第2話 私は、花であるはずだった。
手触りのいい鞣革のソファー、ガラステーブルに置かれた上等なスパークリングワイン、磨き抜かれたワイングラス。上等な調度品を従えるように、謎の青年は悠々とグラスを傾けている。
「君も飲むか?かなり上等で味も最高級だ。君でもワイン一杯ぐらいは飲めるだろうに、遠慮することはない。」
「ええ、確かに飲めはしますが、分不相応ですので。」
「またそれか?ここにきている以上、君は招待客だろう。身分がどうあれ、ここにいる資格がある。出される食事、受けられる待遇も素直に受け取ればいい。」
「わたくしの矜持なのです。どうかご容赦を。」
ソファーに座ったまま、綺麗に腰を折るように頭を下げる。青年は詰まらなさそうにグラスを傾け、何杯目かもわからないそれを飲み干した。
「さて。改めて聞こう。君は誰だ?」
青年は精悍な顔立ちを歪に歪め、厭らしい表情で私に問う。ああ、まただ。
「……体目的なら夜の蝶をお呼びください。私の身分にも一応の爵位がございます。辺境のしがない貴族とはいえ、あなたの外聞もおありでしょうからおやめになった方がよろしいのでは?」
「なんだその言いぐさは。体目的など誰が言うものか。しかし、少し微笑んで問うだけでこのありさま。君は相当苦労してきたとお見受けする。やはり、その外見のせいか?」
青年はすっと表情を戻し、気づかわし気に問うてくる。それがあまりに的を得ていて私は驚愕してしまった。もっとまずかったのは、それが表情に出てしまったこと。
「図星か。まあ、貴族社会では惚れた腫れたは専ら見た目か家柄から始まる。君のその容姿はさぞ格好の餌食だっただろうな。」
わかったような口をきいて足を組み、青年は訳知り顔で頷く。その、いかにも同情しているというポーズにいい加減、堪忍袋の緒が切れた。
「ええ、あなたの言う通りですわ。皆この見た目に惹かれ、私の中身を知ろうともしない。殿方の女の好みは所詮顔と体つきと声の艶。私はありがたいことに皆様のお眼鏡にかなったようで、夜会に出ればファーストワルツのお誘いは絶えません。けれどそんなの私になんの得もない!」
思わず声を荒げ、青年を睨みつける。イライラする、本当に。私の気持ちなどこれっぽっちも気にしせずに、女だから、底辺だからと見下す視線がたまらなく不快だった。そういう視線をもつ人は男女問わず、内面から滲む醜さが醜悪な香水のように気持ち悪い。
「君、本当にまっすぐだな。本当に貴族なのか疑いたくなるほどに。」
「何とでも仰ってください。」
「そんなに怒らないでくれ。そうだな、じゃあフェアな取引をしよう。僕が何者なのか教えよう、その代わりに君の名前を聞きたい。どうだ?」
「あなたの名前を知って私の利益になることなどないですわ。もう十分休ませていただいたので、そろそろ家に帰ってもよろしいですか?」
「疑いたくてしょうがないだろうが、本当に僕の存在は君の利益になると思うよ。ひいては君の家にもね。」
「そんなのいくらでも出まかせを言えるでしょう。」
「頑なだな。これはできればしたくなかったんだが、僕の情報を先に渡そう。」
やれやれとため息をつき、目の前の青年は肩をすくめた。そして私をちょいちょいと手招きする。全く、そんなにもったいぶるならさぞ良い情報なんでしょうね。半信半疑で、彼の口元に耳を寄せた。
「僕の名前は、レン。レン・クロード・ブライアン。」
「っ!」
「どうだい?いい情報だろう?これを言ってしまうと君に命令しているみたいで気が乗らないんだけど、どうしても君のことが知りたいんだ。頼むよ。」
レン・クロード・ブライアン。この国でその名前を知らない人はいない。この大帝国ブライアンを治める偉大な一族。さかのぼれば神へとその血筋をたどることができる統治者の名前を騙るのは、この国では大罪だ。
つまり、彼は……
「し、失礼しました!」
彼に寄せていた体を離し、青ざめた顔でひれ伏す。……はずだったのだが、座っている彼の腕に抱き留められ、そのまま横抱きにするように膝に乗せられた。顔がぼっと熱く、赤くなるのが自分でもわかる。
「くく、いい顔をするな、本当に。」
「か、からかうのはおやめください……」
俯いてしまう私をのぞき込むように見あげ、彼は薄い唇をゆっくりと開いた。
「もう一度聞こう。君の名前は?」
「わ、私は……リン・ハイメリでございます、陛下。」
恐る恐る答えた私に、レン王子は笑う。
「陛下だなんてよしてくれよ。」
花と蝶と蜘蛛と芋虫と 鉄 百合 (くろがね ゆり) @utu-tyu
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