あと少しでユートピア
この街には大樹がある。収穫された後の胡麻の茎を利用して作られたしめ縄は、人々が敬いや畏れをいだく証である。
大樹は言葉を使う。人間に語りかける。この世の中に絶望した人々を慰めるために、という目的で造られた。だから大樹は人間に寄り添い、時に声を掛ける。
「あと少しで、ユートピアです」
穏やかな、女性の声。しかしほんの僅かに頼りない。
突然台本を渡されて、「優しい感じで読み上げてください」と頼まれたのかと思わされる。戸惑いながらも精一杯の優しさを込めて読み上げている、そういう背景がありそうな、真摯な声だ。
神社の神様は何も言わぬ慎ましさが神秘であったように思うが、今の人々にとってはこの喋る神様の方が、実用的で、親しみやすく、良いらしい。
彼らは先の時代が残したこの人工広葉樹を崇めている。
クスノキを模し、二階建ての家屋ほどの高さがある。太い幹に光が流れていく様は、クラゲの櫛板のようだ。RPGゲームの高精細な画面から抜け出してきたかのように荘厳で、まるで世界を見守る神樹である。
大樹が言う「あと少しでユートピア」という言葉を信じて、今日も胡麻を摺っている。「ユートピア」という言葉の意味も大樹が教えてやった。耳触りの良いその理念は、更なる盲信を煽るだろう。
希望を奪われた人間に与えるものとして「胡麻を摺る」という動作がピックアップされた。私が思うにそれは本来動作ではなくて、目上の人間に対するおべっかつかいの意味合いの言葉だ。
しかしこの街では多くの人々が嬉々として、物理的に胡麻を摺る。さすれば先に待つのはユートピアだと、大樹に教わったからだ。
確かに胡麻すりが始まってから人々は活気づいた。話をするようになった。仲間を作り、喧嘩をし、仲直りをして、さらに絆が深まる。バラバラだった人々は「胡麻を摺る」ことで団結を取り戻す。
街に溢れる芳香。市場には胡麻が山積みされている。その代わりにすり胡麻は姿を消した。なぜならみんな胡麻を摺っていて購入する必要が無いのだ。
すり胡麻のレシピ本。そして胡麻すりのノウハウ本。
年末になると胡麻すり選手権の決勝戦が開催される。
これは祭だと、私は思う。
古き良き日本の祭。口実としては豊穣への祈りや感謝があるというが、私が過去に見た祭では誰もそんなことは考えていなかった。酒を飲み、騒ぎ、練り歩く。それだけだ。束の間日常を離れて馬鹿騒ぎをする。翌日は寝不足二日酔いで、気怠さを引きずり生活する。
躍動感溢れる写真に収められた無形民俗文化財は、実際にはかなり野蛮で低俗なものだったと記憶している。
胡麻すりは高尚なのかと聞かれるとイエスとは言い難いが、よほどまっとうなものかもしれない。心身にとって健康的である。
穏やかな陽光を浴びながら縁側ですり鉢を抱える。黙々と胡麻を摺ると不思議に心が晴れると人々は言う。肩が凝ったらストレッチをする。力強く胡麻を摺るために筋トレをする。そしてより良いすり胡麻を求めて勉学研究に励む。
効率化のために職場に介入してきた人工知能によって、人との触れ合いを良しとする仕事を、否定された人々であった。しかし胡麻すりを通して、失われた人間関係をゼロから再度、構築していく。どういう形になるのかはもはや問題では無い。壊されてもなお再建するのは、必要だからなのだろう。
今日も人々はすり胡麻を大樹に納めて手を合わせる。願掛けをする。皆晴れやかな笑顔である。
雄大に広がる枝葉の背景は、朱と金の鱗が重なり合う夕焼け空だ。逆光で濃紺に染まった幹を高速で這う、ミミズのような不規則な光。神様の息吹である。
それはいつも小突いている。「ここにあるよ」と。「なに?」と振り返ればもうそこに無い。掴めそうで掴めない。
あと少しで、ユートピア。
あと少しでユートピア 胡麻を摺ろう 幸せになるために 夏原秋 @na2hara
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