世界の終わりを貴方とみたいから。

liol

第1話

「桃華ー、次ステージ発表行こ!」

 その日は文化祭の日だった。私は当時仲の良かった女の子に連れられて体育館に向かった。

「何やってるの?」

「バンド演奏!お姉ちゃんの彼氏さんがでるの」

 正直なところ、音楽に興味はなかった。それに体育館は人が多い。人が多いところは苦手だ。けれど断ってこの後彼女と行動できなくなってしまうことが怖くて、結局私はついていった。「一番前いこ!」彼女は半ば無理やり人を掻き分け進んでいった。私もそれに続き前へ進んだ。少しの沈黙の後でステージの照明がつけられ、バンドのメンバーが現れる。バンド名が紹介された。

 ギターを持って正面に立っていた女の人が私を惹きつけた。彼女は少しマイクを調整して自分の唇に近づけた。ドラムスティックが鳴らされ、ベース、キーボードと入っていく。ギターボーカルの彼女が左腕を動かし始めた。イントロが終わり、歌が始まる。女性にしては低い歌声だ。聞いたことがない歌のはずなのに、私はその世界に呑まれた。その人たちはその後もMCをはさみながら、3曲ほど演奏した。そして私は今までその人達を知らなかったことを激しく後悔した。人生で最大の恋をした。


「ねえ、あのボーカルの人、なんて名前?」

 私は一緒に聞いていた友達に尋ねた。

「ん?なずな先輩!歌上手だよねー。お姉ちゃんと同じクラスだったはずだよ。....確かこの後クラス企画お姉ちゃんと一緒にシフトだったはず。いこ。お姉ちゃんに会いたい。」

 彼女はそう言って私の返答を待たずに腕をつかんで進みだした。このシスコンが、と言いたいところだったけれど、もう一度あの人に会える。それがうれしかった。彼女について廊下を歩いた。


 先輩たちのクラスでは、占いカフェをやっていた。タロットカードによる占いをしてもらいながら、コーヒーなどの飲み物を飲めるというものだ。私は教室内を見回してなずな先輩を探した。友達はすでにお姉さんのところに行っていた。私は教室の後ろに建てられた屋台のようなスペースにいるなずな先輩を見つけた。「前田」と書かれた名札を付けている。どうやらなずな先輩はコーヒーを淹れてくれる担当らしい。私は先輩のところに並んだ。

 

 文化祭のカフェの飲み物というのはインスタントか缶やペットボトルを想像していたが、ここは違ったらしい。なずな先輩は計量スプーンのようなものでコーヒー豆を図りだした。機械に入れて豆を挽き始める。これ、一人の客が来るたびにやっているのか。そう考えている間に、先輩はコーヒーフィルターをカップにセットして、お湯を回しかけた。挽いた豆を入れて、また少しお湯をかける。どうやらかなり本格的に作っているらしい。ようやく準備が終わったらしく、ゆっくりとお湯をそそぎはじめた。

「砂糖いりますか?」

「要らないです。」

 コーヒーは苦いほうが好きだ。先輩は出来上がったコーヒーを私に手渡ししてくれた。


 ホール担当らしい別の先輩が私を席に案内してくれた。占いをするためのカードが机に置かれている。

「何を占いますか?」

 唐突に聞かれても何も浮かばなかった。何を訊いたのかと先に占いをしてお姉さんと話していた友達に尋ねた。

「こーゆー時は恋愛のことって相場が決まっているのです!」

 そんなことはない……いや、そんなこともあるか。私は結局ほかの質問も浮かばなかったので、それを聞くことにした。もちろんなずな先輩への恋心は隠して。本人以外に、伝えるものじゃない。

「じゃあ、好きな人に好きだといえますか」

「それは桃華の意志じゃない?」

友達が向こうの席から口をはさんでくるが気にしないでおく。占い担当の先輩は両手でカードの山を崩して混ぜ始めた。私はどうしていいかわからず、コーヒーにも手を付けずそれを見つめた。しばらくたって崩されたカードはまた1つにまとめられた。先輩はそのカードを取り上げて私に差し出した。

「これを3つに分けてください。」

 いわれるがままに私はカードを分けた。またそのカードが回収されて、1つにまとめられた。どうやら準備が終わったらしい。裏向きの78枚のカードが等間隔に崩され並べられた。

「1枚直感で引いてください。」

 私は目の前のカードを引いた。ザクロの柄のドレスを身に纏い、赤いクッションの置かれた柔らかそうな寝椅子に座った女性の絵だ。

「よかったですね。会えますよ。」

 そういって先輩はカードの正位置がどうとかと解説をしてくれた。


 占いはもともと信じていなかったし、その上素人の占いだ。わかっていたけれどどうしてか私は期待してしまった。好きな人に堂々と好きといえる勇気をもらった気がした、というのが正しいのかもしれない。私の占いが終わったころに、友達がやってきた。

「桃華ーちょっと私中学の友達にあってくるけど、桃華も来る?」

「えっと、私はいいや。」

 同性愛者ということもあって、中学にはあまりいい思い出がなかった。それに私にはやることがあった。

「おっけー。じゃあまたあとで」


 私はなずな先輩を探して廊下を歩き回った。どうしても今日のうちに伝えたかった。きっと明日以降の日常に戻っても、先輩のクラスに行けばまた話してくれるだろう。ただの先輩後輩として。それでは満足できなかった。女の後輩からの告白なんて、受け入れてはくれないとわかっていた。けれど文化祭の雰囲気にのまれてはくれないだろうかと少しばかりの期待があった。非日常にあやかってでも、先輩の特別になりたかった。歩き回って、ようやく見つけた。

「先輩、あの、お話しできますか」

 先輩はお化け屋敷企画の順番待ちをしているところだった。

「あ、桃華ちゃん。....むしろ今時間ある?お化け屋敷4人一組なんだけど私たち三人だからこのままだと一人知らない人と入ることになりそうなんだよねー」

 一緒にいた先輩二人もうなずいた。

「いいんですか?私で。.....名前なんでわかるんですか、?」

「さっきクラスで呼ばれてたから。桃華ちゃんがいい。」

 なずな先輩にその気はないとわかっていても、そのセリフは私を喜ばせた。恋心を伝えるのは、お化け屋敷を出た後にしよう。吊り橋効果とやらも期待できるかもしれない。そう考えて私は列に加わった。


 お化け屋敷のクオリティはなかなかのものだった。そのままテーマパークに移転できそうだ。私は友達に次の場所へ誘われていた先輩を呼び止めた。

「なずな先輩!」

 好きです。たった4文字、意味を成すのはただの2文字。それを言えばいいだけ。言って、うまくいけば万々歳。いかなくても、伝えられるだけでいい。そのはずなのに、いざ言おうとすると今までのことが脳裏を駆け巡った。女の子が好きなんて気持ち悪い。そうやって言われ続けてきた。この先輩にも、そう思われてしまうのではないか。いわないほうが、互いのためなのではないか。言わずに、先輩後輩として仲良くなれる道を選ぶほうがいいのではないか。過去の記憶とそれに付随する私への攻撃は私のキャパシティーを超えてしまった。それは涙となって溢れ、私は崩れ落ちた。ああ、何をしているんだ。


「桃華ちゃん、?ちょっとこっちいこっか」

 先輩が私の顔を隠すように抱き寄せて廊下の隅へ連れて行ってくれた。少しづつ、涙が引いていく。動悸は収まらない。きっと種類が変わっていた。しばらくして、私が落ち着いたころに先輩は私の目を覗き込んだ。

「ねえ、女の子が好きって言ったら、私と仲良くしてくれなくなる?」

 私は自分の耳を疑った。先輩が、?女の子を?何も答えられずにいると、先輩が次の言葉を発した。

「女の子が好きっていうと、よくないね。誰でもいいわけじゃないんだ。好きな人が好き。....桃華ちゃんのことが、すき。」

 バンドボーカルの時や、お化け屋敷でのかっこいい先輩はそこにはいなくて、顔を赤らめて私を見つめる一人の女の子がそこにいた。

「私も、好きです。なずな先輩のことが。」

「先輩ってつけられると上下関係みたい。呼び捨てでいいよ。」

 


 学年が違うこともあり、なずなと私が一緒に居られたのは始業前の数十分と放課後の帰り道、そしてたまの休日くらいのものだった。家に行って年の離れた弟に会ったり、映画を見に行ったりもした。居られる時間はすべて一緒にいたといっても過言ではない。それでも足りなかった。けれどそれでその時間は満たされていた。今までの辛かった時間もすべてこの時間のためなら許してしまえた。


 なずなと私の恋愛関係はなずなの卒業まで続いた。田舎の進学校で地元に残る人は少ない。なずなも例に漏れず、都会の大学へ進学した。少しづつ、連絡の頻度が減っていって、自然消滅してしまった。高校生の恋愛なんてそんなものだ。わかっていたけれど、なずなといた数か月が私を閉じ込めた。そのあとは何をしても楽しいと思えなかった。誰かを好きになるなんて猶更できなかった。


 昨年度の大掃除以降使われていない、真緑の黒板。縦横綺麗に並べられた机。新年度のお知らせで溢れかえった掲示板。今日は私が新しく赴任した学校の始業日だった。教室内をぐるりと見渡す。教室の隅に座る眼鏡をかけた男子に何処か懐かしさを感じて、少し視線を止めてしまった。彼もそれに気付いたのかスマホから視線を上げてこちらに返す。私は気まずくなって微笑んだ。

 チャイムが鳴り、生活が始まる。一時間目はホームルームという名の事務連絡と自己紹介の時間だった。

「初めまして。皆さんの担任をすることになりました。佐藤桃華といいます。」

 私はそう言って黒板に自分の名前を書いた。今年で大学を卒業してから4年になる。毎年四月に同じ自己紹介をしていると、少しづつ黒板に書く大きな名前の文字も綺麗になっていく気がした。

「先生、何歳?」「彼氏いる?」「どこに住んでるの?」

 このように質問が飛び交うのは恒例イベントなのだろうか。それとも若い先生に対する特有の仲間意識というものなのだろうか。いずれにしてもどれも答えるわけにいかず曖昧に話を先へ進める。

「4年前に大学を出ました。……さて、今度は皆さんに自己紹介していただく番です。」

 私はそう言って一番前の廊下側に座っているおとなしそうな女子を指した。

「結衣です。美術部です。絵は描けるけどほかのことは大体苦手です。」

 へえ、得意なことよりも苦手なことを強調する自己紹介とは珍しい。これまで100人以上の自己紹介を聞いてきたけれど、初めて聞く紹介の仕方だった。関心している間に、結衣さんをはじめとして、教室の中でパルス波が進むように生徒が立って自己紹介が進んでいく。最後に、先ほど私が目を留めてしまった少年の番になった。

「前田鈴斗です。陸上部だったけど足壊しちゃってやめました。えーと年の離れた姉貴がいます。」

 年の離れた姉……まさか、違うよね。私は脳裏に浮かんだ考えを搔き消すようにわざとらしい咳をした。



 最初の一週間は嵐のように過ぎ去っていった。私はいつまでも鈴斗くんに感じた違和感を言語化できずにいた。

 学校が始まってからしばらく経った日、今日は公開授業の日だった。丸一日、来客用の玄関で来客証をもらった生徒の保護者たちが自由に出入りできるというものだ。

 私は教室に余っている机を廊下に出して、生徒の名簿をそこに張り付けた。40人で少し狭いと感じる教室に、今日はその親も入ってくるのかと思うと少し憂鬱になる。まあ、小学校や中学校に比べたら来る親も少ないだろう。


 公開授業の日は変則的な時間割になっていて、担任を持つ先生たちは自分のクラスを7時間目に授業することになっていた。そのまま保護者会に入るためだ。理系クラスでの社会科ということもあって、生徒の保護者の冷たい視線が刺さった。数学や理科を見たかったというのだろう。いや、私の前数学だったんだからその時間に見なさいよと言いたくなる気持ちを抑えて授業をした。後ろに保護者がいるおかげかいつもよりは眠っている生徒が少ないのが救いだった。


 HRを終え、生徒が各々部活や家に向かってから保護者会が始まった。クラスの半数程度が埋まっていた。保護者たちの中で、1人私と同じくらいの年齢の女の人を見つけた。鈴斗くんの姉だろうか。彼女が私の前方の席に座った。見間違えるはずがない。なずなだ。年の離れた弟がいることは知っていた。けれどまさか高校生の弟が居て、しかも私の生徒だなんて。誰が信じられるだろうか。私は動揺を隠して保護者会を何とか執り行った。


 私は帰ってから久しぶりに高校時代使っていたパソコンを開いた。なずなのアドレスを探す。悲しくなるから、なずなに会えなくなってからなずなの連絡先はそこに移してスマホからは消していた。下のほうまでスクロールして、ようやく見つけた連絡先へ久しぶりに会えてうれしかったとメールを打つ。


 日付が変わるころに送信した。





「せんせー、姉貴が先生と話したいって」

 保護者会の翌日、鈴斗くんがそう言って私に一枚の紙を差し出した。私は折り畳まれたそれを開く。

「姉貴の連絡先。……俺なんかやらかした?」

 それを心配するのは私のほうから話したいといったときじゃないかな。そこに書かれたメールアドレスは私の知っているものではなかった。返信が来なかったのもそのせいか。私は少し安堵した。

「じゃ。そーゆーことで。あ、姉貴に変なこと言わないでよー。俺が高橋先生の授業中ずっと寝てることとか。」

 鈴斗くんはそう言い残して自分の席に戻っていった。私もなずなの連絡先が書かれた紙をまた畳み直してポケットに入れた。


朝のHRを済ませてから職員室に戻った。1限に授業がなかったのでこの時間で課題テストの採点記録をする。このPC作業をやりたくて教師になったわけじゃないのになと半分くらい終わったころに考えてしまう。それでも仕事だからと割り切って事務作業を進めた。

時計を見ると、まだ次の授業までには時間がありそうだ。コーヒーを淹れた。ポケットの中のなずなの連絡先を思い出す。昨夜昔のアドレスに送ったメールをそこに転送した。



3週間後、私はなずなと夕食を食べに来ていた。高校時代によく言った店だ。

「お名前を書いてお待ちくださーい」

 店の奥から聞こえる店員の声に、なずなは目の前にあるカタカナで名前が並んだ紙に「スズキナズナ」と自分の名前を書いた。あれ,名字が違う。触れていいことなのか判断がつかず、結局何も言えずに二人で入口のそばの壁に寄りかかって呼ばれるのを待った。


「何食べたい?」

「じゃあ、これ。」

「ももそれ好きだねー。私も同じ奴にしよ。」

 そういってなずなは店員を呼んだ。メニュー表を指さして注文をする。そして店員が去ったあと、彼女は口を開いた。

「あのね、私結婚したんだ。」

 そこで一度彼女は言葉を切った。それとも、私の頭が真っ白で言葉を受け付けなかっただけなのかもしれない。どっちにしろ、私はなにも反応できなかった。ああ、人生で最大の恋をしたと、思っていたのは私だけなのか。

「......でもね、なんだか好きになれないというか、好きなのかわからないというか。」

「じゃあ、なんで」

 思わず口をついて出てしまう。怒ったように聞こえてしまっただろうか。彼女は困ったように笑った。

「いろいろあるんだ。……週に1.2回しか会わない頃はよかったよ。毎日会うとなんかなー。だから最近一緒に住んでないんだよね。そろそろ別れるつもり。」

 彼女は水を手に取った。コップを持ち上げ、口元に充てて傾ける。コップの中の水面が下がり、喉を動かす。そしてまたコップをテーブルに置いてリップのついた淵を拭ってから、一拍おいてまた話し始めた。

「ももといたときは、毎日会っても足りないくらいだったのにな。って最近毎晩考えてた。そしたら弟の担任だっていうんだもん。びっくり。」

 なずなの話す一部始終が、私を混乱させた。注文したパスタを食べる気も起らなかった。家ではないので残すわけにもいかずに無理やり詰め込む。ゆっくりとした食事を終えて私たちは店を出た。


 夜9時の田舎は真っ暗で、月の光が私たちを突き刺した。照らされたなずなの横顔は奇麗だった。我慢をしなきゃ。そう思ったはずなのに、唇は言葉を成すために形を成した。

「貴方の人生で最後の絶望になりたい」

 仮にも教師が言っていいような言葉じゃないよなと思わず笑いそうになる。そんな私と対称に、なずなはまっすぐにこちらを見つめている。恥ずかしくなって本当に笑ってしまった。

「本気で受け取るし本気で返すよ。その言葉。」

 私の脳は彼女に、いや彼女への好意で支配されていた。酒に酔うのと同じように彼女に酔っていた。唯一違うのは体中めぐって蝕んでいって二度と冷めることはないというところだろう。私は無意識のうちに彼女の背に手を回し抱き寄せた。彼女もそれに応じて私に腕を絡める。冷たい夜風が頬にあたることも気にならなかった。

「久しぶりだな。この感覚。安心する。」

 なずなは私の耳元で呟いた。


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