第4話 エイベル・フリーマン子爵の秘密
2階の踊り場から玄関ホールを見下ろして、エイベル・フリーマンは忌々しそうに舌打ちをした。
(レイリー・・・屋敷の外に出るなと、あれほど言ったのに)
見ると、レイリーの横にはジークが、私達には見せない笑顔で彼女にしきりに話しかけている。
(ジークと一緒だったのか)
複雑な気持ちでエイベルは階段を引き返し、書斎へと戻った。
昔からジークはレイリーに懐いていたようだ。だが最近の彼のそれは、単なる姉と弟の枠を超えてはしないだろうか?
エイベルは疲れたように頭を振った。
「馬鹿な・・・ジークは賢い子だ。実の姉をそんな風に思う事など・・・」
本当に無いだろうか?
エイベルは書棚の奥に隠してあった小さな肖像画を取り出した。描かれているのは明るい栗色の髪と目をした、花のように美しい女性。
「ロレーヌ・・・」
エイベルが生涯でただ一度、心から愛した女性だった。
彼がロレーヌと出会ったのは、王宮での夜会の時だった。ロレーヌは他の取り澄ました令嬢とは違い、よく笑い、よく喋った。ころころと表情が変わる可愛らしい人で、エイベルは初めて彼女に会った時から惹かれずにはいられなかった。
幸い彼女の家も子爵家で、家格も年齢的にもエイベルと釣り合っていた。貴族間の結婚は家同士の結婚だ。二人の婚姻は何の障害も無く、とんとん拍子に決まっていった。
だけど、エイベルは知っていた。ロレーヌには、他に思い人がいることを。
アイヴァン・レスリー。それがその男の名だった。
だがエイベルにとって幸運な事に、ロレーヌがその男と結ばれる事は難しかった。身分差が大きかったのだ。
アイヴァンの実家は侯爵家であったが、彼の母の出自は王家で、彼が爵位を継ぐときには公爵位が与えられることが決まっていた。
アイヴァンは聡明で、ハンサムだが浮ついたところの無い、そして思慮深い目をした青年だった。ロレーヌが惹かれても不思議ではなかったのだ。
それでもロレーヌと結婚したのは彼では無く自分だ。子供を授かった時は夢のような気持だった。ロレーヌだっていずれアイヴァンの事を忘れるだろう。エイベルはそう信じていた。
だがその幸せは、ロレーヌの出産と共に消え去った。
彼女の産んだ子供は、二人には似ても似つかない、黒髪に濃い緑の瞳をつ娘だった。
出産に時間がかかり、ロレーヌは体力を使い果たしていた。なのに彼女は自分に死が迫る中、エイベルに謝り続けていた。
ごめんなさい・・・エイベル、ごめんなさい・・・と。
どうして謝る?
私を置いて逝ってしまう事か?
娘を残していくことか?
それとも・・・
ロレーヌはそのまま息を引き取った。
彼女が思いを寄せていたアイヴァン・レスリーは、かつて王女だったという母親によく似ていた。黒髪に深い緑の瞳の・・・
レイリーの髪の色と瞳の色がロレーヌに似ていたのならば良かった。エイベルはロレーヌを愛したように、彼女を愛することが出来ただろう。
だが、レイリーの黒髪が、そして深い緑の瞳が、どうしてもエイベルにあの男を思い出させた。彼からロレーヌを奪ったあの男を。
(レイリーはこの家から出さない)
一生、生き続ける限り、誰も愛さず、愛されることも無く年を重ねるがいい。
それが、エイベルの彼らへの復讐だった。
(ジークには釘を刺しておかなくては)
そろそろジークにも婚約者を見繕ってやろう。エイベルはそう考えながら、かつて愛した女性の絵を書棚の奥に仕舞った。
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