ハルポクラテスのお告げ

宮条 優樹

前編




「この孤児院は、創設されてからもう三十年になります」


 そう話しながら歩くシスターの後に続いて、俺は孤児院の廊下を進んでいった。


 教会を改装して利用しているという孤児院と同じく古めかしい修道服に身を包んだその初老のシスターは、その年季にふさわしく落ち着き払っていた。

 俺が孤児院の玄関で警察手帳を見せ、行方不明者の捜索を行っていると言っても、聖画の中のマリアのように眉一つ動かさなかった。


「さる篤志家の方が、古い教会を買い取って孤児院として運営を始めました。

建物も設備もとても古いものですが、多くの方の寄付に支えられて、手入れをしながら大事に使わせていただいています」


 聞きもしないことをよくしゃべる。

 もともと話し好きなのか、それとも市民の義務だと思っているのか。


「現在、こちらでお預かりしている子供は、下が五歳から、上の子は十五歳、全部で二十二名です。

スタッフは住み込みの者が、私の他にもう一人と、それ以外に通いで来ている者が三名おります」

「子供の数に対して、スタッフの数は少ないようですが」

「子供たちは、みんな自分のことは自分でできますので。

年長の子たちが年下の子たちの面倒見ることが、ここでの決まりでもあります。

なので、大人がしてやらなければならないことは、それほど多くないのです。

スタッフの仕事は、運営に関することや、里親希望の方や後援してくださる方とのやり取りがほとんどで」

「行方不明の女性は、こちらのスタッフだということですが」


 手帳を構えた俺の質問に、シスターは足を止め、肩越しに振り返った。


「ナオミのことでしょうか」

「ナオミ?」

「お探しだという子の、洗礼名です。

ナオミはここで洗礼を受けました。

正確には、あの子はここのスタッフではないのですが」

「この孤児院の出身なのですか」

「元はここで預かっていた子です。

残念ながら、里親のご縁には恵まれず……ですが、奨学金で高校に入学して、卒業後はすぐに就職も決まって一人暮らしを始めていました。

それが二、三か月ほど前に、急にここに戻ってきて」

「戻ってきた理由を、何か話していましたか?」

「いいえ……こちらからは何も聞きませんでした。

何の理由もなく、こんなところに帰ってくることはないでしょう。

ですが、無理に聞き出すことも、よくないと思いましたので」

「彼女はどんな様子でしたか?」

「特別、様子のおかしいところは見られませんでした。

子供たちの面倒をよく見てくれていて、ここにいた頃と同じようにして過ごしていました」

「行方不明になっていることには、気づきませんでしたか」


 性急だったかもしれなかった。

 だが、俺はそれを聞かないわけにはいかなかった。

 シスターは小首をかしげて見せながら、


「姿の見えなくなっていることには、気づいていました。

ですが、また自分の生活に戻ったのだろうと……まさか行方不明になっているとは、思ってもみなかったので」


 そう言って、シスターは小さく溜息をついた。


 シスターが言うところのナオミが行方不明だということで、捜索依頼をしてきたのは彼女の高校での友人だった。

 連絡が取れなくなったことを心配して、アパートを訪ねてみると留守だったという。

 最後に会ったときの様子を思い出して、何か事件にでも巻き込まれたのではないかと考えて、警察に相談してきたのだった。


「一言もあいさつなくいなくなったのに、何とも思わなかったのですか?」

「それは……若い女の子ですから。

そういう気まぐれなことも、するかもしれないと思ってしまって」


 表情ひとつ変えずに、シスターは言って再び廊下を歩き出す。

 俺は納得はしていなかったが、ひとまずそのことは飲み込んで、シスターが孤児院の中を案内してくれるのについて行った。


 子供たちの寝起きする部屋、学習室、礼拝堂、厨房と食堂――シスターの言葉通り、建物も調度品も古びてはいたが、修繕を重ねて丁寧に使われているらしいことがよくわかった。

 部屋はどこも掃除が行き届いていて、けれど、子供のいる家庭特有の、どこか雑然とした雰囲気もあった。


 なのに。

 なんだろう。


 ここは、やけに――。


「――ここは、子供たちの遊び部屋です」


 そう言って案内された部屋は、窓が大きくとられて広々と明るかった。

 その中で十人くらいの子供たちが、思い思いに遊んでいる。

 人形遊びをしている子、小さな子に絵本を読み聞かせている子、絵を描いている子……窓の外に目を向ければ、芝生の庭で追いかけっこをしている子たちもいる。


 ふと、花の香りを感じて視線を上げてみた。

 くすんだ色の壁に、手作りらしいドライフラワーのサシェが飾られている。


「ラベンダーです」


 俺の視線に気づいてか、シスターが言う。


「庭にたくさん咲いているんです。

こういうものを作るのが、私の唯一の趣味のようなもので」


 そう言うときだけ、シスターの表情ははにかみにほころんだ。




「どうでした?」


 孤児院の正面に止めていたパトカーに戻ると、運転席で待っていた相方が緊張感のない様子で尋ねてくる。

 助手席に乗り込みながら、俺は曖昧な返事をした。


 俺は「刑事の勘」という言葉が嫌いだ。

 根拠のない決めつけ、主観に頼った判断、先入観に基づく捜査。

 そんなもので解決する事件など、フィクションの中にしかあり得ない。


 だが――。

 そう思ってはいても、何か言いようのない引っかかり、違和感を感じることはある。

 それを勘というのなら、この孤児院に足を踏み入れて感じたこれは、まさにそうなのだろう。


 ここは、やけに――静かだった。

 子供が、ずいぶんと大人しい。


「静か? そうですか?」


 心の中で思っただけのつもりだったのが、口に出てしまっていたらしい。

 相方は、怪訝そうな顔をして孤児院へと視線を向ける。

 つられて振り返ってみると、庭で遊んでいた子供たちがいつの間にか集まっていて、塀の格子のすき間から興味津々な様子でこちらを見つめていた。

 その子供たちに向かって、相方はおどけた調子で敬礼をしてみせる。

 途端、歓声がはじけて、子供たちも笑いながら敬礼を返してくれた。


「元気っすね」


 サービス精神を発揮して手を振ってやりながら、相方はいたずらっ子のような顔つきをして言った。


「サイレン鳴らしたら喜ぶかな」

「やめとけよ……いったん戻ろう」


 名残惜しそうにしている相方をうながして、俺はパトカーのエンジンをかけさせた。


 動き出した車窓から、俺はもう一度だけ孤児院を振り返る。

 子供たちの熱心な視線が、どこまでも追いかけてきそうだった。


 どこにでもいる、当たり前な子供たち。

 そんな子供たちのいる、平穏な孤児院。


 なのに俺は、何をそんなに気にしているんだろう――。

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