一生に一度は富士山を

増田朋美

一生に一度は富士山を

その日は割と暖かい日で、比較的薄着であっても外へ出られるような陽気であった。そんなわけだから、遠くへ出かけたくなる人が増えるのも当然だろう。そんなわけで、富士駅はごった返していた。杉ちゃんとジョチさんは、その日三嶋大社で、製鉄所の利用者が、薙刀の試合を行うというので、三嶋大社へでかけていった。薙刀の試合に出場した女性は、一回戦で負けてしまったが、杉ちゃんたちは楽しく薙刀の試合を楽しんだ。試合が終了後、利用者に挨拶して、杉ちゃんたちは、通勤通学で混雑する時間を避けて、先に製鉄所に戻ることにした。杉ちゃんたちは、三嶋大社から、車椅子とあるきで、三島駅に戻ってきた。

杉ちゃんたちが、三島駅の南口の入口を通り抜けようとしたとき。一人の着物姿の女性が、切符売り場の前でなにか困った顔をしている。周りには早く切符を買いたいのか、若い人たちが並んでいるが、早くなんとかしてくれといいたげな顔をしていた。その顔が、なんとも言えない嫌そうな顔だったので、ジョチさんはその女性に声をかけることにした。

「あの、どうされたんですか?」

そう彼女に声をかけると、その女性は、結構なおばあさんであることに気がついた。杉ちゃんがその顔を見て、

「歳の割に着物が派手なような。」

と言った。おばあさんは、杉ちゃんたちを見て、

「あのすみません。富士へ行く切符を買うのにはどうしたらいいのでしょうか?」

と聞いてきた。

「富士に行きたいんですか?それでは、スイカとか、そういうものは持っていませんか?」

ジョチさんが聞くと、

「スイカ?それはなんですか。今はスイカがなる時期じゃありませんよね?」

とおばあさんは言った。それも知らないのかよと杉ちゃんが言ったのであるが、

「知らないものは知りません。スイカは、食べ物のスイカしか知りません。それになんで切符の代わりにスイカを持ち歩かなければならないんですか?」

と聞いてくる。ジョチさんは、そのおばあさんの顔を見て、

「正直に言っているようですね。本当にスイカというものを、ご存知ないのですね?」

と、聞いた。

「はい。知りません。スイカとは何でしょう?」

女性は改めて聞いた。

「こういうカードなんだけどね。切符をかわなくても、電車に乗れるICカードだよ。それも知らないとは、一体どういうことだ?なにか事情でもあるのか?」

杉ちゃんがもう一度聞くと、周りにいた人たちが、もういい加減にしてくれという顔をしたので、とりあえず二人はおばあさんを連れて、きっぷ売り場から離れた。

「とりあえず、カフェかどこかに行って、事情を聞きましょう。」

と除地さんは、急いでおばあさんを駅前のカフェに連れて行った。平日なので、カフェにはあまり人がいなかった。それは助かったと杉ちゃんたちは思った。とりあえず、ジョチさんは、アイスコーヒーを3人分頼んで、カフェの座席に座った。

「それで、お前さんの名前は何ていうの?」

杉ちゃんがおばあさんに聞いた。

「中村めぐみと申します。中村はありふれた中村で、めぐみはひらがなです。」

とおばあさんは、すぐに名前を名乗った。

「じゃあ、お年はいくつだ?あんまり女の人に、年の話をされても困るだろうけどさ、一応、聞いておくか。」

杉ちゃんがもう一回言うと、

「はちじゅう、、、81歳です。」

と、彼女は答えた。

「わかりました。81歳ね。それで、今日は、なんで困ってたの?単に切符の買い方がわからないだけではなさそうだね。まず、お前さんはどっちから来た?」

杉ちゃんは、すぐに言った。

「はい。東京の新宿からです。」

そう彼女は答える。

「新宿。それはどうやって来た?新幹線?」

杉ちゃんが聞くと、

「いえバスできました。ちょうど三島駅行のバスが、空席がありましたので、乗ることができたんです。」

そう中村めぐみさんは答えた。

「そうなんだね。つまりそのバスは三島エクスプレスだろう。それで、三島エクスプレスの終点は三島駅だ。それで、富士駅には行けないと聞いたお前さんは急いで、富士駅に行く切符を買おうとしたが、その機械が複雑すぎて操作がわからない。そういう感じか?」

杉ちゃんは、そう彼女にきくと、中村さんは小さくうなづいた。

「なるほどね。図星だったか。まあでも、まずは新宿から、こちらまで長旅お疲れ様。まあ、僕たちは悪いようにはしないから、安心しんさいや。それで、何の目的で、富士に来るつもりだったの?なにかみたいイベントでもあったのか?」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「ええ。富士山をどうしても見たかったんです。」

めぐみさんは小さな声で答える。

「私、ずっと、新宿で暮らしてきて、一度も生で富士山を見たことがありませんでした。なので、一度は見たいと思って、それでこさせてもらったのです。」

「はあ、富士山は、新宿からでも見えるもんじゃないのかよ。一度も見たことがないってどういうこと?」

杉ちゃんは変な顔をしていった。

「ええ。すみません。私、学生の頃から、40年間ずっと病院生活をしてきて、それで最近になって退院できたばかりなんです。そういうわけですから、富士山を一度も見たことがありませんでした。もう80歳を超えてしまって、もうこれを逃したら一生富士山は見られないのではないかと思いまして、それで急いでこちらにきました。」

めぐみさんはやっと真相を語ってくれた。

「ああ、そういうことですか。そういうことなら、日本社会では珍しいことではありません。日本では、一度入院するとなかなか出てこられない社会ですからね。昔のような、療養所で生活とはまた意味が違いますよね。もしかしたら、精神障害でずっと入院されていたのでしょうか?」

ジョチさんが聞くと、

「はい、そうです。私は、町田の病院に入院してました。ずっと鉄格子の裏で、富士山を見ることなんて到底できませんでした。いつか必ず富士山を見たいと思っていましたが、今日やっと叶いました。」

と、中村めぐみさんは言った。

「そうですか。それでも、バスに乗ったり、色々大変だったでしょう。40年前と、今の時代じゃもう変わりすぎるくらい変わりましたからね。切符を買うのは、40年前でしたら、車掌さんがやってましたけど、今は、ボタン一つで買うものになってますからね。それに、40年前では、黒電話が当たり前だったのに、今はスマートフォンの時代ですから。」

ジョチさんがそう言うと、

「はい。タクシーのお金を払うのも本当に大変でしたから。」

と、彼女は言った。

「そうですよね。それで富士に行くにしても、泊まるところは決まっているのですか?」

ジョチさんはもう一度聞いた。

「いえ、決まっていません。日帰りで帰ろうかと思っていたのですが、」

めぐみさんがいいかけると、

「はあ、それはやめておいたほうがいいのではないか?お前さんは浦島太郎みたいな状態だろうし、それではバスの手続きとか、そういう事をするのも難しいだろう。それなら、富士で一泊してさ。ゆっくりしていったらどうなの?」

杉ちゃんがすぐに言った。

「それではどちらか、ご存知のホテルとかあるんですか?私、ベッドと言うものが苦手なんです。落ちてしまうのではないかと不安になるのと、入院していたとき身体拘束されたときのことが思い出されて。その時は、食事どころか、用便さえも自由にできませんでしたので。」

と、めぐみさんは小さく言う。

「そうですか。じゃあ、和風の旅館のほうがよろしいですね。あいにく、富士市も観光シーズンで、ホテルや旅館はいっぱいだと思いますが、僕が、知っているところであれば、無理が効くかと。一緒に富士駅へ来てみませんか?もちろん富士市は、富士山の目の前の街ですから、思う存分富士山を眺められます。」

と、ジョチさんはすぐに言った。

「本当に一緒にいってもいいのですか?なんかじゃまになってしまいそうな気がするんですが?」

めぐみさんがそう言うと、

「いや、そんなことは全然ないよ。僕らはめぐみさんのような人を、支援している役目もあるのでね。そういう精神疾患みたいな病気を抱えている人の生活が楽になるように色々手を出しているってわけ。僕の名前は影山杉三で商売は和裁屋。こっちは、親友の曾我正輝さんことジョチさん。まあ、好きなように呼んでくれ給え。一人で寂しく旅をするより、誰かと一緒に旅をしたほうがずっといいってことよ。切符の購入は、僕らも手伝うよ。一緒に行こう。」

杉ちゃんは、明るく言った。

「そうなんですか。そういう方なら、嬉しいです。じゃあ、一緒に同じ電車に乗って、富士駅まで連れて行ってください。」

めぐみさんがそう言ったので、杉ちゃんたちは、良しといい、カフェにお金を払うと、三島駅の南口に戻った。その時は、切符売り場に人はいなかった。ジョチさんが、切符の買い方を実演してみせると、めぐみさんはそれを真剣に眺めていた。三人は、富士方面行のホームへ行った。ホームへは、エレベーターですぐ行ける。杉ちゃんもジョチさんもめぐみさんも。そういうところは、便利な世の中だとめぐみさんは言った。杉ちゃんたちは、駅員に手伝ってもらって、三島駅から、電車に乗り込んだ。杉ちゃんが、この電車は富士駅へ直通するから、このまま乗っていれば大丈夫というと、めぐみさんは、本当に便利だと驚いていた。

それからしばらく電車はガタゴトガタゴトと旅を続けた。三島駅から、その次の沼津駅に到着すると、一人の女性が、電車に乗ってきた。その女性も、まだ若く、あまり世の中のことはしらなさそうな女性だった。多分、学生だろう。でも、なんだか、とても辛そうで、なんだか、ひどく落ち込んでいるような雰囲気を感じさせた。

杉ちゃんが、もうすぐ片浜駅につくよというと、いきなり女性が、カバンの中に手を入れた。

「ちょっとまってください。」

とジョチさんはその女性に言った。

「あなた、今カバンの中に手を入れましたね。その先にあるものをちょっと見せていただけますか?」

女性は、びっくりした態度で思わずカバンを落としそうになったが、すぐに引き止めた。

「はああ、その中には、もしかしたらナイフでも入ってたか。」

杉ちゃんがそう言うと、女性はなんでわかっちゃうのというような感じの顔をした。

「図星た。じゃあ、それをさ、早く捨てて、お前さんは、安全なところに帰れ。」

杉ちゃんがそう言うと、女性は思わず、

「どうして、どうして邪魔するの?」

と、杉ちゃんたちに言った。

「邪魔するっていうか、だってやってはいけないことだろ。人に切りつけて怪我をさせるなんて、それでは、いけないことだろうが。止めて当然なんだよ。」

杉ちゃんが言うと、

「せめて私だけでも死なせてくれませんか。私は、生きていたってしょうがない人間なんですから!」

と女性は言った。杉ちゃんはすぐに、

「ああ待て待て。そういうことは、してはいけないんじゃないのか。どこの宗教でも自殺を肯定するような宗教はどこにもないぜ。」

と、でかい声ですぐに言った。

「でも宗教とかそういうものは何も救いにはならないわ。どんな人だって私の事を考えてくれることはない。みんな私の事を、だめな人間だと言って、誰も相手にしてくれないのよ。私、もうつかれたのよ。勉強ができないとか、運動ができないとか、そういうことばっかり言われてしまって。」

「はあなるほどね。お前さんは学生さんか。学生さんらしい悩みだな。成績が悪くて、生きているのが辛くなるって。」

杉ちゃんがすぐそう言うと、

「だってそれしかしてはいけないって言われているんですもの。部活だって勉強ができないからやってはいけないって。本当にやりたいことは、できないじゃない。勉強ができて運動ができないとこの世では幸せになんかなれはしないわ。だけど、周りの人達はのうのうと生きてる。そういう人に対して私は怒りをもった。だから、そういう人たちをえらい目に合わせてもいいと思った。それで、私は、この電車で事件を起こそうと思ったのよ。どうせ私の行くところなんて、そういう人の行くところしか無いでしょ。それは学校の先生もそういったわ。だから、もう死んでもいいから、最後に私の思いだけ伝えたかった。それなのになんで、こうして邪魔されなくちゃいけないのよ!」

と彼女はなき叫ぶように言った。

「悪いことは言わない。そういう事をしても何の解決にもならんよ。それより、その刃物を捨てて、ちゃんと今の生活が辛いと、親御さんに訴えろ。それができるのは学生のときだけなんだよ。他の人間になっちまうと、そういうことはできないからね。だから逃げることは悪いことじゃない。お前さんを守るために、まずは、苦しいとちゃんと親御さんに言って、楽な方へ避難させてもらえ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そうなのね。そういうことは、私、耳にタコができるほど聞いたわ。それに私だって何回も親に学校が辛いんだと訴えた。でも、親は忙しすぎて私のことなんか見向きもしないわ。だから私は、犯罪でもしないと、周りの人達が見てくれないの。」

と彼女は言うのだった。

「いやあそれはない。親御さんだって、一生懸命やってるはずだ。それで、お前さんの事を愛しているのであれば、今ごろ血眼になって、お前さんの事を探しているさ。それにお前さんが真剣に訴えれば、ちゃんと聞いてくれるはずだよ。親ってのはそういうもんじゃないのかな。」

と、杉ちゃんがいうと、彼女は、もう一度、カバンの中に手を入れた。周りの乗客が思わずきゃあという。ジョチさんはすぐに、皆さん落ち着いてくださいといった。それでも、まわりの乗客にしてみれば恐怖であるだろう。

「大丈夫です、彼女は善良です。ただ、判断ができないだけで、それが悪い方へ言っているだけのことです。彼女は絶対に事件を起こすことはしまセん。」

ジョチさんはすぐに周りの人たちに言った。

「そんなこと!私は善良でも何でも無いの。どうせ生きている価値もないし、誰からも見捨てられた哀れな女よ。だから、こうしないと、誰も私のことなんか見てくれないのよ!」

と彼女はそういうが、それと同時に中村めぐみさんが、

「そうなんですね。あなたはそう思ってしまうのね。」

と小さな声で彼女に言ったのであった。思わず彼女は、思っていたカバンを落とした。それをジョチさんはすぐにひったくるように取って、中身を調べ始めてしまった。

「そう思ってしまうのは仕方ないことというか、あなたのような境遇では、犯罪をしないとだめだと思い込んでしまっても不思議じゃないことよ。でも今周りをようく見て。あなたの周りの人達にも、あなたにも愛してくれるご家族がいて、帰ってくるのを待っている人が居るのよ。それをあなたは、一瞬で奪ってしまうことになるわ。その辛さは、やった人でなければわからないと言うけど、人の命を奪ってしまうことは、本当に辛いことよ。それは忘れないで思っていて。私からのお願いよ。」

めぐみさんはそう静かに言ったのだった。

「そんなこと言うの人は嫌い。私は、愛されてもいません。成績が良くなければ私の事を愛してくれる人はいないんです。そうしなければ、私は愛してもらえないんです。そういうわけだから、犯罪をしなければ、私は世間から注目されないんです。」

そういう女性に、

「きっと、あなたは、愛されていないと勘違いされているだけだと思うの。私もそうだったわ。私も愛されていないと思い込んで、毎日大声を出して大暴れしてた。お陰で私は、ずっと40年間精神病院に閉じ込められることになった。そんな私が愛されていたのだと知ったのは、閉じ込められてそこから出られたときだったわ。私は、愛されている。だって、外をまた自由に歩ける日が来たのですもの。私の家族はみんななくなったけど、でも私に死んでと頼んだことは一度もなかった。だから私は確信したの。こうして、また歩けるのなら、私は愛されているんだってね。」

と、めぐみさんは優しく言った。

「だからあなたも、ご両親に聞いてみるといいわ。口でちゃんと言ってみてもいいと思うのよ。私に消えてほしいかって。少なくとも、親御さんは、それを望むようなことは、言わないでしょう。」

「私、、、。」

と女性は、電車の座席から崩れ落ちるように落ちた。

「きっと、あなたのことを愛してくれてるって、いずれはわかるときが来るわ。多少辛くても若いんだもの、乗り越えられるわよ。そして、ちゃんと学校が苦しいとつたえることが大事よ。」

めぐみさんはそう女性に語りかけた。女性は、わっと泣き出してしまったけれど、誰も止めなかった。こういうときは、止めないで泣かせてあげたほうがいいのだと言うことは、杉ちゃんたちも知っていた。

「まもなく、終点富士駅に到着致します。身延線をご利用のお客様はお乗り換えです。」

間延びした車掌の車内アナウンスが聞こえてきて、電車は富士駅に止まった。ジョチさんが、今一度、刃物を必ず処分してくださいよと言って女性にカバンを返した。女性は、申し訳無さそうな顔をしてそれを受け取った。そして、

「本当にありがとうございました。もう少し前向きになれるように努力致します。」

と言いながら、駅の階段に向かって歩いていったのだった。杉ちゃんも、ジョチさんも大きなため息をついて、駅員に手伝ってもらって電車を降りた。ついでにめぐみさんをおろしてやり、ホームから、改札階にエレベーターで上って、三人とも駅員に切符を回収してもらい、タクシーに乗るために駅前のタクシー乗り場へ出ると、

「まあ素敵!真っ白い富士山!」

と思わずめぐみさんが言ってしまうほど、美しい富士山の姿があった。めぐみさんはいつまでも富士山を眺めていたい様子であったが、それでも日が西に傾いていることに気がついて、すぐにタクシーに乗ると言った。ジョチさんは、障害者用のタクシーを一台見つけてきて、杉ちゃんとめぐみさんをタクシーに乗せ、大渕の富士山エコトピア近くへ載せてくれるように頼んだ。そしてめぐみさんを、富士山の見えるとして有名な旅館に連れて行ってくれと頼んだ。

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一生に一度は富士山を 増田朋美 @masubuchi4996

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