32:線を引かないで
煌々とシャンデリアの明かりが灯る、四階の東棟にて。
「私と交換日記をしていただけませんか!」
廊下に立ったまま、私は画帳を差し出した。
この画帳はルーク様と離宮を散策した際、アトリエで見つけた。
新品未使用だったため、エミリオ様の許可を得て自分のものにさせてもらった。
「………………交換日記?」
未知の単語を聞いたかのように、ギスラン様は瞬きの回数を増やした。
「はい。交換日記を通じて、ギスラン様のことを知りたいと思いまして」
「ちょっと待て。なんで俺のことを知る必要があるんだ」
ギスラン様は怪訝そう。
「お前が知るべき相手は将来の婿候補だろう。交換日記ならエミリオたちとやれ」
「待ってください!」
無情にも目の前で扉を閉められそうになり、はっしと扉の端を掴む。
途端に、ギスラン様は扉から手を離した。
私が手を挟むことを危惧したらしい。やはり彼は優しい人だった。
「私はギスラン様と交換日記がしたいんです! ちゃんとエミリオ様たちの許可も取りました! ギスラン様と交換日記をしたいと言ったら、皆さま快諾してくださったんですよ!」
「だからなんでだ。あいつらもなんで拒否しないんだ。俺のことを知ってどうする」
「最近ギスラン様が冷たいから、少しでも距離を縮めたいんです!」
「特に冷たくした覚えはないが」
「極力私に関わろうとしてくれなくなってしまったじゃないですか。さっきだって、一人だけさっさと部屋に戻ってしまって。あの後私たちみんなでカードゲームしたんですよ? 楽しかったですよ?」
「それは良かったな」
ギスラン様は無表情。
「だからそういうところが嫌なんです! 『私には関係ありません』という顔をしないでください! ああしまった、そんなに楽しいんだったら自分も混ざれば良かった! って力いっぱい悔しがってくださいよ!」
「……お前、だいぶルークに感化されてないか?」
手本として拳を握り、眉間に皺を寄せ、大げさなまでに悔しがってみせると、ギスラン様は呆れ顔になった。
「今日はルーク様とデートしましたからね。影響を受けるのも当然です。これから他のお二人ともデートするつもりですから、きっとどんどん変わっていきますよ。ギスラン様は私に何の影響も与えてくださらないんですか? 一人だけ私たちから離れた場所で――まるで対岸のお祭りでも見るように、傍観者に徹するつもりなんですか? 私はそんなの嫌です。せっかく一緒に暮らしているんですから、この機会にギスラン様のことをもっと良く知りたいです」
月に似た金色の瞳を見つめて、画帳を差し出す。
「私の分の日記は書きましたので、どうか受け取ってください。どうしても嫌だというなら……無理強いはできませんし。残念ですが、諦めます」
寂しく笑うと、ギスラン様は嘆息した。
私はびくっと肩を震わせた。
今度こそ、見放されたかもしれない。
無神経なことをしている自覚はある。
私との結婚を諦め、理性を総動員させて線を引いているであろうギスラン様の心に私は土足でずかずかと踏み込み、線を引くな、もっと積極的に自分と関われと迫っている。
酷い女だ。最低だ。嫌われるかもしれない。
でも、私は――嫌なのだ。どうしても。
振り返らない背中を。感情を凍らせたような無表情を。
皆から離れたところで一人ぽつんと座っている姿を。
これ以上、見たくなかった。
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