30:守ってあげたい、なんて

 一階を見て回った後で、私たちは外に出た。

 今日の天気は快晴。素晴らしいお散歩日和だ。

 まずは高々と噴水が噴き上がる前庭に行き、それからぐるりと建物を回って庭園へ。


「薔薇園があるんですね。綺麗……」

 薔薇で作られたアーチをくぐって中へと進むと、薔薇園はちょっとした迷路のようになっていた。

 見たことのない種類の薔薇が咲き乱れている。


 中でも私の目を引いたのは、雪のように白い花びらのヘリにピンクの縁取りが入った薔薇。 幾重にも重なった花びらがフリルのように波を打っていて、まるでお姫様のドレスみたい。


 私は顔を近づけて花の匂いを嗅いだ。

 なんとも上品な、良い香りがする。


「この花も綺麗……この花は何という種類なのかしら? あっちのクリーム色の薔薇も素敵」

 薔薇の薫香に包まれ、私はあっちへふらふら、こっちへふらふらと、心の赴くままに薔薇園を歩いた。


 それからしばらくして、はっと我に返る。

 そうだった、いま私はルーク様とデート中だった!!


 恐る恐る振り返れば、ルーク様は少し離れた場所に立っていた。

 特段気を悪くした様子はない。むしろ微笑んですらいた。

 まるでじゃれ合う愛らしい子猫でも見ているような、温かい目。


「すみません。つい夢中になってしまいました」

 気恥ずかしさを覚えて俯く。


「謝ることはねーよ。薔薇に夢中なリーリエに夢中だったから」

 ぱちんと、ルーク様はウィンクしてみせた。


 ~~だからこの人はもうっ……。

 なんでそんな歯の浮くような台詞が素で言えるのだろう。


 からかっているわけではなく、至って本気だからこそ、質が悪い。

 私だけが一方的にどぎまぎさせられている。


「オレのことは気にせず薔薇園を堪能してくれていいよ? 花には興味ないけど、オレは楽しそうなリーリエを見てるだけで楽しい」

「いえ、私だけが楽しむのも悪いですから、もう行きましょう」

 私は初めて自分からルーク様の手を掴んだ。

 これまでずっとルーク様に手を引かれてきたから、ちょっとしたお返しのつもりだった。

 ルーク様は目を見開き、それはそれは嬉しそうに笑った。


「初めてリーリエから手を繋いでくれたな。めちゃくちゃ嬉しい」

 ぎゅ、と手を握り返されて。心拍数が上がった。


 手を繋いだだけでこんなに幸せそうな顔をされては……本当に彼は私のことが好きなのだと、意識せずにはいられない。




「どうしよう。幸せすぎる。いまなら死んでもいい。きっと後悔しない。心から『良い人生だった……』と思って死ねそう」

「そんなこと、冗談でも言わないでください。膝枕くらいで大げさです」

 薔薇園を出た木陰で、私はルーク様に乞われるまま膝枕をしていた。


 私の膝に頭を乗せ、芝生の上に横たわるルーク様の頬は緩み切っている。

 そよぐ風が私たちの頬を撫でて通り過ぎていく。


 ふわふわと、気持ち良さそうに彼の赤い髪が揺れ、私の太ももをくすぐる。


「はーい。もう言いません。反省してます。だから膝枕は止めないでください」

「止めませんよ」

 じっと見上げられて、私は苦笑した。


「死という単語は冗談でも聞きたくありませんが、幸せなのは私も同じです。空は良く晴れ、風は穏やか。とても気持ちの良い日です。 そんな日に、誰かと……ルーク様とこうして、木陰で風を受けながらのんびりと過ごす。これが幸せでなくて何なのでしょうか」

 思い切って手を持ち上げ、彼の頭を撫でる。


 彼の髪には癖がある。私とは違う髪質だ。

 ルーク様は虚を突かれたように目を丸くし、それから、また嬉しそうに笑った。


「リーリエが手を繋いでくれた上に、頭まで撫でてくれた。今日は最高の一日だ」

「前から思っていたのですが、ルーク様は簡単に幸せを感じすぎではありませんか?」

「リーリエがオレに幸せをもたらしてくれるからだよ。リーリエという存在自体がオレの幸せで、喜びなんだ」

 ルーク様は私の左手を掴み、指先にキスをした。

 キスをする間、彼は一瞬たりとも私から目を離さなかった。


 真剣そのものの、まっすぐなルビーの瞳に射抜かれて、否応なく鼓動が高鳴る。


「あの、えっと……せ、せっかく膝枕をしているわけですし。眠っていいですよ。夕食の時間になったら起こしますから」

「いや、寝ない。寝るのはダメだ。オレの寝相の悪さは知ってるだろ。もし寝てる間にリーリエをうっかり殴ったりしたら……考えるだけで恐ろしい」

 ギスラン様を殴ってしまったことを思い出したらしく、ルーク様は身震いして自分の腕を摩った。


「あのときとは違って、いまの私には神聖力がありますから。たとえ殴られても自分の怪我は自分で癒せますよ?」

「いーやっ。ダメだ。無意識でもリーリエを殴るなんてことがあったら、オレは自分を許せない。きっと一生引きずる」

「……では、このままずっと起きてるつもりですか?」

「ああ。とりあえず十分くらいはこのままでいて」

 甘えるように言われて、私はくすりと笑った。


「はい。それがルーク様の幸せなのでしたら、お付き合いします」

「うんうん。超幸せ」

 満足そうに笑って、ルーク様は目を閉じた。


 それから五分と経たないうちに、寝息が聞こえた。


 ……寝ちゃった。


 そういえばルーク様はどこでも寝れる人だった。寝つきも寝起きも抜群に良い。

 ルーク様はフィルディス様と同じ十八歳。私より一つ年上だ。


 普段はその背中を大きく、頼もしく感じるというのに、私の膝の上で眠る彼は小さな子どものようで。


 可愛いな、守ってあげたいな、なんて気持ちが湧き上がる。


 守られてばかりの私がこんなことを思うのはおこがましいかもしれないけれど。


 ――良い夢が見られますように。


 知らないうちに口元を緩ませた私は、彼の頭を優しく撫でた。

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