第3話 オリビアとリリアの秘密

 「母上、困ります。リリアをちゃんと躾けてくれないと」


 「ジーク・・・」


 オリビアは自分よりも背が高くなった息子を見上げた。


 「最近、随分と我儘になってしまったようだ。姉様を見習って、ちゃんと僕の言う事を聞くように言ってほしいな」


 「ジーク!」


 オリビアは自分の手が震えているのに気付いた。間違いなく自分が産んだ息子だと言うのに、彼女はジークを恐れていた。


 「お願いよ、ジーク。もうこんな事はやめましょう。貴方は間違ってるわ」


 ジークは笑みを張り付けたまま、母親を見下ろしている。だけどその目は何も許していない。


 「母上が気に病むことは無いでしょ?貴方は姉様に何もしていない。ただ、姉様から逃げているだけなんだから」


 ジークの言う通りだった。


 (どうして、こんな事に・・・)


 オリビアの胸に寒々しい風が吹く。


 この家に嫁いだ時、最初は継子であるレイリーとも仲良くしようと思っていた。あの頃レイリーはまだ1歳で、大人しいけど黒髪の美しい可愛い娘だった。オリビアは実の娘のように慈しみ、育てようと思っていた。


 歯車が狂ってきたのは、息子のジークが6歳になった頃だった。彼は幼い頃から聡明で非凡な才能を持つ子だった。


 (まるで大人を育てているみたいだった)


 あの時彼はまだ幼い声で、こう言ったのだ。


 「姉様を僕だけのモノにしたいんだ。だから母上もリリアも協力してよ。じゃないと二人の秘密を父上にバラしちゃう」


 天使のような顔をした彼の言葉は、悪魔からの提案に聞こえた。それからずっと、オリビアとリリアはジークの言いなりだ。


 オリビアはジークの目から逃れるように、両手で顔を覆った。


 「どうして、こんな人間になってしまったの?レイリーだって可哀そうよ。あの子は貴方の実の姉なのよ?このままじゃ貴方もレイリーも地獄に落ちるわ」


 「落ちたって構わないよ。姉様と一緒なら」


 顔色一つ変えずにジークはそう言った。そうだ・・・この子ならそう言うと、自分はもう知っていたじゃない。

 オリビアは胸の中の冷たい風を感じながら、ジークに言った。


 「・・・分かったわ。だけど、リリアもそろそろ限界よ。私もレイリーをこれ以上悲しませたくない・・・」


 「別に良いけど?でも姉様にこの事を話したら、父上にあの事をバラすよ?リリアが父上の娘じゃないことを・・・」


 「ジーク!お願い!」


 オリビアは縋りつくようにジークの腕をつかんだ。


 「父上きっと怒るだろうね?二人とも屋敷から追い出されるんじゃない?」


 「やめて!お願いだから・・・」


 そう叫んでオリビアは顔を伏せた。嗚咽が彼女の口から漏れ始める。ジークは自分を掴んでいる母親の手を、彼女の気持ちを確認するようにゆっくりと外。


 「もう少しなんだ・・・きっともう少し。頼むよ母上。僕は・・・姉様にも僕のところまで落ちてきて欲しいんだ、だから・・・」


 「分かったわ、ジーク・・・」


 オリビアは暗い目を彼に向けた。


 「だから、あの事は絶対に誰にも話さないで」


 ジークはニヤリと笑みを浮かべると、部屋から出て行った。

 嵐が周りの木々をなぎ倒して通り過ぎた後のように、オリビアの心は乱れた。疲弊した気持ちで、彼女はかつての自分の過ちを思い出す。


 フリーマン子爵の後妻になる事が決まった時、彼女はまだ18歳だった。裕福な商家である実家は、貴族との婚姻を漕ぎつけた事に沸き立っていた。


 「子爵の前妻は娘を産んで亡くなったらしい。上手くいけば、お前の子を後継にできるぞ」


 オリビアの父の思惑通り、ジークは前妻の遺子として爵位を継ぐ事になった。子爵はジークを可愛がり、そしてオリビアの事も妻として大事にしてくれている。幸せだと思った。

 不思議だったのはフリーマン子爵の、幼いレイリーに対する態度だった。彼は前妻の忘れ形見であるレイリーに対し、随分よそよそしい気がしたのだ。


 (きっと男親だから、娘に対してどう接していいのか分からないのね)


 その時はそんな風にしか思わなかった。そしてその分、自分が彼女を愛してあげようとオリビアは思っていた。

 だが当時の若かった彼女には一つだけ心残りがあった。フリーマン子爵と結婚する前に、オリビアには思いを交わした恋人がいたのだ。


 ジークを産んで半年ほど経った頃だった。街に出たオリビアは偶然、かつてのその恋人と出会ってしまった。そして・・・


 (リリアの髪と目の色が、私と同じで本当に良かったと思った)


 それにどちらか父かなんて、オリビアにすら分からなかったのだ。きっと子爵の子だと、オリビアは信じようとした。

 

 だけど幼いジークはあの時、リリアの手を持ち上げて言ったのだ。


 「リリアの小指って他の人より随分と短いよね?これって、でしか現れないんだって。父上の親戚には誰もそんな人いなかったし、母上の家族にもいないよね?」


 そう言って、無邪気に彼は笑ったのだ。


 「母上の古い友達って言う、あの男の人以外は」


 (恐ろしい・・・私はあの子が・・・)


 そして、自分の継子であるレイリーの事を、心の底から哀れに思った。

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