31:交換日記をしたい

「父上から手紙が届いたんだけど。父上がぼくたちをサルペント離宮に向かわせたのは、折を見てモンギーノ商会を調査させるためだったんだって。父上は前々からあの商会が反王権派のローベルシュタイン侯爵と手を組んで不正な商売をしていると睨んでいたらしい」

 豪華絢爛な食堂で優雅にナイフとフォークを操り、夕食のチキンソテーを上品に切り分けながらエミリオ様が渋面で言った。


 商会が魔物を呼び寄せたせいで最悪の被害を受けたフィルディス様は神妙な顔。食事の手が止まっていた。


「サルペントに着いてすらいないのに、旅の途中でぼくらが商会所有の馬車に遭遇したのは女神の導きだろうってさ。さすがは英雄騎士だ、お前たちは特別に女神に愛されているらしい。よくやった、これで商会共々侯爵一派を叩き潰せるって褒められたけど。フィルが酷い目に遭ったのに褒められてもねえ……リーリエが大聖女として覚醒してなかったら、今頃は」

 エミリオ様はそこで言葉を切り、フォークに突き刺したトマトを口に入れた。


 食堂には給仕係の使用人がいるため、迂闊なことは言えない。

 フィルディス様が魔人化したことは私たちだけの秘密だ。

 魔人化したことが知られれば、フィルディス様は好奇の目に晒される。口さがない連中は嬉々としてフィルディス様を貶めるだろう。そんなことは誰も望んでいなかった。


 息が詰まるような、重苦しい沈黙。


「止めようぜ? せっかくの食事がまずくなる。料理人がこんなに気合入れて作ってくれたのに、美味しく食べなきゃ失礼だろ」

 ルーク様は長方形のテーブルを見た。

 歓迎の意を示すためだろう、テーブルには贅を凝らした数々の料理が並んでいる。

 テーブルコーディネートも実に素敵で、食卓に華を添えていた。


「そうだな。結局助かったわけだし、過ぎたことだ」

 自分に言い聞かせるように言って、フィルディス様は食事を再開した。

 どうやら食欲を取り戻してくれたようだ。


 ホッと胸を撫で下ろしたのは私だけではなかった。

 ギスラン様もフィルディス様の様子を気にしていた。

 私と目が合うと、ギスラン様はほんの少しだけ口の端を上げた。

 良かったな、とでもいうように。

 そして、金色の目を伏せ、自分もまた食事を始める。


「ところでルーク。庭でリーリエに膝枕されてたみたいだけど、まさか殴ったりしてないだろうね」

「なんで知ってるんだ?」

 びっくりしたらしく、ルーク様がエミリオ様に訊いた。


「一部始終を目撃してた庭師から聞いたんだよ。随分と仲が良さそうなご様子でしたぞ、って。離宮ここで働いてる使用人は基本的に王族ぼくの味方だと思ったほうがいいよ?」

 エミリオ様はにっこり笑った。


「くっ……これが王子の権力……隠し事はできないってか……!」

「おい。まさか本当にリーリエを殴ったんじゃないだろうな」

 自分が受けた痛みを思い出したのか、ギスラン様は強い眼差しをルーク様に向けた。


「もしそうなら皆で囲んでタコ殴りだな」

「その後は五階から吊るしてあげるね」

 フィルディス様とエミリオ様が言う。目が本気だった。


「もう。皆さま、怖い顔で怖い冗談を言わないでください。ご心配なさらずとも、私は暴力を受けたりしていませんよ。ルーク様は眠った後、すぐに私の膝から離れましたから」

 あの後、ルーク様は寝返りを打って私の膝から落ちた。

 彼の頭を膝に戻すかどうか迷ったけれど、私はルーク様が起きるまで傍で待機することにした。


 つまり、私が膝枕をしていたのはほんの数分のこと。

 ルーク様はただ私に見守られて熟睡していただけなのだ。


「オレとしたことが、気持ち良すぎてうっかり寝てしまった……本当に本当に惜しいことをした……」

 ルーク様は両手で顔を覆い、泣き真似をしてみせた。


「『オレとしたことが』って、むしろそれがルークだよね」

「至っていつも通りだな」

「お前は肝心なところで失敗する」

 気心の知れた友人たちの評価は辛らつだった。


「酷くない!? みんなオレのことなんだと思ってんだよ!?――いや待て、やっぱり言わなくていい!! なんか凄く傷つきそうだから止めて!?」

 両手と首を振るルーク様を見て皆が笑った。


 私も堪えきれずに笑った。

 ルーク様の太陽のような――根っからの明るさに、きっと皆が救われていると思う。




「フィルディス様。少し付き合っていただけませんか」

 楽しい晩餐が終わった後、私は廊下でフィルディス様に声をかけた。


「何? デート?」

 すかさず尋ねてきたのはフィルディス様ではなく、ルーク様だった。

 ギスラン様は会話を無視して正面階段に向かった。部屋で休むつもりらしい。


「いえ、そんなつもりでは……気になるならついてきても構いませんよ」

「じゃあ遠慮なく」

「ぼくも行く」

 ルーク様とエミリオ様が寄ってきたため、私たちは三人でサロンへ行った。

 私とフィルディス様が並んで座り、向かいのソファにルーク様とエミリオ様が座る。


 全員が何事かと私に注目している……そんな大層なことをするつもりはないのだけれど。


「フィルディス様、お身体に触っても良いですか?」

「えっ?」「えっ?」

 全員が驚いている。


「体内に瘴気が残っていないか確認したいのです。診察、というと大げさですが、これから一日一回、身体に触れて確認させていただけませんか。魔人化から人に戻った例というのは非常に珍しく……脅すつもりはないんですが、何が起きてもおかしくないんです。私が安心するためにも、どうかお付き合いください」

「……ああ。そういうことなら」

 青い目を瞬かせていたフィルディス様は頷き、身体の緊張を解いた。


 私は彼の左胸に両手を当て、額を彼の肩に押し当てて目を閉じた。

 どんな微弱な瘴気も見逃さないように集中する。

 感覚としては、フィルディス様の身体に自分の意識を同調して、隅々まで見渡すイメージだ。


 ……特に異変は見当たらない。

 数十秒かけて結論を下し、私は両手を離して目を開けた。


「大丈夫みたいですね。良かった」

 微笑んでから気づく。フィルディス様の顔が赤い。

 照れているのだ。

 そう悟った瞬間、私の顔まで赤くなった。


「あの、これはあくまで診察ですからね? 決してやましい気持ちで触れたわけではなく……」

「ああ。わかってる。わかってはいるんだが……」

 二人して赤面し、沈黙する。


「あのさ、リーリエ」

 なんとも微妙な空気が流れる中、フィルディス様が思い切ったように声を上げた。


「は、はい。何でしょうか」

 なんだか気恥ずかしくて、彼の顔がまともに見られない。

 私の視線は意味もなく床をさまよっている。


 サロンの床にはシルクの絨毯が敷かれている。曲線や直線、小花模様が細部まで正確に描かれた異国産の絨毯は、踏むのが申し訳ないくらいの美しさだった。


「今日はルークに付き合ったんだろう? 明日の午後はおれとデートしてくれないか」

「……はい。わかりました」

 私は照れながらも頷いた。


「……なんか腹が立つのはぼくだけ?」

「いや。オレもちょっとイラっとしてる」

「ルークはリーリエとデートしたからいいでしょ。ぼくはまだ一回も……」

 エミリオ様とルーク様が何やらぼそぼそと囁いている。


「え、ええと!」

 こほんっ。

 わざとらしく咳払いし、私は皆の注目を集めてから言った。


「この場を借りて、皆様にご相談したいことがあるんです。ご存じの通り、皆さまと私は触れ合えるのに、ギスラン様と私が触れ合うことはできません。口では友人と言いつつ、ギスラン様は私から距離を取ろうとしています。それが私にはとても悲しい。そこで特別に、ギスラン様と二人だけで交換日記をしたいと思っているんですが、良いでしょうか?」


 誰か一人でも反対したら潔く諦めるつもりだった。

 でも、三人は顔を見合わせ、快く承諾してくれた。

 ありがとうございます、と私は深々と頭を下げた。

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