ラストチャンスはスタートライン

小林汐希

ラストチャンスはスタートライン



「今日も暑くなりそう……」


 私、南野みなみの静香しずかは照り付ける太陽の光の中、恨めしそうに空を見上げた。


 絵の具で塗ったような、そんな青空は私の届けたい想いすらも飲み込んでしまったのだろうか。


 「待って!」という声もきっと今は届かない。


 昔は、辿っていけばどこまでも行けそうな気がしたひこうき雲も、今は私を置いてどこかへ飛んでいくだけになった。


 被っていた麦わら帽子を脱いで遠くの空を見上げる。


 そこに大きく存在していた入道雲と、目が合ったような気がした。




「この後夕立が降らないといいけどな……」


 再びゆっくりと足を引きずりながら自宅への歩みを進めた。



 本当なら、今日は高校で入っていた部活の最後の活動日になる予定だった。


 中学生から始めたチアリーディング。高校3年生まで6年間続けてきたけど、それも夏の野球部の応援が一つの区切りで、野球部の夏が終わると同時に私たちも引退することが最初から決まっていて、本当は私もその場で高校生最後の夏を終えるつもりだったよ。


 もとから全国大会に行けるような学校ではないから、地方大会のどこかで……という予想はしていた。


 ところが、今年はなぜか分からないけれど、みんなから「想定外」と言われるほど予選を勝ち進んで、今日はとうとう県大会決勝戦の日。まさか勝てるとは思っていないけれど、勝ち負けよりその場に行けないことの方が私にはショックだった。



 一昨日の練習の中で足をひねってしまった私はそのまま病院へ直行。骨は大丈夫だったけれど、腫れが収まるまでは包帯で巻いていなければならないし、飛んだり跳ねたりなんてもってのほか。歩くのだって、びっこをひきながらが精いっぱいだもん。


 診察結果は全治十日間。とてもじゃないけれど、今日球場まで応援に行くことなんて許可は下りなかった。



 これが、グラウンドにいる選手が知らない人ばかりだったら、私もここまで気を揉んだりしない。


 私が住んでいるような田舎町では、小学校から高校まで一緒というクラスメイトだって珍しくない。


 そんな一人、青木あおき泰輔たいすけは我が家から畑をはさんだお隣さん。小学校で少年野球を始めて、中学、高校でも野球部。


 学校では「何の気もない」という顔をお互いしているけれど、部活で忙しい泰輔はテスト前になると私の部屋にやって来るのが当たり前になっていた。


 今日が決勝戦ということは……、大方の予想では泰輔も私も高校3年間の集大成となるはずで、私はそれを見届けて終わると思っていた。


 決勝ともなれば放送されるテレビで見ていればいいとも考えたけれど、それだと余計に現地に行けなくなってしまった自分の惨めさを責めると思う。


 だから、ラジオもテレビもつけず、部屋で一人本を読んでいたんだ……。結果はどのみち知る。そこでなんと声を掛けるか……。




 午前中に見た入道雲が日差しを遮り、このあとに一雨来そうだなと思っていた夕暮れ、我が家のインターホンを鳴らした人がいた。


「静香、泰輔くんよ。あんた動けないから勝手に上げちゃったけど許してよね」


 お母さんがそう言い残して部屋を出て行った。


 泰輔はまだユニフォーム姿でお母さんの代わりに入ってくる。



「痛みはどうだ?」


「うーん、痛み止めまだ飲んでるけど、だいぶ楽になったと思う。全治十日だって……。今日行けなくてごめん……」


 泰輔だって、私が行けなくなったことは知っていたはず。


 でも……、やたら声が明るいんだよね……。安心したような様子なんだ。


「全治十日か。それじゃ二週間後には間に合うってことだな?」


「う、うん……」


 ど、どういうこと? 二週間後って……。まさか!?


 泰輔は持っていたバッグの中から小さな箱を取り出した。


「まだ、夏は終わってないぜ? 静香だってやり尽くして終わりたいだろ?」


 箱を開けると、県大会優勝のメダル……。


 うそ……。夏の県大会の優勝は、そのまま全国大会へのきっぷになる。


「学校中大騒ぎで、抜けてくるの大変だったんだぜ?」


 九回裏からの逆転劇だったなんて……。


「本大会はまぁ初戦負けだろうけどな。記念出場にはなるか? 静香だって、行ってみたいだろ? 堂々とアルプススタンドで大暴れしてこいよ」


 とてもじゃないけれど、信じられない夢舞台だ。


「もう……、そんなこと言って……、知らない!」


「タイミング悪く怪我して、そのまま引退じゃあんまりだ。もう一回、後悔しないようにやろうぜ?」




 青空に見えたひこうき雲も、「待って!」という心の声も、私を置いていったわけじゃなさそう。


現地むこうで待っているから」のメッセージだった。




「う、うん……、そっか……」


 夕立雲より先に、私の頬に水滴が流れ始める。


「足はそれまでにちゃんと治すから、連れて行って……?」


「だったら、これちゃんと洗濯しておけよ」


 私の部室から本番用のチア服を持ってきてくれたんだ。それが意味することは、周りだってわかっていると思う。


 でも、それが私たちの昔から、そしてこれからも変わらない姿なんだってことだよ。


「私のために……ありがとね……」


 多分、最初で最後のラストチャンス。


 でも、私たち二人はそこがスタートラインなんだと思う。


「うん、いいよ……」


 何かを言いかけた泰輔の言葉より先に、私は彼の両手を握って頷いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ラストチャンスはスタートライン 小林汐希 @aqua_station

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ