それぞれのポートレート
@k-n-r-2023
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ホンダVF400は、V字縦型エンジンなので、さして長くない私の脚でも十分に運転しやすい中型バイクだった。お気楽な非常勤講師で交通費も浮かせたい私のような身の上には、中型バイクは便利だ。天候が最悪な場合以外ならバイクで行動する。渋滞はないし、ほとんどどこにでも駐めておける。今日から行く学校は、学力的にはなかなか優秀、元男子校だった屈指の県立高校で、女子は非常に少ない。工芸を含む美術科を教える。ついでに美術部の部活動の顧問もやらなければいけないらしい。これは見返りが少ないので、本当はやりたくない。でも,美術室を使えることが大きな魅力だ。もしかすると、長年夢見てきた未完成の美を持った男子高校生を見つけて、その体を描く事ができるかもしれない。担当が長期入院で今年いっぱい、つまり1学期と2学期を休むことになったからで、その人も女性で、問題はなさそうなので引き受けた。学校長と教頭に挨拶に行き、校内を案内してもらい注意事項などをしっかりと頭に入れることにする。多分、生徒の一人が学校案内をするのだろう。どちらにしても運転免許を取れる年齢で、バイクがほしいと思っている生徒も多いはずなので、学校にバイクで乗り入れることはしない。近くに清潔なトイレがあり、コンビニが隣接している公園をすでに見つけてある。駐車はコンビニ前の歩道橋の下にして、雨風をしのいでおくことにする。 初日の今日はきちんとした着替えを用意した。だから駅まで行って、ヘルメット、革ジャンやブーツなどをコインロッカーにしまうことにして、悪天候のときに電車通勤をした場合の通勤路を頭に入れておこう。それにしても面倒だ、でも、『生徒への悪影響です!』とか言われてしまうことを避けなければ。。。以前に1校、親からクレームが来てクビになってるし。。。
さて、トイレでしっかりと着替え、薄く化粧もした。ヘルメットの痕も残さないように、髪はブラシで梳いて、充電式のヘアアイロンでボリュームを出した。いざ出陣!といったところだ。 駅から歩いて15分くらいだろうか? コンビニは数件あった。なだらかな坂道を登りきったところに、この高校、東海高校はあった。結構大きな学校だ。スポーツも盛んらしい、流石に元男子校、ラグビーフィールドまである。ガタイのいい子も多いのだろう。まだ1限の授業中だし、生徒の姿は見えない。職員通用口に行き、事務の人に到着を告げた。数分で校長室に行くように指示された。 職員室の前を通り、校長室についた。ノックしてみる。「どうぞ、お入りください」はっきりとよく通る声が聞こえ、ドアを開けると、校長は席を立って、待っていてくださった。
「ようこそいらっしゃいました。校長の前原です。どうぞ、おかけください」 机の前にある対面式のソファに座った。きっと、生徒の親なども呼ばれたらここなのだろう。
「今、教頭の岸田くんも来ますので、お待ち下さいね。 その後に学校案内を生徒会長にしてもらいます。優秀な生徒なので、何でも気軽に聞いてください。非常勤だからといっても、正規教員と全く同じに接していきますので、生徒にも同様に言ってありますからご安心ください。」するとドアがノックされて教頭が1人の生徒と入ってきた。
「お待たせいたしました。教頭の岸田です。 この生徒は生徒会長の進藤君です。今日は彼に校内を案内してもらいます。」
「生徒会長の進藤克己です。何でも聞いてください。」
「始めまして。加納真希子です。美術科全般を担当します、どうぞよろしくお願いいたします。」
「では、ご案内します。」 そう言われて、進藤君の後に着いていくことになった。校長と教頭には頭を下げ、後ほどまた、と言い残した。
「まずは美術室からご案内しますね。ところで、先生はおいくつですか? あ、女性には年齢を聞くのは失礼でしょうか?」
「私は気にしないわ。26歳よ。芸大を出た後にニューヨークの美術学校で2年間勉強したの。あ、私一浪してるから芸大出たのは23のとき」
「そうですか、芸大って、現役で入る方が珍しいといいますよね。僕には全くわからない世界です」
「そんな事ないわ、美術と音楽という芸術は、誰でも共感をもって語り合えるし、関われる素晴らしいものだと思うの。私など、ジャズ好きで、いつも音楽を聞いて仕事したり、街なかを歩くときもイヤーポッドよ。音楽という芸術が最も万人に理解される芸術だけど、進藤君はなにか音楽に関わっているの? 楽器が弾けたり、好きな音楽を勉強中に聴いたりしてる?」
「僕は普通にJ-Popなどです。楽器は子供の頃にピアノを習ってましたが、中学に入ってからはもう科学の実験のほうが面白くて、そっちばかりになりました。 あ、ここが美術室です。」
「結構広いのね。ここなら誰か大作を作ることもできそうだわ。」場所も北側だし、なかなか良い教室だと思った。 その後は各学年の教室の場所、音楽室や視聴覚室、コンピューターラブなども見せてくれた。流石に進学校として有名なだけあり、設備は非常によく整っていた。そして、体育館。プールとシャワールームなど、高校としては良い設備だと感心した。 一通り見て回り、わからないことはまたその都度教頭や担当主任の先生に聞くことにするからと、進藤君を解放してあげることにした。
「若いし、話の分かりそうな先生で嬉しいです。この学校は進学校ですから、ある程度学業は優秀な生徒ばかりですが、全員ではありません。中には不良っぽい奴らもいますので、先生も気をつけてください。それでは来週からよろしくお願いします。」
「ありがとう。男の子の方が多いと、かえってさっぱりしてて遣りやすいかなと思っているの。大丈夫よ、ニューヨークのブロンクスに住んでいたから、日本のヤンキー高校生なんかへっちゃらよ。(笑)」 進藤くんはニコッと笑って簡単に会釈し、教室に戻っていった。私は校長室に戻り、職員室へ案内してもらった。きちんとデスクを渡される。中間期末テストをするんだから当たり前か。。。美術科のテストなんて、たかが知れている。芸大受験の学科試験だって、私の頃は当たり前にルネッサンス期のことしか出ないから楽勝だった。落ちるとしたら実技だ。この高校から美術大学を志望する子がいるかどうか聞いていないけど、調べておこうと思う。私って、真面目だわ! 校長室で、世間話しをして、職員室に先生が戻るのを待つことにした。
「前原校長、ちょっとお聞きしたいことがあるのですが。」
「はい、なんでしょうか?」
「私は時間の許す限り運動中の生徒を中心にスケッチをしていたいのですが、なにか問題はあるでしょうか?肖像権などです。目星をつけた生徒には、事前にスケッチすることを伝えるほうが良いかどうか?? 身構えてもらうと形が崩れ、台無しになるので、できれば伝えたくないのです。そのときに写真も撮りたいのです。以前にそういったことで問題になったことがなければ、多分大丈夫だと思うのですが。。。」
「まず問題にならないと思います。自然体をスケッチしたいのですから、伝えては何もならないですね。 一応、スケッチをするということは言っておくべきかもしれません、念のために。。。ま、気の良い子ばかりで、嫌がることはないですよ。安心してください。」 ちょっとホッとしたが、これは女教師の特権かもしれない。男だったら、女生徒のスケッチなどしてたら、問題になりそう。。。まぁ、この学校には女子生徒は少ない。私は男子生徒の動きが描きたいのだ。。。風景でもスケッチしているように見せかけてやるかな。。。高校生とは、まだアンバランスな肢体をもっていて、その未完成の美しさは、完成された20代以降の体とは全く異なる。ミケランジェロが採石場で働く人夫を沢山スケッチしていた。その殆どが完成された肉体を過酷な仕事によって更に充実させた人体が多かったが、中にはまだ見習いできていた少年のスケッチもあった。やはり非常に美しいものだった。とにかく少しずつ考えておこう。今はただ、月曜日の全校集会で紹介された後は3日間、クラスごとに美術室で自己紹介することになる。来週末は、クタクタだな。。。小菅理香子は、中学の頃からの親友、何でも相談できる。彼女は私の予備校からの友人の大川俊介を紹介して以来、しっかりと付き合っている。いつ結婚するの?という質問はすでにタブーだと承知している。忘れないうちに理香子に逢う約束をしておこう。
400人近い高校生が一同に集まるところにいたのは初めてじゃないけど、流石に男子が多いと迫力がある。校長の話もかなり手短で好感が持てた。各々のクラス担任と私のように専門科目の先生が紹介された。20代の女教師だからだろうか、生徒からの刺さるような視線を感じた。私は媚びを売るような笑みは見せず、ひたすらポーカーフェイスを保った。頼れるお姉さん先生になるつもりはない。各クラスの最初の授業で、私は有無も言わせぬ一言を放っておいた。
「一応科目として美術が存在する限り、中間と期末の試験はあります。範囲などは必ず言いますからみんな良い点が取れると信じています。しかし、成績に影響するのは、提出物です。期限にきちんと完成した作品、及び、プリント類の提出のできない生徒はどれだけ試験の点数が良くても落第させます。世の中甘くないこと、高校生でも理解できないといけないと思ってますからね。私は簡単じゃないですよ。どうぞ、よろしく」 生徒たちは固唾をのむような静粛を数秒残した。偏差値の高い学校の生徒たちでも、私にとってはただの高校生だ。最初にガツンと言っておくことは舐められなくて良い。先生の中では古文と音楽の教師たちは、話が合うとわかった。音楽の林賢三は、人気者らしい。私が、今度、あの素晴らしい音響システムで、レッド・ツェッペリン聴いてもいいですか? と言ったら、すんなりOKしてきた。そのときは一部の生徒も呼びますよ。。。だそうだ。 古文の西田由紀夫は、真面目そうだけど、なかなかおもしろい。この二人がいるなら、無理矢理の飲み会に行ってもうんざりするほどの退屈はなさそうだ。
怒涛の如くの3週間が過ぎた。3年生に美大の工芸科に行きたいという女子生徒とデザイン科を希望している男子生徒が各々一人ずついることが分かり、対策と傾向をしっかりとまとめてあげることにした。ま、紹介するから美術系の予備校に行け!というのが最大の助言。そして今、先生方との交流会、要するに飲み会である。
私のような非常勤講師も含め、教師陣全員が集まった。小綺麗な居酒屋だが、メニューなども充実している。『最初はビール』というお決まりの注文は、最近では変わっているようだった。それでも30代以上はそのままビールにしている。私は翌日に残したくないという希望を癖にしたのは大学卒業してアメリカに行くときだった。ウォッカか焼酎というのが私のお決まりになった。ここでは、梅サワーと言うのにした。これは無理やり注がれることもないので、女性には良いかもしれない。それでも度数の強い焼酎を使っていれば、かなり酔える。ちなみに私が気に入ってたスミノフは58度。。。口から火が出そうだ。
女性教師は思ったよりも多かった。どの人も30代以上の既婚者か子育てが終わった50代。私は新人で未婚で最も若い。でも、嫌がらせなどはなさそうだ。30分もしないうちに、やはり話の合いそうな音楽と古文の教師と3人で固まっていた。音楽の林先生は、35歳バツイチ。それでも奥さんだった女性と今でも仲は良いという。古文の西田先生は、ちょっと変わり者だけど、女生徒から人気がある。私から観ると青白くて不健康そうだけど、身長は185cmという高身長なので、関西の人が言うところの『シュッ』として見えるらしい。31歳で未婚。昔は彼女みたいな人がいたようだ。。。どちらも男色の傾向がない。私はどちらかというと、ゲイの男性と仲が良くなる傾向が強い。ニューヨークでは遊び仲間はみんなゲイだったから、何でも女性同士のように話せて相談にものれて楽しかった。私の彼氏歴は、そのころで途絶えているけど、今は誰かと親密になりたいと思っていない。
他にも加納という名前の先生がいるので、私は『真希子先生』と呼ばれることになった。生徒からはすでにその提案が出されていたので、快諾した。
「真希子先生、どう?やりにくい生徒とかいませんか?」林先生が振ってきた。
「いいえ、今のところみんな素直に言うことを聞いてくれています。最初にガツンと一発カマしているので、提出物の遅れは許しませんしね。」
「あぁ、それ、良い事しましたね。非常勤だとわかると、中には馬鹿にしてくる生徒もいますからね。偏差値が高い学校の生徒のほうが、そういうのいるんですよね。」西田先生は、現実的なことを教えてくれる。
「俺は軽音楽部も面倒見ているんだけど、そのせいか話の分かる大人と思われているらしい、まぁ、金貸してとか言ってくるのもいたり、友達扱いですよ(笑)でも、その分、生徒たちの情報はバッチリ。ときにクラシック、ときにアニソンとかも聴かせて、文字通り、音を楽しませていますよ音楽教師の鏡だと言われてます(笑)」 そこへ、体育の担当の中でもバスケット部の顧問をしている安倍先生が入ってきた。
「どうも、安倍です。仲間に入れてくださいね!」
「おぉ!安倍さん、どうぞ、どうぞ(笑)」林先生は愛想が良い。
「どうも、真希子先生、以前校長から生徒の運動中のスケッチをしたいということを聞きましてね、僕のバスケ部、結構いい体躯の子が揃ってますよ。よかったら、今度部活を見に来てください。あ、もちろんご自身の部活のないときにでも(笑)」
「それはありがたいです。陸上部にはお邪魔したのですけど、体育館のスポーツ、バレーやバスケはまだでした。 上背のある子は、未完成度が非常に魅力的ですからね、必ず伺います」
「真希子先生、未完成って、まだ子供な部分が残っているということですか? スケッチって、動いていても出来るんですか?」西田先生は、残像などは観られないと思っているのだろうか?
「最近は写真も撮りますよ。私はミケランジェロのような観察力はないので、できるだけ写真と比べながら絵にしていきます。未完成というと人によっては失敗に見えるのではないですか?未完成の美しさってあるんですよ」
「未完成の美・・・なるほど、そういうものなんですね。写真は良いアイデアですね」
「正直なところ、できれば上半身裸だと助かるのですけど。。。筋肉の動きが観たいんですよ。」
「バスケ部はみんなダボダボしたものを着てますからね。。。水泳部しかないんじゃないですか?」
「いやぁ、、、水泳だと泳いでしまうともう見えなくて。。。」
「そうでしたね。。。ま、バスケ部には言う事聞くのが多くいますから、たまに脱がせましょう!(笑)」
「それは助かります!(笑)」 どうやらこの3人とはすっかり打ち解けた。この3人には私がバイクを使っていることを、こっそりと教えておいた。心強い味方ができたような気がした。今後はいざというときのために学校にある災害用の予備の安全ヘルメットを持ち歩くことにするという。。。ヘルメットと名のつくものなら何でも装着してればよかったの??確かに良いのかもしれない。 ふん、 乗せてやるものか。。。
美術室の片付けも終わり、帰路を急ごうとしていた。お腹も減ったし、コンビニで何か買って、どこかで食べようかな。まずは着替えてしまおう。上着を脱いでウィンドブレーカーに着替える。コンビニにヘルメットを被って入店することはできない。大体ヘルメットのために、どうしても大きな荷物を持つことになる。美大生などは当たり前の荷物の大きさなので、自分ではおかしいとは思わない。寒くなれば荷物はもっと大きくなる。今日は朝ボーっとしてたので、うっかりバッシュを履いてきてしまった。このお気に入りのアンダー・アーマーのバッシュではバイクに乗りたくなかったけど、遅刻してしまうと思って、取替に帰らなかった。安全運転はしなかったから余裕で学校に着けた。すると、朝練をしてた男子バスケット部の数人と鉢合わせしてしまった。流石に目ざとい。私の靴をじーっと見つめている子がいた。 西川海、実はこの子、スケッチ対象になる子第一号。すでに3年生で18歳なので、未完成も末期に差し掛かる美しい肢体の持ち主。それもファッションモデル並みの192cmという高身長。いつか脱がせてみたいと願っている。。。彼が引っ張ったことで高校インターハイの予選第二試合まで行けた。その功績もあり、勉強の方も成績が優秀なので、すでにK大に推薦入学が決まっている。校内の女子はもちろん、他校の女子生徒も彼にご執心な子がすごく沢山いる。その子に見つめられているのがわかった私は思わず口角を上げて苦笑いしてしまった。
「先生、今日はいい靴履いてますね。」
「あぁ、これね、間違えて履いてきちゃったのよ。汚したくなくてね。。。」
「左足の方、甲のところがちょっと汚れてますよ。」 あ、ヤバい。。。拭いておかないと。
「ははは、そうね、すぐに拭かなくちゃ。ありがとう。」私は慌てて職員専用口に走った。タオルを取り出してバッシュの甲を丁寧に拭いた。クラッチの痕だ。。。参ったな。ま、しかたがないか、と、上履きに履き替えた。あぶない、あぶない。。。
帰りのコンビニでは、高菜明太子のおにぎり1つ、チーズ蒸しパン1つ、そして、おーい、お茶。袋は断って、大きなバッグの中に押し込んだ。外に出てみると男女数人の高校生らしい子達が駐輪スペースに屯していた。うちの学校の制服も見えた。まずいかな??と思ったのですかさず、逆側に方向を変えて公園に向かった。あの子達の位置から歩道橋下は見えるかもしれないので、まずは腹ごしらえ。バイクに乗っているとつくづく空腹では運転しにくいことがわかっている。時間差を持ってバイクのところに行くほうが良さそうなので、ま、いいか。イヤーポッドを出して、スポティファイからエヴァレット・ハープを選んだ。日暮れ時には気持ちが良い。ところで、高菜明太子のおにぎりって、初めて食べたけど美味しい。もう一個行けたかもしれない。まぁ、微妙なところだったので、デザートは蒸しパンにしたのだけど。。。腹八分と言ったところだが、お茶を飲み干せば全然OKだ。ホッとできたので曲を聞きながら外灯の向こう側を観ていた。耳が塞がって心地よい音楽を聴いていたせいか、人が近づいてきているとは分からなかった。
「先生。こんなところで夕飯ですか? いつもそうなのですか?」 西川海だった。
「うわぁ、びっくりした! 西川くんか。今帰りなの? なんで私だってわかったの?」
「他校の生徒と久しぶりにコンビニ前で逢ったので話してたんですよ。そしたら、先生が買い物して出てきてここに向かっているみたいだったんで、みんなと別れた後に来てみました。で、見つけました。(笑)」
「靴でわかったの? 私は西川くんがあそこにいたのは分からなかったわ。しゃがんでると、他の子達と溶け込んでて分からないものね。」
「靴で確信しただけですよ。顔と姿ですぐに先生だと分かりました。」
「そうね、今朝も靴が気になってたみたいで観てたもんね。。。アンダー・アーマー好きなの?」
「俺、NBAでは、ゴールデンステート・ウォリアーズを応援してて、ステファン・カリーが好きなんです。3ポイント、彼みたく決めたいものだと。でも、俺は身長でいつもセンターにされてしまうから、カリーのポジションは向けてくれませんね。」
「そうかぁ、、、確かに、カリーもチームの中では決して背が高くないものね。。。もしかして、西川くんと同じくらいなんじゃない? 貴方もNBAではポイントガードのポジション取れるのね。。。」
「日本とアメリカの差ってそういうところかもしれないですね。ところで先生、まだ帰らないんですか?」
「あぁ、まぁもうお腹いっぱいだし、ちょっと音楽聞いて、涼しくなったら帰ろうかなって。西川くんは、もう帰らないと。 私のことは気にしないで帰っていいよ。気をつけてね。」
「そうですか、じゃ、帰ろうかな。。。ねぇ、先生、そのバッグ凄く大きいですよね。なんでそんなに大きいバッグなんですか?」
「え?まぁ、女は荷物が多いことと、美術科の道具をいくつも持っていくから、結構大きくなっちゃうんだ。」
「へぇ。。。 変なこと聞きますけど、先生、バイク通勤してませんか?」 あっちゃー!なんで知ってるんだろこの子。。。
「あははは、、、西川くん、私がバイク通勤ですか?? うーん、うーん。。。」 これはもう隠しても馬鹿みたいかもしれない。。。
「OK, Give up. そうなのよ。天気の良いときだけだけど、バイクで通勤してるの。バイクって融通きくし、渋滞はないのよ。車よりも開放感があるの。ただ、高校に勤めていると、問題も起きそうだから学校には乗り入れないと自分で決めているの。 もちろん校長先生は知ってるし、一部の先生も知ってる。」
「責任感強いんですね」
「責任感というか、高校生はバイクの免許取れるじゃない? だから悪影響になると考える親御さんもいるのよ。。。事故ったら、車と違って死んでしまうことも多いしね。」
「そうかもしれませんね。。。俺は車の免許は取れました。だから原付きは乗れるんですよ。それでも大きいバイクに乗ってみたいなと思うこと多いです。 先生のバイクって、スクーターかなにか? ベスパとか似合いそうですね。。。」
「あはは、、ベスパ好きなんだけどね、実は昔持ってたの。昔のだから一番小さい125CCね。でもね、ちょっと鈍いし、故障が多いから維持費が大変なのよ。。。ツーリングに行きたいから日本製のロードレーサータイプのバイクよ。 時々独りになりたくて、湘南の海まで行くの」
「彼氏と行くんじゃないんですか? 彼氏のバイクの後ろじゃダメなの?」
「今は彼氏なんかいないのよ。。。昔、彼氏を乗せて走ったことはあるわ。彼も背の高い人だったから、私が運転すると、人から見ると奇妙だったみたいね。(笑)」
「今はって、別れちゃったんですか?」
「そう。。。振られちゃったのよ。。。ニューヨークに行ってから、連絡とらなかったからね。。。」
「どうして連絡しなくなったんですか? 他に好きな人ができちゃったの?」 うーん、この子は女慣れしてそうかも??
「ううん、違う。ニューヨークでの生活が楽しくて、絵画の方も沢山影響を受けるアーティストと知り合えて、すっかり調子に乗ってたの。だから、自然消滅よ。。。 さてと、そろそろ帰りなさい。男の子だから平気よね、背も思いっきり高いしね(笑)」
「はい、大丈夫です。 先生。。。あの、先生がバイク通勤してるの、内緒なんですよね?」 あっちゃー、やばい。。。なにか交換条件出されそう。。。
「うん、一応誰にも言わないでくれると助かるんだけど。。。でも、美術の点数を上げることはできないからね。まぁ、貴方は成績には問題ないけど。。。なにか美味しい物をごちそうしてあげるってので、手を打たない?」
「奢ってくれなくてもいいです。でも、美味しいものを食べに遠くへ先生のバイクで行ってみたいです。後ろに乗せてくれませんか?」 アイヤー、参ったなこれ。。。でも、いいか。。あ、そうだ、デッサンのモデルお願いしてみようかな。。。上半身裸っていう際どいやつ。彼なら最高かもしれない。
「うーん、、、バイクの後ろに乗せるって、かなり特別な人なのよ。。。さっきも言ったけど彼氏だった人しか乗ってないしね。。。でも、西川くんだからなぁ。。。もう一つ条件をクリアしてくれたら、乗せてもいいよ。」
「え? なんですか? 条件って。。。」
「いつも私が運動部の子達の動きのあるところをスケッチしてるの知ってるでしょ? 西川くんもスケッチさせてもらったし、助かっているの。そのスケッチをもうちょっと深くしてデッサンにしたいんだ。美術室でモデルやってくれる? やってくれるならバイク乗せて湘南でパスタの美味しい店に連れていくよ、どうかな??」
「もう、それ絶対OKです。デッサンのモデルって毎日じゃないですよね? 俺は毎日でも良いのですけどね(笑)。。。」
「週末に翌週のスケジュールを確認しあって決めるので、どう? 貴方は推薦で入る大学が決まっているらしいから心配はしてないけど、勉強にムラができては困るからね。。。音楽と古文の先生は、私に厳しいからね。。。(笑)それよりも、西川くん、彼女とかいそうなのに大丈夫?? 私、顰蹙買わないかしら? しょっちゅう裏庭に呼ばれたり校門で他校の女子生徒が待ってるって聞いたよ。(笑)」
「彼女ですか? 今は本当にいませんよ。っていうか、一方的につきあわされたことはあるのですけど、すぐにみんな俺のことがっかりするみたい(笑)。 俺もまだバスケ部のキャプテンですしね、9月に新しいキャプテンに引き継がれるまで、真面目にやらないといけません。でも、部活の後はフリーですから。多分それは美術部も同じですよね。」
「へぇ、イケメンでモテるのに、世の中間違っているよね。。。バスケに夢中だと、彼女はバスケに嫉妬するのかもね。。。美術部の後片付けはあるけど、バスケ後もシャワーとかあるしね、同じような時間だと思う。あとは、教師の権限で残れる。 じゃ、部活の後にしようね。金曜にスケジュール確認しに連絡するから、携帯の番号教えておいてくれる?。」
「もちろんいいいですよ。先生は、チャットアプリの{Line}やってますか?」
「私はアメリカの人たちとの連絡には{WhatsApp}なので、日本でも使えるし、それだけしか入れてないのよ。{Line}は欧米では入れている人がほぼいないの。。。西川くんも{WhatsApp}入れてくれるとそのまま使えるんだけどな。。。どう?」
「分かりました今入れますね。えっと、{WhatsApp}ですね。。。あ、あったあった。よし、パスワード、決定で、写真は・・・後から考えていれておきます。じゃ、先生のIDとメール、教えて下さい。」
「OK、今番号をメールで送るから。{WhatsApp}のほうに入れておいてね。」
「あ、もう来た。 なにこのID写真。。。先生の犬??」
「そう、もう、死んじゃったんだけどね。。。私の漆黒の貴公子様、ジャスパーよ。。。よっしゃ、じゃ、私も帰るね。」
「先生、バイク見せてください、今!」 やられた。。。
「そう来ると思ったわ。。。こっちよ。。。」 そう言ってから西川くんを歩道橋の下に連れて行った。朝駐めたときのまま、綺麗に駐車されていた。
「はい、これが私の愛車。ホンダのVF400Fです。跨ぐだけならいいよ。」といって、西川くんのカバンを持ってあげた。彼は嬉しそうに目を輝かせてバイクに跨った。うわ、流石、192cmもあると余裕で足が届く。。。まるで原付きのように見える私の中型バイク。。。ま、いっか。。。
「今日はこれだけね。メットがないから乗せられないの。ごめんね。」
「分かりました、じゃ、先生が走っていくまで観てます。 俺、自分のヘルメット買おうかな、原付きにも使えるし。。。」
「人に乗せてもらうためにメット買うわけ?? でもマジ?? うーん、、、うちにあと2、3個あるんだけど、サイズはどうかな?? これ、私のだけどちょっと被ってみて」と言って、私のヘルメットを大きなバッグから出して彼に渡した。
「AGVのヘルメット。イタリア製よ(笑) 西川くんは頭部が小さいモデル体型だし、大丈夫かもね。きつかったら、家にある古い方のメットが、少し私には大きいのでそれ貸してあげるわ。安全性には問題ないから。」 彼は被り方もよくわからないようだったので、見本を見せてあげた。
「どれどれ。。。これでいいのかな? うわ、きつい感じですよ。。。」
「うーん、そうね。。。古い方なら大丈夫そうだ。OK、じゃ、決まりね。」
「ヘルメット、先生の匂いがします。すごく良い匂い。。。」 えぇ?? 汗臭いはずなのに。。。なんかこっぱずかしいかも。。。なんか、この子・・・慣れてる??
「あぁ、それって、朝髪洗ってから被るからね、シャンプーかな? はははは(笑) 早く返して。もう帰りたいから。」
「はい。 じゃ、これ。。。明日、体育館で会いましょうね。さようなら」
「はい、さようなら、気をつけてね」
ようやく解放される。これで良かったんだよね。。。バイク乗せるのはちょっと大おまけな気がするけど。。。でも、良い匂いかぁ。。。私??。。 西川くんはその場で動かずに待っている・・・私が走り去るのを。。。 私はバッグを後部にしっかりとゴムバンドでくくりつけ、エンジンを掛けた。4ストのエンジン音は低くて素敵だ。西川くんは、その重低音にちょっと驚き、また目を輝かせた。 私は手を上げてバイバイと一振りし、ローギアに入れて、ゆっくりと走り出した。ウィングミラーに西川くんはいつまでも映っていた。。。 橋の手前でバイクを止めて理香子に電話した。
「もしもし、あ、理香子? ちょっとこれから逢える? うん、理香子だけ。 うん、奢るからさ、2丁目のお好み焼き屋で。 あと、20分。じゃね。」
「まったくね。。。こっちがおしゃべりしたくて電話しても、忙しいとか言っちゃって真面目に働いてるんだなって、俊介と感心してたのよ。なのに、男子のスケッチしてたとは。。。それも、未成熟な青い果実。。。(笑) いや、本気で羨ましいわ。綺麗でしょ?高校生くらいの男の子の体は。まぁ、もちろん運動量によるだろうけど、何もしてない子でも少しずつゴツゴツし始める頃よね。 ふーん、男バスの主将かぁ。。。」
「実はさ、もう一人、ヌード描いてみたい子がいるのよ。。。」
「おっとー!。 何よ、陸上部? サッカー部?」
「それがね、書道部なの。。。」
「ぷはっ! しょ、書道部って、お習字やってる男の子ってことだよね? マジ??」
「うん、仲の良い先生が顧問してるので、教室に行ったときに書き初め級の大きな紙に書いてたのよ、そのときに見えた首筋とまくり上げた腕のゴツゴツが見えて。。。おっ! って思っちゃったわけ。」
「そうかぁ、それもまたなんか、いい感じね。でも、10歳近く年下なんだから、スリルある関係は無理だろうし、真希子もいい加減本気な彼氏作れば?・・・まぁ、この際彼女でも許すからさ、女のピークである今を無駄に過ごさないでね。 真希子、結構綺麗でイケてるって、自覚ないんじゃないの? まして女バイク乗りって、男はゾクッとしそうよね。(笑) へんなことにならないでよね。。。今は淫行罪ってあるのよ。18歳未満の子に手を出した成人は罰せられるの。まぁ、同意の元なら良いらしいけど。。。相手が男の子だと、同意が多いかもしれない。男色に好まれたときに犯罪となる方が当たり前に多そうだけどね。」
「まさか(笑) 高校生にとっては26歳の女なんて、おばさんよ。 ただね、観てみたいのよ。。。そして、描いてみたい。ミケランジェロの気持ちが凄くよくわかる気がして。。。」
「うわぁ、、、それって、ちょっと引くわ。。。どうか、高校生を傷つけない程度に熱入れてね。 あと、一線を超えるなら一人だけにしたほうがいいと思うよ。。。」
「超えない、超えない。(笑)」やれやれ。。。ものすごい助言だ。
「そこなんだけど、今日、帰りに男バスの子にバイクのことバレちゃってね、後ろに乗せてくれって。遠くに行きたいって。なんかこう、微妙に押されている感じがするのよ。。。」
「えぇ? 積極的なのね、男バス君。。。まぁ、どんな高校生も、男女ともに頭の中の八割以上は恋とセックスよ。健康な証拠だけどね。それにつきあわされる大人はきついかも。。。男バス君、ガタイ良いし、真希子じゃ、いざというときに抵抗は蹴り上げしかないわね。(笑) バイク乗りだから体力あるし大丈夫だと思うけど、ズルズルしちゃって、『さようなら、ミス・ワイコフ』にならないでよ!(笑)」
「なに言ってんのよ!(笑) でも、ミス・ワイコフのお相手も生徒だったわよね。ゲゲッ、やばいわよね。。。(笑) まぁ、私はオールドミスじゃないわよ(笑)」 20代半ばの女の会話はガールズトークというよりも、完全におばさん化した、かなり際どい話になって、理香子と私は爆笑していた。
驚いた。いつの間にか、音楽の林賢三といっしょに仲良しになってた古文の西田由紀夫は書道五段の腕前だったとは。。。良いとこの坊っちゃんだろうとは思ってたけど、武士の末裔たる純和風を極めている男だったか。。。 終礼のチャイムも鳴ったことだし、ちょっと書道部に行ってみようかな。西川君と約束したからバスケ部にも行かなきゃいけないし。。。急がなければ。
「こんにちは。西田先生、ちょっと部活拝見してもいいですか?」
「おや、真希子先生、珍しいですね。運動部以外に興味なさそうなのに。また何かの伝言ですか? 林先生と飲みに行く約束の取り付けとか?(笑)」
「いや、この前もちょっとだけ見せていただきましたけど、今日もちょっと覗きに(笑)。。。墨汁の香りがなかなか新鮮で。。。油絵の具やアクリル絵の具は、ここまで芳醇な香りがしないのです、ときにはうんざりするほど嫌な匂いなんです。墨の香りって、麗しい感じなんですね。」 教室を見回すと、ほぼ全員と言える部員が揃っているようだった。なぜこんなに人気があるのだろう? 男子高校生が書道ね。。。新しいトレンドなのかしら? どちらにしても本当に墨の香りって好きだ。この西田由紀夫は、精神性を高めるために部活では既成の墨汁を使わずに、しっかりと硯に水を張り、固形の墨を擦り、各自に墨汁を完成させてから字を書かせている。そのせいか、とにかく静かで、硯の擦れる音がするのみの教室になっていた。一通り見回す。 あ、いた。あの2年生。今日も上着を脱いで腕まくりをしている。色が白い。外でボール遊びするタイプの子じゃないと、すぐに分かる。
「ねぇ、西田先生、窓側の一番うしろで墨擦っている子、前も気になったのですが、上履きの色からすると2年生? あの子は選択科目で美術取ってないので知らない子なのですけどね、スケッチするには結構良い味出してくれそうなんですよ。どんな子ですか? いきなり拒否されるのは嫌だからと思って。。。」
「あぁ、館野樹くんか、あの子はイケメンでわが校の数少ない女子軍はもちろん、他校の女子もよく校門で待っているな。でもね、徹底した塩対応でね。チャラいところは一つもないんだ。女嫌いで男好きというわけではなさそうだけどね。男子のエロ本没収時に、彼の顔もあったしな(笑)。。。筆字も上手いし、勉強もできる。そんな子がデッサンモデルは、どうかな? それよりも楽に林先生あたりにお願いしたらどう? 彼なら喜んで脱いでくれると思うよ、全裸OKだよ(笑)」
「林先生も西田先生もいずれ脱いでもらおうとは思いますけどね(笑) 今は{未完成の美}が欲しいんですよ。貴方達は・・・すでにピーク過ぎてしまったわけです。そういうのでも良いときもありますから、そのときはどうかご協力お願いしますね(笑)」
「あ、そういうのでも・・ね。。。はい、はい。。。できるだけ体は鍛えておきましょう。。。(笑) さて、館野君でしたね。。。声かけてみますか?」
「そうですね、、、気合い入れた一枚が終わった頃にでも。携帯に連絡ください、戻ってきますから」
「分かりました、じゃ、あとで連絡します」
館野君か。。。西川君と違って弱みを握られているわけでもないし、何かの報酬としてというわけでもない。私が一方的に彼の体のバランス、動きと目線に興味が湧いてしまっただけだった。どう説明しようかな。。。 なるようにしかならないよな。。。 すると電話が鳴った。
「あ、きたきた。彼女が真希子先生です。 真希子先生、彼は館野樹(たてのいつき)君、2年生です。」
「どうもすみません、館野くん。手を止めてもらって、申し訳ないです。 美術科の講師、加納真希子です。真希子先生と呼ばれています」
「はい。知っています。館野です。」 真剣で、眉間に皺が寄るような疑いの目を向けられている感じがする。。。
館野くんは、男バスの西川くんほどではないが、やはり180cmは優にある高身長だった。私は見上げなければならないが、そこはアメリカで慣れているから平然としていた。彼は物怖じなく私の顔を見ている。 黒髪とまつげの長い大きな目は白い肌のせいで際立って見える。美しい男の子だ。
「もう西田先生から聞いたかもしれないけど、私個人のデッサンモデルを探していて、部活終了後に1回1時間くらい、何回かモデルしてもらえるとすごく嬉しいのです。貴方は私が探しているバランスの男子像にドンピシャなの。報酬は、モデルをしてもらうと帰りが遅くなるので、なにか美味しい夕飯を奢ります。私もあまり余裕がないので時給を払うことはできないんです。やってもらえないでしょうか? モデルはもう1人いて、その子にはすでに承諾をもらっているのですが、もしも館野くんからOKが出れば、かぶらないように時間や日にちを調整します。描き手が私だけですから、2人来てもらっても意味がないので。。。写真も撮らせてもらうから夏休み前で終わらせられます。承諾してもらえると助かるのですけど。。。」
「僕は絵のデッサンとか、よくわかりませんが、長い時間同じポーズをとるのは苦手です。」
「あ、わかります。でも、10分程度で休んでもらって4セッションにしますので、疲れにくいと思います。お願いできないかしら? お返事は今すぐじゃなくていいです。明日か明後日までに返事してくれると助かりますが。。。連絡先、私の携帯番号をお教えします。それに、もしも不安なら、西田先生もいっしょにいてもらいます。」
「おい!、聞いてないぞ、それ。。。」
「では、今日は考えさせてもらって明日にはお返事するようにします。 あの、もうひとりのモデルって、どんな人ですか?」
「あぁ、彼は3年生で運動量もかなり多いので、貴方よりも若干大人に近い体型になっててね、彼は快諾してくれています。 男バスのキャプテンなんだけど、知ってるかしら?西川海君。」
「あぁ、話したことはないですが知ってます。目立つ人ですよね。じゃ、明日、ご連絡します。 僕の携帯番号はこれです。」
「ありがとう。 あの、{WhatsApp}というチャットアプリを使っているのだけど、館野くんは{Line}とか? できれば、{WhatsApp}を入れておいてくれると便利なんですけど。。。」
「僕は{Line}は、やってません。 先生専用ということなら、その{WhatsApp}というのを入れます。やり方を教えて下さい。」
「俺もダウンロードするから一緒に入れてほしいな。。。林にも言っておくけど、ダメかな? 飲みに行く約束とかグループで出来るんでしょ?」
「あぁ、はいはい。。。(笑)」
「{WhatsApp}はアメリカが母体なんだけど、安全なアプリだし、多分、{Line}よりも使用人口は世界中で多いかも。館野くんは、もしもやらないという決心をしてしまったときは削除していいから気にしないで。 でも、できれば快諾が欲しいんだけどな。。。」
「考えます。 じゃ、僕は今日は帰ります」
「はい、お疲れ様。良い字がかけてたよ。 じゃ、また明日、真希子先生に返事したら、教えてね」
館野くんは私をじっと見つめたあと、軽い会釈をして帰っていった。
「これから男バス? その後、林と3人で一杯どう?」
「あ、それ、いいですね。でも、私飲めないですよ、バイク。。。ノンアルのビールで2人に付き合うしかないって、苦痛。。。(笑)」
「じゃ、後で連絡するね。」
「はい。じゃ、後で。」 ひょんなことから帰りに飲むことになってしまった。。。ま、いっか。
男バスの練習はかなり熱が入っていたが、ここぞとばかりスケッチを始めた。バスケットボールは体だけじゃなくて、シュートするときの指先まで神経が張っているのがよく分かるスポーツだ。正中線をどこに持っていくかで左右のオフェンスなども変わってくるから面白い。躍動感ある筋肉が膝の屈伸から繰り広げられる。女子だって同じ動きをしているはずなんだけど、男子じゃないとこれが私には見分けられない。
西川くんがこちらに気づきニコッとしてくれた。そういうところは図体に似合わず、高校生っぽい。 10分休憩でこちらに駆け寄ってきた。上腕筋にまで汗が吹き出している。タオルで拭き取ろうとする彼に待ったをかけたくなる一瞬があった。スケッチは、それをしてはいけない。。。と自分に言い聞かせている。スケッチはスケッチ。デッサンのときなら止めたかもしれない。
「真希子先生、今日からモデルやりましょうか? 少し遅くなるけど。。。」
「あ、今日はまだ大丈夫。多分、来週からかな。木曜日にはメールします。 今日ね、もう一人モデルをお願いしたかった子に会ってきたのよ。西川くんとはかなり違ったタイプの子でね、重ならないようにするつもりなんだけど、まだ承諾を受けてないの。一日考えさせてほしいって。 貴方よりも慎重派みたいね。 みんながみんな、貴方みたくポジティブに取ってくれないから、仕方がないね。」 西川くんは若干驚いたような顔をした。
「モデルをするのは自分だけかと思ってました。でも、確かに色々なタイプがいますよね。何年生ですか? そいつも先生のバイクのこと知ってるの?」
「おい・・・誰に聴かれているかわからないしね、言葉にも出さないでよ。。。その子は2年生よ。西田先生の書道部の子。バイクのことは、いずれは教えなくてはいけないかもしれないけど、バイクのこと知ってる生徒は貴方だけなんだからね。。。約束は厳守よ!」
「書道部か、たしかに全然違いそう。あ、それから湘南でパスタも忘れないでくださいね!」
「お、、、はいはい、分かってますよ。じゃ、私はそろそろ行かなくては。林&西田のコンビに呼び出されているんだ。。。」
「え?もう行っちゃうんですか? 音古コンビからの呼び出しですか。。。飲みすぎないでくださいね!(笑)」
「あらら、、、バレてるわね。(笑) それがね、帰りだからね、私だけノンアルになってしまうの。。。やってらんねーっていう感じ。でも、彼らにはいつも協力してもらっているから色々と情報をもらおうかと思ってね。あと、愚痴聞きよ。。。(笑)」 私が体育館出口を出るまでしっかりと見送ってくれた。彼はジェントルマンである。
「かんぱーい! いやぁ、生が上手い季節だよね。真希子くんはノンアルのビールって、ちょっと悲しくない? たまにはバイク置いてこいよ。」
「最近のノンアルビールって、美味しいのよ。この前飲んで、びっくりしちゃった。味だけは5%以上あるビールと変わらない。。。と思う(笑)」
「さてと、真希子さん、どうなのよ? 若者の体、未成熟の美って今後はどういう形で作品になるの?」 未完成の美じゃ!
「私は単純にアクリルの人物画になるというだけで、なにかどでかい彫刻なんかを作るつもりはないですよ。彫刻は私の専門外だし。。。 とにかく昔から未完成の追求をやってみたかった。 色々な画家が女性のヌードでそういった未完成の美は出されているのだけど、男の子のは少ないし。人間の肉体の神秘は、女性だけではないからね。。。確かに女性は、ハッキリした変化があるの。生理が来て子供から女性らしさが出る頃、妊娠した頃、産後に母としての役割を持った頃、更にはホルモンバランスを失った頃にも、不思議な魅力が出る。対して男性は、女性のような変化はない。もちろん、運動しなければ充実した肉体を得ることも発展させることもできないけど。。。とにかく動物の、特に人間の体って面白いのよ。」
「なるほど。。。俺たちはすでに論外に達してしまったってことか。。。まぁ、次回、たそがれた人体の神秘を表現したいときには、俺と西田君で全面的に協力しますから任せてね。脱ぐぜ!(笑)」
「おい、私はまだやるなんて思ってないけど。。。一応、腹筋くらいやっておくよ。。。いつでも来い! (笑)」
「西川君はね、一時軽音もやりたがったんだ。ベースに興味があったらしい。でも、バスケ部で寄り道や浮気はご法度だったから、できなかったけどね、あれだけすごい選手じゃそれも納得するよ。だから、MP4とかに音楽入れて楽しんでいるはず。 イヤーポッドじゃなくて、しっかりとヘッドホンして電車乗っているみたいだった。」
「へぇ、どんな音楽聞いているのかな? デッサン中には気分が良くなるなら音楽かけてもいいと思っているんだ。」
「館野はそこらへんは未開発かも? 良い音楽聴かせたら、書道で日展出せそう。。。って思うくらい集中力あるんだがね。」
「うん、あの子は集中力ありそうね。」
「ま、説得は力を貸すよ、いつでも言ってくださいな。」
「うん、ま、彼の自主性に任せる。」
「それにしてもあのイケメン2人が、どちらも彼女いないって、不思議だよな。。。」
「私は助かりますよ。女の子がそばにいると、カッコつけちゃったりするから、つまらなくなるのよ。。。ただし、燃えるような恋をしている男の子は更に美しくなる。それは女子も同じだけど。。。高校生でそれができている子は女の子しか知らないの。。。その子が大学生になっちゃったら、一気に面白くなくなっちゃったけど。。。恋い焦がれてるときの17歳くらいの女子って、良いのよね〜〜。。。」 男性教師2人は目を見張って、憧れるような顔をしている。。。スケベめ。。
「なぁ、今度軽音の方にもおいでよ。これと言った目立つ生徒はいないけど、なんか聴きに来れば? 」
「ブルートゥース使えます? あの音響設備には憧れてます。クラシックだけじゃなくてジャズも聴けそうなスピーカーですよね。林先生が選んだの?」
「そう、俺が選んだ。予算内で決めるの大変でね。。。電気屋を脅かしたよ。(笑) ブルートゥースは着いてるよ。俺が自舞で着けた。俺がいないときは音響設備は使えないようになってるから安全だよ」
「うわぁ~それは天国! 明日伺ってもいいですか? 生徒の楽器を扱っているところの写真だけ撮りたいです。あとで使えそう。指の感じとか重要なの。」
「よっしゃ、もう少し飲もう!! おにいさーん! 生のお替りよろしくね!」
軽音楽部は二年前の全国大会に出場したことがきっかけで、多くの寄付をもらって音楽室がプロのスタジオ並みに防音などを充実させ、普通の高校というよりも、音大並みの設備を誇る音楽室となっていた。そのため、生徒たちも自信に溢れ、各自の練習は徹底的だった。ホルンやサックスの指運びなどの写真を撮らせてもらった。休憩時間になって、ブルートゥースに林先生の携帯からスポティファイに繋ぎ、マイルス・デイヴィスを繋いだ。Mr. Pastorius・・・生徒たちも全員聴き入っていた。林先生と音楽の好みはすごく似ているので、気分がいい。
さて、今日はバスケ部にも書道部にもよらずに帰ろうかな。。。館野君を煽りたくないから、あとで{WhatsApp}にメッセージを入れておこう。直接断るよりもやりやすいだろうし。。。書道部には西田先生にメッセージ入れて、今日は行かないと伝えてもらおう。男バスは・・・ちょっとよって顔を見せてから帰ろう。マイルス・デイヴィスを良い音で聴いたせいか、ちょっとバイクで遠回りしたくなった。 体育館では軽快なドリブルの音がしていた。ドアのところから先生と西川君に手を振って帰ることを分かってもらった。それでも西川くんは駆け寄ってきた。
「もう帰るんですか? 2年生の方の承諾、取れましたか?」
「今日、ちょっと行くところがあって。。。2年生の方はきっと後でメッセージが来ると思うんだ。無視するような子じゃないからね。だめかも知れないな。。。ま、それはそれで、仕方がない。。。西川君は、今日は気合い入れて練習してね。インハイの地域予選って、すぐなんじゃないの?」
「地域予選・・・今年はちょっと戦力不足なんです。。。俺も秋には引退なので頑張りたいのですけど、1人じゃ。。。 とにかく、連絡します。来週は火・水・木なら絶対にOKです。じゃ、気をつけて! また明日。」
「はい、また明日ね。」
大きなバッグを持ち上げて校庭を横切ろうとしたとき、館野くんが現れた。息切れしている。
「真希子先生。書道部にいらっしゃるかと思ってましたがお帰りになると西田先生に聞いて来ました。間に合ってよかった。」
「あぁ、返事はメッセージでも良かったのに。ごめんね、部活の途中。。。」
「はい、そうなのですけど、僕、あまりじっとしていられるか自信はないのですが、やってみようと思います。日にちなど決まったらメッセージしてください。。。 あの、先生のその大きなバッグ、ヘルメットが入っているんですか? 形が出ているし、ファスナーちょっと開いてますよ。」
「引き受けてくれるの? あぁ、良かった! 大丈夫よ、ゆっくりと慣れてもらえるようにするから。 バッグの中身見えてたのね。。。そう、ヘルメットなの。見なかったことにして。。。」
「僕、バイク乗るんです。 去年16になってすぐ中型免許取って、6ヶ月後に限定解除しました。これでも大型に乗っているんです。」
「えー!! びっくり!! バイク乗りだったのね? いやはや、それは荷物のこと誤魔化せないわ。。。(笑) 学校に乗ってこられないから、少し離れたところに駐車してあるの。」
「先生、僕、今すぐカバン持ってきますから一緒に帰ってもいいですか?」
「それは良いけど。。。バイク見たいってこと? 私のは400だから、あなたのより小さいわよ。。。それに、内緒にしているので、絶対に秘密厳守してくれないと困るんだけど。。。校長は知っているし、林先生と西田先生とバスケ顧問の安倍先生、それからバスケの西川くんだけが暗黙の了解をしてもらってます。館野くんも今日からそれよ。。。私、首になりたくないから。」
「バイク乗ってると首になっちゃうのですか? 」
「いやそこまでじゃないんだけど、生徒に悪影響と言われる場合もあるからなの。。。 ま、いいや、待ってるから早くカバン持っておいで」 館野くんはダッシュでカバンを取りに行った。 仕方がない。。。モデルを引き受けてくれたら話そうと思ってたし、早くなっただけだ。それにしても彼がバイクに乗るとは、びっくりたまげた、あの美しい腕の秘密がわかった気がする。。。少しだけ近づけたかもしれないけど。
館野くんはまたダッシュで息を切らせて戻ってきた。よほどバイクが見たいのだろう。。。しかしこの子、伊達な運動部の子よりも走る姿が綺麗かもしれない。その辺も予定外の良さだな。。。
「私のバイクはドカティとかじゃないのよ。。。国産の400、そんなに興味があるの? ところで、貴方のバイクは何?買ってもらったんでしょ? ナナハンは中古でも安くないしね。」
「国産のほうが走るには良いと思います。 確かに、父方の祖父との約束を果たしたので、買ってもらえました。ヤマハのバイクです。YZF-R1なんです。」
「ゲゲッ・・・ナナハンどころじゃなかったのね。。。1000CCじゃない? YZF-R1なんて、すごいじゃない! 大変失礼しました。。。 いつも誰と乗ってるの? ツーリングクラブとか?? まさか一人で楽しんでないよね?」
「一人ですよ。奥多摩とか行くんです。当日に出会った人たちとは話もできるし。楽しいです。学校の友達には誰にも話していないのです。それは母との約束なんで。(笑)」 この子、こういう顔で笑うんだ。初めて笑った顔観た。意外だった。。。発達途上らしい目の輝き、バイクという代物は、この男の子を高揚させる。
「そうか、この秋、紅葉を観に、ツーリングでもしようか? こんなお姉さんと一緒で良ければね。。。」
「はい!是非!。」 この子、結構可愛い。
私達は、いつものコンビニに寄って、私の夕食と、館野くんの夕飯前のおやつを買った。彼のおやつは私の夕食とほぼ同じ位の大きさだった。当たり前か、育ち盛りだからね。あぁ、年を感じる。。。 館野くんの希望を無視して先に公園のベンチで食べ物を食べる。手が汚れるからという単純な理由だけど、そればかりは譲れない。
「館野くんはメンテも自分でできるの?」
「やります。手入れできなくてバイク持ってるって言いたくないです。先生は女性だから誰かにやってもらうのですか?」
「私も自分で出来るよ。自宅にガレージがあるから、オイル交換もフィルター交換も自分でやるのよ。女性だから誰かに・・・って聞きづてならない感じしますぞ、館野樹くん。(笑)まぁ、それだから彼氏ができないのかな?(笑)『いやーん、汚れるから誰かやってー』とか言うと、モテる女になれるかしら?(笑)」 夕飯は食べた気がしないほどのスピードで食べて、早速バイクのところへ行った。カバーを外すと館野くんはググッと近づいた。
「綺麗に手入れされてますね。こんなところに置いておいて大丈夫ですか?」
「館野くんにバレたから今後は注意しておくわ。(笑)」
「今度貸してもらっていいですか? ちょっと運転してみたいです。」
「なんで?? 私の癖を割り出すの? 今まで一度も人に貸したことないのよ。。。でも、限定解除してる子なら、信用はできるわね。今日は貴方、メットもってないし、ダメよ。」
「先生の貸してください。この通り一周するだけでいいです。」 と、子犬のような眼差しでこっちを観ている。その眼は反則だろう??
「じゃぁ、条件つけようかな。。。モデルの件だけど、上半身脱いでもらってもいい?」 これは意地悪な質問だったかな??
「え?脱ぐんですか?・・・」顔が赤らんだ。
「ハハハッ、いいよ、いいよ、脱がなくて。でも、私も今度、館野くんのバイク乗せてもらえるなら、いいよ。あぁ、でも私は日本では中型までしか乗れないんだった。。。アメリカでは500とか900とか乗れたのよ。後ろでも乗せてくれるの?」
「乗せますよ、いつか。タンデムシートは持ってても使ったことがなくて。。。」
「本当に一周だけね。 はい、キー。スピード違反無しで。」
「はい!」
元気よく返事して早速私のメットを被り、バイクに跨った。この子も余裕で足がつく。。。いいなぁ。。。颯爽と走り出す彼を見送った。私は、おーいお茶をゆっくりと飲むことにした。ついでに理香子に電話して事情を説明してみた。
「真希子! あんた本当に年下キラーだよね。年下というだけじゃないね、それってほぼ子供の誘拐じゃない?(笑) ほどほどにね!(笑)」
「年下キラーって、なによ、それ。。。ま、心配しないで、彼らには年相応の女の子が引く手数多! その気になれば選びたい放題なんだから、私のようなおネエさんじゃ、相手してくれないわよ、残念ながら。。。(笑)じゃーね!」
10分程度で館野くんを乗せた私のバイクは帰ってきた。400CCの中型バイクが小さく見える。。。西川くんだと原付きに見えるからな。。。
「走りますね、VF 音がいいです。後、このヘルメット、軽くて、視界も良くて気に入りました。僕のはAraiのヘルメットなんです。AGV お金貯めて買おうかなと思います。」
「軽いでしょ? イタリア製なんだけどね、でも、Araiのヘルメットはプロにも評判がいいし、何と言っても信頼度の高い日本製、替える必要はないと思うよ。じゃ、そろそろ帰ろうかな。 今度、館野くんのバイクも見せてね。」
「はい。いつでも言ってください。乗っていきますから。じゃ、僕も帰ります。また、明日。」
「あ、モデルの件、引き受けてくれてありがとう。すごく助かる。」 できれば脱いでくれないかな。。。 という野心を胸に収めて、ロウギアに入れてゆっくりと走らせながら、引きずった右足をステップに乗せた。ミラーには、いつまでも立ってこっちを観ている館野くんが見えた。彼の眼にはどう映っているのだろうか?? 大木にセミってとこか。。。
インハイ予選が終わるまで、西川くんを週に何日も、それも1時間も拘束するのはいけないと思った。もしも、勝てたら、夏はインターハイ。彼はすでに大学が決まっていることだし、秋だからといって慌てることは何もなさそうだから、彼のパートは9月になってからのほうが良さそうだ。そのへんは臨機応変にしよう。でも、、、若者の発達中の体は夏を越えると必ず成長してしまう。教師をしていると、毎年9月の初め、そう、二学期になったときに必ず驚く。男子は殆どの場合、その肉体的変化。女子は、それぞれなんだけど、恋をしたり、たとえそれが一夏の恋であっても、成就して処女を失い肉体関係を形成できた子の驚くべき変化。絶対的に色香を醸し出すほど美しくなっている。そう思うと女性の精神面の充実って、侮ってはならないわけだ。 はて、自分もそうだったのかしら?? いつ?? 私の初めては夏ではなかったな。。。
とにかく、西川くんは、一回捕まえておくほうが良さそうだ。あれ以上大きくなったり、筋肉質になっては、私の期待から離れてしまうかもしれない。。。映画と舞台の監督、鬼才、ルキノ・ヴィスコンティが、『ベニスに死す』の制作に入るとき、ビヨルン・アンデルセンを見つけた際に、そのタイミングに関して語っていた。1ヶ月遅れたら、あの美しさはなかったと。。。あの作品もまた「未完成の男性美」を追求していた。顔だけとも言えるかもしれない。。。私は逆で、身体、筋肉のつき方などに興味がある。ま、顔ももちろん大切だけど。。。それに関しては私の選んだ2人は100点以上だわ。
☆WhatsApp メッセージのやりとり{ }
{ 西川くん、バスケの練習お疲れ様。来週の予定なんだけど火曜日に30分ほど部活後に美術室でというのはどうですか?インハイ予選が控えているはずで、貴方は拘束したくないので、その日だけにします。その代わり写真を撮らせてほしいの。そして、その後はインハイ後にしましょう。とにかくバスケに集中してください。}
{ 真希子先生、お気遣いありがとうございます。ではそうさせていただきます。あの、明後日の日曜日、空いてますか? 予定がないようでしたら、約束のバイクで湘南、すごく楽しみだったので、モデル後じゃないけど早めにどうでしょうか?} しまった、忘れてた。。。
{そうでしたね。分かりました。明後日、朝、どこかに迎えに行きます。ウィンドブレーカーをお持ちなら持ってきてください。ヘルメットと手袋は用意しておきます。何時なら起きられますか?}
{何時でも大丈夫です。場所はあのコンビニの駐車場でどうでしょうか?}
{では明後日、朝8時、コンビニの駐車場で。}
{了解です。}
ということで、日曜日に1生徒と湘南でデートだ。古いほうのメットは磨いて、内側はファブリーズしておこう。。。インカムトランシーバーを買わなくては。ブルートゥースのなら、低音で音楽も再生できるし、話しながらの走行なら楽しいだろう。前から自分用に欲しかったし、タンデム用にしてもいい。ちょっとワクワクかも。久しぶりだなこんな気持ち。
私服の西川海くんは、雑誌やモデルエージェンシーにスカウトされないほうがおかしいと思うくらい華麗に目立っていた。私はバイクから降りずヘルメットも取らないと決めた。もっと違う場所で待ち合わせるべきだったな。彼が手を振る先が私だとわかると人々は私を観た。「姉です!」というプラカードを掲げたくなる。 近寄った彼にヘルメットを差し出し、インカムトランシーバーを着けさせる。
「注意事項を言うから聞いて。走行中は約100m先を見てて。カーブに差し掛かったとき、車体を倒す方向があるので、それを怖がらないで欲しい。怖いなら目をつぶって、完全な荷物化してほしいの、そうじゃないと必ず転ぶ。どこをどう考えても貴方のほうが大きいし重い。だからバイクは前が上がりそうになる時があると思うから、それも気にしないで。 遠慮せずに体を私と一体化するくらいくっつけてほしいの。私のバックパックになって欲しいと言ってるだけだからね。両手を回すか、片手は後ろのバーを握ってくれてもいい。西川くんに任せる。 さて、どんな音楽が好きなのかわからないけど、私が選んでいいのかしら?」
「注意事項、分かりました。ヘルメットお借りします。インカムの調整しましょう。音楽は先生におまかせします。できればヴォーカルなしで。」
「OK」 インカムのマイクの調整をした。音楽は・・・軽いのが良いか。。。Nujabes。 インカムの感度も、音質もかなり良いと分かり大満足。 じゃ、人々の視線をくぐり抜けて、いざ、出発。 期待通り、西川君は両腕を私の胴に回した。この子の腕、ハンドルに届くな。。。子供を前に乗せたママチャリと同じ感じになりそう。。。ま、いっか。 道路の信号が青になるのを観て私は走り出した。案の定、ウィリー気味に、前が少し上がってしまった。
「ギュッと捕まってて」 スピード違反にならない程度で、海岸通りを走る。このバイクでここまで後ろが重いことは初めてだった。二人乗りだから高速に入れない。海岸通りは一箇所信号が青になると見渡す限り青になる。スピード違反を誘っているようにも思える。無駄に横断歩道が多いというわけだ。
「先生、なんか、最高です。音楽も好きだし、脚から伝わるバイクのエンジン音と振動が心地良いです。」
「そう、よかったね。私も久しぶりのバックハグだよ!(笑)」
「バックハグ!いい感じ。先生思ったよりも細い。俺の従兄弟がスポーツカー持ってて、コンバーチブルにして走った事があったけど、あれよりも全然いいですよ。」
「細くないさ。。。バイクと車ってかなり違うよね。各々良いとこがあるから。バイク、運転したくなっちゃうよね。ごめんね、私が運転手で。。。今日は曇りの予報だから、暑くないと思う。暑い日はヘルメットがほんと、きついのよ。。。」
「この曲、Nujabesってグループ名なんですか?」
「違うの、このNujabesって日本人の男性よ。35歳位で亡くなってしまったけど、軽快な8ビートで夏っぽくない? Lo−Fi Hip−Hopと言われる音楽みたい。私はジャズとジャズ・フュージョンが好き、同じジャズからの枝分かれでもラップ、ファンク、そしてヒップホップは今ひとつ好きになれなかったんだけど、この人の曲は好き。」
「もういないんですかぁ。。。残念ですね。すごく良い曲ばかりなのに。。。」
「そういえば、林先生が言ってたけど、ベースやりたかったんだってね? コントラ? それともエレキベース?」
「エレキベースがやってみたかったんです。なんか、かっこよくて(笑)」
「大学決まってるし、バスケの合間に弾いてみればいいのに。」
「バスケの合間っていうのは無理ですよ。。。でも、ベース主体の曲など、なにかお勧めありますか?」
「そうよね、バスケ部を引退したらだね。。。ジャコ・パストリアスなんか、お勧めよ! ジャズが基本だからメチャクチャかっこいいの。ウェザー・リポートというグループのベースもやってた。 林先生に聞いてみて。彼、よく知ってると思う。バスケ上手な子は手が大きくて指が長いでしょ? きっと上手に弾けるわ。ジャコってすごく指が長いの。」 指の長さは西川くんの体の中で私が気に入っている部分でもある。
「秋になって、バスケ部の主将引退したら、林先生に相談してベースを始めたらいいよ。バスケの練習と違って、好きなときに手にとって部屋ででも練習できるしね。学校の音楽室は最高よ。林先生にマーシャルのアンプを購入してくださいって、言ってみたら?私も推して上げる。」
「ベースギター買おうかな。。。」
「うーん、高いから簡単に買えとは言いたくないんだけど、大学入ったお祝いとかプラスして。でも、本当に好きになれるかどうかわからないんだから、中古の良さそうなのを林先生に探してもらっても良さそう。ヘルメットは私のそれを使えばいいって。ま、また乗せられる機会があればの話。(笑)」 西川君は寂しそうな顔を向けた。
「私ね、基本的に一人で乗るのが好きなのよ。だから前も言ったけど、西川君は特別よ。またどこかに連れて行ってあげるから。 でもね、運転者が小さいって、ちょっとハンデ大きいよね。。。(笑)」 途中、飲み物とトイレ休憩を2回入れて、海の匂いのするところまで来て、海岸が近いとわかる。 おしゃべりしながらのライドは、楽しい。 お昼前だというのに、日曜日だから人出も多い気がする。バイクも車も真夏前の良さを楽しみに来ているようだ。海岸脇の土手のところに来て、バイクを停めた。ヘルメットをとってウィンドブレーカーを脱ぐ。あぁ、気持ちがいい。西川くんもご満悦のようだ。大きく伸びをすると、あまりにも大きいので圧倒される。 私はできるだけスケッチのように写真を撮りだした。被写体としての彼は非常に良い。ただ、慣れ過ぎているところが私にとってはつまらない。。。彼は私がそう思っているなど気づいていないようだ。 砂浜に降りて、水辺を歩いてみた。打ち上げられた海藻や藁、まだまだ海水浴とは行かない。 立ち止まって沖合の方を見つめた。曇り空とはいえ、光が波に反射すると綺麗だ。西川君は私の背後に回って、そうっと背中から抱きついてきた。おっと、、、でも、何という包容、バイクに乗っているときとは別物のバックハグ。私は振り払わなかった。
「なに?後ろからおねえさんに抱きつくのが楽しくなっちゃったの? いけない坊主だ!(笑)」
「なんか、『ごっこ』でもいいからこんな雰囲気がここにはいい感じじゃないですか? 先生ほんと、良い匂いするんですよね。。。なんていう香水使っているんですか?」
「あははは、、、私ね、香水だけはシャネルが好きなの。服やバッグには全然興味がないのだけど、香水だけはシャネルが好き。男性用もね。 香水って、同じものでも人によって香りが変わるじゃない? その変化がすごく好き。同じものを着けていても自分だけの香りが持っていられる。だから自分の体臭に合う香水を見つけるって素敵なことだと思うの。私、香水コレクションしてたの、でも結局はいつもシャネルを使ってしまう。自分に合っていると確信してるの。」
「今日つけているのはシャネルの何?」
「今日は熱くなりそうだから爽やかに『ガブリエル』にしたの。 学校には着けていかない。でも、石鹸がココだから、必要以上に近づけばその匂いはするかもね。 西川くんも香りに興味が出たの? もう18歳だものね、当然かな。」
「俺はまだ香水なんて持ってないけど、アフターシェーブローションとか、ちゃんと選ぼうかなって。でも、今は制汗剤とかが主体になっちゃいます。運動部の連中はみんなそれです。」
「それでいいのよ。多分、気分的に余裕ができなくちゃ無理かも。それが大人というものだからね。。。さてと、ゴッコはこれまでにして、パスタ食べに行こう! お腹すいた。。。」 これで少しは引いてくれるかな。。。こじらせたくないけど、これ以上はやらせてはいけない。自分に自信のある子は、こじらせると面倒だ。私が暮らしたニューヨークでは珍しいことではないということを醸し出しておこう。子供だし、生徒だし、心底面倒だ、ほんと。。。
パスタのお店、La Sirena(ラ・シレーナ)同じ名前のお店がニューヨークにもある。好きなお店だった。 メニューも豊富だし、美味しい。何度か来ているので、マスターはわざわざ出てきてくださるほど気さくな方。
「おや? 今日はモデルさんのような男性がお供のようですね。」
「そうですね、確かにモデルになってもらおうかと思っています。たくさん食べそうなので、よろしくお願いしますね。 西川くん、なんでもいいよ。1つじゃなくていいんだからね、遠慮しないでね。」
「パスタって、持久力をつけるし、よく試合のある朝はパスタ食べるんですけど、こんなにお洒落なのじゃないですからね。。。何にしようかな。。。お言葉に甘えて2種類頼んじゃっていいですか?」
「ノープロブレム! 」
私はお勧めのラビオリとサラダ、西川君はペスカトーレとウニのパスタ。それにやはり大盛りサラダ。 どれもアルデンテで。
「賜りました。ペスカトーレとウニですが、どちらを先に召し上がりますか? 時間差を持ってお持ちいたします。それとも一緒にお持ちして、少しずつ両方のほうがよろしいでしょうか?」
「できれば両方一度にお願いします。僕は大食いですが、ちゃんと味わいますから、どうか許してください。」
「かしこまりました。 大丈夫です。シェフも喜びますよ。」マスターはそう言うと私に目配せした。どちらも大盛りにするつもりなんだな。
「へぇー、西川君は魚介類が好きなのね? お肉のほうが好みかなと思ってた。グルメなのね。」
「魚介類って大好きなんです。 それにここ、海に近いから絶対に新鮮で美味しそうだと思って。」
「おぉ、賢い。スポーツの選手で、キャプテンとなると実技が上手なだけじゃ務まらないよね。賢くて気配りができる人じゃないとダメよね。」
「さぁ、どうでしょうね。。。俺は頑張ってきたつもりですけど、ついてこられなかった部員もいます。」
「厳しい世界ね。。。」
「真希子先生、先生の事もっと教えて下さい。」
「私のことなんか知ってどうするの??(笑) 基本、聞かれたことしか答えないことにしているから、どうぞ、質問して。ただし、同じ質問を貴方にもするからちゃんと答えるというのが条件よ。」
「うわ、自分のもか。。。それじゃ、初恋っていつでしたか? 成就しましたか? 彼氏って呼べる人は今まで何人いました?」
「何その愚問群。。。 そうね、初恋は幼稚園のとき、近所の中学生のお兄さんにぞっこん、恋しちゃったのが初めてかな。おませだったのよ、私。もちろん成就できなかったわ。。。(笑) 彼氏・・・かぁ、要するにステディという特定で決まった相手ってことよね? うーん、、、中学生のときからだから・・・。5人。 振ったり振られたり、自然消滅したり。そのうち2人は白人のアメリカ人とイギリス人。それでも全員毎回、真剣に好きだったわ。数人は今でも連絡取り合っているの。カレ・カノに戻ることはないわね。そんなものよね。。。で、西川君は??」
「真希子先生、結構彼氏がたくさんいたんですね。。。俺は、今まで色々な女の子に 『好きです!』って言われたけど、どれもみんな嘘くさい気がして。。。なんかこう、友達に自慢したいだけのような。その子の告白を聞いて、断るときの罪悪感とか。。。その子の自己満足に無理やり付き合された感じが歪めない。どれだけ優しく断ったって、結局は傷つけているらしいし、その子の友達とかいう他の女子に、まるで犯罪者のように観られたり、言われたり。。。うんざりしちゃったのは事実なんです。それでも高校に入ってからですけど他校に彼女と言えそうな付き合いした女子はいます。うちの学校、女子すっごく少ないし。。。2人、同い年と年上。でも、どっちも半年くらいで 『こんなはずじゃなかった』 って言われて振られちゃったんですよね。部活に入れ込むと、まず離れて行っちゃう感じです。心からサポートしてくれなかったし、ちょっと電話しないとブチギレされたり。女って怖いって思ったこともありましたよ。淡白に接してくれて徐々に気持ちが深まるというのが理想ですけど、今までなしです。(笑)」
「そうなんだ。。。本物の恋がまだってことね。楽しみじゃない? ねぇ、西川くん、恋って 『する』ものじゃないのよ。恋って 『落ちる』 ものなの。ストーンって。。。どうにもならなくなっちゃうものなのよ。それも二人共にね。 それを経験したことがあるとないとでは、雲泥の差。男女ともにね。経験値って、大切なのはゲームの中だけじゃないのよ。ある程度大人になると、それを経験した人かどうかなんとなく見えてくる。お察しの通り、私にはその経験がある。焦がれる恋。理性だけでは抗えない、ものすごい力があるの」
「え? お相手ってどういう人だったんですか?」
「それは内緒。 私だけの中にしまっておきたい。 もちろん今はもう吹っ切れているのよ。でも、誰かに語るには、その恋心そのものが愛おしくて、語れない。 西川くんにもそんな恋に、必ず巡り会えると思う。自分自身を大切にすることよ。
絵のモデルをするとき、その人のことを考えてくれると表情に憂いが出るんだけど、仮想空間にでも恋人を作るのも手なのよ。。。女優さんでも、ドラマの中の女性でも。ま、私は上手くそれを拾える技術はあるから大丈夫。無理に実際の彼女作る必要はない。気にしないでね。」
「そういうものなんですね。。。俺にもワクワクさせてくれるような女性、いますけどね。ストーンかぁ。。。それも相手も同時に。。。難しいですね(笑)」
「さて、デザート、なにがいい? 」
「俺、お腹はいっぱいだから、先生の一口くれたら、それでいいです。(笑)」
「じゃ、特大のテラミスにしようかな(笑) マスター!」 大きめのテラミスが来た。マスターは気を利かせてスプーンを2つ添えてくれた。 三分の一しか食べずにトイレに行くと言って席を立った。 トイレの鏡の前で髪を整えた。どうせヘルメットを被ってしまうけど。。。自分の顔をじっと見つめて考える。。。まさかね。。。まずいよね。。。
厨房脇を通ると、マスターが出てきた。
「真希ちゃん、今日は来てくれてありがとうね。若い子だね、生徒さんだと言うけど、あれだけかっこいいと、大人でもドキッとするよ。男としての感なんだけど、彼、真希ちゃんに結構入れ込んでるんじゃないかな? 暴走させないようにしないとね。高校生はガラス張り。傷つきやすいし、君の仕事先のこともあるからね。」
「そうね。。。ご忠告ありがとう。一線を張ってあるんだけど、杭も打っておくことにする。 じゃ、このカードでお勘定よろしく!」
「はい、毎度ありがとうございます。」 いつになくマスターはよく観てくれている感じだ。いつもは誰と一緒でも 『彼氏はできた?』というのが最初なのに。壮年男性の感か。。。 実の娘を見る目で私を観てくれているようだ。娘が犯罪を侵さないようにってことだね。。
「さぁ、西川海くん、海岸脇のプロムナードを散歩してから帰ろう。」
「はい! ごちそうさまでした。すっごく美味しかったです。」マスターにもちゃんと会釈できる。流石スポーツマンだ。
プロムナードは親子連れも多く来ていた。赤ちゃん用のバギーを押すにはちょうどいい。私達はインターハイの話とか、西田先生の古文の授業の話を笑いながら話していた。西田先生も、思いの外、人気があることがわかった。そして、職員室以外でもつるんでいる私と西田先生と林先生の3人は、『芸術家サムライチャンプルー』と呼ばれていることが判明した。西川君は大笑いしていた、あまりにも的を得ているのだそうだ。。。テレビアニメだという。。。今度観ておかないと。 渋滞が予想されるから早めに帰りたいと西川くんに告げた。 インカムを着けて、バイクに跨った。西川くんも準備OK. エンジンを掛けた途端、彼は私のミゾオチ辺りを完全に両腕で包み込んだ。思わず「んっ」と声が出そうになった。ドキドキしてしまうと、この密着度からしてドキドキが感づかれそうだ。何をやっているんだ、私。。。 気を取り戻して、フルスロットルできる道路まで走った。
「真希子先生、音楽、忘れてますよ。」
「あ、ホントだ、次のコンビニで停まるね。」 駐車場に入り込んでバイクを停めた。西川君は両足を地面についていたが、腕はガソリンタンクを抑えた。 私は何も言わずに胸の内ポケットからスマホを出して曲を選ぶことにした。なにか洗練されたアルバムにしよう。。。
エヴァレット・ハープのアルバムにした。透明感のあるジャズ・サックス。何時までも聴いていたくなるような曲ばかりのアルバム。 帰りは西川くんの口数が大幅に減った。
「ねぇ、まさか眠いんじゃないよね?? お腹いっぱいだと眠くなるかもしれないけど、しっかりとつかまっててね。」
「大丈夫ですよ。ただ、すごく心地が良くて。色々なことが頭に浮かんでくるんです。バイクっていいですね。」
「確かにバイクは素敵な乗り物だと思うわ。」 そう言って、帰路を進めた。 彼の自宅のそばまで行き、彼を降ろした。デカい家だ。。。お坊っちゃまだったのを忘れてた。
「じゃ、インハイ予選、頑張って! その後は中間試験があるんだからね。。。気を抜かないこと。一応火曜日の練習後に美術室でね。」
「はい、 先生、今日はありがとうございました。パスタ最高に美味かったです。 今度は俺が運転する車でドライブしましょうね!」
「はははっ ぜーんぶ終わったらね。冬休みかな。。。私は今年いっぱいまでだけど、その後の仕事は入ってないから、冬休みはきっと空いてるよ。 じゃ、来週ね。」 そう言って、私はヘルメットを取らなかった。彼はメットと手袋を渡してきた。 なんか、よくわからないが、私はその場を逃げるように走り去った。ミラーには西川くんの姿が米粒大になるまで映り込んでいた。
帰宅してシャワーを浴び、ビールを出して理香子に電話した。 湘南のラ・シレーナに行ったこと、マスターが男の感を教えてくれたこと、そして、まるでバックハグのようなタンデム乗りだったことなどなど。。。
「つくづく、おばさんだわ私。疲れたわ。。。精神的にね。。」
「はーはははっ、何言ってるんだか。。。ウニのパスタ私も食べたーい! 久しぶりに俊介と行こうかな。 でも、マスターがそんな事言うって、やっぱり何か醸し出してたのね、その子。まぁ、相手はすでに18歳だから、何があっても淫行罪にはならないわね。」
「冗談じゃないわよ! 連れ出しているのは私だし。私もレピュテーションは大切だからね。あの子は特に目立つし。。。」
「どちらにしても今後はできるだけ2人きりにならないようにするしかないよ。彼は他の子達とちがって、インハイ終わったら自由にしていられるんでしょ? 大学も決まっているし、普通に中間と期末を頑張ればいいしね。 だからベースを勧めたのね? 良いことだと思うよ。 ただね、真希子は、誰に対してもそう簡単に落とせないという雰囲気出しているから、もしもそれを乗り越えてチョッカイ出してきてるとしたら、やり手だと思う。下手すると他の友だちと賭けでもしてない?」
「それはまずないと思う。バスケ部のキャプテンって、バスケが出来るだけじゃないのよ。だから信頼できる。 ただ、積極的なのかなと。。。この秋になれば、体つきもしっかりと大人になってしまう。あたしのデッサンの対象からも外れてしまうことになるのよね。」
「真希子って、どうして年下キラーなのかしら? 結構羨ましいわよ。。。」
「何言ってるのよ。でも、多分、私って可愛気がないのよ・・・だから年上の男は言い寄らなくなっているのかも。。。普通、可愛気がある子を上司とか好むじゃない? 考えてみると理香子ってイケオジキラーだったわよね。 (笑)」
「はい、はい、、、俊介を紹介してもらって感謝してるわ。まともな、正しいカップルっていう感じでしょ? とにかく、気にしていないという素振りを見せるほうが良いと思う。彼に、自分では役不足だと思わせることよ。 それしかないんじゃない??」
「そうね、頑張るわ。。。」
「後、真希子、私個人の意見として言っておくけど、一回りくらいまでの年下って、十分に有りだと思うの。10歳の年の差なんて、気にすることないわ。ま、その気になったらの話だけどね。」
「そうかー?? 考えてみてよ、私と理香子が振袖着て成人式の会場に行ったとき、私達すでに性行為がなにかも知ってたじゃない? あのとき彼はまだランドセル背負って登下校する小学生よ。。。そう思うと犯罪に近いものない?(笑) やばいよね。。。 よし! 余計なこと考えないようにするわ。サンキュー、理香子。また飲みに行こうね!」
インターハイ予選を2回戦で敗退してしまった男子バスケ部。。。予想通りと言ってしまうと悲しいが、戦力不足だというのは誰もが分かっていた。それでも1試合でも長く高校バスケをやっていたい3年生は頑張った。初戦敗退ではなかっただけでも満足しているようだ。その後の中間テストも終わってみんなホッとしていた。
子 曰(経験値と師弟たち)1
西川海は音楽室へ行こうとしていた。軽音楽部顧問の林賢三にベースのことを聞くためだった。西川海は、林賢三のことは好きな教師だ。林もまた、このスター生徒のことが気に入っていて、軽音にもいれたかったが、男バスにはなくてはならないメイン選手だったこともあって、引っ張らずにいたのだが、最近、美術の臨時講師が入れ知恵してくれたらしいと喜んでいた。
「林先生、失礼します。」
「おー!、 来たか。待ってたよ。実はね、友人の使っていないというベース借りてきているんだ。調整とかしないといけないし、一応、新しい弦は買っておくけど、触ってみるかい? はい、これ、誰もが憧れるフェンダーのジャズベース。結構使い込んであるけど、最高級品だぜ! 君は指が長いから楽勝かと思ってね。」
「え!? そんな凄いの借りてくださったんですか? ちょっとプレッシャーかも。。。(笑)」
「数々の名ベーシストがこれ使ってる。俺も指導のし甲斐があるってものだ。 ある程度のフレーズが弾けるようになるまで、指の特訓。持ち帰っていいから、家でも練習して。 ここではアンプに繋いであげるけど、家ではやめたほうが良いな。まずはたくさん弾いて指に弦ダコ作らないとね。ベースの弦はギターよりも太いから指を固くしないとな。」
「分かりました。 楽譜の読み方とか色々と勉強していたんですよ。家にはピアノがあるし、小学5年生までピアノ習ってましたから、ちょっと分かります。弦ダコって、なんか、すぐできないのでしょうね。。。」
「結構すぐできてしまうよ。もちろん練習量によるけどね。バスケもそうだけど、マイケル・ジョーダンだって、最初は初心者だったでしょ?。ジャコ・パストリアスも最初から天才ベーシストだったわけではないんだし。慌てないことだよ。まずは好きにならなきゃな。 そう、心から愛することが大切。 あのBB・キングは、自分のギターにルシールと名付けて溺愛してたんだ。。。 西川くんは、もう18歳超えているんだよね? ということはおれのスケベチックな発言も許してもらえそうだな。(笑)」
「え? スケベにならないといけないんですか?(笑)」
「そうは言ってないけど、俺の発言って、恋愛感情とか対女性への感情とかが音楽に反映しちゃうんだよね。弦楽器はすべて美しい女体に見えるんだ。愛おしい女性と音楽を結びつけてしまう。俺はそれが一番表現力がつくと思っているんだ。セクハラって言われないように気をつけているけど、そう思うんだから仕方がないよね。」
「そうなんですか。。。努力します。」
「無理にとは言ってないからね。俺は強要したりしない。 いくら女だって、嫌いなものは嫌いだしな。 それから、軽音の中でバンドも作れるよ。サックスの3年の武藤は凄腕。俺と張り合っちゃうくらいだからな(笑)。あと、部長で武藤の事実上のサポートベースの関くん、彼は何でも教えてくれるよ。ベーシストだしね、俺よりも教え方が上手だと思う。彼が使っているのは彼の自前だけど、ミュージックマンのスティングレーだ。あれはすごいベース。このフェンダーとは音質がちょっと違うけどね、2人とも君とも同じ学年だけど、まぁ、合う合わないはあるから、学校の外でも良い人たちと巡り合って、そういう付き合いができればそれはそれでいいと思う。だから積極的にセッションはしていこうね。 ところでさ、美術の真希子先生のモデルになる件は、その後順調?」
「インハイ予選のために1回しかポーズとってないんですよ。それも30分。ものすごい量の写真撮ってましたね。上半身脱いだんです、俺。ちょっと恥ずかしかったかも。。。(笑)」
「おぉ!脱いだのか。。。 襲われなかったか? (笑) 彼女ってさ、フワッとしているけど、けっこうクールで艶っぽいんだよな。まぁ、大食いでオッチョコチョイだけどな。。。 飯食いに行ったんだって? バイクの乗り心地、どうだった? 運転は上手いって聞いたぞ。」
「運転上手ですよ真希子先生。カーブ折れるときも躊躇しないし、しがみついちゃいました。けっこう体が細いのにはびっくりでした。」
「え? 細いの確認できちゃうんだ。。。バイクって、なんかいいよな、バックハグか。。。俺もやってみたい!(笑)」 こんな会話ができる生徒が出てくるとは思わなかった。卒業まで1年ないのだから、なにか形になるまで教えることにしよう。こういうタイプの奴は、上達が早いかもしれない。まずは1曲、まともに弾けるものを決めて、それで育てるか。 などといろいろと想像してしまったが、まずは一から基本を教えないと。
「西川くんは、今までバスケに100%専念してきたから、動画とかで本物のミュージシャンが、どう弾いているかなど見てないでしょ? ちょっと一緒に見てみる?」 タブレットから動画を出してみた。ウェザー・リポートを選んだ。
「あ、これ、真希子先生がお勧めしてくれたバンドだ。このグループのベーシストが好きらしいですね。」
「あぁ、ジャコ・パストリアスな、最高だよ、彼。 35歳くらいで亡くなっちゃったんだけどね。。。今の俺の年齢だと思うとドキッとするんだ。。。天才だったな。ま、今日は有名所を観ておこうか?。」
西川くんはタブレットの画面を一生懸命見ていた。 うん、こいつをジャコ・パストリアスにしてみるか。たっぱもあるし、ジャコと同じように弾けそうだ。 それ以来、ほとんど毎日のように西川くんに掛かりつけになった。彼の大学が決まっててホッとする。生徒を育てるって、久しぶりの感覚だ。生徒にやる気があるときは格別。思ったとおり、弦タコは早く出来上がった。
「指も随分しっかりしてきたし、そろそろ課題曲を選ぶか? 『Donna Lee』なんかどうかな? ジャコの最高傑作を聴いてみる? 」
「あ、その曲、数回動画で観ました。いい曲ですよね。俺に弾けるかな?」
「大丈夫さ、必ず弾けるようになる。真希子先生なんか、君が弾いたら泣いて喜ぶぞ!(笑) ジャコ・パストリアスは、パワフルなベーシストだけど、女性を触るときはとっても優しく触れていたらしいんだよね。自分の子供も同様に、優しく、そうっと。西川くんもね、弦ダコのある手になってしまったわけだから、もしも女性と触れ合うときがあったら、十分に気を使って、優しくしてあげないとね。なんに着けても、ゆっくりと優しく。相手の髪を梳く、頬から顎にかけてそっとなぞる。ゴツゴツの弦ダコがあっても、柔らかく触れてあげることは出来るから。」 西川くんは、俺の顔をじっと見つめていたが、同時に顔が赤らんでいた。 そうだよな、刺激強すぎたかな。。。でも、彼もすでに18歳、それくらいのことは知っておかないといけない。すでに経験済みなんだろうとは思うけど、バスケに目処をつけてべーシストになってからはまだだろうし。。。でも、ここまで擦れた感じがしないということは、経験値低いかな? 確かに女っ気のないスポーツマンっているものだしな、大学の推薦ってバスケなはずだし。。。でも、この子は育てたい。見ていたい若者だと感じた。生き見本にはなれないけど。。。青春を見つめるって、結構ワクワクするものなんだな。
ふと気がつくと、部室のドアのところで、じーっと西川くんを見つめている女子生徒がいた。この学校には女子が少ないので、大体は顔を覚えてしまうが、今まで話したことすらないように思う。。。それだけ影が薄い子ということなんだが。。。きっと西川くんのファンでバスケの頃から観ていた子なのだろう。軽音に誘うかな?? でも、興味の先がイケメン男子生徒だけじゃ、楽器は扱えない。カスタネットやタンバリンは・・・西田先生が飛び入りのときで間に合っている。ただ、ちょっと気になるような女子生徒の表情だった。一度振られているのか? それとも少し過剰な好意をもっているのか??
「西川くん、今度夕飯奢ってあげるよ。たまには付き合ってくれ!」
子 曰(経験値と師弟たち)2
館野樹くんの筆筋が少し変わったような気がした。元々字はうまくてセンスが有る。そして、力強い字を書く子なので、私はつい、気にかけてしまう。 最近は真希子先生にも気に入られていることが判明して、期待の若者は更に躍進できると確信した。 このヒョロッとした感じのどこがモデル向きなのか? 文学部の私としてはよくわからない。。。私でも羨ましく思えるほど、なかなかのイケメンである。でも真希子先生が目をつけたのは顔じゃなくて体つきだと言ってたな。。。成長過程だというのはわかる。先日も校門の外で他校の女子生徒が待ち伏せしてたのを観たが、相手を睨めつけて、なんとも塩対応だった。モテるということを鼻にかけない。心底迷惑だと言っていたようだった。 私にもそういうモテ期はあった。基本、女が好きだから、どんなに好みから逸脱した女が来ても、あそこまで邪険に扱ったことはない。その割には以前、教室内でとんでもないエロ本を観て騒いでいた連中がいたときに、不意打ちで教室に入って、それを取り上げて喝を入れておいたがその中に館野くんもいた。男子高校生、ある意味健全だと判断したものだった。それを踏まえても女に興味がないわけではないのだろうが、理想が高いのか、確実に八方美人ではないということだ。書道の筋といい、気に入っている生徒。 そういえば、取り上げたエロ本は、18歳以上である私と林先生で十分に閲覧した。あれは今どこにあるんだろう? 林先生の自宅だろうな。
「館野くん、調子はどうだ? 今日の書は、なかなかいいぞ。なにかいい事でもあったの? ちょっと筆筋が変わったんじゃないか?」
「筆筋、変わって見えますか? いつも通り、邪念なく一筆入魂なんですが。。。これ、先生に教えてもらった対処です。 良い事ですか。。。確かにあったかもしれません。」 そう言うと、あらぬ方を見て少し口角を上げた。 どうも気になる。
「どれ、私に話してみないか? 何が君の筆筋を変えたのか気になるんだよね。。。 そういえば、今日もこの後美術室? 終わるまで付き合うからその後の夕食、私も行こうかな。真希子先生は嫌がらないと思うんだが。。。」
「どうでしょうね。。。俺が恥ずかしくて嫌かも。。。そういえば西田先生もバイクのこと知っているんですよね。じゃ、モデル中は教室の外で待機してもらえるなら、僕は大丈夫かも。」
「そうだよね。じゃ、そうしよう。どちらにしても少し片付けてから美術室に向かうよ。先に行っててもらって結構だからね。」
絵描き以外に観られるのは嫌か。プロじゃないんだから、恥ずかしいのは仕方がないな。。。適当に片付けが終わり、部活の生徒はいなくなったので、鍵を締めて美術室に向かうことにする。音楽を聞きながら本でも読んで待つとするか。 私はクラシックをよく聴いている。林先生の影響でジャズもかなり聴くようになったが、やはり、サティなど、読書に向いている。 しかし、今更ながらブルートゥースとは便利なものだ。音量は低く、一応ノイズキャンセルはしないでおくことにした。 美術室からは何も聞こえてこない。しっかりと仕事をしてそうなので、チャチャは入れない。でも、ちょっと覗けるかもしれない。と、ドアのところに行くとごく小さな隙間からはカーテンしか見えなかった。 どうやら写真も撮っていそうだ。真希子先生は、カメラマンになりきっているようで、モデルのモチベーションを上げるために、褒めているようだが、あまり良く聞こえない。 そっとしておくほうが良さそうだ。 廊下の窓際に椅子があったので窓辺で読書ができた。
「西田先生、お待たせ!」 真希子先生が出てきた。ホクホクな顔をしている。 その後、館野くんが耳を若干赤くしてシャツのボタンを締めながら出てきた。なんか、それってエロいな。。。シャツ脱がされたんだな。 やるな、真希子くん。。。
「何食べましょうか? 今日は洋食のお店にしようと思ってたけど、西田先生はお酒飲みたいんじゃない? 洋食店はビールくらいしかないけど、いいですか?」
「大丈夫。私もご飯がメインになりそうだよ。けっこうお腹すいているんだ。どちらにしても今日は私の奢りにしますよ。お邪魔しちゃっているしね。」
街の洋食店は、優しそうな壮年のご夫婦が営む、フレンドリーなお店だ。家庭的で、味は懐かしい味がするという評判だった。私がハンバーグ定食、真希子先生はエビフライ定食、そして若者館野くんはオムライスと大盛りサラダ。なんとも性格を絵に描いたような各自の注文であった。
「真希子先生のバイク、見せてもらったかい? 館野くんは将来エンジニアになりたかったんだよね?興味あるでしょ?」
「はい、見せていただきました。非常に手入れの行き届いた良いバイクです。女性が乗るにはやっぱり大きく見えますね。普通、女性は250CCが多いのです。」
「そうね、2半は最近大きいし力もあるからすごいと思う。私も2半にしようかなと思う時があるの。 VT250Fとかは、私のバイクのちょっと小型だけど、力があるからね。それに何よりも車検がないのが魅力なんだ。手入れは出来るから、車検代を節約しようかなって。。。」
「非常勤講師の給料じゃ足りない? 電車賃浮かせているんだし、車検なんかケチることはなかろう?」
「先生、でも、車検代ってすごくかかるんですよ。落ちたら大変だし、真希子先生の気持ちはわかります。」
ふむ、館野くんは真希子先生には塩対応してないな。随分慣れたのだろう。最初に会わせたときは、緊張からなのか、じっと見つめて、片眉が上がってたし、ちょっと気になったが、どうやら上手に打ち解けたようだ。流石、真希子くんだ。生徒を手懐けるのはお茶ノ子祭々といったところなのだろうが、まさか、女無視、完全塩対応男を刷り込めるとは思わなかった。それにしても館野くんは細くても成長期の高校生男子だから当たり前かもしれないが、真希子先生もよく食う。バイクの運転というのは、かなりの体力を使うというから、スタミナは必須なんだろうな。 しかし、なんと表現しようか、この2人。姉と弟?
うーん、ちょっと違うな。エンジニア志望とバイク乗り。。。なのかな? とにかく出来上がった『仲』があるように見える、なんとも不思議な雰囲気がある2人だ。
「最近の館野くんの書が、やけに良いんですよ。真希子先生のモデルをしてからなにか開花したのかと思ってね。 モチベの上げ方、秘訣があるなら私も習いたいなぁ。」
「秘訣?? そんな物ないですよ。 強いて言えば共通の趣味が見つかって、その話をすると時間制限作らないとやめられない。 もう決めたんですよ。彼は私のバイクの専門メカニックって。(笑)」
「おぉ、そういうことだったのか。 私と林先生のような関係かもしれない。 結構持ちつ持たれつなんですよ、私と林先生は。まぁ、厄介も多いのですけどね。。。(笑)」
「ほんと、仲良しですよね。私も仲間に入れていただいているのが悪いくらい。」
「紅一点で入ってくれると、歯止めが効いて助かります。(笑) ところで、デッサンのほう、進んでますか? 男バスの子もインハイがなくなったことで、林先生に軽音でなにかやれるように取り計らってもらったらしいですよ。すごい試合でしたし、彼は主将だったから責任といい、プレッシャーが大きかったので、全く違うことで休憩させてあげないといけないと林さん、頑張ってました。」
「西川くんは本当に頑張りましたね。 モデルの方も1回だけで後は保留にしたんです。だから、あと1回、仕上げに来てもらうかもしれませんが、写真は撮ったので、もう大丈夫。 とにかく、彼はガタイが良いので、これ以上大人体型になると私が求めていたものではなくなってしまうのですよ。ギリギリだった。その点、この館野くんは、Bang On! ドンピシャ なんです。だからほんと、助かってます。高校生男子は成長が早いから、良い時期に捕まえてよかった。自信持っていいのよ館野くん、貴方はかっこいいわ!」
「あのね、私と林先生も、お手伝いできるようにジムに通おうかと話しています。(笑)」
「あぁ、ピークを過ぎた男性像を求めるとき、お二人にお願いします。(笑)」
教師2人は大笑いしていたが、館野くんは黙々とサラダを食べていた。 彼の前では品のないジョークは止めることにする。林先生にも言っておこう。。。彼が来ると、すぐエロ話になる事が多い。。。 真希子くんは全然気にしないだろうけど、思春期の男子、特に館野くんは簡単に受け入れないだろう。。。なんか、大人の邪念で壊したくない、未完成の美というものがわかる気がしてきたな。。。 島崎藤村の歌が思い浮かぶ。。。なんでだ?
未完成度の違い
あっという間に1学期の期末試験も終わり、採点という面倒な作業もどうにかこなし、提出物の確認などを綿密にする。美術で低得点を取れるはずがないのに、いるんだな。。。そして、落第させるというお約束の提出物未提出の輩。。。この学科を馬鹿にしているとしか思えない。そういった数人の生徒を呼び出して、お説教。絶対に許されないことを印象づける。嫌われるのは覚悟。でも、どの子も素直に非を認めて、第二期限までに提出すると約束。 疲れた。私は大人として寛容ではないのだろう。。。でも、その子達は十分に外でも甘えた人生を過ごしてきているようにしか思えない。十代半ばから後半で楽なことをおぼえてしまうと社会人になってからも、絶対に楽しか考えない。すると、必ず失敗する。そうなるとすでに二十代でなかなか立ち直れない。・・・というのが私の持論。どちらにしても私の仕事が増えるだけでなんのメリットもない。 ちょっと腹が立ったからバイクで遠出することにした。すでにヘルメットには暑い季節。奥多摩あたりの冷たい湧き水のあるところまで行けば、メットを取ったときに気分が良さそうだ。決めた、タオルとリンゴ持って即行こう。 公園のトイレからメットを被って出てきて歩道橋の下に行くと、ポンっと肩を叩かれた。西川くんだった。
「真希子先生、今日は慌てている感じですね。お出かけ?」
「あぁ、西川くん。元気だった? そうなのよ、ちょっと飛ばしてこようかと思って。。。今日は高速に乗って、飛ばすわ。」
「二人乗りじゃなければ高速乗れるんでしたね。メットもここにはないし。。。じゃぁ、一緒に連れてってとは言えないか。。。」
「ごめんね。また今度連れて行くよ。 そう言えば、ベース頑張っているんだって聞いたよ! 凄いじゃない。楽しみだな〜! じゃ、行くね! バイバイ。」
「もうすぐ聴かせますよ!待っててください。じゃ、安全運転でいってらっしゃい。」
安全運転じゃストレス発散にならないんだよなぁ。。。でも、大きくうなずき、手を振って出発した。 バックミラーにはいつまでも背の高い西川くんが映っていた。
できるだけ仕事のことは考えたくない。たかが教師のバイトのようなものなのに適当に考えられないものか??と悩んだこともあった。でも、生徒は成長していく中で学校での成績は一生残るのだからと、いい加減にしないできた。先生に向いていると言われたこともあるが、自分では全くの不向きだと思っている。ある程度手を抜くことを考えられる人のほうが上手く立ち回れる。熱血漢は必ずいるけど、みんながそうなる必要はない。ただ、教師は経験値が生徒よりも高いということを自負し、良い方向に持って行ってあげることを頭に入れておくものだ。。。というのが私の信条。 理想は高くあれとも。。。
渋滞になることはないが、ある程度混んだ市街地を出て、高速に乗る。奥多摩は止めた。楽しい道は時間制限があり通れなくなる時間になる可能性が高い。仕方ない湘南にしよう。無性に水が観たい。日本は相変わらず料高速金が高い。信号がないので目的地に若干早く着くというだけのメリット。しばらくすると。もう一台のバイクが後続しているのが見えた。私は張り合うつもりがないし、さっさと追い越してくれてもいいのだけど、私は決してのろいライダーではない、だからこそ、邪魔になることはないと思う、どうして追い越してこないのか?? 女だってバレてる? 面倒くさい。。。関わりになりたくない。
逗子ICで降りて国道へ向かう。最初のコンビニで飲みものを買おう。 やはり着けられた。面倒だな。。。 バイクを降りると向こうも降りた。あれ? あのバイク、ヤマハの大型だ。YZF-R1? メットはArai 館野くん?
「ちょっと! なんで舘野くんがここに来てるの?」
「今日は西田先生が、腹痛とか言って部活なくなって、早く家に帰ってコイツだして慣らしてたんです。そしたら、先生がバイク出しているのが見えて、ちょっと後をつけてみたんですよ。しばらくは気づかれないようにしてたんですが高速入るとすぐわかっちゃったみたいでしたね。。。 すぐに湘南だと思いましたので、無断で後続同行させてもらいました。迷惑でしたか?」
「迷惑なんかじゃないけど、今日はストレス発散のためだったから優しい運転じゃなかったでしょ?カッコ悪いわ。。。」
「いや、そんな事ないですよ。僕が追い越さないのをちょっと苛ついているだろうなとは思いましたが。。。」
「どれどれ、バイク見せてよ! うわっ!すご!! 手入れ行き届いてる感じだわ! 自分でメンテしてるって言ってたよね? プロ並みだわ。私のV子も安心してメンテ任せられるわ! 頼んじゃおうかな。」
「V(ブイ)子?」
「そう、私のVF400 の名前よ。 館野くんのYZF-R1は名前つけた? 」
「あ、いや何も。。。」
「男の子名なら、アーサーなんて、どう? 円卓の騎士の主将。聖剣エクスカリバーを岩から抜いた王様よ 女の子名なら、、、ベッキー、大体がじゃじゃ馬娘の名前であるレベッカの呼称・・・なーんてね、自分の好きな名前を選ばなきゃね!」
「アーサーって良いな。。。ちょっと気に入りました、名前。(笑) ところで、先生、用事があったのですか?」
「いや、仕事が詰まっちゃって。。。自由に発散したくてそのまま高速乗っちゃったのよ。 気にしないで、館野くんなら一緒にいてくれても邪魔じゃないよ。それどころか歓迎だわ。ほんとはね、奥多摩に行こうと思ったのだけど、急遽湘南に変更したの。だって、今から奥多摩行ったんじゃ、通りたい場所が時間切れで通れなくなるでしょ? つまらないしね。ならば波が見える湘南にということ。 ところで、夕飯一緒に食べて帰ろうか? パスタのお店があるの、ちょうどこの前、西川くんを連れて行ったのよ、バイクの隠し場所を彼に見つかっちゃって、賄賂のつもりで奢ったの。館野くんも気に入ってもらえると思うわ。」
「はい! ぜひ! 西川先輩もバイクに乗るのですか?」
「ううん、彼は車の免許は取ったらしいけど、バイクは乗ったことないみたいよ。だから後ろに乗せてきたわ。一般道だから時間かかったけど、彼は楽しそうだった。」
「あ、そうだったんですか。。。後ろが大きい人だと大変そうですね。。。」
「そう、参ったわよ、あの子大きいから簡単に両足着くしね。荷物になっててって、怖ければ目をつぶっててって、言って。。。何度もウィリーしちゃって、スリル満点だったんじゃないかしら(笑)館野くんも大きいから、やっぱり足ついちゃうんだろうな。。。」
「僕は二人乗りって、乗せたことも乗せてもらったこともないんです。だから、シートはタンデムシートをシングルに取り替えてしまいました。先生を乗せるときはタンデムシートに替えますからご心配なく。」
「そうだ!ちょうどいい、今、私ので練習する? 乗せてもらう方と乗せる方も、館野くんならOKよ!(笑)」
おっと、余計なこと言っちゃったかな。。。でも、今ギュッとして欲しいという気持ちがあるのは確かだ。そう、誰かにギュッと抱きしめてほしいときがある。。。今が、それ。そして、この館野くんは私のお気に入りの体つきで腕が長い。気になって仕方がない子。。。
「OK? さ、どうぞ!」 館野くんは躊躇なく後ろに乗った。彼は右腕を私の胴に回し、左手で後部のバーを掴んだようだ。
違う、、、違うのよ館野くん、今は両腕が欲しいの。。。 私はエンジンを掛けた。そして、思わず左手を後ろに伸ばし彼の腕を掴んで、無理やり私の胴に持ってきた。彼はすんなりと受け入れて、分かってくれたようだ。そして、私はローギアにいれた。すると彼は力を込めて抱きしめてくれた。 そう、これをして欲しかったの。。。
海岸脇の道路はいつになく空いていたので、爽快。随分走ってしまった。いつまでも走れる気になってしまう。いやいや、待て待て。。。落ち着かないと。。。しばらくして車寄せがあるところで止まり、交代することにした。誰かの後ろに乗るって、今まであったかしら? 館野くんはしっかり構え、両足が地面について安定している。私は後部に乗り、右腕を彼の胴に回した。左手は、思わず後ろのバーをつかんでしまった。すると彼は後ろを振り返り首を振った。そして、私の左腕を取って、自分の胴に回した。そう、私がやったことと同じことをしただけなのだけど、私はちょっと恥ずかしい気がした。でも運転者にとってはこれが正しい。そして、ついでに心地よい。 双方の体の大きさからすると、、やはりこれが正しい。。。 舘野くんの体は適度に大きいが、細い、それなのに思いの外、不思議な安心感があった。運転の上手な人が私のバイクで乗せてくれているという状況が、初めてのことでもなぜか大きな安心感を与えてくれている気がする。V子はゆっくりと走り出した。あぁ、気持ちが良い。。。思わず頭を彼の背中にくっつけてしまった。体も密着しているせいか、一体感がある。彼はどう感じているのだろう? あっという間に彼のバイクのあるところまで戻ってきてしまった。 無言で余韻に慕っている自分。。。だが、ふと我に返った。
「館野くん、ありがとう! すごく気持ちが良かった。たまには良いわ、こういうタンデム。」
「真希子先生のバイク、走りますよね。やはりホンダって凄いですね。それに、先生に支えてもらっているような感じで、すごく安心感がありました。」
「あら! 私も安心感があったの。きっと館野くんの運転が上手だからね。」 お互いが笑いだしてしまった。
「さて、何か食べに行こう! パスタ屋さんでもいい? 湘南だと、そこが一番美味しいの。この前、西川くんも美味しいって言ってたよ。」
「そうですか。。。 あ、はい、そこでいいです。パスタは好きですから。」
結局、また男の子をラ・シレーナに連れて行ってしまった。マスターは笑顔で迎えてくださった。
「好きなものを頼んでね。2つでもいいのよ。」
「では、お言葉に甘えて、シーザーサラダとカルボナーラ、どちらも大盛りでお願いしていいですか?」
「もちろん。パスタを2つでも良いのだけど、どうする?」
「いや、カルボナーラだけでお願いします。サラダも大きいのをいただくので、十分です。」 私はまた、ラビオリと普通盛りのグリーンサラダ。 食べ物の注文を見るだけで人柄がわかるという人がいた。成長期の男子にそれを当てはめるのはおかしいかもしれない。。。でも、この館野くんは自我があるように感じる。限定解除取りに行くだけあるかも。。。 当たり障りのない学校の話をする。書道部は気に入っているらしい。西田先生も、館野くんが一番求めている書の先生だという。精神統一ができるって、墨の香りと相まって、ゆったりとした気分になるそうだ。確かに西田先生も時々悟りを開いているのか??と思うような顔をしている時がある。。。西田先生の場合、ただ呆けているだけかもしれないが。。。 この館野くんが、悟りの境地がわかるようになるのは、そう遠くないかもしれない。 デザートはマスターが特別に作ってくれるという 『パブロバ』 を頂いた。館野くんはベリー類がたくさん入っているのを見て喜んでいた。これも大きいのを1つで、スプーンが2つ添えられた。 トイレに行くと言って席を立ち、支払いを済ませにマスターのところに行った。
「真希子さん、今度の子もイケメンですね。貴方は面食いなのですね。やっぱりデッサンのモデルさんなの?」
「そうなの、実はこの子が本命。 犯罪者にならないように自重しているのよね。。。(笑)」
「それはそれは(笑) 真希子さんのセンスが垣間見えますよ。 たしかに彼にはなにか、美しい以外にも魅力がありますね。素晴らしい。あ、そうだ、余計なおせっかいになるかもしれませんが、また忠告しておきますよ。彼の感じは本気になりそうですよ。。。上手に付き合ってくださいね。。。」このマスターはたくさんの若者を観てきた。侮れない。。。
「さぁ、どうかしら。。。私もただの人間なので、困るかもしれない。。。(笑)」 そう言って席に戻った。
「お腹いっぱいになった? そろそろ帰ろうか?」
「はい、お腹いっぱいです。お支払いですが、自分の分は払います。連れてきていただいて嬉しかったです。」 あぁ、なんて律儀な子なのだろう。。。
「もう支払いは済んでるの。ねぇ、私は大人の女なのよね・・・カッコつけさせてよ。今日は、奢りで!(笑)」
「あぁ、、、そうですか。。。じゃ、今度何かでお礼しますから。今日はご馳走になります。ごちそう様でした。」マスターの方も見てしっかり一礼した。この子にはチャラいところが1つも見当たらない。ここまで美しいと他校からの女の子たちが放っておくわけない。でも女の子に塩対応するというのも頷けるかもしれない。
来たときと同じように、私が前を走ることにした。ミラーで彼を確認できるのは良いかもしれない。高速はスムーズだった。降りて、しばらくしたところにあったコンビニに寄る。駐車してメットを外す。館野くんも同様に並んだ。なんか、このまま帰すのが少し惜しい気がする。明日は土曜日だし、少し遅くなってもいいかな?
「飲み物を買って帰ることにする。館野くん今日は付き合ってくれて本当にありがとうね。楽しかった。明日は土曜日だし、少し寝坊しようかなと思うの。館野くんは明日、予定があるの。」
「明日の予定はありません。タンデムシートつければ先生を乗せられるんですけどね。」
「そうか、、、タンデムは気持ち良い日差しがある方が良いよね。。。どう? よかったら、私の家に寄っていく? もう少し話しがしたいし、デッサンからの構想、お見せしようかな? 」
「いいんですか? じゃ、少しお邪魔させてください。 男の裸をどうするのか興味がありました。(笑)」
「あはは、、、そうね、なんていうか、ミケランジェロがダビデ像を作るときの心境という感じかな? あとは、ヴィスコンティが「ベニスに死す」を撮影したときのような気分かも? 貴方は美少年よ、館野くん!(笑)」
「そうなんですか。。。ダビデ像か。 やはり裸必要ですよね。でも、僕はあんなにガタイが良くないけど。。。ダビデって少年なんですか? 映画の「ベニスに死す」は観たことがありません。」
「ダビデは完全に青年にはなってないと思うの。ま、私はミケランジェロじゃないしね。私には私の好みがあるの。それはヴィスコンティのほうが近いかもしれない。 じゃ、行こうか。 あ、そうだ、お家には連絡しておかないとね?」
「はい、でも、今日は家に誰もいないんです。だから大丈夫。」
私たちはコンビニに入って好きなものを選んで買った。私はビールも数本買ってしまった。リラックスできるという自信があったからだ。 私のマンションは学校からかなり遠い。うっかり誰かに遭うことはまずない。 高校教師が賄えるようなマンションじゃないというのもある。ここは伯父の所有マンション。どんな住居も使わないと朽ち果ててしまうから・・・というのが伯父の口癖で、快く貸してくれている。伯父にとっては私は唯一の姪っ子なので、とても可愛がってくれる。彼はいくつも不動産を持っている。その中の最も小さい一つ。勝手に使わせてもらって助かっている。セキュリティーは3箇所。簡単に他人は入ってこられないので、芸能人も数人住んでいるらしいが、住人に逢ったことが一度もない。。。
まずはバイクを置くために車専用の地下まで進む。駐車スペースは車2台分あるが、私はバイクのみなので、余裕で館野くんのバイクも置ける。 駐車してメットを外した。
「さ、行こうか。」 館野くんは唖然としている。
「あの真希子先生、ここは本当に先生の住んでいるマンションなんですか?」
「そうよ。伯父のものでね、カビが生えちゃうから使ってくれと頼まれたの。光熱費と管理費の一部だけで住んでいるのよ。ラッキーでしょ? そうじゃなければ私、学校近くの木造アパートしか住めないわよ。。。高校の非常勤なんて、給料安いんだから。。。」
「ここは凄いところですね。でも、駐車場のセキュリティーは万全ですね。」
「安心感はあるわね。パーツ盗まれることもないし。カメラは24時間監視しているから。」 私は高速のエレベーターを選び、23階を押した。5基あるエレベーターは 偶数階専用、奇数階専用、10階以上が使える高速、そして各階止まり。部屋の前に着いたのでパスコードを入れて解錠する。
「遠慮なく上がって。さてと、ちょっと悪いけど、私お風呂入る。シャワーだけで済ませるから、すぐよ、ちょっとまっててね。そうじゃないとビール飲めない!(笑) 適当に座って、好きなもの飲んだり食べたりしてて、冷蔵庫、勝手に開けてもいいよ。碌なもの入ってないけど、ま、適当に。。。お風呂じゃないから待たせないわ。」 私は寝室に入り、オン・スィートの方のバスルームを使うことにした。 放課後の、あのストレスはすっかりと消えていた。たまには、つるんで走るのも良いものだ。それも相手は若くても自分よりも運転の上手な人で、放っておいても大丈夫だと気が楽だった。そして、タンデム・・・自分のバイクの後部座席に乗って誰かに運転してもらえることは今まで経験がないこと。気持ちよかった。彼の体を抱きしめて、それも、両腕で抱きしめてもいいと示してもらえるというのは何ていうボーナス。彼はバイクの安定感以外なにか考えてそうさせてくれたのかしら? 私と同じにしてくれただけかもしれない。でも、私の場合は、後ろが大きい人だから一体感が欲しかっただけ、それは彼も納得したはず。でも、実はすごく気持ちが良かった。抱きしめられるという快感、すっかり忘れていたのを思い出させてくれた。 そう、私にだってそういう時がある。抱きしめてもらえるなら気に入った男がいい。未完成の美に包まれるって、なんという快感なのだろうか。思わず目をつぶって慕ってしまう。。。
バスルームから出て部屋着を着て、さっと髪を乾かす。ボブヘアの利点の一つ、乾かすのが簡単なこと。 そしてリビングに行くと、舘野くんは本棚を見ていた。 うーん、ヤバい。。。私は本棚を他人に見られることがあまり好きじゃない。。。なんとも言えない不快感を覚える。。。自分の頭の中を覗かれている感じがするからだ。彼はどう考えただろうか?
「お待たせ! どうする?シャワー使う?それとも自宅に戻ってからゆっくりお風呂に入りたいかな??」
「あ、いいえ、さっと汗を流したいので、使わせていただけると助かります。」 私は彼をメインのバスルームに連れて行った。脱衣場所も広く、オードトワレは私の好みで選び、男性用と女性用の使い分けができるように設置されている。もちろん好みじゃなければ着けなければいいだけだ。 彼にゲスト用の大きめなバスタオルを渡し、オーバーサイズのTシャツとスウェットのパンツを用意しておいた。
「あ、ごめん、男性用の替え下着はないから、どうする?」
「パンツはもう一回履きますよ。どうせバイクで家に帰るからその時取り替えます。」
「そう? じゃ、そうしてね。(笑) お湯の調整とかは難しいところはないし、大丈夫よね。じゃ、お好きなように!」
冷蔵庫からビールをだして、先に飲んでいることにした。気分は爽快! こういう気分になったのって久しぶりかもしれない。 館野くんは私の本、どこまで背表紙を観たのかしら? ちょっぴり不安な気もした。考えてみたら、写真類を入れたアルバムも、この本棚の一番下に入っている。 あれ? 少し浮き出ている1冊がある。。。さては、館野くん、これを観ちゃったかな? 比較的新しい写真群、ニューヨークにいた頃のだった。ま、いっか。。。西川くんには彼氏がいたことを伝えたけど、館野くんには個人的なことなどまだ言ってなかった。私は大人の女だ!とパスタのお店で言ったから、だいじょうぶだろう。。。 思っていたよりも若干時間がかかって館野くんがシャワールームから出てきた。 お! ちゃんとBleuを着けたようだ。男の子だわ。と私はほくそ笑んでしまった。 彼は大きめのバスタオルで髪を拭いているが同時にそのタオルで体を巻き付けていた。 一気に私の願望の渦巻きが頭の中に広がってしまった。私は彼に近づいた。
「館野くん、お願いがあるの。 本棚に向かって立って、タオルを外してくれない?」
「え? 先生、それって。。。」
「私のダビデになって欲しいの。 数分間でいいから。。。」 うつむいて少し考えているようだった彼は、意を決したように言った。
「分かりました。切手の見返り美人風にすればいいんですね?」 この子はわかっている。私の望み。 私はスケッチブックを取り出した。そして、念のためにデジタル一眼のカメラを用意する。 館野くんはタオルを外してくれた。 あぁ、美しい。全体のバランスとしては、頸と腕と脚が長く、それがなんとも若々しくて、そのくせ、上腕筋などは上手に発達していた。お風呂の後で若干赤みがあるけど、そのスベスベ感といい、指の配置といい、パーフェクト! そして、自分が望んだ通りの体型に、思わず涙が出そうになった。写真はいつも最初と最後に同じ位置から撮ることにしている。緊張感とリラックス感が、わかるようにしておく。館野くんは今、緊張している。声をかけるべきかな? 今までの師匠連は、女性モデルを、これでもか!というくらい絶賛して、彼女たちのモチベーションがピークになるやり方を熟知していた。デッサンを描いている間中、言葉を繋ぎ、褒めまくった。私から観て、決して美しいとは言えない女性でも、モデルをしている間、驚くほど妖艶になり、女性としての魅力が最大限に出せるようになっていた。それを私は観ているだけだったが、習うべき巧妙なテクニックであることは間違いなかった。今、ここで、私自身のためにそのテクニックが必要なのではないだろうか? どうやればいいのかしら?? 黙っているよりは良いはずだから。。。タイマーを15分に合わせた。
「館野くん、パーフェクト。私が望んでいるとおり。 これが描きたかったの。そのままリラックスしていて。そのままでいいの。そのままがいいの。。。」 彼の視線は、若干下に向かい、口角が上がったように見えた。私の位置からは目が合わないので、表情は掴みにくい。 鉛筆の進み具合は激しく、あっという間に15分が経過した。写真を撮ることにする。やはり最初よりも余裕のある立ち姿になっていた。美しい。触りたい!というどうしようもない欲望が湧き上がった。 これは巨匠たちでさえも感極まってモデルに手を出すことになる、あの衝動なのだろう。私はモデルに近寄った。彼も意識し始めている。私は思わず手を彼の肩甲骨から三角筋に向けて触れてしまった。彼はビクッとした。私はささやくように小声で言った。
「15分経ったわ。もう大丈夫だから、服を着て。どうもありがとう。すごく綺麗。感激してるの。」
「本当にもういいのですか?」 彼はそう言うと振り返って、いきなり抱きついてきた。私は拒否しなかった。いいのだろうか。。。私の官能的な本能を呼び覚ますような素肌の感触と程よい体温。長い腕と広めの胸に包まれた。彼の心臓の音は、私自身の鼓動を遥かに超えた大きさで伝わってくる。私は彼の背中から腕にかけて静かに手を這わせた。そっと彼の鎖骨あたりに顔を埋めた。甘い香りはBleuと彼の僅かな体臭が混ざった絶妙なマッチングで私の鼻孔に飛び込んできた。 ダメだ。。私の歯止めが効かない。これはするまい!と固く自分自身を諌めてあったはずなのに。。。 私は手は緩めず、彼の耳元で優しく話しかけた。
「抱きしめてくれて、嬉しい。こういうハグが足りなくて、すごく欲しかったの。でも、私の立場上、舘野くんとのこれはあってはいけないのだと思うの。分かってくれる? あと、年齢的にも私はあまりにも貴方よりも上だし。。。」
「僕は、僕なりにたくさん考えました。貴女のことを思うと、ときに眠れなかった。でも、どうしてもこうなってはいけないという結論にはならなかった。真希子先生さえ僕と同じ気持ちになってくれるなら、口外することなく、学校では先生と生徒であることを守っていける、学校に関係ないところで逢えばいい。貴女が年上であることは全く関係ないと思う。 真希子先生は僕のこと好きじゃないですか? ただのペット的な生徒ということなのですか? 違いますよね? 違っているように見えているのですが。。。 少なくとも僕は違う。どんどん惹かれていった。もう貴女を女性としてしか観ていません。」
わかっていた。。。遅かれ早かれこういうことになるだろうと。私自身も望んでいたと言える。だから伝わってしまったのだ。下手をすると罪になるし、誰かに気づかれれば今の職場だけではなく、今後教職には着けなくなるだろう。それは困る。でも、どうしても抗えないこの気持ち。私は10歳も下の高校生に恋してしまった。もう覚悟を決めるべきなのだろうか?。 この館野樹を大人の世界に導く。彼の人生のスケッチに何かしらの着色するるのが私なら、それは素敵なことだと思いたい。短期間かもしれない。暴走しようとしている若者をそっと一から教えてあげようか。。。いや、それは言い訳だろう。。。望んでいるのは私自身なのではないの? 今までにないこの気持ちを抑えるべきか否か。。。たくさんの恋をしてきたつもりなのに何故、この若者に囚われてしまうのだろう? クールだ、大人の女だ、と言われることが多かった。いつも後腐れのない付き合い方をしてきただけ。本当は違う。私にも秘めたる情熱は小さく残っているのに。。。自分がボロボロになりたくないと思うことばかりだったかもしれない。今はボロボロになってもいいということ?? 逆に彼をボロボロに傷つけてしまうかもしれないのに。。。
そうっとお互いの腕の力を緩めた。そして彼の顔を観上げた。その潤んだ真剣な眼差しを見て、私は高揚感をおぼえた。ゆっくりと彼の唇に口づけて、優しく誘った。彼は直ぐに反応して、それまで抑えていた気持ちを解放させ、貪るようなキスで表し始めた。
「優しくして。。。ゆっくりと、優しくキスして。キスは優しく、どこまでも深く、真綿で包むように。。。私が教えてあげるから。」 彼はすぐに理解したようだ。最初に優しく抱き合うことを覚えれば、気分が高まったとき、いつでも激しく抱き合うことだってできる。優しく接することを最初にインプットしなければいけない。そうすれば一生忘れないはず。 私は彼をベッドルームへ誘った。
「あの、先生、僕は、そのぉ。。。」
「初めて? 大丈夫よ。誰にでも初めてはあるのよ。ゆっくりとお互いを確かめ合おうね。それに、実は私も随分ご無沙汰なの。。。だから、お互いに少し辛いかもしれない。。。だから優しくして。。。そうっとね。。。」
「はい。。。」 彼の返事は酔っている人のような虚ろな響きを伴って、顔は少し照れていたが嬉しそうだった。
私は簡単な部屋着しか着ていなかったし、彼はすでにタオルを落としてしまったから、すぐに素肌で触れ合うことができた。この人肌の感触と温度は、なんとも甘味だ。 彼は私をこれ以上ないというほど愛おしそうに観てくれる。触れてくれる、口づけてくれる。何という高揚感。私には同じような経験があるというのに、この子は、それをもろともせずに私を引きずりあげてくれる。こんなに素晴らしい感情を掴みだしてくれたのはこの子が初めてかもしれない。
「真希子さん、僕、あれを持っていません。。。どうしたらいいですか? 僕が今買ってきたほうがいいですか?」初めて私を真希子さんと呼んだ。
「あぁ、そうだったね。。。お互いこうなることを期待してなかったものね。。。どうしようか、止めておこうか。。。」館野くんの顔は一瞬悲しげに引きつった。。あぁ、私はなんて冷たい女なのだろう。。。それはこの子にとっては生殺しだといえる。私が拒めば良いだけなんだが。。。彼は仕方なく承諾するだろう。でも、、、私がこの子を欲しいのだ。
「真希子さん、僕は貴女に触れるだけでも、肌を重ねられるだけでもすごく嬉しいです。」 ため息混じりの低くなった館野くんの声は、セクシーだ。私は微笑み返して頷いた。大丈夫、私がリードしてあげよう。彼の指先は丁寧だ。10本の指すべてを使って私の頸、背中、胸、太ももから臀部、そして脚を愛撫してくれる。経験がないのに、どうやっておぼえたのだろう? 男子高校生で健康な子なら雑誌、映画やビデオで観たことがあるのだろうが、彼はそれ以前のことのように私を愛でているという感じだった。最初からがっついて股間に手を持っていかないし、興味本意なところが全く見えない。私にとって予想外の快感だ。 私はそっと彼の手を掴み、私の性器へと持っていった。
「優しく愛撫して。もうすっかりぬれているから、そっと中指を入れてみて。。。そう、すごく上手よ。んん。。。」自慰行為などもしていなかった私には、驚くほどの快感をもたらした。 「中指と薬指を一緒に入れてみて。。。 そう、すごく上手。。。あぁ、樹くん。。。」思わず彼の名前を呼んでしまった。彼はビクッとした。そして、空いたほうの肘をついて体を上げ、私の顔を見て優しく微笑んだ。彼の性器は私の太ももの脇に当たっていた。熱く、固く、大きくなっているし、脈打っているのがわかる。 私はそうっと触ってあげた。ビクッとした彼も潤滑液が十分に出ていた。
「・・・あのね、私は自分の排卵日がわかるの。今日は大丈夫な筈。でも、いつもこういう日ではないからよく覚えておいてほしいけど。。。リスクは承知で今日は樹くんをすべて受け入れるわ。だから、一緒に行こうね。」
「あぁ、真希子さん、真希子さん。好きです。」 お互いが求めていた通り、上手に私達は一体化できた。。。お互いに快楽と喜びに満ちた表情を分かち合った。
「樹くん、動かしていいよ。。。来て、樹!!」 その言葉とともに彼は腰を動かし始めた。
「あぁ、真希子さん。。。」彼のピークは長かった。痙攣は何度も私の中で繰り返された。私達は抱きしめ合い、彼は私の上で呼吸を荒くしていた。お互いに汗をかいたが、彼は体を離したがらなかった。 これは合意の上の行為だったけど、なんとも言えない罪悪感も感じる。 大人である私が何故止めなかったのか。。。それは、私自身が理性をなくすほど彼を欲しかったからに他ならない。
「樹くん。。。ちょっとバスルームに行ってくるわ。。。」 彼は不本意そうだが離れざるを得なかった。潤んだ目で私をじっと見つめている。 私はベッドから出て立ち上がった。すると、生暖かい白濁色の液体が私の脚を伝い落ちてきた。私は思わずハッとして、樹くんを観た。そしてそのまま目を脚に向けた。彼もそれを見逃さなかった。彼は起き上がり、もう一度私を引き寄せて私の胸に顔を着けて強く抱きしめた。私は彼の頭を優しく愛撫した。 そう、お互いが望んだことだから私は後悔しない。
「樹くん、シャワー一緒に入ろう。」 私は彼をベッドから引き出し、シャワールームに向かった。シャワーの中でお互いを洗いあった。子供の遊びのように笑い合ったが、触れ合うだけだったキスは徐々に深いものになり、彼はもう一度求めてきた。私はそれを受け入れた。
脱衣場で十分なタオルドライをしてからドライヤーでお互いの髪を乾かした。樹くんの髪は私よりも長いが、しっかりとしていた。 さて、何を話そうかしら。。。
「樹くん、 私は何も後悔していないのだけど、私の職業柄、私達がこういう関係だということはオープンにできない。最低でも私の勤務期間が終わるまでは。 半年くらいだけど、完全に隠すことができる? 私はできる。後はあなた次第なの。。。 あと、もう一つ。。。貴女と私には10年の年齢差があるの。まして、貴方はこれからもたくさんの出会いと経験が積める大事な年齢、私も通過した年齢だから、今の貴方がどれほど貴重な時間を過ごしているかがわかる。私は1個人として、貴方にはその時間を大切にしてほしく思う。私は貴方を束縛することはない。でも、私はこの関係を望んでいたの。。。私の本能が貴方を欲していたの。恥ずかしいとか、倫理がないとか、関係なくなってしまうほど貴方に惹かれた。それは事実だから。 今後、学校で接するとき、私はあくまでも教師であり、冷たいと形容されるような女教師だということ、そのまま続けられる。それに関しての演技はできる。貴方はどうだろう? 私は貴方の正直さや純粋さに心を奪われてもいるから、貴方が偽りの態度、要するに私のことをなんとも思っていないというような冷たい態度を示してくると、どうしていいかわからなくなると思うの。たとえそれが演技だとしても、私は耐えられないかもしれない。。。たった半年程度なのに、私がどれだけ不安になるか想像がついてしまう。。。 私は貴方と学校で目が合ったり、すれ違ったら、必ず微笑むから、貴方もそうしてほしいの。そうすることで他の人達は、『お気に入りと憧れ』と観て判断してくれると思うの。それ、できる? もしもできないなら、今日のことは幻想だったということでお互いに忘れましょう。。。ちょっと長く話してしまったけど、分かってくれる?」
「真希子さん、僕は夢がかなったばかりでどこまで信じていいかもわからない状態です。でも、今、真希子さんが言ったことはよく分かりました。僕は他人に恋人をひけらかしてみたいと思う男ではありません。もちろん自慢したいとは思うだろうけど、いつか堂々とできるような時が絶対に来るなら、必ず我慢します。堂々と逢えないなら、またここに来させてくれますか? 二人きりで逢えるなら、連絡を取り合えるなら、日常を我慢することはできます。 真希子さん、僕、最近サルバドール・ダリのついて知る機会があったのです。芸術関係は日本画とか書道しか興味がなかったのですけど、真希子さんと知り合ってから洋画の方も見るようになったんです。それで、ダリのバイオグラフィーを読んで、彼の最愛の妻、ガラは彼より10歳年上だと分かりました。だから、僕が真希子さんと恋人同士になる関係になっても決して不自然なことではないと思っているんです。もちろん僕の経験値は低いのですが。。。一人の女性を好きでいられることって幸せなことじゃないかと思うのです。どうして他の女性、または恋人と言えるような存在を作らないと経験値が上がらないということになるんでしょうか?一人の人とたくさんのことを経験し、前に進めるなら、それのどこが不足なのですか? 僕は器用ではありません。特に、女性との関係をたくさん作るよりも、一人の人を愛して、たくさんのことを学べるというのもあるだろうと思っています。無理に他の女性と何かを経験しないといけないのでしょうか? そんなことないですよね。」
私は感動してしまった。もとより純粋な子だとは思っていたけど、ここまで理論付けているとは思わなかった。 他の女子生徒や女性の先生にはかなり塩対応だという。。。私をそこまで運命の女と思ってくれているとは驚きだ。普通の男子高校生なら、もっと色々と女性を試してみたいのではないのだろうか? 私のことをあまりにも純粋に買いかぶっていないだろうか?
「そうか、わかったわ。すごく嬉しい。 ずーっとお互いを高め合えるように意識しないといけないわね。私達ならできるかもしれない。やってみようか。」
「僕はできる自信があります。真希子さんに飽きられないように自分を高めていけたら良いなと。。。」
私達は眠ることにした。心地よい疲労感を彼は背中から抱きしめてくれた。振り返ればまた求めてくるだろう。。。休まなくては。。。だから振り返らなかった。
朝8時すぎに起きることは稀。。。樹くんの腕は私の上にあった。そうっと振り返ってみると、彼は寝息を立てていた。美しい寝顔だ。いつまでも見ていられそう。。。するとゆっくりと彼の目が開いた。私は彼の髪を指でゆっくりと梳いた。彼は微笑んで、優しく私を引き寄せた。
「あぁ、真希子さん、夢じゃなかった。」
夢見心地での掠れた声は、なんともセクシーだ。彼は私の顔を見つめ、顔から首をゆっくりと愛撫し始めた。どこまでも優しく、大切なんだという気持の表れのように。。。そして首から胸にキスしてくれた。お互いまた求めあった。 そうだ、やはり若い男の子、朝の自然な興奮も相まって、少しずつ激しくなった。それでも彼は優しくすることを昨夜で習ってくれたらしい。私は嬉しい。更にもう一つ、彼とは体の相性が良いとわかった。こんなに満足があるセックスは、今まであっただろうか? どうやら彼もかなり良い感度を感じ取っているようで、ホッとした。
今度は別々にシャワーを浴びて、ブランチを食べることにした。ベーコンエッグとサラダ、買いおいてあった冷凍にした食パンをトーストして、コーヒーをいれた。
「コーヒーで良かったかしら?」
「はい、コーヒーは好きです。」
「私は豆を買ってひいて入れるの。今トレンディなイタリアンスタイルは好きじゃないの。私はいつもアメリカン。ブラックで飲む。豆はオーソドックスにコロンビアンかルワンダンが好き。要するに結構マイルドなコーヒー。ちょっとお金があればハワイアン・コナかブルーマウンテンを買ってくるけど、、今はルワンダンが気に入ってるの。樹くんも同じようなのが好きだと良いなぁ。。。」
「僕も、濃いめのイタリアンは好きじゃないです。父がコーヒー好きで、うちにはサイホンもあります。父も普通に入れるのが好きみたいで、エスプレッソとかは飲まないんです。結局は父の好みから、できているコーヒーを飲んでいます。自分ではいれたことないです。僕はミルクいれます。」
彼は率先して洗い物をしてくれた。私はコーヒーのお替りを飲みながらベランダの外を観ていた。樹くんは後ろからスーッと腕を回して抱きしめてくれた。
「バイク、乗ってこようか? タンデムで。 私のV子しかタンデムはできないけど、どう?」
「いいですよ。僕に運転させてもらえますか?」
「もちろん。私を何処かに連れてって!」
「今度から僕のアーサーも、タンデムシートを装着しておきます。いつでも真希子さんを乗せることができるように。他の人は乗せません。」
私はヘルメット用のインカムを出してきて、二人で装着することにした。これで話しながら走行できる。樹くんは横浜、元町を選んだ。外人墓地周辺を回り、港の見える丘公園で、コンビニのおにぎりを食べることにした。
「このインカム、けっこう音が良いですね。音楽も外音を聞きながら良い音で入ってきて、びっくりしました。」
「便利よね。走行中に普通に話せるって、時々助かる。 ねぇ、樹くん、月曜日からの学校での心の準備、できた? 私はなんとかできる自信はあるの、でも、貴方は素直で正直だから、辛いと思う。割り切ってくれる?」
「我慢は半年足らずだと思うようにします。ただ、真希子さんも来る者拒まずっていう感じの時あるじゃないですか? 例えば西川先輩とかと接するとき。。。それを観たら、ちょっと悔しいと思うんです。でも、毎日必ず連絡取れるなら大丈夫です。鍛えます。」
「お互いのためだから。。。連絡は毎日する。ごめんね。。。でも、私のことを好きになってくれて、ありがとう。」 私達は体を寄せあってキスした。この夏休みは、熱いものになった。
他者の観点 林賢三の場合
この高校の軽音楽部が去年、全国大会で準優勝を獲得できたのは、今年の卒業生の中に3人も最上級がいたこともあるが、何にもまして現在の3年生、サックス担当の武藤良という規格外の天才がいたから上の学年が奮起できたこと、そして、俺に引っ張る力を与えてくれたから叶ったものだった。今、武藤良は一人ではできないという大きな壁にぶつかり、地方大会のみの突破しかできなかった。他にも大学受験があって、熱がこもらない。音大のどこでも彼なら間違いなく合格できるし、特待生になるのも夢じゃないはず。だから国立に拘る必要はないと思うんだが。。。昔から続いた酒屋の長男。親思いだという評判だ。弟が2人いて、どちらも他校の高校生、2人共楽器に熱を入れるほどではないが、聴くことはクラシックからジャズまで網羅して、兄貴を助けているみたいだし彼を誇りに思うと言っている。両親は人柄もよく、長男だから家を継げとは言わない。弟たち2人は兄に代われると本人たちと一緒に言っている。 大会の地方戦を抜けられなかったのがそこまでショックだったのだろうか?スランプ?? または燃え尽き症候群かと心配したが、そうでもないようだ。女か?? いや、女の影は全然見えてこない。外に付き合っていそうな女がいてもおかしくないけど、弟たちの話では、そうでもなさそうだった。軽音部の要の彼には1年から完璧にサポートしているベースマンがいる。関力也。目立つ男じゃないが、非常に上手い。穏やかで頼まれれば何でも引き受けてくれる。西川くんがベースを始めたいと言ってきたとき、俺の他に彼を紹介して、少しレッスンしてもらった。教えるのも上手くて、頼れる。なんと言っても褒め上手だというのが観ていてよくわかった。
「なぁ、関、お前は進路決めた? 」
「はい、僕は教育学部のあるところにします。先生みたいな教師になりたいんですよ!(笑)と言っても目指しているのは小学校の教師なんです。子どもを教えたいと思って。」
「そうか、君なら合ってそうだな。小学生は手強いぞ。。。(笑) ところで、最近の武藤、落ち込んでないか?なにかあった??」
「うーん、、、どうでしょうね。。。大学に進むべきか、プロになるべきか??というところで迷っているかもしれないです。」
「なるほど、それか!。よし、少し考えがある。 ありがとう関、恩に着るよ! ところで西川はどうだ? 上手になりそうか?」
「彼は手も大きくてなかなか筋がいいです。うまくすれば、和製ジャコ・パストリアスも夢じゃないかも??(笑)。」
「関のおかげだな。感謝するよ!もう一学年下ならなぁ。。。 文化祭では俺のスペシャルバンドで頑張らせようかな。。。(笑)」
「スペシャルバンドですか? また西田先生のカスタネット??(笑)行けそうですよ、西川くんなら。 そろそろ曲決めないといけませんね。」
「そうだな、決めておくよ。今回、西田にはオルガン弾かせようかな。。。 俺、ちょっと武藤のところ行ってくる。」
旧校舎の裏側に、吹奏楽器担当者の練習場所がある。そこはいつも武藤のいる場所だった。ヘッドホンを付けて、完全にノイズキャンセルしてなにか聴いているか、自分のサックスを吹いている。時々、思わずうっとりしてしまうほどのテクニックだ。
「おい、武藤! ちょっと話があるんだけど。」
「あぁ、林先生。部活のほう、今日は行かなくてもいいですか? ここで消化しちゃったので、後は家に帰ります。」
「それは構わないんだけどさ。。。ま、いっか、ところで、この夏休み、予定ある? 」
「いいえ、何も予定はありません。家の手伝いは弟がやってくれるので、ライブハウスとか回ろうかなと思ってましたが。。。」
「そうか、じゃ、ちょうどいいな。実はね、夏休みの5週間、アメリカ行かない? シカゴなんだけどさ、俺はついていけないけど、向こうで君を引き受けてくれる奴がいるんだ。向こうのプロたちの様子を見てこないか?」
「え? シカゴ? あそこはブルースが本場じゃないですか? でも、行ってみたいです。」
「じゃ、決まりな。ご両親には俺から言っておく。旅費は俺が出すから。 俺って太っ腹だろ? 滞在費は親御さんに相談して見るけど、宿泊はタダだから、まず大きな出費にはならないさ。よし、じゃ、お前んち行くか。」
「先生、アメリカへは、力也も一緒じゃダメですか?」
「うーん、気持ちはわかるけど、彼は違う勉強もあるし、文化祭のことで相談したいしな、お前一人で行ってこいよ! 旅費だって夏休みってすっげー高いんだぞ! いくら俺でも2人分は無理だし、引受先も2人はきついと思う。。。諦めてくれ!」
本当は俺が友人を訪ねて行くために取っておいた資金だったんだ。。。だから航空券は1人分しかない。あの二人が支え合ってこの3年近くを過ごしてきたことは俺にも分かっていたが、流石に進路まで関わり合うことはできないだろう。まして片方は天才と言われるサクソフォン奏者だ。
「そういうわけで親御さんとしては心配かもしれませんが、今回はたった5週間の武者修行なのですけど、良くんの見聞を広げるだろうと思うのです、必ずなにかプラスになるものを掴んでくれると確信しています。ご了承いただけないでしょうか?」
「林先生、高額な旅費まで先生が出してくださるとは、なんと申し上げてよいやら。。。良の今後は私どもでは測りかねております。もしも先生がそうおっしゃるならば、家族で応援いたしますので、どうか、よろしくお願い致します。」
「林先生、兄貴にはできることをやってほしいと思ってます。家の後継ぎは俺たち弟でがんばりますし、いずれは、店の脇にライブができるジャズバーを作ろうと思っているんです。その時は兄貴の名声を利用するつもりですしね。だから実力はもっともっと上げてもらわないといけないんです。」
「頑張って欲しいです。とにかく、向こう側で宿泊と見聞広げの手伝いをする友人は、彼です。」
と写真を見せた。家族も武藤くんも驚いていた。白人アメリカ人だからだ。日本人だと思ったに違いない。
「大丈夫ですよ、日本人には慣れています。少しなら日本語も話せるのですけどね。。。 英語もついでに習えて、一石二鳥!(笑) では、そういうことで一学期の終業式直後に空港に連れていきます。パスポートは持ってるよね? その他は俺がやっておくから。」
うまく話はできた。スランプ脱出に5週間は短いが何かしら掴めれば、この天才を引き上げることはできるはずだ。 シカゴのキースにはメールでのやり取りだけだったが、快く引き受けてくれた。少し前までは本格的なスタジオミュージシャンだったが、最近は不動産業がメインになっているということだった。アメリカは、あそこまで上手なミュージシャンでも頭打ちを食らう。武藤良にとっては大きな刺激になると思う。一回り大きくなってくれたら、大成功だ。
相変わらず武藤くんは部室には来なかったが、部活の連中には知らせた。関力也も喜んでいた。
「ということで、我々は文化祭に向けての曲選びと各曲の担当者を決めような。 西川くん! 君にも数曲付き合ってもらうつもりなんだけど、男バスの方はもういいんだよね? 関くんは部の要のベース奏者だから、難しいところは彼が演ってくれるから、西川くんは、俺と西田先生が頑張るバンドでベース弾いておくれ! 関くん、色々と教えてあげてくれる?」
「関くん、よろしく。 林先生のバンドって、大丈夫なの?」
「あははは、、、大丈夫だよ。林先生のバンドは毎年すごいんだ。知らなかった? 西田先生は、まぁ、時々何をしてるか分かってない感じもするけど。。。(笑)。 林先生の本気、一見の価値十分あるよ。 西川くんには、楽譜ができたらすぐに渡すから。数回一緒に弾いておく。、そうすれば西川くんはセンス良いからすぐマスターできるよ。」
「なぁ、俺がサックスだって知ってた? 最近はもう、ぜーんぶ武藤に持ってかれちゃってるけど、ジャズ歴は俺のほうが長いんだぜ。。。(笑) でも、今年は俺のバンド、ジャズじゃないのにする。武藤は武者修行から帰ったら、楽譜渡して音合わせ数回でOKだから不安はなしだ。」
「先生、まさか、Jポップじゃないでしょうね?(笑) 」
「俺さ、自慢じゃないけどJポップって、全然知らないんだよ。。。今考えているのは70年代の世界的な名曲さ。西田も当時は酔いしれてたらしいしな。(笑)他に、ギターを市村、お前演ってね! 女子にもコーラスとかお願いする。あ、そうだ!真希子先生にもなにか演ってもらおうかな。タンバリン位できるだろうし、コーラスに入れるぞ!(笑)面白くなりそうだ!」
「林先生、僕はまだ初心者だし、70年代って、古い曲はできる自信ないですよ。。。 そう言えば、アニメ同好会が、先生と西田先生と真希子先生にコスプレ着せてアニメ同好会の宣伝をお願いするんだと言ってましたよ。もうピッタリの3人組なんだって。(笑)」
「え? 3人組のアニメ。。。コスプレか。。。なんだろうな?? 真希子くんには、うる星やつらのランちゃんとかかな?(笑)・・・あ、セクハラにならないように気をつけます。」
そうこう言っているうちに、武藤良が久しぶりに部室に入ってきた。部員たちは一斉に労いの言葉をかけたが彼は脇目もふらずに関力也のもとに行った。穏やかな関くんが、微笑みながらなにか話しだした。信頼しあった親友同士だとわかる。この2人のベースとサックスの絡みは絶妙で、誰にも譲れないのがわかる。5週間のことを話しているのだろう。すると、武藤くんは、いきなり西川くんの方に歩み寄って、鋭い目線を向けてぼそっと何か話した。武藤くんはヤンキーではないが、身長が西川くんより若干低くても迫力は、常に塩対応の武藤くんのほうが数倍上だ。西川くんは圧倒されているが、もとよりおおらかな子なので、すんなり受け入れたようだ、関くんもすぐに歩み寄り、笑顔で割って入っていた。俺は先生としてなにかするべきか?? いや、本人たちに任せておこう。
「はい、はい! 選曲は今からしっかりと考えて来週には楽譜ごと渡すから、待ってて欲しい。それから、ベースは2人以上必要なんだ。西川くんがいてくれるのはありがたい。ただし、俺の関わるもののみに入ってもらう。主力はやっぱり経験値の高い関くんにお願いするからそのつもりで。 じゃ、今日は解散な。おい、武藤くん、あとで連絡するから。 西川くんは一緒に来てくれ。」
部室を出て、西川くんと歩き始めた。
「どした、武藤がなにか言ってきた?? あいつ、最近ちょっと不安定だったから棘のある言い方しなかった? 本来、すごく良い奴でね、本物の天才だけど全然高飛車にならないんだ。たぶんそれは関くんが歯止めにもなっているんだけどね。天才だけど、ものすごい努力もしている。一日8時間は練習していると思う。楽曲も俺が言うものを速攻でわかるから驚きだよ。」
「いや、大したこと言われたわけではないんですけど、ベースを遊びでやっているんだから関くんに迷惑かけるなって。。。バスケが生きがいだったのに、そんなに急に止められるのっておかしくないか? って言われました。。。俺、おかしくないと思うんです。見切りをつけたわけです。まぁ、大学はそれで入ったので、一応しばらく大学でも続けますから、練習はしてますけどね。。。」
「そうか、気にするな。 俺が引っ張ってきたようなものだしな。人生、楽しくなるには楽器がある方がいい。(笑) ところでさ、西川くんには取り巻きがいると思うんだけど、1人だけ、軽音部の部室の前にくる子がいつも君を観てるよ。。。彼女ではなさそうだけど、、、ストーカーかな?」
「あぁ、あの子は確かに俺が出てくるのを待っているみたいなんですけどね。けっこう迷惑なんですよ。。。でも、バスケの試合はいつも応援してくれてたし、邪険にする事もできなくて。。。他にもしつこい女の子いますけど、他校からです。。。でも、もっとはっきりしてるし、断ればそれでおしまいなんですが、あの子はなにも言ってこないんですよね。。。今度、 好きな人いるからって嘘でも言ってしまおうかな。。。」
「うん、、、それも手だよな。。。穏便に振るって、そう簡単じゃないけど、一番無難な理由だよな。。。」
「林先生は、バツイチって言ってましたけど、その後良い人はできないんですか?」
「うん、、、色々あってね。実は嫌いで別れたわけではないんだ。。。彼女が精神的にぎりぎりになっちゃってさ。。。ま、お互いに前進しようと言っているよ。」
「あぁ、余計なこと聞いてしまいましたね。すみませんでした。」
「気にしないでいいよ。 それよりも西川くんに好きな人できたら教えろよ。 まぁ、君は選びたい放題だろうけどな。羨ましいぜ。。。(笑)」
「いや、そんなことないですよ。告白とかされたことはあるけど、肝心な人は俺に関心を持ってなさそうだから。。。」
「おぉ!いるのかー! でも、君みたいなイケメンで性格もいいのに、相手は振り向いてくれないの?? 他校??もしかして大学生とかの歳上なんじゃね?、このモテ男が!(笑)」
「ははは、当たり! 年上の人が好きなんです。昔から年上の女性って良いなって思ってました。 真希子先生なんか好みなんですよね。。。」
「あ、真希子くんな、いい女だよな、でも、ハードル高いぞ。。。すごいポリシー持ってそうだしな。。。ま、悪いことは言わない、やめとけ。」
西川くんの目は本気そうに見えた。17〜18歳の男子は、まだまだ純粋な目をしているものだ。 来年大学に入れば、きっと良い彼女ができるだろうし、この子にはゆっくりと恋してほしいものだ。って考えること自体、俺が歳をとったということだな。。。
「とにかく、学際のための曲、MP3に落とすから、聴いてほしいんだけどね。楽譜は来週にでも渡す。70年代のバンドでね、ピンク・フロイドって知ってる? 西田先生とやるつもりの曲、西川くんに手伝ってもらわないとな。ギターの市村も結構行ける奴なんだ。あいつにギルモアのギターやってもらうんだ。そして、わが校唯一のドラマー、マルチな大矢和馬だ! 彼も今年が最後になるしな。とにかくさ、音大付属とかじゃない、しかも進学系元男子校が全国大会に出ただけじゃなくて準優勝してるとさ、それだけで客が来るんだよ、プロ系が多く来るんだ。。。忙しくなるぞ!」 「で、曲名は?」
「曲はね、『狂ったダイヤモンド』スターは俺たちさ、武藤も関も使わない。とんでもない西田先生が参加さ!(爆笑) 心配するな、真希子先生にもなにか手伝ってもらうつもりだから。」 みんな曲名に唖然としていた。
夏休みに入るため空港は混んでいた。武藤酒店は全員、そして、軽音から新部長になる2年生と相棒の関くんが送りに来た。まぁ、今生の別れでもないし、5週間で帰ってくるから、みんな和やかだ。
「空港にはキースが迎えに来ているから安心しろ。サックスはCAのお姉ちゃんに知り合いがいたからバッチリ客室に入る。英語も勉強してこいよ!。」
武藤くんは、できるだけみんなの顔を見ないようにしながら搭乗口に向かった。が、突然走って戻ってきて、関くんのところに行き、何か話して抱擁しあった。親友とは美しいな。 確かに武藤は関がいなければ、大会にも出なかっただろうし、天才と呼ばれることもなかったと思う。俺が頑張って押したのも効果はあったはずだが、音楽の中のサポートは、やはりベーシストって適役だろう。関あっての武藤なのだということか。たった5週間だが、あいつは何かしら拾ってくると確信できる。キースは元来良い指導者だから、大きな一歩を教えてくれるに違いない。
俺の夏休みは文化祭のために時間が消費される。欧米の人間たちのようなホリディ気分になれることはない。時間が許す限り西田先生と西川くんが音合わせをするために音楽室にいる。エアコンもあるし、快適なんだろう。
「どうよ、西田さん、今回はオルガンにしたわけだけど、かなり目立つんだぜ!」
「オルガン?? キーボードと言っていただきたい。まさかピンク・フロイドを私が演奏する日が来るとはびっくりしているよ。学生の頃聴いたよ、ピンク・フロイド。リック・ライトになりきるさ。気分いいな。それに思ったほど難しい感じではないし、一筆入魂をそのまま鍵盤に持っていける気がしているんだ。」
みんな気合が入っている気がした。みんなわかっているんだろう。。。武藤良という天才は来年にはここにいないということが。でも、彼に代わるスターは必ず現れると信じている。 先生か生徒かは関係なく、思いっきり楽しまなければいけない。話の分かる校長で良かった。PTAの親たちは、さすが工業系の強い高校の親たち、お勉強だ!世間体だ! という人はあまりいない。まして、全国制覇できそうだった軽音楽部を持っているとなると鼻も高いらしい。ロックバンドじゃなくて、クラシックやジャズを演奏しているのだ。ま、要するに子どもがグレなければそれで良いわけだから、かなり協力的だ。。。
「こんにちはー!」 といいながら入ってきたのは真希子先生とアニメ同好会の部員4名。アニメ同好会には女子がいる。レーシックを受けさせたいな。。。と思うほど瓶底眼鏡をかけている女子は、眼鏡さえとればなかなか可愛い顔をしていること、男子は気づいているだろうか?
「おや! 真希子先生、久しぶり。コーラスの練習してくださいよ!」
「あ、はい、はい。。。美術部は展示とカフェだけなので、部長たちから、私は軽音部とアニメ同好会に協力していいと許可が降りましたよ。顧問代行は教頭が引き受けてくださったんですよ。今日はコスプレの、衣装の採寸だそうです。林先生と西田先生、来てくださいな。」
「こんにちは。アニメ同好会代表の飯塚しおりです。 こちらは大中くん、近藤さん、そして三木君です。この度は、コスプレで文化祭を過ごしていただけることを快諾いただき、ありがとうございました。先生方3人には、『サムライ・チャンプルー』の主役3人になっていただきます。同好会だけではなく、生徒会もみんなぴったりだと言っていただきました。ちなみに、林先生がムゲン、西田先生はジン、そして真希子先生は紅一点のフウのコスチュームでアニメ同好会を宣伝してください!。ステージに上がるときもそのままでお願いします。西田先生のジンは、もう、そのものズバリなんです。。。」 おや?彼女はなんとなく西田先生に目がハートになっている気がするけどな。。。ジンという配役に憧れているのかもしれないが。。。最近の若者は漫画の登場人物に恋するというしな。。。
あ、やはりな、彼女が西田先生の採寸するらしい。もう一人の女子が真希子先生、そして、俺は・・・野郎しか残ってないか。。。ま、いいか。。。 真面目そうな男子だ。アニメオタクっていうやつかな?
「林先生、すみませんが腕を上げてください。はい、そのまま。 そうだ先生、このサムライ・チャンプルーっていうアニメ、面白いんですよ。そして音楽がガチャガチャしたアニメ専門の音楽家が作ったのじゃないんです。Lo-Fi Hip-Hopっていうやつで、Nujabesっていう日本人が作ってますが、けっこう良い音楽なんですよ! 沖縄の民謡も合わせてたり、普通のアニメじゃないんです。一度観てください。僕DVDあるのでお貸ししますよ!」
「へぇー、ヒップホップかぁ。一応ヒップホップやラップもジャズの枝分かれからって知ってた? 今度聴いてみようかな。。。ところで、俺が演じるムゲンって、どういう人物?」
「あ、彼は琉球出身の乱暴者ですが、ものすごい身体能力と剣技を持ってます。優しいんです。ブレイクダンスもできます。」
「あ、そうなの、俺はブレイクダンスできないぜ。。。やらなくて良いんだろうな。。。なんか、危険人物??」
「危険人物ではないですよ。正義の味方で強いんです。スケベですが。」
ふと西田先生の方を見ると、飯塚さんが顔を赤く染めながら、彼の採寸をしていた。西田先生も、わざと、じーっと目を離さずに彼女を見ているからな。。。からかってるつもりなのだろうか? 酷なことをするものだ。。。
「私の演じる方のジンという役柄はどういう人物なのかな?」
「あ、西田先生にすごく似ているんです。最強の剣客です。侍ですからシュッとしています。」
「そうか、かっこよくしてね。飯塚さん。」
「は、はい、もちろんです。ヘアエクステも着けて、ちゃんと結びますから。」
「まさか、ちょんまげに月代(さかやき)なんじゃないよね? 」
「いいえ、髪を剃ったりしませんから大丈夫です。もう少し長くするだけです。メガネもそのままですから。」
西田先生は複雑そうな顔をしたが、どうやら満更でもなさそうだ。それよりも女子生徒に体の採寸をしてもらえるのが嬉しいらしい。けっこうスケベだな、あいつ。 おや?、西川くんは真希子さんを見てるな。。。
「おい、西川くんもなにか着れば?」
「俺はバスケ部の方にも顔出しするので、どうかな? せいぜい『黒子のバスケ』かな(笑)」 すると、アニメ同好会の4人は一斉に西川くんを見つめ目を輝かせた。 やらされるな。でも、バスケのユニホームだけのようだが。。。つまんないな。。
夏休みだというのに、通常の勉強科目という授業がないだけで、多くの生徒が毎日のように登校し、9月末にある文化祭というイベントに向けて、暑い夏を一生懸命にやり過ごしながら心を燃やしていた。俺も忙しいが、今年は興奮してる。武藤くんが帰国するのが待ち遠しい。シカゴ到着後の連絡によると、どうやら現地でも彼の天才ぶりは発揮されて、プロたちに声をかけられて、可愛がってもらっているらしい。これが楽しみじゃなくて何が楽しいのか。
他者の観点 西田由貴夫の場合
うん、間違いないな。あのアニメ同好会の部長、飯塚しおりは、私に懸想しているんだ。 私だって捨てたものではない。未婚でまだ三十超えたばかりだ。。。でも、まさか、あのアニメの登場人物に惚れているだけってことはないよな?? まぁ、高校生から見ると私はオッサンなのかもしれないが、まだまだイケてるはずなんだ。そう思っておこう。
私が夏休みに学校に来るのは顧問を務める書道部の部活の学際準備のためではない。彼らは作品を書いて、展示する、そして、たこ焼き売るだけなのだ。私は軽音部に全面協力することができるように書道部のみんなから許可が出ている。何故か軽音部のためである。全国大会などで勝ち進んだ軽音部はこの学校の誇りなのは間違いないが、我が書道部だって、賞を取っている連中が数人いる。でも、展示用だけ頑張ればいい。。。しかし、部費はもう少し余裕が欲しい。ということで、たこ焼き屋を許可した。でも、アニメ同好会は、だんご屋らしい。私のコスプレにはそれが似合うと飯塚さんは言ってたから、食べてあげると約束した。ポーズを決めるためにDVDを見ると言ってしまったが、林先生は忙しくて見る余裕はなさそうだ。。。真希子先生を誘うかな。。。 そういえば、館野くんはたこ焼き、焼けるのだろうか? 彼は我が書道部のエースだから紋付袴でも着せて、看板持って立たせるだけなのかな? ふと思い出したが、館野くんの飛躍的な字の向上は、飯塚さんと同じように『懸想』からなのかもしれない。あんなに淡白な男子生徒を落とすって、どんな子だろうか? 他校の女子にも冷たいと言われてたが。。。年上の大学生かもしれないな。 私も同じような年頃に大学生の女性に恋をしたものだった。彼女に筆おろしをしてもらったな。。。衝撃的だった。女性に関してありとあらゆることを教えてくれた。でも結局は金回りの良い他の大学生の男に取られ、振られたけど。。。
館野くんは、真希子先生に脱がされてたな。。。まさか、真希子先生だったりして?? 想像ばかりが膨らむなぁ。。。さて、オルガンの練習でもするか。。。
館野くんは、すでに良い作品を書き上げているのであまり夏休みの学校には来なかった。バイクをサーキットで走らせたりしていると本人は言っている。彼は純粋にエンジニアになることを決めているようだ。レーサーになりたいと言い出したら、私には何もできないが、どうも彼はレースに出るより出す方に興味があるらしい。。。書道はあくまでも趣味になっていくのだろう。惜しい、実に惜しい。。。書道家になれる才は十分に持っているのだが。。。林先生が武藤くんに入れ込む気持ちはよく分かる。母親は書道家だし、私もできれば館野くんに書道家の道に導きたいが、本人は母親への反抗心だけじゃなく、本気をだしてくれないと困る。どちらにしてもどこかの会に所属させて、展覧会への出品を続けるようには薦めておきたいと思う。
書道家男子は大凡、人間がデリケートである。まぁ、女性の書道家はかなり図太い人もいるけど。。。私の知る限り、華道家や茶道家などに比べると、純粋無垢な人間のほうが多い。華道家などは、モテるのを鼻にかけて夜になるとキャバクラに出入りしてるのもいる。。。 書道家は・・・地味である。
「あれ? 館野くんじゃないか、どうしたの今日は、なにか一筆入魂したくなった? それともまた真希子先生のモデル? もう終わったのかと思ったけど。。。」
「西田先生、いや、今日はちょっと寄って部室に置いてある面相筆を数本持ち帰ろうかと思って。。。真希子先生のモデルはもう終わりました。
「そうか、面相筆、草書用のテン毛の二番は部費でも数本新しく買い足すことになっているから、好きに使っていいよ。」
「そうですか、巻紙に少し書こうかなとは思ってました。あと、条幅と巨大書の半紙も確認しようかなと。。。もうできているのですけど、一応確認。それから、僕はたすき掛けした袴姿になって巨大なホウキ筆持って、たこ焼きしてる部室前に立ってればいいって部長から言われたのですが、僕だけですか?」
「あ、それね。。。私が手の空いているときは手伝うけど、軽音部にかかりきりになりそうだからね。。。今年はカスタネットじゃないんだ。。。ソロっぽい見せ場もあるし大変そうでね。。。家でも練習しているんだ(笑)」
「僕も見に行きたいのでその時は誰かに代わってもらえるように先生も口添えしてください。」
「任せなさい! でもね、多分たこ焼きが終わる頃だと思うから、声かけて出てきちゃっていいと思うよ。 今年はね、軽音部としては、あの天才を送り出すことで、みんなが協力を惜しんでない。林先生が燃えてるんだ。」
「あのバスケ部の3年生は軽音でなにか演奏するそうですが、どうなんですか?」
「あぁ、西川くんね。ベースを勉強してたよ。バスケもやり続けるらしいけど同時進行で音楽に関わっていたいらしい。ベースは頑張ってたよ。そう言えば彼も真希子先生のモデルやったね。話とかしなかったの?」
「彼とはほとんどかぶらないような日程だったので話はしていません。彼のほうがガタイが良いのと、インターハイを控えていたので、モデルは一回のみだったらしいです。先生の課題が僕とは別だったようですね。バスケとベースですか、僕のバイクと書道みたいなものかな? 全然違うものを同時進行する。やり甲斐はあります。」
「そうだね、君の書道とバイクの趣味は想像できないよね。将来は機械系の大学に進むんでしょ? ならば、部活は書道だな! 館野くんには書を続けてほしいと思っているんだ。展覧会とか出して、外でも頑張って欲しい。協力するしね。」
「はい、まぁ、そのつもりです。母もうるさいし。。。兄や弟もやらされてますけどね。。。」
「そう言えば君は3兄弟だったね、次男坊だった。ところでさ、最近、すごく成長したように思うんだけど、書も筆筋もちょっと変わって、面白くなったんだよね。何か生活の変化とかあった? 彼女でもできたんじゃないかって思ったんだよ。。。違うかな?(笑)」
「生活の変化はないです。でも、好きな人はできました。」
「お! そうか。やはり好きな人ができると書を含む芸術って爆発的な飛躍があるんだよ。 早く彼女になってくれると良いな、その人。私にも恋の経験がないわけではない。結婚こそしていないが、彼女はいたことがあるからね。。。相談には乗るよ。私は世の中がどう変わっても高校生は恋をするべきで、大人の一歩を踏むべき年齢だと思っている。ま、しっかりと避妊はするべきだけど。。。早くその人に気持ちが通じるといいね。」
館野くんは少し驚いたのか、若干顔が赤くなった。やはり館野くんには恋心が変化をもたらしたのか。笑顔の少ない、誰にでも塩対応な男子だが、純粋な恋ができるのは想像できる。両思いになって欲しいものだが、没頭してしまう恐れもあるような館野くんだから、手綱をしっかりと引ける女性だったら良いが。。。だいたいこの年代は女子の方が中身は大人だし、年上なら尚更良いのだが。。。大学生かどこかのお店の店員さんか?? 親心にも似たような心配が膨らむ。受験の学年じゃなくて良かったと思ってしまう。
「このご時世、女性か男性かは関係ないが、館野くんなら賢い女性なのだろう。君も真面目な男だから何も心配はしていない。君はバイクが好きだと言ってたね。大型車を持っていると言うことだったが、後ろに乗せたの?。」
「女性です、まだ僕のバイクに乗せたことはありません。誰も乗せたことないんです。彼女はいつか乗せてみたいと思っています。」
「そうだね二人乗りだね。あれは非常に良いだろうと思う。後ろからこう、抱きしめてくれると言いようがない満足感に高揚しそうだと想像できる。なんとも文学的な高揚感。青春だよ、館野くん。」
「先生は、僕の年齢が恋愛を成就させるには早すぎると思いますか?」
「それは、肉体関係、つまりは性交渉を持つという意味かな? 館野くん、最初にも言ったけど、私は君の年齢は人生の中で最も男女関係に敏感な頃だと思っている。そして、この時期をうまくこなした男性は安定感が出てくる。もちろん、君の年齢よりも早くても遅くても良いのだけどね。心奪われるような人が現れて、言葉や何らかのサインを交わしだし、徐々に惹かれ合う。互いに惹かれ合っているとわかったときに、体を求め肌を重ね合い、お互いの存在感を感性をもって認め合う。官能的な陶酔を味わうことが、それも心奪われた人とできるなら、人間として本望だよ。素晴らしいことなんだ。 ただし、1つだけ忠告しておく。子どもは『作る』と決めてからできることが最良。それまでは、お互いを貪り合い、愛情を与え合い確かめあって、パートナーとしての親密さを培って確固たるものにしていくこと。たとえそれがお互いの愛の結晶と言われる存在でも、密度を高める二人だけの時間と関係は、なん人たりとも、介入してはいけないんだ。なん人たりともね。だから避妊しろと言ったのだよ。二人が納得して子どもがいてもいいと思えるときまでね。」
「西田先生は、文学的ですね。本当に好きな人、いないのですか?」
「今は心寄せる人はいないんだ。そういう人が現れてくれたら、少し筆筋が変わって、また日展で入賞できるかもしれないな(笑)出会うことができれば、それは大いに喜ばしいのだが。。。」
「性交渉って、プラトニックじゃなくなるということですよね。そうなることで自信ができますか? 性交渉を持ったからと言って本当にその人は自分のものなのでしょうか?」
「もちろん最近は色々な考え方があって、恋人同士じゃなくても性交渉を持つ人々がいるようだ。商売であったりもするし、単に性的な欲求を満たすためだけの関係を持つ人たちもいるようだが、難しいな。ただ、恋い焦がれた人と同意の上での性交渉は、究極の喜びであることは間違いない。昔の男女には結婚してから夫婦間で恋仲になるなど、決して珍しくなかった。美しいじゃないか。 ま、君の場合は、性交渉は恋が成就するという意味合いにとるんだね? それは喜ばしいことだよ。ただし、『もの』という考えはしてはならない。自分のものと言いたいが、それではいけないんだ。」
館野くんは満足そうな顔で口角を上げた。私としてはなかなか観られないものだと、ちょっとラッキーな気分になった。そうか、この真面目な塩対応男が恋をして性交渉まで済んだということにとっても良さそうだ。まさに青春だ。さてはて、どんな女性なのだろうか?? 興味が湧いてしまう。二十歳前後の大学生と見た! 違うかな?? 高校生でこういうことを覚えたての若者は、猿が自慰行為を覚えてしまったように、そのことばかりに走ってしまう事がある。自制心と自重を知らなければ恋はすぐに終わってしまうのだ。相手が賢ければ、すんなりとかわしてくれたり、猿にならないように上手にリードしてくれるのだが、同い年で同じ様な経験値しかないと、どちらも完全に猿化してしまうことも少なくないらしい。。。舘野くんにはそうなってほしくないな。。。美しい彼であってほしいものだ。 同じ男として少し助言もしておこうかな。。。先生ではなく男として。
「相手の女性が求めているかどうか、わかるようになると良いが、まずは決してガッつかないことだ。相手に求めてもらえるようになれば最良。時には相手も同じような駆け引きに出ることもあるだろう。その駆け引きはワクワクするのだよ。上手に誘えるようになるといい男になれる。一挙手一投足を見逃さないように、彼女を勉強することだ。 とにかく、女性には優しくすること。そうすることで包み込んでくれるようになる。 私など、甘えん坊だからね、大いに包み込まれたいよ。女性は偉大だ。」 17歳の青年に何を言っているのか。。。自分はフェミニストだと確信があるけどね。。。
「西田先生にも同じような考え方をした頃があると思っていいですか? そして包み込まれた経験があるのですね?」
「私は、不覚にもほぼ猿だったがね。。。だから続かなかった。」
おっと、猿の意味は伝えなくていいな。。。あくまでも文学的な表現をしたいのだが、難しいものだ。。。幸い、館野くんは何も深掘りしてこなかった。多分、自分がした行為について思い起こしているのだろう。そして、多分、満足している。できれば上手に付き合ってもらって、せめて大学生になるまで続いて欲しい・・・という変な親心ができてしまった。男女ともに、1つの恋の終わりって、どちらもある程度傷つくのだ。普通の物語では振られたほうが傷つくということが決まりのように扱われるのだが、振る方も傷つくことがある。最低でも、振るという行為に走るには理由がある。 その理由によっては振ったほうが、どれだけがっかりしたかを第三者はわからない。他に好きな人ができたというのは、その恋が本物のじゃなかったわけだし、まぁ、それは振られたほうが傷つくな。 若者は経験不足から失敗することもある。 舘野くんの相手が本当に年上なら、上手に教えてもらえると良いが。。。人生、年上の異性から習うことは多い。
「先生、なにか壁にぶち当たったら、相談に行きます。」
「任せなさい。私は聞き上手でもある。突破口を見つけられるように助言できるようにするよ。」
真夏の太陽が沈みかけるまでにはまだ時間がありそうだ。林くんはまだ帰れないかな? ビールが飲みたいな。。。でも、仕方がない、オルガンの練習をしないといけないしな。。。
友は案ずる。。。
理香子とは電話やメッセージアプリで話をしていたが、なかなか直接会うことができなかった。久しぶりに何でも話せる旧友に逢えると、リラックスできる。
「真希子、マジ?? まぁ真希子は昔から美学が身についているからね。。。年齢差などは関係なさそうだけど、仕事に影響がないって絶対に言える?? しっかりしていそうだけど、高校生の男の子なのよね。よほど精神鍛えてないと、真希子のことを学校で見かけて感情表現してしまってもおかしくない年齢なのよ。そればかりは大人だからとか、先生だからということだけで押さえつけることは間違っているし、多分できないと思うの。。。 っていうか、避妊しなかったって、あんた、正気の沙汰じゃないんじゃない? ピル飲んでるとか、コイルでも入れているの?? 」
「久しぶりだというのに、ボロクソに言うわね。。。ピルもコイルもなしだった。。。大丈夫、3日後に生理になっている。それが分かってたから思い切れたんだけどね。もうしないわ。」
「ピルくらい飲んでおくほうが良いわよ。片や高校生、片や感情任せの理性なし大人女。。。二重の避妊は必須だわ。それにしても今どき初体験が生で中出しだなんて、彼も幸運というか、大胆というか。。。もう、二度とコンドームなんか着けたくないんじゃない? 危ないわよ。。。まぁ、事実上、恋人同士になったってことよね。それに関しては、親友として、おめでとうと言いたい。やっぱり好きだと思える人と結ばれるって理想的だもの。すべてを投げうっても、欲しかったんだものね。。。双方でね。それはやはり美しいわ。でも、彼は毎晩悶々としているだろうな。。。毎晩話しているんでしょ?」
「そうね、毎晩その日に何があったかも話したり、何を考えてて何をしたいかなどもね。 私ね、全然後悔してないの。。。ここまで堂々としていられるって、自分でも信じられない。」
「スリルとサスペンスに満ちた向こう数ヶ月になるのね。。。高校生なら普通、一分でも一秒でも肌を合わせて一緒にいたいって思うはずなんだけど、樹くんってかなりストイックなのかもね? だとすると真希子にはすごく合ってるわ。 書道なんて言う芸術をたしなめて、バイクで風になって、理性を持って我慢できる。。。凄いわ! 俊介にもそうなって欲しいわ!(笑)・・・無理だろうけど。。。 ところで、男バスの子はどうなったのよ? あの子はかなり積極的じゃなかった? 同じ学校だし、大きな学校で学年も違うとは思うけど、どこかですれ違うこともあるかもよ? 男バスくんは積極的で、いつも自信があって先輩だという意識もあって、気軽に真希子に近寄ってくるだろうし、そんなところでも樹くんが観ちゃったら、なんか、揉めそう。。。 男バスくんには何の否もないのよね。。。可愛そうだわ。。。なんか、真ん中の女の子が学校一の美少女なら、少女漫画の学園モノになりそうよね。夏祭りでりんご飴とか、花火大会で浴衣着て、お互いドキドキしちゃう。。。慣れない下駄でつまずいて転びそうになって男の子が抱きとめる!!なんて、お決まりのストーリーとか(笑) イケメン2人が1人の女の子取り合っちゃうなんて。。。でも、現実の相手はミス・ワイコフか、はたまたミセス・ロビンソンだなんて。。。凄いわ、真希子!(爆笑)」
「ちょっと理香子、なによ、その年増女の代表たち。。。勝手な想像はやめてよ。(笑)」
理香子は面白がっていそうだけど、確実に心配してくれているのがわかる。 理香子の持つ私の相手としての理想は、自分のパートナーである俊介と気があって、同じ趣味を持つような男と私がくっついてくれることなのだ。そうすれば私と一緒に色々と楽しめると思っているようだ。確かに親友である彼女とはできる限りそばで生活して、いつでも気軽に逢える状態でいたいものだ。理香子は正しい。。。よし、一応婦人科でピルを出してもらうことにしよう。
そんな事を話しながら、理香子と私は、遠くを見つめていた。とんでもない暑い夏は、もうすぐ終わろうとしている。。。
天才の帰還と決心
たった5週間という短い期間、一万キロも離れた場所に放り出された武藤良だったが、現地でお世話してくれたキース・テイラーのお陰で、多くのジャズメンと接することができ、腕が良いことでセッションに参加することもできた。英語も特訓されて、ジャズメンたちから技術について特別なレッスンも受け、これ以上ないくらい充実した生活ができた。親友の関力也とは、ほぼ毎日ビデオ電話で話し、その日の報告をして、関くんに家族や先生へ報告を依頼していた。関くんは、武藤くんがホームシックにならないか心配だったが、このビデオ電話と毎日のハードなスケジュールでホームシックになる暇がなかったようだ。とてつもない情報量を頭に詰め込んでの帰国は、空港に迎えに来た林先生と関くんを大いに喜ばせた。3人で抱き合って無事の帰還を祝い、まずは武藤くんの実家に向かい、家族に安心してもらい、翌日に学校で会うことを約束して林先生と関くんは帰ることになった。
学際の練習はみんな力が入っている。それでも午前中に集中している。午後は個人で練習するか自宅に帰って練習することになっている。武藤くんは午前が終わるギリギリに部室に入ってきて、部員たちは歓喜した。 簡単に5週間の内容を話し、いかにアメリカの音楽の質量が大きいかを、口下手ながらにも、一生懸命に伝えてきた。 自分はプロとして活動できるという自信も着けてもらえたことが、逆に音大に進学することを固めてくれたという。特待生で受け入れてくれるという条件ならということのようだ。縁を持ったジャズメンたちはみんな、音大に行きたかったが行けなかった、だからチャンスは逃すな!と言ってくれたようだった。 渡米する直前の刺々しさは一切なくなっていた。本当に充実した生活だったかが伺われる。
「力也、今日は真希子先生来てる? 」
「多分来てると思うけど、良、お前あのこと話すの?」
「うん、そうしようかと思って。。。彼女なら、理解してくれそうだし、何かあったら相談できるんじゃないかと思うんだ。力也もそのほうが少し気が楽にならない?」
「でも、林先生が知らないって思えないんだけどな。。。だって、キースって林先生の友達なんでしょ?」
「うん、でもキースって口が硬そうなんだ。。。個人的なことには踏み入らないようにしてたのかもしれないね。 美術室に行ってみようか?」
美術室は部員たちが帰った後で閑散としていた。展示品はすでにディスプレイ待ちで、カフェのメニューもプロ並みのできで、さすがに美術部だと思わされた。部室の奥で、真希子先生はなにか作品を眺めていた。
「真希子先生、失礼します。」
「あら! 武藤くんと関くんじゃない! ジャズメンが来てくれるなんて、嬉しい! アメリカはどうだった?大きな刺激になったでしょ?」
「はい、林先生には感謝しきれません。もう、ジャズの濃度が違いました。」
「先生、これ、来るとき自販機で買ったばかりですから冷たいですよ。 武藤はアメリカからお土産は何も買ってきてくれなかったんですよね。。。すみません。。。」
「お土産なんかいらないわ! 武藤くんの経験談が聞きたい。一番のお土産だよ。」
「俺は、キース・テイラーさんのところでお世話になっていたんです。キースのこと、ご存知ですよね?」
真希子先生は、一瞬フリーズし、目を見開いた。
「うそ。。。キース・テイラーのところ?? そうか、シカゴだったね。。。キースも林先生も教えてくれなかったわ。」
「すごく良くしてもらいました。本当に色々なことを教えてくれました。 真希子先生が元カノだったことも。。。そして、そのころの話をしてくれたのですけど、真希子先生からも、きちんと聞いてみるといいって。。。よかったら聞かせてもらえませんか?」
「そう、、、そうだったのか。なにか訳がありそうね。。。役に立つかしら??・・・ こんなところでいいの?場所?? どこか、ご飯でも食べに行く?」
「いいえ、多分これから練習しないといけないし、ここはもう生徒も帰っているし、ここじゃ、だめですか?」
「そうね、ここでもいいよね。。。うん、彼とは数年付き合っていたの。当初はニューヨークでね。キースからどこまで聞いているのかしら? 重複するかもしれないけど、私のこと話すね。聞き流すだけでもいいから、できれば私から目を逸らさずにそのままじっくりと聞いてほしい。聞いた後に私のことが嫌いになっても蔑んでもいいから、全部聞いて。。。」
2人は私の目を見て、頷いてくれた。
「初めてキースと逢ったのはジャズのライブを聴きに行ったとき。キースはその頃、離婚したばかりでね、私には付き合ってた人がいたの。私が付き合ってた人はね、女性だったの。 そう、私はレズビアンも経験したことがあるのよ。」 高校生の感受性が強いこの時期に、刺激が強すぎるかもしれない。。。でも、世の中は避けることができない部分があって、それは私がどう伝えるかにもよるのだと思う。その事も踏まえてキースは私に聞けと言ったに違いない。
「驚いたかしら? 変わり者だと思ってくれていいよ。実際私は変わり者なのよ。。。そして、偏見を持たないの。同性から恋愛感情を持たれることに、何の躊躇もなかった。美しい人だったし、彼女に言い寄られたときは嬉しかったもの。ニューヨークは当時からすでに同性愛には寛容で、誰も咎めるような素振りをする人などいなかった。それも手伝って、甘美で官能的な生活を送ったの。ただ、私の中のストレートな部分も捨てきれていなかったのは事実。そう、バイセクシャルと言われるもの。丁度デヴィッド・ボウイがそうだったようにね。男の人達とも楽しく飲みに行ったりしてたの。 でも私は浮気っぽいとかじゃなかったのよ。そこまで器用じゃないから、2人を同時に愛せない。でも彼女には分かってもらえず、そういう感じの私を彼女は許せなくなったみたいだった。。。いわゆる『嫉妬心』よね。彼女は最初から若干の精神的不安定さがあって、私は若かったこともあり、不安定さもまた心揺さぶるようなものと勘違いしてた。でも、彼女は鋭い感覚の持ち主だったから、私のどっち着かずな態度が不安だったのだろうと思う。時を同じにしてキースと知り合った。話が合ってね、会話がすごく楽しかったの。彼は大学で日本語を習ったことがあって、私と日本語で会話したいっていい出して、私もそれは大歓迎だったから承知したのだけど、パム、私の元カノは、それがたまらなく許せなかったみたい。何を話しているのかわからないからね。。。私は一生懸命に慰めて言い訳もしてたのだけど、同時に、キースのことが気になって仕方がなかった。パムはそういうのを見逃さない。彼女のうつ病はどんどん酷くなった。。。 ある日、ちょっとした口論になって、パムはジャックナイフで私を切りつけようとしたの。それを止めに入ったキースが腕を切られたのだけど、泣きじゃくる彼女を説得して、後日、精神病院に入院させた。でも、数ヶ月経っても良くならなかった。。。それどころか、自虐的になってしまってね。。。4−5ヶ月位経ったころ、パムの弟さんから連絡があって、彼女が自殺してしまったと聞かされた。キースと私はショックで逃げるようにニューヨークを発ち、シカゴに行ったの。新生活は楽しかったし、キースも私もお互いが必要だと信じてた。でもね、気がついたの。。。それはただお互いを慰めあっているに過ぎないって。。。一緒にいると常にパムの幻影がある気がしたのね。。。だから、良い友達に戻ろうということになった。そう、お互いに嫌いになったわけじゃないの。彼との恋愛はお互いに家族愛のようなものでしかなかったと気づいた。だから、別れた。家族愛のようになるにはまだお互いに若すぎたと思うから。。。 キースからどのように聞いているかわからないけど、同じ内容だったかしら?・・・ ところで、なぜ貴方たちはこんな話が聞きたかったの? 音楽には全く関係なさそうだけど。。。キースに関してなにかあったってこと?」
「真希子先生が話してくれた内容は、凡そ、キースが話してくれたものと同じです。彼のほうが簡単に話してくれて、後は真希子先生に聞いてごらん! というものでした。日本語だったから深く話すには大変だったのかもしれませんが。。。キースには俺の個人的なことを話す機会があったからなんですけどね。でも、お陰で自信を持つことができたんですよ。俺は大丈夫だって。大学への進学も迷ってたのに、彼のジャズ仲間に会わせてもらったとき、学校という場で学ぶチャンスを無下にしてはいけないって言われて。。。みんな行きたくても行けなかったんだって。。。キースは大学出てるけど、他の人達は貧しかったからと言ってました。 で、なぜ真希子先生からこの話をして欲しかったのかというと。。。 じつは、俺たち。。。俺と関は、付き合っているんです。もちろん親友でもあるのですが、それ以上の仲なんです。こういうのって、男子校だとありそうで、ほとんどなくて、逆に気味悪がられそうで、誰にも知られていないんですけどね。林先生も知らないはずなんですが。。。あの人は感がいいから、もしかするとわかっていて何も言わないのかもしれないけど。。。」
「そうなんだ! 正直言って、ちょっとびっくりしてるよ。でも、全然変なことではない。信じ合えて、お互いを高めあえて、その上で触れたいと思うことって、自然なことじゃない? あなた達はどちらもしっかりとやりたい方向が決まってて、足を引っ張り合ってないし、すごく良いと思う。 今話したように、私は同性愛の経験者だから、世間の風当たりとかも理解できる。いつでも、なんでも話して! 相談にも乗るから。 林先生には学際が終わってから、なんとなく話してもいいかもよ、きっと良い方向に考えてくれるよ。 私は非常勤だから、多分あなた達が卒業するまでいられないと思うの。契約上では今年いっぱいだからね。。。でも、その後も気軽に連絡して欲しい。私の電話番号とチャットのID教えるね。」
二人の顔は活き活きしていた。トップクラスと言っていいほどのミュージシャンだけど、やはり若者のこの顔は素敵だ。
「ねぇ、確信を持ちたいんだけど。。。 私の前でキスしてみてよ。からかっているんじゃないのよ!」
躊躇するかと思いきや、見つめ合った二人は熱い口づけを交わした。 美しい。スケッチしたくなるほどだった。
「ありがとう。貴方達は大丈夫だと、本物だと確信できたわ。 ただし、学校内では今までどうりに素振りも見せないようにしなさいね。今は受験に集中するべき時期でもあるし、とにかく、余計な噂などは、貴方たちが消耗することになるから。気持ちを抑えることも、お互いへの思いやりなのよ。」
「はい、わかりました。話を聞いてくださって、ありがとうございました。すごく気分が楽になりました。大人の人に理解してもらえるというのが、なかなか期待できなかったからです。キースに話してよかった。向こうに行って1週間くらいしたとき、少し生活やジャズメンたちとも慣れた後でしたが、なんか寂しくて、いつも朝、アパートの窓から前の公園を観ているとき、日本の恋人が恋しいのか? って聞かれたんです。なんでわかったのだろう。。。すごく感の良い人なんですね。でも、相手が男だとは思ってなかったみたいでしたが。。。真希子先生がこの学校にいてくれてよかった。偶然って凄いものがありますね。」
「そうね、私もこの元男子校で数ヶ月とは言え教えるのは、ちょっと不安もあったの。言うこと聞かない、ヤンキーばかりだったらどうしよう!!って(笑)でも、軽音部のことは評判だったから、楽しみでもあった。貴方達2人が、軽音部の要だものね! こういう形で話もできるようになれて、私は感激よ! 学際、楽しみなの。林先生は私にタンバリンでもやってろって。。。(笑) 他の女の先生や事務の女性、女子生徒と一緒のコーラス部分もあるっていうのよ。不安だわ。。。」
「きっと良い物になりますよ。お三方、サムライチャンプルーズは、他の腕利きたちと一緒にピンク・フロイドですからね!期待してます。 僕たちも、引退が決まってる3年の主力として、もう一人の重要パート、ドラムの大矢和馬がソロを入れる曲を選びました。林先生をびっくりさせるために言ってないんです。彼は2回驚くことになるんですよね。。。すでに学校ではなくてスタジオを借りて練習してます。バレないようにするために。西川くんにも来てもらってるんです。ベースが僕とダブるのですけど、彼は素直で、ちゃんと自分のパートを押さえてくれてます。良は、西川くんが目立ちたがるタイプかも知れないと思ってたみたいで、アメリカ行く前に、ちょっと絡んじゃったんです。西川くんがポジティブ志向な奴で良かったですよ。彼デカいし、凄まれたら焦ります。まぁ、良はヤンキーもできますから大丈夫だけど。。。(笑)」
「えー! そうだったの? 西川くんはすごく良い人だし真面目なのよ。 彼にはヤンキーは無理そうだな。。。(笑)」
「俺だってヤンキーなんてできねーよ。。。どちらにしても俺と合わせられるような高度な力也のベースを超えるような奴は出てこないよ。」
あぁ、観ていて気持ちがいい。こんなに信頼しあっている若者を身近に観られるって、私は幸運だ。なんだか、樹を抱きしめたくなってきた。。。今日、空いてるかな。。。
家について今日あったことを噛み締めていた。携帯電話がなった。着信音は、昔の電話の音にしてある。樹からだ。
「はい。 樹くん? 今どこ?」
「マンションの駐車場近くです。真希子さん、降りてきませんか? タンデムシートを着けてきました。」
「ほんと? わかったわ! 正面玄関のそばにいて。すぐ行くから!」
タイミングが良い。とうとう彼のバイクで二人乗りができる。 樹もきっと楽しみだったはず。安定感のある力強いバイクでの二人乗りは後ろに乗っていても気分がいいと思う。ワクワクする。 ヘルメットを持って玄関を出ると、樹はバイクから降りていた。私は駆け寄った。久しぶりの抱擁、そしてお互いを見つめて軽くキスをした。私の腰を抱いたまま優しく見つめる彼の目は、まるで潤んでいるかのようにキラキラしている。
「なかなか逢えず、電話ばかりだったね。逢えてうれしい。。。」
「バイトが立て込んでいたのですけど、僕も逢いたくてすぐにでもここに来ちゃいたかったんですけど、我慢してたんです。逢いたかったです、真希子さん。 じゃ、乗ってください。僕のアーサーに!」
お互いにインカムを着けてヘルメットを被った。後部座席にまたがり、彼の体をギュッと抱きしめた。彼も左手で私の腕を更に体に押し付けてきた、まるで、大丈夫、僕はここにいるよ! とでも言っているかのように。ローギアに入り、バイクは走り出す。4サイクルの重厚感ある低いエンジン音。気持ちがいい。 彼は天王洲に行くことにしたらしい。 私達はインカムで会話を始めた。
「なにか飲み物買っていきますか? コンビニによりますか?。」
「そうね、音楽も選びたいしね。」
コンビニを見つけてそこの駐車場に入り、二人でバイクを降り、ヘルメットをとった。
「私は烏龍茶がいい。 曲を選んで待ってるから買ってきてくれる?」
「分かりました。何か食べ物と思ったけど、それはまた後で考えましょうね。」
そう言って、樹はお店に向かったが、いきなり振り返りつくづくこっちを観ている。すると、ひきかえしてきた。
「真希子さんが僕のバイクの脇に立ってるって、ちょっと感動してます。僕の愛車と僕の好きな人。。。」そう言って、また抱きしめてきた。なにか言わないと終わりそうにないな。。。と思いながらも、私はそれを堪能していた。
「早く買ってきて。。。早く走りに行こうよ!」 樹は走った。
私は涼し気なエヴァレット・ハープを選んだ。幸い、私のお気に入りの音楽は彼の好みと一致してくれる。これはものすごく大切。音楽の好みが合わなければ一緒にいて苦痛になるから樹にも我慢するなと言ってある。
やはり大型バイクは快適だった。天王洲の運河を見る橋の上でバイクを降りて欄干に寄りかかり、お茶を飲んだ。この辺はお台場よりも洗練されている感じがする。よくドラマの撮影に使われているらしい。屋形船が通ったり、水辺から見える夕焼けは美しい。今は彼のほうが何気なく私を後ろから抱きしめている。 恋人とはこういうものだと、ようやく思い出せた気がする。 普段、学校ではこんな事はできない。すれ違いざまに、ほんの少しだけ微笑み合うだけ。 彼も十分に分かってくれている。ときに他の子の方が大胆に肩を抱いてくることもあるけど、樹は平常心を保ってくれる。若干、西川くんにはメラメラする気持ちがあるようだけど。。。
「実は今日ね、3年生の武藤くんと関くんが美術室まで訪ねてくれたのよ。武藤くんはしばらくシカゴに行っててね、それまで迷ってたことが吹っ切れて戻ってきた。サックスの腕はプロ並みだけど、迷った結果大学に進学するんだって。林先生もホッとしていると思う。シカゴのジャズメンが、大学に行きたくても行けなかったから、行けるなら行く方がいいって言ってくれたらしいの。 あとね武藤くんをお世話した人、偶然だけど私の知り合いだったのよ。世の中狭い。もう、びっくりしちゃった。」
「そうだったんだ。武藤先輩って、有名ですよね。プロか大学かの二択って、野球選手みたいだな。。。でも、決められてよかったですね。武藤先輩が卒業しちゃったら、林先生、一気に力が抜けちゃいそうだけど。。。 先輩をお世話した人って、真希子さんとはどんな知り合いなんですか?」 そう来ると思った。。。
「昔、私がニューヨークにいた頃、まるで家族のように扱ってくれた人。日本語ができるのよ。私もまさか武藤くんが彼のところに行ったなんて知らなかったから、ほんと、びっくりだった。」
「彼ってことは? 男の人なんですね? 美術関係の人?」
「違うの、音楽関係。だから林先生は、ジャズのことで知り合ったらしいの。偶然だけど、びっくりだったわ。林先生はまだ私の知り合いだったってこと知らないと思う。武藤くんもまだ言ってないみたいだった。笑っちゃいそうだわ。」
「面白そうですね。林先生は、すごく忙しそうだったから、話せてないのって、仕方がないかもしれない。でも、軽音部って、みんなすごく仲がいいですよね。書道部も結構仲はいいんですけど、個人でやることなので、軽音の人たちのようにはならないかも。でも、西田先生が楽しい人だし、ひょうひょうとしてるけど、面倒見は良いみたいです。」
「そうね、西田先生は面白い人よね。書道家っていう感じ。悟っちゃってるようなところもあるし。。。(笑) さて、夕飯何にしようか。。。 なにか食べて帰る?それとも材料買って家で作る?」
「材料買って帰りましょう。美味しい天ぷら屋さんがあるんですよ。だから、そこでてんぷら買って、そうめんか冷やしうどんはどうですか? あと、新しくチーズ屋さんができたらしいので、真希子さん好きなチーズ買いませんか?」
「賛成! ここは品川だし天ぷらは、きっと美味しいよね! チーズのお店ができたのね? 気の利いたソフトチーズあるかな。。。」
「じゃ、まずはチーズ屋に行きましょう。天ぷらは最後にして、揚げたてを早く持ち帰らないと。」
チーズ屋さんは思いの外、品数が充実していて嬉しくなった。ブリーとブルーブリーも選び、チェダーも2種類。ワインに合いそうなのを選んだ。商店街の天ぷら屋さんは、数人並んでいた。エビとイカ、かき揚げと野菜揚げ。。。樹がたくさん食べそうだ。タンクバッグに入れて、急いで帰路についた。 マンションの駐車場でバイクを降り、エレベーターに乗り込むと、樹は我慢できなくなったようで、正面から抱きついてきた。 部屋の玄関に入ると荷物を床において、そのままお互いを貪るように求めあった。キスをしながら服を脱ぎ捨てる。無駄に広いこの部屋、樹は私を抱えたままベッドルームに行った。食事もシャワーも後回し。私は十代の求め方をそのまま受け入れている。。。でも、人間、いくつになってもこの感情はあるはずなんだ。それを、くだらない知識が邪魔して暴走だと思うように偏見を持ってしまう。。。今、樹がそれを容赦なく正直な感情のままにぶち壊してくれている。それを若さだと言うなら否定できない。私がそれを利用しているだけかもしれないけど、彼の若さは私の正直さを刺激して引っ張り出してくれる。それの何が悪いの?? お互いの欲望が満たされるのだから。
てんぷらはオーブンに入れてパリッとなるように温め直した。お蕎麦を茹でて天ぷらそば風にして楽しんだ。美味しい。揚げたてならもっと美味しかったかも?? 私達は、食べるときは食べるものを十分に楽しむことにしている。このメリハリのある付き合いって、高校生の恋人同士にはないかもしれない。樹はわきまえている。いつまでも止めどなくダラダラとベタベタしない。それでもお互いが求めれば必ず応じられる。。。そんなところも、私がこの子に恋している部分なのだと思う。続けていける気がする。彼さえ気が変わらずにいられるなら。。。でも私は彼を束縛するつもりはない。彼の前途を私のために、どんな形であれ変えなければいけないなんて、あってはならない。
二学期のはじめというのは、いつも生徒に大きな変化を発見できる。6週間の休みを大いに活用してほとんどの十代の若者たちは前進する。体も大きくなるし、びっくりするほど大人びて帰ってくる子が多い。いきなり英語が上手になる子がいるが、夏休みに英語の楽曲が好きになると飛躍的に上手になる。何と言っても恋人ができた子がその変貌ぶりに驚かされる。 ひと夏の経験というのも含まれるが、恋して振られた子も同様に綺麗になる。恋愛が成就した子は更に完成形に近い美しさを手に入れる。高校生は男女ともにそこが面白い。樹は最たるものだ。私はそんな彼を心底愛したと言える。未完成の頂点にしてみたかったからというのはあるけど、私をここまで落とした男も彼が初めてなのだから。目の輝き、髪の一本一本からつま先、指先まで艶っぽく美しい。多くの人は『艶っぽく美しい』という言葉を女性だけへの賛美のように思い込んでいるかもしれない、でも、これは男女どちらにも当てはめることができる。もしも、樹が未完成の頂点として見るなら、私はとんでもなく素晴らしい作品に仕上げた気がする。
学園祭が最後になる3年生は、これが終わると本格的に受験体制にはいる。クラスを受け持った先生たちも忙しい。 私と西田先生は比較的時間が取れるので、学際の練習に余念がない。林先生はもう、一日30時間欲しいと言っていた。武藤くんの特待生枠は、どうやら確保できたようだし、関くんは入学当初からまんべんなく勉強ができる生徒なので、心配なさそうだ。他の軽音部の3年生も、内申書は良く書いてもらえるし、学際のことだけ考えていられそうなのは林先生も満足だと思う。
西川くんも、すでに大学からのオファーは来ているし、バスケットボールで進学枠が決定しているようだ。だから林先生から借りているベースギターを徹底的に使いこなし、自分で購入するか、その借りているものを売って欲しいというかだろう。彼を慕っている2年生の女の子は、ストーカー路線ギリギリだと言われているが、西川くんが優しく受け止めてあげているようだ。来年早々に卒業してしまう西川くんを、見守っていたいだけなのか? それともなにか進展が欲しいのか?? 西川くんも生殺しは勘弁してあげてほしいものだ。。。
「西川くん、元気? 学際のベースの練習、上手くいっているみたいね。関くんが褒めてた。」
「あー!真希子先生、話すの久しぶりですよね! おかげさまでベースの練習は楽しみながらやってます。とにかく林先生が教え方上手いんですよ。その後、関くんがしっかりとサポートしてくれているので、学祭用のベースはバッチリです! おまけに、70年代のプログレロックが、すごく気に入ってしまって、色々と集めてます。もちろん林先生の影響でジャズは本格的に聴いています。この前、あの武藤くんが声をかけてくれて、ジャズの良いところとか、何を聴いたほうが良いとか教えてくれました。彼も70年代のロックも聞くそうで、ホッとしてます。同じ学年だけど、こんなことがなければ一切話もしなかったと思うので、芸術家チャンプラーズの三先生方には感謝してます。武藤くんって、繊細で、あの迫力あるサックス吹けるのが驚きです。繊細だから、聴く方が感情移入できる感じですね。すごい奴が同じ学年だったんだと改めてショックを受けてますよ。」
『うわァ〜、そこまで進歩しているのね! 武藤くんは本当に天才だし、繊細。仲良くなれてよかった。西川くんからもきっと良い影響を受けてると思う。 ところで、いつも見守ってくれている2年生の彼女、話してあげてるの? もしも貴方が優しく応対してあげているだけだと、彼女、辛いかもよ?」
「あぁ、彼女。。。良い子なんですけど、毎日は流石に困るかな。。。 今度しっかりと恋愛感情は持てないと言うべきですかね。。。」
「うん、、、そうね。。。ただただ優しく接しているのは生殺しかもしれない。誰から見ても彼女は貴方が好きで、ただのファンでいるだけではなさそうだものね。。。2〜3人でやっているのならファンとか、推しなんだろうけど、一人で一生懸命だよね。。。まぁ、この学校自体、女の子が少なすぎるんだけど。。。彼女の場合、アニ研の飯塚さんが西川先生を追っかけているのとは全然違う感じだからな。。。飯塚さんもけっこう真剣なんだけど、あの西田先生だから、上手に扱っている感じで見ていて面白い。コミカルなのよね。。。(笑)」
「好きな人がいるからごめんね。。。って言うのって、傷つきますかね?」
「なるほどね、それも良いかもしれない。。。諦めてほしいということを伝えるわけか。」
「そう。俺は彼女には興味ないし、でも、それが本当のことなのだから彼女も受け入れなくちゃいけないのではないかと思って。一度でも観られていることが不快に感じ始めたら、到底優しくなんかできないし、傷つけるようなこと言ってしまいそうなんですよね。」
「たしかに彼女もやりすぎな感じに見えなくもないかもしれない。西川くんに話しかけるわけでもないしね。。。奥手な子なんだろうとは思うけど。手紙とかもらったことはないの?」
「手紙ですか? ないですよ。俺、名前も知らないし。。。よし、今度、きちんと言うことにします。 俺、真希子先生みたいな大人の女性にしか興味ないしな。。。先生のこと、本気でいいと思っているんですよね。。。」
「ははは・・・それはどうも!(笑) さてと、林先生のところに行くかな。」
私は思わず逃げるようにその場を離れることにすると、運良く西田先生が早足で横切ろうとして、ぶつかりそうになった。良かった。西川くんとはこれ以上2人だけでいられない。ふと見ると少し遠のいたところに2年生の女の子が立っていた。
「ヤーヤー、真希子先生。私のオルガン、聴いてみませんか? もう林先生からもOKが出ましたし、みんなと繋げようかと思って。もうね、夢にまででてきちゃいましたよ。 おや? 西川くんじゃない? 西川くんとも合わせないとね、『狂ったダイヤモンド』をね! ピンク・フロイド聴いてる?」
「あはは、、、聴いてますよ、ピンク・フロイド。もうバッチリです。」
「そう? じゃ、これから合わせるために林先生のところに行こう。」
「はい。 あ、あれ? 先に行っててもらえますか? ちょっと片付けたい問題があるので。。。じゃ、あとで。」
私と西田先生は西川くんが行く方を観ていた。。。彼は2年生の女の子のところに歩いていった。西田先生と目を合わせてしまった。何も言わず、音楽室へと向かうことにした。 あぁ、あの子は西川くんへの思いを断ち切らなければいけないんだ。。。 これもまた青春の一幕なんだ。 西川くんほどのイケメンを好きになる娘は多いから、彼女もある程度は覚悟していただろうと思う。でも、西川くんが今まで優しすぎたから、淡い期待をしてしまったと思う。
「彼の行った方向、2年生の女子がいましたね。。。あの子は常に西川くんを見ていたような感じでしたが。。。流石に西川くんも、不快になったのかな?」
「あれくらいの年齢の淡い恋心だろうとは思うのですが、成就しないと思うと、ちょっと気の毒な気がします。。。」
「こればかりはどうしようもないですな。。。西川くんは何も悪いことをしたわけじゃないけど、きっと罪悪感を覚えるでしょうな。。。いい子だしね、彼は。。。さ、音楽室に行っていましょう」
「そうですね。急ぎましょう!」
「真希子先生はコーラスに加わると聞きましたよ。あと、タンバリン?」
「(笑)タンバリンはどうかわかりませんが、他の女子生徒や女子事務員、そして保健室の先生もコーラスだそうです。」
「大掛かりになりましたね! 気分いいな、私。。。 ところで、館野樹、最近ものすごく良くなりましてね。10月から書道部部長は決まりです。人間的にすごく成長したんですよ。他校、または女子大生かもですが、彼女ができたのではないかと思っています。頭の良い子ですしね、今までのようなストイックで誰にでも塩対応な男ではなくなりました。時々、私のジョークにもついてこられるようになったのにはびっくりです。モデルの方もきちんとできましたか?」
「そうなんですか? それは素晴らしい。やはり、高校生の夏休みって大きな成長を促すものなんですね。彼には感謝してますよ。いつになるかわかりませんがデッサンを進歩させようと思いますが、本当に理想的な体型でした。きっとこの夏休みで成長してしまったと思うので、ギリギリセーフだったと思ってます。先生もご協力を、ありがとうございました。」
「高校生って確かに夏休みを過ごすと大きく成長しますね。心身ともにと言えます。彼は建築家の息子でしてね、お母さんは、書道家で私も学校以外で面識があります。兄弟は上と下に1人ずつ。3人兄弟なんですよ。何に関しても潔くて男兄弟しかいないとそんなものかな? 私には上下に女の姉妹しかいないので。。。」
「私は年の離れた兄がいますが、イギリス人と結婚してイギリス在住で大学で物理教えてます。。。ほとんど連絡してきません。ま、生きていることだけは知ってますけどね。」
「国際的ですね。素晴らしい。 真希子先生は、教師にも向いてますけど、非常勤だけでやっていくのですか?」
「今のところ、きちんと就職しないつもりです。描けなくなっちゃうんですよね。。。ま、展覧会に出すのも毎年じゃないですけどね。。。」 早歩きで進むうちに音楽室に着いた。林先生は音合わせなど部員と話しながら楽器の調整などをしている。関くんと武藤くんが気がついてくれた。思わず手を振って笑いかけてしまう。 ギター担当の市村くんが駆け寄ってきてくれた。
「西田先生、ギターとで合わせてみましょうか? 真希子先生は今日はコーラスの人たち来てないので、ゆっくりしててください。」
「おー、私のオルガン、どれ使うの?」
「西田先生、、、キーボードって言ってくださいよ(笑)。。。ま、パイプオルガンみたいな音出すんですけどね。。。 林先生は忙しいので適当に一人で練習してもらって最終日だけ合わせますから、心配しないでやっていきましょう。ドラムの大矢も準備OKですから。 あれ?西川くん一緒じゃないですか? ベース、重要なんですよね。。。来なければ臨時で関くんに合わせてもらえるようにたのみます。彼はピンク・フロイド全曲できますから。」
「あ、西川くんはもうすぐ来ると思う。ちょっと大事な話し合いしてるからね。来るまで関くんにお願いしてみようかな? 関くーん、ちょっと付き合ってくれないか?」 すると関くんと一緒に武藤くんも来てくれた。
「俺、林先生のパート、できますから臨時でやりますよ。」
「え? ほんと?? いやー、武藤くんとやりたかったんだよ! 林先生とはいつでもできるしな。 なんか、感激してしまうぞ。武藤くんと関くんが合わせてくれるんだ! じゃ、善は急げで、行きましょう!!」 早速、臨時のバンドがギターの市村くんがコンダクトを取って、オルガンのパートから始まった。 林先生はかなり熱心に練習したのがうかがえる。
『狂ったダイヤモンド』は、思いの外素晴らしい出来でセッションが始まった。ギターの市村くんはこの夏英語の発音を頑張ったらしい。西田先生は練習の成果がバッチリだ。はやり武藤くんのサックスが入ると完全にプロの演奏に聞こえてしまうからすごいことだ。 演奏が終わると、林先生も満足そうに喜んでいる。
「いや、もう完璧だね。じゃ、このまま続けてTSOP(The Sound of Philadelphia)行くよ〜!」
という林先生の合図で、いきなり昔のソウルトレインのテーマ曲、TSOPが部員全員で始まった。これはビッグバンドの曲なので、人数からして聴き応えがある。私と西田先生は聴き入ってしまった。 そこに西川くんが入ってきた。なんと話し合いをしてた2年女子も連れてきたのには西田先生と一緒に驚いてしまった。彼は私と西田先生に、遅くなったことを謝罪してそのまま林先生のところに彼女も連れて行った。林先生はなにか楽しげに話している。そして、彼女は武藤くんのサックスのパートをすぐとなりで目の当たりに聴くことになる。どうやら軽音部見学と入部希望をするようだ。 私と西田先生は、このTSOPで思わず踊りだしてしまった。TSOPは、軽音部の十八番なのだと初めて知った。全国大会も自由演奏でこれを演奏して準優勝を取ってきてしまったということらしい。気難しいジャッジを踊らせたという評判だった。 これは楽しい学際になること、間違いなしだと思った。やはり、引っ張って行っているのは関くんだ。彼がすべての部員の統制を取っているのがわかる。そこに天才がサックスを軽快にぶち込んでくるわけなのだ。
演奏が終わると西川くんが来た。西田先生と私は、どうしたのか聞いてみた。2年生の女の子は秋山結さんという子で、やはり西川くんのことを追いかけていたと自分で正直に言ったらしい。バスケット部の頃から見に行っていたが、軽音部で西川くんがベースを初めて、少しずつ軽音部の演奏を聴くようになり、西川くんだけじゃなくて部活に興味が湧いたということだった。彼女は中学校までバイオリンを習っていたということで、クラシックじゃないものを弾いてみたかったというので、連れてきたという。西川くんがきっかけとなったというもの。そして彼は、秋山さんに付き合えない理由は好きな人がいるからだと言ったのだった。でも、どうやら大きく傷つけずには済んだと西川くんは言う。まぁ、今後はコソコソせずに割り切った気持ちで西川くんを眺めていられるのだろう。林先生は歓迎すると言ってくれたらしい。学際にはでられないけど、手伝うと約束した。関くんが色々と説明をしているようだ。西川くんもホッとしているだろう。
帰りに林&西田とビールを飲もうということになって居酒屋に行くことになった。私だけノンアルである。。。
「俺、ビールものすごく久しぶりなんですよ。。。3年の部員たちを最高な気分で学際を楽しんでほしくて。あいつらがいてくれたので、俺は本物の高校教師になれた気がしてますよ。」
「まぁ、私は傍観してただけですけど、林先生は全力投球してましたね。もちろん天才がいたことも大きかったですけど、彼だって、林先生がいなければ、ここまで来れませんでしたよ。誇っていいです! いやはや、ところで、西川くんの修羅場は回避したようですよね、真希子先生。」
「西川くんは人を傷つけないように上手に立ち回れる子なので、冷たいことは言わなかったのではないでしょうか? でもあの子を連れてくるとはびっくりしました。」
「なになに??西川、何かしでかしたんですか? モテ男だから、毎日色々とありそうだけど、修羅場って??」
「あの秋山さんという2年生の女の子、西川くんが好きで、まるでストーカーのようにしていたんですよ。西川くんは慣れているのか、気にしないようにしてたみたいですけど、流石に嫌がるようになっちゃって、今日、私達と話しているときに彼女を見つけて、音楽室に行くまでに話すと決めて、彼女のところに直接向かったんです。私はいつもなら、ドライなので、これも青春だ!なんて思うようにするのですけど、何度も彼女が西川くんのことを観ているのを知ってたから、大人しそうな子だし、ちょっと気の毒に感じたんです。でも、西川くんは流石だわ。まさか連れて音楽室に来るとは思わなかった。今後もわだかまりなく過ごしてくれるような気がしますけどね。」
「私も西川くんもベースに合わせてオルガンを弾くようになって、彼の気遣いの暖かさを身をもって感じてました。関くんのそれとすごく似ているんですけど、なんて言うか、関くんまで行かないのは、男バスで花形選手だったこともあるでしょうね。関くんは常に脇役に徹していたし、人を前に出せる男みたいですね。武藤くんが天才であることに一番に気付いていたのは関くんで林先生に育ててもらおうと思ったのは彼ではないかと思うんですよ。西川くんも、そういう所ありそうですよね。関くんが教育学に進んで先生になりたいってところ、私は買ってますよ。ピッタリの職業だと。 そう思うと西川くんも教師に向いているな。」
「俺が忙しくてボロボロになっている間に、色々あったんですね。。。さっきの秋山さん、バイオリンやってたらしくて、ジャズにも使えるんだと言ってあげたら目が輝きましたね。西川くんも気を持たせるような言い方は一切なくて、後輩を紹介しに部室に連れてきた感を全面に出してましたよ。オーケストラに入れられるんで、即、入部です。(笑) ところで真希子先生、シカゴにいる友人、武藤のガーディアンやってくれたのは、キース・テイラーだったんです。いや、全然知りませんでしたよ、あなた達が知り合いだって言うこと。武藤が渡米してから数日後に、キースと真希子さんの話になって、もしかするとうちの学校の講師かもしれないって。。。驚きでした。」
「私もびっくりでした。でも確かに武藤くんを受け入れるには適役だったと思います。グイグイ引っ張ったみたいですね。やっぱりアメリカ人だなって思いました。」
「あのぉ、、、私は蚊帳の外ってことで飲んじゃってていいのでしょうか?」
「いいえ、西田先生にも知っておいてもらいます。 本当に偶然なんですけどね、林先生の友人で武藤くんを受け入れてくれたアメリカ人って、私の元彼なんです。まさか、林先生と親しくなっていたなんて、全く知りませんでした。彼とは数年付き合いましたが、家族愛以上のものではないとお互いに理解して、仲良く別れたんです。(笑)そういうことってできるんですね。要するに家族であって恋人ではなかったということです。」
2人の先生は、驚きを隠せない様子だったけど、そこはやはり大人、すぐに飲み込んでくれたようだ。最初から話しやすい2人だが、こういうプライベートな話ができるって、仕事をやりやすくするかもしれない。
「俺もバツイチですが、元妻とは嫌いになって別れたわけではないんです。時々思うのですけど、泥仕合して分かれるほうが、その後の立ち直りが早いかもしれないなってね。 家族愛だと気づいてしまうということ、お互いが芸術に関わっていると、ふと何か間違って思えたのは、俺でも理解できますよ。キースも同じように言ってましたよ。」
「すごいな、まるでドラマのようだ。真希子先生が林くんの彼女になってなくて、良かったような気がするけど。。。」
「なんだよ、、、もしかするとこれからなるかもしれないじゃないか。。。ねぇ、真希子先生! さっきの軽音部の演奏観て、惚れちゃったんじゃないかと心配してましたよ(笑)」
「それを言うなら私のオルガン技術じゃないかと。。。」
「あははは・・・お二人共尊敬できる素晴らしい先生だと再認識しましたよ! 私の恋愛は、もう少し違う次元で発生すると思います。林先生とキースって、似てるんですよ。だから家族愛にしかなりませんね。(笑)」
「なるほど、それもそうですね。。。」
「あ、真希子先生、私に白羽の矢が当たったとしてもですね、現在、アニ研の飯塚さんが私に懸想してますので、刺激にならないようにしてあげてください。デリケートな生徒ですので、優しく見守りたいと考えています。」
「おいおい、彼女はまだ18歳になってないぞ、くれぐれも淫行罪にはならないようにお願いしますよ。。。最近の女子は非常に大胆な行動をすることもありますのでね。。。(苦笑)」
「いや、たしかに大胆な生徒が多くなりました。。。でもね、明治・大正の時代は15歳以上は大人として扱われてましたからね。男性は戦地へと準備が始まり、花街の女性なら、すでに花魁の地位も夢ではなかった。この夏を過ぎてからの生徒たちを見ると、みんな大人びて見えましたよ。色々な経験が、高校生を大人にしていきますが、この夏はわが校の多くの生徒たち、一歩前進の夏だったのではないかと思えました。真希子先生、あの館野樹など、その飛躍は特筆できます。私は貴女が彼をナビゲートしてくださったのではないかと思ってますよ。あのデッサンのモデルは彼を大きく成長させたような気がします。」 ドキッとした。。。上手に隠さないと。。。
「館野くんは、素晴らしい子です。私が求めていたモデル体型にドンピシャでした。夏を超えて成長してしまって、きっともう枠をはみ出してしまったと思うのですけどね。私の求めた未完成の美をあそこまで完璧に持ってた子に出会えて、幸運でした。色々なことを話せましたしね。」
「俺、思うのですけど、こんなむさ苦しい元男子校に、非常勤とは言え真希子先生が来てくれたので、ものすごく変わりましたよ。まぁ、我が軽音部は、すでにかなり洗練されていたし、前進あるのみだったのですけど、数少ない女子が真希子先生の影響を受け、多くの男子生徒が真希子先生に憧れ、恋をして・・・あ、西田先生に言わせると『懸想』というやつです。貴女がいてくださっただけで、今までにない生徒たちのリアクションでした。 このまま継続で就職できないですか? 。」
「それは無理だと思います。あくまでも非常勤。。。現職の先生が復帰なさるわけです。もう病状もかなり回復して、いつでも戻れるようですが、私の契約を考えてくださっているようです。私もできれば卒業式までいたかったんですけど。。。
2学期は学際とか、多くの催しがあって一番楽しいところは全部経験させてもらえるので、幸運だと思ってます。生徒たちともすごく仲良くなれましたしね。 彼らがお酒飲める年令になってくれるのが楽しみです。(笑) ところで、話を元に戻すようで恐縮なのですけど、林先生は、結婚されてたのに、家族愛になって、どんな不都合があったのですか?嫌いで別れたわけじゃないとおっしゃってましたけど。。。 私の観点では結婚って、ある意味家族愛に近づくようにも思うのですよね。。。もちろん恋愛感情を、そのまま継続できることが一番好ましいとは思いますけど。。。せっかく理解し合って、一緒に生活できていたのに。。。」
「うーん、、、今でも月に2回位逢ってます。と言っても俺が勝手に会いに行くのですけどね。元奥さんは高校からの彼女でしてね。20年もぞっこんなんですよ。 今現在彼女は、筋ジストロフィーっていう病気を患ってましてね。治らないんです。おまけに、どんどん進行して行って、最終的に動けなくなり死に至ります。いわゆる残酷な『スローデス』というやつ、数ヶ月前からやけに進行が早くてね。。。」 私は驚いてしまった。。。西田先生はすでに知っている様子で、お酒のおちょこをジーッと見つめていた。
「それは、。。。ごめんなさい、触れられたくないことでしたよね。。。すみません。」
「いやいや、そんなことはないですよ。筋ジストロフィーって遺伝性の病気でしてね。彼女は俺との子どもが欲しかったんですよ。実は2回も流れてしまったので、彼女は焦っていた感じでしたが、2人目が流れたその頃から若干鬱な性格になって行っていました。そこにダメ押しの筋ジストロフィーという診断。子どもに遺伝することは知りませんでしたが、流れてよかったというのが妻の意見でした。でも俺は納得行かなかった。その後、彼女から離婚届を押し付けられたのでした。すでに届けに記入するのも若干やりにくそうなほど、手に症状が出ていましたね。。。今では、見舞いに行っても俺を見るための瞼が上手く持ち上がらないんです。無理に持ち上げないと目が開かないと言ったほうがわかりやすいでしょうか。。。話も上手くできない。そんな姿を俺に見せたくないと言い出したのが半年前くらいだったかな。。。会いに行かないほうがいいのかな?と複雑な気持ちでした。」
やるせない気持ちになった。恋焦がれて結婚までした人を今後弱っていくのを確認しながら、いずれ失わなければいけないって、どんな気持ちだろう。。。諦めきった彼女は自分を無にしたいと考える、林先生の違う幸せを願い、死別になる前に離婚してほしいと言ってくる。
「この学校の軽音部には感謝しているんですよ。こういう憂さを忘れさせてくれたんです。まさかの全国準優勝とか、彼女も心から喜んでくれましたね。俺が生徒たちに全身全霊をかけていることがよく見えたみたいでね。生徒たちには教えてないんですけどね、武藤と関は、なにかあると思ってそうですけどね。教えたからと言ってアイツらが大学に無条件で受かるわけじゃないしね。 この西田先生とは話も合い、飲み友達にもなれて、生活に活力ができました。そして今、真希子先生が来て、なんか、この3人でいい仲間になっている気がしているんですよ。(笑)」
「私も音楽の先生と、ここまで気が合うとは思ってもいませんでしたが、古文や書道のことばかりの私に、とんでもない刺激を与えてくれましてね。共通なところは生徒を良い大人に育てたいというところだけかな? あ、そうだ、そう言えば先日、アニ研の飯塚さんが例の『サムライチャンプルー』というアニメのDVDを貸してくれましてね、7枚もあって長いんですけど、1枚目だけ観てみたんですよ。いやはや、あの子たちが私たち3人を、あのアニメのキャラに当てはめるところがよく分かりました。確かに重なる感じします、はい。(笑)」
「そうですか、私もストリーミングして観てみますね。キャラ掴んでおかないと、紅一点だというのに、コスプレしただけじゃダメですよね(笑)」
「俺もこの前興味本位でYouTube観ましたよ。なんか、似てたな。。。俺のキャラは無法者なんですけどね、心優しい無法者。そして、びっくりな発見がありましたよ。普通、アニメの音楽って、ただただハイテンポで元気がいいだけで面白さがないものやダサいものが多いじゃないですか。金のあるスタジオで作ったアニメは別ですけどね、ところがこのサムライチャンプルーって音楽がヒップホップなんですよ。ジャズつながりで、非常に面白い。」
「そうそう!私もそう思った。これは林くんは嫌がらないだろうなってね。 私は剣客でしてね。。。飯塚さんが私に惚れるはずだなと。。。いやいや、危ない。一線を越えてしまうことないようにしなければ。。。(笑)」
上手に話が明るい方向になり、酒と食事も楽しくとり、良い仲間として3人で協力し合うことを改めて約束した。私だけがノンアルだということもあり、早々に解散になった。彼らはタクシーで帰宅すると言うので、手を振って見送った。バイクのあるところまで歩きながら、林先生の話が蘇った。。。 高校から育んだ愛は本物だったのだ。それなのに悲痛な別離に一歩一歩近づいているって、なんと残酷なことか。。。 私は思わず携帯電話を手に取った。
「樹? 今から時間ある? 私、これから帰るところなんだけど、来られる? うん、じゃ、駐車場の入口でね。」
今はもう、とにかく彼に抱きしめて欲しいと切望した。コンビニに寄ることもなく、まっすぐに歩道橋の下に向かった。私らしくない・・・涙が出てしまっている。誰からも観られていないという確信はあったのに、バイクを出すと同時に西川くんが現れた。私は少したじろいでしまった。
「真希子先生・・・すごく急いでいるみたいだけど、どうかしましたか?」
「西川くん。 いや、なんでもないの。。。ちょっとある話に感動しちゃってね。。。思わず涙が出ちゃったのよ。。。泣き顔見せてしまったね。。。恥ずかしい。西川くんは、今帰りなの?」
「男バスの方に呼ばれちゃって、もう引退したんですけど、少し手伝ってきました。 真希子先生が泣いてるって、びっくりですよ。。。でも、悲しくてじゃないんですね。なら良かった。」
「うん。。。心配してくれて、ありがとう。じゃ、またね。」 私はバイクにエンジンを掛け、逃げるように走らせた。西川くんはじっと立ったままこちらを見ていた。。。ヘルメットのシールドを上げたままにした。風が気持ちよかった。
樹はそうとう飛ばしたのだろう。。。すでに駐車場入口で待っていた。その姿はなんとも言えない安堵感を与えてくれた。
バイクを停めて、荷物をとり、樹の手を取ってエレベーターへと走った。エレベーターはすぐに開き、中に入り二人でヘルメットを脱いだ。私を抱き寄せた彼は、私の泣き顔を見て驚いている。私自身も、ここまで感情的になったことに驚いている。
「どうしたんですか? 何があったの??」
「ある人の話を聞いてね、なんだかすごく感傷的になってしまったの。。。私らしくないわね。。。」
樹はしっかりと抱きしめてくれた。 あぁ、これが欲しかったんだ。。。 そのまま部屋の階に着き、部屋に急いだ。ドアを閉めると同時に荷物やヘルメットを放り出し、歩きながら服を脱ぎ捨てた。樹も同じようにしていた。今日は私のほうが積極的に貪った。彼は完全に受け入れてくれた。私の涙は止まっていたけど、放心状態になっていた。 無償の愛と無慈悲な現実を語られて、それを想像し、異常なほど感情的になってしまった。 樹は優しく髪を指で梳いてくれながら、とろけるような目で見つめてくれる。今度はいつものように彼が熱いキスをして積極的に私の体を愛撫し始めた。私の乳房を優しく触る彼の長くてゴツゴツした細い指の1本1本が愛おしく、私を快感へと誘ってくれる。彼の唇と舌が全身をなぞってくれた。
「入ってもいい?」
「うん、来て。」私はそう言って、ベッド脇の引き出しを指さした。樹はすぐに察して、中からコンドームを取り出し装着した。 ずいぶん早く、上手につけられるようになった。そして、最初に教えたとおりに優しく、そうっと差し入れてきた。どれだけ興奮していても自分勝手に乱暴にしない。大きくなった彼自身は、すごく熱い。そして徐々に激しくなっていった。
「あぁ、真希子さん!」 そう声を漏らすとほぼ同時にお互いが心地よい痙攣を感じた。その時の彼の顔は絶頂を迎えて悦に入った喜びの顔をする。私はそれを見るのが大好きだ。口に出すことはないが、この喜びの顔をしてくれると言うだけで私を満たしてくれる。よく男は絶頂時に苦しそうな表情をすることが多い。私の昔の恋人たちも、眉間に皺を寄せて苦しそうな顔をした。多分それを観て心奪われる女も多いのだと思う。私は違うのよ。。。樹と私はお互いに脱力したが、樹は枕に頭を乗せながら私を見つめていた。怒哀の2つに似た感情を出すこと自体がめったにないのに、今日の私を観て、少し驚いたのだろう。 そうだ、今日は樹に私の過去を話そう。すべて知った上でそのまま愛してくれるかどうか。感受性の強い年齢であり、純粋な彼、幻滅されても仕方がない。今、彼に離れてほしくないけど、それでも好きだと言ってくれなくては嫌だ。。。
男の友情
「西田先生、よかったらもう一軒行かない? お互い独身男子、まだまだ飲めるし、語り合えるでしょ? それともお母様が許してくれませんか?(爆笑)」
「いいですよ!もう一軒いきましょう。そう言えば最近、行ってませんでしたね。オフレコ談義といきましょう。(笑)」 この2人は、シシャモと枝豆各一皿だけで、一升瓶が空いてしまうほど飲める。
「軽音部の学際用の準備は整ったので、やっと飲めるんですよ。西田さんには随分と待っていただきましたね。書道部、準備OKですか? たこ焼きでしたっけ? 西田さんにこっちに来てもらうので、書道部には申し訳ないですよ。」
「いや、部長と副部長が優秀ですから、全て任せられます。 最近、あの塩対応副部長が、柔らかくなりましてね。書も非常にいいものを書けるようになってて、なにか良い夏だったかなと。。。」
「あー、あの真希子さんのお気に入りボディの館野くんね。真面目そうな子ですよね。西川くんほど華やかではないけど、いい男ですよね。 恋でもしましたかね? 軽音部の方も、飛躍が激しかったのが数人いましてね。特に、あの武藤が、アメリカでさらに良くなって帰って来ました。本場に行っても引け目を感じる事なく、自信をさらに大きく持って帰れたのは、俺も嬉しくて。 彼を預けたアメリカ人、向こうでは音楽プロデューサーをしてましてね、ついでに不動産屋なのですけど、最近は不動産屋の方ばかりだから地元にいるし暇だからと受け入れてくれたんです。彼とは旧知の仲というほどでもなかったんですけど、すごく気が合いましてね。ジャズに関しては沢山勉強させてもらいました。ついでに同じバツイチでして。。。(笑)彼が俺と知り合う直前まで付き合ってた女性は日本人だったんです。これもまた泥試合で別れたわけじゃなくて、カレカノの状態ではなく兄妹のような家族愛になっているのに気づいたから別れたと言ってました。 それがね、加納真希子さんなんですよ。。。」
西田は若干目を見開き、驚いている様子だ。
「俺、彼女が非常勤で配属されたとき、耳疑いましたよ。同姓同名だし、アメリカ帰りだし、ジャズ好き。。。間違いないとは思ったけど、彼女には何も触れてません。ここまで3人で気が合うようになると思ってなかったんでね。。。」
「うわ! 世の中狭いのって、ここまで来るともう、隣人感覚ですな。。。まぁ、我が家の隣人の方がよく知らないが。。。今後は何でも話せる3人組になれるんじゃないかな。。。PTAや教育委員会のお偉方とぶつかること、多いですしね。。。私は常に愚痴聞き役かな?(笑)」
「そうですね。友人としての女性の感覚は、良い意見を貰えそうだと思っているんですよ。彼女、けっこうドライでさっぱりしてるでしょ? 生徒にも良い刺激になってくれて助かってますよ。 正規に就職する気ないのかな? 自由じゃなくなると考えそうかな?」
「正規に就職はなさそうに思いますね。。。自由な翼をもぎ取る感じじゃないですか? 教師のバイトがちょうどいいと言ってたのを覚えてますよ。海外にもちょこちょこ行っているようですしね。」
「私はね、ちょっとだけ気になることがありましてね。。。彼女のモデルした2人、ほんの短期間ですごく変わりませんか? 書道部の館野くんは、、、あれ、完全に懸想してるように思うんですよ。男バスの西川くんと違って地味なんですけどね、しっかりしている子でしてね。叶わぬ想いになってしまうかなと心配してます。」
「いや、それを言ったら西川も同じかもしれないですよ。あいつは派手ですし、ジョークのように気があることを本人を前に堂々と言ってますけど、けっこう本音じゃないかと。。。 ああ見えて、真面目でしてね、女遊びなんてしていないらしいんです。 これでもか!と言うほどモテますけどね。(笑)」
「真希子先生の出方次第ですが、ま、経験も豊富な大人の女性ですからね、私達が心配することはなさそうですな。。。私など、アニ研の飯塚しおりに大胆なことされたら、淫行疑惑向けられそうですよ。。。実は彼女、けっこう私の好みなんです。。。(笑)」
「え? 西田先生、勘弁してくださいよ〜! でも、たしかに彼女は西田先生が『推し』みたいですよね。(笑) こっちでは西川くんが、ぐうの音も言えないほど爽やかだけどガッツリ振りたおした秋山さんが軽音入ったから、ちょっと不安です。。。でもまぁ、軽音の部活に連れてきた途端に、偶然、武藤のサックスを真隣で目の当たりに聴いちゃって、一気に西川のことなどどうでも良くなっちゃったみたいな顔してましたけどね。。。女は恐ろしいな。。。(笑) 武藤は女に全然興味なさそうなんでね。親友である関くんとつるんでバンドやってるしか脳がないようですからね。。。でも、アメリカから帰って、ものすごく成長したんですよ。向こうの友人がたくさん話してくれたようでね。他の軽音の部員たちも、それぞれ何らかの成長が見えるんです。夏って、若者を成長させるのは体つきだけかと思ったのですけど、今回、多くの子達を観て、精神面での成長が著しいと感じましたね。」
「ひと夏の経験を積んだ若者が多かったということでしょうか? 林先生のご経験は、夏でしたか?(ニヤ)」
「俺? 俺はですね、秋でしたよ。。。お互いが身体的にやけに大人びてしまって。。。1学期から目をつけていた女子だったので、その女性らしい体の変化を観たとき、ドキッとしましたね。もう、コイツしかいない! なんて心で叫んだのを思い出せますよ。で、彼女も俺を見るなりにちょっとハニカンじゃったりして。。。あぁ言うのは、電撃的に通じ合うものなんですな。。。」
「ほぉー! 私には経験がない部分ですな。。。 私は積極的な女子から強烈なモーションをかけられて。。。学年が2つも上だともう、完璧に子供扱いされましたが、彼女の指導力の高さ! 他校女子でしたが、それはそれは手取り足取り。。。衝撃的な6月の筆おろし。。。その後の夏休みは 私を猿に変身させて、彼女とは官能的なひと夏を過ごしてしまいました。」
「え? そこまですごかったんですか? 猿って。。。なんかこう、西田先生の裏面を垣間見た気がしますが。。。」
「すごかったですね。。。続く9月の第3週に 猿は解雇されましたが。。。どうやら、他に強そうなゴリラが彼女を奪い去ったようでした。。。 まぁ、その後、私は長身で草食系の外見とストイックさが女子に受けて、何人か、お付き合いでき、最初のやり手な彼女の指導が良かったせいで、求められる一方になりました。しかし、林さんほどの情熱を表現できず、彼女ごとに別離は訪れてしまったわけです、私は『来る者拒まず、去る者追わず』だったんです。。。。今は、募集中です。だれか紹介いただけるのは歓迎します。」
「西田さん、それはまたすごいことだったんですね。。。(笑) 俺はジャズ系の音楽に関わる場所に出入りしてたせいか、大人の女性に可愛がられましてね。。。商売人のお姉さんたちには、無料でお世話になりましたが、アイツが彼女になってくれてからは基本一途でした。。。」
「ほう、、、純愛っていうやつですね。人間という、感情を主体として生きる動物にとって、最も崇高な感情ではないでしょうか? 林さん私よりも年上なのに、純粋さは高校生並みなんだ。。。影響して欲しいような、して欲しくないような。。。」
「影響してさしあげましょう! 人生、一度は真剣な恋をしないといけません。」
「いや、純粋な影響はわが校の生徒たちからかなり影響を受けてますからね。ときどき感動しますよ。ところで、元妻さん、かなり進行してしまったのですか?」
「うん、、、さっきも話したように瞼が持ち上がらなくなりそうです。つい2週間前まで電動車椅子をガンガン駆使して散歩に行っていたのですけどね。。。ちょっと微熱が出たら、あっという間に進んでしまって。。。学際に来てほしいのですけどね。。。話していることが分かる人は、俺と彼女の両親だけだし、来たくないといい出しましたよ。。。口や舌の筋肉も上手く動かなくなっているので、何を話しているかわかりにくいんです。ほんのちょっと前までは武藤と関が一緒の部活最後の演奏だから見に来るってと張り切っていたんですけどね。。。」
「なにかお連れできるように協力できることはありませんか? なんとしても観ていただきましょうよ!」
「そうですね、それくらい俺の方からわがままを言っても良いですよね。。。」
「いいはずです。 今おっしゃったように直接言ってみましょう。彼女だって観たいに決まってますからね。 私のオルガンも聴いていただき、カスタネットから進歩したところも確認していただかないと。。。」
「ははは! 伝えておきますよ。それが観たいというきっかけになって、来るかもしれないし。。。(笑)」
「アニ研の部員の話だと、私達は、あのコスプレのまま演奏らしいですしね。。。私、剣客役! 貴方は無骨なヤンキー風無法者役ですぞ!(爆笑) それに、映画映像研究会がしっかりと撮影してくれるそうです。みんな武藤くんの姿を記録したいのだろうけど、我々の『狂ったダイヤモンド』の撮影が楽しみらしいですよ。だから私もオルガンの練習を予定以上に頑張ったんですよ!(笑)」
「あぁ、、、オルガン。。。(苦笑)パイプオルガンを用意できなくて申し訳ないです。。。シンセサイザーならあるんですけど、、、無理でしょ? 西田さん(笑)」
「う、うん・・・シンセサイザーを使える書道家、というのも、受けが良いかもしれませんな(笑) 検討しておきます。もうカスタネットに戻りたくないですからね。(爆笑) ま、今はとにかく学際を成功させましょう。 その後は3年の受験も控えてますしね、真希子先生を引き止める事ができるかどうか。。。引き止められなくても連絡を取り合いましょうね。」
気の合う2人は、やっと帰路につくことにした。
集大成と祭典
林賢三が顧問を務める軽音楽部は、全国のコンクールなどで好成績を上げていることもあり、地元でも有名で、色々と援助してくれるお店や企業もあるので、色々な面で協力や資金ぐりには困っていない。学園祭のときは体育館を兼ねた講堂は、運動部に使ってもらうことにして、校庭の一角を利用してマーキー(巨大テント)を使って、屋外で演奏をすることにした。近隣の住宅には事情を説明しているので、理解を得ている。出し物で集金しなくてはいけない他のクラブとは違うので、大きな看板に『部員募集』と『支援金受付ます!』と書いて受付を作り舞台の端にボックス席のようなものを作って募金箱を置いただけだった。暇な先生でも座らせておけ!というのが林先生の計画であった。 マーキーは、その道のプロが林先生の親しい友人ということもあり、格安でステージを作ってくれた。金曜日の午後はすべて学際準備に回したが、夜まで残ってた生徒も多かった。当日は10時からの開門を控え、早朝6時には各部が集まっていた。高校生でこの時間に学校に来られるのは、普段は運動部のみと言える。アニ研などは、苦手な時間帯だろう。。。でも、アニ研は張り切ってた。映像映画部とのコラボワークといい、お団子屋さんも完璧のようだ。 書道部はたこ焼き屋さんのようで、材料は各自家で準備して持ち込んでいた。材料費は部費だけではなく、西田先生が自腹を切った物があるという。どうやらタコは豊富になるようにと彼が出費したようだ。豊洲に舘野樹が先生を連れて行った。。。西田先生のたっての希望なので、仕方なくバイクで! そのとき、西田由紀夫が後部座席で被ったヘルメットは避難用ヘルメットだった。
「西田先生、僕はこんなに恥ずかしい運転は初めてです。」
「何だね、館野くん、避難用ヘルメットのどこがいけないんだ。大体、君が予備がないと言うから、ならば真希子先生に借りてくると言ったのに、無理やり止めるからだろう? 彼女が毎日持ってきてるのを私は知っているのだ。彼女は数時間貸せぬような吝嗇坊ではないぞ。」
「西田先生、真希子先生のヘルメットはフルフェイスです。フルフェイスのヘルメットとは個人用、人には貸しませんよ。もう使わなくなったものじゃない限り。」
「なぜだね? ちょっとくらいいいじゃないか。 まぁ、確かに吐息がかかった部分を自分の口元に近づけてしまうけどな。。。知れた仲だし、構わないと思うのだが。。。」
「ダメです。絶対に駄目なんです。 僕のバイクだって、後ろに乗っていい人は決まった人だけです。先生がワガママ言うから、しかたなく出すんですからね。なんで僕のバイクなんですか? それより、なんでバイクのこと知っているんですか??」
「館野くん、私が知っている人たちの中で君しか大型自動二輪車を運転できないし、私だって、16歳の頃から憧れてたんだ。。。ちょっとくらい夢を叶えてくれてもいいじゃないか。。。この前、お母様に書道会館でお目にかかってね。。。君が大型免許取って、お祖父様にバイク買ってもらったことを自慢されてたんだ。」
「はいはい、出処は母さんですか。。。おしゃべりなんだな。。。誰にも言わないでくださいね。祖父からも、他の生徒に悪影響になる恐れもあるから、学校へは乗っていくな!友達に言うな!と言われているんです。もう誰も乗せないので。。。特定な人以外は。。。」
「あ、そうか、そうだったのか。恋人限定座席ってことなんだな。豊洲からのタコも後ろに縛り付けたけど、良かったかな。。。、悪く思わんでくれたまえね。書道部のためだからね。で、特定の人って、成就したと理解したぞ?」
「ご想像の任せしますよ。西田先生は、口も硬そうだし、いつか話せたらいいなと思ってますから。今はまだ教えません。」
「必要ならいつでも、どんなことでも聞いてくれて構わないからね。女は謎が多いしな。。。」
「以前お話した女性です。 僕はそんなに惚れっぽくないんです。」
「うん、分かってる。君はストイックだしね。よほど衝撃的な出会いだったんだとは思っていたけど、話してこないし、気になっていたんだが、上手く行ってて良かったよ。今度、じっくり聞かせてくれ、君の恋バナを!(笑)」
アニ研と映像研は同じ部屋に集まって、お団子屋の準備をしながらコスチュームの着付けなどに忙しかった。芸術家サムライチャンプルーズの着付けは早めに行われた。林と真希子はすんなり仕上がったが、西田先生が出てこない。。。見に行ってみると、なぜか西田先生とアニ研の飯塚さんが見つめ合っていた。。。細身だが185センチという長身の西田先生に対する高2女子、飯塚しおりは身長が鯖読んでも153センチ。。。林先生曰く『チッチとサリー』だそうだ。。。なるほど。
「おい、西田先生。。。君は書道の関係で着物は自分で完璧に着こなせていたんじゃなかったっけ? 飯塚さん、適当でも平気だよ、コイツ自分で着られるんだから。」
「あ、はい、手際が悪くてすみません。。。でも、あまりにもサムライチャンプルーのジンさん、そのものなので。。。見とれてしまって。。。」
「うん、林先生、私は今日は剣客なのだよ。髪もエクステとか言うやつで長くして結んでもらったんだ。飯塚さんに。」
「あぁ、そうでしたね。あの剣客。。。落ち武者風にサカヤキにするんじゃなかったのかい?(爆笑)」
「林先生、真面目にやっていただきたい。この格好で『狂ったダイヤモンド』弾くんだからね。。。 飯塚さん、お手数をかけたね、アニ研の宣伝は任せなさい。ジンさんになりきってあげるから。もう大丈夫だから、他の人の着付けなど、手伝って上げなさい。また、あとでね。。。」 と、なに気に飯塚さんの手を握っている西田先生。。。
「はい、ジンさん。。。じゃなくて、西田先生。。。」 と、なかなか西田先生から目を逸らさない飯塚しおりであった。。。
2人のそのやり取りを見ていた周りの人間はみんな、かなり引いていた。。。
真希子は親友の理香子とその彼氏の大川くんが来る前に書道部で樹を観ておこうと思い、書道部に行ってみた。 樹はすぐに見つけた。紋付袴、そして、たすき掛けして背丈ほどある巨大な筆を持っていたが、書道部の部長と話していた。遠目に見てもなかなか凛々しい。彼は着物が似合うと思った。部長さんのほうが先に私に気づいてくれた。樹は私を観て驚いたようだったけど一瞬で笑顔に変わった。
「真希子先生!着物なんですね? 何ていうキャラなのか知らないけど、可愛いですよ!僕の方は西田先生が着付けてくれました。ま、僕もできないわけではないんですけど。。。」
「あら、館野くん、貴方も似合うわねー! そうだ、写真撮っておこう!」
部長さんに頼んで全身を入れたものとわざとくっついて、楽しげな上半身のを撮ることに成功。すぐに樹の携帯に送った。
「こういうのはなかなか撮れないし、これから忙しくなると、写真とかチャンスがなさそうだしね。たこ焼き屋さん、頑張ってね。 ま、館野くんは立ってるだけって言ってたね。軽音部は外だし、聞こえてくると思うけど、私達のメインは午後だから、見に来てね。私はほとんど何もしないんだけどね。他の2人と一緒にいないと、アニ研の宣伝にならないから。 林先生も、西田先生もコスチュームすごいの!似合ってるしね。西田先生なんか、もう、剣客になりきっちゃってて。(笑)」
「軽音部は面白そうですね。 プロ並みの先輩たちは、最後の方なんですか? 西川先輩も出るんですよね? じゃ、僕も午後は軽音の方に行きますから!」
「そうね、アニ研がお団子屋さん出してるから、そこも来てあげてね。あ、私の親友、小菅理香子が彼氏と一緒に来る予定なの、後で紹介できると思う」
「分かりました。じゃ、また後で。」
振り返って移動しようとしたら樹が肩越しに顔を寄せて耳元でささやいてきた。
「真希子さん、綺麗です。じゃ、またあとで。」
ドキッとさせられた。耳元であの低音のささやき声は反則だろう。。。私は振り返らずに手を振って書道部を後にした。
天気にも恵まれて暖かく、9時半から門を開けてみると、次々に人が入ってきた。他校の女子が非常に多い。元男子校は女子が少ないから他校に彼女がいる生徒が多い。他校と交流があることは若者たちにとって非常に好ましいことだと言える。各クラスの出し物も、なかなか楽しいものが多い。 男子が多いので、女装カフェなどは、すでに人が並んでいる。驚くほど美しいウエイトレスが多いと評判になった。 軽音部は、すでにクラシックを演奏したい部員たちのステージが始まっていた。林先生は、ロックもやらせてくれるという。自分の好みだけを押し付けていないようで、部員全員から好意を持たれているようだ。クラシックにはコントラバスも必要で、それには関くんがカバーにはいっていた。彼はクラシックもしっかり聴くと言っていた。だからコントラバスも上手だ。武藤良は、サックスを教えてくれるらしいが、演奏にはジャズしか参加しないらしい。演奏が始まると、やはりクラシックは注目を集める。関くんは非常に真剣だった。彼と並んで同じコントラバスを弾いているのは関くんが一生懸命教えている後輩の一人、女子でコンバスをやってくれるとは関くんも大切にしたいのだろう。
部員の家族も多く来ている。良いコンサートになっているようだ。 理香子が電話してきた。校門についたという。早速迎えに行った。私を見つけるなり、2人で大爆笑してくれた。どうやら2人共に、このキャラクターのアニメを観ていたらしい。
「ヤダ、真希子ったら、もう完璧にフウちゃんだわ! ねぇ、俊介、そう思わない?」
「真希子、久しぶりだね、理香子から元気だとは聞いているよ。ここでの仕事は楽しそうだね? いやはや、しかし、本当にサムライチャンプルーなんだね! バッチリだよそれ、似合う。 あれ、すごく面白いアニメなんだよね。(笑)」
「私もキャラのこと知りたくてDVD観たよ!作画も音楽もすごく良くて、大人のためのアニメっていう感じで、びっくりだった。 私はフウちゃんみたく可愛くないけどさ。。。今日だけ頑張るよ! さて、まずはどこにいこうか?」
「私は書道部に行きたいよ。作品を見てたこ焼き食べたいんだ。タコが豊洲から直送でしょ? 美味しそうじゃん! そして、一番の目的を果たさなくちゃね。。。フフフ。。。」
2人を連れて書道部に行くと、遠目にも理香子は一見で樹をとらえた。
「館野くん、私の友達の小菅理香子さんと大川俊介さん。むかしからお世話になっててね。たこ焼き、食べに来たよ。」
「はじめまして館野くん。理香子です。こちらの俊介は私の彼氏です。よろしくね。今日は美味しいたこ焼き食べに来ましたよ。」
「はじめまして、館野樹です。午後には交代してもらえるので、ご一緒に軽音部の演奏聴きに行きませんか?」
「それは嬉しい。真希子も色々とやっているので、いつまでも一緒にいてもらえないしね。俊介と回ることはできるけど、できれば樹くんとも演奏観たいわ!」
「俺たちもジャズは好きでね、プロ並みの子たちがいるという評判だし、この高校の演奏は聴いてみたかったんだ。」
「そうなんです。3年生に凄い人たちが揃ってて、彼らにとっては、この学際が多分最後の合同演奏みたいです。その後は受験でみんなバラバラなんで。。。卒業時にもう一回聞けるかどうか、僕たちのような下の学年はみんな期待しているんですけどね。僕がお連れします。 たこ焼き、イートインしますか?」
「じゃ、そうしようかな。お腹を一杯にしてからデザート探して、その後はコンサート。いい感じだわぁー。」
「では、奥の席にどうぞ!」
たこ焼きの味は抜群だった。流石に豊洲直送だし、とにかく大粒のタコがはいっている。焼いている生徒は非常に上手で、テキ屋からスカウトが来るぞとからかわれていた。
「じゃ、私はそろそろ軽音部の方に行かないと。。。3人一緒じゃないと話にならないからとアニ研にも言われてて。。。美術部の生徒も協力してくれているから、私だけフラフラしていられないかなって。。。ごめんね理香子と俊介! あとでね。 館野くんも、午後に軽音の方でね!」 そう言って1人で抜けていった。
「今日は仕方がないよね。。。真希子は非常勤っていうアルバイトみたいなものなのに、けっこう生徒思いなところがあるからね。館野くんは、実質美術は彼女から習ってるの?」
「いいえ、僕は選択科目に取っていないんです。美術系や音楽系は、選択科目なので。」
「昔と違うね。 むかしは3年しか選択がなかった感じだったけど より専門的に知識を得られるようになっているのね。」
「館野くんは音楽は全然やらないの? この学校、ジャズで楽器始めるには最適最良の学校だって、真希子も言ってたけど、興味ないのかな?」
「興味ないわけではないのですけど、聴く方が好きかなと。。。僕、機械系、将来はエンジニアになりたくて、そっちの方に気合い入れてるんです。書道は親の意向というか、子供のころからやっているので、嫌いじゃないし、続けてます。気持ちの整理というか、落ち着かせてくれるんです。だから躊躇なく書道は続けられます。ここの古文の先生が書道家でもあって、真希子先生とも仲がいい人なんですが、すごく面白い人で、入部して初めて母の書道家仲間だとわかったんですけど。。。だから、時々、関係ないことにこき使われます。タコ買いに行く手伝いとか。。。(笑) 真希子先生と親しくなれたのも西田先生のお陰なんです。」
「そうなんだ。気持ちが落ち着くって良いよね。書道って、それができるのわかる気がする。 真希子ってね、ものすごく正直に生きている人なのよ。不正があることが許せなかったり、コネを利用することが大嫌いだったりね。もうちょっと上手くやればいいのにって思ったことは今までたくさんあるの。悪者にされるのはへっちゃら! 賢いからディベートも得意なんだけど、全然誇示しないのよ。幸い、実家が金持ちだし、特に彼女を娘のように可愛がってる伯父さんに当たる人が、超ド級の金持ちなので、お金には困らないし、正直でいられるのかも知れない。でも、彼女はそれに頼ろうとはしないの。まぁ、今のマンションは頼っている様に見えるけど、伯父さんから頼んだみたい。確かに誰も住まないとマンションでも枯れてしまうし、管理人雇ってると思えば安いっていうことらしい。マンション自体の管理費もほかで他人に貸すので十分らしいから。」
隣りにいる俊介は、生徒が上手に、手際よく、たこ焼きを焼いているところが面白いらしくてじーっと見つめている。
「あの、真希子先生って、この学校の仕事の後は何か考えているのでしょうか? 遠くに行っちゃうとか考えられますか?」
「いや、遠くには行かないと思うよ。 だから、、、頑張って館野くん。私達だけが知ってるのよ。今日、貴方に遭うことは一番の目的だったの。今のところ安心できたわ、ね、俊介!」
「うん、そうだね。館野くんは彼女にあっているよ。お互いを高め合えるんじゃない? ま、まだ逢ったばかりの人に言うのも何だけど、君次第ということかな。彼女は若い芽をつむことは絶対にしない。だからある意味で君は自由なんだ。真希子は束縛してくるような女性じゃないからね。でもね、諦めも早いから、君の態度如何では、スーッと離れようとしてしまうかも知れないよ。見た感じは奔放に見えるかもしれない、でもね、かなり苦労している女性なんだよ。年齢、仕事の環境、そして、自分が君に及ぼすだろう影響とか、彼女が考えてないわけがない。」
「俊介!プレッシャー与えちゃダメじゃん! 館野くん心配しないでね。 そうだ、携帯の番号とID交換しておかない? 私のも、俊介のも。 あとで、聞いておけばよかったと思いたくないからね。私たちね、高校生だから子供とは観てないの。」
樹は理香子と俊介の2人と連絡先を交換した。 樹は希望に満ちた目をしていた。
「じゃ、私達デザート買って、他の展示も見てくる。樹くんの書、迫力あるね! ちょっと感動してますよ、私。 じゃ、午後の部になったら軽音部のマーキーの脇、ボックス席というやつのところに行くから、そこでまた会おうね。」 そう言って、理香子たちは外に出た。
「彼に知ってることを言っちゃったのって、よかったかな?」
「今更なんだよ。。。でも、彼、かなりしっかりしてるよ。真希子が育ててると言っても良いような感じするな。年齢的にも伸びしろ十分だけど、責任感はすでに十分ついてそうだ。真希子も分かってそうだよ。しかし、ああいう感じが真希子の好みだったのか! 男の俺からもいい男そうだとわかるな。。。あー、高校生に戻りたいぜ。」
何言ってるのよ、今は幸せじゃないの? 私と充分に青春したじゃない! 結果、今があるけど、私は俊介と出会えて、心から幸せだと思ってるよ!」
「お! なんか、久しぶりにときめくようなこと言ってくれるんだね、理香子! もしかして、今晩期待してもいいってことかな?(笑)」
「いいよ。。。 さてと、さっきお団子屋があるっていてたよね! 私、あんみつ食べたいんだけどな。。。女装カフェも行きたーい。」
午後になってマーキーの周りには写真部がブースを建てて、コスプレのスターたちとの記念撮影ができるようになっていた。美術部の作ったスターウォーズの顔出しパネルも好評だった。 芸術家サムライチャンプルーズもかなり忙しそうだ。アニ研と写真部は大忙しで、撮影の順番を整理していた。林賢三は、サムライチャンプルーのムゲンに扮しているが、人気者でなかなか休めないまま、軽音部の集まっている方向に走ろうとした。その時、彼は立ち止まり驚いたような顔をした、次の瞬間ダッシュで逆方向に走り出した。その行き先には車椅子の女性が付き添いの人と一緒にいた。
「真希子先生、見てご覧なさい。 どうやら林くんの願いは聞き入れられたようだ。私達も演奏、頑張らないと。」
「そのようですね。林先生の顔、泣きそうだった。 西田先生、オルガン大丈夫ですよね? 私はコーラスの中だけですし、あとはタンバリンだし。。。」
「私は去年、重要なカスタネットをやりましたから。。。真希子先生もがんばってください。 では、参りましょうか。」
ステージの準備は滞りなくきちんとされていた。顧問たちの演奏曲は林先生が選んだプログレッシヴ・ロックの最高峰、ピンク・フロイドのアルバム『炎・あなたがここにいてほしい』から『狂ったダイヤモンド』。顧問たちと言っても主力のギターとドラムは軽音部の実力者が入ってくれたことになる。 西川くんはベースで選ばれた。ギターの市村くんがしっかりとリードしてくれるようだ。彼はヴォーカルも請け負っている。私と他の女性職員たちはコーラスなので、並んで立っている。 西田先生のキーボードがゆっくりと入り始めた。ふと舞台の袖を観ると、飯塚さんが心配そうな、でも憧れを一心に込めた目で西田先生の方を観ていた。西川くんはギターの市村くんと合わせるために並んでいるが、チラチラと私のほうを観ているのがわかる。私は無視しない。ちゃんと笑いかけることにしてる。樹もそれは分かっているはずだし、不自然を装いたくない。
西田先生のキーボードの前で準備完了。70年代のプログレは感動的な曲が多いが、この曲は未だにファンが多く、その時代に生まれていなかった若者も引き込む魅力的な一曲だ。ジャズだけが持ち前の音楽と思われがちなこの軽音部、林先生は多くのジャンルを紹介して、実際に演奏させてくれる。クラシックは必須、ただ、Jポップなどのポップ系はやらないとはっきり言っている。だから先生がプログレを選んだことは部員たちを興奮させた。今ではすっかり軽音部の部員同様に扱われている西川くんも、ストリーミングサービスに加入していつでも気になった音楽が聴けるようにしたようだった。 『狂ったダイヤモンド』がはじまった。比較的テンポのゆっくりした曲だが、ギターの泣き、サックスの導入は素晴らしい。そう、サックスは林先生の担当。彼の専門でもある。武藤くんに大きな影響をしたのはこの林先生なのだから。3年生を送り出すにふさわしい音を聞かせてくれるだろう。そして、もちろん林先生の愛する人の前での演奏だ。 誰もが感動するほどのできとなった。まさか、西田先生がここまで頑張るとは。。。袖で見守る天才武藤くんは満足そうだし、アニ研の飯塚さんは、目がウルウルしているようだった。ふと客席のはしの方を観ると車椅子の女性のところに関くんがいた。介助の人を通してなにか話している。きっと感動してくれているだろう。
顧問主体曲が終わると、次は誰もが待ちかねている3年生の主力スターたちの登場。各々の担当がソロを取る。曲は『Run For Cover』ジャズベーシストのマーカス・ミラーの代表曲。ここで、関くんの実力がはっきりと分かる。西川くんはまだできないというスラップ演奏もお手の物、ドラムもトランペットも3年生は流石に上手い。そして、殿は武藤良のサックス。黄色い歓声が上がるほどだ。 袖から客席を観たら、理香子たちが見えた。樹も隣りにいたが、武藤くんのサックスに3人で感動している様子だった。樹がこちらを観ているようなので、小さく指を動かすように手を振った。でも、彼はじっと観てくれているけど少し笑ってくれるだけだった。ふと気がつくと西川くんが私の真後ろにいた。そして、そうっと私の肩に手を置いて、耳元に語りかけてきた。これはステージからの音の大きさもあるので仕方がない。。。 樹は気に入らないだろう。。。西川くんには、どうしてもライバル意識が消えないようだ。。。
「真希子先生、関くんのベースは、やっぱり格が違うなぁと思います。でも、俺も頑張りますよ。後はT・S・O・Pだけですよね?関くんと同じフレーズもあるので、一緒にできるのが楽しみなんです。」
「彼らはプロ並みだから、同じじゃなくていいのよ。ベース自体も違うものだし、奏でる音は違うはず。たった数ヶ月で関くんに追いついちゃったら、関くんもがっかりするわ。でもね、西川くん、上達早い! 林先生もびっくりしてたよ。 さてと、私達の出番。フィナーレ曲は軽音部の代表曲よね。誰もが踊りたくなる曲ということで、T・S・O・P って、すごく素敵だと思う。これで全国準優勝もぎ取ったって林先生が言ってたわ。がんばろうね!」
アンコールの声も飛び交う中、部員全員がステージに入り、林先生のコンダクトで軽音部の十八番、T・S・O・Pとなった。
すでに踊りだした人が見える。音を楽しむって、このことなんだと思う。 素晴らしい演奏が終わり、誰もが大満足の様子だった。それで解散かと思ったら、3年生のグループだけがステージに残った。それは林先生も予期していなかったようだが、武藤くんが林先生を客席の車椅子の女性の方に行くように促している。林先生は、迷わず従った。 その後、関くんがマイクを取って話が始まった。
「今日は、わが校の学園祭、僕たち3年の軽音部としての最後の演奏を聴いていただき、ありがとうございました。そして、僕たちを導き、ここまで引っ張って来てくれた林賢三先生に感謝を込めて1曲演奏したいと思います。この曲は途中からヴォーカルが入りますが、メインのヴォーカリストはこのステージに上がれないので、録音からのものですが、素晴らしいヴォーカルですので、どうか、みなさんもご一緒にお楽しみ下さい。では、『Love you bad』ソウルの曲となります。あ、ちなみに、バックヴォーカルは我らが天才サックスプレーヤーの武藤良と部長でありベーシストの俺、関力也です。このバックヴォーカルは、本日限定で二度と歌わないので、聞くことができません、貴重なんですよ!では、行きます。」
始まった曲は、体の芯まで響く重低音から導入してくるセクシーなサウンドだった。武藤くんのサックスが入り、関くんがしっかりと歌い、他の部員がバックコーラスも取った。そして後半、女性ヴォーカルが入った。林先生は呆然としていた。そして、車椅子の女性を抱きしめている。卒業していく生徒が選んだ感動的なラブソングだ。何故ラブソングを選んだのだろう? そして、何故この女性ヴォーカルはここにいないのだろう? 私は西田先生のところに駆け寄った。
「西田先生、この曲のヴォーカリスト、素晴らしいですね、卒業生か誰かですか?」
「真希子先生、これね、5年前に録音されましてね。その女性の名前は、林杏子さん、まぁ、今でも名前は変えてないのですけどね。。。そう、林先生の5歳年上の元妻さん。あそこの車椅子の女性だよ。林さんはこれが録音された頃は仕事も兼ねて杏子さんの病気に関しての情報収集もあり、アメリカにいたんだ。だからこれが録音されたこと知らないんだよね。元妻の杏子さんは、すでに自分の病気の進行が早まっていることを悟り、自分からの離婚を提示していたみたいでした。林くんは断固拒否したんですけどね。でも、杏子さんは林くんを解放してあげたいと望んだわけです。林くんに残したくて選んで録音しておいたんだ。いい声だよね、林くんは自慢してましたよ、まるでビヨンセのようだと。彼女は帰国子女だから発音も抜群でしょ?小さい頃、近くにゴスペル協会があったそうで、そこで、本場の黒人の子どもたちと歌ってたそうです。だから基礎がしっかりしてる。何よりも林くんに愛を込めて歌っているから素晴らしい。車椅子を介助しているのは彼女のお母さんなんだけど、この夏何度かお目にかかってて、私に話してくださった。林くんが学際のことを縁側で杏子さんに話しているのを聞いてたらしい、2人の暖かな姿を見て胸が詰まったって。実はね、杏子さんにはもう時間がないんだそうです。。。今ここにいるだけでも奇跡的。耳は聞こえるし、反応が良いうちに外に出てほしかったようですね。風邪でも引いたらアウトなのに。。。でもね、どうしても林くんの誇る一番可愛がっている教え子にバックを演奏してほしくて、こうなったんですよ。関くんは上手に立ち回ってくれた。私も手を貸すことができた。この際、いつも強気な林くんの涙が観たいと思ってね。(笑)悪趣味かな? ははは、彼はもう号泣じゃないか?? 私の願いはかなったようだ。。。(笑)」
林先生は西田先生と生徒たちから促され、そのまま車椅子の女性と一緒に帰宅することになった。 私は理香子たちのところに駆け寄った。彼女たちも感動していた。
「真希子!この学校の軽音部ってすごいのね。それに最後の曲。。。感動的だわ、 本当に高校生なのこの子たち!?」 私は最後の曲の経緯を説明した。樹も含め、3人は唖然としていた。理香子は涙を流し出した。
「僕は、林先生って、破天荒な人だとだけ思ってました。デリケートな人だったんですね。。。」
「そうなのよ。。。私もついさっき西田先生から聞いたの。。。」
「真希子、私、不思議だけど、曲の途中でまるで誘われるように車椅子の人を観てたの。彼女の体が震えだしてね、太陽光に当たって、目のところが光ってたの。。。泣いていらしたんだわ。。。愛している人のために歌った自分がいたこと、思い出せたのね。。。そして彼は走って彼女のところに行ったのよ。。。映画のワンシーンのようで素敵だったわ。。。」
「俺も愛してるよ、理香子。」
「うん、俊介。。。私も。」
この2人が人前でベタベタすることは皆無だったのに、音楽って、すごい力がある。 私は樹を見つめた。彼の目は溶けそうに見えるほど潤んでいた。。。私は彼に微笑みかけ、声を出さずにクチパクして伝えた。
『あとで、うちに来て』 樹はうなずいた。
「じゃね、真希子、私達は帰るわ。今日は人生で一番すごいコンサートを楽しませてもらったよ。真希子もタンバリンだけじゃなくてなにか楽器できるようになったら?」
「俺も、高校の学祭コンサートのイメージが完全にぶち壊れたよ。あの3年生達はプロで十分通じるな。あの軽音部の十八番って、ソウル・トレインのテーマだよね? 後でダウンロードしておこうと思う。後、最後の曲だけど、『Love you bad』で良かったのかな? 分からなかったら電話する。もしかして今回録音してないの?売って欲しいくらいだな。 それから、真希子、男の生殺しは止めろよ。。。俺、すっごく同情しちゃったぞ。。。」
「そうよね。。。舘野くん、付き合わせてしまって、ごめんね、助かったわ。 我慢も限度ってあるよね。。。あと3ヶ月もないから、頑張って。応援してるから。」
「理香子さんと俊介さん、ありがとうございます。お目にかかれて本当に嬉しかったです。こんどまた逢ってください。」
「もちろんよ!よかったら私達の家、遊びに来て。真希子抜きでも良いんだから! いつでも歓迎よ。後で住所もチャットに送っておくわ。WhatsAppのほうだったね!」
「あら、知らない間にずいぶん仲良くなったのね? 変なこと教えないでよ!(笑) とにかく、気をつけて帰ってね! さてと、館野くん!チャチャッと片付けして、残せるものは明日の夜か明後日でも大丈夫だから、早く帰ろう! 夜中でも大丈夫だからね。」 そう約束して2人は別々に片付けに専念したのだった。
時間はすでに十一時を回っていた。お互いに、最後の曲と林先生たちの姿が頭から離れなかった。それを心と体で噛みしめるように抱き合った。今日の樹はいつになく激しかった。お互いの存在を触れ合って確認しているかのように、全てを自分に同化させたいと切望しながらのセックスは言葉では表せないほどの欲望に満ちた甘味なものだ。彼は若さを持て余しながら我慢していることも多いはず。。。オーガズムというピークをできれば一緒に迎えたい。私達はお互いのことを思いながらいつもそれを願っている。そして、私は彼のピークを迎えたときの表情が何よりも好きなので、どうしても観たいという想いから目を開いてしまう。 乱れた呼吸、湿気を帯びた肌、そのどちらも官能的で形容しがたい満足感がある。引き締まった樹の体は美しい。すでに大人の域に入っている。夏までの、あの未完成の美とはまた違った美しさ。どちらも知っていると思うと、贅沢な気分になった。 ベッドの上で並んで、呼吸が落ち着いてくると、私は自分よりも長い樹の髪を弄んだ。指で梳いたり、指に絡ませたり。。。 樹は目はつぶっていても口角を上げて微笑んでいる。
「愛の形って、色々なものがあるって分かっていたのだけど、今日改めて、沢山の愛を観た気がしたの。殆どが微笑ましいもので私を嬉しがらせ、幸せな気分にしてくれたわ。でも、やっぱり林先生と杏子さんのは、格別だった。あの二人が心から信頼しあっていて、杏子さんの希望で離婚したことも切ないけど理解できる。彼女は林の姓を保持したのよね。」
「僕も杏子さんのことを思うと切なくなります。筋ジストロフィーって、未だに対処法がないっていうのが歯がゆい。」
「林先生は定期的にアメリカに行って情報収集とアメリカでの現状調査をしているみたい。もちろんジャズも聴いて来るようだけどね。 ねぇ樹、『Unconditional Love (無条件の愛)』って、どういうものなのかしら? あの林先生と杏子さんの二人は、それに達している気がしたのだけど、何がそうさせたのかしら?」
「僕にはよくわからないけど、僕が真希子さんに抱いているものは、多分とても近いものだと思っていますよ。それだけは言葉に出して言えると思ってます。」
「樹、、、すごく嬉しい。でもね、私は貴方の前途ある芽を摘むことはしたくないから、どうか、いつでも正直でいてほしいの。私を傷つけたくない!と思うようになったら、それだけで、正直に振られるよりも傷つくと思うから。」
「それ、僕からも同じこと言っておきます。若いからとか、生徒だからという曖昧な理由も嫌だし、僕のことが好きじゃないと思ったときは、はっきり言ってください。他に好きな人ができたときも。」
「わかったわ、お互いにそうしましょうね。 きっと大丈夫よ、私たち。」
Wish you were here… あなたがここにいてほしい。。。
みんなが感動したあの日から五十日が経った。外苑西通りのイチョウ並木が見事に黄色く輝き、十一月が終わろうとしていた。 紅葉が美しいと感じられるころ。。。林杏子さんが旅立った。愛する人に抱かれたまま、ゆっくりと息を引き取ったそうだ。葬儀は付き添った親族と元夫のみ。後からお別れの会が開かれるということだった。校長の計らいから林先生は忌引として休暇を取ることにされた。受験を控えている生徒には、他の先生達が必死で穴を埋めることになった。私も時間が許す限り、指導に当たっていた。軽音楽部では3年からの引き継ぎはスムーズだった。関くんの指導から、今回の学祭の演奏はすべて録音され、映像部がCDを作ってくれた。その中でも今年の3年生と教員の演奏は特別CDとして、販売も検討されている。軽音部、映像映画部が協力しあい、販売して各部活動に役立つように収益を配分できることになった。 そして、お別れの会が開かれる。青山墓地の有する会館の大広間、多くの友人達と林先生の生徒たち、卒業生も沢山の人数が参列した。
彼女の遺影は、病気発覚前のもので、希望に溢れた目をした自然な感じの写真だ。お父様が喪主として 壇上に立って、生前の彼女を語り、参列してくれた人々にお礼を言った。献花のあと、用意された立食の食べ物は高校生の食欲を満たさんとばかりに沢山あった。豪華な内容に、生徒たちは驚いていた。林先生の計らいだと思う。しかし、とうの林先生は見間違えるほどやつれていた。西田先生と一緒に、傍に行き話を始めた。
「林くん。貴方はサムライチャンプルーのムゲンではなかったのか? 今の貴方はまるでバンタム級に落とした、あしたのジョーの力石だ。アニ研の飯塚さんを困らせないで欲しい。 少しは食べられるようになったか? 」
「あぁ、受験生の大変なときに、西田さんと真希子先生には穴埋めまでさせて、すまないと思っているよ。 少しずつ食べているから心配無用さ。彼女が小さな箱に入ってからは、少し気が楽になった。落ち込んだ俺なんて、彼女が心配になって成仏できないだろうしな。 随分前から覚悟していたんだが、やっぱり気丈にしていられなかったよ。息をしているだけでいいから行かないでくれって願うばかりでね、自分ながら情けないと思ったし、杏子に呆れられているかも知れない。。。彼女も行くに行かれず、後ろ髪を引かれただろうと思う。こんな情けない男を残すのか?ってね。。。そう言えば、シカゴのキースからも丁寧なカードと花束を貰った。武藤が知らせたらしい。 彼は元気のようだよ。」
「そうだったのね。彼は林先生と気が合うって言ってたしね。心配してると思うわ。またシカゴに行ってきたら? きっと武藤くんと関くんも行きたがるわよ。」
「そうだね、葵の紋章つきの印籠でも持てば、林くんを守りながら旅してくれるぞ(笑)」
「あいつらにも心配かけたしな。。。そう言えば、関と武藤が映像部の奴らに協力してもらったようで、今日の会葬御礼には、彼らが作ってくれたCDを用意しているよ。あの日の録音。CDのジャケットは今日この遺影と同じ写真を綺麗にアレンジしてもらったんだ。ものすごくきれいに録音されてた。杏子の声もパワフルで、俺の記憶に残っている彼女のヴォーカルそのもの。でもね、あの曲は学祭のとき初めて聴いたんだ。ありがたいよ。ほんと、感謝している。」
「もう、彼らは林先生の子どもたちだね。よくできた子たち。武藤くんは、もう決まっているようなものだけど、関くんは本物の受験だから私も西田さんと一緒にサポートしてる。でもね、彼、基本が勉強できる子なので、全然心配してないわ。」
生徒の参列が思いの外多かった。軽音部だけではなく、アニ研、映像映画部、その他学祭のときに感動した子達がみんな来ていた。CDが足りないかも知れないと心配になるほどだった。関くんがなにか対処するようだ。
「東海高校の生徒、または卒業生で、CDを受け取れなかった人は、今日の帰りに僕に申し出てもらい、今週の金曜日に3年A組の関力也のところに取りに来てください。 最終的にストリーミングできるよう努力しますが、受験体制なので、まだ未定です。CDで持っていてください。」 見回したところ、みんな消沈した表情をしている。林先生に直接関係のない生徒も泣きながら参列していた。 なんと、樹を見つけた。西田先生も気が付き、彼のところに行った。
「館野くん、来ていたんだね。あの日、感動していたものな。遺影見たかい? 美人だろ?」
「はい、きれいな方ですね。学際のとき、車椅子でいらしてた杏子さんから近いところにいましたから、林先生の様子がとても良くわかりました。愛し合ったご夫婦だったんですね。」
「君たちが聴いた彼女の歌、この遺影の写真を撮ったときとほぼ同時期らしいよ。だからたった5年前だね。ポジティヴ思考の女性だったから、まだまだ頑張れると思ってたころらしい。恐ろしい病気だよ、筋ジストロフィーとは。。。林くんは、ありとあらゆることをやっていた。情報の収集、その量はすごいものだった。まとめて、今後役に立つようにすると言っている。いつか得策、または特効薬が生まれると期待したいな。。。 真希子先生、杏子さんが元気な頃に出会ってたら、生で彼女の歌も聞けたし、ジャズ談義ができただろうな。。。」
「そうですね。。。でも、学祭でお目にかかれたし、あんなに素敵な歌を最強の生バンドの演奏で聴くことができて、ラッキーだったと思ってますよ。」 すると西川くんもそばに寄ってきた。
「どうも。」
「おぉ、西川くん。君は大きいからいると気づいてたよ。色々とご苦労さまだったね。君を含めて、武藤と関は、よくやってくれたね。林くんの知らないところで、杏子さんのお母様を励ましながら、話を進めてくれていたこと、杏子さんのお母様から聞いてたよ。私からも、礼を言わせて欲しい。ありがとう。」
「いいえ、関くんが中心だったのですけど、武藤も俺も大学はほぼ心配ないので、関くんの代わりをしたいと思って少し手伝えてよかったです。でも、やっぱり関くんには敵わなかっですね。彼の気遣いって、決して表に出ないようにして、完璧にやりこなす感じで、武藤がそれを言ってきたとき、流石だと思いました。」
「西川くん、お疲れ様。 杏子さんもきっと喜んでる。 お別れの会だから、遺影に献花するのは分かってたんだけど、 普通は白い菊か、せいぜい白いバラなのに、カーラなんて、初めてだった。素敵だわ。林先生が選んだの?」
「いいえ、林先生は抜け殻のようになってたので、何を聞いても上の空でしたから、杏子さんの妹さんの奎子さんと決めたんです。彼女は普段はオランダの大学の大学院にいるので、こっちにはなかなか帰ってこられなかったらしくて、やるせない思いをしてたようです。仲の良い姉妹だったようですが、奎子さんって、気丈な方で、すごく頑張ってました。杏子さんを表せるお花は、カーラなんだそうです。林先生との結婚式のブーケも、10本のカーラが中心でできてたって言ってました。杏子さんの大好きな花だし、似合ってると思いました。沢山素敵なエピソードを聞かせてもらえたんです。結婚式のときの写真、見せてもらえましたよ。林先生、ドーダ顔してました。」
「そうなんだ! 今度林先生のとこ、みんなで押しかけて結婚式のときの写真見せてもらおうね!少しずつだけど、元気を取り戻しているようだし。。。サポートしなくちゃね。」 西川くんがいるせいか、樹は、それとなく私の腕に自分の腕を着けてきた。少しでも触れていれば、嫉妬心が慰められるのかも知れない。会場は混んでいたので誰もおかしいと思う人はいない。 ふと西田先生の方に目をやると、また飯塚さんと見つめ合って、彼女の肩に手をおいている。飯塚さんは泣いていた。西田先生は彼女を慰めているのだけど、アニメのジンになりきる必要はないのになりきっているせいか、飯塚さんは顔が赤い。みんなやや引き気味で彼らを観ていた。そこへ、他の先生達と話していた林先生がフラフラとやってきた。
「俺は杏子の家族と残ろうと思ったんだが、もう遺品も全部分配して片付いてるし、奎子が西田くんたちと飲んでこいって言うから、どこか行こう。奎子も来るっていうから、西川もおいで。奎子は西川に感謝してるよ。高校生にサポートされるとは思わなかったってさ。ありがとう。」
「林くん、私はいま、忙しいんだが。。。では 飯塚さんも連れていきます。館野くんも来なさい。みんなで林先生の泣きっ面をもう一度見ようではありませんか!」 私達は遅くまで営業している居酒屋に行くことにした。
「みなさん、今日はわざわざ杏子姉さんとのお別れの会に来てくださって、ありがとうございました。私は妹の山本奎子です。姉とは10歳も下です。会場に兄がいましたが、姉さんと兄は母親似で、とても似てる兄妹なんですけど、私だけ父親似なんです。私はオランダのアムステルダムに在住しています。薬学を勉強しています。筋ジストロフィーは遺伝性疾患です。DNA検査の結果、私には遺伝していないことがわかりました。実際、姉以外の家族には遺伝させるDNAがありませんでした。引き続き、ジストロフィーに関しての研究は続けるつもりです。日本には頻繁に帰ってきますので、今後とも宜しくお願い致します。このお店ではお好きなものをどうぞ!姉さんと約束してあったので、終電後も大丈夫です。タクシーの方もご用意できています。」 みんな神妙に頭を垂れた。いつもなら率先して場を盛り上げるのが林先生なのに、今は体が動かないらしい。。。 関くんと西田先生が頑張ってくれるようだ。
「あ、どうも。。。 ささ、みなさん、飲み物も揃ったところで、献杯としましょう!『杏子さん、ありがとう!献杯!』」
『献杯!』全員がグラスを掲げた。
「奎子さん、貴女ははわが校の学園祭には間に合いませんでしたね。非常に残念ですよ。。。 私、キーボードを担当しましてね、みんなは私が弾くとオルガンだというのですが、70年代のプログレッシヴ・ロックを演奏しました。私は教師ですが書道家です。」
「はい、映像研究会の生徒さんが編集したものを拝見しました。書道部の先生だということも聞いていました。素晴らしかったです。感動しましたよ。」
「飯塚さん、聞こえた? DVDになっても感動してもらえたようだ。 嬉しいですね。」 飯塚さんはコクリと同意した。
「おい、力石!・・・じゃなかった林くん。私の家の母屋にピアノがあることが判明したんだ。全然知らなかったんだよね。。。ほら、私は、離れに暮らす身なのでね。。。 だれか調律できる人知らない?」
「そうだな。。。学校に来る調律師さんに頼んでみようか? 習うならバイエルの赤でも買っておけば良いさ。」
「なんだね?そのバイエルの赤とは?? ワインか何か?」
「ピアノの教本だよ。。。習うなら基礎からね。」
「え? それは嫌かもしれない。。。私は『狂ったダイヤモンド』が弾けたんだし、大目に見てくれるピアノ教師が良いな。。。」
「では、YouTube先生でやるしかないだろうな。俺は嫌だぞ! もう、二度と西田に教えたくない。」 場が爆笑するほど和んでいった。
樹は私の隣に座ることができた。掘りごたつ風なテーブルになっているので、脚が楽で、少し触れていても他からは観えないし手を膝に乗せることもできる。樹は触れていたいと望む子なのだった。。。誰からも見られないといいけど。。。 幸い、西川くんは奎子さんと関くんに促されて彼らの隣りに座っていて、ここからはちょっと距離がある。彼は人目を構わずに触れてくるタイプの子なので、特に樹の前では有害だ。。。
「そう言えば、真希子先生もあと1ヶ月位の勤務になってしまったんじゃなかった? 期間延長できないの?」
「そうなんですよね。。。現職の先生が復帰なさいますし、実はもう夏前から、1月からの勤務先が決まっているんです。美術学校の受験用デッサン科に行くことになっているのですよ。。。東海高校のあとだと、どこの職場もつまらなそうですけどね。。。」
「真希子先生には、せめて卒業式までいてほしいな。。。」 なんと、武藤くんがそんな事を言ってくれるとは思わなかった。
「うぅぅ、、、武藤くんがそんな言葉を聞けるなんて。。。泣きそうだよ。。。でも、卒業式は必ず見に行くよ!」
「そうか、真希子先生は終業式までということなんだ。。。 俺は明後日の月曜日から学校に行くから、音楽室で終業式後にパーティできるように申請しておく。」
「なんと!フウ嬢がいなくなってしまうなんて、チャンプルーズも解散ってことじゃないか! それは困るよね、飯塚さん。。。」
「はい、困ります。とっても困ります。。。」
「あははは、、、大丈夫ですよ、他の先生方も今回の学祭で随分と柔らかくなり、クラシック以外の音楽にも理解が得られるようになったみたいですよ。めでたい、めでたい!(笑)」
「酔っ払っちゃいましたか?真希子さん。。。後で介抱に行きますけど、飲みすぎないでくださいね。」と、樹が耳元でささやいた。ちょっとびっくりしたが、他の人達も隣の人には耳元で話している感じだったから、誰もおかしく思う人はいないようだ。『お気に入りと憧れ』と思われているのは確からしいので、そのままにしてもらう。
12時近くなり、林先生が立ち上がった。
「皆さん、今日は本当にありがとうございました。杏子も喜んでいると思います。今年の学祭で、録音とは言え彼女の声を俺の自慢の軽音部の奴らの演奏で聞くことになるとは思わず、5年もひたすらに隠していた彼女でしたが、笑顔になってくれたんですよ。俺のいない間にあんなに素晴らしいヴォーカルで録音してあったなんて。。。スタジオの方の話では、一発収録だったそうです。ビヨンセにも勝る彼女の声、そして、幼少の頃からバッファローのゴスペル教会での歌の練習と、黒人独特の発音や話し方のセンスをしっかりと身に着けた杏子は、日本ではなかなか見つからない逸材だと言われていましたが、彼女は歌手になりたいと思ったことはなくて、好きな人たちと組んだバンドのバッキング・ヴォーカルがいいんだと言ってたものです。子供の頃に彼女の両親は全く人種差別なく彼女を自由に歌わせることを選んだわけですが、尊敬してます。俺と出会い、恋に落ちて、ご両親に紹介してもらったときも、5歳年下でも全く気にしていないようで、素晴らしい両親に育てられたから、杏子と兄妹は、最高な人たちです。 病気は2人目の子どもを流産したときに発覚しました。流石に流産と重なったせいもあって、夫婦で落ち込みました。でも、やっぱり本人である杏子がまず立ち直ったのです。ありとあらゆることをしましたよ。もう治らなくてもいい、上手に付き合う方法はないのか??ってね。でも、その頃から彼女は『大丈夫よ、時間が来てしまったら、潔く、楽しかったことだけ考えて私を送ってね』と。。。そのくせ、離婚届を持ってきて、『バツイチにはするけど、死別にはさせない』って言ったんですよ。俺はショックで、それを拒否して数日口は利きませんでした。でも、そういうときに限って、数倍優しく触れてくるんですよね。生活は変わらなかったけど、離婚届は提出されました。その後、介助の関係上、実家に戻ることになりましたが、今でも杏子は俺の妻であり恋人なんです。彼女がここにいて欲しいという気持ちは変えられません。夢枕には、まだ一度も立ってくれないんですけどね。。。
ここ数週間、俺は情けない姿をお見せしましたが、今日を最後に、林賢三を取り戻します。 どうか、今後ともよろしくお願いします。今日は,遅くまで付き合ってもらって、申し訳ない。気をつけて帰ってください。ありがとうございました。」
割れるような拍手が起こった。
「任せなさいムゲン、私との勝負はまだついていないんだから、今へこたれてもらっては困る。」 そのとなりで西田先生の袖を引っ張って見つめている飯塚さんがいた。西田先生は振り返り、見つめ返す。その場は数秒間の沈黙が流れた。
同じ方向の数人ずつがタクシーに乗り込むことになる。私だけが一人だった。樹は他の生徒3人と一緒。家についたらバイクを出して来るということだった。 考える時間があった。そうだ、今日は樹に昔のことを話そうかな。武藤くんと関くんが知っていることを樹が知らないのは、やはりおかしいと思うから。。。今後もあの2人とは会う機会が必ずあると思っている。 帰宅して、すぐにシャワーを浴びた。先程までの酔いは覚めていたが、まだ若干のほろ酔いのいい気分だ。スポティファイを繋いで自分で作ったプレイリストの中から好みの曲だけを集めたJazz Fave 3を選んだ。樹にはマンションの鍵となる打ち込むナンバーを教えてあるので、勝手に入ってくるはずだ。髪を乾かし、オーバーサイズのトレーナーを着て、またビールを飲み始めていた。樹の反応が今から気になる。しばらく、窓から月を観ていた。これは下弦の月というものだ。白を通り過ぎて青いくらいの色だ。この月を見る者は世界中どこにいても同じものが見えるのだから、不思議だ。 ドアの開閉する音が聞こえた。樹が来た。
「真希子さん、遅くなってごめんなさい。」 と言いながら後ろから抱きしめてくれた。うなじにキスしてくれるとシャワーを浴びてくると言ってシャワールームに行った。その間私はウォッカトニックを作った。ツイストレモンしてからギュッとそのレモンを絞る。美味しい。 樹は私よりも長い髪をタオルドライしながらでてきた。Blueはすでに彼の香りとなった。たくさんは着けずに軽く首周りにつけたようだ。彼の体は完成形に近づいていることがわかる。もう、あの夏前の体ではなくなった。未完成が完成に近くなるのも美しいものだ。無駄のない、筋肉質な体はいつまでも触っていたくなる。 ベッドには下弦の月明かりが差し込んでいる。その中で熱く抱き合う幸せ。樹は優しかった。
「真希子さん、酒のにおいする。。。酒の味もする。でも、柔らかくて、美味しい。。。」
「あ、ごめんね。。。今日は飲んでしまったし、帰ってからまた飲んじゃった。。。素敵なお別れの会だったね。。。林先生の人柄が人を呼んだ感じ。もちろん杏子さんがいてこその林さんだったと思うけどね。 普通はもっと闘病生活が長いらしいのに、彼女は駆け足だったみたい。個人差はあるらしいけど、それでも発覚してから10年以上、悪くなるしかなかったわけだし、ほんと、残酷な病気だわ。。。」
「林先生、もっともっと一緒にいたかったんでしょうね。あの学祭のときの2人を観たから、すごく切ないです。でも、愛し合うって、こういうことなのかなと思えたんです。」
「そうね、観ていてこっちが幸せな気分になるカップルだったね。 私達もなれるかしら? どう思う、樹?」
「なれますよ。全く同じかどうかはわからないけど、僕は真希子さんを幸せにしたいです。」
「樹、私達まだまだたくさんのことを打ち明けてないよね。特に私の方だけどね。。。貴方はまだ若すぎてストーリーが足りないものね。。。 私の過去、知りたい?」
「真希子さんが話したいと思ってくれるなら、僕は聴きたいです。でも、強要はしたくない。誰でも過去はあるし、経験がいつも良いものとは限らないから。。。でも、そういった経験があってこそ、今の真希子さんがいるのだと思うと、知っておきたいと思います。たとえ、僕にとって、あまり嬉しくないことでも。。。知っておけば一緒に忘れることもできるし、何かで思い出したとき、知らないよりもお互いを支えられると思う。違いますか?」
「そうだよね。お互いを理解するって、知っていればこそかもしれないね。」
「じゃ、僕から話しましょうか?どうせ短いから。。。(笑) 僕は館野家の3人兄弟の次男坊です。父は会社を経営しているので兄は子供の頃から家と会社を継ぐという意識のまま育ったエリートでT大3年生です。弟はまだ中学1年ですが、俺の言う事をよく聞くし、兄よりも近しい感じです。バイクよりも車に興味があるようです。 父はお人好しだと言われる社長です。やりたいことをやらせてくれます。母は、書道家で、協会の役員なので西田先生もご存知のようです。兄が上手に育っているので、下2人には甘いかも知れませんが、字を書くことにはものすごく厳しくて、ビシバシやられました。僕は習字が好きだったので、あまり苦には思いませんでしたが、弟は泣きながら書いてたときもあります。父方の祖父は僕が好きみたいですが、母とは折り合いがあいません。僕にバイクを買ってくれたとき、祖父にものすごい嫌味を言ってました。祖父はいつも僕の味方なんです。『任せておけ!』という言葉がいつも口癖のように出てきます。祖母はもういません。母方の祖父母は奈良にいます。お寺の住職です。 僕は中学の時に女の子に告白されて、生まれて初めて付き合うとなったことがありますが、真希子さんもご存知のように、深い付き合いまでは行きませんでした。それが気に入らなかったのか、彼女は他に、当時の高校生と僕の知らないうちに付き合い出したようで、ある日、2人がキスしているところを観てしまって、別れました。彼女が言うには僕が何も進展させてくれないから誘われた方に行っただけだということでした。要するに僕のせいだと。中学のときなんて、そんなものですかね。。。執着もなかったので、けっこう平気で別れましたが、やはりキスしているところを見たのはショックでした。その後、高一の時まで2人位とデートしたりしたけど、面倒だと思うことが多かったんです。塩対応と言われるのはそんなところかも知れません。だから、恋に落ちるという意味が本当にわかったのは、真希子さんが初めてです。会うと胸に支えるものを感じ、真希子さんのことを考えると眠れないことが多かった。だから、真希子さんが受け入れてくれたこと、求めてくれたことが信じられないほど嬉しかった。そして今に至ります。」
「そうだったんだ。。。そう言ってくれて、すごく嬉しい。私も年下の男性に惹かれたのは樹が初めてなの。どうしようもない、押さえきれない衝動があった。最初はもちろん、未完成の美を追求してたから、ドンピシャな子を見つけられた喜びでいっぱいだったけど、貴方の視線や雰囲気を見ているうちに、悟ったのよ、これは恋だって。。。 家の方はね、父方全員が不動産関係。ヤクザじゃないわよ! (笑)だからここの持ち主の伯父も、会社の役員。子どもがいるけど女の子がいないせいで私に甘い人なの。兄弟は兄がいるの。彼はイギリス人と結婚してイギリス在住、大学で物理を教えてる。結婚して子どももいるし、私のことも可愛がってくれる。母は、大学の頃に交通事故で亡くなったの。祖父母はすでにいなかった。父は再婚しなかったわ。子どもたちに遠慮してたわけではないらしいけど、林先生のような愛妻家だったからかも知れない、秘書や家政婦さんが身の回りのことは全てやってくれるし、他のことは自分の兄弟姉妹がいて、楽しいから充分なんだと言ってた。再婚してもいいと思えるような女性とは出会えてないみたい。
さてと、私自身のことに入りまーす。。。(笑) 私ははっきり言って恋愛の経験値高いです。恋の遍歴も非常に多い。その時その時、一生懸命だった。でもね、何かが違うと思って別れてしまうことばかりだったの。初体験は手繋ぎからセックスまで高一のとき、相手はK大生だった。高校卒業まで、何やかやと付き合ってたけど、私はすでに美大でやることを決めてたからどんどん疎遠になっちゃったのね。でも最終的にきちんと分かれますって言ったけど。。。大学ではなん人と付き合ったかな。。。違う美大の人が多かった。中途半端な感じだった。ちゃんと付き合ってたという感じではない気がする。卒業後アメリカに行ったの。ニューヨークで美術学校に入った。その頃の友人たちとしょっちゅうジャズを聴きに行ってたの。そして、アメリカ人と付き合うようになった。。。その人、女性だったの。 驚いた? そう、私レズビアンを経験してるの。全く違和感はなかったわ。とても大事にしてくれたし、素敵な女性だったから、一緒にいると楽しかった。パムっていう女性。一緒に暮らしてたの。色々なことを影響し合った。彼女はチェリスト、チェロを弾かせるともう涙物。そんな彼女と他の仲間と一緒にジャズを頻繁に聴きに行き、そこでキースというスタジオミュージシャンをしてる男性と知り合った。なんと日本語を勉強していた人で私と気が合い、話しも日本語でしたいと言うので歓迎したわ。ジャズに関してのことも多かったし、話していて面白かった。パムは嫉妬してたのだけど、日本語で何を話しているか分からなかったからというのもあると思う。あと、彼女はうつ病になりかけてたから。。。 ある日、パムとちょっとした口論になって、彼女はジャックナイフで私を切りつけようとしたの。それを止めに入ったキースが腕を切られたのだけど、泣きじゃくる彼女を説得して、後日、精神病院に入院させた。でも、数ヶ月経っても良くならなかった。。。それどころか、自虐的になってしまってね。。。4〜5ヶ月位経ったころ、パムの弟さんから連絡があって、彼女が自殺してしまったと聞かされた。キースと私はショックで逃げるようにニューヨークを離れ、シカゴに行ったの。新生活は楽しかったし、キースも私もお互いが必要だと信じてた。でもね、気がついたの。。。それはただお互いを慰めあっているに過ぎないって。。。一緒にいると常にパムの幻影がある気がしたのね。。。だから、良い友達に戻ろうということになった。そう、お互いに嫌いになったわけじゃないの。彼との恋愛はお互いに家族愛のようなものでしかなかったと気づいた。だから、別れた。時々連絡を取るけど、もう、本当に親戚っていう感じしかない。まるでもうひとりの兄のようだわ。彼も今は好きな人がいるって言ってた。
世の中って狭いなって、最近思ったのだけど、実はキースと林先生がお友達だったのよ。私と別れた後に林先生と知り合ったらしくて意気投合してしまったと言ってた。で、あの天才武藤くんがアメリカに5週間の武者修行先でお世話になったのが、そのキースだったの。武藤くんが帰国してから私に話してくれたのだけど、もう、びっくりしちゃった。でも、確かに武藤くんには最適なホームステイ先だったはず。私の話で盛り上がったみたいだった。武藤くんって、とっつきづらいけど、すごく繊細で優しい子だとキースも言ってた。 と、まぁ、そんな事があったわけ。現在、樹との関係は理香子と俊介だけが知ってる。彼女たちには樹がどうしてるか話す。。。そんな感じかな。 どう、びっくりした? 幻滅しちゃったかしら。。。」
「あまりにも経験が豊富なのがわかって、圧倒されています。びっくりしました。でも、それ以上に、知れてよかったと思ってます。幻滅なんてしてませんよ。たくさんの経験があった上で僕を選んでくれたのだから、すごく嬉しいし、自分は幸せものだと思えます。僕じゃ物足りないのではないかという不安があります。真希子さん、本当に僕のこと好きですか?」
「好き、大好きなの。それなのに同じ学校の教師でもあるから、 もう、どうしたら良いのか分からなくなるときがあるの。。。あと数週間であの学校の講師は辞められるから、少しは気が楽になるかもしれない。3年生が卒業するまでいてほしいって言われて、嬉しかったけど現役の先生も帰ってくるし、私は次のところは5月には決まってたしね、ちょうど良かった。」
「つぎのところって、美術学校の受験用デッサン科って言ってましたけど、また高校生がほとんどなんですか?」
「高校生もいるけど、浪人生のほうが多いかも知れない。みんな必死。技術だけではなくて、精神面でも支えないといけないから、難しくなりそう。 大丈夫よ、恋愛なんかしている場合じゃない人ばかりだから、私なんか目に入らないし、私も、もう樹がいるから他に目が行くことはないわ。」
「なら、少し安心しました。」
そう言って、抱きしめあった。もう少しでコソコソ会う必要はなくなるだろうか? 年の離れた恋人を世間は鋭い目で観てくるのではないか? 私はこんな性格だし、あまり気にしないと思うけど、樹には厳しい風当たりがあるのではないか? せめて、だれか信頼できる人が知っておてくれる方が樹にもよいのではないか?? 理香子と俊介は信頼できると言っているけど、あくまでも私側の人間。樹に親友と呼べる人がいるのかしら?
「ねぇ、樹、貴方には親友と呼べるような人いる?」
「正直に言うと、いません。だから、何かに行き詰まると、いつも自分で解決してきました。弟とは仲がいいですけど、まだ中学1年の13歳なので、複雑なこと、特に真希子さんとのことは話せてないのです。話してみようかなと思ってはいますが。。。刺激が強いかなと。」
「そうか、それもいいよね。いつかきっと弟さんも理解してくれると思うけど。。。なにかきっかけがないと話せないかもしれないね。。。」
「僕、西田先生なら話せるかも知れないって思ってますが、真希子さんと職場友達だし、まだいいかなって。。。だから、真希子さんが退職してからなら、少し考えを聞いてみようかな?」
「西田さんて、飄々としているけど、すごく深く考えてくれる人なのよね。今回の林さんのことでも、裏方に回って、関くんと武藤くんをものすごく応援してて、それを他言しない。信頼できる人だと思って良いかも知れない。 樹の書の変化を一発で見つけたし、繊細な人なんだと思う。 行き詰まったり、どうしても同性の意見が欲しいとき、頼っても良いかもね。書道の関係上、卒業しても付き合えそうだし、私もあの2人とは今後も外で付き合うつもりなの。音楽の友かな。」
「林先生は、そろそろ立ち直っていると思いますか?」
「彼ね。。。げっそりしてたものね。。。なんとか早く立ち直って欲しい。 それにしても奥さんだった杏子さんの声は素晴らしかったわ。あの録音がすでに発病後ということは、それ以前がものすごい実力のある歌手だったということね。スタジオミュージシャンって、昔から実力重視だから本当に上手な人ばかりなのよね。歌手デビューは考えてなかったらしい。スタジオミュージシャンに徹したいと思ってたみたい。おまけに英語も黒人の発音がしっかりしてて、かっこよかった。流石、ゴスペル教会で鍛えただけあるわ。すごく惜しい。。。」
「そうですね、僕は最初聴いたとき、日本人とは思えませんでした。車椅子を使っているところしか観たことないですけど、華奢で小さな女性でしたね。華奢って、痩せているという意味じゃなくて。。。」
「今度、彼女の妹さんに昔の写真とか見せてもらおうか? 林先生に見せてと言える日が早く来ると言いけど、当分はそっとしておきたいしね。」
「妹さんの奎子さんって、真希子さんとほぼ同い年みたい。かなり年の離れた姉妹だったんですね。」
「そうよね、林さんが35歳だし、杏子さんはもうすぐ40歳だったと言ってたから、一回り以上下かも? オランダに帰るのかしら? まだオランダの大学の研究室に残っていると言ってたみたいだった。オランダだから遠いわね。。。薬学を専攻してて、きっと筋ジストロフィーに関しても研究していると思う。西川くんと楽しそうに話してた。お似合いかもしれないね、あの2人。」
「西川先輩がデカいから、隣りにいる女性が年が上でもそう観えないのかも。真希子さんもそうだもの。。。 僕と並んでもそんなに離れた年齢に観えないですよ。僕を見上げてくれてるときって、すごく可愛いんですよ。」
「あら、、、そうなの? 樹も背が高いからね。ヤマハにタンデム乗りしてるときは、きっと可愛らしい彼女に観えているのかも知れないね。(笑)」
「そんなの関係ないですよ。 ま、自慢できる女性を乗せているという自覚はあります。」
あと数週間、こういう隠れた感じで2人だけの時を過ごすのだけど、隠さなければならないというもどかしさはあるけど、何故か罪悪感がない。同意のもとであるのは確かだし。。。
「樹、お誕生日、いつだったっけ?」
「僕の誕生日ですか? 5月3日、憲法記念日です。(笑) あ、そうか、僕が18歳になれば、真希子さんに罪悪感は必要なくなるんですよね。」
「うん、まぁね。。。とにかく誰かに気づかれて、嫌なことされるとすれば、淫行罪を使われる。そうなると、同意のもととは言え、私の経歴にしっかり汚点として残ることになる。就職どころか、教師のバイトができなくなるわ。」
「僕は耐久力ってある方なんですけど、真希子さんとの関係をひたすら隠すってけっこう辛いです。。。 ところで、真希子さんの誕生日って、いつなんですか? 」
「私の誕生日は1月15日、昔なら成人の日だったわ。」
「もうすぐですね、何か考えておきます。でも、お祝いはここでということになると思います。。。安全重視にしないと。。。」
とうとう二学期の最終日となった。美術室は綺麗に掃除して私物は少しずつすべて撤去した。この教室で樹と西川くんをデッサンできたと思うと、感無量だ。講師の仕事は色々な学校でやったが、こんなに楽しかったぢごと場はない。楽しいだけではなく、たくさんの出来事と遭遇して、自分を高めることができた気がする。 その最たるものが館野樹だった。10年の年の差があるというのに、あの子は手放したくないと感じている。彼の方から終わらせたいと言われたら、そうせざるを得ない。とにかく次の5月3日が過ぎるまで、何の進展も期待してはいけない。恋人らしく外でデートするのも近場ではありえない。様子を見ながら焦らないようにしたいものだ。樹だって、受験を控えた学年になってしまうのだから、私も自重しながら、彼をさぽーとしないと。。。 さて、音楽室に行くか。。。
ドアを開けると、一斉にクラッカーが鳴らされ、素晴らしい音響システムで、キース・ジャレットをかけてくれた。まるで、NYのブルーノートのようだ。会話の邪魔にならない。大好きな生徒たちと一緒に、お世話になった教師陣、そして、なんと、山本奎子さんが来てくださった。
「奎子さん、来てくださって、本当に嬉しいです。そろそろアムステルダムにお帰りかと思ってました。」
「お正月まで滞在して、しばらく向こうに戻りますが、この3年生達の卒業の頃、また日本に来ます。 今日は西川くんが誘ってくださったんですよ。賢三義兄さんよりも先に!(笑)」
「私はお正月は親戚周りを約束させられていますし、4日から仕事なんです。受験生の指導なので、大変なときに突撃しなければいけなくて、不安ですが。。。」 奎子さんは非常に話しやすい。外国慣れしているところが、私にはすんなり受け入れられるのだろう。話題も共感が持てるものが多くて、ほぼ同い年ということもあって、仲良くなれそうだ。珍しく私からWhatsAppのIDを交換しようと持ちかけ、すんなりと友だちになれた。気がつくと、樹が私の脇に、西川くんが奎子さんの脇に立っていた。私は思わず笑いだしてしまった。
「皆さん、今日は私のためにお集まりいただき、ありがとございました。 私は色々な学校で講師をしましたが、こんなに素敵な学校は初めてでした。前向きな生徒と理解ある教諭陣、進学校だというのを聞いたときは、ドライな気持ちで任せられた期間だけ頑張ればよいのだと意識的に考えていたのですけど、まるで旧友たちと一緒にいるような気分でした。感謝しています。 これから受験生たちにとっては不安な日々が待っていると思いますが、どうかベストな状態で受験に臨んでくださいね! また遊びに来ます。卒業式は絶対に来るからね! ありがとう!」
和やかな雰囲気のまま、みんな帰ろうとしなかったが、流石に林先生が声をかけた、
「はっきり言って、今日はキャンプだな!という気分にさせられるほど楽しいひと時でしたが、どうしても解散しないといけない。。。後ろ髪を引かれるけど、みんな、また会えるから心配しないで、楽しい冬休みを過ごして欲しい。受験生は追い込みだ!ただし、健康管理のほうが大切なので、風邪は絶対に引いてくれるな! そして、楽器が使いたくなったら、いつでもストレス発散に協力するから連絡してくれ! じゃ、真希子先生短い間だったけど、濃厚な時間を過ごさせてもらいましたよ。、ありがとうございました。 じゃ、みんな解散!片付けは西田先生がやるから心配すんな!(笑)」
「え? 私ですか?? 仕方ないな。 では2年生は全員手伝ってください。 館野くん、頼みましたよ。。。」
樹は眉尻が上がっていたが嫌とは言わなかった。 私に目配せして来た。きっと今晩来るのだろう。 案の定、メッセージが入った。『あとで行きます、待っててください』 私は思わず口角が上がってしまった。
「ねぇ、樹、貴方も年末年始は忙しいのでしょう? 書道家は書き初めとかあるんじゃない? 」
「あぁ、そうなんですよね。正月は家のことやると決めていたから。どちらにしても真希子さんも、親戚の人達と集まって、その後もすぐに仕事でしたよね。」
「そうなの。しばらく逢えないね。。。」
「15日は空けておいてください。」
「あぁ、そうね、15日は絶対ね。 それまでもメッセージくらいはしようね。」
「できればメッセージだけじゃなくて、ビデオ電話にしてください。」
「わかった! OK、来て、樹!」
今生の別れでもないのに、少しでも区切りのついた今、樹は嬉しそうだった。優しく、激しく、私に触れていたいという気持ちがよく分かる。そんな時間を翌日の夕方まで続けた。 私もよく体力がついたものだ。 私達は各々、毎年恒例として自分の親族に係る年末年始を過ごすことになる。メッセージを送りあい、夜はビデオ電話をするという年末の日々。それでも新年最初の挨拶はカウントダウンと一緒に樹とビデオ電話で過ごした。 樹はお母さんの間係上、書道関係のことでいそがしい。そして私の新しい仕事初めは4日からだ。新年いつ逢えるか。。。私の誕生日までは逢えないかもしれない。。。
Something cool and something new
珍しくジューン・クリスティーの名曲『Something Cool』を聞いている。彼女のハスキーな声は、激務と言える美術学校受験用講師の仕事初日から、少しだけ遠ざけてくれる感じがした。夏用の曲なのに癒やされる。。。 50年代、60年代って、音楽、特に歌手は完璧なエンターテナー、可愛いだけで歌も演技も下手というタレントと称されるような人たちはアメリカにはいない。60年代に入ってのアメリカの黒人音楽は、特にソウルなどの登場は、黒人を孤立化させる傾向も観えた。。。ソウルトレインは、白人にも人気があった番組だけど、黒人が中心であり、ミュージシャン以外は白人はスタジオにいない。 私はシュープリームスも好きだけど、ダイアナ・ロスの入っていない2人の頃のほうが好きだ。メアリー・ウィルソンのしっとりとした声が好き。同じ曲を歌ってもダイアナ・ロスとは全然違う。 そんな事を考えながら、林賢三の奥さん、杏子さんのことを思い出していた。彼女の歌声は素晴らしい。現役で歌っているところを聴いてみたかった。裏方に徹していたいという彼女の希望から、ソロでは聴けなかっただろう。林先生の後ろでコーラスの一人になっていただけかも知れない。妹の奎子さんは、今まだ御実家にいるようだったが、アムステルダムに戻る前に逢えないだろうか。。。武藤くんたちの卒業式には来てくれると言ってたらしいけど。。。関くんの受験は同じ3月。発表は卒業してからになる。彼は一橋大学を希望している。武藤くんは芸大を受けないことにした。特待生を約束した国立音大、要するに関くんが行くであろう大学と同じ中央線沿線に決めたのだった。多分同居を始めるのだろう。 男女が一緒に暮らしだすと『同棲』と言うけど、ゲイカップルにも当てはめて良いのだろうか? 日本は変なところで厄介な言葉を使う。。。面倒だ。とにかく、関くんの合格を心から祈りたい。
美術科の受験は、とにかく実技がメイン。基礎としてのデッサン力は充分にないと合格は不可能。東京芸術大学など、その昔、50人取るところ3000人の受験者がいた。未だに日本一の狭き門である。そのために現役の高校生が合格することは非常に稀で、平均で2浪という具合。私立大は学費がものすごく高いので、国立で学費が安く、最も望ましい教授がいる芸大がどの学科も一番人気である。かなり昔、9浪という人が合格した事がある。はっきり言って10年間も芸大受験に人生をかけてきたわけだ。。。講師よりも生徒が年上だったりは、よくある。でも、殆どの場合、和やかでお互いを高め合ったり、休みには一緒に遊びに行くなどの交流も盛んである。今月終わり、私立大の受験がスタートする。東京には私立の最高峰2校があるので、やはり、東京にいる子が強い。 私は油彩学科の受験科でデッサンを受け持っている。油彩なので、木炭デッサンである。15名ほどいる。現役の生徒は4名、後は1浪と2浪。やはり浪人生は上手い。
東海高校のときよりも私自身の緊張感は少ないが、見るからに殺伐としているので、4月から受け持てばよかったと思ったが、人手が足りないからこの2ヶ月の集中期間を任されたわけである。。。
「受験科の講師、加納真希子です。短期間ですが、芸大の2次試験は通れるように、できる限りの指導はします。よろしくお願いします。今更石膏像なんてと思う人もいると思うのですけど、石膏像は基本中の基本であり、M美は非常によく出ます。一人ひとりの傾向をつかめるので、この3日間は石膏像を描いてください。それから、私は甘くないです。」
生徒たちは、予備校ということもあり、今はみんなストイックだ。今まで徹底的に描いて来た石膏像なのに、黙々と描き始めた。描き始めて30分しないときに一人立ち上がり、外に出ようと歩き出したので、待ったをかけた。
「ちょっと待って、なにか足りないものがあるの? この中から使いたいものを取っていいわ。」
私は持参した道具入れを持って見回っていたので、すぐに差し出した。 彼は練り消しゴムを取って描き位置に戻った。私語もほとんどないまま、その日の授業が終わった。
「先生、練り消し、ありがとうございました。」
「はい、どういたしまして。受験日前日は、道具のチェック、忘れないでね。 どう?調子は? 貴方は私立も受けるのかしら? M美? T 美?」
「今回落ちたら、もう浪人できなくなるので、M美を受けておくつもりです。目標は芸大です。」
「そうなんだ、学費は高いけど、M美もT美も、すごく良い大学だから、ガッツリやってね!」
「ガッツリって。。。いつも全力投球してるのですけどね。。。」
「そうだよね、変なこと言ってごめん! 」
「いや、良いのですけど、最近、ちょっとトゲ出てきちゃって。。。」
「今は一番気が張る時期だものね、健康管理だけは十分にしておいてくださいね。風邪が一番曲者だから。。。じゃ、私はこれで。」
「先生も、もう帰るのですか? よかったら一緒に帰りませんか? ついでに焼き鳥屋でいっぱいいかがですか?」
「あぁ、貴方は2浪なの? OK 付き合うわ。でも、私飲めないのでノンアルのあるところでね。」
「え? 飲めないのですか? そうかぁ、、、でもあの焼き鳥屋、きっとノンアルのビール扱ってそう。 行きましょう!」
なんと、初日に生徒から飲み屋に誘われてしまった。 佐々木俊也は20歳2浪。なかなかハンサムで、モテ男のようだ。ツーブロックの髪型もおしゃれだ。学生の頃の友人たちも、こういう雰囲気の人が結構いたかも知れない。
「先生、酒飲めないと、宴会とかつまらないでしょ?」 と言いながら佐々木くんはタバコに火を着けた。ここは喫煙できるようだ。
「飲めるのよ!それも結構強い酒が好き。 でもね、私バイクで通っているの。だから飲酒運転できないってことなの。」
「バイクなんですか?そのデカい袋はヘルメット? いいなぁ。。。浪人生には夢だな。。。」
「いつか、乗れるように頑張ってよ。大学行ったらバイトするんでしょ? 先に免許取っておくのもいいね。 全ては受験が終わったら!」
「もう3浪はできないから、なんか、行き詰まっちゃってますよ。親友はすでに芸大受かっちゃってるので、追いかけていかないと。。。」
「そうかぁ、ちょっとプレッシャーね。。。今は余計なこと考えないようにしないと。 あと、学科もしっかりやっておいてね。 よくいるのよ、せっかく実技を突破したのに、学科で落ちた人。。。信じがたいけど。。。芸大の学科は国立と言えないからね(笑)」
「一応対策と傾向、掴んでいるつもりなんですけどね。学科の方は一応週2日予備校行ってます。ルネッサンス期の丸暗記(笑)」
「それって、私の頃と変わってないってことだわ。。。(爆笑)」
美大のことを中心に真剣な話し、そして楽しい話もして、あっという間に10時をまわってしまった。
「付き合ってもらって、ありがとうございました。今日は何か、人と話したかったんです。知りたいことも知れたし、やっとエンジンかかりそうです。」
「いいえ、私も楽しかった。今日だけはここは私が払うわ。今日だけよ!」
「え、? これ俺が誘ったんだから払いますよ。」
「私、給料もらっているのよ。浪人生にお金は出させないわ!」
「あぁ、そうですか。。。すみません。。。では、お言葉に甘えて、今日だけ。」
結局、私が駅まで送るような形になってしまった。佐々木くんが改札口に行ってから、手を振って、私はバイクのある学校に戻った。バイク通勤を一切隠す必要がないのは助かるけど、お酒飲んで愚痴の一つも同僚と語れないのは残念。。。ま、ここの仕事も3月いっぱいだし、講師の仕事を更新されるかどうかは微妙だから愚痴る暇はないだろう。 インカム着けてヘルメット被って、バイクを外に出し、ブルートゥースから音を小さめにして出力を決めて選んだのは、武藤くんと関くんを思い出せる曲、グローバー・ワシントン・ジュニアだった。エンジンをかけ、ふと見上げると目の前に佐々木くんが立っていた。
「これが先生のバイクなんだ。 でっかいのに乗ってたんですね、俺、原チャリかと思ってましたよ。」
「あ、ははは、、、そう、私の愛車これなの。いたずらしないでよね!(笑) じゃ、気をつけて帰って。貴方は成人してるけど、受験生であることは変わりないから。あと2週間でM美のデッサンよ! じゃね、また明日。バイバイ!」
なんか、弱みを握られたような気分になるのは、前職場が高校だった私の悪い癖かも知れない。 飛ばした。。。帰宅するなり、樹に電話してしまった。
「真希子さん、どうしたの? メッセージでもなくて、いつもよりも早くないですか?」
「ごめん、いるかどうか確かめたの。今帰宅したところなんだけど、シャワー浴びたらまた電話するから、待っててね。じゃね!」 なぜ慌てているのか?自分でもよく意味がわからない。 熱いシャワーを浴びると、すーっと変な不安が溶けていった気がした。
「樹? ごめんね、びっくりよね。。。 声が聞ければ少し落ち着けるかなと思っただけ。 しばらく逢えてないもんね。どう?書道家の集いとか書初めのほうは?」
「いや、いつでも嬉しいですよ。 落ち着けたのであればそれでいいけど。。。 その書道協会のほうが面倒が多くて。。。松の内までは縛られっぱなしです。西田先生とこっそり逃げようかと相談もしたり。。。(笑)」
「西田さんが一緒なら若干でも退屈しのぎになるんじゃないの?」
「まぁ、そうなんですけど、僕の母親が西田先生を独占して話し込んで、すごく迷惑かけているんですよね。。。」
「そうか、でも西田さんなら上手にやってくれるわよ。 そうなると学校が始まるのが楽しみかもね。」
「どうかな。。。真希子さんがあの学校にいないと思うと、なんか、モチベが上がらないです。3年は今、殺気立ってるし。。。」
「それなのよ、、、私のところも、受験科だから、みんなすごいプレッシャー感じているらしくて。。。次がないと思っている浪人生とか、気の毒でね。。。私まで首を絞められている気がしてくる。 だから樹の声が聞きたくなっちゃったのよ。」
「学校が始まったら、逢いに行こうと思ってたんですけど、真希子さんのほうが忙しそうですね。。。」
「そうね。。。とりあえずは今月終わりまでキツイのだけど、、、逆に逢って癒やしてほしいかも知れない。でも、15日までは、声とビデオ電話で我慢するから! 」
「分かりました。風引かないでくださいね。」
「うん、わかった。。。安心したせいか、寝落ちしそうだから切るね。 大好きだよ、樹!。。。」
「僕も大好きですよ、真希子さん!」 彼の長い腕にしっかりと抱かれた気分になって眠ることにした。何も片付けてない。。。ま、いいか。
3日間の石膏デッサンの3日目は半分が公評になる。全員の作品を並べて、かいつまんで指導することになる。
「みんな技術的には、すごく上手です。 石膏像はかなり書き込んできているので、その個体のクセと表現も理解できていると思う。ただし、『慣れ』が目立つ。大学別傾向で行くと、M美と芸大は、硬い感じを嫌います。細かい線で表した部分を、ドーンとガーゼではたいてしまうのも手です。 一人ひとり呼びますから出てきて」 何人か進んだあと、佐々木くんの番が来た’
「佐々木くん、写実的ですごく上手。でも、貴方鉛筆デッサンのほうが得意でしょ? 違う??」
「あ、当たりです。」
「この感じだと50%、50%だと思うの。日本画だったらもう、言う事無しで入れるわ。 さっきも言ったけど、ガーゼを使う勇気を持ってみたらどうかしら? フワッとさせるために、壊すの。それから、練り消しは止めて食バンにしてみることも薦めるわ。練り消しは一点を白抜きにすることだけに使うと良い。それが欲しいところも必ずあるから。」
すべての評価を個別に話したあと、今週残りの2日間を全く同じものを短時間で描いてもらう。私の意見がどう影響、反映するかが見ものだ。 全然聴いていない生徒もいるだろうし、反発して自我を通す人も出てくるだろう。いちいちそれを気にしていると、自分が参ってしまうから気をつけないと。。。私は元来ドライと言われる女だから、予備校の生徒になんて思われようと気にしない。ただ、思い余った人が渡しに恨みを持ってバイクにでも細工されたら大変だけど。。。どちらにしても私は正直なことしか言わないし、今が受験生にとってどれだけ繊細な時期かもわかっているつもりだ。甘いことを言って、褒め殺すのもいいけど、絶対に本人のためにはならない。
2日間のおさらいのようなデッサンは完成した。80%の人たちが前回よりも良い作品になったように見える。私の個人アドバイスは、まぁまぁ良かったと言ってもらえると嬉しいが。。。 驚いたのは佐々木くんの作品だった。200%良くなっている。
「佐々木くん、大胆に思い切ったんだよね。これはすごく良くなった。貴方独自のスタイルがあることはわかっているけど、一歩踏み込んでくれて、ありがとう。」
「先生のおかげですよ。引っかかっていたものを、一発で見抜かれた感じしました。」
「私も元受験生だから、壁のぶち壊し方は少し習ったからね。 あ、そうだ。佐々木くんは素描試験のときは、食パンを忘れないで前日に用意してね。芸大、美大の近くのコンビニは、試験日の朝、食パンは売り切れよ。」
「では、来週は静物になります。日本画科、デザイン科の受験生は、鉛筆の用意、ちゃんと削ったものにしてきてください。鉛筆をカッターや小刀で削っておくこと、木炭の人たちも芯抜きは忘れないように自宅でやってください。」
「あのぉ、、、木炭の芯抜きってどうやるのですか?」 驚いた、そんな基本も知らない子が受験科にいるって。。。どうやら現役の高校生だが、ここの先生方は何をしているのか??。
「どの木炭を使用しているかは個人の自由なのだけど、ほとんどの木炭は本物の木を燃やしたものなのだけど、鉛筆のように真ん中に芯があって、それを針金の棒で抜くの。この針金はこの学院の売店にもあるはずだし、画材店で売ってる、自宅に同じような物があればそれでいい。そうっとね。必ず貫通するから。それを抜いてないと、そこが木炭紙にあたっただけで色が変わり、おまけに消しにくい。。。。 そうか、わかった、今見せるから、自分たちで自宅でやってみるように。あと、鉛筆の削り方だけど、、、まさかできないひといないよね??」 そう言って、持参した未使用の木炭の箱を出し、一本出して、やり方を生徒に見せた。こんなサービスしている講師は私以外いないだろう。。。
「なんか、エロくね?(爆笑)」
「おい、佐々木くん、後でフルボッコな。」 お陰でその場は和んだ。緊張を解すことも非常に大切な受験前の必須事項である。
「では、今日伝えたことをしっかりと思い出して、週末は自分の手のデッサンをしてください。あのラファエロも自分の手のデッサンを何百、何千と残しています。宿題ではないけど、できれば月曜日に見せてください。今はとにかく手を休めないこと。目も休めないこと。目って、観察眼ね。じゃ、お疲れ様でした。」
金曜の晩だと言うのに、樹と会うこともできない。理香子のところにでも寄るとしよう。 駐車場に行くと私のバイクのタンクのところにポストイットが着いていた。
「先生、美大受かったら、バイク無しでちゃんと酒飲みに行こうぜ! 芸大までの中休みだから。TSより 」
TSかぁ、、、佐々木くんは名前が俊也だったな。やっぱり20歳となると可愛いお願いじゃないな。ま、一回くらい付き合ってあげるか。。。M美に受かったらな。
「もう、真希子は本当に年下キラーだよなー! びっくりたまげちゃうわ! 私にも教えてよ、どうやったら若い子にモテるようになるか。。。」
「出会いがたまたまあるってだけよ。。。理香子は俊介がいるからいいじゃない。いつまでも、いつでもラブラブじゃん。私なんか、あと1年以上、ラブラブってわけには行かないのよ。そのうち、樹ももっと若い子が良くなっちゃうかもだし、複雑な気分だわ。。。」
「樹くんは大丈夫よ。あの子、ストイックだし、モテることを全然気にかけないで塩対応オンリーだし、よくぞ彼を捕獲して閉じ込めたものだわ、あんた! 大体さ、あの子真希子と付き合いだしてから、やけに色っぽいし、いい男度が3割増だって思うのよ。真希子ってすごいわ。。。私も俊介が私と付き合った頃、誰かが彼が3割増にいい男になったと思ってくれてたら良いけどな。。。 ところでさ、私達、そろそろ籍入れて、子ども作ろうかと思っているのよ。どう思う?」
「えー!うそ!! 大賛成よ!! っていうか、どうしたのよ、いきなり?? 結婚そのものに興味ないと思ってたよ。。。」
「あの東海校の学祭で、林さん夫婦を見たじゃない? 奥さん、子どもが欲しくてがんばったのに、2回も流産してて、諦めきれないときに病気発覚って、私達、凄くショックを受けたの。。。もう十分に結婚しても良い境遇で避妊してたし、20代前半は子どもなんて考えられなかったけど、俊介が欲しいと言い出してくれたの。親たちもきっと喜ぶかなって。。。」
「そうかぁ、大賛成だよ。 となると、また私は出遅れるんだな、きっと。。。ふと気づくと、もう、若い子たちは若いパートナーのところへ行き、オバサンは一人取り残される。。。なんてことになったら私、どう生きていこうかしら。。。」
「真希子、あんたは大丈夫よ。絶対! それに樹くんが、どれだけ貴女が皺くちゃな婆さんになっても、手放さないと思うわ。ま、要は今の真希子の魅力は容姿だけじゃないから、それを磨くことさ。」
「だといいけどね。。。5月なの、樹が18歳になるのがね。。。法律上、倫理上、私と性関係を持っても咎められることはない。今はただひたすら、関係を隠し通しておかなくちゃいけない。 私来週で27歳だわ。。。また引き離してしまうんだ。。。」
「バッカじゃないの!? そんな事考えても一日は24時間以上にはならないのよ。いい加減にしてよ。樹くん、可愛そう。。。 そう言えば、西川くんの方はどうなったの? 彼はとっくに18歳だったし、大学も完全推薦で余裕のヨッチャンだったんじゃなかった?」 すると俊介が帰ってきた。
「ただいま! お!真希子じゃん、久しぶり。良いお正月だった? あけおめ〜〜」 俊介はお酒が入っていた。
「あ、お邪魔してまーす、あけおめ〜〜(笑) ご機嫌じゃない! 誰と飲んでたの?」
「編集長。でも、面白い話しだった。 あ、そう言えば、西川くんだったっけ?あの男バスのでっかい子、彼を見かけたよ。声かけたらさ、なんと、あの奎子さんだったっけ? 林先生の奥さんの妹!彼女と一緒にいた。楽しそうだったよ」
「えー!?真希子、西川くんって、チャラ男だろうとは思ったけど、まさか、年上女オンリー派になったんじゃないの? もう真希子のこと諦めて、同い年の違う美人さんに乗り換えってことかしら??」
「止めてよ理香子。。。(笑)彼はかなり真面目な子なのよ。イケメンだし、あの背の高さだから誤解されることも多いと思う。 もしも奎子さんといい関係ができているとしたら、私は嬉しいかも知れない。奎子さんは絶対に良い音楽の影響をお姉さんから受けていると思うの。確か杏子さんはソウルが好きだったはず。西川くんがソウルを覚えられたら、ベースも格段に上達しそう。期待しちゃおうかな。。。 ところで俊介、理香子から聞いたよ。。。」
「あ、もう聞いちゃったのか。。。楽しいだけの同棲生活に終止符を打って、本物の家族になるんだ。名案でしょ? あの林先生と奥さんに、ものすごく感動しちゃったんだよね。自分たちも、同じように愛し合えるって確信持ったんだぞ! ねー、My darling 理香子さーん!」
「真希子、ごめん、こいつ相当酔っ払ってるわ。。。」
「さてと、私は帰るとするよ。俊介に『帰れ!』って言われているようなもんだわ。。。(爆笑) お邪魔しました。。。」
理香子たちのマンションをあとにした。なんだか、体が軽くなるような気分。理香子と俊介、とうとう結婚か。そして、西川くんが奎子さんから影響を受けられて、もしも付き合いが始まったら、なんて素敵なんだろう。樹に報告しちゃおうかな。
武藤と西川のセッションは?
東海高校の3年生達も、すべてが自習で学校でも自宅でも許された。そのせいかみんな殺伐としていた。武藤くんは関くんの邪魔をしたくないということで、ほとんど学校に来て音楽室で過ごしていた。同じように進学先が決まっている西川くんも音楽室を利用するために学校に来るようになった。
「武藤、そろそろ入学手続き終わった? 完全特待生は待遇良さそうだけど、先生とかと会った?」
「入学手続きは済ませた。先生にはまだ会ってない。学費免除は魅力的だよ。うちは弟もいるし、金がかかるからね。西川も同じようなものじゃないのか?」
「俺は特待生じゃないよ。ただの推薦入学だから学費は払うんだ。ま、頑張るさ。(笑) ところで、関は、今が追い込みだし、ベースも弾けてないのかな? 色々と聞きたかったんだけど。。。」
「家で気分転換に弾いてるみたいだ。ここに来ちゃうと、勉強に戻れなくなりそうだし、来るなと言ってある。 何が知りたいんだ? 俺でも教えられるところもあると思うよ。」
「うん、ソウル系のベースを弾きたくなっちゃってね。。。 林先生の杏子さん、ソウルやファンクが好きだったって聞いて、あの曲もソウルなんだよね? 彼女、すげー上手いのにはびっくりした。 その後、妹の奎子さんとたくさん話す機会があって、杏子さんとソウルについてたくさん教えてもらったんだ。」
「奎子さんと逢っているんだ? 良かったじゃん。彼女は杏子さんのサポートしながらソウルをしっかりと習ったしね。 まだ日本にいるなら、俺も今度会いたいな。 ソウルのベースなら、色々薦められるよ。奏法は全部できるようになった?スラップとかやりたくない?」
「そう、そのスラップを習得したくてね。どんな曲が良い?」
「スラップならルイス・ジョンソンなんか最高だよ!本当にスラップという言葉通りに弦をひっぱたいてんの。昔はさ、チョッパーっていう人が多かったんだ、切ってる感じ。いつからかな? スラップって言い出したの。。。 マーカス・ミラーになるとジャズからジャズ=フュージョンだし、テクニックもちょっと高度だからね。 ルイス・ジョンソンも高難度だけど、曲に行けそうなのあるし、ルイス・ジョンソンがいいよ。今聴いてみる? 俺、ここのブルートゥースに繋げるようになってるから。 この曲ならヒットしたし、途中まではフィンガーなんだ、で、スラップに入る。かっこいいぜ。 曲名は『ストンプ』 ちょっと早弾きだけど、すぐできるようになるよ。 力也も最初は苦労してた、西川も指長いし、あとで、マーカスがやってるところのアップ映像観せるし。」
「うわー助かるよ! 武藤がこんなに教えてくれるとは思わなかった。(笑)」
「まぁね、最近、お願いされたら少し教えることにしたんだ。後輩が育ってないからね。。。ここの軽音、有名になったけど、みんな真剣なのかどうかわからない。林賢三は孤立させたくないしな。 あ、あった。これがマーカス・ミラーの手。すっげー上手いんだよ。奎子さんはルイス・ジョンソン好きだと思う。力也のベース、あれはこのルイス・ジョンソンと同じやつ。ミュージックマンのスティングレーだよ 高かったけど、力也はバイトして頑張ったんだ。フェンダーよりも硬い音が出てるのは、西川も自分がフェンダーだからわかるだろ?」
「こうやるんだ。。。俺にできるかな? このフェンダーも、売ってもらえるかどうか林先生に聞かないと。。。もう、しっくりきちゃってて、手放したくないんだ。。。」
「フェンダーのジャズベはすごいよ。なんでも演奏できる。あのジャコ・パストリアスの名器もこれだよ。 あとね、もう一曲。。。これは杏子さんとムゲンが昔一緒に演奏した曲。クルセイダーズの『ストリートライフ』このヴォーカル、ランディ・クロフォード 杏子さんが大好きな女性ヴォーカリスト。杏子さんが言ってたのは、このランディは、どんなに悲しい曲でも笑って歌うんだって。そのとおりなんだ。杏子さんと奎子さんはアメリカのイリノイ州で育ったから、英語はもうネイティヴ、杏子さんの歌なんて、黒人が歌ってるのかと思うよ。ゴスペル教会でクワイアやってたから基礎を習っているんだ。その頃、奎子さんはまだ赤ちゃんだっただろうけどね。多分ムゲンがその録音持ってるよ。ムゲンも若い頃だからすげー迫力あんの。アイツにサックス教えてもらったんだからな、俺。」
「武藤、とうとう林先生のことムゲンと呼び出したのか? まぁ、アニ研にコスプレさせられて、そっくりだったしな。本人も気に入ったらしいし、いいか!(笑)お前はすごい知識もあって、良い人に囲まれてサックスが上手になったんだな。幸せ者なんだぞ!(笑)・・・この際、やっぱり武藤には聞いてもらおうかな。。。 俺さ、奎子さんと付き合おうかと思っているんだ。実は、彼女から告白されたんだ。」
「え? ほんとかよ? でもお前、真希子先生に惚れてなかったっけ? いいの?」
「そうなんだ。。。実は結構前から真希子先生のことが好きだったんだけど、彼女は俺には全然なびいてくれなかったんだ。柔らかく振られた感じなんだよな。。。もう手が届かないなと諦めかけてたところに、奎子さんが現れたんだよ。俺って、年上好きなんだな、きっと。。。でもさ、どっちもものすごく魅力的、でも、奎子さんは、俺の琴線に触れるところがすごく多くてさ。。。ストーンって、落とされちゃった感じなんだよ。。。」
「おぉ、そうなんだ。。。感動的だな。 奎子さんお前のこと大して大きくないって言ってたぞ。。。オランダ人に囲まれて生活してると巨人に慣れるらしいぞ。。。お前のことエレンって呼びそうだ、俺。。。」
「何だよ、『進撃の巨人』かよ。。。(爆笑)」
「とにかくさ、俺は奎子さんとお前が付き合うことには賛成だ。でも、ものすごい遠距離になるな。。。しょっちゅう帰ってくるとは言ってるけど、お前、チャラそうだし浮気すんなよな。」
「おい、俺って、チャラくね〜ぞ!(爆笑) そうか、武藤に話したら、すごくスッキリした。奎子さんのこともよく知ってるから信頼できるよ」
「でも、遠距離って大変そうだな。。。今はビデオ通話できるけど、恋人って、そういうので簡単に安心できないよな。。。すぐに会いたいとか、触れたいって思うんじゃね? 俺だったら、4年間も無理だ。 西川はできるの?」
「それも話し合ったんだ。。。トライアルだって言われた。彼女は研究室に残っている博士だから、融通は利くらしいのだけど、金もかかるしね。。。」
「それにしても、いやー西川くん、奎子さんから告ったのか。。。お前、すごいぞ! で、もちろんOKしたんだよな? ムゲンが焦りそうだな(爆笑)俺はムゲンに言わないから、自分で話せや。」
「うん、即答しちゃったよ。めちゃくちゃ好みな人だし。林先生には話すよ 多分すぐにでも。」
「じゃ、セッションでもやるか。西川に合わせるよ、何やりたい?」
「俺、武藤たちがやった杏子さんがヴォーカルやった『Love you bad』が弾けるようになりたいんだ。」
「あの曲な、OK コーラスもやれよな、本来の男性ヴォーカルは力也の担当だから、俺、やらないし。。。 ドラムが欲しいところだな。大矢いないんだよな。。。仕方ないな、ループペダルでもつかうかな。 ムゲンが少し前にもらってきたんだ。使ってみたかったし、俺が合図したら西川が踏んでくれればドラムになると思う。」
「そんなのできるのか? 武藤ってドラムもできるの?」
「力也なんか、何でもできるぜ。 あ、あった、あった。これこれ。」 そう言って色々と触ったあとに武藤くんはドラムを叩き始めた。少し慣れてきて、西川くんに合図を送り、ドラムを録音した感じになった。
「もう、かなり弾いてきたと観たけど、違う? そうじゃなきゃ、いきなりやりたいって言わないよな。」
「うん、精一杯やってみているんだ、関くんのようにはいかないけど、。。。」
「じゃ、やってみよう」 武藤くんの合図で一通りのドラム音が出来上がった。武藤くんのコンダクトで、西川くんのベースがはいった。学祭のときのようには行かないが、たった2人のバンドとは思えないような迫力といい感じのセッションが始まった。武藤くんが嬉しそうだ。 そこにいきなり林先生が入ってきた。
「驚いたな、お前たち、すげーじゃん!」 武藤くんは手を止めないで続けようという合図を西川くんに送った。杏子さんの担当したヴォーカル部分のないほう、2人でオリジナルの音と同じ感じがでている。林先生は、うっとりとしていた。
「いやー、西川もできるようになった。武藤を動かすんだから大したもんだ。武藤もさ、ループペダルのやり方、よく知ってたな。許可してないけどな。。。」
「いいじゃん、誰が使うんだよ、これ。。。宝は使わないとな。 西川、けっこう弾けるようになったよね。大学行ってからも時々集まろうよ。」
「おぉ!それいいな、卒業生だから時々はここを使わせてあげるさ。後はどこかのスタジオで練習しろ。」
「西川さ、どこの大学行くの?俺と力也は中央線沿線なんだけど、近い? ま、力也はこれから受験だけど、アイツは絶対に入れると思ってるよ」
「おー!!奇遇だ!中央線だよ。武蔵境、俺はICU国際基督教大なんだ。集まれそうだね! 通学は自宅からだけどな。」
「俺達は双方の大学から真ん中あたりにアパート借りて一緒に暮らす予定なんだ。だから力也には絶対に受かってもらわないと。。。」
「武藤、そう焦るな。関はきっと大丈夫さ。でも、国立大は、甘くないんだ。焦らしちゃいけない。」
「うん、力也は絶対にグダグダ辛そうなことは言わないからさ、こっちが辛くなっちゃうんだ。」
「ところで、林先生、少し話せますか?」
「おぉ、いいよ。大学、不安? バスケやりながら音楽って、けっこうできるんじゃないかと思ったけど、大学バスケは甘くないかな??」
「いや、バスケもがんばりますよ。このフェンダーのベースも買い取らせてくれないかを聞いてほしい・・・というのが1つと、もう1つは相談」
「西川、俺は外行こうか?」
「いや、武藤にも聞いておいてほしいからここにいてくれ。」
「おい、なんだよ。。。 まぁ、フェンダーはうまく言っておくよ、きっと安くしてくれるさ。 で、もう一つって何?」
「俺、真剣に付き合おうかなと思う人ができたんですよ。。。初めて逢ったときからちょっとドキドキしちゃってたんですけど、あっちから告白されたんです。」
「おぉー!来たか、西川!お前にも春が! 西川は見た目と違って結構真面目だしチャラくないんだよね。今後はすげー楽しい大学生活になるじゃん。で、どんな人なんだ、お前みたいなハンサム野郎を捕まえた人は。(笑)」
「山本奎子さんっていうんです。。。」
「え?。。。。」
「・・・だから、林先生の奥さんの妹さんです。」
「お前、俺をからかっているんじゃないよな? 本当に奎子なの? 俺、奎子からは何も聞いてないぞ。。。」
「からかってなんかいませんよ。先生も年齢がどーのって言うんですか? 9歳年上ってことは重々承知です。」
「いやー、俺、びっくりしちゃって。。。 ほんとに??・・・ まぁ、相思相愛ならなんにも言うことなんてないぞ! それどころか、西川お前、よくやった! 奎子を落とすなんて、それも高校生が。。。俺信じられないぜ! 落とすっていうか、アイツから告って来たわけだろ? ギネス物よそれ。。。 杏子とはちょっと違うタイプの美人で、薬学博士、オランダ人に囲まれているからさんざん告られているんだけど、全く相手にしなかったんだ。。。。そうか、とうとう奎子も恋を知ったか!めでたい! 実にめでたい(笑) ちょっと西田先生呼んでもいい?」
「あぁ、西田先生にも話してくださっていいです。」
「何だ、ムゲンはすんなりOKなのか! 良かったな西川! ムゲンは話がわかると思ってたし、最強な相談相手じゃね?」
「なんだ、俺をムゲンにしてしまうのか? じゃこれから来る、ボーッとした古文の教師は、ジンと呼ぶのか? 飯塚さんが歓喜するな(爆笑) 奎子に関してはどんな相談も受けるし、力になるけど、こと女性に関しての扱いは、ジンに聞いたほうがいいぞ。アイツはなかなか鋭いし、良いアドバイスをくれると思うよ。よし、メッセージ打ったぞ。」
「そうですね、西田先生は恋愛問題は相談に乗ってもらえそうだ。」
「そう言えば、真希子先生もよさそうだぞ。彼女は奎子と同い年だし、話が合うって双方から聞いてる。方向性は違っても育った環境とか似てるかも知れない。そう言えば西川、お前、真希子先生に惚れてなかったっけ?」
「林先生もそう思ってましたか。。。 いや、正直言って俺、真希子先生のこと好きでしたよ。でも、何か、すれ違ってしまって、相手にされなかったんですけどね。 奎子さんに出会って、たくさんのことを話していたら、何かこう、胸の中を掴まれるような感覚になっちゃって。。。」
「なるほどな、今後も俺達チャンプルーズは、飲み友だちを続けていくつもりなんだが、いざというときは彼女は良い相談相手になってくれるよ。」 するとドアがノックされた。
「いや、おまたせ、私はもう帰るところだけど、どしたの? お!推薦枠の優等生たちもいるじゃないか、久しぶりだね、良い正月だったかな? もう、進学先についての事はすべて整ったのかな?」
「おい、ジン! 今日はすごい話題があるんだ。」
「ジン? ならば私は君をムゲンと呼ぶのかね?」
「そうだよ。武藤がそうしろってさ。(笑)」
「俺は何も言ってないけど、いいじゃん、2人ともドンピシャなキャラだし、真希子先生がいないのは残念だけどな。」
「そうだね、今度、チャンプルーズで会合するときは君たちも呼ぶさ。 ところで、なに? すごい話題って。」
「あぁー、実は。。。俺。 林先生の義妹の奎子さんと付き合うことにしました。」
「え? それって、あの奎子さんかね? それはそれは、なんと幸運な西川くん。 しかし君、相当な年上キラーなんだな。それも奎子さんのような知的な美人を射止めるとは! おめでとう!しっかりやりたまえ。まず、猿になってはいけない。まずは優しく接しなさい。甘く、情熱的に見つめてからそうっとね、そうっと。。。それから段階を踏んで激しく。。。それが鉄則だ。 ところで、どう告白したの?」
「それが、俺が告白されたんです・・・奎子さんから。。。」
「おぉ!それは素晴らしい。 変な義兄がいるが、アイツは何も邪魔しないから心配しなくていい。私が制御しておくしね。ムゲンくん、今晩は一杯行こうかな?」
「いや、俺は関が受験終わるまでは禁酒する。」
「そうか、それもよかろう。代わりに私が飲んでおいてあげよう。それにしても世の中どうなっているんだ。ところで、武藤くん、君の実家のパブは何時頃できるんだね? 君が演奏してくれるなら、私はすぐにでも行きたいのだが。。。」
「弟がもう少し大人になったらかな? でも、親父とおふくろは、乗り気だから、直ぐかも知れない。音響とか色々と設計するんだから、ちょっと時間欲しいかも。」
「楽しみにしていますよ。 気の利いた演奏を聞かせるパブってない。良い酒を飲めるバーは最高ですからね。 いやー、そうか、西川くんと奎子さんか、なかなかハンサムなカップルだと思いますよ。彼女はオランダに住んでいると巨人でも平気で恋してしまうんだ。(笑) ところで、これはまだシークレットなのでしょうか?他言無用ですか?」
「別に、秘密にするつもりはありませんが、奎子さんは学校関係者じゃないし、俺はもうとっくに18歳なので、変な法律に引っかかることもありませんから、大丈夫です。ただ、学校では俺が卒業してからにしてください。」
「分かりました。 私は口は堅いです。ご心配なく。 ではこれからなにかつまみでも買ってきましょう。ジュースで楽しく話そうではありませんか。武藤くんも西川くんもすでに18歳でしょ? 踏み込んだ話題もできるってものです。 私は経験値と戦闘力数値は高い方ですからね。(笑)」
「じゃ、仁さん、お願いします。俺はこの2人にちょっと1曲教えないといけないのでね。 よっしゃ、やるぞ! 『Love you bad』のFeat オリジナルの方な。強力なヘビーベースが入るやつ。 お前たち知ってた?この『Bad』の意味。これは『悪い』という意味のBadじゃないんだ。黒人はよく使うんだけどね、『very much 』と同じ意味なんだ。杏子の声であの曲歌われると、俺、もう、とろけちゃうんだ。。。最高よ全く。。。よくぞ残してくれた。」
「さてと、西川くん、関と同じにならなきゃと思っちゃいけないぞ。アイツはまた違うタイプのベーシストだからね。使っているベースと同じで、音質が違うんだ。それと、関はもう3年以上経験があるし、ジャズを聞いてる年月も中学からだから、もうベテランよ。だから、安心して、コイツのような天才でもサポートしてもらえると思えるんだ。西川くんはこれからだから。それに君、結構いい線いってるんだよ。びっくりしているよ。進歩も早いしセンスもある。今後は奎子に色々と聞かせてもらえるだろうしね。楽譜これね、よし、じゃ、やってみっか。武藤、ヴォーカルな。 1,2,3,」 1曲終わると、西田先生が帰ってきた。
「さ、秋山さん、入りなさい。 林先生、秋山さんがドアの前でバイオリン持ってずーっと立ってたんだよ。一緒に練習できないかな?」
「おー、秋山さん。入っておいでよ。君は部員だし、遠慮しちゃダメだよ。 TSOPでもやるから待ってて。こっち先に3回くらいやっちゃうからね。」 と、続けて練習を再開した。
「秋山さん、どうしたの、顔が赤いよ。 もしかして、2人の憧れの3年生がいたので、遠慮してたの?」
「西田先生、よく分かりますね。。。西川先輩と武藤先輩がセッションしているところを見られるなんて、私、夢の中みたい。。。どちらも高嶺の花ですから。」
「うん、そうだね。。。じっくり聴きなさい。この曲は、林先生の思い出の曲だから。」
「はい、学祭のとき、聞いていました。ヴォーカルが録音だった曲でしたね。林先生の奥様だったそうで。。。素晴らしい声でしたね。 おいたわしいです。。。」
「秋山さんはバイオリンはクラシックしかやってなかったんでしょ? 大きな影響を受けたんですね。でもね、あのショパンコンクールの出場者たちって、普段はジャズとか聞いている人が多いんですよ。ヨーロッパの音楽家たちは、幅が広い。貴女も、どちらの良いところもつかめて、軽音部に入って損はないです。私は書道家でもありますが、いまはピンク・フロイドのファンですから。」
「西田先生、素晴らしかったですよ。次回の学祭もなにか素敵な曲、お願いします。」
「はい、じっくりと考えておきます。」
不安と衝動
毎年、当たり前に来る自分の誕生日が、樹との年の差を広げると思うと、年を取る以前に、あまり嬉しいものではない気がする。。。土曜日にあたった今年。金曜日の夜に樹が来てくれることになった。クリスマスもお正月も二人で過ごすことができなかったから、久しぶりだ。でも、私は週明けに試験を控えた受験生相手にクタクタだった。。。各作品の講評会も終わり、できることはすべて教えたつもりだ。 今は樹と過ぎせる時間を楽しみにしている。ゆっくりとお風呂に浸かって、疲れを取ることにした。バスオイルを入れた。思いの外肩が凝っている。。。この仕事、キツイ。受験生の精神的な部分が重くのしかかる感じがする。ドライに接することができそうだと自分を過信していた。同じ経験を通過したわけなのに、他の先生方は平気そうだ。。。彼らは例えるなら、箱に入った子猫が公園で捨てられていたとしたら、無視して放置したまま通り過ぎる人たち。私はというと、、、周りの人が言うほどドライになれない。飼えなくても連れ帰ってしまう。。。里親はあとから探す。良い人を装おうとしているわけではないのだけど、帰ってから気になるほうが怖かったりする。。 今の仕事、私には合ってないのかもしれない。。。 明日で28か。。。
27歳最後の夜は、東京では珍しいほどよく星が見える空だった。髪を乾かして、ゆったりとしたシャツドレスを着て、ビールを飲んでいると、樹からメッセージ、彼にはすでにセキュリティー番号とカードキーを渡してあるのに、律儀にも必ず『あと5分でドアの前に行きます』と知らせてくる。自分のマンションながら、他の誰にも知られていないのは好都合だ。理香子には教えておいたのに、一度も招いていない。出不精の理香子は、自分の家に来てもらうほうが好きだから。
樹は自分でドアを開けて入ってきた。久しぶりの感覚。
「いらっしゃい! 寒かったでしょ??」
「大丈夫。。。真希子さん久しぶり。会いたかった。もう、本当に会いたかった。」
「私もよ、樹!」
お互いにどれだけ我慢していたかが伺えるほど、髪、耳、頬、頸・・・と下降していく指先と唇。そこに愛する人がいるということをすべて触って確認する。この肌のぬくもりがどれだけ必要だったか。ベッドに行くのも惜しく、床のペルシャカーペットの上でお互いを確かめ合い、激しく貪りあった。樹の体は、すでに完成形に突入していた。筋肉のつき方が無駄がなく洗練されている。筋トレでも始めたのかしら? バイクを駆使し、調整するのもかなりの力がいること、私にもわかる。F1のドライバーなどは常に筋トレと持久トレーニングだ。バイクは下手をするとフォーミュラーカーよりも軽い車で大きなGがかかってくる。私と逢わないとき、樹はバイクと過ごしているというのが伺えた。 私も毎日バイク通勤しているが筋トレする時間を取っていない。そろそろ気を使うべき年齢かな。。。
ピークを迎えるときの樹の表情は、言葉で表現できないほど喜びに満ちたように美しい。いつでも、何度目にしても私を同じところに連れて行ってくれる。
時計が午前零時を回ったところで、樹は上半身を起こした。傍にあった彼のバックパックを引き寄せた。
「真希子さん、お誕生日おめでとうございます。これ、気に入ってくれると良いけど。。。」 樹は私に小さな箱のプレゼントを私てくれた。
「ありがとう! 何かしら?開けてみてもいい?」 樹は頷いた。包装紙を取って箱を開けてみると、それはピアスだった。
「あら素敵! これ、もしかして、私の誕生石?」
「そうです。でも、真希子さんに似合うようにグリーンにしました。普段にも着けてほしくて小さめにしたんです。メットにも引っかからないようにと思って。」
「グロシュラーライト・グリーン・ガーネットね! 大好きなの! それにこのシンプルなカットと大きさ、センスが良いわ! 本当にありがとう! 着けてみるね。」 ガーネットは、柘榴石。普通は濃いめの赤が主体。黄色やオレンジ色のものもあるが、赤の色合いによって価値が変わってくるし、グリーンはその中でも最高級とされる。柘榴石自体は決して高い宝石ではないが、如何にその希少価値のあるグリーンをゲットするかで満足感が変わってくる。エメラルドにも似たその輝きは、価値の分かる人の目も同様に輝かせるものだ。 樹は一生懸命に調べたのだろう。私は体に一糸もまとっていないのに、窓を鏡にしてガーネットのピアスだけを着けてみた。樹は後ろに立って、肩を抱いて窓の方を観た。お互いに顔を確かめあえる。私は振り返り、頸に抱きついてキスをした。
「ありがとう! 結構似合うでしょ? 嬉しい!」
「ガーネットって、決して高くないんですけど、ものすごく種類があって、一番希少価値のあるものは、そこにはなかったんです。なかなか手に入らないと言ってました。このグリーンガーネットも、お願いしてから2ヶ月待ちました。想像してたのよりもきれいなのが見つかって嬉しかったです。お店の人もとても親切で、ダイヤモンドやエメラルドじゃないのに、親身になってくれました。」
『一生懸命バイトしてたのに、これに使っちゃったのね?・・・大切にするね!」
私達はそのままベッドに行って眠ることにした。。。が、また眠ることもしないで、これでもかというくらい貪り合っていた。私は28歳である。。。17歳の若者についていくには、もう少し体力づくりが必要かもしれない。。。
目を覚ますと、樹はベッドにいなかった。 起き上がり、シャワーを浴びる事にした。洗面台の鏡を観ると、自分の耳にグロシュラーライト・ガーネットの小さな石が輝いていた。ついでに胸から上に数箇所、イヤリングよりも目立つキスマークが着けられていた。。。ハイネックで隠すしかないな。。。真冬で良かった。
シャワーを浴びて、ピアスを付け直し、バスローブを着て出てくると、樹がコーヒーをいれて待っていてくれた。
「真希子さん、簡単な朝食を作りました。ダイニングの方に来ますか?」
「ありがとう! いただきに行くわ! あ、そうだ、樹、これなんだけど、クリスマスプレゼントにするつもりはなかったんだけど、学校辞めて以来クリスマスにも逢えなかったからそのままになっていたのだけど、アフターシェイブとトワレ
なんだけど、樹の家用。ほんの少しを胸の下辺りにつけると良いわ。」
「あ、自分で揃えようかなと思ってたところだったんです。 いつも、真希子さんのところから帰ってきたときだけ、やけにいい匂いがするみたいで、たくさん着けてないのですけどね。。。弟とおふくろが、ちょっと気づいちゃって。。。おふくろは、なんか、どうしたの?って聞いてきたりしたんで。。。適当にごまかしたんですけどね。」
「そうかぁ。。。じゃ、自分で持っている方が疑われないかな。。。でも、逆になぜ?と思われるかしら?」
「うーん、最近、彼女できたんじゃないの?って弟は聞いてきたことあります。まぁね。。。と言っておきましたが。」
「ご両親は心配かもね。まして、私だと知ったら、困るかもしれない。。。 同意の上だということはわかっているけど、貴方はまだ18歳になっていないからね。。。あと、数ヶ月なんだけどね。。。でも、お母様にとっては18歳になっても、私とは許せないかも知れない。 母親って、そういうものだと思うのよ。。。ここは樹の家から、かなり離れているし、セキュリティも完璧だから変な心配はしてないけど、誰かに着けられることがあるかも知れない。お互い覚悟しておこうね。」
「え、そんな事あるかな。。。」
「念には念を入れるべきだと思うの。 私はもう東海高校には勤めてないけど、仕事をなくすことも考えられる。 ま、今は考えるのよそうね。今日は楽しく過ごしたいから!」
「はい、なにか美味しいもの作りますよ。」
私達はキッチンで色々と作り出した。 すると、玄関のセキュリティーの人からのインターホンが入った。
なんと、理香子と俊介が訪ねてくれた。始めてきたことになる。
「樹、理香子たちが来たの!初めてだわ。。。あれ?もしかして樹が呼んだの?」
「そうなんです。理香子さんと俊介さんが僕に今日は何するんだと聞いてきたので、パーティしませんか?って聞いてみたら、2人共二つ返事で!ケーキは理香子さんが持ってきてくれてますよ、僕は作れないから。。。」
アメリカにいる頃以来の誕生日パーティとなった。こんなに楽しいものだったのかと痛感した。
「真希子!なにそれ?石のついたピアスなんて、珍しいわね? シンプルでセンス良いわ、それ! あ、もしかして彼氏からのプレゼント? エメラルドなの?」
「へへ〜〜、良いでしょ!(笑)樹がくれたの、誕生石よ。 グロシュラーライト・グリーン・ガーネットなの。」
「うわ!それ。希少価値の石じゃない? 愛されてるわね〜 いいなぁ。。。」
「理香子・・・誕生石のピアスが欲しいの? じゃ、考えておくさ。。。」
「結婚するんでしょ? じゃ、その後までお預けよ! 理香子、あんたの誕生石ダイヤモンドじゃない? 指輪が来るんだし、我慢しなさいよ」
「そうよね。 俊介、私は石のついた指輪はいらないわ。手を使う仕事だしね。私も真希子みたいにピアスが良い!」
「あーはいはい、考えておくよ。。。 おい、樹くん、余計なことしてくれたな。。。俺、破産しそうだぞ。。。(笑)」
久しぶりに散々お酒を飲んで、理香子たちの予定を聞き、私達の定かではない今後を語った。前途多難であること、ただし、樹も私も離れることは考えていないこと、一緒にいることでお互いが高められるという確信を言葉にしておいた。理香子たちも希望の目を向けてくれた。
「明日はどこかに行くの?」
「樹にタンデムで箱根あたりに連れて行ってもらう。最近、大型二輪の後ろが好きなのよ。」
「寒そうね。。。俊介、私達はどうしようか?」
「俺達はコタツでみかん食べながら、泣きたくなるようなアニメでも見ようぜ。」
「そうだ、真希子、これ上げようと思ってたのよ。貰い物だけど、私達は違う方を使うから、これ、箱根だし、ちょうどいいわ、明日使えば? 遠くじゃないとあなた達、気が気じゃないものね。富士屋ホテルのレストランで使えると思う。美味しいもの、2人で食べておいでよ。」
「えー!ありがとう! 樹!、明日の食事代浮いたよー!!(笑)」
笑いは絶えなかったが、10時過ぎにはお開きとなった。
「明日は、早めにでようね。だから早く寝ようか。 今日は本当に色々とありがとう! こんなに嬉しかった誕生日って、久しぶりだわ。。。 2晩も泊まっていってお家の方、平気? さっきのことで少し考えていたのだけど。。。お母様は貴方がどんな人と付き合っているか気になると思うの。。。香りで見つかるって考えてもいなかったけど。。。」
「そこまで敏感な親だとは思わないんですけど、確かにびっくりしました。僕しか書道の方を真剣にやっていないので、弟か兄貴がもっと真剣にやってたら、俺がここまで期待されないんですけどね。でも、どちらにしても機械工学とかにしか進まないのはわかっているし、母も考えてくれるはずなんですけど、彼女となると、話は別かもしれませんね。」
「あと1年以上あるし、樹が18になるまで、あと3〜4ヶ月もある。。。ま、なんとかなるか。私はもう貴方の先生じゃないしね。西田先生でも味方にしておこうか。。。」
「西田先生なら、母のことも知っているし、相談できるかも知れません。西田先生、僕の筆筋が変わったことで、恋でもしたなと思ったらしくて何でも相談してほしいと言ってくれました。まさか、真希子さんだとは知らないし、教えたら仰天しそうな気もしますが。。。」 今夜は2人でそのまま寝落ちしそうだったが、、、樹はそうしたくなかったようで、結局寝るのは12時を回ってしまった。。。
午前中は皮のスーツを着てもバイクだと寒い。シールドに曇り止めをしておかないと走れなくなる。 久しぶりに樹の体を後ろから抱きついてみると、すっかり大人の体つきになっていた。細いけど、何という安心感をくれるのか。。。信号で停まるたびに左手で私の腕を押さえてくれる。まるで『大丈夫、一緒だよ』と言ってくれているような感触。 湖に行き、足湯に浸かり、高級老舗ホテルでのディナーは、着替えを持ってきてよかったと思うほど上品だった。
「昨夜の話しだけど、西田さんに話すのは良いアイデアだわ。林さんにも一緒に聞いてもらうと良いよ。西田さんも気分的な負担が軽減すると思うの。私はこれから1ヶ月が仕事場の正念場なので、樹に任せる。2月の受験シーズンが終わったら、2人に連絡すると言っておいて。」
「分かりました。うまく伝えられるかな。。。」
「大丈夫よ、あの2人は、言葉の端々をちゃんと汲み取ってくれるから。私達は純粋に惹かれ合っているんだし、誰も邪魔することはできない。でも、できれば障害なく育みたいものね。」 樹は頷いた。
夜は都内に穿いても一層冷え込んだ。 本当なら樹を帰したくない。。。 惜しみながらもキスの後、手を振った。 部屋に入り、すぐに熱いシャワーを浴び、明日からの私立受験スタートを目前に、ワークモードに切り替えた。ゆっくりと眠ることにした。
冬の散歩道は・・・
「樹、帰ったのね? 二晩もどこに行ってたの?真冬でもツーリングってあったっけ? せめて電話には出てちょうだい。急用があったとき、すごく困るわ。」
「あぁ、ごめんなさい。バイク仲間と遠出してた。冬だから良いところもあるんだよね。」
「そうなの。。。ま、いいけど。ところで、今度書道協会の集まりに一緒に出てくれないかしら?」
「母さん、断る。 僕はエンジニアになるんだから、書道は趣味でしかない。年末年始の手伝いだって、ある意味苦痛だった。
そう何度も付き合うことはできないから、そう思ってて欲しい。じゃ、疲れているから、もう風呂入って寝るから。」
少し冷たすぎたかな?と思ったが、樹は母親にはそれくらいでいいと感じた。 部屋に入り、真希子がくれたアフターシェイブとトワレを出して、棚においた。
樹の母は、彼が風呂場に入ったところに、ちょうどハンドクリームを取りに入っていった。樹の服をランドリー籠に見つけたが、なんとなく気になって、手にとってみた。ほんのりと、高級感のある香水の匂いがしたのを見逃さなかった。。。
真希子は早めに仕事場に行った。今日は週明けでもあるけど、明日からの試験に向かう生徒たちに、少しでも力になれればと少し逸る気持ちがあった。全員が来ることはないと思っていたけど、ほぼ全員がクラスに入ってきた。情報収集と持ち物確認、気になるところを講師に聞くなどの一日となった。 佐々木くんが来た。
「加納先生、なんか今日綺麗だね、週末に良いことでもあったの?」
「あはは、綺麗に見える? そうか、ちょっと嬉しいな。 彼氏と親友たちと集まってたのよ。私の誕生日だったからね。小さなパーティだった。久しぶりに楽しかったからかな?」
「誕生日だったの?おめでとうございました。彼氏いたんだ。。。 そのピアス、誕プレ? 珍しいグリーンだね。。。ちょっと見せて。」 そう言って、私の耳を触った。この子はこういうことをなんの躊躇もなくしてくる。
「明日の準備はできてる? 思いっきりやっておいで。」
「そのつもりですよ。 先生、約束忘れないでね。受かってたら芸大の試験日までに、1回、バイク無しで飲みに行こうね!」
「わかったよ。(笑) だから合格もぎ取ってこい!」 発表は1週間後か。。。
館野樹は、すでに3年生のいない書道部で部長となり、実力からしても他の生徒を指導できる立場にあった。そして、部活は最後まで残り、片付けもしっかりとしていく真面目な青年である。この夏の飛躍的な筆筋の変化と向上。家柄的にも書道は続けていくと革新できるが、本人はバイクのエンジンを触っていることが一番好きなようだった。成績も、この進学校でトップクラスなので、進学についても何も心配していない。トゲのあった夏前に比べて、穏やかになり、身長までもかなり伸びたように思う。男バスの西川くんまではいかずとも、充分にNBAのステファン・カリーに届くサイズであろう背の高さだが、私とドッコイになっているのには驚く。
「館野くん、ご苦労さま、もう帰ってもいいよ。 しかし君は背が高くなったね!私が185cmあって、家人からは『大木』と罵るように言われているが、着物も映えるし、文句はないようだ。君もご両親は鼻が高いだろうな。お母様など、書道協会で自慢してたよ。」
「はい、背は伸びましたね。成長痛を感じました。筋トレも始めたんです。バイクを起こすのも力仕事ですし。。。もう真希子先生のモデル体型じゃないってことですよね。」
「いや、彼女は今の君の体系もデッサンしたいんじゃないかな? ただ、夏前の体型は彼女の予想通り、ギリギリ最後だったわけだね。絵描きさんたちは、そういう微妙な部分をよくわかっていて感心するよ。私や林先生は『黄昏時』を表現したいときにモデルになってくれと言われているんだが。。。もう少し先だろうな。。。(笑)」
「西田先生、今日このあと少しお話させてもらってもいいですか? できれば林先生もご一緒してもらえると良いのですが。。。」
「あぁ、構わないよ。 久々に飯でも行きましょうかね? 林先生も、元気が出てきたし、音大受験の子たちは芸大待ち。やることはやったと先日言ってたからね。 林先生をお迎えがてら、今からちょっと音楽室でも行ってみるかい?」
「あ、はい。。。そうですね。」
2人で音楽室に行ってみると、数人の生徒が練習していた。その中に武藤良と西川海も入っていたが関力也はいない。武藤がバイオリンの芸大受験者と話している。相変わらず彼の周りは生徒が一杯だが、楽器のことしか答えていないようだ。塩対応は館野樹とよく似ている。
「お邪魔いたしますよ、林先生」
「おぉ!いらっしゃい! 西田先生はともかく、館野くん、ここ初めてじゃない? なにか楽器やりたくなったの?」
「いや、今日は西田先生のお付きです。」
「なんだぁ、西田先生はオルガン1曲しか弾けないからね。。。次回はタンバリンに戻るかもしれないんだけど。。。ま、いっか、今日は武藤がいるからなにか1曲聴いてもらえるぞ! おい!武藤、なにかやろうぜ!」
「いいよ。何にする? 力也いないから、そのつもりで選んでね。」
「西川いるじゃん、関のカバーできる最高のチャンスだぞ! よっしゃ、それなら・・・俺がマイルスやる。『Mr. Pastrius』な。 この前教えたよな、西川、できるだろ?」
「え、関くんにサポートしてもらったからできたんだけど・・・やってみます。」
「そう来なくっちゃな! 武藤の独壇場になるのを覚悟だ。 秋山さん、ちゃんと聴いててね。 じゃ、西田先生と館野くんへのプレゼントです。」
「館野くん、林先生のトランペットは滅多に聴けないんだよ。 今日は林さんの一番弟子の天才がいるからね、主役のようで脇役のパフォーマンスだ。マイルス・デイヴィスのレコードではサックスのメインが聴けないんだけど、他の人がステージに居ると、マイルスはサックスに譲るんだよね。多分その流れ。」
「はははぁ、、、そのとおり、ケニー・ガレットのバージョンでやりますよ。良いか、武藤!」
「OKですよ、ムゲンさん(爆笑)」
「なんだ、林さんはすでにムゲンになっているのか。。。じゃ、私はジン?(笑)」
まさかのセッションが始まり、だれもが武藤くんのサックスに惚れ惚れしていた。新入部員のバイオリン、秋山さんは完全に魂を抜かれたように見える。好きだった西川くんと憧れの武藤くんとのセッション。樹も感動しているのがよく分かる。
「武藤先輩って、本当に天才ですね。楽譜無しで、林先生のことだけ観てリズム完璧みたいだ。」
「そうなんだよ、林賢三の分身だと林先生はおっしゃっているが、武藤くんは迷惑している。」
この取って着けの即席バンドは、ものすごい迫力だった。西川くんの上達ぶりが伺え、武藤くんも関くんがいないことで西川くんが穴埋めできるようになったことを納得している。彼のお陰でもあるのだが、武藤くんは絶対にそういうことを誇示しない。居合わせた部員は全員自分のスマホで録画していた。
「いやー、ご苦労!! 西川くん非常に良かったよ! なぁ、武藤!」
「そうだね、マーカス・ミラーのベースだから大変だったと思う。 またスタジオでやろうね。」
「ありがとう! 関がいないから焦ったけど、ついていけたよ武藤。だれか、録画してたら俺に送ってくれる?」
「いやいや、お待たせ。どうよ、すごいでしょ? うちの部員たち。すぐ片付けるから待ってて。西田さんのお誘いなんでしょ?」と手で飲むふりをした。
「そうですね、外のほうが良いかも知れない。 良いかな館野くん?」
「あ、はい、外でおねがいします。」
「やぁ、館野くん、元気だった? なんかさ、君大きくなってない? 男バスが欲しがりそうだけどな。。。」
「お久しぶりです、西川先輩。この秋、ちょっと背が伸びたかも知れません。生憎、書道部で部長になっちゃったんで、男バスいけないですよ。」
「そうかぁ、そうだよね、西田先生も離さないな。(笑) 真希子先生のモデルはどうだった? 君は通しで完成までできたんだよね?」
「あ、はい。しっかり終わりました。デッサンって時間かかりますね。でも、真希子先生は満足げでした。」
「今度また真希子先生招待したいな。卒業式直前にライブ・デモしませんか?林先生!」
「そうだな、それも良いかも知れないな。西川も彼女連れてこいや!(笑)」 部員たちはびっくりした顔をした。
「さてと、どこに行くかな。。。館野くんは夕食、家で取らないと怒られる? 電話するなら俺が電話で説明するよ。」
「あ、多分大丈夫ですが、出てもらうほうが母は安心かもしれないです。最近、うるさくて。。。」
「そうだね、私よりもムゲンくんに電話に出てもらうほうが良いかも知れない。私は君のお母様とは協会で一緒になるのでね。」 そして、樹は自宅に電話した。
「あ、母さん、僕ね、今日ちょっと林先生と約束があって一緒に御飯を食べることになりました。林先生に替わります。」
「あ、どうも、林です。音楽担当なのですが、今日は西田先生にお願いしてたことで、書道部の生徒に手伝ってもらうことがありまして、その後に食事をしようと言うことにしましたので、どうか、今日の夕飯、こちらでお任せいただきたくお電話しました。 はい、いやいや、そんな事はありません。はい、ではよろしくお願いします。」樹に替らずに電話を切った。
「OKだぞ! なんか、自分が高校の時みたいな気分。。。館野くんのお母さん、怖そうな感じだな。。。」
「結構自分勝手な人です。僕しか書道を真面目に続けなかったからかも知れないのですけどね。弟もできるのですが、僕しか賞を取れなかったからだと。」
「とにかく、丼物がここは美味しいし、酒も飲める。私は熱燗をいただきます。」各々、注文を済ませた。
「いやー、それにしても武藤くんのサックスは良いですね。あれは稼げますぞ。ファンも多いし。今後が大変そうだな。。。いい男だしな。。。ところで、館野くん、なにか相談事があったんじゃなかった?」
「はい。。。 何から話していいかわからないので、直球で1つ先に言います。 実は、僕、加納真希子さんとお付き合いしているんです。」
これには2人の教師は唖然とし、すぐに言葉が出なかった。
「もう、夏休み前から、付き合ってもらっています。真希子さんは教師だし、僕が17歳ということもあって、倫理的に問題視されるということでずっと伏せてきました。今はすでに彼女がこの学校を退職しているので学校としての問題はないと思いますが、僕は5月まで18歳にはならないんです。すべてが同意で付き合っているのですが、人によっては犯罪だという事もできるらしくて。。。だから、逢うときはいつも隠れて、まるで密会です。僕もバイクに乗るのでヘルメット被って都内をすり抜けます。 最近、母と弟が、僕が高級感のある香水の香りがすると言って、なんとなく疑っている感じです。彼女ができたというのは言ったのですが、多分同じ高校生か、せいぜい大学生だと思っているだろうと。。。 母は、あんな感じの人なので、しつこく説明させようとしたり、連れてこいと言いそうで、危惧しています。 真希子さんも林先生と西田先生には相談しておくほうが良いと言ってくれました。誰か知っていてくれる方が僕のストレスが軽減すると。。。どう思われますか?」
「そうですか。。。ちょっと先に、駆けつけ三杯いかせてもらいます。遅れたわけではないんですが、先に飲まないと良い知恵が出そうにないかなと。。。失礼。」
「館野くん、君は非常にセンスが良いね。そして、よくぞ半年以上も頑張って秘密にできたね。俺達以外知らないんでしょ?大したものだ。真希子さんが惚れたのもわかる気がする。やはり、モデルと絵描きから始まったのかな? 彼女は君を見つけたとき、ものすごく興奮してたよ。ドンピシャだって。彼女が恋に落ちたのが最初だな。いやぁーなんか、すごく嬉しいよ。」
「私も嬉しいですよ 真希子さんが館野くんをゲットしたわけですからね。 しかし、君が不安に思っていること、私にも理解できますよ。弟くんだけならまだしも、あの勘の良い母君が、疑問を投げかけてきたとは、ちょっとスリルとサスペンスかもしれない。。。」
「ジンさん、、、何か、今年は恋の花咲く事項に関わること、多くないですかね?それも、比較的珍しい恋路に関わることが。。。 これを私は学祭の杏子効果と呼びたい! 彼女があの歌を録音して温めておいてくれて、あのときに俺の誇るバンドにバックを演奏させて、俺に歌いかけた愛情の真髄。。。それだな。。。 それはさておき、館野くん、何かマズイことがおきた場合は必ず力になるよ。真希子さんとは話も合うし、彼女が君を選んだんだ、協力するよ。ただ、俺達は嘘はつけない。なんとかして説得できるように行動するつもりだ。真希子さんも大人だから、そのへんは充分にわかっているはずだと思う。 館野くんは無理してはいけない。そして何よりも成績を下げてはならない。そこを突っ込まれたら我々も真希子さんもアウトだ。そこだけは君にしかできないから充分に承知するように。」
「はい、成績は下げないつもりです。エンジニアになるという夢も捨てません。」
「お母様のことで問題が起こりそうなときは、必ず知らせて欲しい。私ならなんとか話せるかも知れないしね。ことを荒立てると真希子さんに大きな迷惑がかかると思う。任せておきなさい。」
「ありがとうございます。すごくホッとしました。頑張って色々と考えて行動しているのですけど、世間ではやはり17歳としか扱われないんだということも痛いほど習わされました。」
「そうだね、人間、多くの場合、自分にも同じ年齢の頃があったっていうのを忘れてしまうんだよね。まぁ、俺は覚えているよ。。。最愛の人にあったのも高校時代で、彼女を一途に愛してきたからね。。。」
「私は、初めて恋した人があまりにも俗世間に慣れすぎていた、たった2歳年上のすごい女性だったので、すっかり猿になってしまったんだ。。。でも、お陰で優しく女性を扱うことだけは徹底的に習ったが。。。 ところで、館野くん、筆下ろしは大丈夫だったかい?」
「え? 筆下ろし。。。ですか? あ、はい。。。上手に指導いただけました。」
「そうか、それは良かった。最初に躓くとなかなか尾を引くものだと言うのでね。めでたい、めでたい。」
「館野くん、ジンの言う事など気にしなくて良い。女性の数など関係ない、愛した深さなんだ。だから、君と俺は同等だな。はははは!(笑)」
「いいえ、お二人から習うべきこと、多いと思います。僕は経験値低いですから。。。」
「実はね、ついこの前、君たちと全く同じ年齢差のカップルができてね、それもいきなり聞かされて、腰が抜けそうになったんだ。機会があったら話すし、みんなで集まっても良さそうだな。(笑) とにかく、俺達は君の味方だ。頼ってくれていいから。ただ、妊娠だけはさせるなよ。子どもは必ず話し合って、計画してから作ること。それだけは頭に叩き込め。ま、相手が大人の女性だから心配はないと思うけどね。」
「そうだね、ここは男3人、ぶっちゃけて話そうぞ。 まず、彼女にいつ月のものが来たかを教えてもらうこと。そういうノートとかカレンダーに印をつけてもらうんだな。いいかい、そこから10日から2週間目は肌を合わせることを見合わせたほうが良い。。。まぁ、そう赤くなるな、だから男3人と前置きしたんだ。その他、女体の神秘については私が教えられると思うから、何でも聴いてきなさい。真剣に答えてあげられる。 ところで、熱燗もう一本飲んでいい?」
「いやぁ、しかし、真希子さんが在職中には全然気が付かなかったな。。。やるなぁ、君たち。。。」
「何をおっしゃるか。。。ムゲンどのは、学祭以降、地獄釜に落ちたきりで、人のことなど考えられなかったではないか。その間私は君の大事な軽音の天才的な若者たちを必死でサポートしたんですぞ!」
「はい、感謝してます、ジン先生。。。館野くん、俺達2人は、冗談ばかり言い合っているから頼りなさそうに感じるかも知れないが、こうやって冗談ぽく言い合って、バランスを取っているんだ。嫌だなと思ったときは水をさしてくれて構わないからね。」
「大丈夫です。お二人の冗談は雰囲気を和ませてくれますよ。笑いながら、ちゃんと軸を押さえてあって、安心させてくれます。真希子さんもそれがわかっていたから僕に話すように言ってくれたのだと思います。今、彼女は受験生を合格に持っていくのに全力投球で、疲れていそうなので、彼女が望んだときだけ電話で話したり、会ったりしています。」
「館野くん!君は偉いね。私の頃は、完全に猿状態だったから、君のストイックさに憧れるな。。。」
「あの、猿って、どうなっちゃうんですか?」
「あ、、、それはね。。。普通、猿はメスの発情期にだけガンガン性行為に走るものなんだが、彼らに自慰行為を教えた場合、四六時中自慰行為をしてしまうんだ。。。だから、人間は発情期がなくても身体的に生殖可能になり、常にその気になれば性行為に及べるので、彼は常に彼女と一緒に過ごして毎日のように及んでいたというわけだ。。。そして振られたんだぜ、コイツ。。。その女性もすごくてな、他に男ができたわけ。。。つまり、ジンは彼女を寝取られたんだ!(爆笑)」
「ま、あの頃は、そろそろいいかなとも思っていたのだよ。。。私でも理性が働くこともあるからね。。。 まぁ、それ以降は優しくなりすぎて来るもの拒まずだったが、私は常に女性には優しく接していたよ。パートナーがいるって、素敵だなと思う。最近、そろそろ彼女が欲しいなと感じることがあるんだ。ま、あの学祭の杏子さん効果かもしれないな。。。 とにかく、今度みんなで集まりますか。我が家でもいいですよ。先生宅に集まるなら、形がつくだろうしね。計画しましょう。」
「じゃ、僕帰りますね。 今日はごちそうさまでした。そして、話を聞いてくださって、ありがとうございました。」
「うん、気をつけて帰れ。俺達はもう少し飲んでいくから。。。西田さんだけな。。。俺、ノンアルで。。。」
「ムゲン殿、、、今は全国的に人間の発情期なのか? それも若い男はかなり年上の女を求めるって、トレンドなのだろうか?? 私もそろそろ人肌が恋しいというのに、聞き手専門ていうのも情けないかもしれない。。。」
「うーん、まぁね。。。でも、真希子くんの判断には恐れ入ったぞ。。。西川ならありかなと思ったけど、全然無視だったみたいだし。。。まぁ、今となっては奎子に行ってもらって良かったと思うけどね。西川は誠実だし。」
「館野くんも同様に誠実だと思うよ。彼の真っ直ぐさと体が気に入ったのかも知れない。ただ、あの頃から育っちゃったけどね。。。最初はタダのモデルがそのうち好みの男に育ったという感じかな? 芸術家の真意はわからないな。それは良しとしてもだ、厄介なのは彼がまだ17歳だということ、そして高校卒業まで1年以上あるってことだね。。。」
「確かに。。。 真希子くんもそれは充分わかっているはずだと思うがね。 そう言えばどこの美大も今週が試験だろ? 国立は2月だけど。。。間があるから、一杯誘ってみる?」
「そうしますかね。。。」
「加納先生、M美、受かったよ! これで浪人は卒業だな。」
「おー!!!おめでとう佐々木くん! M美ゲットで、押さえておかなくちゃね! 手続きの保留は芸大発表の翌日だと思うから、ひとまず落ち着いてね。」
「はい、わかってます。ところで、約束忘れてないですよね! バイク置いてきてくれる日、いつですか?」
「あははは、、、そうだったね。忘れてはいなかったけど、いつにしようかな。。。よし! 明日の晩でも良いよ!」
「お、流石! じゃ、明日はバイクの無い日ということですね。楽しみだなー。じゃ、明日!」
佐々木くんの私立合格は、かなりホッとさせられた。 他の生徒たちも、次々に知らせが入る。芸大1本の人以外は、どうにか滑り止めが見つかったようだ。私の受験科講師としての仕事は成功したと言える。正に、冬の散歩道を彷徨っていた子達が、ようやく桜のほころんだ場所にたどり着いた感じがする。
「おめでとう! カンパーイ! とりあえずはもう浪人しなくて良いわけだし、実力が認められたわけだよ。私も嬉しい。佐々木くんなら大丈夫だと思ってた。芸大も、今の調子で頑張ってみようね!」
「ありがとうございます! はっきり言って、加納先生が臨時でも入ってくれたことが大きい。 あんなに的確なアドバイスって、今までしてもらったことなかったし、すごく感謝してますよ。」
「そうなの? 私でも役に立ったか! 佐々木くんは教え甲斐がある生徒だと思った。 キャッチボールができるし、教えたことを着実に表現に使ってた。 講師冥利ってもんだったわ。 芸大も今の落ち着きが保てれば、きっと上手くいくよ。」
「やるだけやってみますよ。 ところで先生、彼氏がいるって言ってたけど、どんな人? 絵描き? デザイナー?」
「あぁ、、、彼はね、エンジニアであり書道家なの。私ね、ぞっこんなのよ。。。人生結構長いけど、こんなの初めてなんだ。。。」
「そうかぁ、、、じゃ、俺が付け入る隙って皆無? 俺、けっこう真希子さんのこと好きなんですけど。。。」
「え?? もう酔っ払ったの? ここは私の奢りだから、好きなだけ飲んでもいいけど、送らないよ。(笑) で、隙?? うーん、残念だけど、無理だな。。。 私もどうして良いのかわからないくらい彼のことが好きなの。。。佐々木くんもタイプだから去年の今頃逢ってたら、良い仲になってたかも知れないけどね。運命ってそんなものよ。ごめんね、他あたって。。。」
「はい、はい。。。ご褒美が欲しかったのにな。。。」
2人で結構な量を飲んだ。でも楽しいお酒であることが救いだった。 すでに3時間くらい飲み食いをして、真希子は樹に電話した。
「あ、樹? ごめんね。。。あのね、、、迎えに来てくれるかな?ちょっと酔っ払っちゃって。。。 うん!嬉しい!じゃ、待ってるね。わかりにくいだろうから予備校まで戻るから、あそこに来てね。 メットないよー!!」
「優しい人みたいですね。迎えに来てくれるんだ。。。俺とホテルに行こうって誘おうとしたのにな。。。悔しいな。」
「私はそこまで軽くないぞ! さて、じゃ、私はこっちに行くから、気をつけてね。バイバイ!」
「彼が来るまで一緒にいますよ。危なっかしいし。。。」 2人で予備校の駐車場まで行き、ボトルの水を飲んで過ごしていた。
「どんな人が真希子さんを射止めたのか観られるのはワクワクするな。書道家か。。。」
「エンジニアになるのよ! 書道は趣味なのよ。賞取ってるけどね。。。」
「うわ、そうなんだ。。。なんか凄そうだな。。。 メットがないとか言ってたけど、もしかしてバイクで来るの? そこまで酒のんでて2人乗りできるの??」
「大丈夫よ!前に乗る。タンク押さえてるようにして、彼には後ろから抱いてもらうのさ!(笑)」
「先生、それ、エロすぎ。。。俺、それを観なきゃいけないわけね? 芸大落ちそう、俺。。。」
樹はすぐに用意して、予備のヘルメットを持って車やバイクのあるガレージに向かった。
「樹、こんな時間にどこに行くの?」
「母さん、 ちょっと人を迎えに行ってくる。明日は土曜日だから、そのまま送っていって泊めてもらうから。」
「なんていう人を迎えに行くの? 学校のお友達? ねぇ、もしかして彼女でもできたの? その子を迎えに行くの?」
「母さんには関係ないんじゃない? そう、彼女になってくれたんだよ。どうか今は放っておいてくれないかな。」
「そうは行かないでしょ? こんな時間に呼び出すなんて、それも泊まるって、あちらのお家の方は分かっているの? もしかして、あの手のサービス業の女性じゃないんでしょうね? 貴方はまだ未成年だし、親としてどんな人とお付き合いしているか知っておきたいのよ。もう、受験を控えた学年になるんだし、ねぇ、樹! なんとか言いなさい!。」
「急ぐから、とにかく、放っておいて欲しい。年末年始の書道協会の手伝いはしたし、学校の成績だって保っているし、問題はないはずだから。じゃ、」
「樹! お待ちなさい!」
御茶ノ水方向はガラガラに空いていた。母親の言ったことを反復すると、胸糞悪くなった。子供扱いもいい加減にしてほしいものだ。顔を合わせたくなければ祖父の処に行けば良い。真希子さんの仕事は2月終わりまで忙しいはずだから迷惑はかけられない。
思ったよりも早く到着してしまった。タンクバッグの周りに固定用のバーを着けておいてよかった。彼女は後ろに乗るには、ちょっと飲みすぎている感じだ。
「あ! きた来た! いつき〜〜! ごめんね、こんな時間に。。。 あ、この人、佐々木くん、今日は彼の私立合格祝いだったのよ! 佐々木くん、これが私の彼氏よ! かっこいいでしょ? だから私のことは諦めてね。」
「あ、はじめまして、佐々木です。加納先生には浪人回避したら、絶対に一緒に飲んでほしいと約束取り付けてあったんです。送って上げられなくてすみません。でもね、俺、送り狼になっちゃうかも知れないし、来ていただいてよかったです。(笑)で、どうやって乗せるんですか?」 樹はヘルメットを取った。
「館野です。真希子さんがお世話になりました。楽しいお酒だったようですね、あと、合格、おめでとうございます。前に乗せます。囲んでないと落ちそうですからね。」 佐々木くんは彼が若いことをすぐに見て取り、あまりにもハンサムな顔に見とれてしまった。
「樹〜〜、バーが付いてるね!私は前に乗るんだね? これってさ、『明日に向かって撃て』のエッタとブッチの自転車二人乗りと似てない? 素敵よね〜、面白そうだわ。。。樹、大好きよ〜」と、いきなり樹にキスした。これには樹も佐々木くんも驚いた。
「はい、ヘルメット被って、バッグは僕が持ちますからね。 じゃ、佐々木さん、どうもありがとうございました。失礼します。」樹は前に真希子を乗せても、余裕でハンドルに手が届き、彼女を後ろから抱くように、挟むようにして走り出した。
「彼氏って、俺より若くね? やけに格好よかったな。。。それにしても、拒否られたけど、逆にもっと好きになってしまうなあの人。。。まいったな。。。(笑)」
インカムを着けていないので話したりできないが、真希子は嬉しそうに何か叫んでいた。樹もこんな真希子の姿を見るのは初めてなので、可愛いと思ってしまった。 真希子のマンションのセキュリティーはすでに勝手知ったるもので、駐車場で彼女をバイクから降ろすとすんなりと部屋まで行けた。
「はい、真希子さん着きましたよ。 お水飲みますか?」
「樹、帰っちゃうの? 今日はそばにいてくれないの?」
「大丈夫ですよ。 今日はそばにいますから。 服は脱ぎましょうね。 はい、バンザイは?」 真希子はバンザイしてシャツを脱がせてもらった。こんな状態の無邪気な真希子は、初めてだったので可愛くて仕方がないと感じた樹だが、同時にどうしようもなく欲情した。生徒とは言え、知らない男と酒を飲み、その男は明白に真希子に恋情を持っている様子だったことにも、苛立つように嫉妬した。優しくしなくては・・・と頭の中で反覆し、荒っぽい抱き方にならないように注意した。ただただ誰にも渡したくないという感情。それだけだった。 真希子はすべてを樹に委ねた。官能的な夜だった。
「頭が痛い。。。」 樹は静かに寝息を立てている。 真希子はそうっとベッドから出て、シャワーを浴びに行った。顔も洗わずにねてしまったので、入念にクレンジングし、歯を磨き、全身をしっかりと洗った。 さっぱりした。樹を起こしたくないのでドライヤーはお風呂場でかけた。 頭痛薬とビタミンC をしっかり飲んで、ベッドに戻った。樹はまだ寝ている。よかった、起こさずに寝かせておこう。そう思ったと同時に腕を掴まれて引き寄せられた。起こしてしまったらしい。。。
「ごめんね樹、もっと寝てていいよ。」
「ダメ、真希子さん、ここにいてください。」 もう一度肌を重ね合った。そして真希子のほうが、あっけなく二度寝してしまった。
「真希子さん、ブランチ、用意できましたよ。」
「ありがとう。 夕べは本当にごめんね。あんな時間に呼び出しちゃって、お家の人平気だった?」
「うーん、、、母がちょっと。。。僕は今の家出たいんです。。 ここで真希子さんと暮らしたいけど、色々と障害が出そうなので、祖父に相談しようかなと思っています。」
「お母様、何か気づいてしまったの?」
「彼女ができたと伝えました。そうせざるを得なかったんです。母は嬉しそうではありませんでした。年齢のことだと思います。17歳は母にとっては、まだ子供なので。。。」 真希子はゾッとした。。。覚悟はあったけど、5月までは大丈夫だと考えていた。まだ2月にもなっていない。。。
「真希子さんだということは知られていません。18歳になる5月まで隠し通しますから、大丈夫です。 このマンションはかなり遠いいし、学校関係からは分かりにくい。誰も簡単に入ってこられないし。。。」
「樹の行き先がバレるということなの? それは過ごそうね。。。とりあえず受付の人たちにも、樹のことは伝えて、他の人でも私と一緒じゃない限り、知らぬ存ぜぬを通してもらうように言っておく。入れないようにしてもらうけど、そこまで必要かしら??」
「父は祖父と同様に物わかりは言いのですけど、母は、徹底しているところがあるので、ちょっと気がかりです。父の浮気などはもってのほかっていう感じでしたから。。。実際、父は浮気してなかったんですけどね。。。」
「そうなんだ。。。じゃ、息子の彼女は検閲しないと気がすまないかもね。。。私は立場と年齢で、即刻アウトになりそうだわ。。。」
「そんなことさせませんよ。僕は次男ですし、当然独立しようと思ってますから。」
「お兄さん、大変そうね。。。」
「西田先生と林先生には話したので、少し相談に乗ってもらおうかな。。。西田先生は母のこと、ちょっと苦手そうだけど、よく分かっている感じでした。後、祖父がいます。祖父はバイクを買ってくれた人ですが、母の天敵と言える感じの人なんです。」
「お家のゴタゴタにはしたくないわね。。。気をつけるようにするわ。あ、そうだ、樹の携帯、防水? もしもそうなら自宅でのお風呂にも持って入ったほうが良いよ。 お祖父様、樹が18歳になったら最初にお目にかかるわ。」
「実は今すぐにでも会って欲しい人なんです。父よりも信頼できます。きっと応援してくれる。」
「そうかもね、、、でも5月まで待とうね。貴方が18歳になることは重要なの。」 しばらくすると真希子の電話が鳴った。
「もしもし? あ、林先生! ご無沙汰してます。今? 大丈夫ですよ。何か急用?」
「真希子先生、元気そうだね。 いや、実は西田くんと飲んでいて、今度真希子さんと飲もうということになったんだよ。よかったら、時間のある日を出しておいて欲しいんだ。 こっちの生徒も、順調に進路が決定してるよ。後は関の受験とその合格の知らせを待つのみ。ま、今のところ関は誘えないってことで。。。でも、武藤と西川は呼べるよ。奎子が来週にまた帰国するんだ、彼女も誘うから。じゃ、考えておいてね。」
「林さん、ありがとう。私も相談したいことがあってね。。。館野樹も同席させます。もうご存知だと思うので。。。日時はあとで。 じゃまた!」
「樹、味方は多いわ。時間を調整してみんなで集まろうって。」
「はい。僕、来週にでも祖父さんに会いに行きます。彼はどうしても味方につけたいんです。多分、唯一の身内の味方になる人だろうと思うので。。。
館野慎太郎は、本田宗一郎の知り合いで、豪快なところは本田宗一郎の大きな影響を受けた部分だと自負している。創設した会社は息子に渡し、隠居生活を楽しんでいる。相愛だった妻は、孫3人の顔を見たすぐ後に他界してしまったが、樹が可愛いと言い残した人だった。そのせいかどうかはわからないが、慎太郎は樹にだけは甘いと言われる。
「久しぶりじゃないか、樹、ヤマハの調子はどうだ? 今度ツーリングに一緒に行かせてもらうために、ワシ専用のサイドカーを注文しておいたんだが、昨日連絡が来て、そろそろできてくるらしいぞ。(笑)」
「え? サイドカー着けるの? 聞いてませんけど。。。まぁ、いいですよ。祖父ちゃんは後ろに乗せたくなかったし、サイドカーならOKです。(笑)」
「なんだ、後ろに人を乗せるようになったのか? タンデムシートはいらないって取り除いたのに、さては、女性かな? 彼女ができたのか??」 慎太郎はいたずらっぽい顔をして興味津々になった。
「うん、できた。。。」
「おぉ、頼もしいじゃないか! うまくいってそうな雰囲気だな。、それはめでたい。いつかワシに紹介してくれるよな?」
「そうだね、一番に紹介するよ。今度。 (笑) サイドカーか、で、いつ来るの?」
「1月終わりということだったから、そろそろ取りに行っても良いかも知れないな。装脱着も簡単だと言ってたよ。だから樹の邪魔にはならないだろう。 ちょっと電話で確認してみるな。」 そう言うと、早速自分の最新型iPhoneで電話をかけ始めた。彼は最新型のApple Watchも着けている。昔の言い方で言うなら『モダンでナウい』な祖父さんだ。
「樹、サイドカーの最終調整が今日終わるってさ。今から行ってみようかな。 ワシはタクシーで行くからバイクでついてくると良い。」
「祖父ちゃん、ちょっとまって、今日は話があるんだ。話した後じゃダメかな?」
「なんだ? またデカい二輪車が欲しいのか? マン島のT・Tレースにでも出たいとか言うんじゃないよな?(笑)」
「T・Tはいつか必ず出てみせるよ。そうじゃなくて、付き合っている人の話なんだ。。。」
「女性の話しか?。。。興味あるね。どんな人なんだ?」
「素敵な人だよ。加納真希子さんて言うんだ。僕よりも10歳年上。今はもう辞めたけど、うちの学校で美術科の非常勤講師だったんだ。 僕は美術は選択科目に入れなかったから、知り合ったのは書道部の顧問の紹介で、彼女のデッサンモデルを頼まれたときだった。モデルは僕だけじゃなかったから、変な嗜好で選ばれたわけじゃなかったんだ。彼女はいろいろなことを話してくれながらスケッチして、デッサンに及んでいった。その真剣な姿を見て、彼女の話を聞いて、僕は彼女にどんどん惹かれていったんだ。今までも好きな女の子がいなかったわけじゃないけど、その子達との感覚とはぜんぜん違う、時間の感覚がなくなり、音が聞こえなくなるような、そんな感じだった。この人を抱きしめたいって思った。だから抱きしめちゃったんだよ。。。そしたら、彼女もそうしたかったって言ってくれたんだ。だから僕の一方通行じゃないと知ったときは、嬉しくて空を飛べるような感覚になった。」
「おぉ!感動的だ。ワシがオマエの祖母さんの千枝子と出会ったときに、そんな感覚を味わったように記憶しているよ。まさしく、本物の『恋』だよ、それは。樹、おめでとう! その感覚が得られて初めて、人間は大人になるんだ。頼もしいぞ、樹! 流石、ワシの孫だな。。。」
「それでね、もちろん祖父ちゃんにはすぐにでも逢ってもらうようにするけど、今、予備校で受験生を受け持っているから、丁度入試シーズンだし、もう少しあとになるよ。仕事には真面目に取り組む人だから邪魔したくないんだ。 実は、彼女のことがバレちゃったわけじゃないんだけど、母さんが、僕に彼女ができたんじゃないかってうるさく言うんだ。まだ知らない人なのに、すでに反対するのが目に見えている。もしも彼女が年上だと分かったら、僕は軟禁状態にされるかも知れないというくらいの勢い。洗濯物のシャツまでチェックされているし、多分僕の部屋、僕がいないときにでも入って色々と見ているんじゃないかって。。。もしも、これ以上エスカレートするようなら、祖父ちゃんちに越してきても良い? 真希子さんのところに行きたいのは山々なんだけど、そんなことしたら、彼女に迷惑がかかりそうだから。」
「そうか、そういうことか、樹がここに住むのは大歓迎だ。しかし、樹、本当に刹那な気の迷いじゃないと言えるのか? 女性は、なんというか、オマエくらいの年頃の男子には非常に魅力的で、恋人の関係になったら最後、なかなか離れられないこともあり、それが気の迷いからで真実じゃないこともあるんだ。どう真実だと証明できる? もちろん、お相手の真希子さんにも同様なことが言える。20代後半は、女性が最も美しく、艷やかになるときで、それに惑わされることもある。要するに本能的な体の繋がりができたあとの話しだが。。。もう、できていそうだな??ちがうか??」
「うん。できているよ。そして、それだけが彼女の魅力だとは思っていない。だから逢えないことも我慢できるんだ。」
「それは大したものだ。ワシが樹の歳の頃は、千枝子と交わり合うことしか考えていなかったぞ。常に一緒にいたかった。。。懐かしいのう。。。青春だったな。。。ワシの自慢の彼女だったしな。 とにかく、オマエの母親、美子さんのことは任せなさい。彼女には手出しさせないようにするから。ただし、エンジニアになるという目標を捨てるようになることはワシは本望じゃないぞ。女のためだけに投げ出すような簡単な目標じゃなかったはずだしな。それは真希子さんも望まないだろう。で、いつ逢えるかな?」
「それなんだけど、多分すべてを共有できる仲間たちと今度集まることになっているんだ。多分、国立大学の受験が終わった頃。。だから2月の終わりかも。その後にサイドカーで遠出できるようにするよ。今はまだ寒すぎるし、特に祖父ちゃんにはね。(笑)」
「いや、もっと早く逢いたいのだ。そして、その仲間として皆さんに交わりたい。まずは真希子さんに逢って、彼女自身の言葉で彼女のことを知りたい。ワシは樹を信頼しているが、人間、個人個人で付き合いたいのだ。真希子さんは孫の彼女としてではなく、加納真希子さんとして知り合いになりたい。どうだ?間違っているか?」
「いや、正論だと思う。真希子さんもそうしてほしいと思うはず。 あ、そうだ、真希子さんね、ホンダの400に乗っているんだ。僕が彼女に勝るのは大型二輪の免許と祖父ちゃんが買ってくれた1000CCのTZFだけかもしれない。 じゃ、祖父ちゃんには写真を見せてあげるよ。 ・・・ほら、この人だよ。」
「おぉ、どれどれ! なんと、飛び切りの美人じゃないか! 知的な美しさも備えているな。今度、祖父ちゃんがデートに誘ってもいいか? 大人同士だしな。。。」
「祖父ちゃん。。。 もうサイドカーは乗る前に廃車しようか?」
「あ、それはないだろう。。。でも、真希子さんの400でも繋げるって知ってたか? (爆笑)」
「はい、はい。。。わかりましたよ。。。でもね、真希子さんは僕にぞっこんだから。祖父ちゃんの出る幕ないよ。」
「そうか、もう20年若かったらな。。。 よし、どちらにしても真希子さんの都合の良い日時だけ教えてほしい。ワシが個室で取れるお食事を用意しようぞ。」
「分かった。電話するから、待ってて欲しい。 今日は一応家に帰るけど、場合によっては今週中にでも越してくるよ。」
「美子さんの様子を見て、無理をふっかけてくるようなら、すぐにでも来て良いから心配するな。」
自宅の戻ると、母親の美子は不機嫌そうだった。他の家族は、何が彼女を不機嫌にさせているか分かっているようで、食卓では居心地が悪い。 早々に夕飯を済ませ、自室にあがった。 しばらくすると母がドアをノックした。
「はい、何かようですか?」
「少し話がしたいのだけど、紅茶も持ってきたので入れてもらえるかしら?」 樹はドアを開け、母を招き入れた。
「今日はどこに行ってたの? 入試シーズンは部活は任意だと言ってなかったかしら?」
「任意です。少し片付けをしてから出かけていました。お祖父ちゃんがバイクの附属品を買ったと言うので。話しを聴きに行きました。」
「そう。 ところで、お付き合いしている人がいるということだけど、どんな人なのかしら?貴方はこれから受験の体制に入るのだけど、付き合う人ができて、迷うことになったら大変なの。成績も落とせないし、受験専用に塾に通うか家庭教師を着けたいと思うのだけど。。。そうなると、その人と付き合うのは難しいと思うの。」
「今のところ、成績は学年で上位を保っているし、担任からも心配ないと言われている。学生だから、勉強をおろそかにするつもりはない。受験用の勉強は、自分なりに進めるから塾も家庭教師もいらない。自分で配分した時間を他に取られることは嫌です。」
「貴方にはまだまだわからないことのほうが多い。書道協会のことも、受験のことも、貴方一人の問題ではないはずですよ。そこに余計な気を取られるような女性関係などはもっての外なのよ。」
「いいえ、僕の問題です。自分で解決できるように考えていきますから、母さんはなにもしないでください。」
「貴方には高校時代に接する女性の怖さがわからないのだと思うの。しっかりとしたサポートがないと、そういう女性に溺れてしまうから。同じ高校生の女の子なら、その人も勉強や受験で忙しいはずなので、邪魔をしてはいけませんよ。貴女が邪魔をしていることも考えられます。とにかく、外泊などはもうダメですから。あと、成績が下がるようなことになれば、バイクは禁止します。貴方はまだ、親の監視下にいるべき未成年ですよ。」
「なんでも親が勝手に決めることはできないと思います。そういうことなら、書道協会のお手伝いはもう一切しません。時間の節約になります。僕はエンジニアを目指していますから協会の手伝いなど、それこそ好きでもない人たちと会って、面倒なことでも話さなければいけないし、邪魔で仕方がないんです。じゃ、もうこれ以上話すことはありません。」
「樹さん、お待ちなさい。まだ話は終わってません。」 樹は部屋に入りドアに鍵をかけた。電話を取って、祖父に電話した。
「祖父ちゃん、予想通りの展開になっちゃいました。早々にそちらに引っ越します。準備しておいてください。母の協会出席のときに、全部運び出しますが、僕はバイクを動かしたいので、荷物に関しては誰か手伝ってもらえませんか?」
「そうか、美子さんも強気に出てしまったのか。。。とにかく樹は何も心配することはない。荷物だけはまとめておきなさい。」
「段ボール箱3個くらいだと思います。本を持っていきますから。」
「あい賜わった。樹も会ったことのある藤堂を車で向かわせるから、荷物がまとまったら連絡してきなさい。書道協会の集まりは何曜日なのだ?」
「いつも水曜日だったと思います。 西田先生に聞いてみます。彼は力になってくれると思うし他言はない人です。」
そうか、頼もしい先生がいてよかった。学校を巻き込むことなど美子さんは当然やってくると思う。早く真希子さんに連絡して、逢う日を決めなくてはいけないな。」
「分かりました。ところで、祖父ちゃんはチャットってできる? メッセージを送るのだけど。。。」
「当然だ! 年寄りだからって侮るではない。Lineというやつか?」
「いや、違うものなんだ、。 WhatsAppというのなんだけどね。真希子さん、アメリカに住んでたからアメリカ人ができるアプリを使っているんだよ。Lineは欧米では使われていないんだ。一応ダウンロードだけしてくれたら、僕が接続しますから、待っててください。」
「あい分かった。 日にちの連絡を待つ。」 その後、真希子にメッセージをいれた。でも、声が聞きたい。。。
「もしもし、真希子さん? 今大丈夫ですか?」
「どうしたの? なにか切羽詰まった感じだけど。。。」
「明日か明後日、夕方以降に時間を取れるようにできますか? 祖父に会っていただきたいのです。彼は完全に味方ですから安心してください。ちょっと色々と事件がありました。だから数日中に祖父のところで暮らしだします。」
「え? 一体何が。。。 分かったわ。急ぐのね? 明日なら大丈夫よ。どこに行くかによるけど。。。仕事場は6時に出られるから。殆どの場所へ30分圏内で移動できる。バイクじゃないほうが良さそうね、明日は電車とバスにする。場所がわかったらメセージ頂戴。 樹、落ち着いて。。。きっと上手くいくから」
「分かりました。じゃ、メッセージ入れますね。」
樹は慎太郎に連絡し、7時に赤坂の料亭、浅野で会食という返事が来た。
「真希子さん、ジジくさい場所かもしれませんが。。。7時に赤坂の浅野という料亭だそうです。祖父がご馳走してくれるので、気兼ねなく楽しみましょう。これがやってみたかったらしいので。。。では、僕は祖父と行きますが店の玄関でお待ちします。」
緊張する。赤坂の浅野といえば、高級割烹だ。前を通ることも気が引けるし、自分は余程の接待として招かれない限りは暖簾をこぐることなど、一生縁のないお店だ。 無礼があってはいけないと思い、4時半に仕事を上がらせてもらうことにした。生徒はみんな滑り止めを持ったので、気分的に余裕ができていたから、心配ない。デザインの方の先生にあとを頼んだ。バイクで通勤していたから、一度自宅に戻り支度することにした。
デザインの先生は気を利かせてくださり、4時に来た、しっかりとお礼を言って慌てて家に戻り、シャワー浴びて支度した。私はヒールの高いパンプスを持っていない。。。せめてと思い、昔バーゲンで買ったグッチのローファーを履いた。7時には余裕で間に合う。礼儀として10分前に暖簾をこぐってみた。
店の玄関に入ってみると、着物を着た男性の係の人が近づいてきた。
「いらっしゃいませ加納さま。お待ち申し上げておりました。ご案内申し上げます、どうぞこちらへ。」 店に来たこともないのになぜ私が加納真希子だとわかるのかしら? すべての喧騒から離れた部屋に通された。中には初老の男性と樹が待っていた。和室だが、椅子とテーブルが配置されたモダンな部屋だ。
「真希子さん、お店の人には写真を見せておいたので、真希子さんとすぐわかるようになっていたのです。僕が迎えると言ったら、祖父ちゃんが、待てと言うので。。。」
「そうだったんですね。 お待たせしてすみません。 はじめまして、加納真希子と申します。樹さんとお付き合いさせていただいている者です。本日はお招きいただきまして、ありがとうございます。」
「はじめまして真希子さん、 樹の祖父、館野慎太郎です。仕事は息子に任せ、悠々自適な隠居生活を楽しんでいる者です。どうぞ、おかけになってお寛ぎください。 私と樹は、肉親ではありますが、友達のように接しています。ご存知のように彼の大型バイクは私が約束を取り付けて、樹はしっかりと約束を守ったので私が与えたものです。彼は我が儘なお坊ちゃんには育っておりませんので、どうかご理解ください。 さて、お飲み物は何になさいますか? 今日はバイクではないそうなので、まずはビールを私と分かち合っていただけないでしょうか?」
「はい、喜んで。」 ビールを注文してくれた。こういう割烹には生ビールのジョッキなどはないらしい。。。 樹はトニックウォーターにしたようだ。
「真希子さんは中型バイクにお乗りだと聞きましたが、樹のと同じようなロードレースタイプですか? こんな爺さんですが、バイクは好きでしてね、樹がほしいと言い出したときはワクワクしました。私は昔から可愛い孫でも、なんでも与える人間ではないのです。努力した者には必ずや報酬を差し出すというやり方をします。幸い、孫たちはみんな努力家でしてね、特にこの樹は、チャレンジ精神が非常に旺盛で、無理だから諦めるということをしません。それは真希子さんにもご理解いただいていると思っていますが、どうですか?」
「はい、樹さんには、何度となく驚いています。これでもたくさんの高校生を教えてきましたので、樹さんのチェレンジ精神と、それに向かう姿勢は、私自身が見習っていることが多いのです。 もうご存知と思いますが、私は10歳も年上です。私が成人式に振り袖を着て友人とお酒を飲みだしたとき、彼はまだランドセルを背負って小学校に通っていたわけですから。。。そう思うと、私が影響をいただけるということ自体が奇跡のように感じます。」
「孫がそこまで逞しくなったということが、貴方のような素敵な女性から教えていただけると、心底嬉しいです。 今日は食材を私に任せていただいた料理となりますが、一緒に楽しんでください。 あ、樹、ビールを飲んで頂きなさい。」
「真希子さん、どうぞ!」 樹はビールをコップにつぐと、テーブルの下で足を絡ませてきた。彼もホッとしたのだろう。
「さて、真希子さん、 実は樹はいま、家を出たいと考えているのですよ。嫉妬心が強くて感の鋭い母親がいましてね、悪い人間ではないのですがバイクのことといい、私とは全く話が合わないのです。そんな母親のもとにいさせるよりも私のところで暮らさせようかと考えています。本来なら、貴方と生活したいと思っているようなのですが、彼はまだ未成年、そして貴方は保護者になってはいけない。だから、私のところにと思っています。美子さん、あ、樹の母親の名前です。彼女も私なら何も言えません。だから樹が18歳になるまで、数ヶ月ですが、私も、もれなくついて回ることになりますが、ご了承いただきたいんです。(爆笑)」
「はい、もちろんです。ただ、私自身、彼がどのような境遇にいたとしても、諦めるつもりは、もうないです。こんな決心をしたのは自分でも信じられませんでしたが、彼と生きていきたいと望んでいます。」
「そうですか、分かりました。どうかよろしくお願いします。私は全面的に協力しますから。」
会食は3時間以上にも及んだ。場所を変えることはせずに、部屋から出られる庭で落ち着いたライトで照らされた庭園を観たり、敷地内を散歩することもできた。その間ずっと樹は私の手を繋いで離さなかった。
「さて、そろそろお開きにしますか。私ともチャットのIDを交換しましょう。それなりにトレンディは爺さんなので、チャットはよく知ってますよ。(笑)」 IDを交換した後、私は先に一人で店を出ることになった。時間差をもつことのほうがどんなときでも安全ということだった。
「樹、素晴らしい女性を彼女にしたな。 年上だと言うのに、オマエを尊敬しているという。普通なら上から目線になるものだ。ワシは全面的に協力する。ただ、樹には、学業も全うして欲しい。できれば大学で学び、目標であるエンジニアになってもらうことが、私の願いだ。その両立は非常に難しい。18歳という年令になったからと言って解消されるものではないんだ。数ヶ月ではなく、5年以上かかるということだ。更には、真希子さんにも時間の配分がある。『待てない』と判断することも彼女の自由なのだ。そうなったとき、オマエはどうする? 今は感情が最優先されるのも納得できる。恋とはそういうもんだからね。ワシはそれも止めないが、束縛し合うことになるかも知れないこと、オマエに覚悟はあるのか?」
「僕は必ず両立できるように努力するよ。彼女を束縛したくはない。真希子さんはいつも言うんだ、僕を束縛したくないって。若いから違う人を好きになることもあるって。。。でも、僕はそこまで器用じゃない。エンジニアの勉強だってあるし、彼女さえそばにいてくれたら打ち込めると思っているんだ。」
「そうか、ならば、実行しよう。 さて、オマエの部屋になる部屋をどこにしようかな。。。バイクのあるガレージと繋ごうかな?」
「それは嬉しいな。でも、改造しなくていいですよ。近ければそれでいいです。祖父ちゃん、、楽しそうですね。。。」
「うん、こんなに楽しいことは久しぶりだ。長生きするものだな(爆笑)」
願えば叶う、努力は報われる
「先生、、あんたって女神様だよ! 受かった!芸大!」
「やったね佐々木くん! 私も嬉しいよ!」
「先生のおかげだと思う。デッサンを柔らかくしてくれたんだよね。今年のデッサンは自分でも変わったと思えたんだ。ありがとうね! 彼氏抜きで飲みに行ける?」
「前に働いてた学校でも受験の合否が気になっている生徒が数人いるのよ。。。だから、そっちも聞いてこないと。また必ず付き合うよ! でもね、私の彼氏、ヤキモチ焼きなんだよ。。。今度は受験科の他の子も誘おうね!」
「わかった。。。でも、また連絡させてくださいね! 芸大入学してからでもいいですよ!」 ずいぶんと素直になったものだ。でも、私の受け持った受験生は全員浪人しなくて済んだ。これは大きい。
「必ず連絡するからね! 私、いつか芸大に訪ねてもいいかしら? 石膏像の位置とか、変わったかもしれない。。。 案内してね!」 さて、東海高校に連絡してみようかな。。。林さんと西田さんへ、メッセージ。
『真希子です。気になってます。関くんの合否。連絡乞う。』
『西田です。林君は音楽室で爆音で練習中。みんな関くんからの連絡を待ってます。分かり次第連絡します。』
関くんだけはどうしても受かってほしいと思っている。 せめて武藤くんの携帯電話に連絡が入っても良さそうだけど。。。
「おい、どうしたんだ武藤、これは合わせてもらわないとな。。。もっかい行くぞ、Let it flow だからな。分かってる?」
武藤くんが不安定だと部員が全員落ち込んでしまう。音を外してしまう人も出てくるくらいだ。 林さんは参っていた。
と、そのとき、音楽室のドアが開いた。 関力也が立っていた。みんな一斉に無言になった。
「受かった!」 その後のどよめきは防音室で良かったと思うほどだ。 武藤くんが駆け寄って、ガッチリと抱擁した。
「関!オマエ、なんで電話しないんだ!音楽室の中はブリザードが吹いていたんだぞ。 おめでとう!本当におめでとう!! あ、真希子さんに電話しなくちゃ!」
「あ、林です。 それが、実はね。。。。えーっと。。。」
「何? どんな知らせでも動揺はしないから早く教えて! 」
「真希子先生、関です。 ご心配をおかけしました。 桜・・・咲きました! スマホ、まさかの電池切れで掲示板見たときにすぐ連絡できませんでした。ムゲンがご立腹なんです。」
「お・め・で・と・う〜〜〜〜 関くん! 貴方なら大丈夫だと信じてたよ!今ここでハグできなくて悔しい! ムゲンって・・・林さん?(爆笑)ちょっと、武藤くんに替わって!」
「真希子先生、力也やりました。 今度、真希子先生のリクエスト曲演奏しますよ!」
「うん、良かったね、これでまたあなた達2人で良い演奏が続けられるよ! 私に代わって関くんにビッグなハグして頂戴!」
「あ、ムゲン林です(笑)。武藤が関にハグしてます。はい、濃厚にハグしてますからご心配なく!(爆笑) あ、今、ジン・西田先生も入ってきました。これから祝賀演奏に入ります。まずは卒業式でお目にかかりましょう。金曜日ですからね!」
「分かりました!必ず伺いますから。 では、とりいそぎ! みんなによろしく伝えてください。」
なんとも言えず感慨深い。これで関くんが浪人となったら、武藤くんはどうなったか、想像したくない。。。 ちょっと樹に電話しようっと!
「樹?今大丈夫?」
「はい、大丈夫ですが、荷物出し始めているので。。。」
「あ、ごめん! 関くんが一橋合格したの。どうしても教えたくて! じゃ、後で落ち着いたら電話してね。ごめんね。」
「わかりました。また後で!」
そうだった。お母様のいない曜日に荷物を出すことになっていたのだ。大して大きなものはないので、時間はかからないと言っていた。置き手紙も海たということだったけど、、、お母様は卒倒してしまうかもしれない。。。または、すでにお祖父様が関わると承知しているかもしれないが。。。 樹の恋人が私じゃなかったとしても同じ様になっただろうか? お母様はまだ私だと知らないのだから、同い年や年下の高校生、せいぜい大学生と考えているかも知れない。 私だと知ったときは二重のショックを与えることになるだろう。お祖父様にお目にかかっておいて良かった。なかなか豪快な男性だ。
『仰げば尊し』を林先生のコンダクトで聴くなんて、思ってもいなかった。卒業生の学年は、開校以来のトップクラス生徒に恵まれたということだった。ジャズ演奏の天才たちは、賞も取ったし、ヤンキーたちからも一目おかれる人たちなので、学校内での揉め事は皆無だったと言う。最後の学祭以来、多くのカップルができたらしい。まぁ、女子が少ないから女子は選択肢が多いと言えよう。 2年生の代表数人も参加する大きな卒業式、館野樹も来ていた。私は小さく手を振った。彼は笑い返してくれた。それを観ていた子たちもいるが、みんなスケッチ絡みだと思ってくれている。逆に手も振らないでいる方がかえっておかしいだろう。 慎太郎氏は樹に監視は着けないが、お母様の美子さんの方に着けるという大胆な発言をしたのにはびっくりした。大きな確執があるということだった。ただし、自由を守るというのは慎太郎氏の方なので、少しホッとしている。 証書の受け渡しが終わり、いよいよ卒業生が立ち上がるとステージの垂れ幕が一斉に持ち上がった。林先生と2年生以下が用意してあったアンプなどが露わになった。大きな歓声がわき、林先生がマイクを取った。
「すみません。非常にリクエストが多かったもので、本年度の軽音部卒業生最後の最後という演奏を2曲だけやらせていただきます。ジャズですので、騒がしいです。 お好きではないという方は、どうそ、体育館をお出になってください。謝恩会会場へとご案内いたします。」 しかし、誰一人体育館から出ようとはしなかった。すべてのPTAも認める『天才たち高校での最後の演奏』は、誰もが聴いてみたいのだとわかる。
「では、楽曲の方は、Hang up Your Hang ups と我らが軽音部のテーマ、TSOPです。 録音や動画を撮られる方は早めにご用意ください。」 武藤くんも関くんも感無量という顔をしていた。西川くんもしっかりと溶け込んでいた。 すると、突然声をかけられた。
「真希子さん、こんにちは! お元気でしたか?」 奎子さんだった。
「あぁ、奎子さん、お陰様で私の方はなんとかやってます。受験生を受け持ったので、ストレスフルでしたが、願いかなって、全員大学に行けて浪人は作りませんでした。 奎子さんこそ、この時期研究室を出ても大丈夫なのですか?」
「私は、丁度こちらの製薬会社に出向くという役職をもらいまして、、、というか、無理矢理に大学側に申請したのですけど、うまく受け入れてもらえて、4月半ばまでいられます。真希子さん、今度時間を作ってどこか一緒に出かけませんか?」
「はい!是非!! 私は9月まで休職しようかと思いまして。。。受験生担当は精神的にキツくて。。。」
「お察しいたします。。。オランダはその点は少し楽です。イースター休暇もあるので、来られたというのもありますが、実際薬剤会社に行くのは1週間もないのです。どこかのびのびできるところに行きましょう!」 気持ちの良い談笑をしているうちに、ハービー・ハンコックの名曲が始まった。今、林さんが力を入れている1年生のピアニストが関くんの指導を受けている。そして始まった。 卒業生たちは踊りだす! すると、樹がそばに寄ってきた。
「真希子さん、 僕にもご紹介してください。」
「そうよね! こちら、山本奎子さん、オランダのライデン大学の薬学科で研究されている薬学博士。実は林先生の義理の妹さん。私と同い年よ!(笑) 奎子さん、彼は館野樹くん、2年生で書道部の部長さんです。将来はエンジニアになるために日々勉強してます! 私の最高のモデルだった子でして。。。バイク仲間でもあります。」
「はじめまして、山本奎子です。真希子先生とはとても仲良くさせてもらってます。アムステルダムに住んでいますので、なかなか逢えませんが、私は東京には頻繁に来るので、受験シーズンの後ですから、少しゆっくりできるかな?と、遊びに誘っているところです。」
「館野樹です。僕は林先生の親友、西田先生にこき使われています。どうか、よそしくお願いいたします。」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。 流石、書道部の部長さんは礼儀正しい。義兄さんと彼の配下2人に爪の垢でも煎じて飲ませたいわ。。。まぁ、関くんはいらないかもしれませんが。。。義兄よりも余程大人なので。(爆笑)」 ステージから西川くんがこちらに気づき、手を振ってきた。でも、私と樹は、その視線の先が、奎子さんだということが確信できた。樹と目を合わせて、ニヤッとしてしまった。
「奎子さん、私は謝恩会にはでませんので、このまま館野くんと失礼しようと思います。明日にでも連絡しますね。」
「真希子さん、私も謝恩会に出るつもりはありませんので、このままご一緒にどこか行きませんか?居酒屋さんとか、いかがですか? 館野くんは在校生だから、謝恩会関係ないですよね? よろしければ、一緒に来ませんか?」
「はい、喜んで。 でも、僕は一旦帰ります。実は引っ越してかなり近くになったので、着替えてから参上しますよ。」
「あ、それは良いアイデア。樹、メット持ってきてね。 そうですね〜〜、どこにしようかな。。。近くはちょっと気が引けるから、青山のブルーノートの数件隣に、渋い居酒屋があるの。そこにいくわ。変更などはメールいれる。」 私達は、演奏が終わると、先生2人にメールを送ってから学校を後にしタクシーに乗った。奎子さんが、少し表参道のお店を観ながら歩きたいと言うので、表参道の交差点でタクシーから降りて、歩いた。彼女は最近できた大きなフェンダーのお店を見つめていた。
「ギターのお店がここにできたときはびっくりしました。興味がお有りなんですか?」
「姉の杏子が元気なときは、よく林先生と3人で銀座のヤマハに行ったものでした、今はここにフェンダーがあるなんて、凄いですね。」
「西川くんが弾いているベースもフェンダーですけど、多分、備品とかの調達にここを使うかも知れないですね。」
「そうでしょうね。彼も真面目にベース練習してますね。このお店、まだできたばかりみたいですね。。。今度入ってみます。」
「館野くんは結構早く来ると思います。最近引っ越して、渋谷の能楽堂のそばのお祖父さんのところに住んでいるのです。だからここまではバイクで15分くらいなので。」
ブルーノートまでくると、すでに樹のバイクが停まっているのが見えた。 飛ばしたな。。。
「お待たせ! ごめんね、ちょっとウィンドウ・ショッピングしちゃって。。。」
「あ、館野くん、私のせいなんです。表参道が歩きたかったから。昔とは様変わりしているのでね。。。すみませんでした。 これ、館野くんのバイクなんですね?大きい! すごーい!」
「いえいえ、つい飛ばしてきちゃったんですよ。これは大型バイクですから。。。安定感あってかえって安全なんです。バイクのエンジンを触れるようになりたくて、今後はそっち系の勉強をしたいと思ってます。」
「真希子さん、たくましい生徒さんですね!」
「あ、彼はもう私の生徒ではないので。。。あの学校に在職中も、館野くんは教えてないんですよ。。。 さ、とにかくお店に入りましょう!」
「こういうお店に入るの久しぶりです。誘ってくださって、ありがとうございます。」
「そうだよね、お酒の飲めない年齢だと、なかなかチャンスないし、ジュースやノンアルで酔っぱらいに付き合うのは嫌だよね。。。」
「いえ、そんなことないですよ。楽しい話題に入れるのは嬉しいですから。僕、丼物のご飯食べてもいいですか?」
「いいよ、でも、お野菜も食べないとね!(笑)」
「義兄さんの学校の生徒さんって、どうしてみんな背が高いのでしょうね? 館野くんもすごく背が高い。私はオランダに暮らしているので、背の高い人間には慣れているのですけど、日本の高校生で、逢う人会う人がみんな長身で驚いています。」
「そういえばそうですね。西川くんなんか、オランダでもバスケできそうな身長だわ。」
「彼、、もうすぐ来ます。」
「え? ここにですか? 謝恩会大丈夫だったのかしら? さては仮病かな?(笑) 奎子さんに連絡しているんですね? 林先生にベースを教えてもらいながら、良くしてもらってましたから、すっかり軽音部になってしまったけど、彼は優しい子ですよね。」
「実は・・・私が彼に告白したんです。初めて逢ったときに、ストーンって落とされちゃって。。。10歳近い年齢差なんて、どうでもいいや!って思えて。その後、何度か会う機会があり様子を見ていて、一か八か、捕まえて言ってみたら、最初は絶句していたんですけど、良い返事がもらえて。。。信じられないでしょ? こんな年上女から高校生に告白って。。。でも、欧米ではよくありますから。フランス大統領のマクロン夫妻は24歳違いますからね。」
樹と私はあまりにも驚いて、目を合わせ、顎が下がってしまった。。。
「そうですよね。欧米では珍しいことではないですよね。 サルバドール・ダリと夫人のガラも、夫が10歳年下です。ね!真希子さん!!」
「そうよね。。。 あの、奎子さん、実は・・・」そこに西川くんが現れた。
「お邪魔します! もう、抜けるのが大変で。。。 武藤と関も抜けたがってましたよ。もう、酔っぱらいの相手ばかりさせられて、武藤なんか、いつ切れるか、みんなハラハラしちゃって。。。 あれ? 館野のそれはカツ丼? 俺もそれにしようかな?」
「うん、美味しいですよ、先輩。」
「じゃ、奎子さん、私達はもう少し強めの行きましょうか? 私はダブルショットのウォッカトニック、奎子さんは?」
「私は、同じくダブルショットでテキーラサンライズ! お互いに今日はナイトが隣りにいますしね、存分に飲めそう!」
「ねぇ、海くん。私達ってどんな関係だったっけ?」
「俺と奎子さんですか?カレカノ、つまり恋人同士なんです。 驚いた真希子さん? 館野? (笑)・・・ あれ?なんか全然驚いてないですね。。。 奎子さんがすでに話しちゃったってことですね。 ま、もう、俺、高校生じゃないし、怒られることってないですよね。林先生も西田先生にもお披露目してあります。すっげー驚いてましたが。。。(爆笑)」
「あぁ、それは結構驚くかもしれないね。。。(笑)」
「真希子さん、僕は大丈夫ですよ。」樹は真希子から言ってほしいようだった。
「うん。。。実は私達も付き合っているんです。ただし、館野くんは17歳なので奎子さんたちとはちょっと違います。だから、どうか他言はなきよう、よろしくお願いします。私が働けなくなってしまうので。。。」奎子さんも西川くんも唖然としていた。完全に寝耳に水状態。
「館野は俺とスタート台が一緒だったんだよね? そういうことだったんだ。。。」
「はい、先輩とスタート台は全く同じです。僕が受験生ではなかったというのが大きな違いでした。」
「真希子さん、これは楽しくなりそうだわ、私。同じ境遇、つまり同じ年の差での恋愛って、自分から口火を切ったにも関わらず、そして、外国の習慣に慣れているはずなのに、日本だと誰にも相談ができなくて不安だったんです。それがいきなり、同い年で話が合う真希子さんと共有できるなんて、夢みたい。 でも、たしかに私達よりも障害物は多そうな気がするけど。。。」
「館野はいつが誕生日だっけ?今年18だよね? まさか、飛び級とかしてる?」
「5月です。5月3日で18になります。」
「そうか、なら、もうすぐだな。 在学中だし、ムゲンとジンにも知っておいてもらうほうが良いかも知れない。何かあったときには力になってくれると思うんだ。」
「そうね、あの2人なら話せる。私にとってはあの高校の仕事をしているときに、すでに樹と付き合いだしていたから、下手をすると犯罪とされるかもしれないし。。。もちろん同意の上だったけど。。。」 樹は真希子の腰に手を当てて引き寄せた。
「いまだから言えるけど、俺、結構ショックだな。。。 あの頃、真希子さんのこと大好きで、結構真剣に考えてたんですよね。でも、俺は届かないな・・・って気づいたのは2学期に入ってからだった。 奎子さんに出会う前ね。奎子さんと出会って、完璧に落とされちゃったので、自分って年上の女性にしか興味ないのかも知れないって、考え込んじゃいましたよ。。。奎子さんに出会えて、最高に幸せです、俺。」 そう言うと、西川くんも奎子さんの肩を抱き寄せていた。
「で、なにか問題が起きるとしたら、どんなことなのかしら?私はすでに日本のことには疎くて。。。18歳の誕生日がすぎればお互いが真剣で同意の上での恋愛関係だということで何も問題なさそうに思えるのだけど、私、物知らずかしら?」
「僕は最近、祖父と暮らし出しました。そして祖父は僕と真希子さんのことを理解してくれています。問題なのは母と弟です。とくに母は、僕に書道家としての道も進ませようとしていますから。。。でも、母も僕がエンジニアになろうとしていることは十分に分かっているのですけどね。最近、僕が夜遅くに帰ってきたり、外泊していることに気づいて、予備校だ、家庭教師だとか、行動制限を作ると言い出したんです。それには頭にきて、一緒に暮らせないと思って、祖父のところに行ったのです。祖父と母は昔から犬猿の仲でして。。。社会的な責任を自分で補えるようになるまで、祖父のところにいると決めました。真希子さんに迷惑がかからないようにするには、それが一番良いかと思ったのです。僕の年齢じゃ、携帯電話ですら普通に買えないんですよね。。。保護者の承認が必要なんで。。。祖父は理解してくれてますし、できれば皆さんの集まりに入れてほしいとか言ってます。理解を深めたいということだそうです。林先生と西田先生なら祖父も仲間に入れてもらえるかも知れないと思ってます。母は、非常に厄介です。 努力家で館野家を支えてくれているのですが、息子はみんな自分が操作しなくてはいけないと思いこんでいるようなんです。」
「樹くん、大変そうだけど。。。すごくちゃんと対処していて、すごいと思う。杏子姉さんが義兄さんと付き合い出したとき、一時は林家の人たちは年齢的に私と付き合っているんだと勘違いしてた時があったのですよ。杏子姉さんは、たった5歳年上だったのですけどね、年齢差が分かったとき、やはり林さんのお母様が、あまり快く思っていない感じがしました。姉がしたことは、とにかく義兄さんの成績を下げないことに集中してもらって、大学もきちんと卒業してもらうことにピリピリしてた気がします。でも、あの2人を裂くことは誰にもできなかった。義兄さんが大学に入って、すぐに籍を入れたんです。義兄さんの希望で。姉は、子供が欲しかったので、2人でプラン建ててました。義兄さんには早すぎるように観えましたが、あの人、子煩悩で、早く欲しいと言ってましたね。そして2回、妊娠できたのですが、どちらも流産。。。流石に2人で落ち込んでいたところに、医者からとんでもない宣告を受けたわけです。流産したことは逆に良かったのだという結論。。。私も含め、血縁関係はみんなDNA検査しました。姉はたった一人の保持者だったのです。それが分かってから、姉は林家に出向き、遺伝性疾患であることを告げ、離婚したいと言いに行きました。義母さんは、ショックで寝込んでしまったそうです。でも、分かれてくれるなと言ってくださり、姉は嬉しそうでしたが、決心は固くて。。。義兄さんは逆上して号泣してました。姉は義兄さんが子煩悩だということをよく知っていたので、違う恋をして、子供をもうけて欲しいと願いました。さらには、賢三さんと死別は嫌だと言い出し、離婚して、自分だけで逝きたいと望んだのです。義兄さんは本当に仕方なくそれを受け入れました。でも、最低でも週イチで会いに来てましたね。。。自分には軽音部の天才2人が子どもとしているようなものだから安心しろって。。。まぁ、こういう話しは本人がきっと樹くんに話すと思うの。だから、早めに打ち明けると良いと思う。力になってくれますよ。」
「そうでしたか。。。林先生って、すごい人なんですね。。。軽音部の天才2人を子どものようにって、観ていてもかっこいいです。」
「俺もそう思う。ムゲンの軽音部への熱の入れようって、父親的な物がある。俺もお世話になっているからよく分かる。武藤と関に関しては、分身のように思っていそう(笑)杏子さんの影響かな?」
「武藤くんと関くんは、姉の杏子が見つけたの。特に武藤くんは姉が天才だと言い出して、義兄さんはのめり込んでいった。ただ、姉さんは、関くんが最も重要だと言ってた。彼がコンダクターになっているって。そしてね、それが凄くセクシーだって、ものすごく上手にサックスの武藤くんを曲の流れに誘い入れてくれてるって。この前、卒業式であの曲が聴けて最高だった。ハービー・ハンコックのHang up Your Hang ups。姉さんが天才2人にぞっこんになってた曲だった。」
「あの2人、独特の雰囲気があるんですよね。お互いを高め合っていると言うか、大学も同じ沿線になれたらしくて、同居が決まったんです。真希子さんが気を利かせてくださったって、あの塩対応の武藤が笑いながら言ってましたよ(笑)」
「そうなのよ、私の伯父があのへんの住宅事情に詳しくて、紹介できたみたいだった。あの2人は本当にお互いを高めていると思う。今後も楽しみだわ。どうやらブルーノートで、定期的に演奏することが条件だったらしいの。今度みんなで観に行きましょうね!」
「ブルーノート??すっげー! あの2人ならできる感じしますよ。他のバンドメンバーはどうするのかな?
とにかく館野、困ったときは何でも言って欲しい。彼女との年齢差が同じだし、なにか力になれるかも知れない。俺と奎子さんなんて、俺の大学が終わるまで遠距離なんだよ。。。休みのたびに俺がオランダに行ったり、奎子さんがこっちに来るという繰り返し。。。離れているときにいきなり『今逢いたい、今抱きしめたい』って思ったら、どう対処しようかなって。。。そういうところ、俺ってまだまだ高校生かなって思う時がある。 その点館野って、耐久力ある感じするよ。書道で培っているんだろうね。。。俺もバスケ真剣にやってきたけど、スポーツやった人だけが持ってるような根性を、書道家って持っているんだね。まぁ、ジンさんはわからないけど。。。(笑)」
「耐久力があるかどうかはわからないけど。。。バイクに乗るのもスポーツですからね。まぁ、僕はマシン造りのほうが興味あるんですけど。。。 でも、先輩の気持は良く分かります。 今、隣りにいて欲しいって思うとき、ありますよね。。。」
「奎子さん、私達って罪な女かしら。。。(笑)」
「そうかも知れないです。。。(笑)」
「お義父さま、ご無沙汰しております。美子です。 樹の新学年も始まりますので、下着や着替えなどを持参しようと思います。何時に伺ったらよろしいでしょうか?」
「あぁ、美子さん、元気そうだね。樹に関してだが 着替え等はこちらでも買い与えている。そういった荷物などはワシの司書、本田に渡してもらえればそれでよい。樹を刺激したくないので、できれば逢わないようにしてもらえないだろうか? 」
「お義父様、そうは行かないと思いますが。。。私は樹の母親です。彼に会う権利はあると思うのです。話しておきたいこともありますし。。。その一つが、最近、樹にはお付き合いしている女性がいるということを知りまして、受験を控えたものには、少し度が過ぎるのではないかと心配しておりますがお義父さまはご存知でしょうか?」
「あぁ、樹はワシには何でも話してくれるのでね、承知しているが、学業を邪魔しているようには思えない。 美子さん、貴方は樹がどんなことにも人一倍の努力をしていること、十分にご存知であろうに? 何も学業を疎かにはしていないと思うが? お相手もお目にかかったが、非常によくサポートしてくれている。進学に関しても心配はないと思っている。あの年齢で彼女の一人もいないなんて言うほうが異常だと思うが。。。美子さんのご亭主、つまり我が息子は貴方とは大学のときに知り合っているがそれ以前に彼女は数人居ったよ。(笑)ワシも家内も何も言わなかった。そんなものではないのかな??」
「お義父さま。。。あの頃とはまた時代が。。。」
「人間の心、ましては恋心など、太古の昔から同じだ。邪魔などしないであげなさい。美子さんにはまだまだ手のかかる弟の健がいるので、そちらに集中されて欲しい。樹は金銭面も含め私が面倒見ますので、口出しは無用にされたい! では、そういうことで必要とするものは連絡しますが、持参いただくものはないですから、お構いなくね。樹の様子、その他はこちらからお知らせするから心配はいらない。」
義父はいつもこうだ。私達の結婚当初から決して私のことを気に入ってくれていなかった。自分の息子の浮気は、簡単に許していた。夫をおざなりにして子供2人に集中したことは、夫の愛情を感じられなかったからというだけではなく、子どもたちは私を裏切らないように感じたからだ。特に樹は学業だけではなく書道も私の思うような方向に励んでくれた。書道協会の人々は、樹を若きホープとたたえ、私を褒めてくださった。私も非常に鼻が高く、夫がどう外で遊んでいても構わないと思えた。外での子供さえいなければそれでいいとも思った。 それが、いつからだろう??樹がエンジンというものに興味が湧いたのは?? 男の子だから、仕方がないと思っていたが、どんどんのめり込み、空力学まで自ら勉強を始めた。自転車で祖父の家に行くようになり、知らない間に自動二輪の免許を取ってしまった。義父にはあまり刺激しないで欲しいと告げたが、馬耳東風だった。義父はバイクが好きだったこともあり、樹がどんどん懐いていった。 大型自動二輪の免許が取れて、すぐに高校生にに使わないバイクを買い与えたのも義父だった。『約束』というものを交わしたからだと言っていた。樹は、集中力があり、完全主義者でもあるために、約束を反故にすることは100%ない。目標を建て、必ずそれを遂行しようとする。母親としても誇りに思うくらいだ。 それを義父も心から買っており、孫自慢をするようになった。樹は小学生高学年になると学年で一番背が高いと言われるようになり、書道協会に連れて行っても目立つようになる。まして、金賞などのトップの賞をもらうようになると、誰もが注目した。中学に入ると、学年の上下問わず女子生徒がうろつくようになった。中3にもなる女子生徒は大人びてくる。だが樹は面倒がり、女子への対応は冷ややかだった。浮いた噂などもなく、母としてはまだ早いと思っていたこともあり好都合だった。 高校は書道協会での知り合い、西田由貴夫さんがいることもあり、安心していた。しかし、いつからだっただろう? 樹の様子が変わったと感じた。これは『女の勘』が気が付かせたものだと思うが、女性が関わっているように思えた。普通に恋をしているのだと思うと、16−7歳の男子なのだから当たり前だと思えたのだが、真面目を人間の形にしたような我が息子だから、のめり込んでしまう恐れがあると危惧してならなかった。どちらにしても高校生のお遊びのような恋愛ごっこなら、すぐに熱も冷めるだろう。大学での勉強を好きな機械工学などにしておけば、きっと勉強に励む。
ただ、どんな子と付き合っているかは気になる。まして、義父がすでに会っているというのだから、気になる。私自身の目でも確認しておきたい。
樹も健も、館野家にそぐえるように、必死で育てた。礼儀正しく、金銭感覚も教え込んだ。金で何でも手に入るという観念がつかないようにした。女性には特に優しくしろと教えた。フェミニズムは身についてるはず。健のほうが中学生の割には女性の扱いがうまそうだ。樹はバカ正直なところがあるので、女性次第でボロボロになってしまうことも考えられる。だからこそ、樹のことは観ていなければならないと考えている。義父には、私の気持ちはわからないだろう。。。 私からの連絡をこれ以上拒むなら、興信所も着けてみよう。こんな大切な時期だ、義父ではなく私が管理して置かなければ。。。
「おーい、西田さん、真希子さんと奎子から招集がかかったよ。居酒屋でいいかな? それとも西田家で??」
「あぁ、我が家でと言いたいのですけどね、今、2部屋対策で使っているので、今回は居酒屋にしませんか? 大人4人だしね、バッチリ飲めるかな?」
「了解、じゃ、個室のある「オタフク」に予約入れておきますよ。 たのしみだな、真希子さんと奎子が仲良しだというのもあるけど、奎子の彼氏宣言が衝撃的だったしな、そこら辺も十分に聞き出したい!」
陽気が良いこともあり、人々は花見に出ているせいか、居酒屋の個室はすんなりと予約ができて、メニューも充実している感じだ。
「良いメンバーですね、これ! では、再会を祝して乾杯しましょう! 『乾杯』」
「義兄さん、すみませんでした。私もそろそろ帰欄の準備があって。。。西川くんの入学式を観てから帰ります。」
「6月になったら、西川のバスケの様子にも依るだろうけど、彼がアムスに行くんだっけ?」
「できればバスケをしっかりとやってほしいのです。戦力とされているなら、役にたって欲しい。あと、英語力をつけさせないと。。。」
「彼、たしか英語はかなりできるんじゃなかったかな? 帰国子女だったはず。。。 どちらにしても身長はオランダ人もびっくりだろうし、どこに連れて行っても見劣りしないですよ。デカい! いい男!性格も良い。 奎子さんもやりますなぁー!」
「それでも遠距離恋愛は大変だよね。。。奎子、大丈夫そう?」
「うん、これでも忍耐力ありますからね。杏子姉さんと似てるところはそこかも。伴侶への忍耐力! (笑)」
「おいおい、ま、杏子ほどの女はそういないけど。。。 でも、西川はしっかりしてる。俺は心配してないよ。こっちでしっかり観ているつもりだしね。 ところで、真希子さんはしばらく仕事取らないって聞いたけど、なにか展覧会とか?」
「いいえ、この前までの美大用の予備校が本当に大変だったの。何人、入れるかとか、全く関係なかったけど、やっぱり、浪人させたくないという自分へのプレッシャーが、思った以上に負担になっちゃって。。。 生徒がみんな優秀だったからなんとか浪人無しですんだけど、しばらくやりたくない。。。」
「それって、正に日本の社会だよな。。。もう、好きなら誰でも入れてほしいよ。で、卒業は簡単じゃないぞ!というのが正しいと思うな。。。」
「ところで、奎子さん、西川くんとの関係は充実してますか? 彼はまだ18歳だというのに、考え方が大人なんですね。。。今までも浮いた話は聞いたことなかったから、他校の生徒などとお付き合いしてたかと思いましたが、バスケ一筋だったようですね。」
「はい、うまく行っていると思っています。私が見た目が高校生のようなものですし、積極性は欧米人並みで、彼もびっくりしたとは思うのですが、逆に新鮮だったみたいです。私、本当にこういうことって初めてなんです。まさか、こんなに好きになってしまうって、今までの人生になかったもので。。。」
「それは杏子も心配してたな。。。奎子は恋愛音痴だから、本気で好きになったら壊れてしまうかもしれないって。。。西川が真面目で一途な男で、ちょっとホッとしているんだよ。。。若いしね。。。引く手あまただしね。。。」
「ところで、真希子さん、今日の徴集ではなにか話したい議題などありましたか? また新入生でモデルが欲しいとか?」
「未完成の美については、充分に勉強させてもらいました。そして、その美は完成形に近づき、私はそれを手放したくないと考えました。」
ムゲンとジンは顔を見合わせた。。。
「手放したくない・・・ですか? 手放したくない。。。あのぉ、、、真希子さん? 手放してないっていうことですか?」
「はい・・・私、館野樹を同意のもとで恋愛対象になってもらいました。幸運にもお互いに『落ちて』しまいました。 これは犯罪だとおっしゃいますか?」
「えーっと、、、 真希子さん、得意のジョークじゃないですよね?。。。」 奎子は思わず吹き出してしまった。真希子には『ごめん!』というポーズを取ったが、2人の大人男子に対しての爆笑だった。
「あの、館野樹ですよね? 我が書道部部長の。。。未完成の美を持った少年でしたが、、、育ってしまったとおっしゃってましたが、心身ともに大人になったということでしょうか?」
「おい、西田さん、それはちょっと大胆な質問ではなかろうか?。。。」
「何をおっしゃいますか! 貴方の義妹さんだって、全く同じ方向に『落ちた』わけですよ。ただし、彼はこの春卒業して大学生ですが。。。館野はまだ我が校3年になったばかりです。。。」
「そうなんです。彼の誕生日は5月3日。それまでは17歳でして、明るみに出ては困る年齢なんです。もちろん深く尋ねられたら同意のもとなので何ら問題にはなりませんが、やはり、いろいろな意味で伏せておきたい事項可と思います。。彼の祖父からは理解をいただき、力添えを頂いています。だから今、彼は祖父家から通学しています。 なぜかというと、お母様はご自身の理想に樹を育てたくて、受験体制を万端にするということでしたから、樹は完全に反発し始めたというわけです。」
「あぁ、、、分かります、館野美子さんの執拗な執着。。。館野くんを書道家に育て上げ、弟の健くんにはご主人の会社を継がせる。それが彼女の目標です。そして、ご祖父様とは全く相容れない。。。 真希子さんが樹の相手だということを知ったら、必ず破壊作を講じてきますな。。。 ご祖父さんとは完璧な犬猿の仲なんですよ。。。」
「いやぁ、しかし、、、最近驚かせられることばかりだな。。。 近頃の10代の男は、こんなにいい女達をゲットするんだな。。。どうする西田くん。。。」
「世の中のトレンドには思いませんが、自由な恋愛は歓迎すべきでしょう。彼らは猿にならないということか? では私は何だったのだろうか? 相手も10代じゃないと猿化しないということか?。。。それともタダ単に、私だったからか??」
「まぁ、俺は西田さんだったからだと思うな。。。(爆笑)」
「とにかく、事を荒立てないようにするには、館野くんが18歳になるまでは、なんとしても公の目に2人がいかにも付き合っているという対象には触れないようにするのが得策だな。」
「館野慎太郎さん、樹の祖父さんは、協力すると言ってくださっているのだけど、今度、この集まりにご招待しても良い?」
「それは構わないけど、平均年齢が思いっきり上がるんだろうな。。。(笑)ジョーク通じる人なの?奥様はご健在なの?」
「ジョークは通じるわ。(笑)奥様はもういらっしゃらない。。。愛妻家だったらしいわ。。。」
「この際だから、5月4日まで逢わないようにしたら? 1ヶ月程度で駄目になるような仲じゃないだろう? 樹はお祖父さんのところで暮らしているということは、母親がなにかできるわけでもないだろうし。。。 奎子と西川の仲を思えば普通じゃないの? 今はビデオ電話もできるわけだしな、俺はそれが一番無難だと思う。。。なんだよ、冷たいっていいたいわけ?」
「私もそう思うな。。。館野一家は知る人ぞ知る名門だから、書道界では注目の的、騒がないことが一番穏便に済むと思う。まぁ、恋する者同士を一切合わせないというのも酷だから、この集まりを利用して、会わせてあげるのも手だと思う。我が家を利用してもらってもいいし、この居酒屋のように個室なら隣同士に座ってもらえる。ま、猿じゃないんだから、1ヶ月くらい肌触れ合うのも我慢なされ。。。それでどう?」
「そうね、それが一番良さそうだわ。。。」
「多分真希子さんには、それが解決策だろうな。あとは、樹をどう繋いでおくかだ。。。強行突破させないように常に押さえておかないとな。。。若いって、すごいことなんだよ。。。誰にもとめられなかったりするんだ。」
「そうね、普通なら彼も1ヶ月程度は時間をやり過ごすと思うのだけど、やっぱり逢いたいものね。。。お母様がどう出るかね。。。私だって、西川家の人々にどう思われているか、気になるから。。。 海君はすでに大学生で19歳になるのだけどまだ10代の男子とアラサー女子って、お家の人はどう思うか。。。」
「西川は大丈夫だよ。家庭も物わかりの良い両親と兄弟だし、奎子の経歴を見て邪魔するようなことはなさそうだ。 どちらにしてもここの女性2人は、見た目がヤバいくらい若くて美しいしな。。。若さとイケメン度が売り物の西川と舘野も、迂闊に放っておくと、鳶が現れるかも知れないしな。(笑)」
「とにかく、定期的に連絡は取り合おう。誰も単独で悩むことがないようにして欲しい。 俺は杏子に夢枕に立ってもらって、慰めてもらおうかな。。。」
「ムゲン殿、そう淋しいことを仰るでない。杏子さんだって、そんな貴方の枕元には立ちたくないと思いますぞ! 今度、等身大ダッチワイフを秋葉原に求めにいきましょう。お付き合いしますぞ!」
「あ、、、まぁ、それは間に合ってるかな。。。(笑)」
「はい、お二人共、お疲れさまです。そういう話しを堂々と私と奎子さんの前でするって、ちょっと腹立つわ!(笑)」
それぞれの前進と未来は。。。
高校の4月の行事はいろいろで、各部活動も、新メンバーの獲得などに力が入る。軽音部はそれまでの実績が大きいので、どんどん新入部員を募集しなくても希望者で溢れていた。多くは、先輩が時々訪ねてくるだろうという小さな希望があったようだが。。。バスケットは、高身長の生徒をスカウトする方向は揺るがず、書道部は地道な宣伝活動をしていた。 館野樹は、悶々としていた。真希子から5月までの付き合い方を説明されたからだった。書道部顧問の西田もそれに同意し、祖父とも話し合っていた。すべてが自分たちのためだと分かっていても、納得行かないのが若者だ。
「館野くん、先日書道協会でお母様にお逢いしてね、色々とお話したよ。。。知らぬ存ぜぬを通しているけどね。書は真面目にやってくれていると話した。それにしてもお母様はお祖父様とは相容れないようだね。。。どちらも強烈な個性の持ち主だというのは分かっているけど、君をコマにして壮絶だな。。。 私としては、君にとって決して良い環境には思えないんだ。。。そこへ来て真希子くんと会うこともできないとなるとな。。。あと数週間の辛抱だが、、、館野くん、君には興信所の人間が監視しているぞ。。。下手な行動はできないからね。下手をすると真希子さんの今後にも影響が出る。心得ておくように。」
「先生、どういうことですか? 母は誰かに僕を見張らせているということなんですね?」
「そういうことだ。。。相手を暴くためにね。そこら辺の学生じゃないことはわかっていそうだったよ。。。まぁ、お母様はプロの女性かと思ったようでね。。。お家柄もあるし、そういうプロの女性だとまずいと思うのだろうな。。。 私にはプロの女性たちは素晴らしい人たちだと思うのだけど、お母様にとっては悪の権化なのだよ。。。それに、真希子くんはプロの女性じゃないしな。。。潰すには簡単なんだ。。。でも、真希子さんもまた、素人の家系じゃないからね。。。伯父さんなどは黙っていないだろうな。。。真希子くんも、それは望まない。 ちょっとみんなに招集をかけることにする。我が家なら興信所も疑えないだろうしね。林君と連絡する。 館野くんのお祖父さんにはオンラインで話し合いに参加してもらうようにするから、ズームのやり方など、君が段取りしておきなさい。平和的な解決などはできそうにないというのが私の印象だから、真希子さんに何らかの手が出される前に計画を建てよう。」
「わかりました。。。」
「ムゲンくん、少し早めに来てもらったのは、先に貴方と話がしたくてね。。。貴方が杏子さんと付き合い出したとき、周りの人たちはどういう反応だった? 5歳年上だったよね? まぁ君の家族が杏子さんを観て反対するとは思えないけどね。。。」
「まるっきり反対無し。 逆に、母なんか杏子にすまなそうにしてたよ。。。俺、ヤンキー入ってたし、ジャズに狂ってたじゃん。。。杏子のところは流石にアメリカで生活してただけあって、俺なんか可愛かったらしい。。。 それに俺、もう、杏子にはぞっこんだったしな。。。今でもぞっこんなんだよ。。。」
「そうだね。。。時々羨ましくなるんですよ。。。人を愛するって、どこまでっていう定義がないから、ムゲンくんのその深さを目の当たりにして、どんな芸術よりも美しいと感じてますよ。私にはそこまで愛せる人ができるかどうか。。。
どちらにしても館野くんと真希子さんに関して、私はなんとかして成就させたいと思っているんですよ。 あの館野くんの母親は、本気でぶち壊しを考えてそうです。書道協会の関係者からの情報を盗み聞きしてしまいましてね。。。 そこでですね、私が考えているのは『駆け落ち』です。」
「え! 駆け落ちって。。。そこまでしないとダメなの?」
「普通じゃないと言っておきましょう。息子を取り戻すだけじゃなくて、真希子さんを教員としては働けないようにできるんですよ。。。彼女ならやりそうなんだ。。。まず、私が独断と偏見で考えた計画をお教えします。 どちらにしても海外に行かせます。最初はムゲンくんのお知り合いで、以前に武藤くんがお世話になった方を通してと思ったのですけど、彼は真希子さんの元彼ということを忘れてました。。。繊細な館野くんが良い気持ちはしないと思って。。。 そして考えたのが、真希子さんのお兄さんがいるイギリスです。ご協力をいただこうかと。。。館野くんにはあちらの高校に入ってもらい、大学受験資格を得て、イギリスの大学に行ってもらう。そのへんは館野くんのお祖父様が金銭面で協力してくれると思うのです。そして、多分彼なら勉強はイギリスでもトップクラスになれると思うのです。そして、イギリスは国内から大学に入ると3年で学士が取れます。それを考慮して英語を叩き込むわけです。彼が目指すのはエンジニアですからね、望みがあります。いかがですか?私のこの大胆な計画! 数日眠らずに考えたんですよ。。。あとは、現地の加納兄さん、そして我々高校教師が、留学に際しての段取りを整えます。英国大使館へのビザ申請など、やることは山のようにあります。その辺は真希子さんにやってもらいます。お兄さんとのやり取りも、彼女がやることになります。」
「ジンさん、かなり綿密じゃないですか! 金銭面では館野のお祖父さんは、間違いなく協力してくれるだろうから、かなり安心感があるな。」
「そうです。金というものはこういう安心感を買うことができる。。。しかし失敗は許されない。館野くんの人生がかかってます。 私、ちょっと館野くんのお祖父様、慎太郎さんに電話します。先に知らせてみましょう。」 そう言うと、西田さんは館野慎太郎と電話で長々話しだした。 そうこうしている間に、続々と仲間たちが西田家の離れに集まりだした。 今回は、林さんが武藤くんと関くんを招いた。奎子さんはオランダに帰っているので、西川くんは一人だ。その他に真希子の親友理香子と俊介も、招待された。 西田さんと館野慎太郎との話しはまだ続いていた。 樹と真希子は本当に久しぶりに直接会うわけで、林さんはその2人の気持ちを重視し、西田邸を知り尽くしたところもあるので、2人を西田さんの書斎に招いた。
「少し時間がかかるから、ここで30分過ごしたらどう? みんなが集まった頃、後で電話で知らせるよ。」 そう言い残して、樹と真希子を個室に入れた。
「樹! 逢いたかった。。。」
「真希子さん!」
2人は熱い抱擁を交わした。どれだけ待ち望んだ再会だっただろうか?、愛し合った恋人たち、1分1秒を共に過ごしたいと願う者たちにとって、3週間とは永遠の長さにも感じられるものだ。 2人の口づけは、あくまでも優しく、甘く、愛おしいという感情を粗雑にならないように貪りあった。恋愛経験の豊富にある真希子をここまで動かすというのは、運命のような感じを持ってしまうだろう。
リビングではそれまで知り合ってなかったような人達が集まっていると言うのに、なぜか会話がスムーズだった。みんながあの学祭での杏子さんの反応を知っているということもあり、彼女が結びつけたような感覚を味わっていた。
「なんか、秘密結社のような集いになったけど、深い事情を話すと3日以上聞いてもらうことになってしまうんだが。。。みなさんは、なんとなく事情を把握されているんではないかと思うのだけど。。。西川くん、奎子には逐一報告してもらえるかな?ま、時間があったら、ズームで参加もOKなんだけどね。時差は7時間になっているし、彼女も大学のある日だと思うから、臨機応変にね。ヨーロッパ繋がりで、協力してもらうことも考えられるしね。 恋の一大プロジェクトとなりそうなんだけど。。。現実的な視点からの意見も無視しませんから、ちゃんと言ってください。」
「武藤と俺は西田先生から事情を聞いていました。ムゲンよりも早くってちょっと感動しちゃったけどね。(笑)まぁ、それはアメリカという手段がオプションにあったからなんだけど。。。それから、真希子さんの伯父さんに今回のことでも会ってきました。彼とは頻繁に会っているんです。大家さんでもあるので。約束のライブハウスやレコーディングのこともあって、真希子さんよりも親密かも知れません。でも、流石の彼も驚いていましたが、それよりも楽しそうなんですよね。イギリスにいる真希子さんのお兄さんにも連絡取ってくださいましたよ。お兄さんは愕然としているそうですが、館野のことを詳細に伝えた結果、現地での学校も準備できているようでした。俺と武藤としては、そのコネクションの流れに圧倒されてしまいました。真希子さんの人格なのかな? 俺達では到底そこまでできないし、金が上手に使われると人格者が救われるんだと痛感しました。もちろんそうじゃない人たちのほうが多いかも知れない、でも、助けてあげたいし、幸せになって欲しい。真希子さんと館野に対してそう思えるんです。」
「俺はムゲンの奥さん、杏子さんが一番尊敬している人だったけど、もう一人、真希子さんには感謝しているんだ。アメリカでの経験も彼女が人格者で、良い仲間を持ってくれていたから、俺まで活かせてもらえたんだって思えた。そして何よりも、俺と力也のことを最初から理解してくれた人は真希子さんだし、彼女の口の堅さには信頼だけじゃ表せないものがある。」
「杏子はお前たち2人をセクシーだと言ってたよ。真希子さんも感性が似ているんだろうな。友情の美しさかな。(笑)」
「あ、ムゲンわかってないんだな。。。俺と力也はさ、親友であり、恋人なんだよ。」
「え? お前たち、そうなの?? 俺、全然知らないって。。。 そうか、そういうことなのか。。。」
「まさか、驚いてないよな? ムゲンが一番近くにいたのに。。。」
「ごめんな、、、全然知らなかったよ。。。 杏子は知ってたのか??」
「はっきり言ったことも言われたこともなかったけど、杏子さんの感性はピカ一だったから、知ってたかもしれないね。。。」
その場にいた仲間たちは、みんな愕然としていたが、それが良い意味での衝撃だと誰もが理解できたようだった。 そう、理解者がいることが如何に大切か。 人一人の精神をぶち壊すことは、簡単なこと。。。理解してもらえないという絶望が人の人格を変え、助けを求めるという基本的なことを忘れさせてしまう。その孤独感に耐えられる人は少ない。カミングアウトという言葉が持て囃されるようになったが、それを逆手に取って、まるで脅迫してくるように、理解しないほうがおかしいのだと強気の発言をする人も多い。そんなのも自由なはず。どう思おうとその人の自由。要するに『否定』しなければいいわけなのだ。否定することで何が変わるというのか?? 宗教などで強制的に性癖や嗜好を押し付けられる方が否定されるべきなのだから。 『貴方のことが好きなんです。付き合ってください!』という告白をしたとする。しかし、その相手が『ごめんなさい。。。私には好きな人がいるのです』という返事をしてきたら、その相手が異性だろうが同性だろうが、その人が好きな人なのだから、残念ながら身を引かなければならないと考えるだけでいいだろう。もちろん、諦められずに悶々と過ごさず、自分に目を向けてもらえるように努力するのも手なのだが、相手もまた、好きな人をそう簡単には諦めないのだから、観点を替えて、新たな自分を発見し、新しいものを求めるということのほうが自然だ。運命に抗うこともあるだろうけど、人生を楽しく行きられるように前進できることが、多分、最も幸せなことだと思う。
良い仲間がいてくれるということは、人生の宝物を得たということだから。
真希子と樹は書斎から出てきた。みんなが祝福しているような優しさで歓迎した。 理香子が近寄ってきた。
「真希子、応援してる。私は最初から上手くいくように祈ってたしね。 私も俊介も、できるだけのことは手伝う。ここにいる人達と比べると何もできないけど、昔からの親友として、真希子たちが幸せになることを願っているから。」
西田さんが部屋に戻り、ズームにて館野慎太郎が仲間にお目見えすることとなった。自体がかなり深刻化していることを誰もが驚愕していた。ただ、5月3日まで真希子が何らかの罪に問われることはなさそうだが、館野美子は強力な弁護士も用意してあるようだった。ただし、慎太郎はすでに保護者という立場を公にしてあった。どちらかと言うと、樹の母対祖父という図が出来上がっている。
「館野くん、とにかく事態は決して良い方向ではなさそうなんだ。今後の通学にはお祖父様が車を出してくださるが、その他は、西川くんが付き添うと言ってくれている。それから、君が何もできないと卑下しないようにしたいのだけど、年齢的に同仕様もないことも確かだが、他の人間では到底できないことをやらなければいけなくなった。英語とイギリスの高校でついていくための勉強だ。ズームで真希子くんの兄上が手助けしてくれるから、エンジニアになることを念頭にしてもいいが、それ以前に現実を受け入れるための勉強をして欲しい。そればかりは他の誰かが代わって上げることはできないし、母上をギャフンと言わせるには、それしかないんだ。」
「樹!この祖父様に任せておけ! 金銭面では大丈夫だから。後のことはそこのお仲間に頼りなさい。」
「ここまで大げさになるとは思わなかったけど、僕の気持ちが揺らつくことはないです。 皆さん、ありがとうございます。」
その後、集まった全員で詳細を話し合った。他にも、武藤くんと関くんの新しい生活と方向性など、誰もが希望と夢を持つような話しに時間を忘れるほどだった。 お開きとなり、帰る順番を決めた。真希子は理香子と俊介といっしょに出ることになった。誰が観ていても怪しまれない。しばらくは全員が写真や動画を撮られるという覚悟を持って過ごすことになる。樹は西川くんとタクシーで祖父宅に向かった。
「ムゲンさん、スリルとサスペンスですな!(笑) 我々も、学校に関して、書類をまとめておかないとね。館野くんには頑張ってもらって、母上が何も言えない状態を作ってもらわなければね。。。 ところで、関くんと武藤くんに関して、まさかショックなんじゃないでしょうね?」
「アイツらの付き合いに関してはあまりショックじゃないんですけどね、父親のような気分でいたものだから、2人の仲を知らなかったことがショックですよ。。。まして、杏子は分かってたようだしね。。。感の鋭い杏子だからかな? いつからだったのかな? 出会ってすぐなんだろうな。。。」
「多分そうなんでしょうね。。。 貴方が杏子さんに恋したときと同じなんですよ。それがたまたま同性だったということなだけで。。。 あの2人の音楽での掛け合いを観てると一心同体だというのはよく分かりましたね。特に関くんは全体を見られる優秀な人間だから、武藤くんもどんどん惹かれたのだろうと思います。今後が楽しみですよ。世の中、当たり前が当たり前じゃなくなっているから、それをどう消化できるかで大きく人生に影響が出てくるみたいですよ。。。自分なりに着いていかなくてはならないってことでしょうね。とにかく今は、館野と真希子さんのことを私達なりに消化して、応援しましょう。彼らが日本からいなくなるのは寂しいですけどね。。。うん、実に寂しい。。。」
過ぎた日々は何処。。。
館野美子は、興信所の調査の他に弁護士を通しての調査も進めていた。そして、どちらも1女性の名前を割り出していた。ただ、彼女を訴えるにしても証拠に乏しい。そして、樹が同意のもとと言うのが落ちなのだと警告されている。性別が逆なら、いろいろなことをこじつけて訴えることが可能らしいが、未成年の方は男子であることが前に進めさせないと言う。。。『同意の元』ということが大きい。
樹は小さい頃から責任感のある子供だった。美子は夫からの愛情を一身に受けていないと気づいたとき、子どもたち2人は美子の宝物となった。離婚には応じないと先手を打ったこともあり、夫は当たり障りない生活を心がけているようだった。もう一度やり直そうという彼からの誘いも、結局は無視したのは美子の方だから。。。年を取れば、同居人として普通に暮らせるだろうと考えた。もう夫婦の愛情などは求めない。そういう形の夫婦があっても良いはずだ。世間では『虚しい』と評されるかも知れない。でも、今更、夫を瞳孔とは考えない。2人の息子は、すでに夫以上のもので、普通に生活していくのが楽しく感じられる。同時に彼らには恋をしてほしいという願望もある。彼らに似合う女性はたくさんいるし、将来を見込んでお付き合いさせたいという申し出もあるくらいなので、男子ならではの考えから、遊び相手がいても、のめり込まなければそれで良い。昔なら花街で筆下ろしという粋な計らいをする先輩などもいたはずなので、良い意味の友人に恵まれて欲しいと願うだけだった。それなのに、まさかの素人女性。。。それも10歳も年上。。。追いかけているのは樹の方らしい。勝ち目がないという。。。そう、彼女の方から振ってもらう以外はないのだ。 大人の女性なのだから、こちらの立場も理解できるだろう。
美子は弁護士に書状を渡してもらうことにした。樹には内密にして、会って話たいというもの。。。日時と場所は指定したが、都合が噛み合わない場合、変更は認めるのでその盲を知らせて欲しいと記した。
真希子のマンションは郵便物は最初に受付の管理者が選別してから本人に届くという非常に危機管理が行き届いたセキュリティーとなっている。希望に沿っていない広告類は一切渡されない。館野美子からの書状は、しっかりと渡された。真希子はすぐに読むことにした。
「どうやって調べればここまでわかるのかしら? CIAとかMI6でも雇ったわけ? 樹の誕生日まで、あと10日程度だというのに。。。ただ、これを避けていれば、きっと樹本人になにかしらのコンタクトが始まるだろう。誰かに相談するべきか否か。。。 理香子。。。」
多分、どこに出かけるにしても尾行があると思ったほうが良さそうだから、安全といえば理香子だけかも知れない。
「もしもし、真希子? どうしたのよ、そんな声。。。どうする? うちに来る? それとも私が行こうか?・・・今から行くわ。待ってて。」
1時間かからないで、理香子は真希子のマンションに到着した。
「簡単なものは買ってきたけど、今日はウーバーイーツにしようね。 さてと、何があったの? 樹くんのことだとは思うけど、ビザとか問題はないって聞いたけど? 現地でのこと? 1〜2年余分な勉強しても彼の年齢なら全然OKだと思うけど。。。なにか不満なの? いろいろな人が協力しているんだから、それくらい我慢しなさいよねー!(笑)・・・って、もっと深刻な問題なの?」
「この手紙、見て。。。」 真希子は館野美子からの手紙を理香子に見せた。
「うわ、、、流石書道家の字だわ。。。芸術よね、ここまできれいな毛筆。。。 って、これ、どういうこと? 真希子であることが完全にバレているわけよね? ちょっと引くよね。。。でも、真希子、これ、放っておかないほうが良いと思うよ。ただ、真希子に樹くんを手放したくないという意志がはっきりしているならだけど。。。曖昧なら、イギリスに行くなんて思ってないだろうけど、気が変わったと言うなら、それも私は理解するよ。樹くんに、真希子をそこまで動かす魅力があると思っていいの? 大ごとにしたくないという気持ちがありそうだけど、はっきり言うわ、もう遅い。もう、真希子には選択肢はない。樹を連れて、逃避行よ! 貴方達は『運命』だということを認めなよ。お互いを高め合いながら、きっと上手く人生を過ごせるよ。その代わり、真希子があっちで頑張らないとね。彼のお母さんに諦めても良かったんだと思わせること。それが当面の目標じゃない? 昔、真希子が言ってたことが、今も役立つね。。。 勉強さえできていれば、親も先生も何も言わないって。 樹をケンブリッジにぶち込んでおいで! エンジニアだったらオクスフォードじゃなくてケンブリッジよ。あそこの卒業証書を母親に送りつけるの、彼を自慢の息子だと、もう一度思えるわけだし。やってごらん!」
「理香子。。。そうね、樹をサイボーグにするつもりはないけど、もしも彼にやる気があれば、可能かもしれない。兄貴が言うには、バイクレースに関しても、樹がぞっこんになれそうな方向があるらしいの。。。ただ、兄貴も樹を大学に行かせる方向がベストだって言ってた。」
「言っておくけど、樹くんにプレッシャーは良くない。ただ、何を言われても黙っていること。母親に会ったら何も言わないことね。一言言うなら、樹くんの意志を尊重してくださいとだけにしておいたら?」
「うん、そうする。。。 じゃ、お返事を書かないと。。。 私はタイプ打ちしてサインだな。こんな達筆で送ってこられたら、普通には手紙を書けない。 私にも弁護士は必要かしら?」
「必要ないと思うよ、今のところは。。。大丈夫よ、いざというときは樹くんのお祖父様もいるし、真希子の伯父さんなら、凄腕の弁護士つけてくれるさ。 今は全面的に争うような態度にしないほうが良さそう。何やかや言っても、樹くんの母親であることは間違いないんだし、母親って、軽んじるようなことって良くないし、母は強し!! すごい存在だと思うのよ。。。だから、せめてもの尊敬心を表しておかないと。。。彼女が樹くんを生んでくれたんだよ。。。私だって、俊介の両親と100%仲良しじゃないよ。子供ができてないのもあるかも知れないけど、何も言ってこないから助かってる。 さてと、ビール飲むよ、私。俊介に迎えに来てもらうから大丈夫!」
たしかに母親の存在とは決して軽んじて良いものではないはず。Uncondeshional love(無償の愛)というものは、まず最初に母親の愛情が象徴される。恋慕に至った男女の恋愛感情が最高潮に達し、十月十日の妊娠期間を経て、死ぬような思いをして子供を生む。まれに望まない妊娠をしてしまう人もいるのは歪めない。レイプであったり、無知の賜物であったり。。。日本では堕胎もある程度許されているから、望まなければ、人間であると識別される前に数億の精子と同じように扱われることもある。確かに、愛情のないの望まれない妊娠と出産は悲劇のほうが多い。。。無知で勉強不足の親は、自分の人生を捨てて必死で育てなければいけなかったり。。。だから、望んで、夢を持って、生んだ子供は宝と思う人が多いのは当たり前なのだろう。 若いとそれすら理解できなかったり、子供側は迷惑にしか思わなかったり。。。ただし、親子であれ、お互いを尊重し、話し合って、どちらも少しの妥協を持って人生を謳歌する方に向かうことが好ましい結果なのだ。。。樹の母親は、間違っているわけではない。ただ、少し過剰な思いを樹に抱いているといえる。もしも、樹の父親が、もう少し伴侶と上手くやることを考えていてくれたら、少し違ったかも知れない。でも、それは伴侶に問題があったと言えるかも知れないし、他人の夫婦像など、千差万別なのだ。 今まで見てきた夫婦の中で、やはり林賢三と杏子という夫婦が、特筆したくなるほど美しい夫婦だった。なのに、死別という辛い別れを強いられることになるって、神様が本当にいるのだとしたら、ひどい仕打ちだと思う。。。
私は沢山の恋をしてきたつもりだった。でも、今ならはっきりと言える、樹との出会いが本物の『恋』なのだと。。。だから、大切にしたい。成就させたい。私は樹を愛していると胸を張って言えるから。どんな覚悟もしておく。
豆腐料理の「うかい亭」は東京の中心にあるのに、静かな佇まいと、完璧に個人を大切に扱う姿勢が、多くの外国からの要人でベジタリアンだという人たちにも好まれている。私のことを慮ってか、椅子の個室を取ってくださった。誰にも邪魔されず、誰かから監視されることもない場所を館野美子が選んでくれた。もちろん自分の世間体もあるだろうから、当然かも知れない。
「今日は、お時間を取らせてしまい、申し訳ありません。お豆腐、お好きでしたか?」
「はい、こんなに素敵なお豆腐料理のお店にお招きいただき、恐縮です。お豆腐は大好きです。伯父と昔、南禅寺に行ったとき以来、お豆腐がメインのお料理をいただくことはなかったです。感謝いたします。」
「それは良かった。加納様も、ご親戚が高名な方ばかりですし、良い料理屋さんもご存知かと思いますが、私、このうかい亭が好きでしてね。庭も見ながら、落ち着いて話ができるかと。。。 お時間も限られていることなので、早速、単刀直入に申し上げます。 私の息子、樹に関してですが、加納様とお付き合うがあるように聞いております。東海高校にお勤めの頃から、お世話にはなっていると思うのですが、樹は美術科の単位を必要としていませんでしたので、なかなか関わらない科目だったと思いました。彼をモデルにして個人的にデッサンの制作をされたということで間違いないでしょうか?」
「はい、館野くんともう一人、今年の卒業生の子がモデルを引き受けてくれました。館野さんは、イタリアのルネッサンス期の彫刻や絵画をご存知だと思うのですが、あの中で描かれているものを私も一芸術家として描いてみたかったのです。2人のモデルさんにお願いできたことは、この上ない幸運だったと思っています。樹くんは素晴らしい評定のある大変に美しいモデルさんでした。大切な宝物としてデッサンを取り置いています。」
「そのモデルをしたことがきっかけで、その後に恋愛関係に発展したのですね?」
豆腐料理は八寸から始まり、日本料理の美しさを豆腐で再現してあった。会話の流れを壊さないように気遣ったサービスには、私も嬉しかった。
「仰るとおりです。 樹くんは美しかったです。そして、今でもその美しさは、他の何にも替えられません。樹くんがその気持を汲んでくれて、彼も私に目を向けてくれたことを幸せに感じています。」
「お言葉ですが、樹はまだ17歳、後先もわからないような年齢だと思うのです。大人の女性の魅力に取り憑かれてしまっただけだと思うのですが。。。前途ある若者です、目を摘むような行為は止めていただけないでしょうか?」
「お母様のお気持ちも分からないではありませんが、私としては樹くんの芽を摘んだなどとは全く思えません。学業も趣味も何かが低下したとも思えません。全て彼次第だと思っています。彼の意志を尊重していくことはできませんでしょうか?」
「ですから、先程から申し上げていますように、彼はまだ子供です。傷つかないように、そして間違った歩みがあったとしても、軽症で済ませられるようにというのが、私がお願いしている理由でもあります、どうか、彼のことを考えてくださるのなら、身を引いていただけないかとお願いしているのです。」
「残念ながら、私は彼を間違った道に引き入れたような自覚はありません。お母様との意見の違いは現時点では平行線だと思います。 ただ、私は彼に対して何もしません。すべてが樹くん次第であると思っています。彼自身のことです、彼が決めるべきです。小学生ではありません。親を含む大人が左右してしまうことは、彼の人生を彼自身で切り開くことを阻止したも同然です。もう一度申し上げますが、私は何も言いません。彼が決めたことを尊重したいと思います。 今日は大変素晴らしいお食事をご用意いただき、ありがとうございました。途中で不躾かと存じますが、これで失礼させていただきます。」
「加納さん、お願いです。私の息子を返してください。息子を、樹を返して!」
真希子は手が震えていた。それでも必死で頭を下げ、逃げるように店の個室を後にした。外は静かな佇まいとともに、東京タワーの重厚な姿があった。なんとなく『よくやったね!』とたたえてくれているような気分だったが、同時に、自分が30歳に近い、教育に少しでも関わったことのある女だということが、やけに重たく感じた。 恋愛ごとには常に一線を置き、感情的にならないようにしてきた自分の人生なのに、樹は私をここまで変えてしまったと気づいた。今だから、彼の胸に飛び込みたいと思った。。。もう一度東京タワーを見上げてみた。。。歪んでいる。。。そう、私は泣いているのだ。涙が出てしまうほど、樹が好きだと実感した。
「もしもし、理香子? 終わったわ。。。このまま帰宅します。 悪いけど、西田さんに連絡してもらえるかしら?そして伝えて『実行します』って。。。まずは慎太郎さんに連絡して欲しいと伝えて。」
フラフラと歩いた。気がつくと増上寺の境内にいた。お寺は落ち着く。 境内でイギリスにFacetimeしてみた。
「兄さん? 決めたよ。elopementを実行します。」
「ははは・・・やると思ったよ。こっちはすでに準備OKだよ。体調を整えておきなさい。林先生から樹くんの成績などのファイルももらった。非常に優秀だ。学校に関しては何の心配もない。ただ、生ぬるい私立校は嫌みたいだ。できればグラマースクールに挑戦したいという希望があるらしい。国公立の大変さは日本と同様なんだけど。。。英語力が問題になる。学費はかからないけどね。なんでもお金で済ませられる身分なのに、頼りたくないっていうのが、真希子が惚れただけあるなと思ったよ。10歳も下には思えないな。どこの地域にもグラマースクールがあるというものではないから調べてみた。寄宿舎付きの伝統ある学校がある。男子校だ。偏差値は非常に高い。ちょうどハリー・ポッターに使われた校舎を持つ学校だし、内容も同じ感じだよ。そこを受けさせようと思う。最初は寄宿舎に入るというのが前提だけど、真希子がそばに家を借りればいい。とにかく、早く慣れるためにもさっさと誘拐しておいで。(笑)」
「兄さん、ごめんね。。。クリスタルと子どもたちはなんて言ってるの?」
「Thrilingだってさ。(爆笑)あ、そうだ、樹くんにとっては朗報なんだけど、そのグラマースクールは、バイクレースで有名なマン島に行くためのフェリーの発着ポートがすぐ傍にある場所なんだ。だから自ずとバイク乗りたちのメッカだ。」
「それは喜ぶと思う。TTレースって、5月だったよね?」
「それも調べておくよ。じゃ、とにかく体調には十分に気をつけてね。 ところで、林さんて、面白い人だね。たくさん話していて、とても意気投合したんだ。長期休暇が取れるときにはイギリスに来るように言っておいたんだけど、奥さんとかいないの?」
「去年、亡くなったのよ。。。最愛の奥様だったの。。。 わかった! 必ず来るように説得しておく。以前ならアメリカにしかいかなかったの。。。奥様の病気について調べていたこともあるし、何と言ってもジャズが大好きだから。イギリスは初めてになるかもね。 じゃ、改めて連絡します。クリスタルによろしく言っておいてね。淫行と誘拐の犯人がその子を連れていきますって。」
「Oh gosh! Bloody hell! That’s my loving sister! See ya!(爆笑)」
4月でも夕暮れ時は肌寒くなる。 西の空はまさしく茜色だった。今の私にとっては希望に満ちた色であって欲しい。
「樹、ワシのことは心配しなくても大丈夫だ。オマエがいなくなっても健に執心することはない。誰でもいいわけじゃないということだ。健には祖父としての責任と愛情は十分に注ぐさ。 樹とはビデオ通話もできるしな。それよりも、最近林先生の秘蔵っ子たちに興味が湧いてね。ワシもジャズを聴きに行くことに決めたんだ。」
「お祖父さんには感謝してるし、嫌でもビデオ電話するよ。(笑) 林先生の秘蔵っ子って、武藤くんと関くんのこと? あの人達はすごいんだよ。変に芸能界に入ってほしくないとも思うんだけどね。。。 武藤先輩の実家は酒屋さんでね、兄弟も数人いるらしくて、彼らが全面的に武藤先輩のことを支えているみたいだった。酒屋さんの実家、いつかはライブハウスを隣に作るって聞いたけど、ブルーノートよりもすごいところ、お祖父さんが作ってあげたらどう? 新人発掘にもなるんじゃないかな? お祖父さんがやりたそうな感じするけど。。。」
「そうか、酒屋の息子だったのか! それは良い。ちょっと話を勧めてみようかな。。。」
「新しいやり甲斐ができるんじゃない?(笑) その間、僕は必ずエンジニアになっておくから。。。」
「そうだな、志した夢は実現してほしいな。 あと、真希子さんを大切にしなさい。樹にとっての最初で最後の恋であれと願う。まぁ、ワシがもっと若くて、樹よりも先に彼女に出会ってたら、オマエの出る幕はなかっただろうな。(笑)」
「そうはいかないよ。僕は彼女と出会う運命だったんだから。お祖父さんじゃ、ちょっと手強かったかもしれないけどね。。。」
「すべて用意はできた。高校の方も、西田先生と林先生が、校長としっかりと結託してやってくれた。あの高校にはがっつりと寄付もするぞ! 特に、軽音部は別格に扱うことにした。西田さんには悪いがな。。。」
「大丈夫だと思う。。。西田先生はピアノ習うんだって。」
「そうか、とにかく年齢という壁がすべて壊された感じのある、素晴らしい仲間ができたな。 樹が導いてくれたと思っているよ。樹はワシの誇りだ。 あ、それから、美子さんについても心配するな。きちんと話し合うし、彼女が樹を生んでくれたことは間違えのない事実なんだ。あと、樹のバイクだが、ここにおいておく。現地で操れる良いバイクを手に入れなさい。 さ、ワシは空港には行かない。現地についたらビデオ電話しなさい。これから樹も大変だと思う、真希子さんと頑張るんだぞ! 18歳の誕生日を祝えなかったが、落ち着いたらビデオでやろう!」
「わかった。お祖父さん、何から何まで本当にありがとう。 僕はお祖父さんの孫で嬉しいよ。」
羽田空港には林と西田両先生、そして、西川くんが来ていた。
「あまり目立ちたくないからな、野郎ばかりで悪いな。。。」
「奎子さんを訪ねに6月始めに行くから、イギリスに寄るよ。それまでに必要なものや現地調達できないものが分かったら知らせておいてくれ。英語、頑張ってたし、何も心配してないけど、同じ年上彼女のことも含めて、愚痴でも何でも聴くぞ!(爆笑)」
「ありがとう。。。みなさん、元気でいてください。当分は帰れないのですけど、連絡は頻繁にしますから。じゃぁ、ゲートには真希子さんとバラバラで入ることにしたんです。だから行きます。 あ、あと、僕のお祖父さんのこと、どうか、よろしくお願いします。それから、西田先生・・・母が迷惑かけないと良いのですが、どうか、よろしくお願いします。」
「心配はいらない。お母様も悪い人ではないんだ。レールが違ってただけだと私は思う。私は話す機会が多くある。ちゃんと対処するから心配無用。私はジンだからな、サムライ気質は備わっているんだ。 ところで、イギリス女性に現は抜かすなよ。。。金髪に弱いなんてことにならないようにな、彼女たちはいろいろな意味で強すぎるしな。。。あ、私とは違うか。。。(笑)」
「あ、はい、繋がってますよ。慎太郎さん、今、樹くんが旅立ちます。最近の携帯は便利ですよね。」
「祖父ちゃん! ありがとう。必ず訪ねてきて欲しい。待ってるからね。」
「樹や、幸せになれ。そして、志は遂げるように。」
館野樹は何度も振り返って送り出した3人を見つめ返していた。そう、もう戻れない。
・・・それから6年の歳月が流れた。
林賢三は、武藤良といっしょに久しぶりにワクワクしていた。
「俺も40を回ってしまったけど、変わらないのは俺だけかもしれないな。。。ニューヨークでのレコーディングはどうだった?」
「もうバッチリだった。でも、力也が一緒に来られなかったし、ちょっと気が抜けてしまった。でも、キースが同行してくれて助かった。 ところで、今日は小さいけど、すごいパーティーみたいだね。仲間全員が集まれるって、あの学祭以来じゃね? アルトサックスだけしか持ってきてないけど、大丈夫かな?」
「あぁ、大丈夫さ。オマエは天才だ。気になるのは力也の方だな、忙しくてベース弾いてないんじゃないかと思うんだが。。。」
「力也は大丈夫。ブルーノートでも人気だよ。俺がいなくても呼ばれること多いし。ただ、小学生って凶暴らしいぜ。。。」
「あ、噛みつかれたって言ってたな。。。(爆笑) 教師とは重労働なんだよ。。。」
「ま、今日は俺の独断と偏見で視聴覚室を全借り上げたし、何をしても大丈夫。」
あれから大変だったさ。。。下手をすると犯罪に加担したことになるかもしれないと言われたけど、流石に、館野慎太郎が盾になってくれたこともあり、館野美子は踏み込むことができなかった。樹はすでに18歳になっていたこともあるし、高校は義務教育ではないからだ。実の親子をここまで引き離して良いものか? と悩んだこともあった。。。でも時間が経てば、それなりに解決できる問題かも知れない。真希子は責任感が強い。樹を中途半端な教育で自分の慰みものにしておくわけがなかった。最初の2年間は2人で必死だったようだ。本当によくやった。
これから仲間たちのその後を、アメリカングラフィティーのエンディングのように紹介していこうと思う。。。
まずは おれの息子たち、武藤良と関力也。
この2人はお互いを高めるために最良な選択をしたようだった。異性か同性かは全く関係がないというロールモデルと言って良い。 武藤はアメリカ人からも認められて、レコーディングのためにニューヨークにしょっちゅう行くことになる。キースがスタジオミュージシャンたちと合わせてくれて、大きな成功を収めた。
関力也は、念願の小学校教諭になれた。優しい先生であり、次世代を育てる教育者としても優秀。 趣味としてベースを続けているがプロからかなり誘われる。両立できるところが彼のすごいところでもある。ただし、教育関係には彼のパートナーが同性であることは伏せている。。。日本の中では仕方がないと言っている。そのために、武藤と一緒にアメリカで暮らす算段になった。インターナショナルスクールの教員になれることになり、武藤良とニューヨークで暮らし出した。
奎子と西川海。
この2人は長距離恋愛を全うし、2年前に結婚した。奎子は相変わらずライデン大学の研究室で研究を続けている。西川くんは大学を終了後、結婚するためにオランダに行き、日本との行き来ができる薬剤会社に就職ができた。奎子と連携を取って生活できることが嬉しいと言っていた。オランダでもバスケットボールとベースは続けている。彼らの結婚式はドイツの古城で行われた。女子なら誰もが憧れるような結婚式だった。西川くんは家庭的で、早く子供が欲しいという。奎子もそろそろ覚悟してほしいものだ。
真希子の親友の理香子と俊介。
おしどり夫婦であるはずだった彼らは、結婚しないまま、分かれてしまった。俊介に愛人ができたからだった。理香子は一時うつ病になるくらい落ち込んだ。でも、一度でも失った信頼感が戻ることがなかった。理香子は新しい恋を求めると断言しているが、まだ誰とも付き合ったいる形跡はない。俊介の方も、その浮気相手と分かれて、今は一人で生活しているようだ。理香子に復縁を求めても相手にされないらしい。。。
ジンこと、西田由紀夫。俺の大親友である。
着物の似合う書道家は、見た目もよく、非常にモテる男だったが、若い頃に遊びすぎた手前、決まった女性と付き合うことがなくなっていたが、なんと! アニ研の部長だった飯塚しおりは、本気で彼を愛し続け、とうとう結婚した。今では4人の子持ちである。毎年のように『また生まれました!』という年賀状を出している。今でも見つめ合っているところをよく見かけるくらい仲の良い夫婦となった。ちなみに飯塚しおりは漫画が大当たりして、漫画家としても活躍中なので、ジンとシノを模したという設定の夫婦関係は上手く行っているらしい。西田さんは子煩悩でなかなか良い父親だが、母屋からお手伝いさん2人に子供を任せている。時々、俺を訪ねて『助けてくれ!』と言ってくる。。。ピアノは続けているようだ。
俺。。。林賢三。。。
最愛の妻、杏子と死別して以来、女性との関係は無し。武藤と関の話し相手になり、軽音部がものすごく人気あるクラブとなったために、忙しくて自分自身のことは考えられなかった。時々、館野慎太郎と交流を持ち、何度かイギリスに行った。アメリカにしか縁がなかった俺は、イギリスの雰囲気、音楽の深さなどを習い、実に素晴らしいと思った。館野慎太郎と行動すると、飛行機もファーストクラス、ものすごく待遇が良い。
そして、しんがり。 加納真希子と館野樹。
この6年間、一度も帰国しなかった。ビデオ電話で様子はわかっていたが、まさか一度も帰らないとは、根性がある。
樹は、希望していたグラマースクールに合格。言葉の壁はかなり早く克服し、現地の学生が受ける大きい試験を3つこなし、大学受験できた。ケンブリッジ大学機械工学部に入れた。これは祖父の慎太郎氏も泣きながら喜んでいた。もちろん母親の美子さんも満足らしい。在学中にマン島のTTレースに関わることができるようになった。このレースは普通のサーキットで行われるようなバイクレースではなく、島全体がレース場と化す、バイク乗りなら誰もが憧れるレース。自分で完全チューニングした1000CCのバイクで2回出場しているが、ホンダのチームに技術を認められて、エンジニアとしてスカウトされている。
真希子は、樹を支えるために最善を尽くした。実の兄が助教授として大学で教えていることから、仕事は少しずつもらえていた。樹の希望から、2人は渡英翌年に結婚した。その後、彼女は母親となり、幸せを絵に描いたような家族を作った。
今日、3人で凱旋帰国である。
杏子、どうよ、俺の仲間たちは? かっこよくない? 自慢の仲間たちだよ。。。
それぞれのポートレートは美しく描かれ、それはすべて次世代に継承できるようになっていた。
完
それぞれのポートレート @k-n-r-2023
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