第14話:昔話
それを読んだ後、ミルンカは式を解いて魔力を消した。
しばらく考えた後、書斎棚を開けて二枚の紙とペンを持ってくる。
どうやら少なくとも今は、私にお前を殺す理由はないようだ。
式は何て?テレザが尋ねる。
人の占い結果を聞くとは随分野暮だな。継承者には品位というのも必要だ。
あら、すみません。
まあ、今は秘密としておこう。
これは相互不可侵の協定書だ。先ほども言ったが、どちらが危機にあったとしても互いに負う義務はない。これの意味はこの協定が破棄されるか、あるいは最後に我々が継承候補に残るまで、我々は敵対しないと言うことだけだ。書かれている条件に不満がなければ名を記すといい。
テレザとエリーゼは二人で文を読み、テレザが名前を書く。
同様にミルンカも名を書いて互いに交換する。
これは宮内に届けねばならないのですか?テレザが尋ねる。
私が明朝やっておこう。明日早く戦地に戻らねばならんのでな。ついでだ。
もしかして私に会うために戻られたのですか?
正確には、面倒ごとを始末しにだったがね。
最初は使いを送ろうと思ったんだが、前線が一つ早目に片付いてな。
この、候補者同士の協定というのは宮内から周知されるのですか?
宮内は双方に確認でき次第告知するが。実際その必要はない。お前がこの敷地から生きたまま去るのを確認すれば、誰でもその意味はわかる。候補者間に主従や庇護の関係はない。我々が直接会った後、お互いが生きているということは対等な協定あるいは同盟関係が結ばれたことを意味する。
じゃあ、あなたが生きていることも見せねばならないですね。
ふふ。確かにそうだ。違いない。では外門まで見送りに出るとしよう。
ちなみにですが同盟と協定は何が違うんです?
同盟はより強い協力関係だ。戦時協力など互いへ負う義務がある。お前には不都合なものだろう?
そうですね。
はじめにも言ったが、我々は対等な王位継承候補だ。加えて今は協定さえ結んでいる。その敬語は要らぬものだ。
お気になさらず。この方が楽なんです。
今日必要な話は以上だ、この茶が終わったら門まで送ろう。
ありがとうございます。
そうだ、一つきいておこう。答えたくなければ結構だがね。
何です?
この訳と式を知っているのは我々以外にいるのかね?
テレザ様。とエリーゼが注意を促す。
問題ないわとテレザが頷く。
おりません。
お前がこのような算術を持つことを知るものは?
以前の家人には色々話はしましたけれど、あの人たちは算術はからきしですから何もわかっていないでしょう。
そうか。お前がまだしばらく生き続けたいなら、秘密にしておくことを勧めておこう。
私がお前の算術を利用しようと言う気がないわけではないがね、他の候補者を含めそのように考えるものは腐るほどいるだろう。私との協定が枷になって強引な手を使うものはいないかもしれないが、面倒を引き込むことに変わりはない。まあ、お前の好きにすればいい。
どうも。
私は明日からまた戦地が続く、お互い生きていたらまた茶でもしようではないか。
喜んで。
ああそうだ、もし私が神の詩の断片でも手に入れる事があればお前に送ろう。
ほんとですか?
ただし、式化に成功したらそれを私にも共有するのが条件だ。それがいかなる式であってもな。
もちろんです!もしかしてあなたはこれまでに他の編を見たことが?
ある。それは式化もされていたし、私はそれを展開もした。
その式を覚えていらっしゃるのですか?
いや。あれほどの式は空で記憶するのはわたしには無理だ。負け惜しみじゃないが、通常の特級術式程度なら展開せずとも覚えられるんだが、あれはあまりにも複雑で特殊だった。
その時の展開は記述から?
ああ。
それは今どこに?
式展開と共に灰となった。
そうですか、それはどんな式だったんですか?
今から130年ほど前に起きたヴァナヴァラの災厄というのを聞いたことは?
いえ。エリーゼは知ってる?
はい、話しには。ヴァナヴァラという沿岸地方一帯が一夜にして消失したと。
一夜ではない。あれは一瞬だった。まあ実際には展開から解式まで1分くらいはかかったかもしれないが、体感としては瞬きをしたらそれまで輝き栄えていた都市を含めその一帯が消えていた。それはよくある大量破壊系の式とは全く違った。爆発も、衝撃も無く、ただ忽然と見渡す限りの巨大な半球の空間が消失した。
それは私を含めた31名の術師による合同術式だった。展開後その半数以上が魔力喪失で死に、それ以外も私も含めて立ち上がれもしなかった。その後戦線に復帰出来たのは六人しかいなかった。
詩は、詩はどうなったのですか?
そもそも私が手に入れたのは式化された術式だけだった。元の詩も、誰が式化計算したかもわからない。詩そのものはわからないが、あれは第一編第五歌だったはずだ。式の解読を試みさせた時唯一分かったのはそれだった。
そうですか。
ある古い国を滅ぼした戦利品として手に入れた物でな。神の詩の部分的な式化という伝説があった。式構造からも大規模破壊系の式である事は間違い無さそうだったが私は神の詩などと信じてはいなかった。せいぜい古代の戦略術式だと考えていたが、あれは明らかに普通じゃなかった。だがあれが神の詩と確信したのは、今日だ。
え?
先程のお前が書いた式。系統も規模も全く違うが、展開時の感覚が同じだった。忘れもしない。式の手触りとでも言おうか。冷たく、重く、身体中の魔力がその中心から底の無い穴に落ちていくような感覚・・・。
...
帰りの馬車の中。
御者席にはエリーゼの姿。
御者席の窓を開けて中のテレザに声をかけるエリーゼ。
テレザ様、確かにあの者の言った通り監視の気配も魔力も全て消えました。
ねえ。
はい?
一応聞くんだけどけど、さっきの話嘘じゃないわよね。
どの話ですか?
・・・妊娠の話よ。
よろしいですか?仮に嘘をつくにしてもそんな悪趣味なこといいませんよ私は。
ならいいけど。実に不可解だわ。
ならいずれ納得なさるんじゃないですか?とエリーゼ。
面白くないわよ。と言って窓を閉めるテレザ。
少ししてまた窓を開けて、監視が消えたのは良かったわ。
とだけ言って閉める。
...
しばらくしてまた小窓が開く。
ねえ。
何でしょう。
そっち座っていい?
どうぞ。と言ってエリーゼは横にずれて馬車の速度を落とす。
止めなくていい。と言ってテレザが小窓から消える。
え?
馬車の天窓をよじ登りテレザが御者席に降りてくる。
危ないですよ。
いつもやってるから。
テレザは泥除けに両足を乗せて背もたれに背中を預ける。
外套は馬車の中に置いてきたので、式以来少し伸びた髪が風に揺れ、その素肌も夜風に晒している。
嫌なら答えなくてもいいんだけど。
はい。
あなたって自分の家族が好きな人?
・・・好きな者と、嫌いな者と、どうでもいい者がいます。
まあ、そうよね。
敬愛した腹違いの兄が一人おりましたが、随分前に死にました。
ふーん。
なので、今はどうでもいいのと嫌いなのしか残ってません。
式の時にね。あの人が母の話をしたの。私の名は母の旧名なんだって。私そんなの興味ないと言ったわ。
そうですか。
でね、封の空いた古い手紙を渡されたの。母の名が書いてあった。
・・・お聞きした方がいいですか?
私読まずにローズに渡したわ。多分式関係の書類と一緒に家にあるはずよ。読みたければお好きにどうぞ。
私そんなに下品じゃないですよ。
一応あれも王族間の機密書簡よ。
まあ、確かにそうですね。何でお読みにならないんです。
さあ。
寝待月に照らされた夜道を馬車が走る。
...
何が書いてあっても、どうでも良い気がしたわ。嬉しくも悲しくも、腹も立たないような。
なんかねえ、私、自分の中をどう探してみても家族ってものへの感情がまるでないの。だからかしらね、国を裏切ることに抵抗ないのも。
さあ、私には何とも。
具体的なこと言わなくて良いんだけど、あなたは自分の国が好きなんでしょう?でなきゃこんなとこでこんなことしてないものね。
まあ、そうですね。でもそれは国という名や形式よりは、さっきも話しました死んだ兄の事とか、友人とか、風景とか、習慣とか、言葉とか、歌とか、そんな物の集まった何かです。そのために立派な人達が生きて、死んでいったのを見てきましたので。
あなたってきっとそのために死んだって構わないんでしょうね?
はい。
羨ましくないけど、どんなだか興味はあるわ。
テレザ様は自分の命より大事なものはないんですか?
ないわね。引き換えにあの詩の全てが手に入るなら考えなくも無いけど。それだって死なずに済むならその方が良いし。
なぜそんなに死にたく無いんです?我ながら妙な質問だわと思いながらエリーゼが尋ねる。
どれほどかけても世界が知り尽くせないからね。あ、でももし世界の全部を知ってしまったら生きたいと思わないかも。だってそしたら死ぬことしか未知のことが無いって事だし。
世界中の好奇心を煮詰めて命を吹き込んだらきっとあなたになりますよ。
...
何やら隣でテレザが身体を丸めてやっているので見ると、風に背を向けて火石で何かに火をつけている。
何やってるんです?と言ってエリーゼが見るとテレザが煙草を吸っている。
思わず二度見するエリーゼ。
テレザ様って喫煙するんですか?
何言ってるのよ。これ魔力避けのお香よ。いつもたいているじゃない。
本当ですか?
息苦しい時には直接吸った方が効き目があるの。
今苦しいんですか?
ううん。今はただ吸いたくなっただけ。
それ煙草じゃ無いですか。
違うったら。ほら。と言って煙をエリーゼに吹きかけるが立ち所に風に流される。
わかりませんよ。
テレザが親指と人差し指で挟んだ煙草をエリーゼの口元に差し向ける。
私吸わないんですけど。
だから煙草じゃ無いってのに。吸えばわかるわよ。
恐る恐るその細い筒状の葉を吸うエリーゼ。
思い切りむせる。
ね?違ったでしょ?と席にもたれながら咥え煙草でテレザが言う。
ええ、確かにいつものお香ですね。でもよく直接吸えますねそんなの。
最初は咽せたけどね。慣れよ慣れ。
でもそれも薬草なんですから一種の煙草ですよね。
まあね。何?吸っちゃダメなの?
いえ、良いんですけど。人前ではおよしになった方がいいです。
何で?
子供が煙草をふかしてるのはあまり見栄えがよく無いです。一応お立場もあるんですし。
ふ〜ん。わかったわ。どうせ普段は勉強中にしか吸わないし。あ、そうだ!
何ですか?
ずっとあなたに言おうと思ってて忘れてたのよ。
だから何ですか?
そろそろもうこのお香の葉が尽きそうなの。王都にいた頃よりは使わないからいずれいずれと思ってたんだけど。
じゃあ今度市場で買ってきましょう。
ダメなのよ。これ海外の希少な草だから。でもローズ達がねその栽培方法を見つけてくれたの。だから近いうちに栽培用の畑を作らないとまずいの。
ああ、なるほど。じゃあ、早速明日にでもやりましょうか。
うん。負けないわよ。
どういう意味です?
私こう見えて畑耕すの得意だから。
まさか一緒にやるつもりですか?
そりゃそうでしょ。私が教えずにできるの?
畑を作るくらいなら。僻地の任務でよくやりました。
コツがあるの。海外の植物だって言ったでしょ。普通に植えたんじゃ枯れちゃうわ。
なるほど。じゃあ教えてください。
ええ、任せといて。
というかね、絶対私の方が開墾能力高いわよ。
流石にそれは無いです。
あなた忘れてない?うちの敷地内は魔力結界内なのよ。魔力を使わずに農作業なんてできる?
・・・確かに。
ふふ。まあ明日のお楽しみね。
もしかしてですけど、テレザ様って畑仕事しながらそれ吸ったりします?
よくわかったわね。何で?
ま、いいんですけど。
...
その夜遅くテレザの書斎。
根巻き姿のテレザが明かりもつけず一通の手紙を読んでいる。
それはもうインクの薄くなった文法の曖昧な数行の短文だった。
自分の言葉で書きゃいいのに。ボソリとテレザが呟く。
表情一つ変えずに読み終えると、テレザはそれを元の書類入れの中にしまって寝室に戻った。
...
算術屋テレザの覚書、あるいは魔的マテマティカ folly @folly-folly
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