調彩師は虹の色に夢を見る

 調彩師でも請け負うには荷が重いと思われる依頼。出かける前にできるのかと問うアルガに対して、レムリアはただ笑って言った。


「私はできることをやるだけ。それにね、人は色にさまざまな認識を抱いているでしょ。赤い色を見れば嫌でも活気を思い出す。青を見れば冷静さをどこかしら思い出す。大地の恵みと色が褪せてしまった感情を取り戻してくれるよ」


 そうして始まったのは材料の収集。レムリア、アルガとイラル、ベリルとそれぞれ分かれて必要なものを集めていく。なぜ自分も巻き込まれなければならないのだと思ったが、希望に満ちた少年の視線とにこにこと笑うレムリアを見て、アルガは早々に拒否権を放棄した。


 アルガとイラルは市場を回り、必要な物を購入してから一息つくことにした。噴水の縁に腰掛け、アルガは露店で売られていた果実の飲み物をイラルに手渡す。あちらこちらを見て回っていたために、少しだけ少年の活気は影を潜めていた。 

 飲み物を口にして、イラルはぽつりと問うた。


「アルガさんはレムリアさんの傭兵さんなんだよね」

「今はな。何か気になることがあるのか?」

「レムリアさんって、どんな人?」


 澄み切った視線が脳裏に蘇る。普段は天真爛漫、もといおてんば娘のレムリアであるが、時折あのような窺い知れない姿を見せるのだ。それに調彩師を騙る事件はどの地域でもちらほら耳に入る。


 流れの調彩師に依頼するなど基本的には無謀な行為。今回の件など詐欺師にとっては鴨が葱を背負しょってくるようなものだ。

 詐欺師は藁にもすがる思いで依頼してきた者に、治るかどうか保証できないまま高額な依頼料を求め、治療と称した処置をする。噂が立ってもそういった詐欺が消えないのは、色喰みがもたらす症状に苦慮しているためだ。


 どことなく不安そうな表情を浮かべる少年を見て、アルガは軽くため息をついた。


「今更それを聞くのか?」

「……わかってる。自分でもバカだなって。でも、調彩師がこの町に来ているらしいって聞いたら、いてもたってもいられなくて……どうしようもなくて……」


 聞けば、人のいい父親は騙されて借金を背負わされたらしく、そのまま遠くの地に出稼ぎに行っているのだという。家を今支えているのは兄であり、彼がこのような状態になっている現状はもうこの一家に後がないと言っていい状況だった。また騙されるかもしれない選択をしたことを後悔しているのかもしれない。

 沈む少年に対して、アルガは端的に事実だけを述べる。


「レムリアはああ見えて腕のいい調彩師だ。面倒臭いが、自分なりの矜恃きょうじも持っている」


 アルガの言葉にイラルはパッと顔を上げた。驚いた顔がみるみると笑顔に満ちてくる。


「……そっか。アルガさんが言うなら、間違いないよね」

「……何を根拠に」


 少年の根拠のない自信たっぷりな発言を聞き、アルガは眉間に皺を寄せる。そんな反応など意に介さず、イラルは立ち上がった。


「俺のこと考えて、こうやって休憩入れてくれるところ。休んじゃってごめんなさい」


 もう少しだから頑張る、という少年に促されてアルガは仕方なく立ち上がった。再び市場を回り、程なくして家に帰ると材料は集まった。


 コトコトと鍋が煮立つ。室内が甘い香りで満たされる。

 微かに歌を口ずさみながらレムリアが鍋をかき混ぜ、透明な液体を丁寧に煮詰めていく。小分けにされたそれに入れられるのは果汁や香草のエッセンスだ。彼女が紡ぐ歌はどこか柔らかい。いつもと違う光が彼女の周りに満ちていた。まるで見たことのない光景に親子は茫とした様子で見つめつつも、あれこれ指示を出されてはそれに応じた。


 見た目に彩りを与える天然の着色料を入れれば美しい色が生まれた。型に流し入れて固まるまで待つ。

 そうしてかき集めた材料から出来上がったのは、それぞれ味が異なる七種類のドロップだ。透明から半透明のドロップたちは光にかざせば煌びやかな色を落とす。瓶に詰めれば心躍らせる色彩が生まれた。


「わあ……イリス様の色だ」


 受け取ったイラルは嬉しそうに両手でそれを光にかざし、ほうとベリルもため息をついた。そんな二人を見てレムリアは微笑む。


「さあ、お兄ちゃんのところに行きましょうか」


 皆で部屋に戻ると兄はベッドに伏せっていた。声をかけてどうにか体を起こすと、レムリアはイラルに声をかける。


「まずは赤のドロップ。大丈夫だったら次はオレンジ色のドロップを口に入れてみて」


 イラルは頷くと兄の口もとにオレンジ色のドロップを寄せた。薄く開いた口にころりと飴が入り込んだ。そのまま特に何も起きず、沈黙が部屋を覆う。長い沈黙を経て、変化はなさそうだと皆が思った時だった。


 からりと微かに音が響いた。それは微かで聞き逃してしまいそうなか細さ。しかし、それは続けて聞こえてきた。


 からから。ころころ。


 飴が口の中を転げている微かな音だ。口もとがわずかに動いているのを認めてイラルとベリルは目を見張る。そう、彼は微かな笑みを浮かべていた。家族が話しかけても食事を口に含んでも反応しなかった彼が、わずかに感情を見せたのだ。


「お兄ちゃん、笑ってる!」

「ええ……!」


 美味しい?と続けてイラルが問いかける。それに対する応答はないが、それでも兄がわずかに浮かべる感情に高揚を隠せない様子だ。口もとが緩やかに綻ぶのを見届けて、次いでオレンジ色のドロップを口もとに寄せた。

 同じように青年は穏やかにドロップを食む。二つのドロップを食べ終えたところでイラルはレムリアに向き直た。


「ねぇ、次は何色?」

「今日はここまで」


 矢継ぎ早に返された言葉に少年はえっと声を上げる。なんでと問う少年に向かってレムリアは笑った。


「ちょっとずつ、ゆっくり確実に。心が乱れたら、上手くいくものも上手く行かなくなっちゃう」


 そう言うやいなや、彼女はイラルの口にむんずと藍色のドロップを押し込む。受け止めた彼はころころと口の中でドロップを転がすと、こくんと頷いた。


「うん、そっか。そうだね……」

「できるだけでいいから一緒にいて、たくさん話しかけて。楽しい話ならなんでもいいから」


 レムリアの言付けにもイラルは素直に頷く。

 時間が欲しい。ドロップを作る前にそう言ったレムリアの姿がアルガの脳裏に蘇る。

 調彩は決して万能ではないからと彼女は言い、この町へ数日の滞在延長を希望した。原石を愛でている時とはまったく違った真摯な表情だった。契約主の意向なのだから確認の必要はないとアルガが了承の旨を伝えれば、レムリアはとても嬉しそうに笑った。


 そんな経緯で街に滞在し、彼の家に通って四日目。一つ目は紫、次に赤のドロップを口に含ませる。これで色は一周回ったということになる。赤のドロップを口に含んで転がす様子を親子は緊張した面持ちで見守った。


 それは唐突だった。


「……かあさ、ん。……イ、ラル……?」


 それは吹けば消えてしまいそうな声。それでもその声をイラルとベリルは聞き逃さなかった。わっと歓声が上がる。


「声が、出た……!」

「お兄ちゃん、俺たちのことわかるの!?」


 色と大地の恵みが褪せてしまった感情を取り戻してくれる。その言葉に相違なく、わずかであるが感情を動かせて見せた。

 その光景にアルガも息を飲む。些細な反応でも嬉しいのだろう、イラルは目を輝かせていた。ベリルは感極まって肩を震わし、深く頭を下げる。


「本当にありがとうございます……!」


 レムリアはふわりと笑い、持っている七色のドロップが入った瓶をベリルの手のひらに乗せた。しっかりと受け取ったのを確認して、両手で瓶を持つ手を包む。


「大切なのはこれからです。今までのように一日に二つ、なくなるまで順番にドロップを食べてもらってください。それとたくさん声をかけて、話をしてください。時間はかかりますが、状態はよくなっていきます」

 

 レムリアと母のやりとりを聞いて、イラルがパッと視線を向ける。先ほどまであった笑顔が途端に影を潜める。それを見たレムリアは申し訳なさそうに笑った。


「ごめん。私も行きたいところがあるんだ」

「そ、そうだよね。でも……」


 そこまで言いかけて、彼は母に視線を向ける。ベリルは断りを入れて部屋に後にし、何かを持って戻ってくると頭を下げた。


「すみません。見合う金額ではないと思うのですが。今は、これしかお渡しできなくて」


 数日前、息子がしたように母もまた布の袋をレムリアに差し出す。

 レムリアとアルガは目的地へ行くために町に立ち寄っただけだ。ここを再び訪れる約束は安易にできないと親子にも伝えてある。だからこそ、いまここで手渡せるものが彼らの最大限の誠意だった。

 長い沈黙を経て、一番に動いたのはレムリアだった。


「よかったら、みんなでご飯食べませんか?」


 思いがけない言葉を投げかけられて、ベリルは頭を上げた。途端に袋が手元から離れてレムリアの手に収まった。それを大事そうに抱え、彼女は微笑んだ。


「できたらこの家で。お兄さんも含めて。きっとお兄さんもベリルさんの美味しいご飯食べられたら、喜びますよ。それができれば十分です」


 レムリアの言葉にその場の全員が目を見張る。困惑に満ちた表情でベリルが言葉を零す。


「で、でも……」

「私は私がしたいと思ったことをしただけです」


 それでもベリルが納得がいかないのは当然だ。それでも納得できないのなら、と続いた言葉にベリルとイラルが緊張した面持ちで続きを待つ。


「またこの町に来られた時に、家にお邪魔してもいいですか? その時に腕のいい職人さんとか、鉱石の商人さんを紹介してくれると嬉しいです」


 レムリアはそれだけ告げると笑った。事を見守っていたアルガは軽く息をつく。


「こいつはこういう奴なんだ。よければ応じてもらえないか?」


 申し訳なさそうに。それでも謝意は最大限をもってベリルは頭をもう一度下げた。イラルもグッと胸元を掴むと頭を下げる。ぽたりぽたりと涙が床に落ちた。


「……ええ、ぜひ。本当に……ありがとうございます」




 * * *




「ねーアルガー。契約主にこいつって言い方はないんじゃないんですかねー?」


 馬車に乗った途端、膝に頬杖をつきながら不服そうな様子でレムリアが漏らした。対して、アルガはだんまりを決め込んでいる。もう日常になってしまったやりとりだ。

 ベリル一家と夕食を共にし、早朝に町を後にした。調彩師がいることは町中でもかなり大きな噂になっていた。長居すると余計なことに巻き込まれる。町を後にする頃合いだった。

 アルガの態度にレムリアは不満そうな様子だったが、不意に荷台の縁に頭をもたれかけさせて空を見上げる。また珍妙なことをし始めたなと眺めていると、少女はぽつりと言の葉を漏らした。


「色喰みは人の感情を食べてどうするんだろう」


 爽やかな風が通り過ぎていった。誰にともなく呟かれた言葉は空気に溶けて消える。


「色喰みが喰べた記憶はどこへ行くんだろう」


 すべての命と記憶は海へと還る。それはこの世界で幼い頃から聞かされている伝承だった。死すると人は記憶の海へと渡り、転生するのだと。それを模した風習も古くから根付いている。

 それならば、色喰みが喰らった感情と記憶はどこへ行くのか。それは当たり前のようで今まで着目しなかった疑問だった。


「さてな」


 アルガの即答にレムリアは体を元に戻すと不満たっぷりな様子で眉間に皺を寄せた。顔が台無しだぞと思っていたが、彼女はすぐにそれを潜めると真剣な表情で遠くに視線を向けた。


「うん、知りたいな。やっぱり……知らないことばっかりだ」

「だから行くんだろう?」


 アルガの言葉にレムリアは目的の地に思いを馳せる。

 調彩師の育成機関があり、虹の女神を敬愛するこの国の首都。


「……うん。早く行こう――首都イルミナに」


 見上げた空に逆さ虹がかかっていた。

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調彩師は虹の色に夢を見る 立藤夕貴 @tokinote_216

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