新天地でも、男装して
卒業パーティが終わり、ロイクの提案通り魔法陣を作ってから、アリサはトリベール侯爵領へ帰郷を果たした。
「アリサ……」
貴族学院入学時に別れて以来、四年。
侯爵家とは到底思えない、小さな家のダイニングで再会した、父であるトリベール侯爵マルックの頭髪は、真っ白くなっていた。実年齢よりかなり老け込んで見えるのは、それだけ苦労を重ねてきたからだろう。
母であるテレサも、寝室のベッドから起き上がることもできないぐらいに、衰弱していた。見舞いに訪れたアリサを見て安堵の涙を流す母の細い腕に、アリサも涙を流し、「もう大丈夫よ」と告げる。
栄養状態が悪いのと、心労によるものということなので、オーブリーから預かった薬草で薬湯を作って蜂蜜を入れて飲ませると「美味しい」と言って飲み干し、安心したように眠った。メイドのユマいわく、眠ったのは本当に久しぶりだということだった。
ダイニングルームに戻り、改めてアリサは父の向かいに腰を下ろす。
「その、本当なのかい? ヴァラン公爵家のロイク様と婚約したのは」
「お父様ったら。ご自分で書類にサインをしたのでしょう?」
「うん、そうなんだけどね」
「やはり、実感が湧きませんよね」
「うん」
「なので、連れてまいりました」
「え!?」
――コンコン。
動揺し、呆気に取られたままのマルックの代わりに、アリサが返事をした。
「どうぞ」
老齢である執事のドルフが、ふるふると震えながら入って来た。
この狭い家は、玄関ホールのすぐ横手がダイニングルームである。
メイドのユマが動揺して「お茶を……カップ、一番良いのは……」と独り言を吐きながら、キッチンをウロウロしている。
「失礼する」
黒いジャケットにシルバーのスラックスという、ディレクターズスーツスタイルで姿を見せたロイクに、マルックは慌てて椅子から立ち上がった。
「これは、これは! このような遠方まで、はるばるお越しくださるとは! 狭い家でお恥ずかしいが」
「いえ。突然の訪問、先触れも出さず、無礼で大変申し訳ない」
先触れなど出したら卒倒してしまう、と止めたのはアリサだが、ロイクがこうして自然と自分の責のように言うのが、こそばゆい。
「とんでもない! ……改めて、トリベール侯爵マルック。この度の婚約に、心からお祝い申し上げる」
「ヴァラン公爵家長男、ロイク。アリサ嬢との婚約にご同意いただき、感謝申し上げたく、参上した次第です。ありがとうございます」
小さなダイニングチェアに腰かけるロイクには、違和感しかないが――まるで気にしていないことが、アリサは嬉しい。
「うぅ……本当だったのだね……嬉しいよ」
久しぶりに侯爵っぽく振る舞ったのは一瞬のことで、マルックは目頭を指で押さえる。
「閣下。それだけではありません。ラブレー王国宰相補佐官として、この度のジョクス伯爵家の
「そんな! 家同士の
「いいえ。王国全体に及ぶ、陰謀でした」
「な……」
「詳細は、機密事項のため言うことはできません。ですが、アリサ嬢の活躍により、ラブレーは助かった。それは事実です。お嬢様は、トリベール侯爵家復興のため、ひとりで尽力なさり、それを成功させた。そのまっすぐな信条と並々ならぬ努力に、感銘を受けました」
「親としてこれ以上ない褒め言葉だよ。名誉だな」
「恐縮です」
アリサは、お尻がむずむずし始めている。
「私はこれからトリベールを継ぎ、隣国であるクアドラドとの織物貿易を成功させ、ジョクス領も併合して治める」
「ええと、それも手紙で聞いていたけど、本当のことなんだね?」
「はい。しばらく王都での宰相補佐官兼任となりますが、当主としての心得や家の在り方など、これからご教授いただきたく」
うわぁ、とマルックが遠慮なく感嘆の息を漏らす。
「それは、いいんだけど……なんかアリサ、すごい人と結婚しちゃうんだね……」
マルックの、目尻の笑い皺が、くしゃりとなる。
「でもひとつ大事なことを確認させて欲しい。ロイク」
それから、きりりと侯爵家当主の顔になる。
「なんでしょうか」
「アリサのことは、愛している?」
「はい。もちろん」
(うおおおおナチュラルに嘘つける人だこの人ぉおおおぉおおおお!!)
アリサは内心で、警戒心をマックスにすることを心に誓う。
だがロイクはそんなことに、気づいていない。
「ならよかった。私はもう、金だの陰謀だの、御免だからね。まあヴァラン公爵令息が、わざわざこんな田舎なんて欲しがらないと思うけどさ」
「そんなことはございません。閣下は、もう少しトリベール織の価値を」
「ちょーっとまったあああああ」
侯爵家当主と宰相補佐官のビジネス大激論も見たい気はするが、今日は止めなければ。なにせ、長旅で疲れているのだ、とアリサは立ち上がる。
「それよりロイク様! 父にお知らせがあるのではなくって!?」
「ああそうだった、すまない」
「お知らせ?」
「はい。ジョクス伯爵家の廃爵が決定し、財産譲渡の手続きを順次進めていますが、取り急ぎトリベール侯爵家の屋敷を取り戻してあります」
「!!」
「引っ越し作業の
「!!」
「奥様ともども、十日後には移れるでしょう」
「あああああああ」
「旦那様ああああ」
「まさ、まさか、あの家に戻れる!?」
ロイクは、大きく頷いた。
「はい。戻れます。あ、できれば私の執務室も作ってよろしいですかね?」
「もちろんだよおおおおおおおおお」
号泣するマルックを見たロイクは、
「はは。アリサ嬢は、父親似であらせられる」
「えっそうかしら?」
「ああ。泣き顔が、そっくりだ」
「えぇ……」
複雑な顔をするアリサを見つめるロイクの優しげな顔を見て、マルックはますます泣いた。
「よかった、よかったあああああ」
◇
「ふう、ずいぶん久しぶりだな、
「ええ」
王都の空き店舗を新天地として『ヨロズ商会』を再開したアリサの元へ、ロイクが訪ねてきた。
前の店舗より少し手狭だが、客を出迎える応接スペースとオフィススペース、背後に密室にできる小部屋と倉庫があるので文句はない。
ちなみに倉庫には、アリサの男装用クロゼットと移動の魔法陣を設置してある。
「新しい店はどうだ」
「ご
ロイクはなんと、トリベール織物の貿易に『ヨロズ商会』を使おうと提案したのである。
「商会は複数あれど、貴族の息がかかったものが多くてな。その点アルの店なら、俺の監視も行き届きやすい。主要出資者がオーブリーだからな」
「そうですけど」
「不満か?」
「人手が多分足らなくなります」
「ああそうか、三人だけじゃ無理だな……実質二人のようなものだし」
「え?」
「ああいや、そうだな。信頼できる人間を雇えるならそれに越したことはない。ニコに選定してもらったらどうだ」
「はい。それも進めてるのですが、ちょっと困ったことが」
「なんだ?」
「クアドラドの人間も数名雇えと」
「やはりそう来たか」
公平な貿易をと思えば、あの王太子が一方の国だけの人間に取引を全て任せることは、考えにくかった。
「どうせなら、あちらの国内にヨロズ商会の支店を作ればいい」
「あ」
「商会長が帳簿精査すれば、いいだろう」
「そっか! 抜き打ち監査にいけばいいんだ!」
「ぬき?」
「ああいえ。それ、良いお考えです! であれば現地の人間を面接して雇えばいいですし、支店長をわたしの管理下に置けばいいですねっ」
するとたちまちロイクがしかめっ面になった。
「アルが、現地に行くのか?」
「え? はい。じゃないと」
「ニコじゃダメなのか」
「ええとだって、支店長ですし。直接人柄を確かめたいですよ」
この世界では、『リモート面接』などできないのだ。
「……俺も行く」
「へ!?」
「この貿易は、トリベール侯爵家を窓口にした、ラブレー王国のものである」
「ああ、そうですね。わたしに全部任せるのも、不安でしょうし……でもロイク様が直接!?」
「なんだ、だめなのか。隣国の様子を視察するのも、俺の役目だろう」
(なんでそんな、怒ってるの!? っていうか、ずっと男装で旅するの!? 無理無理! 絶対バレる!)
そこへ、救世主が現れた。
「俺とポーラも同行します。すんごい長旅ですし、馬車二台。手配してくださいよ」
「ニコ!」
「その間、商会はどうするつもりだ」
「臨時休業ですねえ。ま、再開したばっかりですし、決まった取引の書類仕事だけなんで。大丈夫ですよ」
ぱちんとウィンクをしたニコに、アリサはキラキラとした笑顔を向ける。
ますますロイクは、仏頂面になった。
「ニコまで行くことはなかろう」
「護衛です」
「ちっ」
(舌打ち、した!)
アリサは、ロイクが本気で怒っているときにするその癖を、覚えていた。
「ねえそれ、僕も行こうかな~」
「オーブリー!」
ポーラと共に買い出しに行っていたオーブリーが、戻って来た。
「バジャルドの手がかり、探しに行きたいもん。やられっぱなしは、
「ふふ。みんなで旅行みたいです」
ほんわか笑うポーラに、ようやく場の空気が
「じゃあ、早速用意を始めましょう!」
「ああ。国境を超える書類は俺が手配しよう」
「わかりました。旅装は俺が」
「ホルガー様、絶対行きたがるよ。頑張って止めなくちゃ」
「えっと、皆さま。とりあえずお菓子を召し上がりませんか?」
わいわいとお茶とお菓子を囲む皆は、笑顔だ。
そんなアリサのウィッグの中で、ディリティリオが囁く。
『なあんか、嫌な予感もするケド。アリサたちなら、大丈夫だネ~。……ね、ナル?』
――宰相補佐官のバディである男装商会長の活躍は、まだまだ続くのであった。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました!m(_ _)m
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あとがき(ネタバレ)は、近況ノートにて。
番外編も、予定しておりますので、お楽しみに!
転生悪役令嬢の、男装事変 〜宰相補佐官のバディは、商会長で黒魔女です〜 瑛珠 @Ei_ju
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