冬雨は天から滴る

入江 涼子

第一話

 これは都が平城京にあった時代の物語だ。


 その都から、北に行ったある山の頂上に小さな水神を祭るお社がある。お社のすぐ近くにはこじんまりとした小屋があり、齢が五十を過ぎた大巫女とまだ十六か七くらいの若い巫女の二人が住んでいた。大巫女は名を兎月うつきといい、若い巫女は彩良さらといった。

 今日も今日とて、兎月と彩良はお社の周りを掃き清めている。


「彩良、ちょっと。今からお社にお祈りを捧げたいから、そなたは箒を片付けてきておくれ」


「分かりました、兎月様」


 彩良は言われた通りに、箒を二本持って小屋の裏手に行った。片付けを済ませると、小屋に戻る。先に井戸にて手を洗う。今は睦月の中旬で寒いし、水は凍りつきそうな程に冷たい。それでも、彩良は持っていた手ぬぐいで水気を拭き取った。

 小屋の中に戻ると、昼餉の準備を始める。彩良はまず、台盤所にて青菜や他の野草を大きな瓶にある水をたらい桶に張り、汚れを落とした。一通りやったら、包丁を出してまな板の上で切り刻む。鍋にそれらを入れ、水も測りながら加えた。

 次にお米を笊に入れてから、水で何度か研いだ。そうすると、鍋に投入する。竈に持っていき、蓋をした。薪を焚べて、火を付ける。もちろん、火打ち石でだが。

 そうしている間に兎月が戻って来た。 


「おや、今日はお雑炊かい?」


「そうです」


「良い匂いがしているからねえ」


 兎月は機嫌良く笑いながら、土間から板間に上がる。彩良は慣れた手付きで息を吹き込み、火の様子を見た。

 しばらくして、お雑炊が出来上がる。兎月と二人で静かに食事をとるのだった。


 夜になり、彩良は簡素な麻の布地の貫頭衣におすいを重ねて寝ていた。隣には同じような格好の兎月が静かな寝息を立てている。が、彩良はなかなか寝付けない。どうしてか、気分が落ち着かないでいた。仕方ないので兎月を起こさないようにしながら、起き上がる。そのまま、そっと板間を出て土間に降りた。冷気が足元から這い上がってくる。ぶるりと震え上がった。手を擦り合わせながら、履物を履いて小屋の引き戸を開ける。さらに冷たい空気が彩良を容赦なく襲う。引き戸を閉めて外に出た。


(こうやって、外に出るのは久しぶりだわ)


 そう思いながら、お社になんとはなしに足を向ける。彩良は兎月の見様見真似で水神に祈りを捧げた。そうして、合わせていた両手を戻して瞼を開ける。すると、ふわりと何かが天から舞い降りた。正体は白い雪だ。彩良は驚きながら、天を見上げる。しばらくはそうしていた。


 翌朝、雪は薄っすらとだが積もっていた。外に出ると辺りは銀世界だ。彩良はあまり、見た事がない光景にしばらくあ然となる。兎月はてきぱきと朝餉の準備をしていた。


「彩良、ぼうとしていないで。顔を洗って来なさい」


「分かりました、兎月様!」


 彩良は慌てて、井戸に向かう。冷たい水で洗顔などを手早く済ませる。しばらくして、良い匂いが鼻をくすぐった。


「朝餉ができたよ」


「はあ、兎月様が作ってくださったんですね」


「私だって、たまには作る事もあるよ。そなたにばかり、頼ってもいられないしね」


 兎月はからからと笑いながら、お膳を彩良の前に置く。彩良は箸を手に取り、汁粥や汁物を口に運ぶ。兎月の作る物は大体、薄味だが彩良は慣れていた。


「明日からは私がしますから、兎月様はお社へのお祈りを欠かさないでください」


「分かっているよ、ちょっとしたくなっただけだ」


「はあ」


 彩良は単に相づちを打ちながら、朝餉を済ませた。兎月もささっと食べてしまう。後片付けを二人でした。


 兎月はこの日の昼頃に、山を降りて麓の村に向かった。人々の要望などを直接訊くためだ。半月に一度は降りて、兎月は代わりに米や調味料、保存食などを仕入れている。彩良が付き添う時もあった。

 が、今日は何故か兎月一人で行ってしまった。彩良は留守を言いつけられ、小屋にて帰りを待っている。

 ぱちぱちと爆ぜる火を見ながら、彩良は両手を擦り合わせた。息を吹きかけて温める。

 ふと、引き戸の方を見たら。頭がつきりと痛んだ。訳が分からないながらに彩良は立ち上がり、外に出た。


(……なんだろ、何かに呼ばれた?)


 彩良は不思議に思いながら、お社の前にたどり着いた。すると、また頭が痛む。先程よりもより強くなっていた。


『……巫女、聞こえるか?』


「……え、どなたですか?!」


『わらわはこの土地にいる水神じゃ、お主に伝えたい事がある故。こうして、呼んだ』


「み、水神様?」


『そうじゃ、近い内にこの山の麓の村に飢饉が起きるかもしれぬ。冬の寒さのせいでの』


 高らかで澄んだ声が銀鈴のように、彩良の頭の中に響く。どうやら、彩良や兎月が仕える水神の声らしい。戸惑いながら、彩良は一所懸命に考えを巡らせる。


「飢饉ですか、どうしたらいいかを訊いてもよろしいですか?」


『そうじゃな、では。飢饉が起きたら、わらわでなく。天に直接祈りを捧げよ。さすれば、雨が降り出すじゃろう』


「……分かりました、水神様。わざわざ、ありがとうございます」


 彩良が礼を述べるとふつりと声は聞こえなくなった。しばらくは考え込むのだった。


 あれから、さらに二月が過ぎた。未だに彩良達が住まう山や麓の村は雪に閉ざされている。やはり、あの時の水神のお告げは決して嘘ではなかった。彩良は兎月にだけはこのお告げの事を説明している。

 兎月はいつでも、天に祈れるようにと白い衣や銀鈴、他の必要な道具類を準備してくれていた。彩良はとうとう、この日が来たと悟る。

 明け方近くに起き、冷水で体を清めた。兎月に手伝われながら、白い衣や緋袴などを着付ける。頭には榊を挿して両手には銀鈴を持つ。身支度ができたら、兎月と二人でお社のさらに奥へと分け入る。

 しばらくして、二人は滔々と流れる滝にたどり着いた。無言で彩良は滝壺の近くまで降りる。銀鈴をしゃんと鳴らした。静かにくるりと回り、手に持った銀鈴を地面擦れ擦れまで下げる。再び、鳴らす。そうした動きを繰り返しながら、彩良は天に無心に祈りを捧げた。


 そうやって、巫女舞を続けていると。天が黒い雲に覆われ、強い風が吹く。ごろごろと雷鳴が轟いた。彩良は構わずに銀鈴を鳴らし続ける。舞もやめない。ぽつぽつと天から、雫が滴り落ちる。雨だと兎月がすぐに気づく。彩良も気づいて、舞をやめる。


「……おや、本当に祈りが通じたのかね」


「そのようですね」


「彩良、雨が本降りになる前に戻るよ」


 彩良は頷いた。兎月と早足で小屋に戻る。雨は豪雨になり、一晩中降り続いた。

 

 翌日、雨は朝方にやっとやんだ。彩良は兎月と二人で安堵していた。


「これで飢饉が収まるといいですね」


「まあ、そうさね。天のお導きとは良く言ったもんだ」


 兎月と笑い合いながら、彩良は胸を撫で下ろした。麓の村にまで降りて様子を見に行ったのだった。


「やあ、大巫女様に姫巫女様。久しぶりですね」


「あ、村長むらおさ殿。久しぶりです」


「昨夜の雨は凄かったですね、一気に雪が溶けて驚きましたよ」


 村長はそう言って、にこやかに笑った。確かに、気候も暖かくて雪もすっかり溶けている。彩良は驚きを隠せない。兎月もだ。


「不思議な事があるもんです」


「そうさねえ、私もそれは思うよ」


「ええ、では。儂はこれにて失礼します」


 村長が去ると彩良と兎月は顔を見合わせた。やはり、あの巫女舞や祈りは天に届き、雨などを引き起こしたのだろうか?

 二人には今ひとつ、分からないが。春特有の青い空を見上げながら、やはり水神様のお告げは真だったのだとは思った。

 彩良はお天道様を眩しげに見上げたのだった。


 ――完――

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