息をする音
最終話
卒業するまで志崎くんは同じ学校に居た。
あの大雨のあと、しばらく学校を休み、また登校し始めたのだ。
ぼくのせいだった。
そしてそれから、志崎くんは卒業するまでほとんど学校を休まなかった。中学生になったあとも、毎日隣のクラスの志崎くんを見かけている。
ぼくはあいかわらず教室の透明だった。ぼくの人生においてはあの日の一瞬だけ透明ではなかったけれど、透明でいなければならないように思えたし、もうどうすればいいのか分からなくなってしまった。
休んだクラスメイトにプリントを届けにいく役割もない。あいかわらずクラスメイトたちはぼくに当たり前に優しくて、ぼくは辛さを感じることも許されないまま透明をまっとうしている。
終礼も終わり、誰よりもはやく教室から出て行きたかった。それが仇となり先生に声をかけられてしまう。
ぼくは静かに先生の後ろを歩いた。頼みたいことがある、と言われたぼくは、面倒さより選ばれた嬉しさに浮ついてしまっている。「喜んで頼まれます」なんて云えば、先生は苦笑いをするだろうから、ぼくはぐっと息を止めた。
一階分の階段を降りると、職員室がある階に着く。廊下で待たされていると、先生は職員室から数冊の本を持ってきてぼくに手渡した。
ぼくはカバンを職員室の隣の事務室に預け、図書室に向かう。どれも六時限目の授業で使われた覚えのある本だった。中学生になってから久しく本を読んでいないので、どれか一つ借りようかと考える。
しかし、授業に使われた本を借りるのは、真面目ぶっていると思われやしないだろうか。透明なくせに人目を気にしている自分に気付いて、くらりと頭が揺れる心地がした。
図書室に着いて、カウンターの図書委員に本を手渡す。
学ランをだらしなく開けて横柄に座る図書委員は、志崎くんだ。呆けていて気付かなかった。
あの大雨の日からぼくたちは、いや、ぼくは、ひと言も志崎くんと交わせずにいた。ぼくは志崎くんを、置いてけぼりにしてしまったからだ。
「満島、ひさしぶりだね」
志崎くんから話しかけてもらえるとは思わず、ぼくは言葉を詰まらせてしまう。
志崎くんは手際よく、カウンターの隣の置かれた棚からカードを取り出して、返した本と見比べ、本の一番後ろのポケットへ差し込んでいく。
ぼくは情けなくも立ち尽くしていた。
返事をしないといけないことは分かるのに、どうにも頭も舌も回らないのだ。
「満島は、まだおれのこと友だちだと思っている?」
ぼくは咄嗟に頷いた。頷いたあとに後悔した。志崎くんはぼくのことを恨んでいるかもしれないのに。どくどくと、焦燥が心臓を打つ。
志崎くんは、それでも透明なぼくを見つけてくれるのだ。
ぼくはもう、透明なままではいたくなかった。
糾弾されようと、透明でいるよりぼくはぼくでいられる。
「一緒に帰ろう、志崎くん。君に謝りたいんだ」
志崎くんは立ち上がり、ぼくが持ってきた本を抱えてカウンターから出た。
「もう一人の図書委員が来るまで待っていて」
立ち並ぶ本棚に向かう志崎くんの上履きは、志崎くんの踵をしっかりと包み込んでいて、ようやくぼくは呼吸を思い出した。
少年避行 永井義孝 @nagataka0217
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