本編

「それではこれで終わります。みんな、明日からの夏休み、あまり羽目を外さないように」


 担任の挨拶が終わるとともに、次々と教室を出て行く児童たち。

 その中で横山猛は、クラスメイトの木村蓮と真剣な顔で話し込んでいる。


「だから、そんなの、ただの噂だよ」


「それが、そうでもないみたいなんだよ。実際、そのユニフォームを着た幽霊を見たって言う人が何人もいるようだし」


「ぼくはカープの初期の頃のユニフォームなんて見たことないし、そもそも、なんで幽霊がそんなの着てるんだよ」


「それはぼくにもよく分からないよ。でも、さっきも言ったように、毎年7月22日の夜10時ちょうどに、それを着た幽霊が広島ゲートパークに現れるのは本当らしいんだ」


 広島ゲートパークとは、カープの前の本拠地である広島市民球場の跡地にできた、公園と商業施設が一体となった市民公園で、球場のマウンドにあたる場所にピッチャープレートが埋め込まれている。


「7月22日って、あさってじゃないか。じゃあ、蓮君、あさってそこへ行って確かめてみてよ」


「いや、ぼくは遠慮しとくよ。本当に幽霊が出たら怖すぎるからさ」


「それじゃ、もし幽霊が出たとしても、実際に出たかどうか確かめようがないじゃないか」


「そんなに言うんなら、猛君が行けばいいじゃん」


「行かないい。ぼくは幽霊なんてまったく信じてないんだからさ」


「そんなこと言って、本当は怖いんじゃないの?」


「違うよ! ぼくはこの世に怖いものなんて一つもないんだから!」


「じゃあ決まりだね。もし本当に幽霊が出たら、証拠として写真を撮ってきてよ。じゃあね」


「あっ! ちょっと待ってよ!」


 猛の静止も聞かず、蓮は逃げるように教室を出ていった。


(冗談じゃないぞ。そんな心霊スポットに一人でいくなんて、いくらなんでも怖すぎる)


 先程は強がって見せたが、猛は普通の小学四年生と同じように、お化け、幽霊の類が怖くてたまらなかった。

 家に帰ると、猛は父親に事情を話し、一緒に行ってくれるよう迫るが、彼は疲れるからと拒否し、代わりに祖父の次郎をあてがう。

 猛はもし本当に幽霊が出た場合、次郎だと頼りない気がしたが、一人で行くよりはマシだろうと渋々承知する。



 二日後の夜、猛は一抹の不安を抱えながら、次郎と共に市内電車に乗って、広島ゲートパークに訪れた。

 中に入ると、二十前後ある商業施設の明かりはすべて消えており、一部の電灯がある場所を除き、公園全体が暗然としていた。


(うわあ、なんかいかにも幽霊が出そうな雰囲気だな……やっぱり、こんな所来るんじゃなかった)


 猛はそんなことを思いながらスマホの地図アプリを開き、幽霊が現れると噂されているピッチャープレートが埋め込まれている場所へ、次郎と共に向かった。

 程なくしてそこへ着くと、時間はちょうど9時50分になったところだった。

 二人はそこから少し離れた所にあるベンチに座り、様子を窺うことにした。


「ねえ、おじいちゃん。幽霊なんて、本当にいるのかな?」


 猛が不安げな顔で次郎に訊ねる。

 その瞬間、次郎はいたずら心が働き、猛の顔をまじまじと見る。


「お前が怖がると思って今まで言わんかったが、わしはいると思う。その根拠は、幽霊があそこに出るからじゃ」


 次郎は恐怖を演出するため、いつもより少し低い声でピッチャープレートを指差す。


「えっ、それって、どういう事?」


 戸惑いの表情を見せる猛に、次郎は内心ほくそ笑み、大きく息を吸った後おもむろに話し始める。


「わしは幽霊の正体は、昔ここが球場だった頃に投げていた投手だと睨んどる。猛は知らんと思うが、昔の投手は今のような分業制じゃなく、先発、中継ぎ、抑えの全部をこなすのが当たり前じゃった。そんな使われ方をしたもんじゃから、多くの投手が肩や肘を壊し、若くして引退を余儀なくされたんじゃ。それが基で今の制度に変わったんじゃけえ、今の投手はみんなこの人たちに感謝せんといけんのじゃ」


 衝撃の事実を知って目を丸くする猛に、次郎は更に話を続ける。


「今日7月22日は球場が完成した日なんじゃ。その頃のカープは貧乏球団でな。球場を建てるのに金が足りんかったけえ、方々から寄付を募って、ようやく完成にこぎつけたんじゃ。そういう背景があるけえ、投手はみんな無理をせざるを得んかった。その結果、投手としての寿命を縮めたわけじゃが、ほとんどの投手は後悔しとらんはずじゃ。なぜなら、チームに貢献できたことを誇りに思うとるからじゃ。逆にチームの犠牲になったと思うとる奴が、恨み言を言うために幽霊となって毎年この場所に現れるんじゃ」


 言い終わった後、満足そうな表情を浮かべる次郎に、猛は体を震わせながら反論する。


「そんなことあるわけない。おじいちゃん、変なこと言わないでよ」


「お前がどう思おうと勝手じゃが、そう考えるのが一番自然じゃ。あと、わしには、その幽霊がどんな恨み言を言うのかも想像できるしな」


 自信ありげな表情を見せる次郎に、猛は怪訝な目を向けながら、「何て言うの?」と訊ねる。

 すると次郎は急に真顔になり、猛に近寄りながら「『もう一度マウンドに立ちたかった』じゃ」と、耳元で囁く。

 その直後、猛は全身の力が抜けたかのように、その場にへたり込んでしまう。


「猛、このくらいで腰を抜かしとる場合じゃないぞ。どうやら、その幽霊が現れたみたいじゃ」


 次郎が観ている方向に、猛は恐る恐る目を向ける。

 すると、深々と帽子をかぶったユニフォーム姿の幽霊が、ゆっくりとピッチャープレートに向かっているのが見えた。


「うわあ! 出たっ!」


 カッと目を見開き絶叫する猛とは対照的に、「あのユニフォームは間違いなくカープの初期の頃のものじゃ。わしは子供の頃よく試合を観に行っとったけえ、よう憶えとるんじゃ」と、次郎はまったく怖がる素振りを見せない。


 猛はすぐにでも逃げ出したい気持ちだったが、幽霊の動向を観ているうちに、ある違和感を覚える。


「あれ? あの幽霊、足があるぞ」


 猛の言葉を聞いて、次郎はさも今、気付いたような顔をする。


「ほんまじゃ。じゃあ、あれは一体誰なんじゃ?」


「誰か分からないけど、あれは幽霊じゃなくて人間だよ。おじいちゃん、さっきからずっと僕を驚かすようなことばかり言ってたけど、やっぱり幽霊なんていなかったじゃないか」


 頬を膨らませながら抗議する猛に、次郎は「まあ、そう怒るな。本当はお前もあれが幽霊じゃなくて、ホッとしとるんじゃろ?」と、ニヤニヤしながら返す。


「それはそうだけど……それより、あの人は幽霊じゃないことが分かったし、もう帰ろうか?」


「いや。せっかくじゃけえ、あの人物が何者なのか、直接本人に訊いてみよう」


 そう言うと、次郎は猛を置いてピッチャープレートに向かって歩き出す。


「ちょっと待ってよ! 僕も行くから!」


 猛は慌てて次郎を追いかけ、彼の後ろに隠れるようにしながら、二人はそのまま謎の人物に近づいていく。

 程なくしてピッチャープレート付近まで来ると、次郎は男性の背後から声を掛ける。


「あのう、ちょっといいですか?」


 すると、男性はゆっくりと振り返り、帽子を取りながら「私に何か用ですか?」と、怪訝な顔で返す。

 すっかり禿げ上がった頭と、顔に刻まれた無数の深い皺から、男性は次郎と同世代と見受けられる。


「つかぬことを訊くが、あんたは一体何をしに、ここへ来たんじゃ?」


「ああ、そのことですか。では説明をする前に、まずはこれを見てください」


 男性はかばんを地面に置き、中から遺影を取り出す。


「これは二十年前の今日、事故で亡くなった私の妻なんですけど、彼女が死んでからずっと毎年この日に、この場所で冥福を祈ってるんです」


「なぜ、ここでやるんじゃ? 普通は仏壇や墓でやるもんじゃろ」


「妻は熱狂的なカープファンで、彼女が生きていた頃はしょっちゅう二人で観に来ていました。子供のいない私たちにとっては、ここで野球を観戦することが人生で最高の楽しみだったんです」


「なるほどな。それで球場が無くなった今も、こうして訪れとるわけなんじゃな」


「ええ。無論、仏壇やお墓でも供養してますけど、二人の思い出の場である、ここだけはどうしても外せなくて……」


「そのユニフォーム、球場が完成した当時のものじゃろ? そんなの、どこで手に入れたんじゃ?」


「実は私こう見えて昔カープでピッチャーをやってまして、これはその頃に着用していたものなんです。と言っても、結局ケガをして一試合しか投げられなかったんですけどね」


 図らずも、自分の言った作り話が当たったことに次郎は内心戸惑いながらも、猛の手前そんな素振りは見せられない。


「そういう事か。これですべて謎は解けたな」


「謎って、なんですか?」


「それについては、こいつに訊いてくれ」


 次郎は詳しく説明するよう、猛に促す。


「実は、おじいさんのことが噂になってて、それを確かめるために、僕らは今日ここに来たんだ」


「噂?」


「うん。毎年7月22日の夜10時に、初期の頃のカープのユニフォームを着た幽霊がこの場所に現れるって噂なんだけど」


「はははっ! まさか、そんなことになってるとはね。もしかすると、こんな夜遅くに来ることが、そういう誤解を招いたのかもしれないな」


「そういえば、なんでこの時間に来るの?」


「別に深い意味はないんだ。ここの商業施設のほとんどが夜の9時に終わるから、もうこの時間には客はいないと思ってね。やっぱり、こういう姿はあまり人に見られたくないからさ」


「でも、そのせいでこんな噂が立ったんだから、ここへ来るのは昼間にした方がいいんじゃない?」


「そうだね。じゃあ、来年からそうするよ」


 そう言って立ち去ろうとした男性を猛が慌てて呼び止める。


「ちょっと待って! 悪いけど、写真を一枚撮らせてもらってもいいかな? それをおじいさんが幽霊じゃなかった証拠にするからさ」


「ああ、いいよ」


「ありがとう。じゃあ、ピッチャープレートの上に立ってもらえるかな」


 猛は男性がその位置まで行ったのを確認すると、「じゃあいくよ。はい、チーズ」と言いながら、スマホをタップした。


『カシャ』


 撮り終わると、猛はすぐに画像を確認する。


「うん。ちゃんと全身が写ってるし、これなら大丈夫だな」

 

 満足そうな表情を浮かべる猛を尻目に、男性は入場口に向かって歩き出した。


「おじいさん、バイバイ」


 猛は無邪気に手を振りながら男性を見送っていたが、程なくしてあることに気付く。


「うわあ! おじいちゃん、あれ見て!」


 猛の叫び声を聞いて、次郎が彼の指差す方向に目を向けると、さっきまでちゃんとあった男性の足が無くなっており、上半身だけが宙に浮いたまま闇の中へと消えていった。


「やっぱりあれは幽霊だったんだよ!」


「そんなはずはない。さっきまでちゃんと、わしらと話しとったじゃろうが」


「じゃあ今観たのは、なんだったの?」


「恐らく光の加減で足が消えたように見えただけだと思うんじゃが……あっ、そういえば、お前さっき写真を撮ってたな。ちょっと見せてみろ」


「うん」


 猛はスマホをタップし、先程写した男性の画像を次郎に見せる。


「こ、これは……」


 そこには、ピッチャープレートの上に浮いている男性の上半身だけが写っていた。



  了


 


  



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もう一度マウンドに立ちたかった 丸子稔 @kyuukomu

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