第19話 デート
「最後にデートしてくれませんか?」
数日前、少し明るくなった声で愛結に誘われた。
十二月初頭。
駅構内で待ち合わせる。
やがて来るクリスマスに備えてイルミネーションが輝く。店舗に並ぶ細部までこだわりぬかれたお菓子も魅力的で、人が作った想いを実感する。
多くの人が集まり屋外の冷気から守ってくれるからか、意外と心地よい。
デートなのだ。悟も外見も整えてみた。
黒いジーパンを足元まで素直に落ち着かせ、重なる折り目で全体をデザインされた襟付きの上着を身に着ける。黒い靴を組み合わせれば客観的に見ても大人感はでているだろうし、ジャンバーを羽織れば屋外でも余裕をもって動ける。意気込みが多少なり伝わればいい。
声が聞こえた。
「こんにちは」
まっすぐな、可愛い女の子がいる。
可憐な白のブラウスと黒いスカートを、ベージュのコートがふわりと包む。淡い水色のマフラーが彼女をより可憐に思わせた。悟をしっかり見つめる綺麗な瞳に呑まれないように苦心する。赤みがかった頬がそのまま笑ったなら、同年代の男は卒倒するだろう。
「服装、とても似合っている。隣を歩けて光栄だ」
「ありがとうございます。少しは釣り合っていますか?」
肩にかける小柄なバッグが小さく揺れた。普通に愛結の勝ちであろう。
素直にそう伝えると彼女は今度こそ笑った。
自然な表情なら悟はとても嬉しい。最後だからこそ、より魅力を知りたいものだ。
(思えば、いつも一度切りだった)
愛結とは近々別れになる。
家の事情で、一か月後には彼女は遠くへ引っ越しするらしい。
今日このデートがただの過去になるか、それとも思い出して温かくなれるか。
時間はもう進みだしている。パートナーとして隣を歩く以上は素敵な日にするつもりだ。
身体の向きを改札口へ預けると、愛結は「はい」と歩み寄ってきた。
♦ ♦ ♦
遊園地にやってきた。
思い返さずとも、愛結と悟はいつも静かな場所にしかいなかったため、デートは賑やかな場所と決まった。入口でごった返す人の群れは、休日に比べればたぶん少ない。
「多大なる行列、という精神鍛錬に挑むのも面白いかもしれないが」
「いやです。普通に遊ばせてください。……と、私が言う資格はありませんが……とにかく今日はありがとうございます」
そう。ただいま平日の午前。
見事に二人で学校をサボった。
休日は予定が合わなかったのもあるが、平日の方が空いているだろう事実もバイアスをかけた。
最終的には無論、ためらう愛結を悟が押し通した。
「未知に挑むなら潔く楽しむべきだ。遠くへ引っ越すなら、新鮮な事ばかりだろうし」
サボるのは人が持つ権利どころか、ただの呼吸
――強い剣幕で母は言っていた。
耐性をつけさせるためだと無理やり悟を遅刻させ、躊躇いなく実行できるようにさせられたこともあった。だから、悟は笑ってサボらなければならない。
「そうですね」
苦笑まじりに愛結は頬をゆるめる。
二人の会話もずいぶんと板についた。どうせなら今日で極めてしまうのもありか。色々と巡る気持ちを、日記にでも書いておこうかとも思う。
多少無理をして日を合わせたのだ。台風で閉鎖でもされない限りは共に遊ぶつもりであった。
とりあえず、空は綺麗な青である。
♦ ♦ ♦
――さて。
わずかにやり取りがあったのだが、結局入場料は互いに出すことに落ち着いた。ここから先は『かっこつけさせて』的なことを言って、奢る方向でいこうと思う。
じゃあ遊ぼう、と一歩を踏みしめる。
入口を通り抜ければ、内部はアトラクションの数だけ大きく広がっている。気の合う二人は、行き場所に悩んで止まったりはしない――と言うことを話していたりしたのだが、
「……でも、本当にやるんですか? これ」
「……いや、止めておこう。恐れることは生きのこるための必須の能力だ」
選んだのがとっても怖そうなジェットコースターだった。
ひとまず静けさとは対極なものを選んでみたが、乗らねばならない義務はない。幾度となく哲学的問題に答えを出してきた二人は柔軟な思考も得意である。
「スリルな体験はそれを望む者こそが受け取るべきだ。このアトラクションとて誰かを喜ばせるために生きているはず。敬意を表するのなら、俺たちは潔く身を翻そう」
「ものは言い様というやつですね」
心臓をなだめるつもりで肯定する悟。
「そうだ。物は言い様なんだ」
今日の愛結はよく笑っている。
「では、どこへ行きますか?」
「風が吹き、冒険者のような躍動感の得られる。そんな楽しい乗り物を探そう。フィクションのような憧れる場所だ」
とりあえず、遊び尽くす。
♦ ♦ ♦
二時間後。
あっという間な時間をしっかり噛みしめるのは大変だった。
アルバイトの耐える時間の辛さ、学校の授業を生き抜く長い苦難。
一方で、楽しい時間はジェットコースターである。
逆にしてしまえばいいものを。
十個以上は遊べただろうか。
「どれもすごいですね」
直前に見た劇場にひたりつつ、二人は素直に感嘆していた。
絵本の世界をなぞり、そこに生きるキャラクターが踊り、歌い、楽しむ。想いの強さを直に受けた。
そう。あらん限りに乗せられた登場人物たちの感情。
それは強いだろうと頷ける。
「とても感動する。脚本を書いた人と、実際に成し遂げる人たち。これほど想いが集約される世界はないのかもしれない」
「憧れますか?」
「どうだろうか」
仮に、生まれ変わりがあるとして。
魂も受け継がれるのなら……地球という世界がずっと続いていくのなら、今世で学ぶことには来世で意味をもつ。
もし自身が小説を書いて多くの人の背中を押せるなら嬉しいことだ。
「だがやはり自分が大切だ。自分が幸せになって、ついでに誰かにその幸せを渡す。そういう考えでいいと思っている」
「はい」
「だから、今は二人で協力して楽しみ合う。次はどこへ行きたい?」
「あれがやりたいです」
小さな指で差したのはシューティングゲームだった。
景色が変わりゆく中、同じく切り替わる標的を銃で狙うものらしい。慣れていようが慣れていまいが、中心に当たった時の快感は大きなものだろう。
――で、やってみた結果。
「水野さん。私は人殺しができない善人みたいです」
「狙うのは人ではなかったが、よほど想像力がずば抜けていたか」
「大丈夫です。大切な人を守るときはためらいなく引き金をひきます」
スコアは気にしなくていいと思うが、ゲーマーでない悟と十倍以上の差があるため、客観的にみても愛結は苦手なのかもしれない。
「もう一回、やっていいですか……!」
心に触れるものがあったのか。
細まった瞳と、研ぎ澄まされたオーラ的な何かが彼女の心境を表す。女の子とてこだわる時はあるのだろう。
――が、想いは原動力なりえても、直後の結果は生まない。
「…………」
悟にも意気込みは伝わってきたため、「射線と目線を合わせるといい」くらいは言っておいたのだが……結果はプラス1くらいのものだった。
取り組む愛結への好感はもちろんある。
ああでもないこうでもないと懸命に考えて戦う。それは誇るべきこと。
とはいえ、沼にハマってしまえば辛い。
そっと、愛結の手をとった。
「え……水野さん?」
「気持ちというのは上書きができる。悔しいに囚われる必要なんてどこにもない。割り切れないなら俺が手を引いてここから連れ出そう」
要は、切り替えて別の場所に行くだけの話ではあるが。
想定していなかったことだ。
ただ、小さな手はしっかりと温かかった。余計な心配だったかもしれない。
「いやならすぐに放すが」と顔を向けた悟に、愛結は首をふりながら真面目に言った。
「男の人と手をつなぐことなんて二度とない気がするので体験させてください」
「なら、いつかの未来に現れるといいな」
「一緒にいると心地よくなれて、その人の笑顔を見たいと思える、そしてまったく気を遣わずに過ごせる。温かい気持ちになれる。……そんな夢みたいな人がそばにいたら、考えるかもしれません」
「そうか。それは確かに幸せになれる」
次のイベントで自然と放すことになるだろうお互いの手。つながっているうちにエールが少しでも届きますように。
悟はそっと、握りを強めた。
♦ ♦ ♦
「何を食べますか?」
英気を養わなければならない。
フードコートを訪れて、競い合ういくつもの店舗を見渡す二人。ただ、悟としては愛結に食べてほしいものがあった。差し支えなければ、と悟が指さしたのは中華料理店。
「チャーハン、食べないか?」
「……私の好きな食べ物を覚えていたんですか? でも、ここには緑茶が」
「ある」
デートだから相棒には遠慮願ったが、持ってきたショルダーバッグにはおなじみ日本風のペットボトルがある。フードコートに設置されている浄水器の傍には、紙コップが積み上げられている。
「ごめんなさい。私がお茶をおごるはずだったのに」
「気にしないでくれ。そして、せっかくだから食べながら教えてくれ。チャーハンのおいしさ」
「……はい。味を話すのは大変ですが、がんばってみます」
特に待つことなく、温かいご飯を手にとれた。席はまばらに空いていたので、周りに広がる多くの椅子から、パーソナルスペースを保てそうな場所に荷物をかける。
香ばしい匂いにせかされて、「「いただきます」」手を合わせた。
愛結の語りを聞きながら、スプーンにのる旨味を頬張る。こうだからこうなると真面目に理屈をとく一言一言を、相槌をうって悟なりに落とし込む。語り合いながら食事のペースを合わせる。一人でいる時より背筋を伸ばして、言葉も食事も長く噛みしめる。
幼いころから正面にいた母はいない。
二年たち、この子と食している。
不思議だった。
♦ ♦ ♦
コーヒーカップ。
カップ状の乗り物に座り、動き出すと床面が回転する。同時にカップ内のハンドルを回すことでカップ自体もくるくる回るという定番アトラクション。
可愛げある名前に反してかなり強烈であり、過度に遊べば三半規管が狂う。
屋外にある大きな洋風のカップは、貴族のたしなむお茶会をイメージしているのだろうか。だとすれば、実際に体験する嵐とのギャップを狙っているかもしれない。
どちらともなく二人は作戦を練る。
「回すと、回さない、どっちがいい?」
「中間あたりは存在しないんですか?」
「ハイリスクハイリターンこそ人生の醍醐味だろう。俺たちはやれることをすべてやってきた」
「もし吐いてしまったら看病してくれますか?」
「パートナーを置いていくわけがない」
すべてにおいて勢いは大切だ。
決戦前の空気が出来上がっている。彼らの気持ちは定まった。回れ右、あるいはイージーモードは完全に消え去った。背水の陣とはこのことか。愛結を見ると、冷静に(?)ハンドルを見ていた。
「凱旋する。必ず帰るんだ」
「はい」
決戦の先がどうなるか分からないからこそ、凱旋したいと思うもの。
携帯を取り出した。ここで調べずして何とする。そう思えば指が先に高速で動く。付け焼き刃だろうと、耐久を強化するべきだ。内関、外関、築賓、キョウケイ、エイフウとやら。愛結と一緒に知らぬツボを押しまくった。
そして、十分後。
二人は亜空間へ旅立った。
「……いえ、とりあえず普通に目が回るので、普通にそこのベンチに座っていいですか?」
「空気椅子をするのか? チャレンジャーだ」
「あれ、ベンチないですか? そこにあるように見えたんですが……。冗談でなく、座るところまで手をつないでいいですか?」
人類がたしなむコーヒーという液体は、いつもこのような気持ちだったのだろうか。いや、そんな訳がない。
乗っている間、景色が横に伸びて塗り絵のように混ざり合っていた。愛結は常に視界に入り続け、一緒に深淵へと回り続けるのだから本当に運命共同体だった。
「ううう、気持ち悪い……。誰かとぐるぐる回るなんて、二度とないかもですからいいですけど……」
網目連なる黒のベンチに背もたれは無かった。しかし、それでも休息が必須であろう。
「ともかく、一緒に帰ってこれたな」
時刻も午後二時をまわる。
夕餉(ゆうげ)までともにするわけにはいかないし、帰りの電車などを含めても遊べるアトラクションはわずかであろう。酔い覚ましも含めて空を仰ぐ。相変わらず晴れ晴れとしていた。
直後、目に留まるものがあった。
今までと比べてかなりの規模の行列。その先にあったのは……。
(狙ってはいなかったが、導きのようなものを感じなくもない。林道さんさえよければだが)
いまだ脱力している愛結には、向いている気がした。
♦ ♦ ♦
色々と試行錯誤をしてから、観覧車に乗った。
異様に長かった待ち時間。最後尾へはりつくタイミングを調整した結果、赤みがかる空と一緒の出立に成功する。
運が良かった。加えて、それが重要な日と重なることは滅多にない。このまま更にすごいことが起きたなら、きっとそれは奇跡と言う。
九十度の時点で、すでに綺麗なオレンジが澄み渡っていた。
「充実していたか?」
「名残惜しいと思うほどには。すごく楽しかったです。改めて、学校を休んでまでデートしてくれて、本当にありがとうございます」
綺麗な目だと何度も思ってきたが、より見入ってしまう。
横にある観覧車の窓からでなく、もし彼女の後ろに夕日があったとしても、吸い寄せられるのだと思う。
「俺も楽しかった、とは言わない」
「えぇ……」
「そのまま同じように返してしまえば、言葉を借りただけになってしまう」
現実の観覧車だ。
言葉を紡いでも映画のクライマックスの力はでないが、社交辞令と思われるのは面白味がない。
自分自身の力で感謝を伝えずして何とする。
「母が天国へ旅立ってから、ずっと心の幸せを考えてきた。とはいえ一日中誰かと交流すればボロが出る。俺にとって公園のベンチに座るということは、休むことに他ならなかった。今度こそ絶対に潰れないように、空を見上げて風に当たり、手の握りをほどき、靴で砂を軽く蹴る。そんな場所に偶然にも君が来た。あの時は雨の日でさらに人通りが少ないのに。だから、何かを感じ取らずにはいられなかった」
「……迷惑でしたか?」
「お互いに来たい時に来ていた。だから苦だと思ったことはない。ベンチ一つ分の距離を保ち、いつでも離れられる準備をしてから仮面をとって話したな。君をかつての自分とかさね、前を向けばいいと身勝手に思い、好きにすればいいと前置きした上で、君には色々と話を聞いてもらった。気持ちを吐露した」
残念ながらもう、話すことが重要過ぎて、外を確認できない。
てっぺんにたどり着くまでには終わらせたいが、省略も早口も無理だ。
「君はいつも、もがいているように見えた。必死に何かを考え、何かをつかみ取ろうと。それはまぶしい姿だった。君が泣いている時だって、頑張れと強く思った。こちらも、仮面の下の仮面までとるとは、ありのままをさらけ出すとは思ってなかったが、後悔がまるでないのは自分でも驚いた。俺との交流で、君がどう思っているかは分からない。人の心は読めない。だがどうせ最後だ。もう一度、自分の本音を一つだけ」
流れるように出ていく言葉。
やっぱり、そういう時は理屈じゃない。心で話している。
「君が潰れる理由はどこにもない。離れた場所に行っても、どうか楽しい気持ちで過ごして欲しい」
ほんの一かけらでも届きますように。
力になれますように。
「半年も友でいられた俺は、それを渇望する。これからどれだけ心が傷ついても、君が顔を上げ続けることを。君が歩いていくことを望む」
伝えられますように。
「いつも隣にいてくれてありがとう。君といられた時間はとても居心地がよかった」
「……わたしは、何もしていないですよ」
「どう感じるかは俺の自由だ」
感謝したい。そう抱くほどには、もらったものがあったのだ。
愛結は目元をぬぐう。
「……なら、今度は、私が違う形で伝えます。……水野さん。以前やった『質問ごっこ』。私の最後の質問、今ここでしてもいいですか?」
「もちろん」
彼女の呼吸の音が届く。
その真剣さを逃さないよう、悟が構えない訳がなかった。
これは――乗っている観覧車が下へ傾き始めるか始めないか、そんな時のことだ。
素敵な女の子の姿があった。
「好きです」
防御なんてぶっ飛んでしまうほど、その言葉には力があって。
その表情を、声を。悟は絶対に忘れない。
「――」
「もし引っ越さずにもっと仲良くなれて、そばにいられて気を遣うことすら少なくなっていたら、プロポーズすらしていたでしょう」
――質問になってないぞ。
以前の返しをするならそう答えればよかった。そうしたら愛結はきっと、照れまじりに苦笑でもしただろう。
しかし、
「……ありがとう」
そういう気にはどうしてもなれなくて。
「返事はいりません。一方的で、ごめんなさい」
「いや……これほどま光栄に思ったことはなかったよ」
ぶん殴られたような衝撃だ。素直に心臓が熱すぎるのを感じたし、彼女から目をそらさないようにするのに苦心した。
結局、夕日は本当に横目で見るだけになってしまったが、ここまでどうでもよくなるとは思いもしなかった。
もし自分がもっともっと強かったなら。
本当に結婚まで行っていたのかもしれない。
そんなことまで抱いていた。
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