第3話 Riot
あの日、僕はとあるバーで彼女と出会った。
黒のワンピースに赤いファーコートを着た彼女の姿を今でも鮮明に覚えている。
「
「貴方にはちゃんと魅力があるわ」
「ウフフ、冗談よ」
「大丈夫よ。私は信じているもの」
最初は彼女の派手な服装と強引さに戸惑ったけれど、何度か会ううちに僕は彼女に惚れていった。
今までの人生で上手くいくことは何もなかったし誰も僕を必要とはしていなかったけれど、彼女だけはそうじゃないんだ。
「サラ。き、君は僕のことす、好きだろ?」
ある日の夜道、僕は思い切って彼女に聞いてみた。
「ええ、よくわかったわね。一目惚れよ」
嬉しさで心臓が張り裂けそうだった。ああ、これが相思相愛って奴なのか。
少しの沈黙の後サラは口を開く。
「ねえ、私疲れちゃった。どこかに休憩できる場所はないかしら?」
彼女の問いに僕の心臓の音はさらに大きくなった。
「じゃ、じゃあさ、僕の家に来ない?こ、ここから近いんだ!」
こんな状況ではとても冷静な返答はできない。
「良いわね。そうしましょう」
サラは微笑んだ。
下心がないとは言えない、だがもうここまで来たら引き返せなかった。
僕らは家までの道のりを黙って歩く。
横を歩く彼女が視界に入る度僕の呼吸は乱れた。
「こ、ここだよ。さあ入って」
歩いている間の短い時間では緊張が解けることはなく、自宅の一軒家にたどり着いた僕は肩に力が入ったまま彼女を向かい入れた。
「ありがとう」
彼女の後に続いて家に入った僕は玄関のドアを閉めポケットから取り出した鍵を鍵穴に刺す。
いつもなら簡単に閉まる鍵も今日ばかりは硬く感じた。
ガチャリ……。
「えっとそう、リビングはあっち……」
振り返った僕が顔を上げて彼女を見たその時だった。
「――ッ!?」
サラと僕の唇が触れ合う。
あまりに急な出来事だったから僕は何もできずに固まった。
やわらかい感触、甘い匂い、視界に入る景色が僕を刺激する。
キスをしていたのはほんの数秒だったのだろう。
だけど僕にはとても長く感じた。
「うふふ、かわいい……」
サラは細い目つきで僕を見つめた。
綺麗だ、可愛い、自分のものにしたいと言う感情が心の底から湧き上がる。
それと同時に、ある1つの衝動も顔を覗かせた。
それは彼女に対する加害性であった。
「サ、サラもとても綺麗だよ……」
この衝動に身を任せてはいけない、そう思った。
しかし、それはもうすでに無視できないほどに大きくなっていた。
黒い気持ちが急速に僕の心を冷たく蝕む。
冷や汗がどっと出て肌を伝う。
人と獣の間で揺らぐ。
もう、抑えきれない――。
「あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
僕は一心不乱に彼女に襲いかかった。
「うふふふふ、あはははは!」
僕の瞳に映る彼女は笑っていた。
両手で彼女の首を思いっきり掴んで締め上げる。
ギリギリと言う音と共に僕の爪が彼女の皮膚に食い込んだ。
「ギギギギ……!」
歯を食いしばって自分の手に精いっぱいの力を込める。
理性などひとかけらもない、僕の中にあるものは彼女に向けた純粋な殺意だけだった。
「良いわあ、良い!」
こんな状況にも関わらず当の彼女は全く苦しそうな表情をせず、むしろ恍惚とした表情を浮かべていた。
僕は身体中に血管を浮かべ顔を真っ赤にしながら彼女の首を締め続ける。
けれども時間が経つと僕の腕に限界が訪れた。
「グ、グギギ……」
首を絞める力が段々と弱まっていく。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
こうして息も切れ切れになった僕は遂にサラの首から腕を離してしまった。
「あら、もうおしまい?残念ね」
疲れて屈む僕を見下す彼女の目は獣のようだった。
「あなたなら最後までいけると思ったのに……」
とにかく酸素を求めて大きく呼吸する僕には現状がほとんど理解できない。
しかし、そんな僕でも彼女の纏う空気感の変化は本能で分かった。
彼女は僕に殺意を向けている。
「まあ良いわ……」
僕は顔を上げてサラを見つめる。
彼女はやっぱり綺麗だ……。
最後に思ったのはそんなことだった。
ドスッ!!
鈍い音と共に血飛沫が上がる。
返り血がサラの顔を赤く染めた。
「……」
僕はゆっくりと視線を下に向ける。
その先にあるものは僕の腹を貫通する彼女の獣のような腕だった。
「ア、アア……」
彼女は苦しむ僕を容赦することなく腕を腹から力任せに引き抜く。
彼女の全身には返り血がべっとりと付いていた。
「ウフフ、ウフフフフ!」
僕の体から出た血が床に広がる光景を見て彼女は目を細めて笑った。
床に倒れた僕の体は急速に冷えていく。
サラは何度も僕の体を傷つけている。
途切れ途切れになった僕の意識が最後に感じたのは首筋の痛みだった。
「これで良し」
サラは遺体に刻んだハートマークを見て満足げな表情で言った。
「夜が明けるまではまだ時間があるし、それまではここを使わせて貰うわね」
特務機構は連日捜査に追われていた。
そんな忙しい毎日を送っていたある日のこと、アンナはとある人物と共に本部の廊下を歩いていた。
「先輩、特別任務の方は行かなくて良いんですか?」
「俺もお前と同じで呼び出されてんの。だからそっちの方は今休止中~」
薄汚れた格好の男は両手を腕を頭の後ろで組みながら答えた。
「じゃあ、暫くはこっちに居るんですか?」
「んー。向こうさんの状況次第って感じだな。今回だってたまたま来られただけだし」
「そうなんですね」
「ま、息抜きだと思うようにするさ。四六時中他人を演じるのは疲れんだ」
二人は暫く歩くとB-2会議室と書かれたドアの前で足を止めた。
「先輩、着きましたよ」
「お、ここか」
男は一息つくとその扉をノックする。
コンコン。
「入りたまえ」
「失礼します」
低いの声に従ってアンナ達は部屋の中へ入るとそこには口ひげを蓄えた中年の男性が立っていた。
「マクスウェル・ダリスです。呼び出しの件で参りました」
「アンナ・バルドです。同じく呼び出しの件で来ました」
「今回の事件を担当しているブルーノだ」
「きみがマクスウェル君だね。活躍はかねがね聞いている」
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしく頼むよ。まあとりあえず座りたまえ」
3人はそれぞれ白い椅子に腰かけた。
ブルーノは一呼吸置いてから話を切り出す。
「さて早速本題に入るとしよう。今回きみたちを呼び出したのは他でもない、連日起きている殺人事件について元刑事である君たちの見解を聞かせて欲しいのだ」
「自分たちにできることがあれば喜んで手を貸しますよ」
「それは頼もしい。ではまず現状の共有しておくとしようか」
「そっすね」
ブルーノの提案にマクスウェルは愛想よく答える。
「犯人についての主な情報源は現場に残っていた証拠品と監視カメラの映像、そして犯人が残したと思われる手紙だ。被害者の直接的な死因は腹部にある直径約20センチの刺し傷であり、その他にも全身に複数の切り傷のようなものが確認されている」
「現場には特に激しく争った形跡がないことから全身にある傷は被害者が死亡する寸前、又は死亡直後につけられた可能性が高んでしたよね?」
アンナは真剣な眼差しでブルーノを見つめる。
「そうだ。つまり犯人は遺体を傷つけ弄んでいたことも考えられる。次に監視カメラの映像に関してだが、これが今回の事件を難解にしている1つの要因であり犯人がリベレーションに所属する人物である可能性が高いとされる部分である。犯人は決して監視カメラに映ることがない。しかしその存在の確固たる証拠として被害者が度々透明な何者かと会話する様子が監視カメラによって確認されている」
「んで、街に潜伏してる犯人の行動をなんとか追跡した結果、日常的に化粧品売り場やレディースの服屋に出入りしてることから女性と考えられてるわけだ」
「マクスウェル君その通りだ。一連の犯行には女性の連続殺人犯に多く見られる特徴があるのだ」
マクスウェルは持ち込んだ資料を眺めながら話を続ける。
「んー、こりゃちょっと厄介かもっすね」
「何か気づいたかね?」
「いやー……。これ仮に透明化の能力が持ち物にまで使えるなら何持ち込んでるかわかんないっすよ」
「言われてみれば確かに……。流石だね」
「たいしたことないっすよ」
「謙遜する必要は無い。こういった細かい事柄が解決につながることもあるのだ」
「お褒めに預かり光栄っす」
ブルーノは咳ばらいをする。
「以上のことから犯人はリベレーションに所属する透明化の能力を持つ女性と考えられているのだ」
「でもどうしてこんなことするんですかね?この事件が仮にリベレーションの作戦だとしてもなぜ重要な情報を何も持たない一般人を狙っているのがわからないじゃないですか」
アンナの質問にブルーノは眉をしかめる。
「そのことなんだが……犯人の動機については様々な意見が挙げられっているものの、これと言って確証の持てる物が未だにないのだよ」
「そうなんですね……。素性が明らかになっていない以上動機から辿っていくのも手だとは思ったんですけど難しいそうですね……」
難しい表情の二人に対し飄々とした雰囲気で資料をめくっていたマクスウェルはその手を止めた。
「動機なら何となく見当は付くっすよ」
顎に手を当てながらそう言う彼の顔は何処か自身に満ちていた。
「マクスウェル君本当かね?」
「まあ……勘っすけど」
「それでも良い、聞かせてくれ」
マクスウェルは座る姿勢を崩すと背伸びをしてからテーブルの上に肘をついた。
部屋に緊張が走る。
「犯人動機、それは――」
その時だった。
ドンドンドン!
会議室の扉が叩かれる。
「失礼します!」
入ってきたのは青ざめた表情の職員だった。
「ああクソ!いいところだったのに!」
「何事かね?」
マクスウェルの悲痛な叫びを無視してブルーノが問う。
「お、オペレーター室から伝令です!」
「まさかまた?」
「いいえ違います!ある特定の地域でのみ20件、それも全てが昨日深夜に行われた」
職員の額から汗が滴り落ちる。
「殺人事件です!」
男を殺した日から二日後の出来事。
「これは……こうかしらね」
サラは薄暗い部屋で教本を片手にチェスをしていた。
無論、これらの元の持ち主はもうすでにこの世にはいない。
「案外やってみると面白いものね」
彼女は黒のビショップを掴んで少し悩んでからチェス盤に置いた。
「あら、この動き面白いわね!」
刻々と過ぎていく時間と共に白い駒は黒い駒に取って代わっていった。
目まぐるしく変わる戦況も駒の数が減って盤面が寂しくなる。
こうして遂に終局を迎えようとしたその時、サラは駒を動かす手を止めた。
「ここから先はお楽しみ」
彼女は教本をテーブルの上に置くと、近くにあったポーチを手に取った。
「ふんふんふ~ん」
そしてそこから取り出した香水を耳の裏、胸元、膝の裏に丁寧に振りかける。
部屋中に花のような甘美な香りが広がった。
「……これで準備は出来たわね」
彼女は立ち上がってファーコートを羽織り、手紙をテーブルに残すと男の部屋を後にする。
その表情は少女のような純粋さと固い意志に満ちたものだった。
天気の良い昼下がり、サラは軽い足取りで街を歩く。
そこではたくさんの人々が何気ない時間を過ごしていた。
(いい匂い……)
(きれいな人……)
「ちょっとどこ見てんのよ!」
「悪い悪い……」
行き交う人々が彼女につられ視線を向ける。
香水の香りが建物の間を縫うように拡散していく。
「こんばんは、お姉さん派手な格好してるね!」
ふと男が道行くサラに話しかけた。
「ええ、そうね」
「似合ってますね!今日はこのあと予定ある?」
「んー、特にはないかしらね」
「そうなんだ、ちょっと俺とお茶しない?十分だけで良いし奢るからさ!」
彼女は少し考える。そして考えた末に思う。
(たまにはこんな人もいいかしらね……)
普段ならターゲットにならないような男でも上機嫌の彼女には魅力的に映った。
「じゃあ、ちょっとだけ……」
「やった!向こうに良い店あるんだ!早く行こう」
男はサラの手をつかむとさっそうと歩き出した。
彼女はそれに応えるように体を男に寄せて付いて行った。
(今夜が楽しみね.……)
そう、それは退屈な白い日常。
しかしそんな日常がある一人の人物によって気がつく間もなく侵食されていく。
その晩、多くの命が失われた――。
「ほんとに……ほんとに俺があいつを殺したってのか……?」
「か、彼への気持ちが抑えきれなかったのよ!そ、それで……」
「ここから出してくれよ……誰か俺を殺してくれ!」
「あああああああああああああ!!」
一夜にして起きた大量の殺人事件。
それらには加害者たち全員が被害者と恋仲にあったという奇妙な共通点があった。
「最近やなことばっかりですね」
デスクに座り昼ご飯のサンドイッチを食べながらアンナはマクスウェルに話しかけた。
「そうだねぇ」
マクスウェルは気だるそうにパソコンの画面を見ている。
「結局犯人の足取りは掴めるのに肝心の正体がわからないままだし……」
「そうだねえ」
「でも、先輩の予測は当たってましたね!」
「そうねえ」
「先輩、聞いてます?てか何してるんですか?」
「んー?まあとりあえずこれ見てみ」
マクスウェルはある動画ファイルを開くとそれをアンナに見せた。
「何ですかこれ?」
「今回の事件は関係する人物全員が同じ時間帯、同じ場所にいたんだと。だからその周辺の監視カメラのデータを特別に拝借させてもらった」
画面に映っていたのは多くの人々が往来しているとある街道の映像だった。
「で、虱潰しに色々見てたらこんなのを見つけたのよ」
マクスウェルは特定の時間まで映像を進める。
「?」
アンナはサンドイッチを片手に持ったままディスプレイを凝視する。
一見何の変哲もない街道。しかし彼女は生まれ持ったその才能でそこに違和感を見出した。
「そこの青い服の人……あからさまに何かを避けていませんか?」
「そう、良くわかったじゃない」
マクスウェルは映像を30秒巻き戻す。
「通行人の目線にも注目してみな。何かを目で追ってるやつもいる」
「てことは、例の犯人が関わってる可能性もあるってことですよね?」
「そうゆこと」
「じゃ、じゃあ早く報告しないと!」
「焦らなくても報告してある。今は上の判断待ち」
「おお、仕事が早い!」
「でしょー!」
アンナの言葉に気を良くしたマクスウェルは自慢げな表情だった。
「おーいマクスウェル、ブルーノさんがお呼びだぞー」
会話に区切りがついたタイミングを見計らうようにマクスウェルに召集がかかる。
「お、これはなんかしらの進展があったっぽいな」
「そうみたいですね」
「んじゃ行ってくるわ」
「はい!」
マクスウェルはその場をあとにした。
スターベイション @kuramaosamu
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