擬(ぎ)の子
化野生姜
私は、ポケットの中の録音機をオンにした
大雨の降った翌日。
私は某大学の研究室で友人に呼び出されていた。
彼は准教授で専攻は機械工学。
だが、彼の部屋にはいくつもの試験管に入れられたキノコが保存されており、テープレコーダーを回していた私は、それがいささか奇妙な光景に思えた。
「君を呼んだのは他でもない、これを記事にして欲しいからだ」
(――サイエンス・ライターを
これは、今朝方の会話。
記者としてそこそこの経験を積んではいるが、私は機械工学でも菌類の専門家でもない…なのに彼は「いや、君だからこそ頼みたい」と、断りを入れてきた。
「何しろ、荒唐無稽にさえ聞こえるこの話を正しく記事にできるのは他でもない君だけと判断してのことだ」
今朝方の彼の口調はいささか焦っているようにも感じ、それが私を急ぎここへ向かわせた原因ともなった。
「――君は、キノコがどのような過程で出来ているか知っているか?」
試験管に入れられた大小様々なキノコに私は「…多少は」と答える。
私たちが普段口にするキノコとは胞子が発芽し、菌糸が広がり、胞子を飛ばすためのカサと柄ができた姿――要は、果実や花に相当する部分であると私は認識していた。
「そう、キノコとは元は菌糸からできており、菌糸は土や樹木、腐葉土から水や栄養を吸収し、生きていく…そして」と彼は試験管を手に取り話を続ける。
「肉眼で確認できるサイズのものをキノコ。顕微鏡を使わねば見えないものを、カビと分類することは知っていたかな?」
それに私は「いや、それはさすがに…」と弁明する。
「ただ、カビのアレルギーくらいは知っているがね」
そう、近年街では悪質な風邪が流行っており、そのほとんどが雨によって繁殖したカビによるアレルギー反応だという話を医療機関で耳にしていた。
「…では。もし体内で菌糸が繁殖したら、人はどうなると思う?」
私は試験管の木から菌糸を伸ばすカビを見つつ「――そりゃ、菌の温床になるだろうな」と素直に答える。
「でも、基本的には異物。体外に出るのが普通だろ?」
「…そう、それが普通の反応だ」
その友人の一言に、どこか含みがあると私は感じる。
「我々の肉体は細胞によって構成されている」と、話を急に変える友人。
「小さな粒によって構成され、それは代謝によって日を
その一言に、なぜか私の毛がゾワリとした。
「もし、細胞単位で姿を置き換えられる菌糸が存在したなら?それが集まった時人と同じ形や姿で構成されている状態となってしまったら…」
「まて、待て…!」
私は慌てて彼の元へと駆け寄り、声を上げる。
「そんな荒唐無稽なことがあるものか。話が飛躍しすぎじゃないのか?それに、何を根拠としてそんな――」
そして、私は気づく…彼の机の上にある機械。
キノコの並ぶ試験管の側に置かれた小型のラジオのような装置。
――そこから、彼の声が流れてくることに。
『これは、菌糸類の出す波長…声を集約し翻訳する機械だ。だが、そこから流れてきたのは紛れようもない、自分の声だった』
虚ろな目をした友人。
その口元は動かずとも翻訳機から声が聞こえる。
『菌糸は、この街にいる人間の大部分の細胞がすでに新種の菌糸に置き換わっていることを機械を通して教えてくれた。菌は人だけでなく周囲のあらゆるものに蔓延していること、生物や無機物に関わらずに置き換わっていくことを…』
「待て、それは――!』
そこまで、声を上げた時点で私も気づく。
自身の声も機械から漏れている。
彼と同じく、すなわち…
『正直、時間がない。昨晩の雨、あれをキッカケに我々は…』
…そして、私はこの事実を記事にすることは叶わなかった。
私の体も。友人の体も。試験管のキノコも。部屋も。大学の建物も。
菌糸が形作ったすべてものが瞬く間に膨れ上がり、胞子を放出する。
建物は崩れ、地はひび割れ、水が吹き出し、ビルも人も形を失い、そして――
*
「――昨日は、ひどい砂嵐だったな」
一人の老人が孫を連れ、崩落した橋向こうで砂の
「地盤沈下によるものだ。埋立地で、大雨の影響で地盤ごと崩れた結果だろう」
「でも、この砂は?」
けほけほと咳をする子供の手を引き、老人は「崩れた
「ここは空気が悪い、家に戻るぞ」
そのとき、少年は崩れたビルの隙間から小さな機械を見た。
手のひらに収まるほどの防水性のテープレコーダー。
それは瓦礫を伝い、地下水を漂い、海の彼方へと流れていった――
擬(ぎ)の子 化野生姜 @kano-syouga
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