琥珀の巫女

入江 涼子

第1話

   私の住む国では琥珀の巫女と言われる女性の伝説があった--。


  私には妹がいる。名をエレオノーラという。私はアリエノールといい、双子だ。私が真っ赤な髪に琥珀の瞳ならエレオノーラは黄金の髪に青い瞳の可愛い感じの少女だ。

  神殿にて私は暮らしていた。妹は一緒には住んでいない。私一人がこちらに来ている。両親と兄の三人は週に一度くらいは手紙を送ってくれていた。妹もだが。

  妹のエレオノーラには婚約者がいた。二人は同い年で18歳だ。

  婚約者はダルベルトといい、通称をダルと呼ばれている。エレオノーラとは仲睦まじくしていた。それが羨ましくはあったが。私にも婚約者はいる。名をアルバートといい、この国の第一王子だ。アルバート王子は4歳上の22歳で穏やかで優しい方である。顔立ちは目つきが鋭いが眉目秀麗な感じで女性方からは人気がある。けど私の事は嫌っているらしく、月に一度手紙と贈り物をしてくれればいい方だ。

  さて、我が国では巫女といっても結婚は許されていた。大体、巫女や聖女は任務期間が設(もう)けられていて巫女であれば10年、聖女は15年程であった。私は10歳の時から巫女を務めていて後2年で退職する。その間に神殿を出る準備をしていた。


「……アリエ様。もう、2年程したら任期満了が来ますね」


  そう言ったのはヘレナだ。ヘレナは19歳で私より1歳上で同じ神殿に仕える巫女である。この神殿は花の女神--フィオーラ神を祭っていた。フィオーラ神は最高神のイゼウ神の妃だ。多くの神々を生み、生と花の女神として多くの人々から信仰されていた。


「そうね。ヘレナも後1年で任期満了だし。今後どうするか決めてるの?」


「そうですね。私は神殿を出たら実家に戻って両親の手伝いをしようと思っています」


  私はアリエノール・フィレンツェといい、公爵家の長女だ。ヘレナもヘレナ・ホーリといい、侯爵家の次女である。

  ヘレナは年上ではあるが。私の友人兼お目付役だ。父の頼みで同じ神殿に入った。父君のホーリ侯爵様は渋々応じたらしい。私の方が身分は高いので彼女を呼び捨てにしていた。ヘレナは様付けだが。

  さて、今日はアルバート王子から手紙と贈り物が届く日ではなかっただろうか。そう思いながら座っていた椅子から立ち上がる。ヘレナはどうしたのかとこちらを見た。


「アリエ様。どうかしましたか?」


「ヘレナ。今日はアルバート殿下から手紙が届く日だと思うのだけど」


「……あ。そうでしたね。もう、水の月の10日ですものね。殿下は大体、このくらいの時にお手紙をくださる事が多いです」


  そう二人で言っていたらドアがノックされた。返事をすると入ってきたのは私やヘレナより5歳は下の新入りの巫女だ。彼女は両手にヒノアオイという黄金色の花弁と茶色の花芯が特徴的な花の束を抱えていた。今の季節では早咲きだ。


「アリエノール様。アルバート殿下より贈り物とお手紙が届きました。ヒノアオイとお菓子です」


「……ご苦労ね。フィル。花束は机の上に置いて。お菓子はあなたにも分けてあげるわ」


「え。いいんですか?」


「いいわよ。私一人だと食べきれない量でしょうし」


「わかりました。じゃあ、この花束は机の上に置いておきますね」


  フィルはにこやかに言うと私とヘレナが使っている神殿の居間の机に花束を置く。ヒノアオイの黄金色が目に眩しい。私はフィルが持っていた贈り物の内の一つであるお菓子の箱も受け取った。綺麗な淡い水色の包装紙に銀糸の刺繍が入った濃い藍色のリボンでラッピングされた両手で抱えられるほどの箱だ。これを机の上に置いてリボンを解いた。そうして包装紙も破こうとする。が、魔力による封がなされていた。仕方なく自分の霊力を流し込んで封を開けた。パキンと音が鳴る。

  そうした上で包装紙を開けてみると群青色の紙箱で蓋も開けた。中には木苺やブラックベリー、グミの実が生クリームで包まれたパイが10個入っていた。木苺などが宝石のようでほうと素直に感嘆する。フィルに二個くらいは食べていいと言うとすごく嬉しそうに笑う。一個を手に取るとそのまま頬張った。

  けど今回は私が喜びそうな品なので珍しいなと思った。けどヒノアオイの黄金色で気づく。これは妹のエレオノーラに贈るはずの品だったと。だって私は赤髪に琥珀の瞳で黄金色の髪などではない。それにお菓子の入った箱の色も。エレオノーラの色だと今更ながらに気づいた。

  いくら何でも実の妹への贈り物と姉である私への物と間違うとは思えない。これをわざとやったのだとしたらなかなかに悪どいやり方だ。私はお菓子だけはヘレナとフィルに譲った。その代わり、花束を抱えて部屋を出たのだった。



  礼拝堂まで歩くとそこには黒髪の刈り上げた髪と赤紫色の瞳が目を引くかなりの美青年がいた。アルバート王子だとすぐに気がつく。私は花束を握る手に力を込めた。


「……お久しぶりです。殿下」


「……ああ。アリエノールか。久しぶりだな」


「今日は何用でいらしたのですか。もしや、妹のエレオノーラがお気に召したのでしょうか?」


  私がちくりと言うとアルバート王子は一気に眉を寄せた。


「ほう。俺がお前の妹をね。アリエノール。どうしてそう思ったんだ?」


「……今回の贈り物で気がつきました。殿下は私と婚約を解消したがっておられると」


「なかなか言うな。お前は浮世離れしていてこういう事には鈍いと思っていた。そうか。気がついたか」


  私はそれを聞いた瞬間、今まで築き上げてきた物が崩れ去る音が聞こえたような気がした。ふざけるなと思った。花束を気がつけば、殿下に突きつけていた。


「殿下。婚約解消には応じます。ですが、今回のような事をなさるのであれば。私にも考えがあります」


  そう言うとアルバート王子はククっと低く笑う。


「……アリエノール。俺は昔からお前とは思うように会えなかった。その点、妹のエレオノーラは可憐だし従順だ。お前とは違ってな」


「何をおっしゃるかと思えば。私は殿下には嫌われていると、とうの昔に気づいていました。なのに会えなかっただけで妹に横恋慕するなんて。ふざけるのも大概にしてください」


「わかったよ。エレオノーラからは手を引く。お前以外の適当な婚約者を探すさ」


  アルバート王子は冷たくそう言って踵を返した。そのまま、花束を受け取って礼拝堂を後にしたのだった。



  その後、私はいつものように巫女として神殿でお勤めをしていたが。父と母、兄がいきなり迎えに来る。これには非常に驚いた。


「……アリエノール。すまない。殿下がお前を王都の神殿から出せと仰せでな。陛下は渋っておられたが。とりあえず、地方の神殿にお前が行く事で話は纏まった。それで迎えに来たんだが」


  父が辛そうに説明をする。私は成る程と思うと同時に王子への想いが冷たく凍っていくのがわかった。もう、あの人が私に会いに来る事はない。だったらもう遠くに行ってしまおうと思った。


「わかりました。迷惑をかけてごめんなさい」


「アリエ。謝る事はないわ。むしろ、悪いのは王子の方よ。あなたが思い悩む必要は一切ないのよ」


  母が元気づけるように言う。私はこのしっかりとした母が昔から好きだった。父も母の言う事には苦笑しながらも怒らない。同じような事を思っているのだろう。兄も気にするなと笑う。


「アリエノール。これからは時々でいいから領地の屋敷にも帰ってこいよ。俺や父上、母上も待っているから。エレオノーラもな」


「はい。ありがとう。兄上。父上、母上も」


「じゃあ。メイドのマリーやメルクも連れてきたから。一緒に荷作りをしてきなさいな」


  母の言う事に甘えて神殿の自室に向かったのだった。


  二時間もしない内に荷作りは完了した。マリーやメルクがてきぱきとやってくれたし元々、少ないのもある。私は両親と同じ馬車に乗った。兄は私達が心配だからと騎馬で随行している。兄ことハリスは国王陛下の護衛を務める近衛騎士だ。年齢は23歳になる。剣術と馬術、弓術に優れていて魔法も水と雷魔法が得意であった。攻撃系に特化してもいた。ちなみにマリーとメルクはもう一台の馬車に乗っている。


「……それにしても。アリエ。大人っぽくはなったけど。最後に会った時よりも痩せていないかしら」


「そうですか?」


「ええ。4年前はもっとふっくらとしていて元気もあったのに。今のあなたはすごく痩せてるし顔色も悪いわ」


「そう見えるんですね。痩せて顔色も悪いのはあのバカ王子のせいです。私ではなくエレオノーラを選ぶような男ですから」


「成る程。アルバート殿下がアリエと婚約解消したのは本当だったのね。しかもエレンを選ぶって。どうしようもないアホだわね」


  母は私以上に王子をこき下ろす。まあ、当たってはいるが。しかも横恋慕の相手のエレンことエレオノーラは婚約者のダルベルトと水も漏らさぬ仲で有名だ。もしエレオノーラが浮気したらダルの事。浮気相手に痛手を負わせてエレオノーラを監禁しかねないだろう。確か、そういうのを世間ではヤンデレというらしいが。


「……アリエ。それにメリッサも。あんまり殿下に失礼な事を言うもんじゃない。どこで聞かれているかわかったもんじゃないぞ」


「わかってますよ。ちょっと言ってみただけですわ」


「ならいいが。アリエも神殿を出たからと言って気を抜くんじゃないぞ。どこに殿下の間者がいるかわからん」


「あなた。あんまりこの子を不安がらせるような事は……」


「それでも注意をするに越した事はない。メリッサも気をつけた方がいいぞ」


  メリッサこと母は仕方なしに頷いた。私も確かにその通りだと思った。父にわかったと頷いておいた。両親はその後も何かしらの事を話していた。私は退屈しのぎに窓の景色を眺めながら時間を潰したのだった。


  あれから、休憩を取って3日程馬車で走った。やっと3日目の夕方にフィレンツェ公爵領のカントリーハウス--屋敷に着いた。中から双子の妹のエレオノーラと婚約者のダルベルト、家令のローゼ、メイド長のロンダが出迎えてくれる。


「……姉上。お帰りなさい!」


「ええ。ただいま。エレン。久しぶりね」


「はい。10年のお務め、お疲れ様です」


  エレオノーラはにこやかに笑って言う。私はそれを眩しく感じながらも笑顔で言った。


「エレンもお疲れ様。父上や母上の代わりに領地の運営は大変だったでしょうに。私のせいでごめんね」


「姉上。あなたのせいではないわ。そもそも婚約を解消したあの方のせいでしょう。あたし、聞いてるんですよ。あの方、あたしとダルを別れさせようともしてたって」


「……そう。でもエレン。もう今日は私や父上達も疲れているから。その話は明日にしましょう」


  エレオノーラはやっと気がついたようで慌ててごめんなさいと言う。ダルベルトも苦笑していた。


「エレン。義姉上の言う通りだ。今は中に入ってもらおう」


「……そうね。それに今は海の月だから夏だし。姉上達が熱気病になっても困るわね」


「ああ。じゃあ、義姉上。挨拶はすみましたし。早めに部屋で休んでください。ロンダ。義姉上をお連れしてくれ」


「はい。若旦那様」


「ではまた後で」


  ダルベルトはそう言ってエレオノーラを連れて中に戻っていく。私もロンダに先導されながら屋敷の自室に入ったのだった。


  とっぷりと夜も暮れた。私は自室にて夕食を食べた。マリーとメルクがお給仕をしていた。


「……お嬢様。アルバート殿下に婚約解消されてからもう4日が経ちましたね」


「そうね。マリーやメルクにも迷惑をかけるわね」


「そんな事はありませんよ。でもお嬢様も大人になりましたね」


  マリーは嬉しそうに笑う。メルクも頷く。


「では。お嬢様。お食事はもうよろしいですか?」


「ええ。もうお腹いっぱいだわ。ありがとう」


「わかりました。では食器はさげますね」


  メルクが手早くお皿やコップ、フォーク類を片付けてカゴに入れた。それらをワゴンに積んで厨房まで押しながらマリーは部屋を出て行った。

  二人だけになるとメルクは私に話しかけてくる。


「……お嬢様。このたびは残念でなりません」


「いきなりどうしたの。メルク」


「わたし、殿下のいきなりの婚約解消には納得できていません。お嬢様には何の非もありませんのに」


「メルク。殿下はエレンが好きだと言っていたの。だから婚約解消にも私は応じたのよ。あんな自分の妹に横恋慕するような方とは結婚はできないわ」


「……お嬢様」


  私はメルクの肩に手を置いた。そしてきっぱりと言った。


「……メルク。私は今後も結婚はしないわ。どこか静かな修道院にでも行って巫女としてお務めを続けるつもりでいるの」


「お嬢様。まさか、わたしやマリーさんを置いて行くおつもりですか。わたしも付いて行きます。どこか、公爵家の別邸で静養してもいいと思うんです。それではダメでしょうか?」


「公爵家の別邸でねえ。そうしたいのは山々なのだけど」


「でしたら公爵領の東部にある別邸になさいませ。あそこは美しい湖がありますし。きっとお嬢様の心の慰めにもなるはずです」


「……そこまで言うんだったら東部の別邸に行くわ。でもメルク。何でいきなり東部の別邸に行く必要があるの?」


  そう言うとメルクは気まずそうに黙り込んだ。どうしたのだろうか。


「……メルク?」


「……申し訳ありません。わたし、お嬢様の叔父君のルーベンス伯爵様から命令されていて。何としてでもアリエノール様を王子殿下と結婚させろと。そのためにも東部の別邸で王子殿下とお嬢様を引き合わせる予定だったんです」


「王子殿下って。アルバート殿下とはもう無理なのはわかっているでしょうに」


「いいえ。アルバート殿下ではなく、第二王子のエルジェット殿下です。確か、お嬢様より一歳上でしたでしょうか。エルジェット殿下も承知なさったとお聞きしています」


「……エルジェット殿下は。私には親切にしてくれていたけど。そんな下心があったとはね。もういいわ。メルク。私の世話は今後しなくて結構。マリーとウィレットに明日からは頼むわ」


「本当に申し訳ありません。お嬢様」


「メルク。判断は父上に委ねるわ。お沙汰が来るまではメイド用の部屋で謹慎よ」


  冷たく告げるとメルクは項垂れながらもわかりましたと言う。そのまま、部屋を出ていく。私はなんとも言えない気持ちでそれを見送ったのだった。



  翌日、私はマリーに言ってウィレットも連れて来てもらう。ウィレットはまだ屋敷に勤め始めて3年程だけど。メイドとしては気がよく利く子だ。性格も明るくハキハキしている。信用できると思ってウィレットに身の回りの世話を頼む。最初は戸惑っていたウィレットも私の身支度を整える内に慣れてきたようだ。メルクはこの日の夕方には屋敷を出されていた。表向きの理由は体調不良によりそ暇乞いをしたとの事だが。そんなこんなでゆっくりと時間は流れて行った--。



  あれから、10年は経った。私は28歳になり公爵領の小さな神殿にて巫女として相変わらず仕えていた。もう、巫女としての任期が終わろうとしていたが。実家のフィレンツェ公爵家には戻るつもりはなかった。既に兄も騎士団長になっておりフィレンツェ公爵家の現当主になっている。妹のエレオノーラもダルベルトの実家であるウィロー侯爵家に嫁いでいた。兄は二人の娘と一人の息子に恵まれていた。エレオノーラは二人の息子を生んでいてダルベルトと今でも仲の良い夫婦だ。

  私はそんな事を考えながらもフィオーラ神の像に祈りを捧げる。しばらくそうしてから白い大理石の床の上から立ち上がった。既に季節は真夏だ。海の月から緑の月に変わろうとする頃だった。

  私は礼拝堂から外へ出た。眩しい夏の日が目に刺さるようだ。そう思っていたらガラガラと馬車の車輪の音が鳴る。こちらに向かっているようだった。そして馬車は私のいる近くに停まる。御者が台から降りて恭しく馬車の扉を開けた。中から二人の貴族と思しき男性が降りてくる。

  一人は妹の夫であるダルベルト、もう一人はわからない。初対面なのはわかった。


「……やあ。アリエ義姉上。お久しぶりです」


「ええ。久しぶりね。でもダル。いきなりどうしたの。一人で来るなんて珍しいわね」


「義姉上にいとこを会わせたくて。それで来ました」


「……いとこ?」


「はい。俺の隣にいるのがいとこのリチャードです。義姉上に挨拶をしてくれ」


  ダルベルトに促されてリチャードと呼ばれた青年が前に進み出た。エレオノーラと同じ黄金の髪と同じ色の瞳の美青年だ。


「……初めてお目にかかります。私はダルベルト殿のいとこでリチャード・クレイと申します」


「はあ。リチャード殿というんですか。で、わざわざ私に会いに来たのは何故でしょう。理由をお聞かせ願えませんこと?」


「……その。義姉上の巫女としての任期がそろそろ終わるでしょう。けど独身のままでいたらメルクの時のようになるんじゃないかと心配で。それでお見合いを思いついたんです。で、リチャードに試しに言ってみたら引き受けてくれたんです」


「成る程。それでリチャード殿を連れてきたのね。けど私はもう結婚するつもりはないわ。こんな年増で売れ残った私を娶ってくれる方はいないもの」


「義姉上。年増と言ってもまだお若いでしょう。リチャードは俺や義姉上より3歳は下ですが。しっかりしていていい奴ですよ」


  やけに熱心にダルベルトは勧めてくる。私は煩わしくなってため息をついた。


「……ダル。ここで立ち話も何だし。神殿の応接間に行きましょう」


「わかりました」


  ダルベルトとリチャードは頷いて後を付いてきたのだった。


  神殿の応接間として使われている部屋に来ると私は自分でお湯を沸かしに小さな厨房に行く。まず、大きめの鍋に水瓶からお水を入れた。それをコンロに持っていき、中央にある火の魔石に霊力を込める為に手をかざした。ぼっと火がつく。鍋を置くと棚から自家製のハーブティーの茶葉を出した。カップも出しておく。茶漉しもだが。お湯が沸くと火を消す為に再び手をかざした。火が完全に消えたのがわかるとポットを出す。その中に沸かしたお湯をおたまじゃくしで掬って少しずつ入れる。満タンになると茶漉しをカップにセットしてお湯を注ぐ。3人分したらそれぞれに蓋をして蒸らした。

  少し経ったら蓋を取る。厨房の中にハーブティーの独特の香りがたゆたう。それらをお盆に乗せて応接間に向かう。お菓子は出せないのでハーブティーだけだ。


  ドアをノックする代わりに声をかけた。すると義弟でもあるダルベルトが開けてくれる。私は礼を言うとテーブルにお盆を置く。そしてダルベルトとリチャードにハーブティーの入ったカップを置いて勧めた。二人は恐る恐る口をつける。一口飲むと気に入ったのか二口、三口と飲み始めた。二人の内、先に口を開いたのはダルベルトだった。


「……いきなり来てすみません。俺、義姉上がずっと巫女として暮らすのは心配で。ここは公爵家の領地だからいいですが。よそだと何かと物騒だし。せめて身を固めたらちょっとは安全じゃないかと考えたんです」


「心配してくれるのは有り難いけど。でもダル。私も戸締まりは気をつけているの。大きなお世話だと言いたいわ」


「……義姉上。リチャードとはまだ初対面ですけど。どうか結婚を考えてください。でないと巫女の任期が終わった後、行くあてはあるんですか?」


  私が断っても何故かダルベルトは食い下がる。どうしてそんなに焦っているのか。考えてもわからない。


「ふう。そこまで言うんだったらリチャード殿と婚約はするわ。けど結婚はもうちょっと考えさせてちょうだい」


「わかりました。無理強いしてすみません」


  ダルベルトはしゅんと項垂れながらも頷いた。リチャードもあからさまにほっとした表情になる。その後3人で話し合い、私はリチャードと4カ月間の婚約期間をもうけて結婚する事になった。仕方ないかと思う。王子と婚約解消しただけでもとんでもない傷がつくのに。しかも嫁ぎ遅れの年増となれば、普通はどこぞの後妻か愛人になれればいい方だ。年下とはいえ、リチャードはダルベルトの母方のいとこである。実家も同格の公爵家だし性格も穏やかで温厚な青年だ。私はリチャードでなかったら断っていたかもしれない。とりあえずは彼と婚約して様子を見ることになった。


  婚約してからリチャードはこまめに手紙や贈り物をしてくれた。贈り物はお菓子だったりアクセサリー類、ハンケチーフ、花束と女性が好むような物だ。たまに本やインク、ペンなどが届くこともあるが。リチャードからの贈り物は多岐に渡った。

  私もそのたびにお礼の手紙を送った。結婚を目前にしたある日、彼から珍しくショールが届いた。琥珀色といえる淡いオレンジ色のショールだ。それと髪色と同じガーネットのペンダントも一緒に包んであった。ちなみに私は実家の離れに滞在している。メイドのマリーとウィレットがショールを丁寧に畳んでクローゼットにしまってくれた。


「……お嬢様。リチャード様は筆まめな方ですね」


  そう言ったのはマリーだ。私も頷く。


「確かに言えてるわ。今回のショールとガーネットのペンダントは素敵だわ。でもガーネットのペンダントはどういう意味なのかしら」


「私も詳しい事はわかりませんけど。ショールとペンダントはお嬢様の髪と瞳の色だとは気づきました」


「そうなのよね。ちょっと2日後にリチャードが来るから。その時に聞いてみるわ」


  そうなさいませとマリーとウィレットも同意した。私はガーネットのペンダントを早速、身につけて鏡を覗き込む。髪と肌に映えていつもとは違う自分に見えた。ちょっと照れるがそれでも鏡に映る姿に見入ってしまったのだった。


  2日後にリチャードが我が家を訪問した。私は両親や兄夫婦、甥や姪達と出迎える。


「……アリエ。久しぶりだね」


「リックこそ久しぶりだわ。あの。先日は贈り物をありがとう。ガーネットのペンダント、素敵だったわ。あの日からずっと身につけているの」


「そうか。気に入ってもらえて良かったよ。ショールも夏用だから。暑くなったら使ってみてくれ」


「ええ。そうするわ」


「じゃあ。義父上や義母上達にも挨拶したいから。ちょっといいかな」


  私は小さな声でごめんと言ってリチャードの側から離れた。リチャードは苦笑しながらも両親、兄夫婦達に挨拶をする。甥や姪達は若いお兄様に興味津々だ。特に甥はまだ5歳だからか肩車をしてと頼んできた。リチャードは私の方を見た。


「……ごめん。アリエ。甥っ子さんの相手をしてもいいかな?」


「いいわよ。ルイ、リック兄様に相手をしてもらいなさい」


「はあい!」


  甥ことルイは元気よく返事をする。リチャードは私にも付いてくるように言うと庭園のガセボまでルイを連れていく。しゃがみ込んでルイを肩車してやる。ルイは嬉しそうにはしゃぐ。ガセボまで来ると降ろしてやっていた。後からルイの姉である姪のレティシアやレイシェルも来た。リチャードは意外と子供好きで我が家にやってきてはこの子達の相手をしてくれる。しかもお菓子などをくれるからリック兄様と呼ばれて慕われていた。


「……あ。アリエ伯母様。ごめんなさい。リック兄様とお話をしたいですよね。私達はこれで失礼しますわね」


  珍しく長女のレティシアが気を利かせてレイシェルやルイを連れて行ってくれた。私はこれ幸いとリチャードにガセボの椅子を勧めた。二人して座りポツポツと話をする。それは夕方まで続いたのだった。


  リチャードが我が家を訪れてから1ヶ月後に私はささやかながら結婚式を挙げた。両親と兄夫婦、妹夫婦、リチャードのご両親と兄弟達が出席してくれる。他には友人のヘレナ達もいた。

  私とリチャードに祝福の拍手が送られる。それに手を振りながら赤いバラやカスミソウのブーケを投げた。見事に受け取ったのはヘレナだった。すごく驚いていたが。心中でヘレナも幸せになってねと神に願った。結婚式の後、夜になり私はいち早く自室に戻った。マリーとウィレットがウェディングドレスを脱がせてネグリジェに着替えさせてくれる。


「このたびはおめでとうございます。お嬢様。ウェディングドレス姿、お綺麗でしたよ」


「ありがとう。マリーもウィレットもご苦労様。私、もう疲れたから。寝るわね」


「はい。お休みなさいませ」


  そう言ってから私は寝室に向かう。ベッドの端で夫のリチャードを待った。既に入浴もすませてはいる。そうして2時間程待ったのだった。



  2時間後にリチャードが寝室にやってきた。私が起きていたので驚いていたが。


「……アリエ。まだ起きていたのか?」


「ええ。何だか眠れなくて」


「そうか。俺もシャワーを浴びてくるから。待っていて」


  頷くとリチャードは私の頬を撫でてから浴室に向かう。私は待ったのだった。


  少し経ってリチャードがシャワーから上がった。相当、急いだらしく髪がまだ濡れていた。私はベッドから立ち上がると彼が持っていたタオルを取るとワシャワシャと濡れた髪を拭いた。


「……アリエ?」


「もう。せめて髪はきちんと拭いてちょうだいな。でないと風邪をひく元よ」


「ごめん。アリエが待っているのかと思うと。急がなきゃと思ってしまって」


  私はため息をついた。黙ってリチャードの手を引っ張る。ベッドに一緒に入った。


「……リック。じゃあ、もう寝ましょう」


「アリエ。夫婦になったんだから。そんな素っ気ない事は言わないでくれよ」


  私はリチャードの言いたい事がわかって一気に顔が熱くなる。そうしてリチャードは頭のてっぺんにキスをすると額にもした。唇にも降りてきて深いキスになる。こうして私はリチャードと情熱的な一夜を過ごしたのだった--。

 ー完ー

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