第44話 人知れず伝えられた流派

『よし。じゃぁ、今日は嬉しいことがあったからな。后土こうどには、まだ伝えてない話をしてやろう』

『伝えていない話……ですか?』


 和やかな雰囲気で料理の準備を進めていた父親の有熊ゆうゆう。微笑ましくもどこか切なげな表情で、手を休め息子へそっと話かける。


『そうだ。父さんがこれまで愛してきた人達の話。最初に仕えた主君、后土こうどの母親、そして子履しり様。その心優しき人達がいなければ、父さんの心はとうに崩壊していた。だから、こうして今のように笑っていられるのも、3人のお陰かも知れないな…………』


 大きくなるまでに、息子へ色々な事を話してきた有熊ゆうゆう。しかし、1つだけ伝えていないことがあるという。その話を懐かしむように、思い描きながらゆっくりと語りだす……。



 心とは何か? 想いとは何か? どんな屈強な者であろうと、人は一人で生きてゆく事は出来ない。何かしらの支えや温もりに触れ、この世に生を成し存在している。それは全ての人々にいえること。子履しりの慈しみ助けたいと願う恩情。有熊の愛する人を守りたいという温情。これらの二つの心情は、誰もが持ち得た優しき心。


 魂へ刻まれた想いは、現世で磨かれ来世へと受け継がれる。こうした念は、人だけに与えられた素晴らしき特権。相手を慈しみ思いやり助け合う、それが人という生き物である。この気持ち、時には失うこともあるかも知れない。


 けれど、周りからの温かい想いにより、取り戻すことはいつだって出来る。寄り添い優しき気持ちで接すれば、いつの日か心は通じ合うもの。そう言い聞かせ、心の内を息子へ教え説く。しかし、以前の有熊ゆうゆうというのは自らの殻へ閉じこもり、今のように明るかった訳ではない。何故なら、過去に愛する妻を失い失意のどん底にいたからだ。


 難産により、切なくも一瞬で消え去る妻の笑顔。その場に残されたのは、あどけなく微笑む幼き我が子。虚ろな生活を暫く続けるも、育児や仕事に追われそれどころではない。とはいえ、いつまでも心は晴れることはなく、悲観した毎日を過ごす。日に日に心は閉ざされ、死のうとさえ思ったほど。


 そんな時だった――、優しく微笑み手を差し伸べる子履しり



『どうしたの? そんなにも悲しい顔をして、私で良ければ相談に乗るわよ』


 子履しりは透明感のある表情で見つめ、傍に寄り添い問いかける。これが有熊ゆうゆうの心を紐解く最初のきっかけだった。


『いえ、結構です。申し訳ありませんが、私には仕事が山ほど残っているので、これで失礼したいと思います』

『……そぅ? もし何かあったら、いつでも言って頂戴ね』


 当時の有熊ゆうゆうというのは、妻を失った為か、それとも先天的な生まれ持った人格によるものか。人と接することが苦手な、少々生真面目な気質。よく言えばそうなのだが、悪く例えれば融通が効かない無愛想。このような性格だった為、せっかくの好意を退ける。普通はこんな態度をすれば、二度と手を差し伸べられることはないだろう。


 ところが――。翌日も同じように有熊ゆうゆうへ話しかけ、顔を覗き込む子履しり


有熊ゆうゆうおはよう。今日も屋敷の警護に務めてくれて、本当にありがとう』

『おはようございます。――というよりも、どうして私の名を?』


 にこやかに微笑み、労いの言葉をかける子履しり。これに対して、挨拶は交わすも相変わらず仏頂面である有熊ゆうゆう。家主に名など教えた覚えはないはず、なぜ知っているのか。そんな素振りを見せ、不思議そうに首を傾げる。


『どうして……? おかしな有熊ゆうゆうね。家族の名前を知っているのが、そんなにも不思議なことかしら』

『家族? 私はこの屋敷に雇われている、ただの奉公人ですよ』


 不可解な面持ちで呟く態度に、子履しりも同じように怪訝な表情を浮かべ問いかける。こうした状況は全くもって理解しがたく、有熊ゆうゆうは戸惑いながら佇んだ。


『奉公人なんかじゃないわ。私のために、一生懸命な想いで働いてくれているもの。それは家族じゃないと出来ないことでしょ?』

『あの、お言葉を返すようですが、私は単に賃金を貰い働いているだけ。それを家族と呼ぶのは、如何なものかと思いますが?』


 子履しりの言っている事はもはや意味不明。おかしいのはどっちだ、もしかして天然なのか? 有熊ゆうゆうの言葉から窺えたのは、そのような呆れた表情であった。


『もう、有熊ゆうゆうは真面目な人ね。細かいことは気にしなくていいの。昔からここで働いてくれている人は、みんな家族の一員。私の夫……先代が選んできた人達ですもの、そうでしょ?』

『ええ。まあ、そうですが……』


 子履しりが言い聞かせ、選ぶと言う言葉。一体、どのような意味が込められているのだろう。というのも、本来なら屋敷で働く奉公人は自ら志願して雇用されるもの。家主が直々に声をかけ、働き手を見つけるものではない。にもかかわらず、この屋敷を治めていた当主は少し様子が違っていた。その名は天乙てんいつ 主癸しゅきといい、当時の天乙てんいつ家を治めていた人物。


 各地へ渡り歩いては、自分が信じた者へ声をかけ雇い入れる。だからといって、決して人を信頼出来なかった訳じゃない。毎日の生活を共にする者は、自らの手で探したかったのだろう。そのせいか、主癸しゅきが招き入れた者達は、誰もが心優しき人柄。人情味に溢れた穏やかな人達ばかり。


 苦労の甲斐あってか。こうして主癸しゅきは、天乙てんいつ家を支える全ての奉公人を見つけることが出来た。けれども、何より一番肝心なことを忘れていたようだ。それは屋敷の警備に当たる奉公人。流石にそのような人物は街を探してもいないだろう。それならばと道場へ赴くも、師範代を引き抜くわけにもいかない。


 仕方なく自らの屋敷へ帰ろうとしていた時、道場の片隅で稽古に励む一人の青年を見かけたという。まだ未熟なため道場は使わせてもらえず、部屋の外で汗を流し真剣な眼差しで剣を振るう。その光景に、主癸しゅきは未来を感じたのだろう。ダメもとで剣術指南役に声をかけ、青年の身をあずけて貰えないか問いかけたらしい。


 すると道場の指南役は、以外にも快く承諾してくれた。その訳とは、戦争で両親を失った青年は孤児の身。身内はどこにもおらず、道場で身柄を引き受けていたという。こうして主癸しゅきは身柄を引取り、自らの屋敷で警備に当たらせる。


 とはいえ、初めて訪れた屋敷のため緊張でもしているのか。はたまた、両親をなくした影響であろうか。その様子は愛想のない、無口で言葉足らず。そればかりか、警護もままならない状態。といっても、誰しも最初の内は未熟なもの、主癸しゅきは青年のことを温かく長い目で見守る。後はその者が、どれだけ努力して成果を上げるかだ。


 この想いに、青年は期待に応えようとでもしたのだろう。来る日も来る日も、寝る間を惜しみ稽古に励む。そのせいあってか、数年で剣術を会得する。そして青年の凄いところはそれだけじゃない。主癸しゅきが教え込んだ体術も、難なく習得して見せたのだ。


 というのも、天乙てんいつ家は武道に優れた家系。一家相伝で伝えられる徒手武術は、他の流派を寄せ付けぬ古流柔術。その奥義は瞬時に懐に潜り込み、気がつけば相手の身体は宙を舞っていたという。そんな見事なまでの天乙流。家訓は強き者をなぎ倒し、困っている弱き者を救う。それ以外での使用は、如何なる理由にせよ禁ずるということ。


 その天乙流を青年が継承したという事は、家族と思い主癸は自らの全てを伝授したに違いない。そんな無双のような柔術ではあるが、ただ1つだけ叶わぬ流派が存在するという。それは、一家相伝一つの家に代々伝えるではなく、一子相伝わが子の一人に伝えるでもない。口伝の如く、長きにわたり人知れず伝えられた柔術。


 歴史は天乙流よりも遥かに古く、気道を扱う呼吸技。見たものが言うには、静穏に川を流れゆく水面のよう。名は天冠てんがん流といい、今では誰が継承しているのかさえ分からない。もしかしたら、すでに存在しないのでは? 武道を志す者達からは、そう囁かれていた……。

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