第4話 愛で膨らむ
アルテンシア王国現第一王子レオナルドは、ふくよかな女性を好む、変わった趣向を持っている。
だが、ほっそりとした腰回りが美しいとされる風潮にあって、レオナルドの趣向に合った女性が婚約者になることはなかった。
だからレオナルドは、ぽっちゃりな下級貴族令嬢に入れ込みかけていたわけで。
「まあ、姉を袖にするようなことをして、この俺が許すはずがないわけだ」
扉の前、許可が出るのをのんびり待ちながら独り言を言えば、左右に侍る女性騎士から胡乱な視線を向けられた。
他の女性ならこうはいかないのだが、すでにアナターシアから俺について知らされているらしく、その警戒をすり抜けて心をつかむのは容易ではなさそうだった。
『……いいわよ』
扉の向こう、敬愛する義姉アナターシアの声とともに扉が開かれる。
果たしてその先にいた、純白のドレスに身を包んだ女性を見て。
「……ぶふっ」
「………………」
思わず噴き出した俺は、きっと悪くない。
王国一のプロポーション――希代の美女ともてはやされていた女性の姿は、もう影も形もない。そこには肥えに肥えたわがままボディを揺らすむっちり女の姿があった。
一度殿下のケーキを食べてしまえば、あとはなし崩し。
アナターシアは殿下の
義姉アナターシアはみるみるうちに太り、そして、義姉を悪女と呼ぶ声はなくなった。
体型とともに性格が丸くなったというのもある。だがそれ以上に、悪女と呼んで嫉妬される女でなくなったというのも大きい。
背後、閉ざされた扉の音を聞きながら、意図的にニヤニヤと笑ってやる。別に義姉がいけ好かないというわけではない。互いに腹に一物抱える者同士、遠慮のない交流をしてきた。そういう気安さゆえに、俺は盛大に嘲るのだ。
義姉がそうしてきたように。
「愛の前に陥落した気持ちはどうだ?」
「……無様な私を笑えばいいでしょ」
「そうさせてもらうよ。くく、ははははは、いや、本当に、まさかこうも上手く行くとはな」
これで、ソフィスタ家の未来はしばらく盤石。俺は王子のご意見役として、おそらくは宰相補佐くらいの地位に収まる――さすがに宰相までソフィスタ家で占めると、他家からのやっかみが強すぎるからな。
そして丸々と肥え太った義姉は、確かな寵愛を獲得した。
「醜いでしょう?」
「ん?髪と瞳は変わらないな」
「……それは、そうかもしれないわね」
燃えるような髪が揺れる。
その顔を前に、いつだったか、引き取られた先のソフィスタ家の厳しい教育に耐えかねて木の上に逃げた俺のもとに駆け付けた幼い姉の姿を思い出した。燃えるような夕日を背に俺に手を差し伸べる姉のあの無邪気な笑みは、きっともう見ることはかなわない。親愛のこもった緑の目が向くのは、俺ではない。
だが、それでいい。これで、すべてが丸く収まった。
「セオドアッ」
背後、扉が勢いよく開け放たれる音とともに、着飾ったレオナルド殿下が入室してくる。
「淑女の部屋を訪ねるのに、ノックもなしに俺の名を呼ぶのか。それでよく国一番の紳士が務まるな」
「私よりも先に愛しのアナターシアの着飾った姿をその目に収めた不届き者がよくもぬけぬけと」
「家族特権だ」
だが、今日ほど殿下の怒りから逃げるのがたやすい日はない。
すっと横に良ければ、殿下の目には着飾ったアナターシアの姿が映る。王子好みに太った、豚のような女の姿が。
「おお……」
感嘆の吐息がこぼれる。少し恥ずかしそうに身をよじるアナターシアの腹で、肉がうねる。
「やはり、私の目に狂いはなかった。そなたは……美しい」
「そう、ですか」
スン、と瞳から光を消したあたり、まだ義姉は今の己を受け入れられてはいないようだった。
けれど、差し出された手を取るその顔には、確かな幸福があった。
互いに微笑みあい、幸せを分かち合いながら二人が歩き出す。その後ろ姿を見送りながら、そっと、胸に手を当てる。
痛みは無かった。確かに、消えていた。
「……さすがに、あの姿は受け入れなれない、か」
本当に、すべてが丸く収まった。そう笑みをこぼして。
「ああ、もしあの日に戻れるならば、今度こそ殿下に絶縁状を叩きつけてやるものを――」
心のこもっていない義姉の捨て台詞を聞いて、俺は今度こそ、涙がにじむほどに声を上げて笑った。
それでこそ、俺の知るアナターシアだと。
悪女はデブ専王子がお嫌い 雨足怜 @Amaashi
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