33:私がきっと何とかする!

「……入れ。俺のことが知りたいと言うなら、お前に話すべきことがある」

 ギスラン様は画帳を受け取ることなく踵を返し、部屋の中へ戻った。


「お邪魔します」

 私は後ろ手に扉を閉め、画帳を左手に抱えてギスラン様の後に続いた。


 勧められるまま、向かいのソファに座る。

 灰色の壁にモスグリーンのカーテン。

 ギスラン様の部屋は落ち着いた雰囲気だった。


 話すべきこととは何だろう。一体何を言われるのだろう。

 やはり説教だろうか。もう顔も見たくないとか言われたりして……。

 びくびくしながら第一声を待っていると、ギスラン様はシャツのボタンを外し始めた。


「え? え!? ギスラン様? 何を――」

 非常事態に私は混乱した。

 どうしよう、まさか、私への怒りのあまり、おかしくなってしまったの!?


 とにかく、見てはいけない!!

 慌てて俯き、両手で顔を覆ったものの、ギスラン様はそれを許さなかった。


「見ろ」

「み、見ろと言われましても……」

 心臓がバクバク鳴っている。

 さすがに下は脱いでいないようだけれど、もしかしていま、ギスラン様は上半身裸なのではないだろうか?


 戦場での治療中、上半身裸になった男性を何度か見た。

 だから、全く耐性がないわけではない。


 でも、ギスラン様が上半身裸になった姿なんて、私には刺激が強すぎる!!


「いいから見ろ。俺を知りたいんだろう」

「…………っ」

 私は覚悟を決め、真っ赤になった顔を上げ――そして、絶句した。


 ギスラン様のはだけた胸元。

 ちょうど心臓の真上にあたる部分に、赤黒い紋様が浮かんでいた。


 冷たいものが背筋を走り抜け、体感温度が一気に下がった。

 フィルディス様の胸に精霊王と契約した証、通称《契約紋》が浮かんでいるのは知っている。見たことはないけれど、きっとエミリオ様やルーク様の胸にも光り輝く美しい紋様が浮かんでいることだろう。


 でも、ギスラン様の紋様は違う。

 禍々しく、不気味で、悍ましい。


 光とは対極。闇に属するものだとひと目でわかった。


「……それは……」

 あまりのことに言葉が出ない。

 私の視線はギスラン様の胸にくぎ付けだった。


「『魔穴』から生還した俺の胸には奇妙な痣があった。記憶はないが、恐らく落ちたときに胸を打ちつけたんだろうと思っていた。周りの連中は悪魔との契約印だとか、呪いを受けた証だとか、好き勝手に騒いでくれたが。ただの痣だと思っていた。いや。そう思いたかったんだ」

 ギスラン様は苦痛に耐えるような顔をした。


「だが、お前を諦めると決めた日に異変が起きた。ただの痣だったはずのこれは、はっきりとした形を持つ紋様に変化した。まるで……フィルディスたちの胸にある、《契約紋》のような紋様に。俺は生き延びるために『魔穴』で何かと契約したのかもしれない。相手は悪魔か、魔物か、魔族か。どんな契約内容だったのか。わからないが、きっとろくでもない契約だ」

 がり、と。ギスラン様の爪が紋様を引っ掻き、斜めに四本の赤い線が走った。


「止めてください!」

 堪らず声を上げる。


「お願いですから、冷静になってください。私はあなたに触ることはできないんです。行動で止めたくても止められないんです」

 泣きそうになりながら言うと、ギスラン様は胸から指を離した。

 シャツのボタンをとめ、長々と息を吐く。


「……この忌まわしい紋様が何を意味するのかわからない。。本物のギスラン・フレインはとうに死んでいて、身体に入り込んだ悪魔がギスランのふりをしているだけなのかもしれない。もううんざりだ。俺は悩むのに疲れた。自分が何者なのか。お前らの傍にいる資格があるのか。生きていていいのかさえ……」

 俯くギスラン様を見て、胸が締め付けられた。

 他人に弱いところを見せないギスラン様が弱音を吐いている。

 それだけ精神的に追い詰められているのだ。きっともう限界だったのだろう。


「だったら私が何度でも言いますよ。誰かの傍にいることに資格なんて要りませんし、生きていて良いに決まってます。いえ、生きていてくれなければ困ります。あなたがいなくなったら悲しむ人がいるということを忘れないでください。私は間違いなく大泣きします。ずっと悲しみの淵に沈んだまま、立ち直れないかもしれません……」


 ギスラン様の名前が刻まれた墓を想像すると、ますます胸が苦しくなった。

 目頭が熱くなり、鼻の奥がツンとする。

 湧き上がった涙の衝動に抗い、私は膝の上で両手を握り締めた。


「あなたはギスラン様です。誰が何と言おうと、私の知る優しいギスラン様その人です。あなたが非情な悪魔なら、さりげなく周りの人を気遣ったり、身を挺してフィルディス様を救ったりするわけがない。そうでしょう?」

「……。お前もあいつらと同じことを言うんだな。なんで俺を信じられるんだ。俺は俺を信じられないのに」

 ギスラン様は額を押さえ、自嘲するように笑った。


「俺はこの先どんな災いをもたらすかわからない。魔人化したフィルディスのように狂って暴れ出すかもしれない。いや、それよりもっと酷いことをするかも……具体的に何を仕出かすかは不明だが……だからこそ、余計に怖い」

 目を伏せてから、ギスラン様は不安そうに尋ねた。


「お前は俺のことが怖くないのか?」

「怖くなんてありませんよ。私は救国の聖女マリアベル様と同じ力を持つ大聖女ですよ? もしギスラン様が理性を失うようなことがあっても、英雄騎士様たちと素早く制圧して差し上げます。フィルディス様を人に戻したように、どんな状況からでも救い上げてみせます。どうか私を信じてください」

 毅然と張った胸に手を当て、力強く頷いてみせる。


「何があっても大丈夫です。絶対に私がなんとかします。だから、私から距離を取ろうとしないで。これからも私の傍にいてください」

 金色の瞳を見つめて真摯に言う。


「………………」

 ギスラン様は考え込むように視線を落とした。

 少しの間を置いて顔を上げ、決然と頷く。


「……わかった。お前を信じる。もし俺が面倒な事態を引き起こすようなことがあれば、そのときは頼む。お前に殺されるなら本望だ」

「……怒りますよ?」

「悪かった。もう言わない」

 出来る限りの低い声で言って睨むと、ギスラン様は苦笑した。


「いまになって後悔してる。お前に触れられるうちに、キスくらいしとけば良かった」

「!!?」

 私の顔は再び真っ赤になった。

 それが愉快だったらしく、ギスラン様は小さく笑い、手を差し出した。


「画帳をくれ」

「交換日記をしてくださるんですか!?」

「ああ。といっても、交換日記などしたことがない。作法も何も知らないぞ」

「交換日記に作法なんてありませんよ。自由に心のまま書いてくだされば良いんです。文章でも絵でも、何でも。ギスラン様が書いてくださるものなら何でも嬉しいです。きっと宝物になります」

 微笑み、私は画帳を手渡した。


「……お前には人たらしの才能があるな。これが計算ではなく素だというのだから恐れ入る」

 画帳をテーブルに置きつつ、ギスラン様が何か呟いた。


「え?」

「何でもない」

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