28:一緒に離宮を回ろう

 サルペントはレージス湾に面する都市。

 異国情緒溢れる街並みが大きな魅力で、港には大小さまざまな漁船や貿易船が並んでいる。カモメの鳴き声や船乗りたちの活気ある声に満ちた港を背景にして、街の北部には美しい山々の景色が広がる。


 サルペント離宮はそんな街の北西部、山の中腹にあった。


「……わあ……」

 私は高い門の向こうに聳える白亜の建物を見上げて、茫然。

 一般的な建物は二階建て、せいぜいが三階建てなのに、離宮はなんと五階建て。


 砕いた貝殻が塗り込められた外壁は陽光を浴びて白く輝いている。

 サルペント離宮が『水晶宮』と呼ばれる所以だ。


「……五階建てか……凄い建築技術だな」

「めちゃくちゃ金かかっただろうなあ……」

 庶民のフィルディス様とルーク様が唸っている。

 一方、公爵家次男のギスラン様は特に何の感慨もないらしく無表情で、エミリオ様は「サルペント離宮には初めて来たな」と呑気に呟いた。


「どうぞお入りくださいませ」

 皺が刻まれた手で門を開け、私たちを導くように歩き出したのは背広を着込んだ初老の紳士。


 一本の針のようにまっすぐ伸びた背筋、後方に撫でつけて固めた銀髪、穏やかな物腰。

 執事の見本のような彼の名前はエルドリックさん。


 国王陛下から離宮の管理を任されている彼は、サルペントの街の門前で私たちを出迎えてくれた。

 彼の案内に従って歩を進めると、丁寧に整えられた前庭で使用人たちが整列していた。


「それでは改めまして。ようこそおいでくださいました、エミリオ王子殿下、並びに皆さま。使用人一同、心より歓迎申し上げます」

 エルドリックさんが上品に一礼すると同時、彼の背後で使用人たちが一斉に頭を下げた。

「それでは、お部屋にご案内いたします」




「こちらがリーリエ様のお部屋になります」

 アンネッタと名乗った茶髪青目の侍女が開いた扉の先には、可愛らしい部屋があった。


 真っ白な壁紙に小花模様のカーテン、花の形を模したシャンデリア。

 鏡台にクッション付きのソファ、テーブルの花瓶には色とりどりの花。果物や軽食の用意までされていた。

 続きの部屋には天蓋付きの寝台。さらに別の部屋は浴室。また違う扉を開けると、そこは衣装部屋で、私の身体に合う服や靴がずらりと並んでいた。下着からパーティー用のドレスまで、何でもござれだ。


「凄い……」

 お店ですか? と聞きたくなるような服の数に、私はあんぐりと口を開けた。


 どうやら王宮からわざわざ運んでもらう必要はなかったらしい。

 服だけではなく、首飾りや腕輪といった装飾品の類も充実している。


 これはもちろんエミリオ様の手配だろう。

 私は一体何度彼にお礼を言えば良いのか……。


「いかがでしょうか? 気に入らない点があれば遠慮なくお申し付けください」


 衣装部屋から広々とした客室へ戻った後、私付きの侍女となった二十歳の美女は身体の前で手を重ねた。


「気に入らないなんて、まさか。そんなことがあるわけありません。まるで一国の姫にでもなったような気分です」

 豪華な部屋を見回して感嘆する。


「エミリオ様とご結婚なされば、リーリエ様は王子妃殿下。名実ともに姫になられますよ」

 微笑まれて、私は赤くなった。離宮の使用人たちは私たちがここにやってきた事情を知っているらしい。


「結婚するかどうかは……」

「失礼致しました。出過ぎた言動でした。以後気を付けます」

 アンネッタは即座に頭を下げた。王宮にいたお喋りな侍女たちとは違って、彼女はきちんと使用人としての分をわきまえているらしい。


「いえそんな、お気になさらないでください」

 慌てて手を振ると、ようやく彼女は顔を上げてくれた。


「離宮を見て回りたいので、しばらく一人にしていただけませんか。間取りを覚えておきたいんです」

「承知しました。行ってらっしゃいませ」

 それなら私がご案内します、とは言い出すことなく、アンネッタは部屋を出て行く私を見送ってくれた。




 大広間、居間、サロン、書斎、サンルーム、客室、食堂、多用途部屋、地下室……等々。

 離宮には様々な部屋があった。

 あまりにも部屋数が多すぎて、一度では覚えられそうにない。


 エミリオ様の部屋は最上階の五階、東棟。

 フィルディス様たちは四階の東棟。

 私の部屋が三階の西棟、南西の角部屋。


 三階にはギャラリーがあり、格調高い宗教画や金の壺や工芸品が飾られている。

 ギャラリーの隣は大広間になっていて、部屋の隅には布で覆われたピアノや楽器などが置かれていた。


 ここは音楽室というところかな?

 場合によっては舞踏会場や歌劇場にもなりそう。

 さらにその隣の部屋は……小さい。物置部屋みたいだ。


「ここは物置部屋、と」

「何してるんだ?」


 三階廊下でメモを取っていると、背後から急に両肩を掴まれた。


「わあっ!?」

 驚いて飛びのけば、私の背後に立っていたのはルーク様だった。

 突然の出現に心臓がバクバク音を立てている。

 弧を描いた口元からして、私を驚かすべくわざと足音を消していたらしい。

 エミリオ様を除く三人はこんな常人離れした芸当ができる。


「あはは。驚いたリーリエも可愛いな。いや、何しても可愛いんだけど。もはや生きてるだけで可愛い」

 ルーク様は距離を詰め、私の頭を撫でた。

 彼はいつだって全力で愛情表現してくるから反応に困ってしまう。

 私はいまだに慣れず、いちいち戸惑ってばかりだ。


「そ、そうですか。ありがとうございます?」

「で、何してたんだ? 何のメモ?」

 ルーク様は気楽な調子で私の手元を覗き込んできた。


「離宮の間取りを覚えようと思いまして。広すぎて迷子になってしまいそうなので」

「真面目だなあ。迷ったら使用人に聞けばいいだけなのに。でも、そういうことならオレも一緒に回っていい? オレも全然覚えられてないんだ。自分の部屋に戻れるかどうかすら怪しい」

「ふふ。はい、もちろんです」

 両手を広げて嘆いてみせたルーク様に、私は笑顔で頷いた。


「じゃあ行こう」

 ルーク様は当たり前のような顔で私の手を握り、歩き出した。


「!」

 予期せぬ行動に、おかしな脈が生まれた。

 片手を塞がれたらメモが取れないのだけれども。

 でも、私の手を引くルーク様の楽しそうな横顔を見ていると指摘するのは野暮なような気がして、私は手帳とペンをポケットに入れたのだった。

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