4.魔法の蜂蜜の秘密


 エインと出会ってから三日が過ぎた。山の神様を迎える祭りは十日後に迫っており、町には慌ただしさが増している。


 いつも通り、やっと店の仕事を終えたカミーユが孤児院を訪ねると、泣きそうな顔のリュカが院長室から出てきた。


「リュカ、どうしたの?」


「カミーユ……」


 カミーユの顔を見て、リュカは泣き出してしまった。カミーユはひとまず教会に行こうとリュカを誘って連れ出した。


 教会まで歩く間も、リュカはずっと泣き通しだ。カミーユは以前自分がされたように、リュカの背を優しくさすってやる。


「いらっしゃ……おや、今日はリュカが……」


 教会に入り、神父に「こちらへ」と勧められるまま二人は木のベンチに腰掛けた。神父が差し出すハンカチを受け取ったリュカは、まだ涙が止まらないようだ。


「リュカ、何があったの?」


「……僕、山の神様、に……捧げられるんだ……」


「……えっ? 捧げられる……?」


「おまえが生贄になれって……生贄って、死んじゃうんだよね? 死んだら、カミーユにも、神父さんに、も、会えない……!」


 衝撃的なリュカの言葉に愕然とするカミーユのそばで、神父は「リュカが、生贄……」と言葉を発したまま、絶句している。


「嘘……何で、リュカが……」


「そんな、気持ち、悪い、目と髪、どうやって、生きていくんだ……災害や飢饉が、起こらないよう、山の神様に、食われ、せいぜい役に、立てって……。もし僕が、嫌だって言ったら、別の子が……でも、カミーユと神父さんに、会えなくなるの……嫌なんだっ……!」


 泣き叫んだせいで苦しそうに呼吸するリュカの背をなでてやることしかできず、カミーユは唇を噛んだ。普段は物静かで優しいリュカが声をあららげる姿が、言葉が胸に刺さり、カミーユの目にもじわりと涙が浮かんでくる。


 それから少し間を空け、神父が静かに口を開いた。


「……魔法を使う時、ですね」


「魔法……?」


「この間、妖精に会ったでしょう?」


「えっ、神父さん、知って……」


「あっ、僕が……大変な目に、遭うって、このこと……」


「私も昔、会ったことがあるのです。もう一度魔法の蜂蜜入りミルクを飲んで、妖精に会うといいですよ。二人が離れ離れにならないように」



 ◇◇



 祭りの当日、リュカは上等な生地で仕立てられた上下揃いの服を着せられた。


 カミーユは立会人になりたいと希望し、リュカに付き添うことを許された。もし二人とも命を落としたとしても、町に損失はないと大人たちが判断したのだ。


「リュカ、緊張してる?」


「う、うん。こんな服、初めてだし」


「堅苦しいもんね。僕は普段着だからいいけど」


 孤児院の前で迎えの馬車を待つ間、リュカのルビー色の目が不安そうに泳いでいるのを見て、カミーユは背をなでてやった。


「大丈夫だよ。エインも味方してくれる」


「……うん」


 カミーユの言葉を聞いて大きく息をついてから顔を上げたリュカの目には、もう暗い影は見えない。前を見据え、背筋を伸ばしている。


「格好いいよ、リュカ。僕もずっと一緒にいるから」


「ありがとう。心強いよ」


 祭りを盛り上げる豪華なパレードが生贄の子供を運ぶ馬車だということを、町の人たちは知っていても無言を貫いている。誰か一人が犠牲になれば町の安寧が保たれると、皆本気で思っているのだ。


 小さな体には一抱え分もある大きなかめを大事そうに持つカミーユも、リュカと同じ方に視線をやり、遠くに見えてきた馬車を見つめた。



 ◇◇



 西の山の麓には森があり、その入口付近でリュカとカミーユとともに付き添いの大人が一人、馬車から降ろされた。見張り役として選ばれた屈強な男だ。


 三人は黙ったまま、静かに何かが起こるのを待った。そうしてしばらく経った頃、森の中から一頭の巨大な白狼はくろうがゆるりと姿を現した。


「生贄は」


 白狼の低い声が体にずしんと響き、身がすくんでしまったカミーユとリュカの後ろで、男が「こいつです」とリュカを指差すとくるりと踵を返し、馬車を繰っていってしまった。残されたカミーユとリュカは、震えながらも「こちらをどうぞ」と白狼に瓶を見せる。


「これは……」


「は、蜂蜜酒、です」


「やはり。蓋を開けろ」


「は、はいっ」


 震える手で蓋を開けて金色の液体を確認すると、カミーユは瓶を抱えた。恐怖で足が動かなくなってしまいそうだが、リュカのためだと自分を叱咤し、ぎこちないながらも歩を進める。


「こちらに」


「……どれ。ああ、いい香りだ。これは紛い物ではないな。おお、プラムの花の蜜か」


 機嫌が良くなったのか口数が多くなった白狼を、怯えながらも二人はじっと見つめる。大きく裂けた口から赤い舌が瓶の中に入っていくさまは、何とも不気味なものだ。


「味もいい。舌触りが滑らかで、濃厚で甘すぎない」


「こ、これは、僕とリュカが、作ったんです」


 カミーユがおずおずと右手を上げると、白狼の赤い目が少しだけ大きく開いた。


「ミツバチが蜜を分けてくれて、僕とカミーユが……」


 口を開くことができるようになったリュカが、言葉を加えた。


「ミツバチが? 進んで人間に?」


「はい」


「ははっ、面白いこともあるものよ」


 笑い声を立てる白狼はきっといい気分になっているだろうと、エインの助言通り、カミーユは言葉を繋げる。


「あの、僕一人だと大変だったので、リュカと二人で……」


「これをまた持ってこい」


「は、はい」


「待っているぞ」



 ◇◇



「カミーユ、今日も西の山の麓へ?」


「はい。今年は量がたくさん取れて、いい出来になったんです」


 最初に山の神様である白狼に会ってから七回目の春が来て、カミーユは十六歳になった。店の前を通りかかった白髪交じりの神父が、彼に声をかける。


「それはいいことですね」


「あとでまた教会に行きます。絵を仕上げたいので」


「ああ、リュカが楽しみにしていましたね。そういえば、今日はリュカは?」


「ミツバチの世話に行ってます」


「そうですか、いつも働き者ですね。では、気を付けて」


 神父にぺこりと頭を下げてから大きな瓶をひょいと持ち上げて馬が引く台車に乗せると、カミーユは西の方角へと向かう。


 あの時白狼から解放されたカミーユとリュカは、人々を驚かせた。作った蜂蜜酒のおかげだと言うと、元々のおいしさもあってたちまち評判になり、遠方からも人が来るようになった。町自体が一躍有名になったのだ。


 町が賑わう中、カミーユの酒屋は特に繁盛し、家の雰囲気はとても良くなった。真面目に手伝いにくるリュカを父親も姉も気に入り、孤児院から父親の養子として迎えられることになった。それを聞いた時のカミーユの喜びようは、それはもう凄まじかった。


「白狼様、持ってきました」


「待っていたぞ」


 匂いを嗅ぎつけたのか、白狼はすぐに森から出てきてふさふさの大きな尻尾を振りながらカミーユの前に座る。


「今年はたくさん作れたんです」


「どれどれ。……うむ、やはりうまい。これまで生贄として捧げられた子供らにも飲ませてやりたいものだが、今はどこにいるのか。たまには会いにきてほしいものよ」


 白狼の赤い舌が蜂蜜酒をぺろり、ぺろりとなめているところにエインが飛んできて、「人間の寿命は短いのよ」と口を出した。


「ああ。カミーユには長生きしてもらいたいものだ」


「リュカにもね!」


「そうだな。しかしこううるさいのがいると、じっくり味わうこともできん」


 すっかり毒気の抜けた白狼とエインの会話に、カミーユが軽く笑う。初めはそりが合わず喧嘩ばかりしていた一柱と一人も、今では軽口の応酬で楽しそうに笑ったりもする。


「リュカも、もうすぐ来ると思いますよ」


「そうか。久し振りに会えるのだな」


「残念、あたしはもう行かなくちゃ。忙しいの」


 そう言い残し、挨拶もそこそこにエインはどこかへ飛んでいってしまった。


 カミーユとリュカは、神父に言われたとおり魔法の蜂蜜の秘密を守り続け、二人だけで蜂蜜酒を作り続けている。誰かが困っていたら伝えていいと言われてはいるが、きっとこれからも、この秘密を誰かに話すことはないだろう。何せ、あんなに恐れられていた白狼は――


「白狼様、リュカです。お久し振りです」


「……ああ、寝てしまっていたか。せっかくリュカが来たというのに」


 クスクスと笑いを漏らすリュカに向かって、白狼は一つ、大きなあくびをした。

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魔法の蜂蜜 祐里(猫部) @yukie_miumiu

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