エピローグ




 新年になった。


 聖夜と年末年始は歩道を渡る子供を見るかのように通り過ぎ、家族や友人が交流の花を咲かせる中で、悟はいつものようにベンチで力を抜いていた。彼女と過ごした名残を感じるのだろう。真ん中には陣取らなかった。


 息がまだとても白い。

 黒いジャンバーにはフードが付いているが、見渡せなくなることが不便だった。ゆえに風が吹いてもかぶることなく、赤い耳当てをはめている。夏とは違って着飾れば寒さが消えるのが、悟の思う冬の優秀なところ。


 母からは誰かと別れる際の教えを受けていなかった。だから、悟は今度こそ自力で、彼女との別れに折り合いをつけなければならなかった。しかし、この寂寥をきっと、悟は手放したくない。


 デートをしたあの日、最寄り駅でサヨナラする時、愛結は一度だけ振り返り、見ていた悟も一度だけ手を振った。そして彼女が右に曲がった瞬間、つながりは途切れた。アルバイトの同僚が、言伝も、お菓子もなくあっからかんと消えてしまうように、もう出会うことは無いだろう。


 胸に残るものはあるし、残ったものが切れるのは何年も先だ。だがそれでも、足されることはなくなった。


 …………。

 ……。


 その、はずだったのだが。


「どうした?」


 こすれる足音をだした彼女に、悟は尋ねた。

 公園のベンチで、いつもとは少し違う声色で。


「……どうしたんだ? ほんとうに」


 彼女はベンチに座らず、ベンチのさらに左隣に立っている。

 茶色のセーターと紺のスカートを包んで、ポーチのベルトを両手で握って小さくなっていた。視線は僅かに下を向き、だから座っている悟と目が合う。


「大丈夫か? 何かあったのか?」


 少女は――愛結は、

 ようやく頬を赤らめて苦笑いした。


「父と母がずいぶん前からケンカをしていたんです。それで最近決定的なことがあって、別居することになった……はずだったんですけど」


 肩にかけたバッグのベルトが落ちかけた。彼女は焦ってかけ直す。


「なんというか、まぁ、小説じゃない現実らしいと言いますか、やっぱり一緒に暮らすことにしたそうで、巻き込まれた私は見事にここに残っています」

「……そうか」

「はい」


 正直、悟も思考がくるくる同じところを回っていた。おかげで身体もぎこちなく動かない。

 しかし、どうやら……これからも話せるらしい。


 物理的に会えるかどうかはともかく、二度と会うことがないと思っていたのに。

 本当にコロッと変わったものである。


「もうしわけないです。あれだけ一緒にいてもらったのに」


 しょんぼりと髪も垂れている。

 両肩を寄せたためか、こんどこそベルトが落ちてしまった。掴んでかけてあげたいが、いかんせん距離が届かない。


「座ったらどうだ?」


 手のひらを上にして、いつもの場所を指した。

 だけど愛結は動かない。


「……いいんですか?」

「これからも時間を一緒に作っていけるかどうか。今はその分水嶺であり瀬戸際だ。早い話が、会えて嬉しいからとっとと座ってくれ」

「……はい!」


 座った際、ふわっと、音がした気がする。

 ベンチ一つ分の距離。しかし、久しぶりのそれは、初めての頃と比べて隔たりがなく、かなり近い。

 愛結と一緒に空を見る。


「一雨くるでしょうか」

「雨が降っても語り合えるよ」


 いつものように、足元に寄り添うバッグから紙コップをとりだし、緑茶を注ぐ。無言で差しだすと、彼女はかわらず両手で受け取る。


 水気の満ちる曇り空。しかし、二人の心は温かい。


 この穏やかな時間がいつまでも続いていきますように。



 ~fin~



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青年と少女がベンチに座って話をするだけのお話 静原認 @mitomu

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