後編
――あまり自分のことを話さない子なんです。
孤児院の出身だから、だったかもしれないですけど。
高校一年のとき、一緒のクラスになって、わりとすぐ仲よくなって。
だけど、親がいないとか、援助をもらって進学したとか、そういうことを話してくれたのはだいぶ後になってからでした。
いつも、自分ひとりで何か大変なことを抱え込んでいるようなところがあって……心配で、高校時代は私の方から話しかけるようにしてました。
他人からしたら、しょっちゅうつきまとってるお節介に見えたと思います。
あの子は……本当のところはどう思ってくれてたのかはわからないですけど。
私は親友だと思っているし、あの子もそう思ってくれてたからこそ、卒業してからも連絡を取り合ってくれたし、私にあの相談をしに来たんだと思っています。
相談っていうのは、孤児院のことで。
あの子、里親にもらわれて、孤児院を出て行った子の消息を調べていたみたいなんです。
会いたい子がいるとか、最初はそんなことを言ってたと思います。
それが……どうしてもその子の行方がわからないらしくて。
何度か話を聞いていくうちに、あの子の様子がどんどん思い詰めていって。
はっきりとは話してくれなかったけど、何かよくないことがあったんだとは思っていたんですけど……。
警察に相談した方がいいって、私は言ったんです。
でもあの子、聞いてくれなくて。
最後に会ったのは一週間前です。
あの子の方から連絡がありました、会いたいって。
私のアパートに会いに来てくれて、でも、ほとんど何も話せなかったんです。
あの子、このラベンダーの鉢植えを持ってきて……プレゼントだって。
大事にしてほしいって、それだけ言ってすぐに帰ってしまって。
部屋に上がりもしませんでした。
あのとき引き留めればよかった……無理矢理でも引き留めて、何があったのかちゃんと聞けばよかった……。
またあの子、誰にも助けてって言えないまま、一人で大変な思いをしてるんじゃないかって、私――。
翌日、俺は再び孤児院を訪れていた。
玄関に現れたのは、昨日と同じシスターで、俺の顔を見るなり、物わかりのよすぎる態度で中へと招き入れてくれた。
「少し、急ぎで片づけなければいけない仕事がありまして。
ご案内は必要でしょうか?」
「お構いなく。
調べたいことが済めば、すぐに失礼させていただきますので」
俺の言葉にうなずくと、シスターはゆっくりときびすを返して廊下を歩み去って行った。
俺はシスターの後ろ姿を、彼女が部屋の中に消えるまで見送った。
シスターの態度は、こちらに無関心ということなのか、それともそう装っているだけなのか。
調べたいこと、と言ってはみたが、正直なところ何のあてもなかった。
ただ、捜索依頼をしてきたナオミの友人の話から、この孤児院に何かしらの手がかりがありそうだということだけなのだ。
思いつきで、俺は行き当たった部屋に入ってみる。
そこは昨日案内されたときに、遊び部屋と呼ばれていたところだった。
今日は天気がいいせいか、子供たちはみんな外で遊んでいるのだろうか。
遊び部屋にいるのは、絵を描いている子が一人いるだけだった。
俺はその子に近づいてみる。
年は十歳くらいだろうか、ぽっちゃりとした体型の少年だった。
床に寝そべって、広げた画用紙の上にクレヨンを走らせることに夢中になっているようだった。
「こんにちは」
声をかけると、ようやく俺の存在に気づいてくれたようで、少年は顔を上げた。
丸い顔の中で目をまん丸にしている少年のそばにしゃがんで、
「何を描いているの?」
「…………」
尋ねてみたが、少年は目を丸くしたまま何も答えない。
思い切って俺は、
「ここに最近、女の人が来てなかった?」
そう尋ねてみる。
「女の人を探してるんだ。
行方不明になってしまってね、その人の友達が心配して捜索願が出されてる。
君、何か知っていることはないかな?」
「…………」
俺の質問に、少年は答える代わりに、人差し指を口にくわえた。
戸惑う俺の顔をじっと見つめたまま、少年は黙って指をくわえている。
これは何のジェスチャーだろう?
俺は困惑して黙り込んでしまった。
少年がこちらを見ている。
何を尋ねても、少年は答えない。
ただ指をくわえて、沈黙する。
まるで、言いたいことをこらえるかのように。
沈黙。
孤児院が、奇妙に静まりかえっているような心地がした。
ここは、何か秘密を抱えて沈黙しているのか――。
いたたまれなくなって、俺は逃げるように孤児院の庭へと足を向けた。
思いの外、孤児院の庭は広かった。
よく手入れのされた花壇があり、金魚の泳ぐ池があり、トマトやピーマンの実った菜園があった。
そして、シスターの言っていた通りラベンダーの花畑があった。
その青紫色のほっそりした花が群生する中に、ぽつねんと古井戸がうずくまっていた。
長く使われていないらしく、滑車はゆがみ、ロープもバケツも外されている。
苔の張りついた戸板が、かろうじてふたの役割を果たしているらしかった。
そこに俺の見た違和感が、きっと勘だったのだろう。
俺は古井戸に近づくと、思い切って戸板のふたを外した。
ふたを外した途端に感じる、湿った土のにおい、水のにおい。
それに混じってただよってくる、違和感のにおい。
井戸の底にわだかまったそれを見つけ出そうとして、俺は暗闇の中に身を乗り出す。
背後に足音を聞いて、俺ははっと身を起こした。
「――見つけてくださって、ありがとうございます」
振り向くと、そこには老いたマリアの顔をしたシスターが、泰然とした様子でたたずんでいた。
――事件についてここで語れることは多くない。
庭の古井戸をさらってみると、現れたのは二体の遺体だった。
一つは子供の遺体。
損傷が激しく、死後十年以上は経っていると思われる。
身元や死因については鑑識の結果待ちだ。
もう一つは若い女性の遺体。
こちらも詳細は鑑識待ちだが、少なくとも身元は判明している。
俺が捜査していた、行方不明の女性に間違いないと、彼女の友人が証言してくれた。
被害者の捜索依頼をしていたその人は、遺体安置所で物言わぬ姿となって再会した親友に取りすがり、何度も「ごめんなさい」とくり返していた。
この事件については、捜査が始まったばかりで何もわかっていないに等しい。
他殺の線が濃厚だが、一応、自殺か事故の可能性も考慮に入れて捜査されている。
事件の詳細を知る手がかりとなるような、物的証拠も証言もまだ得られていない。
重要参考人として連行されたシスターは、従順な様子で取調室に入ったはいいが、その後は完全に黙秘を貫いているという。
まるで彫像にでもなってしまったかのように、表情をなくして沈黙しているそうだ。
俺は捜査班の一員として、孤児院の捜査を行っている。
いつかの遊び部屋に入ってみると、あのときの少年が、ぽつんと一人きりでいた。
見知らぬ大人が出入りしていることにも、他の子供たちが周りにいないことにも無関心な様子で、やっぱり画用紙に向かって黙々とクレヨンを動かしている。
俺が近づいていくと、少年はおっとりと首を持ち上げた。
俺は、真っ直ぐに見上げてくる丸い顔を見下ろして、
「君は知っているんだな」
そう言ってみても、少年はやっぱり答えなかった。
相変わらず、人差し指を口にくわえて、じっと何かをこらえるように黙り込んでいる。
もう沈黙する必要はないというのに。
それとも、この子や、あのシスターにとっては、沈黙に意味があるのだろうか。
沈黙は、秘密の証拠だ。
明らかにされることのない、秘密の――。
了
ハルポクラテスのお告げ 宮条 優樹 @ym-2015
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