第31話 魔性の笑顔

なにやら、向こうのテーブルを囲んだ師匠らがこちらをしきりに見ている気がする。あまり良い気分ではない。


「さ、佐々田ささたくん? あの……座ってもいいからね? 立ってるの大変だろうし……。」


部長のすぐ隣でデッサンを描いている姿を観察していた俺に、彼は椅子を差し出してきた。


「ありがとうございます。」とひと言礼を言い、俺はお言葉に甘えることにした。


「さ、|佐々田くんはっ、その……え、絵に興味があったりするの?」


緊張気味に、振り絞るように部長は訊いてくる。そんなに無理して話すこともないのに。後輩へわざわざ話を振るところや、描く手を止めて顔をこちらに向けて話をする姿勢など、所作の端々から彼の律儀さというか、人に対する誠実さを感じる。


「あ、全然、描きながら話してもらって大丈夫ですんで。」と前置きをして、俺は続ける。部長は律儀に「ごめんねっ。」と返して、キャンバスに向かいながら聞いてくれた。


「まあ、そうですね。嫌いじゃないです。でも、美術史とかはあんまり詳しくないですね。描くのが楽しい、ってカンジです。」


「あはは……、僕も同じかも。こうやって、デッサン描いてるのも、受験に必要だからっていうだけじゃなくて、描くのが楽しいからなんだろうね。」


「部長さんは、美大志望なんですね。」


「う、うん。いちおうね。佐々田くんは、進学とか考えてる? ……って、まだ高校生になったばっかりなのにこんな話したくないよね、ご、ごめんね。」


「……いえ、3年生になるのなんてすぐでしょうし、いずれ考えなきゃいけないことですから。」


「そ、そっか。」


「俺も進学を考えてます。美大の可能性も無くはないですね。」


「そうなんだ……! が、がんばってね!」


「はは、まだ部長さんに心配される時期じゃないですよ。」


「あはは、僕が心配できる立場じゃなかったね……!」


部長は、柔らかく握った手で、口もとを隠すように笑うのが癖らしい。彼の仕草の一つひとつに、その謙虚さも相まって、上品ささえ感じる。


「……この美術部にはさ、男子が僕しかいないから、少し肩身が狭かったんだ。」


談笑に花が咲き、ひとしきり経つと、部長は描く手を止めてこちらに向き直りつつ、そう切り出した。


「僕が1、2年生の時は、上級生に男の先輩もいたんだけどね。」


「それは……仕方ないことかもしれないですね。でも、女子の部員さんたちと話したりもするんですよね?」


「う、うん……そうなんだけど……。」


部長は口ごもりながら視線を徐々に下げていく。なにか、踏み込んではいけない質問をしてしまったのだろうか。


「あの……無理して話さなくてもいいですよ。」


「あ……ううん、大丈夫。ごめんね。えっとね、他の部員の人とはちゃんと話すよ。ただ、なんか異性として接されてないというか、なんというか……。」


……なるほど。たしかに、彼のこの容姿や振る舞いからは、あまり雄々しさは感じられない。


しかし、『男らしさ』や『女らしさ』なんてくくりは時代錯誤も甚だしい。


彼のまとう雰囲気については、『男らしくない』と見るのではなく、彼個人の持ち味として見るべきなのだ。


ただ、俺のこの考えを、見ず知らずの女子部員に共有しようとするのも、そして共有した結果それが受け入れられるかどうかも、まったく困難な話である。だから、


「それは……難儀ですね……。」


と、返すしかできなかった。


「だ、だからねっ!」


くわっ、と表情を一変させ、改めて俺に視線を送ってきた。力強く、勇ましい瞳だった。


「佐々田くん……僕に『男』を教えてくれないかな!?」


俺は思わず周りに注意を配った。俺と部長が教室の隅で話していたことと、他方、教室の真ん中では師匠らが騒いでいたことがさいわいして、俺たちのやり取りが周囲に気づかれることは無かった。


しかしまあ、かなり大胆なことをあまりに無垢ピュアな瞳で訴えかけていた。おそらく、というか絶対に他意は無い。彼は、己のコンプレックスを克服しようとしている、健気な男なのだ。


「……えぇと、詳しくお願いします。誤解の無いように。」


「う、うん! その……佐々田くんって、背も高くて、顔もシュッとしてるからさ……!」


「そう……なんですかね。自分じゃ分かんないですけど。背も、特段高いわけじゃないですし。」


「ぼ、僕は背も低くて、細身だから……佐々田くんが羨ましいよ……。」


「……まあ、身長とかは難しいかもしれませんけど、身体からだづくりとかは協力できるかもしれません。」


「ほ、本当に!?」


中学の頃から、美術部といえど特に規則もなく、ほぼ帰宅部みたいなものだったので、俺は筋トレにも手を出すくらいに暇だった。と言っても、健康維持程度の軽いものだったが。


そんなモチベーションの俺が、『自分の身体を変えたい』というたっとこころざしで臨む彼に協力するのも、少し気が引ける。


が、しかし。


「あ、ありがとうねっ! よろしくおねがいします!」


俺の左手を大事そうに両手で握りながら、こちらにまっすぐ視線を合わせて、協力を訴えてくる部長を、俺は断る気になれなかった。


「あ、あのさ、佐々田くん。」


手を握ったまま、改めて俺を呼ぶ部長は、こころなしか気恥ずかしそうだ。


「は、はい?」


「これからは、な、夏瑪なつめくん……って呼んでもいいかな……?」


うぐっ。


なんなんだこの生き物は……!?


やばいぞ……俺の中で別の扉が開きかけているッ!?


「ど、どうぞご自由に……。」


瞬間、部長の顔はぱあっと明るくなった。かわいい。……いやいや、なにを俺は。


「よ、よろしくね! 夏瑪くんっ!」


ぐはっ。笑顔が眩しすぎる。


あまりに眩しいものだから、俺は思わず天を仰いで目を固く瞑った。


俺の手を握って離さない部長は、さらに続ける。


「あ、あのさっ! 僕のこともかおるって呼んでいいよ……?」


この人、距離の詰め方が尋常ではない。しかし、満更ではない俺も、心の中に、確かにいた。


「部長さん、下の名前で呼ばれるのは嫌だったんじゃないんですか?」


「そうだけど……そうなんだけど、夏瑪くんになら……良いよ……?」


そう言いながら、至って無垢な瞳を、上目遣いで向けてくる。


もう、俺はダメかもしれない。


「……じゃあ、か……薫、先輩……と呼ばせてもらいます……。」


「うんっ!」


向けられた笑顔は、どこか先ほどのものよりも熱っぽく見えた。俺にとっては、それはまさしく、魔性の笑顔というやつだった。


俺は、これ以上はなにかとマズいと察知し、まずは彼の両手の中にある左手の脱出を試みた。


さも自然に、咳払いを一回、そののち、椅子に座り直すような動作のために、左手に引く力を込める。すると、人の機微に聡い部長は、俺の行為を邪魔しないように、両手をパッと解いた。


「お熱いねー、そこの二人。」


俺があくせくしていると、背後から師匠の声がした。『助かった』と表現しておこう、今は。


「仲良くなったか? ん?」と、師匠は不気味なほどの笑みを携えて、こちらに訊ねる。分からないが、きっとなにか企んでいるに違いない。


「う、うん。仲良くなった……よね?」


また、この手の選択肢のあるようで無い質問だ。


だが、回答を口にするのが不思議と面倒に感じないのは、が意味のあることだと、内心で気づいているからなのだろう。


「そうですね。薫先輩とは、すっかり仲良しです。」


意味がある。そう、薫先輩の笑顔が見れる。


……はっ!? いま俺はなにを……!?


「ほーん。ねぇ……。良かったじゃねぇの、薫チャンよ。初めての男後輩けん友達じゃん。」


「さ、さすがに初めてじゃないよ!?」


「まあ、いいわ。佐々田ぁ、今日はもう帰っていいぞ。かんなもな。」


「へ?」


「はい! お疲れ様でした!」


「ほら、早く来い。入り口まで送ってやるから。」


踵を返して美術室の扉へと向かう師匠と煤牛。


俺は、「またね。」と言った薫先輩に短く礼をし、彼女らの追った。


美術室の入り口を出てすぐのところで、「おい、佐々田。」と師匠が言うと、俺は歩みを止めた。ついでに隣の煤牛も、止まった。


「薫チャンさ、結構ナイーブだったろ?」


「……まあ、そうですね。」


「だからよ、アレとダチんなったんなら、頼むわ。」


いつになく真剣なトーンと表情で、彼女はそう言った。


部長に過去、なにがあったのかは定かでは無いが、あの純真さゆえに、傷ついたことも多くあったのだろう。


「はい。」と、決意を込めて俺は返した。


「おう。いつでもコッチに来て、部長と話してくれて構わねーからな。」


「じゃあ、たまにお邪魔しますね。」


「ああ。いつ来ても良いからな。マジで。部長がいる時に。」


「はい。」


「いや、マジでな。ホント、部長マジ寂しがり屋チャンだから。ホントに。」


「わ、分かりましたって。」


ものすごい念押しした挙句に、俺の返事を聞いて安心したのか、師匠はにっこりと微笑んだ。表に出さないにせよ、師匠は薫先輩を相当心配しているようだ。


「じゃ、またな。」


あ、『入り口まで送る』って美術室のか。生物室まで付いてくるのかと思った。それにしても、にっこりとしている。依然として。


「お邪魔しました。」


「ありがとうございました! また来週、漫画……


煤牛の言葉を遮るように「かんなぁ!!」と師匠が扉から顔を出して叫んだ。


俺と煤牛はその咆哮に固まった。


師匠は、先ほどまでの笑顔から一変して、鬼の形相で、唇に人差し指の橋を渡しながら「シィーーーー……。」と深く長い声を、合わせられた歯の隙間から漏らしていた。


煤牛はそれを見てなにかを理解したのか、驚いた表情をキッと正して、それはそれは見事な敬礼を師匠に向けた。なんなんだ、この人たち。


「行ってよし。」


師匠は、扉の間から出した顔を再び笑顔に切り替えて言った。


あの悪魔のような形相を見た後では、たとえ先ほどまでの笑顔と同じでも、めちゃくちゃ不気味に映る。これもまた、魔性の笑顔か。


あまりに作られた笑顔、そして煤牛とのやりとり。やはり、なにか裏を感じるのは気のせいだろうか……。


しかし、俺と薫先輩の仲を取り持つことになにか意味があるとは思えない。では一体、師匠はなにを……?


……と、こんなことを考えたとて、なにをどうすることもない。


そんなことよりも今日は、友人が一人増えたという喜ばしい事実を祝おう。


俺は、わだかまりを奥に追いやって、清々しい気持ちで生物室に帰る足を進めるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お前らゼンゼン信用ならんっ! ふくまさ @fukumasa0222

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ