18.〈荒くれ者〉カティンカ
貴族とはとにかく面倒だ。
カティンカは平民なので気楽なものだが、貴族の交友関係には常に家の事情がつきまとう。王子であるループレヒトの場合はローゼンミュラー王国そのものを背負っていて、その地位に相応しくない相手との付き合いはまず攻撃の的だ。
かく言うカティンカも、家庭教師に就任したばかりの頃、ループレヒトの当時の婚約者候補のご令嬢に突っかかられたことがある。王宮の狩猟用の森での訓練中に「身の程知らずの阿婆擦れが!」と勝手に乗り込んできたそのご令嬢は、ちょうど仕留めた鹿を掻っ捌いていたカティンカの血まみれの姿に目を回してぶっ倒れた。
その一件はループレヒトが円満に収めてくれ、カティンカにお咎めはなかったものの、数日後には「いじめっ子をナイフで脅し返した血まみれ女」の評判が王国中に出回っていた。
それ以来、カティンカに正面から文句を言う奴はいない。
「兄から、身の振り方を決めろと言われて」
医務室から同じ建物の応接室に移動した二人は、豪奢な室内でテーブルを挟み、向かい合って座っている。神妙な面持ちで話し始めたループレヒトが持ってきた菓子折りを、カティンカは遠慮なく口に頬張った。
王子の進路は国の一大事だ。将来に悩む若者の苦悩もれっきとした機密事項で、何ならカティンカ次第でループレヒトを誘導することも容易い。彼の両親に知られれば拳骨では済まないだろう。カティンカが気にせず噛み砕いた繊細な飴細工は可愛らしい口止め料なのだ。
「命じられてないのか」
「好きにしろと言われました。私が国を傾けるなら、あらゆる手段で潰すとは忠告されましたが」
「優しいな」
王族として国の役に立てとは言わないらしい。カティンカは感心したが、当のループレヒトは「私が兄と敵対する可能性を疑われたのは悲しいです」と遠い目をしている。信頼関係があるから敵対しないというのは、カティンカにはいまいち理解できない感覚だ。がり、と飴に歯を立てる。
「それで、主な選択肢は?」
「最初は臣籍をいただこうかと考えていましたが、コルネリウスがライザー伯爵家に婿入りすることになったので。ユーディットさんも王宮から離れるようですし……」
弟と王女代わりだった従姉が地位を降りた。さらに自分も王族を離れるとすれば、次代を担う王族が兄夫婦だけになることを心配しているようだ。
ループレヒトは社交の経験こそ少ないが、執務室で書類をさばくような内向きの仕事はすでに仕込まれている。今から努力すれば国王の補佐も務まるだろう。問題は。
「妃はどうする?」
「そこです」
ループレヒトは心底困ったように溜息をついた。
現状、ループレヒトに婚約者はいない。人を寄せつけない冷酷な兄と人懐っこいが二言目には剣術の話を始める弟に挟まれたループレヒトは、昔から良縁目当てのご令嬢に狙われていた。十歳のお披露目からほとんど表に出ないから人気は低迷するかと思いきや、兄弟仲は変わらず良いし、評判が下がったことでかえって「私でもいける」と思われて縁談は一向に減っていない。
ループレヒトが表に出ないのは、家庭教師を解雇されてなお彼に執着するカティンカの束縛によるもので、ループレヒトは血まみれ女の被害者を増やさないために表に出てこないのだという説を聞いたときは大笑いしてしまった。
「個人的には独身で構わないんですが」
「誰も許さんだろ。というか、適当に外堀埋められて面倒な奴が入り込むぞ」
権力欲の強い家と結婚する事態になれば、ループレヒトにその気がなくても兄の子どもと跡継ぎ争いになりかねない。第二のギレスベルガー公爵家の誕生だ。
「兄もそう言っていました」
ループレヒトが苦い顔で頷く。カティンカは自分なりに、目の前の少年と結婚するに必要な条件を挙げ始めた。
「まず王族の妃を務める能力があること。それなりの身分かつ王位継承争いには影響しない家柄……伯爵家辺りが妥当かな。それも、出しゃばらずに兄夫婦の補佐に徹することができる控えめな家だ。兄弟の嫁がグートシュタイン公爵家系列だから、そこの敵対派閥は駄目、近すぎるのも権力が集中するからまずい。それから、隣を刺激するような武の家系は却下と」
隣という言葉に、ループレヒトは沈痛そうに押し黙った。
隣とは、ローゼンミュラー王国の北に隣接するベルツ王国だ。ローゼンミュラーより国土は広いが、半分が豪雪地帯のため慢性的な食糧問題を抱えている。過去に二度ほど穀倉地帯であるローゼンミュラーの北部を巡って小競り合いになったことがあり、今代の王はベルツ王国を牽制する目的で、両国と隣り合う東の部族の姫君を王妃に迎えた。しかし、それが挑発になってしまったらしく、ベルツ王国が軍備を増強するなど緊張関係が続いている。
第三王子コルネリウスが王国騎士団を牛耳る今、ループレヒトくらいは不戦を表明する必要があった。
カティンカは、本当に最低限の条件を指折り数えて、つまらなさそうな不満そうな目でループレヒトを見る。
「その条件に当てはまる、適齢期でフリーの女は何人だ?」
「国内なら両手の指で収まります」
ループレヒトの答えに、カティンカは正直びっくりした。
「そんなにいたか」
貴族は婚期が早いので、十八歳のループレヒトと釣り合う年のご令嬢に婚約者もいないというのは少ない。割れ鍋の閉じ蓋を探すような話で、まさか対象者を数えられるとは。
カティンカは朗報と思ったが、ループレヒトの顔は浮かない。気が進まない様子で悲しい事実を告げた。
「最有力候補は、バルヒェット侯爵家のご令嬢です」
「あそこ三兄弟じゃないか?」
「三兄弟です。ご長男の娘さんですよ。七歳の」
「悪い大人だな」
ループレヒトはムスッと正面を睨む。
「そうやって口元をにやにやさせるくらいなら素直に笑ってください」
カティンカは腹を抱えて爆笑した。
流石に拗ねたのか、ループレヒトはふてくされたように顔を背け、自分が持ってきた飴を口に放り込む。カティンカはひーひー言いながら目尻に涙を浮かべ、数十秒後にようやく虫が収まった。
「はは……。傑作だな。もしかしてその子が最年長か」
「はい」
初めて見たくらい嫌そうな顔だった。口の中の飴玉が慣れないのか声がくぐもっている。
「一回りいってないから構わんと思うけどな」
「それは二十代と三十代以上の話だと思います」
「それもそうか」
ループレヒトが十にも満たない子に無体を働くわけがないと確信しているからこその発言だったが、はたから見れば対等な関係ではない。カティンカとて、これで年下なのがループレヒトの方だったら心配になる。
ループレヒトが溜息混じりに顔をしかめる。
「第一、本人が嫌がるでしょう。相手が結婚できる年になったら、俺はもうおじさんですよ」
「そう悲観するな。人間誰しも美人には弱い」
「昔『美人も三日で飽きるとは本当だな』って言い放ったのは誰でしたっけ」
「ループレヒトは顔だけの男じゃないから」
「返してください」
真顔で飴の箱を引き取ろうとするループレヒトに、カティンカは食べかけの飴が乗った舌をべっと出した。
「きたないぞ」
「口の中のはいらない!」
信じられないと言わんばかりの顔で叱られて、カティンカはあっさり舌を引っ込めた。がりっと飴を砕いて喉の奥に流し込む。調子に乗ってからかいすぎた。
「私も出す度胸はないなあ」
王子の前で、あまりにも品がない。
「まあでも、そうだな」
食べ物がなくなって手持ち無沙汰になり、カティンカは踏ん反り返るように高く脚を組んだ。
「お前はそろそろ、守られることを受け入れるべきだな」
うっと怯んだ呻き声がする。途端にループレヒトは明らかに挙動不審になり、さっき没収されたはずの菓子折りがそそくさとカティンカの手元に戻ってきた。それには、流石のカティンカも呆れ顔になってしまう。
「ループレヒト」
呼ばれた当人は親に叱られることを悟った子どもみたいな絶望的な目をしている。ものすごく長い沈黙の後、ものすごくか細い「はい」が聞こえた。
「どうせ兄上殿下にも言われているんだろう? 結婚云々の前に」
「…………はい」
「王族として兄上を支えたいなら、ループレヒトの身は確実に守られないと国際問題にも発展し得る。外交の場に護衛の一人も伴わない気か? あっという間に拉致監禁暗殺国家の対立いざ開戦だぞ」
「なんで微妙に語呂がいいんですか」
ループレヒトは半ば現実逃避のように突っ込んだ。王太子によほど手厳しく注意されたのか、一気にしょげて俯く。
「……わかってます。俺が我儘だって言うのは」
「まぁ我儘とも思わないけどな」
「あの、話の腰を折らないでもらえますか」
「慰めたのに」
我儘とは今のを言うと思う。
困惑げに視線を上げたループレヒトは、気を取り直して話を戻した。カティンカは若干やさぐれながら新たな飴に手を伸ばす。
「誰も傷ついてほしくないなんて、言ってもしょうがない世の中でしょう。俺の立場で何かあったら、大勢の人を傷つけるのはわかってます。傷つく人は一人でも少ない方がいい。その方が結局取りこぼさないから」
繋がっているようで、繋がらない話だ。それに気づいて、カティンカはふと表情を緩める。
「ループレヒト」
名前を呼んで、取ったばかりの飴を開きかけの口に押し込んだ。ループレヒトは飴を半端にくわえたまま目を白黒させている。
「お前は覚えなくていいよ」
ループレヒトは唖然としたように口を押さえた。光の筋が螺旋を描いたような嵩のある形だったので口に入らないのだろう。片手で口元を覆いながら何とか食べようとしている。
「無理に納得させたところで、すぐガタがくる」
ループレヒトはもごもごと試行錯誤していたが、途中で諦めて歯で飴を真っ二つにした。まだ口に入っていなかった半分くらいがループレヒトの手のひらに落ちる。
カティンカは断言した。
「ルールに則った試合の観覧すら怖いのに、命を張って守られるなんて無理だろ」
おかげで引きこもりの第二王子が生まれたのだ。今に始まったことではないので、ループレヒトは憂鬱そうにぼやく。
「無理でも、必要なんでしょう?」
「そう自棄になるなよ。どんな護衛なら、誰なら受け入れられる?」
ループレヒトは虚を突かれたように、無言のまま考え込み始めた。
彼の両親が、自衛の手段として魔術を選んだのはそう悪い着眼点ではない。カティンカが言っても説得力がないかもしれないが、剣術のように前線で切った張ったをせずとも、魔術師なら魔術具があれば遠方から戦える。防衛魔術の大家であるドレッセル伯爵家なんかがいい例だが、あそこは代々王との繋がりが強いから、王位を継ぐ予定のないループレヒトは下手に近づけられなかったのだろう。
だからまあ、カティンカはその辺りの答えを期待して、思いつく部下を何人かピックアップしていた。中には今回の武闘大会に参加している奴もいるので、この後適当に顔合わせをしよう。
しばらく悩んでいたループレヒトが顔を上げる。叶うものかと諦観しているような表情で答えた。
「カティンカさん」
お、とカティンカは二度瞬きした。
「私か。血みどろになって何回泣かせたかわからんが」
「カティンカさん、戦うの好きでしょう」
「そのパターンか……」
護衛にならなかろうと命の削り合いを望む戦闘狂を選んだらしい。確かにその手もあった。
ループレヒトが小さく溜息をつく。
「冗談ですよ。カティンカさんから仕事を奪うつもりはありません」
「構わんぞ」
ループレヒトはかぱっと口を開けた。
「は?」
「立場上即日とはいかんが、いいよ」
「は⁉︎」
親切に繰り返してやったら、ループレヒトがぎょっとしたように体を引いた。勢い余ってずれたソファには気づいてもいない。さらに混乱した拍子に飴を飲み込んだらしく、身構えていなかったせいでげほごほむせ始める。
いかにも苦しそうなのを見かねて、カティンカはテーブルを回ってループレヒトの横に立ち、背中をさすってやった。
「ほら、どうどう」
「どうどう、じゃ、ない……ッ」
息を乱したループレヒトに不満げに睨まれ、カティンカはふむと顎を撫でた。厳しい訓練で動けなくなった部下を見下ろすのとは違う快感がある。
「いいな」
「ろくなこと考えてないでしょう⁉︎」
「考えてない、考えてない」
我ながら胡散くさい口調で否定して、カティンカはくすりと笑う。
警務部部長の娘であり、歴代最年少で小隊を預かるカティンカの魔術省での影響力は決して小さくない。いずれ父の任を引き継ぐことを当然視されている面もあるが、トップが二代続けて搦め手が苦手な荒くれ者というのも考えものだと思っていた。いつかどこかの下部組織にされそうだ。
仕事は好きだが、出動の度に始末書を書くのは面倒だったし、王族の護衛なら紛れもない栄転である。しかも、仕える相手は真面目で大人しいループレヒトだ。
カティンカはひょいとその場にしゃがみ、座るループレヒトと視線の高さを合わせる。目が合うなりループレヒトはぎくりと体を強張らせた。
「カティンカさん、待ってください。嫌な予感がする」
「なんで。やっぱり私はいらなくなったか?」
「そうじゃなくて」
念のための確認に、本気にしたループレヒトが焦って首を振る。カティンカは満足げに口元を緩めた。今にも歌い出しそうな機嫌の良さで今後の動きを考える。
「お前が長いこと護衛を拒否してくれたおかげで、私でも採用されそうなのが幸いだな。帰ったら辞表を書こう」
「待って、ねえ止まって。カティンカさん」
ループレヒトは半ば頭を抱えながら必死で訴えてくる。どこかから引き戻そうとするように左腕を引っ張られ、カティンカは揺すられるまま笑顔を向けた。
「よろしくな、ご主人様」
やらかしたという顔で、主は沈黙した。
妖精王の悪戯 橘花かがみ @TachibanaKagami
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