短編賞創作フェス 3回目お題「秘密」 幼い花姫は秘密を終わらせたい
魚野れん
秘密はいつか終わるもの。
ナスルには秘密がある。そして年の離れた婚約者にも。
「ナスル姫」
「ウェルク宰相、ごきげんよう」
最近着任したこの宰相、実はナスルの婚約者ロザムンドである。ロザムンドは遠い地にあるエアフォルクブルク帝国の次期皇帝、第一皇子だ。そんな彼がなぜ、この僻国であるウルード王国の宰相をしているのかと言うと、この国に困った事情があるからであった。
事の発端は、ロザムンドがナスルとの婚約を発表し、側室を持たないと宣言したことである。
ナスルを亡き者にする為か、ナスルが次期皇帝の正室として相応しくないと糾弾する為か、はたまたほかの思惑か、理由は不明だが、各国のロザムンドの妃の座を狙っている者たちがウルード王国に入り込んでしまったのだ。
エアフォルクブルク帝国は、その巨大さと堅実さゆえに妃の座を狙う者が多い。だからこそ、エアフォルクブルク帝国では、皇子や皇女の名前を伏せて過ごさせたり、結婚相手にも非公開の決め方があったりと、風変わりな決まり事が数多く存在している。
ナスルは意図せず、その中の一つを踏み抜いた。
その一つとは、隠された名皇子の名を知ることである。ほんの軽い気持ちで口にした名前が、皇子の本名であったのだ。
きっとナスルよりも、ロザムンド本人の方が驚いたことだろう。だって、当時九歳の幼女を妻にしなければならなくなったのだから。
ナスルは驚いたが、この優しい青年のことをすっかり気に入ってしまっていたものだから、夫となる人がこの人で良かったとすら思っていた。
ナスルはまだ十四になったばかりではあるが、彼との出会い、そして交流を経て、すでにロザムンドのことを異性として愛するようになっていた。
しかし、この気持ちはまだ、彼には秘密である。
「……お勉強の進みはいかがですか? 毎日の連絡が途絶えたので、心配になりまして」
「ふふ、ウェルク宰相は心配ですわね。わたくし、別の用事があって、お勉強の時間が取れませんでしたの!」
ナスルはともすれば赤くなってしまう頬の色を隠す為、必要以上にぴょんぴょんと跳ねる。
「……そういえば、訪問の話がありましたね」
失念していた、と顎をさすって気まずそうにするロザムンドがかわいらしい。ナスルは小さく笑う。
「そう。わたくし、そちらを優先してしまいましたのよ」
「いえ、慈善活動は素晴らしいことです」
抱き上げてほしい、といつもの欲望が頭に浮かび、小さく首を振ってその思考を飛ばす。今のロザムンドは婚約者のメタリナの君ではないのだから、そういう要望を口にすることは許されない。
ナスルは少しだけ寂しくなり、彼の服をそっとつまんだ。
小さく目を見開いたロザムンドは、すぐに柔らかな笑みを浮かべてナスルの手を包み込む。
「……ナスル姫、実は少し時間が空いているのですが、姫のお時間をいただいても?」
「! もちろんよろしくてよ! あ、お勉強を教えてくださる? わたくし、聞きたいところがあるのです」
なんて優しい方なのかしら。昔からぜんっぜん変わらないわ。
ナスルはぱあっと顔を輝かせて彼に手を引かれるまま、彼の執務室に向かうのだった。
ナスルは、手ずから飲み物を用意する婚約者にみとれていた。ナスルはまだ幼いから、と未だに飲み物を淹れさせてくれないのだ。本当は、飲み物の準備くらい一人でできる。だが、こうしてロザムンドが用意してくれる姿を見るのが好きだから、これも秘密だ。
もしかして、わたくし……秘密の多い女、というものなのではないかしら?
大衆小説に、秘密の多い人間は魅力的だと書いてあった。ナスルは今、魅力的な人間なのかもしれない。
「どうぞ」
「いつもありがとう」
ナスルが座った長椅子に、ロザムンドも腰掛ける。ゆっくりと座ってくれるから、椅子のクッションが歪む時のはずみでナスルが転がったりはしない。ナスルは小さいから、どうしても大人が隣に座るとバランスを崩してしまう。
でも、ロザムンドが隣に座る時は転がらないように気をつけなくていい。ロザムンドは最初からそうだ。ナスルのことをよく見て、気遣ってくれるのだ。
はぁ、わたくしの婚約者は最高にかっこいいです。好き……。
特徴的な目の色を隠す為に色のついた眼鏡をかけているのがちょっと残念だ。眼鏡をかけている姿も似合っているが彼の目の色が好きなナスルは、やはり眼鏡をしていない方が好きだ。
「あの、少しくらいその眼鏡――」
「外しません」
「……う……わたくし、あなたのその目の色がとても好きですのに。こんなに近くにいても、見ることを許してはくださらないのです?」
真面目なところも好き。ナスルはそんな気持ちとは裏腹に、眉尻を下げる。
「……はずしませんが、これでいいですか」
「まぁ……っ!」
ロザムンドはナスルを抱き上げて長椅子の肘掛に座らせた。何が起きるのかとワクワクしていると、彼は眼鏡を少し下げて見上げてきた。上目遣いにロザムンドがナスルを見つめてくる。
ナスルの目に、彼の美しい虹彩が飛び込んでくる。
いつ見ても美しい色。わたくしだけの、愛しい薔薇。
「わたくしの大好きな色ですわ。見せてくださってありがとう」
「……ナスル姫が望むなら」
お行儀が悪いから、とロザムンドはすぐにナスルを元の位置に戻してしまう。残念だったが仕方がない。
宰相のふりをしているロザムンドは丁寧な物言いを徹底し、眼鏡を外さず、第一皇子らしさを極限まで隠している。ナスルのことを大切に思っていなければ、ここまでしてくれるはずがない。
「あなた、わたくしのこと大好きでしょう?」
いつもと同じ言葉しか返ってこないとは分かっていても、つい聞いてしまう。
「はは、何を当たり前のことを仰る。私はあなたのことを宝物のように大切にしておりますよ」
慈愛に満ちた表情を見れば分かる。彼はナスルを大切には思っていても、父が母を愛するように思ってくれているわけではない。
しくりと痛むのは、ナスルがロザムンドにそれを望んでいるからだ。
でも、まだこの気持ちは秘密にしておくの。少なくとも、ロザムンドの秘密の活動が終わるまで。
ロザムンドを困らせたくない。ナスルは恋心を秘めたまま、彼に笑顔を向ける。
「ありがとう。わたくしは皆に愛されて幸せ者ですわ」
「その通りです。だから、その気持ちに報いる為にお勉強しましょう」
「もちろんですわ。わたくしが教えていただきたかったのは……」
雑談はおしまい。でも、お勉強の方が気分が楽だから……助かってしまうわ。
ナスルは真剣な表情でナスルの質問を聞き、分かりやすく解説してくれるロザムンドの横顔を見つめる。
早くこの秘密を明かすには、わたくしの周囲を綺麗にしないといけないのよね。こんな面倒なことをしていないで、いっそ、結婚してしまえばいいのではないかしら。
「ウェルク宰相」
「何でしょう?」
「わたくしの周辺のことですけれど……わたくしとメタリナの君が、早急に結婚してしまったら、解決したりしませんの?」
ロザムンドは目を見開き、それからため息を吐いた。
「あまり良くない手かと」
「そうなの?」
「まず、ウルード王国の法律を変える必要があります。その動きがきっかけとなって、あなたの身に危険が迫るかもしれません。それに、もし相手がこれをきっかけに潜ってしまえば、この国はずっと不穏分子を抱えることになります」
すんなりと答えが返ってくるあたり、一度は彼も考えたようだ。
「ウェルク宰相」
「はい」
「わたくしは、あの方との婚約した時から覚悟しておりますのよ。この手段で、一網打尽にできないかしら?」
ナスルは初めてロザムンドに話を持ちかける。ロザムンドの秘密を終わりにし、己の秘密を彼に明かす為に。
「ナスル姫」
ロザムンドが驚いている。それもそのはず。ナスルはこういう難しい話に割り込もうとせず、ロザムンドの邪魔をしないように過ごしてきたのだから。
「……わたくしの為に、と言うのならば徹底的になさい。わたくしの未来の夫は鋼鉄殿下。わたくしの美しい薔薇は鋼鉄のように冷徹なのですから、あなたもそれを見習いなさい」
普段、お花畑のような思考をしていたって、見た目がふんわりしていたって、考える時は考えるのだ。ナスルは背筋を伸ばし、真っ直ぐにロザムンドを見つめた。未来の義妹、憧れのお姫様であるフィリオーネだって、きっとそうして幸せを手に入れたのだ。
未来の皇帝妃となるナスルも、同じように頑張らなければならない。それが、きっと今なのだ。
「いや、しかし……」
「ウェルク宰相、やってちょうだい。わたくしの為に」
ナスルだって、誰かに危害を加えられることを恐ろしく思わないわけがない。それでも、膠着状態が続くよりはずっといい。ロザムンドならば、持ち前の冷静さで全てを解決できるはずなのだから。
ナスルはあえて、にっこりと笑った。
「鋼鉄殿下が二の足を踏む手段なら、きっとうまくいくわ。わたくしの未来の為に、頼むわよ」
早く秘密の活動を終わりにして、ナスル自身の秘密も自由にさせてあげたい。ロザムンドはしばらくしかめっ面をしていたが、ナスルが意志を曲げないと理解したらしく、渋々と頷いてくれた。
わたくしの秘密が明らかになるのも時間の問題ですわね。
ナスルは鋼鉄殿下が本領を発揮するのが楽しみすぎて、本当は駄目なのだと知っておきながら彼に抱きついた。
短編賞創作フェス 3回目お題「秘密」 幼い花姫は秘密を終わらせたい 魚野れん @elfhame_Wallen
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