第5話


 僕は何度も同じ夢を見る。別に予知夢とか明晰夢とか、特別な夢ではない。過去の焼き増しであり記憶の反芻、幼い頃の僕の思い出だ。

 視点は何時も視聴者。昔住んでいた一軒家の居間で夢の中のブラウン管を通して、繰り返し繰り返し再生する。

 決まって途中で眠りから醒める。


 今見ているのは幼稚園の運動会の追憶、徒競走最下位という結果が悔しくて母さんに抱き着いて泣き喚く場面だ。父さんにも宥められて、帰り道に肩車であやされている。相も変わらず顔は見えないし僕の声以外は無音だ。


 何となしに、膨らみを帯びた画面に触れても帰って来るのは過去と僕を隔てる硬い感触だけだった。夢なんだから都合よく一人称で見せてくれてもいいのに。

 残念ながら、僕が完全に操れる夢でもないそれが叶えてくれる訳もなく諦めて、そろそろ起こされる頃だと身構える。


 けれど来ない。


 今日は休みだったかなと記憶を手繰るが違う。なら早めに寝たかと思い返すが布団に寝転がった記憶はない。何なら夕飯の記憶も。

 首を傾げて必死に思い返しているうちに、つんと鼻を突く鉄の匂いがした。夢ではあるが反射的に鼻血かと鼻に触れるが無傷だ。

 なら何の匂いかと見回していると、続きの記憶を再生していたテレビ画面が突然砂嵐に切り替わった。白と黒が入り交じり、耳障りなノイズ音を撒き散らす画面、見ていてもいいことはないのに目が離せない。


 暫くそうして固まっているとビデオが早送りされるキュルキュルとした音も加わる。


 三倍録画にも程がある時間、テープが巻かれ画面に映ったのは真新しい昨日の出来事だった。口論している二人に話しかけ、相手は人間ではなく、自分では精一杯の抵抗をして、叩き潰される。

 都合のいい多少の改竄もなく、惨めに捻られた、そんな映像。

 お陰で思い出せた。あのまま気絶したのだから寝る前のことを思い出せないのは当然だ。


 早く起きてどうなったか詳しく聞かないといけない。

 自主的に夢から抜け出すなんて初めてのことなため勝手は分からないが、定石なら高所から落ちるとか確実に痛みが生じそうなことをするか。落ちるのは怖いため却下だ。

 残るのは痛みとなるが、こちらもいきなり包丁で刺すとかは怖いため、先ずは軽く両手で気合い注入といった感じで自分の頬を引っ叩くところから始めよう。


 両の手を握ったり開いたりして、確認する。

 やりたくないなぁという我儘は押し殺して、目をぎゅっと瞑り、勢いよく叩きつ――




 ふっ、と目が開く。視界に入ったのは障子から透ける外光、見知った僕の部屋の天井に、驚いた狸の顔だった。

 ついでに肩から上全てに余計な痛みが重く座している。顔も痛いし頭も痛いし首も痛い。


「坊ちゃん! 起きましたか! ああ、手前は心配で心配で!」

「心配かけてごめんね」

「いいえ! 謝る必要はございません。無事だったのならばそれで」


 首を手で抑えながら、上半身を起こそうと布団の中で藻掻くと後ろから狸姿の証が小さい体で僕の背中を押して手伝う。背中に感じる肉球が、最後に見たあの姿は幻覚だったのではないかと思わせて来る。

 動物を人型にしたようなあの姿、人の顔ではなかったし肌は毛皮で耳も大きな尻尾も存在していた。散々狸だからと撫でまわしていたが、あれが証の本当の姿なのかもしれない。

 布団の横でちょこんと座る彼はただのお喋り狸にしか見えないけれど。


「証」

「はい、何でしょう!」

「ありがとうね。助けてくれて」


 やはり自然と手は伸びてしまい、証の小さな頭を撫でながらお礼をいうと、パチクリと円らな瞳を瞬きさせ、ふにゃっと笑う。

 夏毛なのに丸っこい尻尾に丸っこい胴、そして顔も丸っこく、表情までも丸い印象を受け、気が緩んだ。


 犬や猫が幾つになっても可愛いように証の本当の姿がおじさんであろうと今が可愛ければそれでいいや。例の姿になった場合はまた別の話にはなる。


「お礼なんていいんですよぉ。手前は坊ちゃんを好いておりますから」


 己の首を撫でていた手も使い、両手でわしゃわしゃと撫で繰り回すと、犬にも似た甲高い甘えた鳴き声をあげた。このまま耳後ろのマッサージとか足の付け根のマッサージとかもしてあげたいがグッと堪える。

 あの後に、影女や逆谷地先生がどうなったのかも聞きたいから。


「僕が気絶したあとの話が聞きたいんだけれど」

「全ての報告は山本様に行きますから山本様に聞いた方がよろしいかと」

「それもそっか」


 撫でる手を止めて、固まった首を回す。


 サンは些か僕に対して何かを重ねている節があるから、多少の小言はあるだろう。覚悟していかないと。何のために超常存在オカルトへの最低限の知識を叩き込んだのかといわれるに違いない。

 勿論、長ったらしいその授業は、巻き込まれそうになったら逃れるためというのは理解している。しかし今回に限っては何も参考にならなかったし、相対してからでないと妖怪だということすら気付かなかったので言い訳ぐらい許して欲しい。


 後のことを考えて溜め息を吐いていると証が不意に、あっ、と声を出す。


「どうしたの」

「坊ちゃんが起きたら山本様に報告しろといわれていたのを思い出しまして、呼んで参ります」

「ああ、そういう……僕の方から行こうと思ってたしいいんじゃない?」

「いえいえ、怪我人を動かす訳には参りません」


 ちゃっちゃっと爪の伸びた動物の足音を立て、鼻先で器用に障子を開けて出て行く。話が終わったら切ってあげないとなと思いつつ、僕からサンにする説明を頭の中で整理し始めた。




 数分後、障子に大柄な影と狸の影、その更に後ろに同程度の背丈な女性二人の影が差す。サンに証、女性の片方は影女だろう、伝承通りの姿の出し方だ。とすると女性のもう片方は逆谷地先生だろうか。

 絶賛真っ昼間、教育実習は大丈夫なのかと思うが、昨日の今日で外を歩くのは控えた方が無難だなと自己完結する。


「入るぞ」

「どうぞ」


 短く返事をすると障子が横に滑り、予想通りの人達がぞろぞろと部屋の中に入って来た。証の影が人型の女性のものになっているのを見ると、影女はそこに入り込んだようだ。


 四者の中で、申し訳なさそうな顔で僕を見つめる逆谷地先生に、大丈夫だと手を軽く振る。余計に苦しそうな、苦虫を噛み潰したような顔をされてしまった。

 確かに僕も助けてくれた相手が怪我をして、大丈夫とかいってきたら自責の念に苛まれるけれど、僕に限ってはサンがすぐ治してくれるから本当に気にしないで欲しい。


 願いとは裏腹に場の空気が少しばかり重苦しさをはらんで、布団の傍に皆が座る。

 こんな雰囲気が続くのは避けたいという思いで会話の先手を打とうと口を開きかけたとき、逆谷地先生が重々しく頭を下げた。


「稲生君の保護者の方には繰り返しになってしまいますがこの場にてもう一度皆様にお詫び申し上げます。巻き込んでしまって、本当に申し訳ありませんでした。どう、償えば良いでしょうか」


 望んでいない謝罪の言葉に思わず顔が引き攣る。

 逆谷地先生を見かけて、助けを乞われた訳でもないのに間に入ると決めたのは僕だし、一緒には逃げず時間稼ぎすると判断したのも結局は僕なのに。


 サンも同じことを思って謝罪を受け取らないと思っていたが、難しい顔をして僕の顔を見ている。弱いのに首を突っ込んだ僕が悪いぐらいの小言をいわれると考えていたが何だか様子がおかしい。

 助けて証、とまた視線を変えるが首を横に振られた。更にその先、床を伸びる女性の形をした影へと目を向けるも反応はない。


 自分で何とかしないといけないんだなと詰まる喉を咳払いで抉じ開けて言葉を紡ぐ。


「頭をあげてください逆谷地先生、先生は悪くないんですから」

「そういう訳にはいきません。あれは私とあの人の問題で、間に入って、逃がすタイミングはあったのに私はそれをしなかった。本当なら合わせる顔もありません」


 堅い敬語で返された。距離の広がった相手の説得方法を、手の平を揉みながら考える。

 適当に繕っても後の話にどんな影響があるか分からないし、真面目な相手を茶化して話を濁すこともしたくはない。


 悩む。悩んで決めて、口を開く。


「先生、僕は僕のために善いことをしたかっただけなんです。両親に恥じない人間になれるように」


 事実、両親は優しかった。葬式に沢山の参列者が来るほど。広い祖父母の家を使ったのに狭苦しく感じたのを今でも覚えている。


 僕はそれほど慕われたい訳ではない。自分の手の届く範囲で満足だ。

 今回のことはただ手の届く範囲に先生がいただけで、僕も先生も悪くない。強いていうなら顔だけ触腕女が悪い。


 生前の罪を裁くという閻魔様も流石にこのことを詰ることもないだろう。


「だから謝らないでください。先生」


 目を合わせるために床についた逆谷地先生の手を取り、頭を無理矢理上げさせる。

 真っ直ぐ見据えた彼女の黒い目は罪悪感で濡れていた。


「どうか僕を、貴方を助けた善い人でいさせてください」


 もう父母の顔も声も思い出せない親不孝者の黄泉路を善行で舗装させてください。


「あっ、あぁっ……! わかりました……っ……あ、ありがとう、ございました……っ」


 僕の手を両手で握り返して、せり上がった感情を堪えるように時折声を詰まらせる。


 ようやく先生の謝罪以外の言葉を聞くことが出来た。


 難しい顔を解いたサンが一つ開手を打つ。暗鬱とした雰囲気が散り、肩に乗っていた重さが抜けた。


「さて、この話は終いだ。今からはお前達を襲ったのは何だったのか、そしてこれからの話をしよう」


 この話が一番聞きたかった。

 けれど横にいる逆谷地先生は許しを得たものの未だ切り替えきれずにいるようで、表情は沈んでいた。

 まあ時間が解決してくれることだろうと楽観的な思考で一旦締め、再度サンを見る。


「逆谷地は色々と疑問はあるだろうが昨夜話した通り妖怪というものが存在する、ということだけ呑み込んでおいてくれ」

「分かりました」

「じゃあ最初は証が潰したあの妖怪のこと教えてよ」

「ああ、アレはだな」


 一番聞きたかった質問を投げかけると、視線を動かして焦らすように一拍置く。そして深く一呼吸して申し訳なさそうな顔をした。


「……不甲斐ないことに全く分かっていない」


 サンなら知っているだろうという根拠のない信用があったために、口を衝いて疑問が飛び出しそうになる。

 話の腰を折る訳にもいかないので堪えはしたが、きっと表情に出ていたのだろう。僕の方を見て話を続けた。


「近年で生まれたか、もしくは……いや、取り敢えずではあるが妖力の型に心当たりはある。故にそこから調べることに決めた」

「坊ちゃんは何か会話を交わされたりしていませんか?」


 何かを言い淀む仕草。いいかけたことを気になりはしたが一旦頭の端に追いやり、後に続いた証の言葉に昨日の事を思い返す。

 しかし数回言葉は交わしたものの会話が成り立った覚えはあんまりない。彼女は自分の話したいことを投げるだけ投げて受け取ろうとはしなかったから。ああいやでも、殴られる前の会話ではきちんと返してくれたっけ、そのときは確か。


「しんのっていってたっけ」

「何と聞いて返ってきた言葉だ」

「えぇっとぉ……名前だったかな」

「そうか、そうか……」


 表情がみるみるうちに歪んでいく。思いっきり心当たりがドンピシャだった顔だ。

 取り繕う余裕もなさそうに蟀谷を指で押さえて溜め息を深く吐いて、今はまだ気にするなとだけ返される。

 一体どんな相手なのだろうか。


 詮ない思議が頭を巡り、僕の弱い頭は煙をあげた。自慢ではないが僕の国語と歴史と体育以外の成績は低いんだ。


 そして勝手に煙を噴いた僕は頼りにならないと思われたのか、この場の聴取は先生の方へと移った。


「逆谷地殿は何か知っておられますか」

「特には……友人とかでもなかったので」

「えっ? あの人知らない人だったんですか?」


 所謂ストーカーというやつだろうか、癲狂染みた執着は確かに見て取れたが妖怪もなるものなのだろうか。


「何といえばいいのやら……暫く前に声をかけられて以来、事あるごとに追いかけられていて……」

「本当にストーカーだった。いやでも何回か話したことのあるような口振りでしたよね」

「ええ、何度かは。最初は本当に偶然だと思っていたから」

「思い出すのは辛いでしょうが何か手掛かりになることはありませんでしたか?」


 問われた逆谷地先生は手を擦り合わせて幾度か視線を彷徨わせ、古い記憶を引っ張り出し始めた。

 一つ一つ、照らし合わせる風な話し方で語られる会話の内容は差し障りのないものしかない。寧ろ聞いている限りでは、あの執心を出し始めるまでは異様に折目正しい態度だと思える。それがああなっただなんて、猫を被っているだなんてレベルではない。


 僕が相対したときは既に化けの皮は剥がれ、私に選ばれただの時間をあげるだのあからさまに自分は特別だという思考が滲み出ていた。

 強い妖怪ならそういうところも多少はあるのかもしれない。けれどまだこれから人が通るかもしれないという道路のド真ん中で身体的に正体を現すという行動がどうにも浅慮で、本当にあれがサンの危惧する相手なのだろうか。


「聞く限り見た目も性格も例の心当たりとは似ても似つきませんなぁ……おっとと」


 考えるのに疲れた証が、後ろ足で耳辺りを掻いて、後ろに転げたところを影女に支えられた。

 正直僕も疲労感は感じているが、それ以上に心当たりとやらが気になるので聞こうかなと思っていると、難しい顔をしていたサンが先に口を開く。


「よし、これ以上は話すだけでは埒が明かない。話をもう一つのことに切り替えよう」

「これからのこと?」

「そうだ。まず港、お前の心意気を今一度確認しよう」


 真剣な顔をしてこちらを見据える目は前と変わらぬ有蹄類の瞳孔だ。初めて会ったときにも見た横長の瞳は、人型をしているのに人間とは明確に違う証左。半生とはいわずとも長く共にいたお陰でこの目にも慣れた。苦手だったころが懐かしい。


 視線は僕の中に潜り込み、こちらの真意を見透かそうとする。


「逆谷地維を守りたいか」

「そりゃ首突っ込んだし……」

「見捨てたとてお前に被害が被ることはなくともか」

「寝覚めが悪くなるじゃんか」

「危険だぞ」

「サンが守ってくれるから」

「守れないときもある」

「そのときは……どうしようかなぁ。僕が出来るだけ頑張るしかないよね」

「諦めれば楽だぞ?」

「出来ないよ」


 執拗なまでに問い返される。しかしながら改めて聞かれても何度確かめられても変わることはない。だって嫌だよ。僕以外が死ぬのは。また思い出せなくなってしまう。


 やや置いて、彼は諦めたように笑って無骨な大きな手でガシガシと僕の頭を撫でる。馬鹿力だけれども落ち着く手だ。痛めたばかりの首を労わって欲しくはあるが。

 でも僕に対して譲歩してくれたのはありがたい。


「あ、あの……私は……」

「余計なお世話でしたか?」

「い、いえ! そうではないのだけれど……このままでは迷惑になってしまうから」


 だが渦中の人物である先生はおずおずと遠慮がちに断ろうとする。気にしなくてもいいのにどうにも生真面目な人だ。だからこそ狙われてしまったのだろうか。


「ふむ、なら家の中で何か手伝って貰おう。証の手伝いなり我の手伝いなり仕事はある。外に出す訳にはいかないがな」

「外出出来ないとなると教育実習とかどうなるの?」

「影法師に任せる。いや、今日から既に任せてある」

「あー、えっと、ドッペルゲンガー!」

「おっ、よく覚えていたな。偉いぞ。勿論記憶の共有はさせるから安心して欲しい」

「すみません。本当に……何から何まで」


 ようやっと話し合いは終わりそうで、一息つく。でも何かを忘れている気はする。何だろうか。


 昨日のこと、昨日持っていたもの、木槌……は部屋を見回したら鞄の近くにあった。ついて鞄も必然に忘れているものではない。制服は壁にかけられている。弁当箱は影女に持たせてたから彼女が出した筈だ。

 他、他には、と手さぐりに巻き戻していく。夢の中のブラウン管のように自由自在だったらいいのに。


 首を捻り頭を捻り、どうにかこうにか思い当たって、勢い余って口を衝く。


「自転車!」

「うおっ、どうした。自転車なら表にあるが壊れているぞ」

「そうだよ! 明日からどうやって学校行けばいいの! 最寄り駅徒歩二時間は嫌だよ!」


 僕の寝起きの問題で、駅までのバスは乗れる気がしないので必然と徒歩になる。昨日よりも更に早く起きろというのは無理難題、僕にとっては百夜通いよりも難しいことだろう。


 妖怪化しているとか朝の股間攻撃をわざととかいってごめんなさい。僕には君しかいないんだ。直ってくれ。

 到底叶えわないことを願いながら頭を抱える。しかし次のサンの言葉で余計頭を抱えることになった。


「何をいっている。行かせんぞ。お前も影法師の記憶詰め込み教育だ」

「えっ? 何で?」

「守りたいのだろう? なら力を付けねばなるまいよ」

「確かにそうはいったけど……」

「指南は無論人間の戦い方を知っている者に任せる。我等は動物上がり故にな」


 何も聞いてない。そんな大事なことは先にいって欲しい。先程までぐっすり寝ていたのは僕でしたね。

 少し前の問答は何だったの。散々揺さぶりかけてきたのに元から決めてたんじゃん。


 衝撃的過ぎた突然の話に思考が溢れ、酸欠の魚のように口をパクパクと開閉させる。

 そして何とか捻り出した言葉は。


「男子高校生の青春を何だと思ってるのさぁ!」

「わっはっは!」

「わっはっはじゃないよぉ!」

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妖怪と暮らしてます。但し2m超え、ついでに男 吉凶未分 @552345omikuji

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