《前期日程八日目・昼十二時頃・駅前のスタパ》(1/1)



 つまりだ。


「……僕の継承術は前世では【ストレージ】って呼ばれてた能力でさ。自分の体を起点にして、異空間にものを出し入れするスキルなんだ」

「それだけでも十分強力なスキルだな。しかし、貴様の場合は事情が異なる。そうだな?」


 黒澤さんの声音が、呆れを孕んだ。


「狸穴蓮、貴様はその【ストレージ】とやらの中に入っていたものまで、地球に持ち込んでしまったのだ。転生具など非ではない、本物の魔道具というやつを、だ」


 細長く、きれいな指がストローを回す。ドリンクが、混ざる。


「貴様が私に寄越した剣と盾は、それだろう。貴様の仲間の武器だったわけだ。灯油のタンクをしまっていた場所も、戦闘後に武具を隠した場所も、すべて【ストレージ】だな?」


 その通り。そして、黒澤さんに貸与した武具だけじゃない。ピッキングツールの魔道具に、【鑑定】の効果が付与された片眼鏡まで、すべて異世界から持ち込んでしまった魔道具だ。

 ほんものの異物が、僕の内側には収納されている。


「貴様がスマート・ポーションを飲んでも散魂しなかったのは、喉奥に入った液体をそのまま【ストレージ】に収納して、摂取量を減らしたからか。その点だけは、賢明だったな」


 いえ、実際はポーションの効果で継承術が暴発して、運よくポーションを収納できただけなんです……、とは言いづらいので黙っておく。


「収納したぶんはどうした?」

「……黒澤さんちでシャワーを借りたとき、排水溝に流したよ。あんなもの、持っていたくないし」


 妥当な判断だ、と黒澤さんはうなずいた。


「なぜF対にまで隠しているのだ。道具を奪われるのがいやだったのか」

「……捕まると思ったんだ。危険だから」

「だろうな。危険すぎる。転生具ではない異世界直送品なんて、地球史上でもまれにみるオーパーツだぞ」


 もちろんそうだ。けれど、それだけじゃない。英雄たちの道具は便利だし、ほかにもまあ、いろいろなものが入っているけれど、さすがにパンドラの箱クラスじゃない。でも、隠さなければいけないと思った。


「容量もさ。問題なんだよ」

「容量? どれだけのものが入るか、ということか。トラック一台ぶんくらいか?」


 首を横に振る。僕がスキルを伏せていた理由は、中身ではない。

 【ストレージ】というスキルそのものだ。


「……ないんだ。容量」


 黒澤さんはきょとんとした。目の前に鏡を置かれたふくろうみたいだ。


「な――、ない? ないのか? 容量が?」

「無限ってこと。僕のいた世界でも、かなりレアなスキルだったよ」


 黒澤さんはゆっくりと言葉を咀嚼して、顔をしかめた。


「……貴様、あれだな。封印されるな、それは」


 僕もそう思う。下手をすれば、僕はひとりで世界を滅ぼし得る。


「海の水ぜんぶ抜くとか、世界中の空気ぜんぶ奪うとか、時間かければできちゃうわけ。だから、隠すしかなかったの。平穏な生活をすべきだと思ったから」

「まあ、気持ちがわからないわけではないが」


 猛禽の視線が、鋭く僕に突き刺さった。


「貴様、そのスキルをよりにもよって犯罪に使ったな? 平穏な生活が聞いてあきれる」

「うぐ」


 黒澤さんは首元に手をやって、いつもと違ってファスナーがないと気づいたのか、しばし手をさまよわせた。それから、お上品に前髪を梳いて、テーブルの上に戻す。


「貴様はあのビルから、スマート・ポーションの売上金すべてを盗んだ。そうだな? 部屋に火を放ったのは、魔草を焼き払うためではない。部屋になにがあったのか、わからなくさせるため。捜査を少しでも混乱させるためだった」


 この犯罪者め、とねめつけられると、反論なんてできるはずもない。


「……その、廃工場で、ボストンバッグをふたつ見てさ。ひとつは鈴鹿が持ち去ったスマート・ポーションの入ったやつで、じゃあもう片方はなんだろうって考えたんだ。白河さんが、拠点を捨てる際、自分で運ぶようなものって、なんだろうって」

「なるほどな。貴様はボストンバッグの中身が売上金であると考え、『じゃあボストンバッグを【ストレージ】に隠してしまえば、誰にもバレずに盗める』と企んだわけだ」


 そう。黒澤さんの推理通りだ。

 卓上のホワイトモカのクリームが溶けて、チョコソースと混ざり始めていた。白に、黒が溶け込んでいく。


「そして実際、公的機関の動きは貴様にとって都合よく進んだ。真田が金に興味を示さないところまでは。想定外だったのは――、金にはマネーロンダリングが必要だったことだ」


 黒澤さんの言葉は、もう断定形になっていた。


「私に黙って金を渡せば、喜び勇んで奨学金の返済やら、古着の購入やらに、派手に充てただろう。そして、国税は喜び勇んで私の裏を洗い、謎の一億円を発見するわけだ。狸穴蓮、貴様、考えが足りなかったな。……いちおう聞くが、マネーロンダリングの伝手はあるか?」


 とうぜん、僕にそんなものはない。あえて言えばワンさんだけれど、彼に貸しを作るのは、たとえ一億円のためでもお断りである。


「つまりだ。貴様は現金を持ったが、その金は使えない。私にも支払えない。そうだな」

「……ほんとうに、ごめん」

「謝らなくてもいいが、必ず支払ってもらうぞ。返済プランはあるのか」


 肩をすくめて体を小さくしながら、おずおずと上目遣いで黒澤さんを見上げる。


「ええと、その、とりあえず一旦ツケてもらうのは無理……、ですか?」


 猛禽の瞳の温度が氷点下まで下がった。ほんとうにごめんなさい。拝金主義者の教義に背いた罪で、殺されるかもしれない。死の恐怖に震えていると、黒澤さんが大きく息を吐いた。


「まあ、そうなるだろうとは思っていたがな。だからこうして、おしゃれをしてきた」

「……どういうこと?」

「奢れ。ユナパに行くぞ。ワンデイ・スタジオ・パスなら約一万二千回で完済だが、さすがに一万二千回もユナパに行くなら年間パスを奢ってもらいたいな。ひとまず今日はユナパだが、次以降どこで遊ぶかは貴様が頭を捻れ。楽しませてくれたら減額も考えてやる」

「え、ええ?」


 混乱する僕に、黒澤さんが、ふん、と顔を背けた。


「言っただろう。今日はデートだ。それとも私では不満か? 着飾ってきたつもりだが」


 恐る恐る目線を上げると、珍しいことに――、ほんとうに初めて見たと思うけれど、黒澤さんの頬が朱に染まっていた。照れているのだ。マジか。


「……光栄です?」

「なぜ疑問形なのだ。ほら、はやく赤い毛玉のマスコットに会いに行くぞ」


 ずるずると腕を引っぱられてスタパを出る。

 春の風が大阪の街並みを撫でて、アスファルトに立ち込める熱気にほんの少しの清涼感を加えて去っていく。太陽は煌々と輝き、粉々に砕けた薄い雲たちが空に漂う。


「……真面目に大学生をやらなきゃいけないんじゃなかったっけ」

「貴様は馬鹿のくせに考えすぎなのだ」

「黒澤さんに言われたくない」

「……そうだな。私も馬鹿だ。だから、貴様を誘った」


 どういう意味かわからなくて、長身の顔を見上げる。


「一緒に行こうと、白河と約束しただろう。前世の業も今生の平穏も知ったことか。普通の大学生なのだ、講義サボってユナパに行くくらい、いいだろう」


 なにも言えないまま、黒澤さんのショートカットの後頭部を見つめる。あの日の白河さんもそうだった。普通の大学生。普通の生活。普通のサボり。普通の遊び。

 この拝金主義者は、ほんとうに優しくて、困ってしまう。


「大学にいくと二人のことを思い出して寂しいから、僕も同じように寂しがってるんじゃないかと気遣って、連れ出してくれたんだね――、いたっ、なんで殴るのっ?」


 真っ赤な顔が振り向いて、僕の肩あたりに鋭いパンチが飛んできた。外魂格を展開していなくても、黒澤さんが繰り出す拳は強烈だ。心がこもっているからかな。


「貴様が余計なことしか言わないからだっ! いいか、私はただ、貴様の借金を合法的に取り立てるべく、奢ってもらうだけだからなっ! 貴様を気遣ったとか、そういうことは決してない!」

「あ、うん。……じゃあ、衛藤も呼ぶ?」


 もう一発、殴られた。なんでだよ。


「阿呆。今日くらいは、二人でいいだろうが」

「……なんで?」

「……阿呆、馬鹿、へたれ」


 冷酷な拝金主義者は怒りつつ、駅に向かってずんずん早足で進んでいく。

 その背中を見て、思う。黒澤さんは、ほんとうに汚いやつだな。自分だってつらいくせに、他人を気遣って、自分は飄々と平気なふりをするんだから。


 ダーティーなやり口だけど、僕には通じないぞ。僕は知っているんだから。

 あの日、廃工場で抱きしめてくれたとき――、黒澤さんだって泣いていたじゃないか。

 つらいものは、つらい。当たり前なのだ。どんなひとでも。どんなときでも。

 急ぎ足の彼女に小走りで追いついて、隣に並ぶ。


「ね、黒澤さん」

「なんだ、馬鹿」

「頼りないかもしれないけど、つらいときは僕を頼っていいからね。僕らは、痛みを分かち合える相棒で、友達なんだからさ」

「……うるさい、馬鹿」

「あと、今日の服、めちゃくちゃ似合ってる。モデルさんみたいだ」

「黙っていろ! まったく……」


 黒澤さんは周囲をきょろきょろと見回して、だれもいないことを確認すると、僕のほうに一歩ぶんだけ近寄った。肩が触れる。言葉はない。

 でも、心がある。たしかに、ここに。


 彼女の早足が、少しだけ緩んだ。僕の歩調とぴったり合うくらいに。

 暖かさが暑さに転じる前の、春の空気の中を、歩いていく。

 失ったものはたくさんあって、一度失えばどう足掻いてもやり直せないし、取り返せない。時間は後ろ向きに流れてくれないから。僕たちはただ、時間に絡めとられ、何度も溺れ、もがき、いろんな方向を向きながら、流されていくしかない。


 けれど、人生は長い。その中のほんの一日、ほんの一瞬くらい、自分が前向きに泳いでいるのだと錯覚してもいいじゃないか。

 隣にいるだれかと、自分たちはいま一緒に進んでいると思い込んだって、いいじゃないか。


 大阪という街は、前向きな奴も後ろ向きな奴も否定しない。

 等しく灰色のぬかるみに取り込んで、その薄汚れた温かさで包んでくれる。

 脳内に神を見つけてしまったヤク中も、禁煙に失敗する女も、やけにマッシブなオタクも、どうしようもなく嘘つきな大学生も、それから他人を救わずにはいられないダーティーエルフも。


 僕らは、そんなぬかるんだ人の群れに包まれて生きていくしかない。

 冷たくて、薄暗くて、冷酷で、けれど温かくて優しい場所で。


 そんなことを考えていると、地下鉄駅の入り口に辿り着いた。

 地下鉄ホームから押し上げられた淀んだ空気が、ぶわりと前髪を撫でる。

 その中に一瞬、白い光が見えた……、気がした。甘ったるいバナナのフレーバーも。

 なんだか耳慣れた関西弁を想いだして、通りすぎていった風を振り返ってしまう。


「どうした? 狸穴蓮」

「……いや、なんでもない」


 改めて、階段を踏みしめる。もう振り返らない。少しだけ、胸が痛んだ。

 でも、だいじょうぶ。心の中に、いるから。おまえの色を、忘れたりはしないから。


 僕も、黒澤さんも、衛藤も。F対東京本部で封印される白河さんだって、心の中の鈴鹿を、ずっと大切にしていくから。

 おまえの不在に心を痛めながら、けれど、その痛みで僕らは繋がっている。思い出す。


 生きていたことを。生きていることを。

 だから、きっとこれでいいんだ。

 風に背を向けて、僕は階段を下りていく。

 少しだけ背筋を伸ばして、灰色の温かさを抱きしめながら、下りていく。



 《終わり》



※※※あとがき※※※

完結です。お読みいただきありがとうございました。

2021年、某公募に応募したお話で、今まで寝かせていたのですが、Web用に整えて公開することにしました。

ギミック周りや全体の構成など、なかなか反省点も多いお話ですが、個人的にはとてもお気に入りのお話なので、楽しんでいただけたなら幸いです。


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面白かったら☆☆☆のレビューの奴をよろしくお願いします。

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ダーティーエルフの黒澤さん:オーバードーズ・オーサカ ヤマモトユウスケ @ryagiekuru

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