遥かなる雲の先


 翌日、馬車で城へ戻る途中、私たちは小さな町に立ち寄り食事をした。

 この国に来てからずっと城から出たことのなかった私にとっては全てが珍しく、食べたことのない食材などが出て来てとても美味しかった。

 これは何か、どうやって作っているのか。

 私のしつこい質問にリアンはひとつひとつ答えてくれて、分からない時は店の人に声を掛け一緒に質問をした。

 

 離れた席に護衛騎士たちも腰を下ろし、同じように食事を楽しむ。

 相変わらず挨拶はさせてもらえなかったけれど、離れた席に座る彼らに向かってカップを掲げると彼らも嬉しそうに掲げてくれた。

 楽しい、とても楽しい。本当に、とっても浮かれている自覚がある。でも、それでいいのだ。


 町のレストランに似つかわしくない美しい顔のリアンが、向かいの席で美しく食事を取る。店内にいる他の客も頬を染めちらちらとこちらを見ていた。

 この小さな旅行はお忍びかと思っていたけれど、どうやらそうではないと店に入って分かった。

 騎士たちは普通に騎士服を着ているし、私たちの顔を見て店主や他の人たちが初めは驚いたものの、笑顔で挨拶をしてくれて、握手を求めてくる人もいた。どうやらリアンは隠すつもりがないらしい。

 この国の王太子がこうして町のレストランで食事をしていても、人々は大騒ぎをしない。

 そのことが、これまでリアンがどんな風に国政に携わり国民に慕われているのか、私に教えてくれた。

 私はこれからこの国で、リアンの妃として生きていく。ひっそりと息を殺すのではなく、人々を見てリアンの隣に立って生きていくのだ。

 笑顔の彼等と共に、この国で、リアンと。

 

 心が軽くなっていく。

 重たい雲に覆われて下ばかり見ていた私の心が、ふわふわと浮かび上がる。

 私の閉ざされていた世界が、広がっていく気配を感じる。

 

 

「城ではどうしても形式張った食事になるけど、こうして気楽に食べるのは美味しいし楽しいよね」


 私に食事を取り分けながらリアンが嬉しそうに笑う。王太子がサーブする姿も、もうすっかり見慣れた光景だ。美しく盛り付けられた皿の柔らかな肉を一口頬張ると、ふわりと甘い香りが広がった。

 

「ありがとう……これ、とっても美味しいわ! このお肉にかかっているソース、ほんのり甘くてすごく好き!」

「それは林檎で作ったソースだね」

「まあ! 林檎で!? 凄いわ、そう思うともっと美味しい!」

「ははっ、貴女は本当に林檎が好きだね」

「私の国ではこんなに美味しい林檎はなかったもの」

「気に入ったのなら良かった。城でも林檎を多めに出させようか」

「また朝にリアンが剥いてくれたらそれでいいのよ」

「!」


 リアンがぐっと喉を鳴らして私を睨むように見た。


「なあに?」

「貴女のそういうところ……分かってるのかな」

「剥いてくれるでしょう?」

「……もちろん。毎朝、貴女のために」


 嬉しくて声を出して笑うと、リアンは一瞬青い瞳を見開いて、それからふわりと、花が開くように美しく笑った。


 *


 食事を終えて皿が下げられ、テーブルにお茶が運ばれたタイミングでリアンがそっと青い包みを置いた。


「これは?」

「貴女のものだよ」

 

 薄水色の包みに銀色の細いリボンがかけられている。リアンの色だ。

 

「婚約が決まってからすぐに贈ったんだけどね、貴女の元に届いていなかったのを見つけたんだ」

「ごめんなさい、知らなかったわ」

「貴女のせいではない。私の管理不足だ」

「……ありがとう。私、貴方に望まれていないと思っていたから……嬉しいわ」

「私は貴女に真っすぐ気持ちを届けていたつもりだったのに、本当に余計な邪魔が入ったな」

「ふふっ、確かにそうね。リアンがモテすぎなのよ」

「どういう事?」

「あなたの事を好きな人が多いのよ。彼らは私では満足しなかったのね」

「勝手なことだ。本当に……腹立たしさが収まらない」


 リアンはボソリと低い声で何かを呟き、すぐそばにある小さな包みを手に取った。


「これは、本当は貴女に一番に渡したはずのものだよ。届いていると思っていたから、何の反応も示さない貴女を見て私の事などすっかり忘れているのだと思ってしまったんだ」


 渡された包みを広げ中を取り出す。


「……まあ、これは」


 重厚な革で出来た濃紺の表紙には、金色の文字が箔押しされている。


『遥かなる雲の先』

 

「普通の装丁ではすぐに駄目になってしまうから作らせたんだけど……やりすぎたかな」

「いいえ。……いいえ、嬉しいわ。私の持っている本はもうボロボロになってしまったから」


 そっと表紙を撫でる。

 青く染めた皮は手のひらにしっとりと優しく馴染む。表紙を開くと、美しい文字で『愛するエラ』と書かれていた。顔が熱くなり、視界が滲む。


「ありがとうリアン。これで……、子供にもこのお話を読み聞かせしてあげられるわ」

「……エラ」

「私、貴方を信じるわ、リアン。これは義務でも政治でもなく、私の意思よ」

「本当に?」

「本当に」


 リアンの手がそっと私の手を包み込む。

 それはまるで、頭上に広がる重たい雲の隙間から光が差すような。優しく、温かく、一筋の光が差すような。


「ねえ、頼むからやっぱり条件を持ち出す、とか言わないでくれ」

「そうね、他の条件に書き換えが必要だわ」

「他の条件? この婚姻はやっぱり条件が付くんだね」

「そうよ。はじめから条件が付いてたの。それを書き換えましょう」

「仰せのとおりに」


 リアンはクスクスと笑うと包み込んでいた私の手を解き指を絡め、ぎゅっと繋いだ。


「ではまず、どの条件を変更しますか? 王太子妃殿下」

「じゃあ、貴方と子を儲けない、という条件かしら」

「承知しました。では寝所を共にしないというのは?」

「それはとっくに破られてるわ!」

「そうだった」


 ははっと声を上げて笑うリアンにつられて、私もクスクスと笑うと、ぽろりとひとつ、涙がこぼれた。リアンがそっと長い指で私の頬を拭う。

 

「……それらの条件についてはすぐに削除しよう。それでは何を追加しますか、王太子妃殿下?」


 リアンは労わるように、私に優しく声を掛けてくれる。またひとつこぼれた涙を、リアンの長い指が優しく掬う。パチパチと何度も瞬きをして涙を散らして、まっすぐリアンの顔を見つめた。

 湖のような瞳が、私を優しく見つめ返す。


「……私と、共有すること」

「共有?」

「私との婚姻で犠牲にしたものも、これからあなたが王太子としてすることも全て。私に何も言わずに、一人で背負うようなことはしないと」

「約束?」

「いいえ、条件よ」

「貴女との婚姻の条件だね。それは守らなければ」

「そうよ。それから」

「まだあるの」

「あるわ。私を、海に連れて行ってくれること」

「それはまた、なんと難しい条件だ」

「あら、私を手放したくないのなら守るべきよ」

「手放すものか」


 美しく笑うリアンがそっと本の上に掌を載せる。


「この本に誓って、必ずその条件を守るよ……俺の妃」


 その言葉に、私は身を乗り出しリアンの唇にそっと触れる口付けを落とした。


 何も感じず何にも期待せず、ただ生きていくだけの日々を送るのだと諦めていた幼い頃からの私。

 そんな私を探し出し求めてくれた人。手を差し伸べ、けれど決して強要することなく、隣に立ち寄り添ってくれる人。優しく、強く、……私に、光を当ててくれた人。


「大好きよ、リアン」


 目の前の美しい湖の瞳にそっと囁いて、きっと私は、とても自然にリアンに気持ちを伝えられたと思う。



 ――その時の真っ赤になり狼狽えたリアンの様子は、遠くから私たちを見守っていた騎士たちによって随分長いこと揶揄われたのだと、後になってからリアン本人から聞くことになった。


 *


 ゆっくりと帰路を楽しみ王城へ戻ってからしばらくして、休暇を終えたリアンは執務に復帰した。

 全然時間が足りないと最後まで文句を言っていたけれど、迎えに来た文官の青白い顔を見て抵抗を諦めていた。


「……もしかして、あなたエディ?」

「はい。ご無沙汰しておりますエラ王太子妃殿下。お元気そうでよかった」


 執務室で会った青白い顔の文官は、私の国のあの庭で一緒に駆け回った赤い髪のエディ。そばかすは消えて、その代わり青白くなった気がする。けれど面影の残るその顔を見て嬉しくなった私は、エディに挨拶をしようと両手を広げ近付くと、リアンに間に入られ全力で止められた。


「貴女の国の挨拶は、私だけにしてくれ」


 エディは口を尖らせそう言うリアンを笑いながら、懐かしそうに目を細めて私を見た。

 

「殿下は王太子妃殿下が初恋なんですよ。当時から俺たちは随分牽制された」

「俺たち?」

「ロブは覚えてますか?」

「もちろん」

「今は殿下の近衛騎士をしています。一際でかい身体で目立つはずですが、まだ挨拶をさせてもらえないと嘆いていました」

「……私、何度も遠くから見ているわ」


 私を心配して後に着き、湖の対岸で大きく手を振っていた、リアンが会わせようとしなかった身体の大きな騎士ではないだろうか。そう思ってリアンの顔を見上げると、フイっと視線を逸らされた。

 どうやら間違いない。この人は、本当に私のことが大好きなのね!

 おかしくなって声を上げて笑うとリアンの耳が赤くなった。「かわいいわ!」そう言うとリアンはムッと拗ねたような顔をする。だって仕方ない、かわいいんだもの。

 そんな私たちを見てエディは「変わらないですね」と笑いながら、容赦なくリアンの前に大量の書類を置いた。

 あの護衛騎士ロブと会えたのは、それから更に後のこと。


 *


 リアンはその後、私の条件を忠実に守り、公務は私と共に行い側妃を召し抱えることはなかった。

 子どもは男の子三人、女の子が二人。

 他国との交流も増え国交に力を入れたリアンが国王に即位すると、私を他国へ嫁いでいった姉たちと再会させてくれた。


 そしてもちろん、海に連れて行くという条件も忠実に守ってくれたのだった。

 

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王太子妃になった私の条件付き訳アリ婚について【連載版】 かほなみり @kahonamiri_momo

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