第15話
すっかり空が高くなった。夕日に染まる代々木公園の染井吉野は、所々黄色やオレンジ色に色づき始めている。
冬の到来が早い弘前公園の桜紅葉は、そろそろ見ごろかもしれない。
公園通りから松濤方面に少し歩いた所にある、滝の前で立ち止まる。インターホンで名前を告げると滝が二つに割れ、黒い自動ドアが音もなく開いた。
Instagramの情報通り限られた人しか知らない隠れ家バーに、妻は一人そこにいた。ニューオータニのトイレで出会った時より濃い目のメイクで、アンティークソファーに深く腰掛け、細めのシガーを燻らせている。
体のラインがきれいに出るベージュのニットのワンピース。これに似たの、私も撮影会で使ったことあるな。一人じゃなければ、話しかける気もなかったんだけどな。
「飲んでますか?」
クエーカーズ・カクテルを片手に、彼女に近づく。
「ラガヴーリン飲んでたんだけど、もう少し甘めの頼もうかな」
「これ飲んでみます? ブランデーとラムをレモンジュースで割って、ラズベリーシロップで仕上げてるんだけど、甘めでシガーにも合いますよ」
「欲しいな」
少し甘えたような顔で、私をジッと見つめる。夫婦が似てくるって本当だな。
心はまだ一つの恋を失った痛みでズキズキしているけど、彼女に初めて出会った瞬間に比べたら、その痛みさえもちょっぴり甘美に感じられるほどに私は強くなった。
痛みが快感って、人生最強じゃない?
転んで血が出ても、怒られて落ち込んでも、嫌われて傷ついても、そして大好きな人との別れの瞬間がきても、興奮して気持ちよくなっちゃうわけでしょ?
……って雅哉が聴いたら、暑かったあの日のように「キモい!」って笑ってくれるかな。もう二度と会うこともないと思うけど。
「このカクテルって祈りを意味するんですって。今、祈りたいことあったりしますか?」
微笑みながら、緋色の液体が入った美しいグラスを妻に手渡す。私は何を祈ろうか。雅哉や妻や娘や、雪乃や碧や私も含めた世界人類の幸せだろうか。
これもきっと「噓つき!」って顔を歪めてくれるだろうな。母の幸せを祈れる日は、来るんだろうか。
「恋できますように」
「私も恋できますように」
「一緒ですね」
妻の発言に少々驚きつつも、お互い見つめ合ってちょっと笑う。同じクラスだったらいい友達になれたかもしれないな、なんて思ったりもする。
同じ男を愛した戦友。いや私、圧倒的敗北国なんだっけ。
雪乃から「秋ふかし! 芋ふかしパーティ!」と今日もLINEがきていた。「紅あずま持参で参加キボンヌ笑」と返事する。
でも雪乃、いつもながらイベントのネーミングセンスどうなの? ダイエットは、芋をたらふく食べてから始めようと思った。
あの夏に咲いた痛い花の名前を僕らはまだ知らない すずらん猫 @Carpe_diem1
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