4.彼女/彼の秘密

「これからも末永くよろしくお願いいたします」

 ですって。思わず吹き出しそうになって堪えるのが大変だったわ。

 彼はまだ気づいていないようね。私の秘密に。無理もないわ。今の私はナイスバディの完璧な女。眼鏡をかければお堅いけれど真面目で信頼に足る立派な家庭教師の先生、眼鏡を外して露出度の高い服を着れば、そこらの女が束になったってかなわないほどのイイ女だもの。でも、彼があんなに簡単にひっかかるとは思わなかったわ。事前のリサーチでは女にだらしないとは聞いていたけど、本当にそうなのね。しかも私が元男だったことにも気づかないほどの間抜け。「ベッドでは照明を暗くしてくれなくちゃ嫌」と言ったのを忠実に守ってくれているのも滑稽よね。


 彼女もまだ気づいていないようだ。私の秘密に。無理もないか。二十歳を過ぎてさらに少し背が伸びて、性転換手術をし、腕のいい美容整形外科医のおかげで丸顔の童顔から鼻筋の通ったシャープなモデル顔になったのだから。その上、新宿二丁目のバイトで知り合って同棲するようになった中年男と養子縁組をして男の名前を女の名前に変えたから、昔の面影はおろか戸籍上も完全に別人になったわけ。気がつけというほうが無理かもしれない。


 私は本当に彼女が好きだった。サークル交流で知り合った女子大の二つ年上の先輩。お嬢様で少しわがままなところが、またかわいかった。私はその頃、学費と生活費、それにデート代を捻出するために既に二丁目でバイトを始めていたが、彼女とは本気で一緒になりたいと思っていた。彼女も私の卒業を待って結婚できるよう両親を説得すると言ってくれた。だけど、しょせんはお嬢様育ち、しがない貧乏学生に将来性などないと両親に説き伏せられ、見合い相手とさっさと結婚を決めてしまった。

 私は最後に一度だけと、彼女に泣き落としをかけてようやく逢瀬を取りつけたのだった。それからは一度も連絡を取ることはなかったが、私のほうは彼女の結婚後も折に触れて探偵を雇い動向を探っていた。あっさり心変わりした元恋人の鼻を明かす機会を狙っていたのだ。

 彼女と別れた後、何度か自殺未遂を繰り返しながらも二丁目のバイトに通ううち、自分の中の女性性がどんどん強くなっていくのを感じ、その後付き合ったのは全て男性だった。養子縁組をした男もその一人で、その男には手術代等々もろもろ随分援助してもらったが、私が完璧な女になったのを見届けるように病気で亡くなってしまった。

 彼女の家で娘の家庭教師を募集していると知ったのは、ちょうどその頃だった。彼女に娘がいることは前からわかっていたが、これは天が与えたチャンスだと思った。

「社長夫人として安穏とした生活を送っている彼女の家庭を崩壊させろ! 彼女を奪った彼にも復讐してやるんだ!」

 そう私の中の悪魔が囁き、私は中学生の家庭教師に求められる理想像を入念に研究し、周到に準備してから面接に臨んだのだった。


「先生、ここ教えて。がんばってみたけど難しくて」

 問題集を解かせていた生徒の少し甘えた声音に物思いから覚めると、くりくりした真っ黒な瞳が私を見上げている。この子を誘惑してみようか。それを知った時の両親の反応は見ものだろうな。でも、この子は掛け値なしにかわいい。顔は彼より彼女のほうに似ているが、ふとした表情にどこかよく見知った者を見るような気がするから不思議だ。それに私に心底懐いているようだ。自分に娘がいたらこんな感じなのだろうか。

                                <The End>

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“彼”の秘密 文重 @fumie0107

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