17.〈荒くれ者〉カティンカ
剣が宙を舞った。
まさか姫付きの騎士が得物を手放すとは思いもよらず、カティンカはつい瞠目しながら地面を蹴る。左手で目眩しの閃光弾を放ち、白む視界で対象の気配を猛追した。
頭上で何かがぶつかる。右の籠手の護符を起動させ、右腕に炎をまとう。強張った対象の顔に迫りながら、カティンカは吠えた。
「面白ェ!」
対策されていたのだろう。腕は瞬時に凍らされ、カティンカは気にせずその拳を振りかぶった。氷の塊が乗ったカティンカの拳打は流石に空を切ったが、同時に投げておいた泥団子――カティンカ命名の魔道具――が飛び退った対象の足元を泥濘ませる。
「最悪」
対象が思わずといったように愚痴をこぼした。
特設の底なし沼に足元を取られ、体勢を崩しながらも、何かの護符が発動し、細い針のような無数の矢が空中から放たれる。適当に八割くらい右腕で叩き落としたら、矢がかすめた頬の辺りがぴりぴりした。
「ほお、しびれ薬。騎士とは思えんな」
カティンカが解毒の護符を使った一瞬の隙に、対象は地面を凍らせて足場を作っていた。完全に凍り切るまでに力技で脱出したことで足は巻き込まれずに済んだらしい。
「本当に正規の魔術師?」
「すまんなあ、マナーがなってないかもしれん」
機嫌良く軽口を叩きながら、カティンカは再度右の籠手を発動させて氷を溶かした。対象は顔をしかめながら、「いいよ」とどうでもよさそうに溜息をつく。
「魔道具の乱発は場を乱すって本当なんだな」
瞬間、鋭く滑空した剣がカティンカの右肩を切り裂いた。
何らかの魔術が解除された気配がしたので致命傷は避けられたが、この出血は少々無視できない。騎士のくせに、どうも魔道具の扱いに手慣れている。さらに対象の手に剣が戻ってしまい、抑えるのは簡単ではなさそうだ。
静かに剣を構えた対象を冷静に観察する。肩を押さえ、カティンカはにこりと微笑んだ。
「降参」
荒くれ者と言われるカティンカの言葉に、対象は「は?」と虚を突かれた顔をした。
この度開催された王太子主催の武闘大会は異例だ。
形式的にはかつて行われていた王家主催の剣術大会に近いが、今回は剣術に限らず、魔術を含むあらゆる武器の使用や戦闘スタイルが許可されている。勝敗は一方の降参か対戦相手をフィールドの外に出すことのみで決まり、怪我等の危険性の高い戦いになることが予想されていた。
また、王国騎士団のみが参加を許されていた頃と異なり、今回は彼らと仲の悪い魔術省や、王宮勤めではない者たちの参加も認められている。身分証明が必要なので流石に誰でもとはいかないが、相当開放的になったものだ。
魔術省警務部警務課第三小隊隊長カティンカも、当然のごとく武闘大会に参加した。というか、長年に亘る魔術省と王国騎士団の不仲に頭を悩ませていた上司である父親に参加を厳命された。戦うのは好きなので否やはないが、ついでに優勝してこいと発破をかけられたのは父親も父親で王国騎士団に対抗意識があるのだろう。道具に頼る魔術師は軟弱だと馬鹿にされて体を鍛え上げ警務部部長にまで上り詰めた結果、魔術省の評判を野蛮に塗り替えた男だ。負けん気は強い。
余談だが、彼が跡継ぎとして育てるカティンカは父以上に拳で語らう脳筋スタイルである。
トーナメントの参加者が戦うフィールドは野外訓練場の中心に設置されていた。それを取り囲むように観覧席が階段状にあり、映写の魔道具によって上空に戦闘の様子が大写しになっている。今頃は対象の呆れ顔が映っていることだろう。
有力な優勝候補がぶつかる注目の対戦、カティンカがさっさと降参したことで、観覧客はどよめいている。聞き覚えのある連中のブーイングも聞こえるが知ったことではない。カティンカが我関せずと身を翻すと、対戦相手のヴィクトル・グラーツもおもむろにフィールドを出た。
魔道具の映写範囲を外れ、人気のない会場の裏手に回った辺りで、ヴィクトルがぺこりと頭を下げた。
「対戦ありがとうございました」
「こちらこそ。騎士団出身の君があそこまで魔道具を駆使するとは思わなかった」
「優勝する必要があったので」
淡々とした受け答えに、カティンカは興味津々に片眉を上げる。数々の強者が参加する中で大口を叩いているというのに、妙に熱量のない態度だった。カティンカが口を挟む前にヴィクトルは冷めた目でこちらを一瞥する。
「隊長こそ、なぜ降参を?」
まだ勝ち目は十分にあっただろうと目が訴えている。カティンカは「ん?」と首を傾げた。
「仕事ではないからなあ。君に本気で勝つなら私も覚悟せにゃならん。仕事に支障を出すわけにはいかないし」
答えながら、茶化すように片目を瞑る。
「泣かせられんだろう?」
「そうですね」
「やる気ないな」
優勝すると言ったときより適当な返事だった。国のために自らの地位を捨てたユーディット姫との熱愛の噂はカティンカの耳にすら入っているが、今もなお姫に付き従う献身的な騎士の姿には見えない。
カティンカは不満げに唇を尖らせてヴィクトルの肩を抱いた。先程まで傷口を押さえていた手は血に汚れていたが、眉をひそめたヴィクトルの視線はむしろカティンカの顔に向いている。お、とほくそ笑んだ。
「嫌か? 他の女に近づきたくないか」
「近づきたくないですが隊長のお考えとは意味が違います」
「そうだよなぁ、大切な姫を裏切れないよな」
「早く医務室に行くべきでは?」
びっくりするほど付き合いが悪い男だ。
ヴィクトルが指差した医務室のある小じんまりした建物の方向から、ばたばたと誰かが走ってくる。俊敏な部下を見慣れているカティンカからすると、死にたいかと檄を飛ばしたくなるような速度でやってきたのは、陽の光を知らなそうな線の細い人物だった。
カティンカはおやと目を丸くする。気を取られた隙にヴィクトルは拘束から抜け出したが、カティンカももう興味を失っていたので気にせず彼を迎えに行った。両者にあった距離の半分以上をカティンカが小走りで縮める。道端で合流し、カティンカは腰に手を当てて確認した。
「ループレヒト。何を急いでる?」
「かっ、てぃ……さっきゅ……っ」
ループレヒトはげほごほと咳き込みながら喋るが、慣れない全力疾走のおかげで息が整っていない。意味が取れないので、カティンカはどうどうと背中を撫でる。
しばらくして呼吸が落ち着くと、じろっと恨みがましい目で睨まれた。
「カティンカさん、どうしてすぐ医務室に来ないんですか」
「ヴィクトルと話してた」
すでにヴィクトルの姿はどこにも見当たらなかったが、まあ信じてもらえるだろうとカティンカはあっけらかんと答える。ループレヒトはますます目を吊り上げた。
「肩の治療より大事ですか⁉︎」
「あー、すまん」
普段はこの程度の怪我で戦線離脱はしないから、とは、荒事が苦手なループレヒトには言わない。どんなに小さな傷口でも放置すれば化膿が云々と説教を始めたループレヒトは、気遣わしげにカティンカの腕を取って来た道を引き返した。控えめな引っ張り方がいじらしい。
「このくらいじゃ死なないよ」
「もし後遺症でも残ったら、カティンカさんの職務に支障を来すでしょう」
ほとんど同じ位置にある目は正面を向いたままだ。見ているだけで痛いからと貴賓席の観覧も辞したくせに、とカティンカはつい笑みをこぼす。
カティンカは日々魔術絡みの事件の処理に当たっている。先程の対戦を見ればわかる通り、魔術は攻撃性が高く被害が大きくなりやすい。同僚の殉職は頻繁にあるわけではないが珍しいというほどでもなかった。
「昔は泣いてたのにな」
「からかってうやむやにできると思わないでくださいね」
「そう怒らないでくれよ。思い出話だ、ただの」
数年前、カティンカは一年ほどループレヒトの魔術の指南役を務めていた。
ローゼンミュラー王国の第二王子として生まれたループレヒトは、幼少から様々な学問を修めているが、魔術師を目指すわけでもない者が魔術を学ぶのは異例であり、王族の家庭教師として十代の小娘が選ばれたのは前代未聞だった。
ローゼンミュラーでは、王族は自衛の手段として剣術を学ぶのが代々の慣例だ。もちろん、向き不向きがあるので全員が一端の騎士というわけではないが、虫も殺せないほど荒事が大の苦手だったループレヒトは特に身につかなかった。兄王子のように精鋭の護衛を揃えるのも拒まれ、頭を悩ませた彼の両親はふと思い立つ。
そうだ、魔術はどうだろう。
そこでカティンカを指南役に選ぶ辺りは首を傾げざるを得ないが、年の近い者が臆せず戦っているところを見れば荒事への苦手意識も少しは和らぐのではないかという思惑もあったようだ。結局、攻撃特化の戦い方をして生傷の絶えないカティンカでは逆効果で、ほどなく解任された。その後もいくつか試したらしいが、ループレヒトが護身の術を習得することも護衛を容認することもなく現在に至る。おかげでループレヒトは強固な防衛結界で守られる王宮からの外出を禁じられ、口さがない連中からは王族の責務を放棄した出来損ないと揶揄されていた。
医務室に到着すると、あちこちに間仕切りがある広間で何人かの医者が駆け回っていた。武闘大会に備えて人員を招集したらしく、王国騎士団の医務官だけでなく、魔術省の医療チームもいる。ベッドがあるのだろう、カーテンに仕切られた向こうで楽しげな議論が聞こえるのは気づかないふりをした。あんな人体実験じみた話を交わしている声の半分以上に聞き覚えがあるとか、知らない知らない。
(流石にあいつらもここじゃ手出さないだろ)
魔術省で収容している囚人とは違うのだ。
「先生、この人を診ていただけませんか」
カティンカが明後日の方向に思考を飛ばしている間に、ループレヒトは慣れたように医者の一人を捕まえる。老齢の医者は「おぉ」と顔を上げ、ループレヒトの背中を叩いた。
「ありがとう。今日は皆一段と頑固でな」
「王太子からの褒美ですか?」
「そうそう。医者にかかって、辞退させられでもしたらたまらないらしい」
気軽に喋る医者は、ループレヒトの素性を知らない様子だった。他の医者も患者たちも気にも留めない。医者は「こちらだ」とあるカーテンの奥にカティンカを誘導する。
「女医が少なくてすまないな」
「私は構わんぞ。医者に求めるのは技術だけだ」
「頼もしいわ」
カティンカが上着をはだけさせ、露わになった患部を医者が手早く診察する。縫うような怪我ではないので手当てはあっさり終わり、痛みを無視するなどだけ言われて外に出た。
医者と患者が行き交う辺りを見回すと、なぜか両腕に包帯やガーゼの山を抱えたループレヒトが近づいてくる。
「終わりましたか」
カティンカはぽかんと目を丸くした。
「使い走りが板についてる」
「動ける者が働くのは当たり前でしょう」
ループレヒトは何でもないように答えると、診察室代わりのカーテンにそれらを配って回った。荷物を届けているはずなのにかえって量が増えているのは気のせいではない。一通りカーテンを回り終えたループレヒトは、「待っていてくださいね」と言い残してどこかに消えた。備品庫だろう。
(ずっと手伝っていたのか)
まるで最初からここのスタッフだったように、当たり前のように溶け込んでいる。
めったに社交界に出ないループレヒトの顔を知る者は少ない。中には気づいている奴もいるだろうが、王子が率先してお使いをこなしていては口をつぐむしかないだろう。王族を扱き使うのは不敬だ、カティンカも知らないふりをする。
「すみません、お待たせしました。……カティンカさん?」
ぼんやりしている間にループレヒトが隣まで戻ってきていた。名前を呼ばれて物思いから引き上げられ、カティンカは「ああ」と頷く。
「そうだな、話があるんだったか」
振り向きながら、カティンカはにやっと笑う。
「結婚するんだって?」
「決まってませんッ」
ループレヒトは言葉尻をかき消す勢いで否定した。
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