殿下、婚約破棄のリハーサルって本気ですか?

久遠のるん

 昨夜からの雨が続き、今もまだどんよりとした雲行きで、時折り遠くに雷鳴まで聞こえてくる暗澹たる空模様だ。ここグリューネンフルス学園の大講堂では、来週に予定されている卒業式の本番さながらのリハーサルが行われていた。卒業式当日がこんな天気だったら嫌だなと思ったけれど、いくら何でも今日の夕刻には雨も止むだろう。


「次は“名誉”生徒会長で在られたアードルフ・フォン・オイデンベルグ第一王子殿下の、卒業生を代表してのご挨拶です」


 司会進行役の生徒会後輩のアランが朗々とした声を響かせた。


 アードルフ殿下は、卒業生席の一番前に座っていたが、よっこらしょという掛け声が聞こえてきそうな程に時間を掛けて身体を伸ばし、勿体ぶってゆったりと壇上に登った。すると、それを合図に後ろからぞろぞろと、必要のない筈の殿下個人の護衛騎士や貴族令息の取巻き連中まで一緒に上がっていった。おかしい、予定にない行動だ。そんな様子を見ていた先生方や生徒たちも騒めいた。予定では殿下が一人で壇上に上がり、挨拶をする筈だったのに。


「あの、殿下? お一人でお願いします」


 少々慌てたアランは遠慮がちな小声で声を掛けたが、それは私に人差し指を向けた第一王子殿下の次の言葉にかき消されてしまった。


「皆の者、聞け! 私、アードルフ・フォン・オイデンベルグは、あやつ、ユリアーネ・ラーラ・ラーベンベルグ辺境伯令嬢との婚約をこの場にて破棄する!」


 ざわざわがどよどよに代わる。生徒たちはおろか、先生方までも騒然とした中で、私はしゃがんで頭を抱えたくなるのを必死で堪えていた。


 ああ、それを今、ここで言ってしまうのか。


 そろそろ来るなと、何となく予測はしていたのだ。身内からの密告、親切心からの忠告、学園内の各方面からの報告で。もう私に彼の心が無いことは分かっていた。いや、元々そんなものは存在しなかったのだ、お互いに。


「ここにいるリリー・バーレ嬢への仕打ちは許せるものではない! 彼女を蔑み貶めたこと後悔するがいい!」


 いつの間にか取巻きの貴族令息たちの後ろからひょっこり現れたリリー・バーレ嬢が、アードルフ殿下の腕にぴったりと縋りついた。それはもうぴったりと、胸を押し付けて。


 私にはバーレ嬢とやらと話した覚えも、それどころか見た覚えも無かった。見るからに上位貴族では有り得ない品位の無さとその扇情的な姿に、この学園は確か貴族の子女でなくては入園は許可されていなかった筈よね? と思わず独り言ちた。全く接点を持ち得ないのに、どうしてそんなことを言われなければならないのか。


 私があまりに呆然として言葉も無く立ち尽くしているのを肯定と受け取ったのか、待ち兼ねたバーレ嬢はくねくねと身体を揺らし始めた。


「ああ、殿下ぁ、ユリアーネ様は酷いんですぅ」


 いったい私が何をしたというのだろう。リハーサルも邪魔されて散々だ。もうここで倒れてしまいたい。


 それにしても器用な身体の使い方をするな、と妙な感心をしてしまう。ふわふわしたピンクブロンドの髪が動きに合わせてゆらゆらと揺れている。きわどいドレスから零れんばかりの豊かな胸もゆさゆさと揺れている。ぱちぱちと大きな茶色い瞳を瞬かせ、可愛らしく首を傾げて隣のアードルフ殿下を見上げていた。


 見るからに媚びた様子の彼女を、いっそ羨んでしまう。私にはこんな真似はとてもじゃないけど出来そうにない。まあ、そこら辺りが殿下には満足いただけなかったということだろう。こうなってはもうどうでもいいが。


 そう。私の中で殿下との婚約は、既に些細なことと成り果てていた。後はどうやって後腐れなく王家との政略的な婚約を解消出来るか、それもあわよくば卒業までに、とここのところそればかり考えて不眠気味だったのだ。しかしこちらが何もすること無く、あちらが勝手に幕を引いてくれそうな今、実は油断すると会心の笑みが零れてしまいそうになっていた。


「今すぐリリーへの仕打ちに対して心の底から謝罪をすれば、受け入れてやってもいいが、」


 さあて。ここから取巻き連中の証言とやらを証拠に、私への断罪劇が始まるのね、と思ったその瞬間。


「殿下、恐れながら今は卒業式のリハーサル中なのですよ? 殿下の超個人的な理由で中断する訳にはいきません」


 落ち着いた声色で、来賓席から立ち上がり、ゆっくりとこちらへ歩み寄る人物がいた。


「……っ、テオバルトっ、邪魔するでない! それに超個人的なとは何だ! 俺の婚約は国家的な問題だ」


 エルツベルガー侯爵家嫡男のテオバルト様は、この学園の昨年の卒業生で元生徒会長でもあった。今は王宮にて宰相補佐官として働いていらっしゃるが、今日は助言をしてもらう為にリハーサルに参加をお願いしていたのだ。


 私を指差したまま、殿下は来賓オーラを纏ったテオバルト様に圧倒されてふるふると震えている。テオバルト様に勇気をいただいた気持ちで、私も苦言を呈した。


「殿下、今はリハーサル中です。“私たち”生徒会役員が時間を掛けて準備してきたリハーサルです。どうか、殿下と私の問題については、リハーサル終了後にきちんとした場を設けますので、それまでお待ちいただいても宜しいですか?」


 あくまで、“私たち”であって、“名誉”生徒会長の殿下は数に入っていない。


「何を言う? リハーサルなのは良く分かっているぞ。だから、俺もリハーサルしているのだ」

「はあ?」


 しまった、素で声が出てしまった。この婚約破棄はリハーサル……なの?


「では、……、来週の卒業式で本当の婚約破棄をされるおつもりですか?」

「当然だろう、こういうことはきちんと練習しておかねばならん」


 私は本気で頭を抱えた。今婚約破棄されようが来週だろうが同じことだ、どっちみち破棄されるのだから。


「やぁだ、ユリアーネ様って何にも分かってらっしゃらないのね?」

「可愛いリリー、来週には必ず父上にも許可していただくからな」

「嬉しいっ、殿下ぁ、大好きですぅ」


 勝手にやってろ。はああ、と大きく息を吐いて私は臨戦態勢に入ろうとした。すると、宥めるように両肩に温かな手が置かれた。振り返るとテオバルト様が私の真後ろに立たれていた。


「殿下、婚約破棄のリハーサルとは恐れ入りました。しかし来週まで持ち越さなくてもいいでしょう。面倒ですから、今この場で婚約破棄なさっては如何か? ユリアーネ嬢の御父上もちょうどこの会場にいらっしゃるようですし」

「だが、今日はリハーサルなのだろう?」


 本気で意味が分からない。こんな人だったかしら。だから、第一王子ではあるが立太子の礼は見送られていたの?


 ◆


 学園での三年間、婚約者としての役目を果たそうと、私は殿下に何度も忠告した。大仰に脅したり、優しく諭したり、と手替え品替え一応は心を入れ替えてもらうべく努力をした。しかしそれは全て無駄に終わった。少なくとも一年間は頑張ったのだ。だが二年生に上がる頃には諦めの境地に至り、殿下に使う時間が勿体ないと悟ってからは、一層勉学に励み、生徒会の仕事に打ち込んだ。


 それをどう思っていたのか、分からないではない。自分の為に着飾ることもせず、最低限の社交も嫌がり、生徒会の仕事と勉強ばかりしている可愛げのない田舎者だと思っていたに違いない。しかし、私はラーベンベルグ辺境伯家の娘としての役割を正確に把握していたつもりだ。そこが根本的に違っていた。アードルフ殿下との婚約はどちらかと言うと王家からのお願いという名の勅命であったのだ。


 私の父バルトロメウス・レーヴェ・ラーベンベルグ辺境伯は、優秀な土木設計技師として名を馳せている。山間部の農地の少ない我が領地では、作物の収量が少なく、代わりに隣国との小競り合いや辺境警備の為に磨いてきた土木技術を財産として、あちこちの普請を行って金を稼いできた。ここ王都も例外ではなく、そこらの橋や道路もだが、王城だってうちの普請によるものだ。この優れた土木技術を国外に出すことを恐れた王家の思惑が、アードルフ殿下と私の婚約に繋がったのだった。


 なのに、ご本人がその重要性に気付いていない、という事実に私はあんぐり口を開けた状態だ。何なら開きっぱなしになっている。その様子をこちらを覗き込んできたテオバルト様に恥ずかしくも見られてしまった。泣きたい。


 私は昨年度の生徒会長だったテオバルト様の右腕として二年生の間を彼の側で過ごし、辣腕を振るう彼の補佐を担っていた。テオバルト様への信頼を胸に、生徒会を盛り上げてきた。夏の音楽コンクールや秋の収穫祭、大人顔負けの冬の夜会、慈善バザー。先生たちとのやり取りや、近くに住む人々との交流会も、何もかもが楽しく、充実した一年だったと胸を張って言える。


 そう、殿下が邪魔してこない限りは。


 三年生になっても生徒会室に寄り付かない殿下を、“名誉”生徒会長に押上げ、私が代行することになった。テオバルト様の作ってきた生徒会の気風をこれ以上貶めさせない為に、その一心でここ一年間頑張ってきた。


 その代償が婚約破棄? いや、ご褒美かもしれない。


 ◆


「テオバルト様? あのお方が噂の麗しのテオバルト様?」


 アードルフ殿下に縋りついていた筈のリリー・バーレ嬢の甲高い声が響いた。それに対してテオバルト様が怪訝な顔をして応える。


「私は君とは面識がないのだが、」

「まあ! お会いしとうございました! あたくしはよーく存じ上げていますぅ」


 テオバルト様は困惑されている。仕事と結婚していると言われる宰相補佐官である彼に、こんなふうに軽々しく話しかけてくる女性はほぼ存在しないだろう。そればかりか彼は侯爵家の後継である。未だに婚約者が居ないことは王宮七不思議として語られているが。


「申し訳ないのだが、本当に覚えがないのだ」

「君は、リリー・バーレ嬢だったね。この方にそのような口のきき方をしてはならないよ」


 側で様子を伺っていた学園長が先生らしく忠告するが、言われた本人は理解したのかしないのか、彼に身体をくねらせ預けようと近付いてくる。こういう状況に陥ったことがないテオバルト様は明らかに恐れを為しておられた。


「学園長、彼女はここに居るからには、学園の生徒なのだろうな?」

「……正直私には見覚えがありませんね。――これ、止めなさい」


 学園長の制止も聞かずに近寄り続けるバーレ嬢を、私は腕を掴んで引き留めた。


「リリー・バーレ嬢、失礼にも程がありますよ」

「えっ、あっ、ユリアーネ様ぁ? やだ、痛いですーぅ。ほら、テオバルト様、ユリアーネ様があたくしを虐めるの、見ましたよね? ね?」


 はあ?! と息を吐いて続く悪態を何とか飲み下し、掴んだ腕を放して引き攣った笑顔で言い放った。普段は爵位を笠になど着ないのだが、気付かない相手にははっきりと分からせて必要がある。


「バーレ嬢、侯爵令息であるテオバルト様に対して失礼ですよ。それに私の名前を呼ぶ権限を与えた覚えもありません」

「私も与えた覚えはないな」

「えっ、でもぉ、ユリアーネ様だって、テオバルト様って呼んでますよね?」

「ユリアーネ嬢とは学園の生徒会で共に働いた仲だ。勿論名前を呼ぶことも許している。しかし君は、」


 テオバルト様の言葉がバーレ嬢を追ってきたアードルフ殿下によって遮られる。


「リリー! どうした? 何かされたか?」

「ユリアーネ様ったら酷いんですぅ。リリーが何もしてないのに、腕を掴んできて、痛くて痛くてーぇ」

「ああ、リリー、可哀想に! もう大丈夫だよ、俺が居るから」

「殿下ぁ、うれしいっ」


 もはやどうでも良くなり、諦観の気持ちで二人を眺めた。一人落ち着いた口調で、学園長がアードルフ殿下に向かって疑問を呈している。


「殿下、この令嬢は何処の所属なのでしょう? 私には見覚えがないのですが」

「ハインミュラー学園長、俺の連れに失礼だぞ。ここに居るリリー・バーレ嬢はかの有名な建設会社『糺の森』のご令嬢だ」

「……そうですか。いや、そうではなくて、殿下、この者は学園に所属の学生ではないのですね?」

「俺の連れだ」


 話が通じない。諦めの境地で、では次からは許可証を申請くださいと頓珍漢な答えを返している。こんなふうに困惑している学園長も珍しい。そうだった、そう言えば私、今婚約破棄されたのだわ。来賓席に薄っすら笑みを浮かべて座っている自分の父に向かって手招きする。


「殿下、確認したいのですが、先ほど壇上で仰ったことはリハーサルの一環でしたね? 本気ですか?」

「リハーサルには違いないが、あれは本心だ」

「そうですか」


 リハーサルだとしても同じことだ。今日か、来週かの違いだけで。どちらにせよ、確定事項らしい。


「お父様。ご報告があります」

「何だね? ユリアーネ」

「私は先ほどアードルフ殿下より婚約を破棄されてしまいました。私の力及ばず申し訳ありません」

「……」


 父辺境伯は頭を下げた私のつむじをじっと見て、それからゆるゆるとアードルフ殿下を見遣った。


「殿下、間違いございませんか? 娘と本当に婚約破棄なされるおつもりで?」

「ああそうだ。そんな生意気な女は俺に相応しくない。俺はここにいる心優しきリリー・バーレ嬢と婚約する」

「――そうだな、相応しくない。まったく相応しくない」


 そう言ったのは私の後ろで聞いていたテオバルト様だった。彼は私の前に回り込むと流れるような仕草で右手を取ってその場に跪いた。


「殿下には相応しくありません。彼女は私が貰い受ける。ユリアーネ嬢、私と婚約してください」

「はあ?! テオバルト何を言う? ユリアーネは俺の婚約者だぞ」

「殿下は先ほど彼女を切り捨てました。もう、殿下の婚約者ではありませんよ」


 そう言いつつ私を真っ直ぐに見つめ、手の甲に口付けて美しい笑みを掃いた。


「返事は、そうだな、来週の本番までは待つよ。私との未来をゆっくり考えてほしい」


 ええっ、本気なの? 池の鯉のようにぱくぱくと口を開け閉めしてしまう。立ち上がったテオバルト様は目を細めて私の指先にも口付けている。彼の顔を見上げて本気度を確かめ、慌てて隣の父親の顔を見遣る。豪放磊落で知られている父は、破顔してテオバルト様の背中を叩いて既に祝福していた。いや、速攻で認めてどうするの。


「貴方様なら喜んで娘を引き渡しますよ、テオバルト殿。その前に、いいですかね」


 ぎぎぎという音が聞こえてきそうな機械的な動きでアードルフ殿下の正面に立ち塞がった。


「――殿下。アードルフ第一王子殿下」


 辺りが凍ってしまいそうな冷たい声だった。


「ユリアーネは貴方の婚約者として五年間それはそれは厳しい妃教育に耐えてきました。その間は碌な自由も与えられず、娘が不憫でなりませんでしたが、そもそもこの婚約は王家と我が伯爵家との政略的なものです、それをきっちりお分かりですか?」

「あ、ああ、……父が望んだ、と、聞いている、が」

「そうです、国王陛下が是非にと仰ったから、私も泣く泣く娘を貴方の婚約者に差し出したのですよ。それを、そちらの、都合で、破棄したのですから、お分かりですね?」


 一言づつ切り刻みながら染み込ませるように諭す、厳めしい形相の父を見て、顔色は明らかに悪くなっていく。逃げ出したいだろうアードルフ殿下は、無意識にリリー・バーレ嬢を引き寄せて防波堤にしようとしていた。


「ユリアーネは初めから俺に冷たかったのだ。それをこのリリーが慰めてくれて」

「殿下ぁ、リリーはテオバルト様が気に入りましたぁ。でも、ユリアーネ様に獲られちゃったみたいですぅ」

「はあ? さっき、俺を好きだと言ったではないか」

「もちろん好きですよぉ、でもぉ、テオバルト様も素敵なのでぇ」

「殿下、痴話喧嘩は後でやって下さい。とにかく、リハーサルだろうが何だろうが、婚約破棄はお受けします。直ぐに陛下にご報告させていただきますよ。ここに居る学園長に証人になってもらいます。宜しいか?」

「もちろんですよ、いつでも証言いたしましょう」

「さて、いつまでもこんな茶番に付き合っていられないので御前失礼しますぞ」


 口ではそう言いつつも、スキップでもしそうな勢いで父は嬉しそうに王城へと向かっていった。そう、父も狙っていたのだ、殿下の有責扱いで婚約破棄して慰謝料を分捕ってやることを。


 壇上から降りてきた殿下とリリー・バーレ嬢が何やら言い合っていたが、それはそれ、もう私とは関係ない。それよりもテオバルト様に右手を掴まれたまま、いつの間にか腰を引き寄せられていたことの方が問題だ。


「これはリハーサルではないからね、ユリアーネ嬢。昨年一年間、君と共にした生徒会活動は楽しかったよ。君への信頼が愛情に変わるのに時間はそう必要じゃなかった。でも、殿下がいたから諦めていたんだ」

「私はっ、――私の方こそテオバルト様と一緒に働きたくて、卒業後は文官として王宮へ出仕するつもりで……」

「知っているよ、今年の官僚採用試験上位合格者に入っていたからね。君は宰相室付きの事務補佐官として採用だ。私の下で補佐してもらう予定だよ」

「え、それは、……」

「職権乱用ともいうね」


 にこやかに笑ってらっしゃるけれど、いいのかしら。でも私が働くことは認めて下さるらしいのでちょっと安心した。


「ご両人、申し訳ないが、リハーサルを続けさせてもらっても宜しいですか?」


 ちょっと苦笑気味の学園長が声を掛けてきた。そう言えば、と辺りを見回すと、大勢の人たちの生温かい視線を向けられているのが分かり、顔が熱くなった。


「殿下には王家から連絡が来るまで謹慎していただきます。代わりにラーベンベルグ嬢、副会長として卒業生代表の挨拶を」


 テオバルト様に、ここで見ているよ、と優しく背中を押される。私は顔を上げて壇上へと向かった。


 ◆


 卒業式のリハーサルは、雑音はあったものの、無事終えて、生徒会役員は労いのお言葉を宰相補佐官より賜り、本番の卒業式も恙無く終える事が出来た。ただ一点を除いてだが。


 卒業式での私の卒業生代表の挨拶の後、突然テオバルト様が壇上に上がって来られて、焦る私を追い詰める公開プロポーズが始まったのだ。確かにあの時、本番まで待つよと仰ったが、まさか式中に返事を迫られるとは! 衆人環視の中、誰が断れるというのだろうか。勿論お受けしましたよ。憧れのテオバルト様からの求婚なのだから、受けるしかないでしょう。


 因みにあれから直ぐに、王家から第二王子はどうだなんて話があったが、誰が王家と婚約なんかの気持ちでそれは速攻お断りした。


 殿下はあの後、国王陛下にこっぴどく叱責されたらしい。ついでに甘やかしたお前の責任だと王妃様とも揉めに揉めたそうな。殿下は第一王子のままだが、王太子の座は、第二王子殿下が立太子されることになった。そしてリリー・バーレ嬢の実家は、実はうちの領地と同業で、建設会社を経営していたのだが、請け負っていた工事の不正疑惑が持ち上がり、学園に姿を見せなくなった。殿下との関係がどうなったのかは私は興味がないので聞いていないが、殿下は修行して来いと、隣国の竜の騎士団へと放り込まれたそうだ。魔物退治を目的に創設されたその騎士団は規律が厳しいことで有名だから、ちょっとは鍛えられることを願う。実際に見たことはないが、細くてひょろりとしていたものね。私が全力で当たったら、きっと助けるどころか一緒に倒れてしまっていただろう。


「どうした、ユリアーネ? 他の男のことなど思い出さなくていいよ」


 どうして分かるのだろう。殿下のことをちょっとでも考えていた自分を戒めた。それに今は馬の上で、テオバルト様にぴったりとくっついている状態だ。服越しにでも感じる意外なほどの逞しさにくらくらしそうになっている。落馬でもしたら大変だが、腕を回されてきっちりと抱えて下さっているので、不安は全く感じていない。それよりも。


「エルツベルガー宰相補佐官、あの、」

「テオバルト」

「えっと、テオバルト様、……くっつき過ぎでは?」

「婚約者とくっついて何が悪い?」


 そう囁かれると、ひんやりした唇が首筋に当たるのを感じた。ひやぁ。


「今は! 街の視察に向かう途中で! 仕事中です!」

「ユリアーネ、かわいい。今すぐ結婚したい」

「ですから! 今は仕事中で!」


 つれないなあ、と呟いて顔を上げて下さったが、ついでのように耳朶を甘噛みされてしまった。私がひとり悶えて固まっていると、今度はつむじに口付けを落とされる。


「仕事はちゃんとするから」

「あ、あ、当たり前です!」


 本当に心臓に悪い職場だ。でも結婚しても辞める気はない。テオバルト様と公私ともに並んで歩くと、あの日決めたのだから。


 ――― ende ―――


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殿下、婚約破棄のリハーサルって本気ですか? 久遠のるん @kuon0norn

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