29:陰のある微笑

 一階のサロンでフィルディス様とギスラン様に会った。

 二人が向かい合って座るテーブルには紅茶と焼き菓子があった。


 二人は私たちを見て会話を中断し、何をしているのかと聞いてきた。


 私たちが離宮を散策していることを知ったフィルディス様は「おれも同行したい」と椅子から腰を浮かせたけれど、ルーク様は私を抱き寄せて「ダメ。いまはオレとデート中だから」と妙に甘い声を作り、私の耳元で囁いた。


 彼の腕の中で私がカチンコチンに固まっている間に、ルーク様は「じゃあそういうことで」と爽やかに笑い、再び私の手を引いて歩き出した。


 フィルディス様は露骨に羨ましそうな顔をし、ギスラン様は無言で私たちを見送った。


 フィルディス様が無事目覚めた翌朝、ギスラン様は私の婿候補から下りると宣言した。

 私は事前に聞かされていたから静かに受け止めることができたけれど、他の三人は動揺と難色を示した。三人ともが、瘴気が問題だというなら瘴気を消す方法を探そうと言ってくれた。ライバルが減ったほうが彼らとしては都合が良いにも関わらず。


 それを拒否したのはギスラン様本人だった。

 もういい、止めてくれと。失望するのはもうたくさんだと。


 ギスラン様はそのとき初めて教えてくれた。


 ギスラン様が『魔穴』に落ちた後、フレイン公爵夫妻はギスラン様に宿った瘴気を消すべくレムリア教の総本山である聖都に向かった。


 聖都では浄化できなかったため、フレイン公爵夫妻は国内各地の神殿を回った。

 ギスラン様はその都度、死ぬほど苦しい思いをさせられた。

 身体中から瘴気を噴き上げて悶え苦しむ息子を見て、耐えられなくなった公爵夫妻は浄化以外の救済手段を探し始めた。


 国内外の文献を読み漁り、有識者を訪ねて回った。

 ギスラン様は怪しい老人の祈祷を受け、薬を飲まされた。

 果ては謎の儀式や物語に出てきた民間療法まで試された。


 それでも、何をどうしても――体内の瘴気は消えなかった。


 フレイン公爵はとうとう匙を投げ、ギスラン様を放置して兄と妹の教育に専念した。

 公爵夫人は精神を病み、ギスラン様の記憶を頭から抹消した。

 彼女の目にはもうギスラン様は映らない。

 目の前に居ても認識することができなくなってしまった。


 公爵邸の平穏のため、ギスラン様は最低限の使用人と共に田舎の別荘でひっそり生活していたのだという。

 屋敷の敷地外には決して出るな、と公爵から命じられて。

 監禁も同然の生活を――三年以上。


 あまりにも重く、衝撃的な話に、私たちは何も言えなかった。

 

 ――自分が生きているのか死んでいるのかわからなくなるような、無味乾燥とした灰色の日々から救ってくれたのはエミリオだ。お前は俺を騎士として引き立て、役目と居場所を与えてくれた。他の奴らと違って、一度も俺を嫌悪の目で見なかったルークとフィルディスにも感謝してる。俺はリーリエのことが好きだがお前らのことも好きだ。だから本当に、俺のことは気にするな。お前らが幸せならそれでいい。


 沈黙していると、ギスラン様は言葉を重ねた。


 ――リーリエに頼まれたから、俺はリーリエの友人として離宮に行く。もしお前らが俺に遠慮するようなら俺は王宮に戻る。


 その宣言を受けて、始めに口を開いたのはエミリオ様だった。


 ――わかった。なら、遠慮しない。

 

 フィルディス様とルーク様もエミリオ様に同意した。

 それでいい。ギスラン様は微かに笑った。

 けれどそれは、どこか陰のある、悲しそうな微笑で――

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