寝落ち通話

なつのさんち

ミユキって誰?

「ねぇ、ミユキって誰?」


「……は?」


 久しぶりの彼女とのデート。

 彼女はここのところ就活で忙しく、会う事はもちろん電話する時間すら取ってもらえなかった。

 そんな多忙な彼女から誘われて、こうして夕食を共にしている幸せな時間、になるはずだったのに。

 彼女の口から思いもよらない名前が出て、最初はピンと来なかった。


「昨日気味が悪い事があったからって、寝る前にちょっとだけ電話で話したでしょ? 切る時に『お休み、ミユキ』って言われたんだけど」


 ……は? 何でその名前を?

 昨日は寝言を口にするような状況ではなかった。気味が悪い出来事については教えられてないけど、普通に喋って普通に話して、普通に切った。

 そのつもりだったんだが。


「別に私以外の人と寝落ち通話するのは良いよ、実際に会っても良いしホテル行ったとしても怒らない。でも最低限私には知られないようにしてくれないかな。その、マナーって言うか……」


 寝落ち通話。

 一人で寝られない、と言葉にするととても甘えた性格に聞こえるが、ある種の精神的な安らぎを求めての事だ。

 寝酒を求めるのとそう変わらないと自分では思っている。寝落ち通話友達を探せば割と簡単に見つける事が出来るほど、寝落ち通話は認知されている。

 もちろん俺が探す相手は女性だ。向こうとしても寝るまで話し相手になってくれるならオッサンであろうがイケメンでなかろうが関係ない。声さえ気にならなければ、後は気が合うかどうかの問題だけだ。

 声が気に入ってノリが合って、そして実際に寝落ち出来ればいいだけの存在。


「その、ミユキって人は私の事、知ってるの……?」


  ミユキはそんな寝落ち通話相手の一人だ。会った事はなく加工された写メを見た事がある程度。正直どうでもいい相手だ。そんな女に自分の彼女の話をするはずもなく。


「いやいやいや、ただの寝落ち通話友達だよ! 会うつもりもないし、相手にも彼氏がいるかもしれないし、そんなマジなヤツじゃないから。だいたい、相手は関東らへんに住んでるっぽいし、会おうと思っても簡単に会える距離じゃないよ」


 でも何で寝ぼけてる訳でもないのに凛ちゃんの名前を間違ってしまったんだろうか。


「……間違えるって事はシロさんが無意識でミユキちゃんの事考えてるからじゃないの?」


 それほどミユキに入れ込んでいるつもりはない。ミユキ以外にも寝落ち通話相手はいる。

 でも、珍しく凛ちゃんが俺に対する嫉妬心を見せてくれたのは嬉しい。


「何で笑う訳? こっちは真剣に話してるんだよ?」


「ごめんごめん、妬いてくれるくらいには好きでいてくれるんだなって思って」


「妬いてる訳じゃなくて、単純に心配してるっていうか……」


 眉間に皺を寄せて呟く彼女。食欲が沸かないのか、あまり箸が進んでいない。


「肉いっぱい食べて元気付けて、就活頑張んないと」


 その後は何気ない会話をしつつ、夕食を終えてタクシーを拾う為に大通りへ向かう。


「こんなご時世だから仕方ないよ、焦んなくても俺が養うから大丈夫だよ」


「でもシロさん絶対私より先に死ぬじゃん。自分が死んだ後の二~三十年分の貯蓄出来る?」


「いや、それはさすがに……」


 自分でも浪費が激しい方だという自覚があるし、凛ちゃんとのお付き合いで発生する必要経費もかなり痛い。二十も年下と付き合っているのだから仕方ないと思っている。

 彼女との将来を意識してはいるが、貯蓄や財産形成については全く意識出来ていない。


「じゃあ私も働かないと。シロさんが死んだ後もオタ活したいし」


「言い方!」


 タクシーが止まり、彼女が乗り込む。今日はここでお別れだ。彼女に五千円札を手渡す。


「忙しいのに時間作ってくれて嬉しかったよ」


「あー、うん。また連絡するね」


「じゃあね、ミユキちゃん」


 そう告げてタクシーを離れる。バタン、とドアが閉まって走り出すタクシーを見送り、横断歩道を渡りながら、自分が乗るタクシーを呼ぶべくiPhoneを取り出す。

 そのタイミングで凛ちゃんからLINEが来た。


『またミユキって言った』





happy69:録音してみたら?


 最近こんな事があった、とTwitterで呟くと、フォロワーから提案があった。寝落ち通話を録音して彼女に聞かせてみたら、というものだ。

 というのも、彼女の名前を二度も間違えて呼んでしまい、かなり怒らせてLINEも既読スルーを通り越して未読のままなのだ。

 単純に忙しいのもあるだろうが、忙しい上に怒っているという最悪な状況のままもう二週間が経った。

 Twitter上でのやり取りも彼女の就活が始まってからは皆無。そして、時間が経てば経つほど拒否されるのが怖くて電話を掛ける気になれない。

 寂しがり屋の自分としては、何とか今の状況を打開したい。そして寂しがり屋だからこそミユキとの毎日の寝落ち通話も止められない。

 新しい寝落ち通話相手を探す気分でもない。

 凛ちゃんにミユキとはただの寝落ち通話友達だと理解してもらうには、寝落ち通話している会話を聞いてもらえれば良い、というフォロワーからの提案だ。

 寝落ち通話している場に一緒にいるのが一番いいのだけれど、忙しい上に怒っている彼女が来てくれるとは思えない。

 寝落ちするまでの一時間くらいの音声を聞く時間を取ってくれるかどうか分からないが、しないよりマシだろうと思った。

 iPhoneはいつも通りスピーカー通話にし、その音声をiPadで録音する。準備はすぐに整った。


『まだ起きてる?』


 Twitterの寝落ち通話用アカウントへミユキからのDM。すぐにLINEで電話し、通話状態へ。


『今日はねー、レイクタウンに行ったんだよー』


「そうなんだー」


 気の抜けた口調とゆっくりとした喋り声。聞いていると不思議と眠気が増す。

 iPadの録音アプリが二人の声を拾っているのを確認して、目を閉じて会話を続ける。


『それでねー』


「うんうん、分かるー」


 気付けば朝になっていた。





kawawawo:録音したの聞くの怖い


happy69:恥ずか死しそうで?


 起きてすぐにTwitterで呟くと、瞬時にリプが付いた。どうやらフォロワーはオフの日らしい。時間は正午。フォロワーも起きたばかりのようだ。


kawawawo:どうしよう


happy69:自分が聞かずにどうすんのよ


 こちらのアカウントはミユキに教えていないので、タイムラインに乗っても問題ない。


happy69:ヤバイ会話してるの彼女に聞かれたらその方がヤバイっしょ


 そうなんだけど。

 ちなみに彼女からの返信は今日もなし。既読にもならない。


happy69:あ、じゃあ僕も一緒に聞こうか? iPhoneのDiscordで音声チャット中にiPadで音声流したら聞こえるっしょ


 LINEの通話時間が九時間と少しだった。録音も起きた時に切ったけど、ずっと会話していた訳じゃないから確認するのはせいぜい一時間から一時間半くらいだと思う。

 という訳で、フォロワーと音声チャットしながら自分の寝落ち通話を聞くという謎のオンラインイベントが始まった。



≪今日は行かなかったけどね、アウトレットもあるんだよー≫


≪へー、アウトレットってあんま行った事ないなー≫


≪昔はこんなのなかったよねー、見てるだけですっごい楽しいんだよー≫


 中身がほぼないような会話。けど話すのが目的ではなく誰かの存在を意識しながら眠りにつくのが目的なので問題はない。


『何か音声変じゃない?』


「そうか? 通話してる時とそう変わらん声質だが」


 iPhoneのスピーカーから出た音を拾ったiPadで録音した音声をiPhone経由で自分のパソコンに繋いだヘッドセットで聞いているフォロワーにすれば、何重にも機械処理された音声なので違和感があるのだろう。


≪あー、今一瞬落ちたでしょー≫


≪んー? まだ起きてるよ≫


≪うそだー、私を残して先に逝くなんてぇ、許さないんだからねぇー≫


≪何だそれ、いつのドラマだよ≫


 クスクス笑う自分が少し気持ち悪い。


『ドラマ?』


「あー、昔の月9だったかな。割と有名なシーンだと思うけど」


 などと解説を入れつつ、内容のない会話を聞き続ける。


「全く覚えてないな」


『逆に覚えてたら寝落ち通話の意味ないよね』


 いびきが聞こえ始めたのはそれから四十分ほど経ってからだった。


『これはどっちのいびき?』


「もちろん俺だが」


『もちろんかどうかは別として把握した』


 そんなに聞き分け辛いか? いびきに男女は関係ないから確認したのだろうか。俺からすると音声の奥行的な何かで自分のいびきだと分かるんだが。


≪今日もすごいいびきだね、疲れてるんだねー≫


 ミユキが寝ている俺に話し掛けている。先に落ちて申し訳ない。いつもこうやって語り掛けてくれてるんだろうか。


『医者行った方が良くね? あ、止まった。息してる? 大丈夫? 死んでない?』


「少なくとも死んではないな、今こうして喋ってるし」


 自分が寝ている時の様子を確認した事などなかったが、割と引いている。睡眠時無呼吸症候群というヤツだろうか。


『このまま朝になるまで八時間近く確認すんの?』


「九時間の音声を凛ちゃんに投げる訳にはいかないし、ミユキが寝たっぽいところで切るかなー」


 それくらいの編集ならアプリ内で出来る。問題はミユキが寝たという明確なタイミングが把握出来るかどうかなんだけど。


“ピンポーン”


 ん? インターホンが鳴った。


『これはリアル? 録音?』


「録音だとしたら夜中に来客があったって事だろ、怖いよ。ちょっと見て来るから離れるわ」


 今日荷物が届く予定はないんだが。突然訪ねてくるような知り合いもいない。

 インターホンの液晶画面に映っている相手を見ると、恐らく女性。前髪が長めで、顔がはっきりと確認出来ない。

 オートロックを解除してもらおうと思って他の部屋と間違えて鳴らしたのだろうか。受話器を取って間違いを指摘するのも億劫なので、無視しておこう。


『ヤバイヤバイヤバイ! シロさーん、シロさーーーん!!』


 インターホンから目を離すと、iPhoneからフォロワーの叫び声が聞こえて来た。


「え、何? めっちゃ怖いんだが」


『怖いなんてもんじゃないよ、ヤバイって!』


 インターホンの対応に追われている間、フォロワーは録音内容を聞きっぱなしだった。そのタイミングで何か異変があったという事か。


『少し戻してみて、とりあえず二分くらい!』


 言われた通り二分ほど巻き戻す。相変わらず大きないびきが聞こえる。


“ピンポーン”


 いや、部屋間違えてますよ。


≪フリーランスでー、自宅で仕事しててー、例え働く時間が自由に決められてもー、疲れちゃうのは仕方ないよねー≫


 あれ? ミユキに仕事の話した事あったっけ?


≪年収一千万も稼ぐのはー、大変なんだよねー?≫


 ミユキに話したかどうか覚えていないが、寝落ち通話相手に限らず仕事の話をするのは珍しい事じゃない。

 けれど、年収の話を自分からしたとは思えないが……。


≪がー ぐごご がー ぴゅすぴー≫


 ミユキに話し掛けられている俺は、変わらずいびきをかいてぐっすりと眠っている。


≪ねー、中田史郎さん≫


 名前を呼ばれた瞬間、あれだけうるさく響いていたいびきがピタっと止まる。

 そして、俺の心臓がビクンと大きく反応する。


「何で、名前……?」


『やっぱ本名教えてないよね? Amazonで物を送った事は?』


「いや、ない……」


 イタズラ感覚でフォロワーにカラーコーンを送った時に、住所と共にバレた経緯がある。でも、ミユキとはそんなやり取りはしていない。

 何故ミユキが俺の本名を知っている……?


≪アナタの名前は?≫


≪……なかたしろう≫


≪私の名前は?≫


≪……ミユキ≫


「会話してる!?」


『黙って! この後だから!!』


≪じゃあー≫


 一瞬の間が空いて。


≪ワタシの名前は?≫


 ……!?


『これシロさんの声だよね?』


「俺の声だけど、喋ってるのは俺じゃない……」


 会話を覚えている訳ではないが、音声の聞こえ方からして向こうから発せられた声である事は分かる。


≪……なかた、しろう≫


≪良く出来ましたー。十秒かー、ようやくすんなり受け入れてくれるようになったねー≫


 声は俺のものだけど、喋り方はミユキの口調。息をするととても冷たい空気を吸い込んだような痛みを感じる。


『これって催眠術的な何かなんじゃない? ようやくすんなりとか言っているって事は、今回が初めてじゃないって事でしょ?』


“ピンポーン”


 チャイムの音が頭に鋭く響く。


≪仕事の話、バツイチな事、彼女のTwitterアカウントは二週間くらい前に教えてもらってー、先週に本名でしょー。今日は遂にー、住所を教えてもらおっかなー≫


 iPadから流れて来る、自分じゃない自分の声。汗が背中をつつつっと流れる。


『こんなん凜ちゃんに聞かせられないっしょ』


 いや、すでにそんなレベルの話じゃなくなって来ている。


≪なかたしろうが住んでるマンションの名前は?≫


 例え寝起きであろうが寝ぼけていようが、答える訳のない質問。


≪ワタシは声だけじゃ満足出来ないんだー、中田史郎の全てが欲しいんだよー≫


 だからさー、と無邪気な口調で問い掛けて来る、自分の声。


≪ワタシが住んでる、マンションの名前は?≫


≪……セントラルナニワ≫


『ピンポンピンポン鳴ってて全然聞こえないんだけど!?』


≪何号室?≫


≪……七階≫


≪何号室?≫


≪……七階にはこの部屋しかない≫


≪セントラルナニワ……、大阪市浪速区だねー。行こうと思えば明日のお昼には着くかなー≫


『ってかこれボイスチェンジャーでシロさんの声に似せてるのか!』


“ピンポーンピンポーン”


『シロさん、インターホンに出たらダメだ!』


 分かってる。状況を理解出来ていないけど出たらダメなヤツだって事は分かっている。


“ピンポンパンポンピロン ピンポンパンポンピロン”


 LINE通話の着信音。通知バーに彼女の名前が表示される。


「ごめん、凛ちゃんから着信来たから出るわ。いったんDiscord切る」


『ちょま』


「もしもし?」


『アナタの名前は?』


 聞こえて来る自分の声、に似ている声。答えたらダメだって頭では分かっているのに、まるで操られているかのように口が開く。


「……中田、史郎」


『ワタシの名前は?』


 答えるな、答えるな俺!


「……なかた、しろう」


『チャイムを鳴らすよー』


 足がインターホンの前へと俺を連れて行く。


『オートロック開けてねー』


“ピーーーンポーーーン”


 液晶画面には、凛ちゃんじゃない誰かが映っている。


『さぁ、全てを貰いに来たよー』


 俺はオートロックの解除ボタンを………………


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