調彩師は虹の色に夢を見る

立藤夕貴

調彩師と傭兵と少年と

 壮年の男は目の前でにこにこと満面の笑みを浮かべる少女を睨みつける。


 彼らが立つのは露店が並ぶ広場のど真ん中。町の大通りから広場まで軒を連ねる店は多種多様な物に溢れていて、天を覆う布生地も見目鮮やかだ。月に一度大々的に行われる市場は活気に満ちているが、二人が立つ場所だけは異質な雰囲気が漂っていた。不穏な空気を察したのか、行き交う人々は彼らを避けるように距離を空けて通り過ぎていく。その中でもチラチラと彼らを興味深そうに見つめる者がいた。殊にその視線を注がれているのは白を基調とした服を着る少女の方だった。


 艶やかな銀髪と淡い菫色の瞳。整った顔立ちは一見すると深窓の令嬢のようで目を惹く。対して男は黒髪に無精髭、旅に適した簡素な出で立ちだ。帯剣しているから男が剣士であると察することができるが、二人に向ける周囲の視線がどのようなものかは火を見るよりも明らかだった。


 男は自分に対する批判的な視線と少女に向けられる憐憫に対して心底うんざりしながらも、強固な姿勢を崩さない。意に介さず笑う少女を見て、男は不満を飲み込んでから言葉を紡いだ。


「それで、その手に持っているものはなんだ」

「よくぞ聞いてくれました!」


 少女は男の想像と一切相違ない言葉を紡いだ。次の瞬間、周囲が少女に抱いていた深窓の令嬢という幻想はあっけなく打ち砕かれる。

 少女はうっとりとした様子で今し方手に入れた青色の鉱石に頬擦りをし始めた。得体の知れない何かを見てしまったとでも言うように、少女に向けられていた好奇と憐憫は驚愕に様変わりする。


「堀り出し物を見つけたの。レグル産のラピスラズリ! ほら見てこの青。すごく綺麗でしょ? やっぱり質の良い原石は素敵だなぁ。それにこの辰砂しんしゃ彩華さいかの里の――」


「レムリア。お前、また大枚叩いたのか。師匠とやらから、いままで何を教わってきたんだ」


 話を遮られた少女――レムリアは男の指摘に頬を膨らませる。この見た目なのだからもう少し淑やかにすればいいものをと男は思うが、いま肝要なのはそこではない。


「欲しいものは迷わず手に入れろ。宵越しの金は持たない、っていうのが師匠の教えなの。アルガみたいに迷っていて質のいい原石たちを買えなかったら、後悔で泣いちゃう」


「泣くタイプじゃないだろうに」


 レムリアはアルガの指摘にキッと鋭い視線を向けた。先ほどと対比するようにアルガは素知らぬフリをしている。しかし、レムリアは不貞腐れながらも反論を欠かさない。


「それに私のは散財じゃないですー。ちゃんとした仕事道具ですから」


 ほら、と言って続けてレムリアが見せてきたのは一枚の紙だった。得意そうな表情を浮かべる彼女を見て、おおよそを悟ったアルガは金色こんじきの双眸を細める。いつの間にこんな話を聞きつけてきたのか。眉根を寄せるアルガに対して、にんまりとレムリアは笑った。


「もちろん、契約主のお仕事に同行してくれますよね、傭兵さん?」







 依頼主から話を聞き、街の外へ出かける準備を整えて二人が向かったのは程近い森林。深閑とした森は葉の合間から光を溢し、豊かな生命を感じる。人の気配を察知したのだろう、時折小動物が逃げていく葉音がした。

 森は一見すると普通に見えるが、奥へと歩みを進めるたびに重苦しい独特の空気が立ち込めてくる。歩く少し先に紫黒色のもやを発している黒い水たまりの姿を捉えて、レムリアは足を止めた。


「世界のおり。聞いてたよりも広がってるみたい」


 黒い水たまり、それが世界の澱と呼ばれるものだ。


 かつてこの世界を未曾有の災禍に陥れた厄災から生み出されたそれは、瘴気を発生し、土地の生命力を喰む。それだけでなく、淀みの濃度が高くなると何かしらの生命を模した生物を生み出した。色喰しきはみと呼ばれるそれもまた生命力を喰むが、違う点は能動的に人間を襲うという点だ。


 瞬間、葉音が耳をかすめてレムリアは素早く振り向く。しかし、彼女が目の前に手をかざすよりも早く事態は動いていた。


 差し迫った漆黒の山猫をアルガが一太刀で斬り伏せていた。立て続けに二匹の山猫がアルガに襲いかかるが、彼はわずかに身を逸らして一匹の前足を断ち切る。剣がもう一匹の山猫の胸を貫き、間髪入れずになぎ払われた。前足を斬られ、地面を擦るようにして着地した山猫は疾風に飲まれてその身を切り刻まれる。山猫たちはどしゃりと質量のある音を響かせて、黒い水に戻った。水は黒い光を伴って宙に消えていく。


 風の魔術に飲まれた山猫が光になるのを見届けて、レムリアは軽く息をつく。アルガは剣についた黒い水を振り払い、彼女に向き直った。


「色喰みまで生み出すようになっているな。急ごう」


 アルガの言葉にレムリアは言葉なく頷く。道中では動物の死体がいくつか転がっていた。それを避けながら歩みを進めると、程なくして目的の場所へと着いた。


 開けた場所に黒々とした水がふつふつと湧き立っている。瘴気を発する黒い泉の周りの草木は枯れ、入り口からは想像もできないまでに荒れ果てていた。


「準備をするから、周りのことはお願い」


 レムリアはそれだけ告げると早急に荷物の中身を取り出す。


 異論はなく、アルガは準備を進める少女の身が害されないよう周囲に注意を向けた。聴覚、視覚といった感覚。これまでの経験、第六感までも総動員する。警戒は強めていたものの、大きな障害や非常事態に見舞われることなく、準備が整った。


 レムリアは黒い泉の際に立ち、取り出した小瓶の蓋を開けて中身を落とす。調薬した水が水面に落ち、浮かべられた薬草が波紋を生んだ。始めるねと少女が告げて目を伏せた途端、周りの空気が張り詰める。


「いまここに虹の女神の名のもとに色を調べ、深き縁よりあやを成す」


 言葉が清冽な水のように滔々と流れゆくとともに、ふわりと風が巻き上がった。柔らかな指先が宙を走り、光の軌跡から文字を生んだ。淡い黄金の光と朱が暗い世界を優しく照らしていく。


「ここにもたらすのは生命の色彩。実りなき森に息吹を、安寧を忘れた大地に庭園の光明を。この色を以って大地に還元せよ」


 レムリアを中心として、放射線状に風が吹き抜ける。枯れ残された葉がザザッと音を立てて散っていった。吹き抜ける風のために伏せた目を開けると、目の前の光景は様変わりしていた。


 先ほどまで黒を呈していた泉が清透さを取り戻していた。大地はひび割れや砂礫が見られるものの、草がわずかに芽吹いている。おそらく、何度目にしても見慣れない光景だろうとアルガは思う。

 ふうとレムリアが大きく息を吐き出す。彼女は振り返ると、色を失った原石を親指と人差し指で摘みながら、アルガに向かってにこやかに笑った。


「さっき買った辰砂とガーデンクォーツ。さっそく役に立ったでしょ?」


 どうだと言わんばかりの主張に、アルガは今までとどめていた息を吐き出しながら肩を竦めた。


 鉱石や植物が持つ力を引き出し、世界の澱に侵された場所に生命力を戻して整える――それが調彩ちょうさいだ。その力を生業にして生きるレムリアのような者は調彩師と呼ばれている。世界の澱に侵された土地を調彩してほしい。それが今回、レムリアが請け負った仕事だった。


 町に戻るとすぐにレムリアとアルガは依頼主である領主のもとに立ち寄ることにした。世界の澱に侵された場所に赴いた証拠を示す採取物を提示する。調彩後の採取物と合わせて現状を伝え、これからの留意点を書き留めて依頼は完遂となった。調彩したと言えど、かつてのような姿に戻るにはどうしても人の手が必要なのだ。


 依頼金を受け取ったレムリアはほくほくとした様子だ。このまま再び鉱石や薬草を買いつけに行くのではないだろうなと、アルガは訝しい目で彼女を見る。


 建物を後にしようとした時、唐突にアルガがレムリアを押し退けた。そのままそばに近づいてきた者を無造作に掴み取る。埒外だったレムリアは体を強張らせ、アルガの手中に収まっている者に視線を向けた。

 首根っこを掴まれたのは年端のいかない少年だった。栗色の髪の少年にアルガが問う。


「なんのつもりだ」

「な、何もしないよ! 話を聞いて欲しいだけで……!」


 怯える少年は両手を頭に添え、そう訴えた。ひどく焦っているように見える。長身のアルガに掴まれていて、ぶらりと宙に浮かされている姿は忍びない。レムリアはわずかに姿勢を屈めて視線を合わせる。


「私たちに話?」


 建物から出て程なくして声をかけた。少年がレムリアたちを意図的に待っていたことは疑いない。ただ、見知らぬ少年に尾けられる理由はないはずだ。身を竦ませていた少年は意を決したように二人を見据えた。


「お兄ちゃんを助けて欲しいんです……!」







 少年に案内され、レムリアとアルガは居住地区に足を運ぶ。花が植えられている象牙色の建物が並ぶ中、三人は小さな家の前で立ち止まった。周囲と比べるとどことなく沈んだ空気が漂い、沈んで見える。


 ただいまというあいさつとともに少年が扉を開ける。途端に中から血相を変えた女性が少年を迎えた。


「イラル! いったいどこへ――」


 そこで、はたと言葉は途絶えた。


 見知らぬ来訪者に女性の顔が見る間に強張る。レムリアはそれにも頓着せず、まるで深窓の令嬢のように恭しく一礼をした。さらりと艶やかな銀の髪が流れる。


「突然の訪問で失礼いたします。調彩師のレムリアと申します。もしよろしければ、イラル君のお兄さんに会わせていただけないでしょうか?」


 調彩師という言葉に強張った女性の体がぴくりと反応する。

 しかし、それも一瞬。続いたのは困惑に満ちた声だった。


「貴方が調彩師……?」


 世の中、調彩師を騙る者もいる。特にレムリアのような年若い者ならば警戒されて当然だった。レムリアは微笑みながら、先ほどの依頼の完遂を証明する書面を彼女に向かって差し出す。女性はおずおずとそれを受け取った。


「この町でも依頼を受け、完遂しています。その後、彼に直々にお願いをされて伺ったのですが……」


 そこまで言いかけて、レムリアの言葉は途切れる。女性がはらりと一筋の涙を流したからだ。わずかに肩が震え、女性が深く頭を下げた。


「不躾な対応をして……申し訳ありません。どうか……。どうか、息子を診てはくれないでしょうか?」


 イラルの母――ベリルはそう懇願すると、一つの部屋にレムリアたちを通してくれた。


 簡素な部屋のベッドの上に青年が座っていた。軽く開かれた窓から風が入り、ふわりと栗色の髪を撫でる。外に向けられている視線は遠くを見ていて、どこか茫洋としていた。ベリルが声をかけても反応がない。


 彼は自警団に所属しており、一ヶ月ほど前に町を強襲してきた色喰みの討伐で負傷した。怪我は治ったものの、傷を負わせた色喰みの特性かこのような状態が続いている。


 その色喰みは彼の感情を喰ったということらしい。食事も減り、更には徐々に体力が落ちてベッドから離れるのも難しくなっているとベリルが説明してくれた。生命力を喰うだけでなく、最近はこういった感情や記憶の一部を喰う色喰みも出現しているらしく、その恐ろしさから人々は戦々恐々として日々を生きている。


「自警団の方がイルミナに要請を送ってくださったのですが、なかなか小さな町までは手が回らないようで……」


 世界の澱はここ数十年で特に活発化しており、各地で土地の侵食や色喰みによる被害が増加している。国が調彩の力があるものを集め調彩師を養成する機関があるが、もともと才能を持つ者の数はそう多くない。土地の再生や侵食を受けた者の治療に手が回っていないというのが現状だ。


 レムリアは断りを入れてからベッドのそばに歩み寄る。間近にしてみると、光を映さない暗澹とした視線がそこにあった。


「お願い、お兄ちゃんを助けて下さい。俺、なんでもするから……!」


 切羽詰まった少年の声が部屋に響き、レムリアはわずかに間を空けて振り返る。彼女の視線に親子が固唾を呑むのがはっきりとわかった。


 向けられたのは見すべてを見通すような澄みきった目。清透な水を思わせるような静かな瞳は無意識に他者を萎縮させていた。見かねたアルガが口を挟もうとした矢先にレムリアが少年に問うた。


「本当になんでもする?」

「う、うん」


 雰囲気が一変したレムリアに戸惑いながらも、イラルははっきりと返した。それから彼ははっと我に返って慌てて腰につけていた鞄を漁り、一つの袋を差し出した。


「これじゃ足りないってわかってるけど。でも、頑張って貯めたんだ」


 それにはお金が入っているのだろう。しかし、依頼金と呼ぶには到底及ばない微々たるものだとわかる。イラルが祈るようにレムリアを見つめ、ベリルが頭を深く下げた。


「時間がかかるかもしれませんが、足りない分はきちんとお支払いします。なので、どうか……」


 母の言葉にイラルも慌てて頭を下げた。部屋の中に沈黙が流れる。頭を上げてください、という柔らかな声が聞こえてきて、親子は恐る恐る顔を上げた。彼らの視線の先に立つレムリアは一変して朗らかな笑みを浮かべ、意気揚々と言った。


「それじゃあ、イラル君にたくさん手伝ってもらおうかな」

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