女が消えていた。

 成仏したか、と。テオは安堵の表情を浮かべつつ、物陰に隠れる。

 奴は地下室に居て、テオは外に出ている。ソレが意味する事はただ一つ、出口が一つしかない以上、ここを見張っていれば奴は出て来られない。

「ノーラ、大丈夫か!」

「こっちは大丈夫! それより撃たれたでしょ、大丈夫なの!?」

 腹の底から声を張り上げたテオに、少し離れた場所から返事が返ってくる。

「問題ない。いいか、急いで外に出て警察を呼べ」

 分かったな、と問いかけるテオに、しかしとノーラはテオに問い返す。

「あんたはどうすんのよ。犯罪者相手にして、名誉と一緒員死ぬ気? 冗談じゃないわ!」

 死ぬ気なんて毛頭ない、とテオは地下室の方を睨み続ける。銃のハンマーを起こし、いつでもクソ野郎の脳天をぶち抜ける様にと待機する彼は、思考を巡らせた。

 死ぬ勇気があるなら、とうに死んでいるさ、と。

「俺はサツじゃねぇ、善良な一般人とやらでもねぇ。名誉の死とやらが欲しい訳でもねぇ」

 テオは、ただ守りたいだけだった。

 自身が犠牲になろうとも、善良な市民とやらを。その為にと、彼は力の抜けた左手で錆びた手錠を取り出した。

「おらぁ何でも屋だ。問題が起きれば解決するのが仕事だ。で、今の問題は何だと思う? いきてかえれねぇってのは問題だよな!」

 これでも元は刑事だったんだよ、と。テオははち切れんばかりに声を張り上げて己を鼓舞する。

 幾度となく見てきた死者の顔が、生霊の泣きっ面が彼の脳裏から離れない。

 だから、彼は復讐するのだ。

 無念に惨殺された被疑者の代わりに、霊と対話できる者として、犯人を拘束するのが自身の使命なのだと、彼は信じて疑わなかった。

 だが、現実はそうではないという事も、テオは知っていた。

 彼は過去に、霊の話を元に犯人を特定し逮捕した。しかし、ソイツが殺したという証拠が得られずに、テオは不当逮捕の汚名を背負い警察を自主退職する羽目になった。

 だが、こうしてまたチャンスが巡ってきた事で、彼は押し殺してきた自身の正義感を抑止出来ない。

 殺してやるという明確な殺意を、テオは奴に向ける。

 そして、薄気味悪い引き笑いを響かせながら、男が階段をゆっくりと上がってくる。

 微かに頭部が見えた瞬間に、テオは引き金を引く。

 しかし、弾は奴の頭部をかすり、壁に跳弾する音を響かせるだけだった。

「フヒッ、実弾もってたんだぁ。たまげたなぁ、死んじゃうなぁ!」

 ねっとりとした奴の口調。それに、声が興奮していることに、テオは心から不快感を露わにする。

「異常者がッ。大人しく銃を捨てて、両手を頭に当てて投降しやがれ」

「ひどいなぁ。僕は普通の人間。ちょっぴり、育ちが悪かっただけだよ?」

 男が話し終えると同時に、奴は跳弾を利用してテオに二発射撃を加えた。

「了解だクソ野郎。てめぇの豚みてぇなママンにお休み電話でもしたらどうだ?」

 テオの経験上この手の異常者は、母親を貶される事を極端に嫌う傾向がある。故に、怒りに身を任せて突っ込んできてくれれば楽だと、奴を煽った。

「ママは、天使さ。悪く言う事は、僕が許さない!」

 掛ったと勝利を確信した瞬間、奴が階段から手だけを出し残弾の許す限り、テオへと射撃した。

 そして、テオは弾切れの一瞬を見逃さなかった。弾が切れたにも関わらず引き金を押し続ける哀れな愚物に、テオは一発、発砲した。

 弾は野郎の右腕を正確に貫き、散った手から銃が落ちる。

 その瞬間に、テオは遮蔽から突撃を行い、野郎の足をぶち抜いた。

 後は簡単だ。動けない奴にのしかかり、無理やり押さえつけて手錠をはめるだけだ。

「手間かけさせやがって」

 そういうと、テオは男の懐をまさぐり、あったあったと財布を取り出す。そして、の中から札束を抜き去った。

「依頼料は、しっかり回収させてもらうからな」

 そう吐き捨てたテオは、男の顔面を思いっきり蹴飛ばした。

 正直、殺してやりたい気分で満ち溢れていた彼だが、彼は善良ではないが、無法者でもない以上。あとは警察に任せるべきだ、と判断する程度の判断力は残していた。

少しした後、玄関のドアが蹴り破られる音が室内に木霊する。

「気負付けろ。よし、進め!」

 聞きなれた掛け声を耳にしたテオは、ここだ! と大きく声を上げた。


 その後、犯人は逮捕された。

 外で保護されていたノーラと合流したテオは、所持していた拳銃が法に触れる可能性が高いと、警察に簡易的な尋問を受けていた。

「これは?」

 警察官が回収した銃をテオに見せつける。

「君のだよね」

「違いますよ、それはクソ袋のです」

 目を逸らし、冷や汗をかきまくるテオは、下手な嘘を平然と吐き捨てた。

「指紋とればすぐに分かるんだよ? テオドール・デューラー元、巡査」

 正直に答えなさい、と。警察官は呆れ笑を浮かべている。

「ソレハ猟銃デス」

「君ねぇ……」

 テオはそっと狩猟免許と猟銃免許を警察官に差し出した。

「確かに、免許は本物だけど。これで、狩猟するの?」

「そうです! 獣撃ちが趣味でして……」

 水を得た魚の様に、テオはありもしない事実をでっち上げた。

 苦笑いを浮かべる警官だが、仕方ないとテオの頓智に付き合う事にしたらしい。快く、ではないがテオは解放された。

 もちろん、愛用のリボルバーは押収されたが。

 幸いにも軽症だった左腕の応急措置を済ませた彼は、退職金で購入したポルシェに乗り込み帰路に就く。

 助手席には元気のないノーラが座り、夕暮れ時の田園地帯には不釣り合いな高級車が、悪路をがたがたと軽快に走り抜ける。

「ノーラ、タバコ取ってくれ」

「何よ、自分でとりなさいよ」

 気だるげに表情を歪めるノーラに、テオは自身の左腕を見せつけた。

「ポケットに入ってるから、早く」

 急かすテオに、ノーラはしぶしぶとタバコを取り出して、まじまじと見つめた。

「たまには禁煙でもしなさい!」

 ノーラは手に取ったタバコを、窓から勢いよく放り投げた。

「ああ! 勿体ねぇなんてことしやがる。てめぇは俺のオカンかよ」

 物惜し気に叫ぶテオを見て、ノーラは暗い表情から、ざまぁ見ろ、と。小生意気に微笑んだ。

 



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