リスタート

明日和 鰊

第1話リスタート

「いかがでしょう、こちらの商品は今まで十万人が体験しており、九割の利用者様から満足したとの声が我が社に届いております。今でしたら三割引きの特別価格で始められるチャンスですよ」

 マッチングアプリで知り合ったイケメンについて行ったら、エステサロンで美容器具を売りつけられた。

 そしてクーリングオフの期間を過ぎた頃、男とは連絡がとれなくなった。

 二年間付き合っていた彼氏に浮気されてふられ、傷心の私に優しくしてくれたイケメンを信じた結果がこのざまだった。

 騙されていることは薄々わかっていたが、世の中捨てたもんじゃないと思いたかったのは、私が悪いのだろうか。



「あんた、相変わらず男を見る目がないわね」

 居酒屋に呼び出したマーコに相談すると、いつものごとく私への説教が始まった。

 焼き鳥のタレを焦がした良い匂いの煙が充満している店内で、私とマーコは向かい合って座っていた。

 スーツを着て身長の高いマーコに差し向かいで叱られていると、学校の先生に怒られた時のことを思い出す。

「傷ついた親友をもっといたわってよ」

 サラダのトマトををつまみながら、マーコは生返事でハイハイと答える。

「前の男もあんたのヒモのくせに浮気して出てったんでしょ。ホント優秀だわ、あんたのクズ男レーダー」

「またそれを言う」

 高校時代からの友人であるマーコは、昔から私の好きになる男を全員クズだと決めつけている。

 まあ、大体浮気されて捨てられているので、間違ってはいないのだが。

 失恋し、マーコを呼び出して話を聞いてもらうたびに、「あんたのせいで、あたしは顔のいい男が生理的に無理になったんだよ」と、いつもからかわれる。


「で、今回は詐欺に遭ったんだっけ?」

「まだ詐欺って決まったわけじゃ。物はいいものなんだよ、まあ、ネットの相場の五倍は高い値段だったけど」

 往生際の悪い私の言葉に、呆れた目つきで私の顔を見るとそのまま言葉を続けた。

「とりあえず、明日朝イチで消費者センターに電話しなさい。それでもダメならそのエステにあたしが直接乗り込んであげるから」

 マーコは弁護士をしていて、前の前の前の彼氏が作った借金を私が肩代わりさせられそうになった時、助けてもらったことがある。

 それ以来、マーコには頭が上がらない。

「そうじゃなくて、私は彼と連絡取れなくて寂しいって話を聞いてほしくて」

「彼氏じゃないでしょ。そいつはチョロいと思って、詐欺目的であんたに近づいただけ」

 私自身それはわかっているのだけど、こうハッキリ言われるとさすがに腹がたって、ついバカなことを言い返してしまった。

「あれはきっと、これを使って私にもっとキレイになってくれって、彼のメッセージだったんだよ」

 マーコの持ち上げていた冷や奴が、箸ごと落ちてテーブルを汚す。

 すぐにテーブルの紙ナプキンを取り出し豆腐をくるんで端によけると、私に何か言おうとしたが言葉が出てこないのか、開いた右手だけがプルプルと震えていた。

 勝った。一度も口ゲンカで勝ったことがのないマーコを黙らせたのだ。

 ただ、その勝利に達成感は微塵もなかった。


「食事が不味くなるから、これ以上はやめるわ。確かダイエット用の商品だったわね」

 マーコは話を変えて、スマホをいじり商品の使い方を紹介する動画を私に見せる。

「これ結構キツいダイエット器具だけど、努力ギライのあんたに出来るの?」

 今度は私が言葉に詰まった。

「それにダイエットは食事制限も大事だけど」

 そう言ってマーコは私の前に出された料理を見る。

 普段から節制しているマーコの食事量は少ない。それでも私の前にある皿の量は軽くその三倍はある。

「あ、明日から始めるから、これが最後の晩餐だから」

「そう」

 それを最後に私たちは会話することもなく、ただ自分の料理を黙々と食べつづけた。



 マンションに帰って部屋の明かりを点けると、一気に後悔が押し寄せた。

 部屋の中は家具も少なくガランとしている。

 元彼に出て行かれ、一人暮らしには大きい部屋を引き払う時に、ほとんど処分してしまったからだ。

 元彼が部屋から持って行った物は、学生が持つような大きさのスポーツバッグ一つに入る程度の私物だけだった。

 私が大丈夫かと聞くと、「新しい女の家に揃っているから」と悪びれもなく答えた時には、さすがに手が出てしまった。

 元彼がいなくなって改めて部屋の中を眺めると、部屋のインテリアは私の趣味じゃないものばかりだった。

 元彼の趣味に合わせて買ったそれらの家具は、新しい部屋には大きさも私の気持ち的にも持ち込むことは出来なかった。


 私は考えるのに疲れて、とりあえず寝ようと洗面台に歯を磨きに行く。

 洗面台のコップに一本だけ入っている歯ブラシを見て、私はやっと男たちへの怒りがこみ上げてきた。

 チョロいか。

 マーコの言うとおりだわ。  

 二年前に付き合い始めて、一ヶ月後には洗面台のコップに歯ブラシが一つ増えていた。元彼が転がり込んできて、手狭になった部屋を引っ越したのはその二ヶ月後。

 今頃新しい女の家にもおそろいの歯ブラシが並んでいるかと思うと、胸の辺りがムカムカしてきた。

 寝られる心境じゃなくなり、今まで開けてこなかったダイエット器具の段ボールのガムテープをカッターで切って開ける。


 私にはもう何もない。

 マーコは自分の料理を食べ終わると、その料金を置いて私を待たずに帰っていった。

 今までそんなことは一度も無かった。

 いつもは失恋して呼び出した時には、暗黙の了解で私が奢ることになっているのに。

 私は男やお金、それだけじゃなく親友すらも失ってしまったんだ。


 段ボールの中の梱包材を取り出し、ダイエット器具の実物を初めて見る。

 ここにきて、私は初めて騙された事実と向き合う事が出来た。

「これで痩せてキレイになって、利用される側から、する側になってやる」



 一年後、私はマッチングアプリを使って複数の男とデートをした。

 以前とは出会いの数も男たちの態度も明らかに変わった事に、自分が選ばれるのを待つ側から選ぶ側になったのだと確信をする。

 努力が報われた。

 男たちと怠惰な自分への怒りが、辛い努力に耐える原動力になった。

 二十㎏痩せた私は化粧やファッションもすべて変えて、マーコが見ても気付かないんじゃないかというくらい変わった。。

 だけどまだ完璧じゃない。

 私は繁華街に出て、複数のマッチングアプリで目当ての男を探す。

 いた!

 登録された名前やファッションの雰囲気は違っているが、あの詐欺男に間違いない。

 詐欺男の服装は以前のようなカジュアルなファッションではなく、高級ブランドに変わっていた。前に下調べをしてその事をすでに知っていた私も、それに合わせたファッションに身を包んでいた。

 あの男から騙し取られたお金プラス慰謝料も含めて逆に騙し取ってから、私の新しい人生はスタートするんだ。


 私はユミという偽名で登録したアプリで、詐欺男に接触を図る。

「タケさんですか?」

「ユミさん?」

 やっぱり騙した女とは気付いていない。

 その場で他愛もない話を少しした後、詐欺男は食事に誘ってきた。

 ホテルのレストランで食事をしながら会話をしていると、詐欺男は服装のセンスを褒めてくる。

 相変わらず口が上手く、一度騙されていなければ、馬鹿みたいに有頂天になっていただろう。

 そして詐欺男は、めざとく私のつけている指輪を見て褒める。

「近くにジュエリーショップがあるんだけど、良かったらどう」

 私は警戒しながらも、ついて行くことに決めた。


「これなんか、君に似合うと思うんだけど」

 詐欺男は十万円もするネックレスを見せて、私に奨める。

 ほら、早速来た

「たしかに素敵ね。でも」

 私はあえて乗ったふりをして、詐欺男を焦らしてやろうと思った。

「よし、じゃあ決まりだ」

 詐欺男は黙ってネックレスを持って、一人でレジの方へ向かった。

「ちょっと、悪いわ!私たちまだ会ったばっかりなのよ」

 騙すつもりでいた私も、詐欺男の変わりように思わず戸惑う。

「僕が君に身につけて欲しいんだ」

 詐欺男は私の言うことも聞かず会計を済ませ、「ちょっと、ごめんね」と言って、私の首に腕を回すとネックレスを首に掛けた。

 彼のつけている香水の良い香りが、鼻腔をくすぐる。 

 鏡で確認すると、確かに服装のデザインとも合い、よく似合っていた。


 さっきのレストランも彼が払ってくれた。

 一年前までの私は、どの男からもこんな扱いを受けたことはなかった。

 支払いは大体私持ち、良くてもワリカンばかりだった人生。

 私は、昔の私が哀れになり涙が出てきた。

「大丈夫?ごめんね、そんなに嫌だった?」

「そうじゃないの、嬉しくて」

「良かった。君の気を損ねたんじゃないかって、心配したよ」

 彼はポケットからハンカチを取り出すと、私にそっと差し出した。


 もういいんじゃないか、この人からこれ以上何も貰わなくても。

 確かに失った物は大きかった。けど、私はそのおかげで生まれ変わった。

 人を恨むのではなく、赦すことで、本当に私の新しい人生は始まるんじゃないか?。

 私は涙で剥がれた化粧をトイレで直しながら、心を決めた。

「ごめんなさい、待たせてちゃって」

 さすがに付き合うことは気持ち的に出来無かったが、今日一日くらいは彼と一緒に居てあげようと思い声を掛ける。

「私ばっかり悪いわ。今度はあなたが行きたい所へつれていって」

「ウ~ン、そうだ君に見せたい物があるんだ」


 彼が向かっている方向には、観光地として有名な街中が一望できる高層ビルがある。

 そこでネックレスを返し、別れを告げよう。

 私がそんなことを考えていると、彼が高層ビルから大分手前の場所で立ち止まる。

「君がより魅力的になるために」

 そう言って彼は見覚えのあるビルで、一枚のポスターを指さした。

 男は、以前と同じエステサロンが入っているビルの前で、以前の十倍は高い美顔器を勧めてきたのだ。


 男が私に使ったお金は、所詮撒き餌でしかなかった

 高級なエサでも安物のエサでも、この詐欺男にとって所詮女は、垂らした釣り針に掛かるのを待つ獲物でしかなかった。変わった私に気付かなかったわけじゃない、そもそも騙した女の顔など覚えていないのだ。

 私は怒りのあまり、からだが震えていた。

 ハンドバッグに手を伸ばして中のカッターを手探りで探しだし、震える手で握る。

「あんまり、女をなめるんじゃ」

「おんな、ナメンじゃないわよ」


 私がカッターを取り出そうとした瞬間、詐欺男の身体が地面に転がった。

 大声で叫びながら、女がいきなり体当たりをしたからだ。

 詐欺男の腹には包丁のような物が突き刺さっている。

 女はバッグから別の刃物を取り出し詐欺男に馬乗りになると、私の知らない名前を叫びながら、何度もその顔を切りつける。

 私は叫ぶことも逃げる事も出来ず、その場でへなへなと腰を抜かしてしまった。

 詐欺男の高級ブランドの服は、腹部と顔面の出血と、自分の振るう刃物で傷ついた女の血で真っ赤に染まっていった。

 最初の体当たりで既に意識のない詐欺男の顔には赤い筋が何本も走り、顔の大部分が血で見えなくなっている。

 詐欺男の意識がないことに気付いた女は、荒い息のまま立ち上がり男を見下ろしていたが、突然ホラー映画のように首だけねじって私の方を見る。

 殺される。

 私は恐怖で身体が動かず、身構えることも出来無かった。

 しかし、女はニタリと笑うとまた詐欺男の方を向き、警察が来るまでその姿勢のまま立ち尽くしていた。



 一年ぶりに居酒屋でマーコと食事をすることになった。

 警察が駆けつけると私も事情を聞かれることになり、すぐにマーコに電話を掛けた。

 取るものも取りあえず警察署に駆けつけてくれたマーコは、二十㎏痩せた私を一目で見つけて、「何やってんの、あんたは!」と、建物中に響き渡るような大声で私を叱った。

 混乱して要領のつかめない私の話をマーコが警察に通訳してくれたことで、私は家に帰れることになった。

「今日はもう帰ってゆっくり休みなさい。三日後にいつもの居酒屋に七時。わかった?」

 スケジュール帳を見ながら私にそう告げると、マーコは警察署に戻っていった。


 そして今、出されたお通しに手もつけず、マーコは私を睨みつけている。

「あんな誤解される物、持ち歩かないこと」

 マーコの言うあんな物とは、カッターのことだ。

 当初まき込まれただけの被害者だった私のバッグからカッターが見つかったことで、警察官の私を見る目が少し変わった。

 私の説明で納得しなかった彼等は、共犯も疑い私を取調室に連れて行こうとしていた。

 その時、タイミング良くマーコが来てくれた事で共犯の疑いは晴れて、私は自由の身になれた。


「はい」

 ただ、マーコには私があれで何をしようとしていたか、全部分かっているようだった。

 私の手はカッターの金属部分にふれた時、その冷たさに怒りではなく恐怖で震えだした。

 もし、あのまま勢いでカッター出していたら、すでに腰の引けていた私はおそらく、詐欺男に反撃されて酷い目に遭わされていた。

 結果的に私はあの女の人に助けられたのだ。


「あの、マーコ、加害者の女の人なんだけど」

「あの人の弁護、あたしが引き受けることになったから」

「ホント?」

「あの人も詐欺の被害者。二十年間コツコツ仕事して貯めたお金と親の遺産あわせて三千万円、あいつに騙し取られたらしい。騙された店の前で見張ってたら、あいつがあんたを騙そうとしているのを見つけて、思わず飛び出したんだって」

 マーコは深いため息の後、苦笑いして私を見ると、目尻にシワを作り微笑む。

「ほっとけないでしょ、ああいう人。まったく、あんたと友達してると、金のない依頼人ばっかで、貧乏くじ引いてばっかりだわ」

「ありがとう、ごめんなさい」

 私は自分でもなぜか解らなかったが、涙が止まらなくなっていた。


 マーコは立ち上がって、大きい手で私の頭を掴みぐしゃぐしゃと髪の毛をかき回す。

本気マジで落ち込むな、あんたらしくもない。幸いあの詐欺師、一命を取りとめたようだし、まあ、事前に凶器を複数用意していたから、厳しい裁判になりそうだけど、」

 目の前のきんぴらゴボウをつまみ出したマーコを見て、私も鼻をすすりながら、お通しのポテトサラダに手をつける。

「一年前、あんたに話を聞いてから、詐欺師の事あたしの方でも調べていたの。それでどうも全国的な詐欺グループがバックにいることが分かって、被害者の人たちを見つけて、

やっと全国で集団訴訟をするってところまでこぎつけたのよ」

 マーコはビールで喉をごくごく鳴らしてのどを潤わせると、話を続ける。

「詐欺事件の裁判が、こっちの裁判でも良い結果をもたらしてくれると信じて、頑張るわ。で、あんたはどうする?」

 マ-コはジョッキをテーブルにドンと音をたてて置き、私の目をジッと見る。

「やめとく。散々使っちゃったし、高い授業料だと思って諦める」

「まっ、あんたがそう言うんなら、それでいいわ」

 私の疲労を考えてくれたのか、マーコはこの件について何も言わなくなった。


「それよりあんた、ダイエットしてたんじゃないの?」

 私の前に次々と出される料理の皿を、呆れた表情でマーコが見ている。

「もう目的も無くなっちゃたし」

 フライドポテトで付いた指の塩を舐めながら私がこたえると、マーコは今まで聞いた中で一番深いため息をついた。

「財布に余裕、あるんでしょうね」

「あるけど?」

 私がこたえると、マーコは手をあげ店員を呼ぶ。

「串セットと揚げ出し豆腐、あとレバニラとおにぎり、とん平焼きも、ビール大ジョッキで追加お願い」

「ど、どうしたの?いつも全然食べないのに」

「いつも我慢してたけど、あんたがおいしそうに食べるの見てると、こっちまでお腹がすくのよ」

 マーコは私の食べていたフライドポテトを皿からつまむと、自分の口に放り込む。

「あんたの失恋のグチを聞く時はチートデイって決めたの。だから、二ヶ月に一回以上は呼び出さないでよね」

 マーコの優しさに、私は嬉しくてつい口元が緩んでしまう。

「努力する」

 私の言葉と表情に、マーコの右の頬と眉がピクピクと痙攣する。

「落ち込むなとは言ったけど、反省するなとは言ってないでしょ!!ああ、もうっ!!!すいませーん、砂肝とハツも追加で」

 こんな時だったけど、その夜は一年ぶりに楽しい夜になった。

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