第3話 愛は覚悟のうえで食らうべし
「……これでいいわね。マリエッタ。これを届けて頂戴」
「はい……お嬢様が、第一王子殿下にお手紙ですか!?」
素っ頓狂な悲鳴を上げた使用人は、もう一度頬をつねり、目じりに涙を浮かべながら、目を皿にして宛名をにらむ。そんなことをしても、見える文字が変わるはずがないのに。
「……私はきっと、職務中に寝入ってしまったのですね。ああ、明日の罰が怖くてたまりません」
「あら、そんなにご希望なら、私を前にしてみっともなく叫びをあげた罰を与えようかしら」
「すぐに言ってまいります」
言うが早いか、マリエッタは踵を返し、一瞬で姿を眩ませる。
「……有能なのに、言動がおバカなのよね」
手の中にあるペンを指でもてあそびながら、先ほど書いた文面を思い出しながら笑う。
思い出し笑いなど淑女としてはしたないにもほどがあるものの、今なら許せた。
「見てなさい。レオナルド殿下、そしてセオドア……明日が楽しみね」
ちらと窓の外を見れば、すでに月が高くに上っていた。夜は更け、そろそろ明日の学園のために眠らなければまずい時間。
おそらくは今も執務に翻弄されている殿下が、これから私の手紙にさらに翻弄されると思うと、楽しみで仕方がなかった。
翌朝。
いつになくすっきりと目が覚めたのは、きっと心に気力が満ち満ちているから。
「今日のお嬢様はご機嫌ですね」
「そうかしら?……まあ、そうかもしれないわね」
鏡の中の自分は、今日も完璧なプロポーションをキープしている。髪の手入れも問題なく、毛はねの一つもない。
「さぁ、出陣と行きましょうか」
「よくわかりませんが、頑張ってくださいませ」
マリアンヌに見送られて部屋を出れば、そこにはすでにセオドアが待っていた。
「おはよう」
「おはよう。今日は少しいつもよりも早いね」
「そうかしら?……まあ、たまには早く目覚めることもあるわよ」
嘘が下手だと、セオドアの目が語る。
そういう貴方もいつもより目つきが鋭いと、私もにらみ返す。
「うふふふふふ」
「くくくくくく」
笑いあう私たちのそばから、メイドたちがすたこらさっさと逃げていった。
食事を終え、学園に向かう。今年で卒業とはいえ、特に思い入れはない。
妃教育でほとんど講義には出席できておらず、友人たちと会う場は何も学園である必要もなかったのだから。最も、最近の友人たちは、私と殿下の対立を「じゃれあい」と称して高みの見物をしており、あまり近づきたくないのだけれど。
「やぁ、アナターシア。それにセオドアも」
「おはようございます、レオナルド殿下」
「おはようございます、アルテンシアの第一星」
相変わらず固いと、レオナルド殿下は気安くセオドアの肩を叩く。セオドアもまた、肩をすくめてふざけたのを謝罪する。いつもの流れ。そして、その間にキャスター付きのワゴンを押して王宮の使用人が近づいてくるのもいつものこと。
「……さぁアナターシア。今日こそ私の愛を受け入れてくれるのだと知って、昨日は眠れなかったよ。私のいっぱいの愛を受け取ってくれ」
クローシュが取られる。
そこにあるのは、昨夜、殿下に手紙で頼んだケーキ。クリームがないのは残念だが、その分質量がありそうだからよしと思うことにした。
現れたはちみつたっぷりパンプキンパイを王子殿下が恭しく私に差し出す。
「あら、ありがとう」
余計なことを言うなと、舌打ちしたい気持ちを抑えて、私はパイに手を伸ばす。
周囲にざわめきなど、すでに耳には入らない。
さぁ、今日がケーキの日ではないと気を抜いていた輩に罰を下すのよ。
「どっせいッ」
令嬢にあるまじき発言だとか、そんなものは気にしない。そうしたどうでもいいことは、豚にでも食わせておけばいい。
腰をひねり、そのらせん運動を肩へとつなげる。全力で、投擲。
手の中にあった皿が、まっすぐにセオドアへと飛ぶ。
さぁ、顔面に食らうと――
「ん?」
銀色の何かが、視界の中で動く。
先ほど使用人が取り去ったはずのクローシュが、いつの間にかセオドアの手に握られている。それが、セオドアの顔をかくし、そして。
すっぽりと、クローシュの内側にパイが収まる。
べりゃりと音を響かせてつぶれたパイを、セオドアは器用にクローシュの上にとどめて、私に向かってお辞儀する。
嘲りの視線とともに。
「な……ッ」
腕が振るえた。もしこの場にケーキがあったら、私は二投目を放っていたことだろう。けれど今の私の手元に、投げられるものは一つもなかった。さすがに、固いものを投げないくらいの分別はあるから、扇は投擲できない。
「そんな、せっかくアナターシアが頼んでくれたから徹夜したのに……」
どさりと音がした。
見れば、そこには頽れ、膝を地面についている王子殿下の姿があった。
よく見ればその目元にはうっすらと隈が見えた。化粧でも隠し切れない隈。
それは、ただでさえ少ない睡眠時間を削り、甘味を削った証。しかも、私の要望のために、作るものを変更し、時間をかけて――。
「どんな気持ち?ねぇ、今、どんな気持ち?」
「……うるさい」
さすがの私も、罪悪感を抱かずにはいられなかった。
捨てられた猫のように、殿下は涙目で私を見上げていた。クローシュにひっくり返って収まったケーキを、セオドアが近づけてくる。
むわりと、はちみつの豊潤な香りが漂う。少しならいいものの、よく見れば、はちみつそのものがつぶれたケーキから顔を見せるほどの量。わずかな焦げが香ばしく、シナモンが優しく匂う。
「……どうしろっていうのよ」
「わかるでしょ?ね?」
無言の笑みが一つ。
逃げるように下を向けば、すがる目が一つ。
それから、周囲のひそひそとした囁き声。
『ひどいよね』
『作らせたケーキを投げ捨てたわけだろ……さすがに無いな』
『やっぱり悪女よね』
そう。今日のケーキは、王子殿下が無理やり私に押し付けようとしたケーキではない。私がセオドアに攻撃するために依頼して、用意させたケーキ。
手紙に、ケーキを食べたいとは書いていない。ただ、明日はどんなケーキなのかしらと、そうつづっただけ。だが、物証は殿下の手の中にある。つまりは、私は己の策にはまったのだ。
「ん?どうしたの?まさか、アナターシア・ソフィスタともあろうものが、どうすればいいかわからないとか?」
「~~~~~~ッ、わかっているわよ!カトラリー!」
ざわりと、見守っていた使用人がざわつく。呆けたように口を開けていた王子が、しばらくして、ポン、と手を打つ。
「ずっと食べてくれずにいたものだから、フォークとナイフを持ってくるという発想がなかったな」
「……じゃあ仕方がないわね」
「仕方なくないよね?」
ずい、とセオドアが近づく。はちみつの香りが強くなる。節制して体型を保っているだけで、私は甘いものは嫌いではないのに。特にパンプキンパイは、月に一度のご褒美なのに……。
ここにきて、私はようやく気付いた。これはすべてセオドアの姦計だったのだと。
私をあおり、殿下にケーキを作らせるように仕向け、投げられたケーキを食べられる状態で回収し、私の好物を突き付ける。
パンプキンパイであったことも、セオドアがクローシュを回収していて器用に受けとめたことも、これで全て説明がつく。
そして、化粧で隠せるだろう殿下の目の下の隈が、あえて見せられていることも。
はめられた。
そう気づいて、けれどもう遅かった。
すでに大衆は、私にパイを食べさせる流れになっていた。
無言の時が流れる。セオドアが、いい笑顔でもう一歩近づく。
焦げたカボチャの柔らかな香りが、鼻孔をくすぐる。
「さぁ……覚悟を決めようか」
セオドアの悪辣な笑みを前にして、私は――
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