(3)

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 やえは下駄をつっかけて外に出た。

 上野の町並みとは正反対に田畑が広がり、遠くにいかめしい武家屋敷が並ぶのが見える。

 人影はない。今年に入ってからずっと曇りと小雨が続いていていたがここ数日になってようやく初夏らしい晴れ間が広がり、大地も乾き始めていた。

 ミャア、という声が足元でたった。やえは膝をつき、サンの黒い生暖かい体を抱きしめた。伝わってくるサンの体熱が、一つの幻景をやえの眼前に呼び起こした。

 上野のお寺は特別な建材を使っていたのか、火をかけられると色とりどりの炎を発したという。闇夜の底、真紅、青、萌葱という極彩の火焔に煽られ崩れ落ちる貴き大伽藍……

「お嬢ちゃん。その猫、お嬢ちゃんのかい」

 見上げると、中年の痩せた男が、眩しがるかのように眼を細めて立っていた。


 居間に上げられ、植木屋「植甚」のあるじ平五郎と伯父に紹介されて男は話し始めた。

―――話というのは他でもございません。実は手前ども、先月より離れに病人を預かっておりましてな。気の毒なことにもういくばくもない容態なんでございますが……

 しばらくの間、サンを外に出さないでおいて欲しい、と言うのである。平五郎はやえを見て、

「わかってくれるかい嬢ちゃん。あたしらには平気でも、弱った病人の胸にはドキリとするもんだからなあ黒猫ってのは」

 穏やかだが有無を言わせない沈鬱な重い口調に、やえはうなずきながら鼻の奥が痛くなった。痛みは薄まりながらも顔全体に広がり、やえは堪えきれずに泣き出した。


 五日後、平五郎がふたたび訪れ病人の死去を告げた。

 夏の大気はいよいよ熱く、光は眩しく、油蝉の大合唱が、滅び消えゆくものの永遠の沈黙を際だたせていた。


(完)

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葉叢闇(はむらやみ) 小泉藍 @aikoizumi2022615

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