第45話 過ぎ去る時は無常の世

 こうして警備を任された青年は、何事も諦めず努力だけは人一倍。不器用ではあるものの、純粋な気質が功を奏したとでもいうのだろうか。飲み込みが早く、理解することに長けていた。やはり、主癸しゅきの目に狂いはなかったといえる。そんな愛想のない素振りは見せるも、優しき心を持ち得た存在。名は黄帝おうてい有熊ゆうゆうと呼ばれていた。


 このように主癸しゅきから信頼され、屋敷の警備を一人で纏め上げるまでに成長した有熊ゆうゆう。業務は難なくこなすも、相変わらずの仏頂面。傍から見れば近寄りがたく、とてもじゃないが馴染めそうな雰囲気ではない。ところが、そんな彼にも気になる存在ができた。それは天乙てんいつ家で奉公人をしていたばつ。その女性と恋に落ち、やがて共に生活をするようになる。


 時を同じくして、先代も若き女性を妻として迎える。その女性の名は子履しりといい、何とも美しき艶のある容姿。これに驚きを見せる有熊ゆうゆう。それは風貌がという訳ではなく、奥手の主癸しゅきが何処で見つけてきたのかということ。普段は凛々しく憧れるような存在だが、女性の前では優柔不断で情けない。


 このような事から驚愕するが、主癸しゅきも同じような思いを感じていたという。どうして仏頂面の有熊ゆうゆうに……二人して、『弱みでも握っているのか?』そう冗談交じりに問い掛けるほど。それだけ驚いたといえる。


 とにかく報告を受けた主癸しゅきは、まさかと思いながらも自身のように喜んだ。当時二人が住んでいた場所は、わずか四畳半の狭き部屋。いつも隈なく屋敷の警備をしてくれる有熊ゆうゆうに対して、それでは申し訳ない。そう感じたのだろう。少し離れた場所へ屋敷を建て与えるも、二人だけで住むには何とも広い。


 さすがに仏頂面の有熊ゆうゆうもこれには驚き、住むには広すぎると厚意を拒む。すると――、『広すぎるなら、家族を作ればいい』主癸しゅきはにやけ顔で伝えるも、意味をあまり理解していない様子。それならばと、対価に見合うよう四六時中の身辺警護を命じた。


 これもよく分かっていなかったが、休みなしで働くものと勘違いする有熊ゆうゆう。ようやく納得して理解を得るも、主癸しゅきの目的は違っていた。それは側近としての任命であり、高位の役職を与えたということ。日頃から真面目に働いていた為、感謝の気持ちだったのかも知れない。つまりは、二つの恩沢を施したことになる。


 ほどなくして、妻のばつから主癸しゅきの意図を知らされた有熊ゆうゆうは、生まれて初めて心の温もりを知る。孤児であった頃は恩情など受けたことがなく、周りの目は冷ややかで蔑んだ視線。そのような生活を数年も続ければ、誰であろうと気持の表現を忘れるもの。それが普通と感じ、今まで何も考えずに生きてきた。


 そんな何処の馬の骨だか知れぬ者へ、居場所を与え仕事まで斡旋してくれた。そればかりか、今後の生活に困らぬよう高位の役職まで用意。この優しさに触れる有熊ゆうゆうは、主癸しゅきを心の底から尊敬し忠誠を誓う。主君の幸せは自分の喜びとして、この人ならば信じていけると……。


 こうして時は移り変わり、主癸しゅき子履しりの間には何とも愛らしい二人の子供が授かる。この子達に名を付けたのが有熊ゆうゆうであり、それはもう我が子のように可愛がった。とはいえ、仏頂面のためか、優しく接するも顔が怖いと懐いてくれない。けれど、こうした何気ない日常は心を落ち着かせ、いつしか心地よく感じるひと時となる。


 主癸しゅきに拾われ天乙てんいつ家にやって来た有熊ゆうゆうも、かれこれ気がつけば時は数十年。出逢う以前を思い返せば、幼き頃は生きてゆくのがやっとの毎日。心とは何か、そんな事を考える暇さえなかっただろう。それゆえ、今まで感じることのなかった心の想い。周りの奉公人や妻の優しさに触れ、心身ともに成長してゆく。


 しかしながら、温もりのきっかけを初めに与えてくれたのは、やはり主癸しゅきではなかろうか。この想いを感じる有熊ゆうゆうは、いつも父のように慕い主君として尊敬する。それは誰よりも傍にいて欲しい偉大な存在。なくてはならない空気のようなもの。


 やがて全てにおける感情の扉へ、柔らかな光が差し込める。そして1つ、また1つと有熊ゆうゆうの心を覆っていた殻が剝れ落ちてゆく。その扉から漏れ出る光は次第に溢れだし、天乙てんいつ家の長きにわたる安泰。愛する妻の幸せ。周りの奉公人に対しての多幸。これらの心情を誰よりも尊く感じ、共に温かな気持ちでありたいと願う。


 とはいうものの、過ぎ去る時は無常の世。不変の世など存在しない。あるのは等しく与えられた潰える命。そんな流れゆく時の中――、有熊ゆうゆうを襲った不幸な出来事。それは持病を患っていた主癸しゅきが、突然にも亡くなったという知らせだった…………。


 その知らせに誤報ではないのか……有熊ゆうゆうは青ざめた顔で早馬を走らせ、天乙てんいつ家を目指す。道中は何度も掌を握りしめ、藁にも縋る思いで存命を祈る。『昨日まで、あれほど元気だったじゃないか! お願いだ、生きていてくれ。頼む…………』切なき想いを叫びながら、半々刻30分ほど走らせること。ようやく屋敷へ辿り着き、慌てて主癸しゅきの部屋へ向かう。


 脳裏へは不安や絶望がよぎるも、心の脈動を必死に抑え精神を保とうとする。しかし、鼓動は落ち着くどころか、早まるばかり。仕方なく固唾を呑み、少しずつ部屋へ歩み寄る。ところが、信じたくない思いから足は震え思うように歩けない。そのため、ゆっくりと壁を伝い歩き『大丈夫だ……大丈夫だ……』何度も自分に言い聞かせ、ほどなくして部屋の前に辿り着く。


 そうして一度、呼吸を整える有熊ゆうゆう。恐る恐る襖障子建具の引き手へ掌を当て、緩やかに引き開ける。すると――、再び勢いを増し高鳴る脈動。その鼓動を感じ、そっと部屋の中を覗き込む。けれど、絶え間なく打ち付ける脈のせいか、頭はぼんやりとし、情景も揺らぐ。


 さりとて、次第に眼前へと映し出される人影。その姿に言葉を失い倒れ込む。『あっ……ぁぁぁ。あっ……ぁぁぁ』なんと恐れていた光景が、悲しくもそこにはあった…………。

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🪷【この世に理想郷が生まれた由縁】🪷やがて解き明かされる真実。この物語の始まりは、ある人物が残した備忘録から始まった……。 🍀みゆき🍀 @--miyuki--

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